2022-08-11

財政的幼児虐待

「国の借金」が6月末時点で1,255兆億円を越えた。国債や借入金、政府短期証券の残高は、日本の全人口で割って1人1,000万円では収まらなくなっている。

つまり今の赤ちゃんらは、自分が生まれた時からそうした借金を背負わされているということで、それは「財政的幼児(児童)虐待」と呼ばれる。尋常でない名称だが、そのくらい深刻な状況だということだ。

コロナ対策や東日本大震災への援助、復興のための予算が必要で国債を大量に発行してるのは理解できる。しかし政府は、その後なんでもかんでも国債を発行し、それを中央銀行に引き受けさせれば済むと考えているようにしか見えない。

調子よく引用するMMT(現代貨幣理論)を言い訳にして、国債を打出の小槌と考えている。下図は2001年と2021年の債務残高(GDP比率)を日本と他国で比較したものだ。国名の右の%は、この20年間でどのくらい経済成長したかの数値である。


日本は20年前(東日本大震災もコロナもまだ発生していない)、既に国の借金はGDP比150%と先進国でダントツだったわけだが、それが今では250%を越える。

それだけの借金をしながら、経済成長率は20年たってもわずか12%にとどまっている。経済政策の面だけから云えば、日本は発展性のないことに延々と金を借金して注ぎ、そしてその考えを改める姿勢もない。財務省によると、本年末に国の借金は1,411兆4,000億円まで増える。1人当たり1,130万円強だ。

虐待の度合は、ますます強化され続ける。「こんな国にどうして生まれてしまったのか」と子供たちが将来恨み言を吐くようにならなければよいと願う。

顔写真など不要

第2次岸田改造内閣が昨日発足した。今朝の新聞の第1面に20人の顔写真が並んでいた。どの省の大臣に誰が任命されたかなど、正直言うともう関心はない。

ただ、朝食をとりながら新聞を眺める習慣があるので、それらの写真が目に入ってくるとメシがまずくなるので困る。後ろの方の紙面に掲載を移してもらえないものだろうか。

ところで、前の内閣(第2次岸田内閣)は昨年11月10日から昨日までの9ヵ月だった。今度の内閣で何をやるか掲げる前に、まずは昨日までの内閣でそれぞれの大臣が何をどう成し遂げたのかを示す「成績簿」を公表してもらえないか。

われわれ国民は誰が大臣になるかではなく、その人物が何をやり遂げてくれるかに期待しているのだから。

ちなみに、第1次岸田内閣は昨年10月4日から同11月10日の38日間だった。日本の憲政史上もっとも短い内閣だった。38日間でも大臣だった政治家は、元大臣となる。

だが、実際はそうした期間で大臣としての自分なりの政策を考え実行することなど不可能。自分が担当する分野に関して正確な状況を理解するだけでも、それなりの時間はかかるはずだ。

大臣に誰がなったかなど(もちろん顔写真も)、実質どうでもいい。

2022-08-09

君は「ビジネスパーソン」か?

20代、30代が中心を占める社会人大学院生が自分らをどう見ているか、あるクラスで学生らへのアンケート項目に「あなたを示す言葉として、以下のどれが最もフィットしていると思いますか? 1つだけ選択してください」という設問を入れてみた。

結果、62人中58名の回答(回答率94%)で一番多かったのが「ビジネスパーソン」の27.6%。続いて「会社員」25.9%、「ビジネスマン」20.7%、「サラリーマン」8.6%、「ビジネスウーマン」6.9%の順だった。

 
自分のことを「ビジネスなんたら」と答えた人の割合は、都合55.2%で半数を超えている。これって一般社会といささか、いや、かなり違っているんじゃないかという印象を受けた。

そこで、組織で働く人を示す「会社員」「サラリーマンまたはOL」「ビジネスマンまたはビジネスウーマン」「ビジネスパーソン」がメディアでどのように使われているか、ためしに朝日新聞のデータベースを用いて2000年から2021年までの年度ごとの掲載頻度の割合を調べた。

 
上図は結果をグラフ化したもの。黄色い部分を指す「会社員」が9割を占める。企業組織で働く者の一般的名称は、会社員と推測してよさそうだ。

ただこれでは先の学生らが自分はそうだといった「ビジネスパーソン」の姿がまったく見えないので、「会社員」を除いて図にしてみたらこうなった。


「サラリーマンまたはOL」(グレー)が8割以上を占める。続いて「ビジネスマンまたはビジネスウーマン」(オレンジ)。ここ数年になってやっと「ビジネスパーソン」(青)がちょこっと現れてきた。

日本語でも看護婦を看護師に、保母さんを保育士さんにというように性差を示さない用語に呼び変える流れのなかで、ビジネスマンがビジネスパーソンと呼ばれるようになってきたのだろう。

そもそもビジネスマンって何か。オックスフォード英語辞典によれば、businessman (businesswoman, business person) とは、a man(woman, person) who works in business, especially at a high levelとある。またケンブリッジ英語辞典では、some one who works in  business, usually having an important job と示されている。

本来の意味は、「実業(ビジネス)に携わる人で、特に経営者層」である。

実態とイメージの乖離だ。

2022-08-08

何とかしようとすれば、何とかできるはず

新型コロナの感染が始まって以来受診していなかった市のガン検診を受診することにした。

市のサイトで、対象となる医療機関を調べ予約の電話をしたところ、検査日の予約をするためにまず来院して欲しいと言われた。窓口で問診票に記入してから実際の検査日の予約ができるとか。

事務的な手続きなのでネット上で済ませられるはずだと思いながらも、仕方ないので病院まで出向いた。今回、検診を受けることにしたガンは4種。そしたら病院の窓口で問診票が挟まれたクリップボードを4つ渡された。

それぞれ胃や肺などの検査用の問診票なのだが、それら4つすべて最初に名前、住所、連絡先、生年月日、年齢、性別を記入する欄がある。で、これまでの病歴や現在治療を受けている病気などの記入欄が続く。

なぜ名前や住所などの記入が1つで済まないのか看護師に訊ねると、「それぞれ担当機関がちがうんです」と。

解決法はそれほど難しくはないと思う。受診者は数年に1回しか利用しないからそのままになっているんだろうけど、なんとかした方がいい。

2022-08-07

自由民主党が党名変更を決定

旧統一教会との関係を指摘された政治家らが記者会見などで示す、誠実さの欠片もない受け答えにゲンナリとさせられる。聞いていると蒸し暑さが増してくる。自民党を中心とする数々の国会議員、なかには現役の防衛大臣や環境大臣、さらには国家公安委員長までいる。

政治家としての身分を守るための言い逃れに、平気で国民のまえでウソをつける人たちである。安倍元首相以来、この国ではウソをつくことが一層軽くなった。 

そうした政治家の胡散臭さ満載の姿を小さな時から見て育った日本の若者たちが、今の政治も政治家も信用せず、やがて選挙権者になっても投票所に行かない理由がわかるような気がする。

ウソと言えば、電通の元常務で五輪組織委員会の理事だった人物が受託収賄罪で捜査をうけているが、それでつい昨年だったにもかかわらずすっかり記憶から消えかかっていた東京オリンピックをにわかに思い出した。

オリンピック実施に当たって、当時の菅首相は何と言ったか。開催の大義として、こともあろうか「人類が新型コロナを克服した証として」と表明した。明らかにウソ八百だった。

コロナ克服どころか、WTOによれば今の日本はこの2週間続けて新型コロナの感染者数が世界最多を記録している。

ところで岸田首相は、来週の内閣改造に合わせて党名を自由民主党から自由統一党へ変更すると決めたらしい。 ウソ

2022-08-06

彼女の詐欺より、美の基準の方が気になる

寝屋川市の女性市議が、コロナ禍で収益が減った福祉・医療関係施設向けの公的融資を利用し、仲介を装って施設側に融資を受けさせ手数料を詐取したとして逮捕された。

その詐欺の経緯などは報道されているとおりだが、僕が気になったのは「美し過ぎる市議」というメディアでの表現。

美しいかどうかは個人の主観だけど、はっきり言ってあの程度で「美し過ぎる」と言われたのでは、全国の他の女性市議に失礼じゃないのかね。

そもそもこうした報道記事の根底には、議員になろうなんていう女が美しいはずがない、という偏見意識が見える。

メディアに携わる人たちは、そうした紋切り型の魯鈍な表現をいい加減にあらためるべきだ。よほど彼らの周りには不細工な女性しかいないのだろうナ。

2022-08-05

「インバウンド」は、遠い記憶に

2002年、政府の閣議決定をもとに国土交通省がグローバル観光戦略を立ち上げた。そして「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の名の下で、海外から観光客を呼び込む活動が国を挙げて開始されたのが2003年だった。

かつて世界を席巻した半導体産業など日本の製造業はすでに見る影もなく、政府は外貨を稼ぐ最後の砦として観光産業に目を付けたわけだ。

しかしその後、訪日客数は10年間さほど伸びず、2012年頃まで日本を訪れる外国人観光客は多くてせいぜい年間800万人(フランスの10分の1)ほどだった。その後、とうとう外務省が中国人へのビザ発給要件を徐々に緩めるのにしたがって、その数は急上昇。つまり、増えた訪日客のおおかたは中国人観光客だった。

銀座の中央通りに中国人観光客を乗せた観光バスが何台も停車し、大勢の客が銀座の街に一挙に買い物に繰り出していた風景がいまでは懐かしいほどだ。

そして2019年に訪日客は3200万人弱を記録したが、2020年初頭からの新型コロナウイルス感染拡大で2020年は410万人、2021年は25万人にまで激減した。 

JNTOのデータを元に作成

政府は第7次とも呼ばれる感染拡大に半分目をつむり、「社会経済活動」にいかに国民を仕向けようかと考えている。

夢よもう一度ではないが、コロナが定常化したあかつきには、また「インバウンド」と呼ばれた外国からの観光客誘致策を検討していることだろう。

だが、それはかなり難しい。今のような感じで円安が進んでも難しいと僕は見ている。その理由のひとつは、場所によっては40度を越え、熱帯ともいえる日本の夏の暑さだ。

中国などアジア諸国からの観光客は知らないが、欧米人が夏のバカンスシーズンを利用してこの殺人的暑さの国にはるばる観光に来るとは考えられない。

実際、ヨーロッパでは人びとの旅行行動に顕著な変化が現れている。日本の猛暑のことを言ったが、暑いのは日本だけではない。英国で歴史上初めて40度を超える気温を記録したなど、各地がヒートウェイブに襲われている。

そのため人びとは、暑いローマではなく、比較的涼しいストックホルムやコペンハーゲンを選ぶ。暑さで避けられるようになったのは、なにもイタリアだけではない。スペイン、ポルトガル、ギリシア、フランスといった著名な観光地が軒並み敬遠される傾向がでている。

だが、「暑さ」ゆえに観光の目的地から外されるようになったローマの最高気温は華氏100度、つまり摂氏38度弱。確かに涼しくはないが、日本よりマシ。夏のバケーション・シーズンに、高温多湿の日本に観光にくる欧米人はいない。

春や秋といった過ごしやすい季節はあるが、それらの時期に訪れるのは中国や韓国といった近隣諸国からの短期の観光客だけ。

一般の日本人は、円安で海外旅行に出かけづらくなる一方、海外から観光旅行客を呼び込むのもこれまでのようには行かなくなるのがこれからの日本だ。

2022-08-04

賀来満夫は、まだいたのか

日本では第7次の感染拡大が止まらない。医療現場は逼迫し、治療を受けようとしても対応がままならなくなっている。高齢陽性者の介護の現場もこれまでになく疲弊している。

 
NHKのニュースを見ていたら、東京感染症対策センター(東京 i CDC)座長だという賀来満夫が、またまたまた感染拡大防止についてもっともらしいことを都の会議で語っていた。正確には誰かが書いたのであろう原稿を始終読んでいただけなのだが。

ところでこのおっさん、2020年3月に新型コロナの感染について、新聞のインタビューでこんなことを語っている。

「SARSは2002年11月に確認され、ピークは03年3~4月で同7月に終息宣言が出た。その例を考えると、今回は19年12月に始まったことから、20年4~5月がピークで、8月まで続くと推測する」

2年前の3月6日の記事
 
何言っているんだろう。「その例を考えると」って、類推の仕方が根本的に間違っている。いまも勝手な思い込みをもとに医療行政をミスリードしているんだろうか。

参照:https://tatsukimura.blogspot.com/2020/03/blog-post_5.html

2022-08-02

ビルの隙間から花火

午後7時半、南の方からドドーンという音が連続して響いてきた。どこからだろうと屋上に昇る。みなとみらいの方面だ。 遠目だが花火が20分ほど上がっていた。花火は久しぶりだ。

掛け声倒れ、いや、掛け声にすらなっていない

IMDが調査、発表している各国のデジタル競争力ランキングで、日本は64ヵ国中の28位。3年で6つ下がった。


昨年9月1日にデジタル庁が設置され、多額の国家予算が割り振られたうえで、官民を挙げてDX推進の大合唱がなされた挙げ句である。掛け声倒れになっていないかとの批判の声が多い。

原因はどこにあるのか? 

大企業の役員や管理職を対象にした調査では、7割以上がデジタル化とDXの違いを「説明できない」と回答したとあった。

これって、すごく象徴的だ。

DXが「デジタル・トランスフォーメーション」の略だということくらいは、先の調査対象者は知っているはず。なのに、なぜデジタル化との違いすら自分で説明できなかったのか。

それは、自分の言葉になっていないものを人は理解しないし、できないからだ。デジタル化とDXの違いを「説明できない」と答えた被験者に、トランスフォーメーションって何?って聞いてみると分かる。彼らはまた、う〜ん、と唸るだけだ。

言葉が分かっていないのだ。だから、本来の意味が分かるはずもない。意味が分からなければ、説明できるはずがない。

じゃあ、どうするか。僕からの提案はすこぶる簡単。<横文字を使うのを止めてみる>に尽きる。DXだ、トランスフォーメーションだ、なんて聞かされた段階で、ほとんどの人は本人が意識しないうちに思考停止になっている。

だからこそ、苦労してでも日本語で言い換え、表現する。そこでやっと彼らはそれが何なのか理解できる。少しずつだろうが、問題や課題を自分のものにしていける。

よく聞く「DXが掛け声倒れになっている」という批判は、批判になっていない。実態は掛け声にすらなっていない、そして何も届いていないのが現実だからである。

訳も分かっていない役人や経営者や半端者のコンサルがDXだGXだ、SDGsだESGだなどと口先で吹聴している風潮を笑い飛ばすことから始めるしかないんじゃないかと思っている。

そのほかにも、パーパスだ、ウェルビーングだ、リスキリングだなど、薄っぺらい横文字をありがたがって振り回していても何も始まらない。

時刻表は、鉄道会社にとって最大の広告メディアなのに

都内に出るとき、たいていは新幹線を利用する。東京駅まで18分ほど。ゆったり新聞を広げて読むことができる。車中で飲食もできる。

だから、これまでどのバッグにも新幹線のポケットサイズ時刻表を入れてあった。だが、コロナ以来、JR東海はその時刻表の作成と配布を止めてしまった。

新型コロナ感染拡大が始まった頃は、国中で不要不急の外出を止めようという機運があったから新幹線のダイヤも間引きされ、通常の運行ができなくなったためそれも仕方なかった。

でも今は通常の運行に戻っているにもかかわらず、その時刻表の製作はしないらしい。同じJRでもJR西日本は作っているんだけどね。

JR東海は、それを一旦なくして以来、客はなくてもそれに慣れていると思っているようだ。そして、費用の節約にもなると考えているのだろう。

だが、この小さなポケットサイズの時刻表は、新幹線を走らせる鉄道会社にとって顧客との最大のタッチポイントとなるメディアであることを、どうもJR東海は知らないらしい。

2022-08-01

栖は、なぜ西か

魂になぜ鬼がいるのか、いまも考え続けていて答えが分からない。そしたら、本で目についた栖(すみか、ねぐら)はどうして西なのか不思議に思いはじめた。

『字統』では、栖は形声文字で「西は、鳥、巣上に在るなり」という記述がある。また「栖・棲は声義ともに同じ字であるが、栖の字を用いることも多く、またねぐらの意にはこの字が適している」とある。

だがよく分からない。 どうして西なんだろう。ねぐらは日が昇る東じゃなくて、古来日が沈む西に作られていたってことなんだろうか。

2022-07-31

魂には、なぜ鬼がいるのか

どうでもいいことなんだけど、昨日、布団の中で寝る前に本を読んでいるとき、「魂」という字に目が行って、とくに旁(つくり)の部分の鬼が気になってその後なかなか寝付かれなかった。

今朝起きた後すぐ、白川静さんの『字統』で調べてみた。

魂は会意文字、つまり二字以上の漢字を組み合わせて作られた漢字で、「云(うん)と鬼に従う」とあるがよく分からなかった。云は運気につながるらしい。そして魂の説明として「人の魂は運気となって浮遊すると考えられていた」と述べられているが、なんで「鬼」なのか分からなかった。

別の事典が必要みたいだ。

2022-07-30

原動力の持ち方

先週、本年度上半期(第167回)の芥川賞および直木賞が決定した。芥川賞は高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』(群像1月号)だ。

 
その受賞作はまだ読んでいないが、来週あたり届くはずの月刊「文藝春秋」9月号で読めると思っている。

34歳の勤め人(事務職)である高瀬さんの受賞会見を見た。とても落ち着いていて、きちんとした方だ。小説執筆の原動力は「むかつき」だという。もちろん、単にむかついた感情の発露として小説を書いているのではなく、こうした言い方をしている。

むかつきからスタートしているが、「これってむかつくよね」という愚痴だけで終わりたくない。このむかつきにはこんな理由もある、こんな考え方の人もいる、と受け取ってもらえたら。
とても分かりやすくて納得感がある。正直な意見だと思う。

最近の風潮として、ムカつきや怒りの気持を表に出すことは、とりわけ若い連中にとっては恥ずかしいことだったり、みっともないことになっているように感じていた。

それを受けて、どうやって怒らない気持ちを持つかについてコツを語った本なんかがベストセラーになっていた。

でもそれって、つまんない我慢を自分に強いているようで違和感があった。

だから、むかつくことからスタートして小説を書いている高瀬さんには大きな拍手を送りたいと思っている。

そういえば、前回(第167回)芥川賞を『ブラックボックス』で受賞した砂川文次さんは、受賞会見でこんなスピーチをした。

海の向こうで戦争が起こっていて! くそみたいな政治家がたくさんいて! そういうものに怒りを感じながら書いていたような気もしますし、そうじゃない気もします。よく聞かれるんですけど、怒ってない気持ちがないわけないじゃないっすかあ! っという気持ちです。

そのほかにも、壇上で国際情勢や政治への怒りを絶叫した。

とみにわれわれの日常から真っ当な怒りやムカつきが(少なくとも表面では)消し去られているなか、表現者が正当な怒りをこうしたストレートな形で口にするのを見てほっとする。

英国では前代未聞の熱波

この写真は、ロンドンのトラフィルガー広場でのスナップだ。


彼女らは、日焼けも気にせず、それより脳ミソがオーバーヒートするのをなんとかしようとしている。

この夏、英国では歴史上経験したことのない40度という気温を記録した。

英国の普通の家には冷房器具、つまりエアコンがない。夏と言ってもそれほど暑くなんかならないからだ。少なくとも、僕が以前英国で暮らしていたころはそうだった。

パブで飲むビールも、年中生ぬるい。日本のようなキンキンに冷えた生ビールなど出さない。それも、マイルドな暑さの英国の天候が理由だ。

だが、今年は違う。 

英国の友人に「大丈夫か?」と連絡したら、「生きている」と返ってきた。

異常気象が世界中で続く。

2022-07-29

「GX担当相って何?」

上のタイトルは、今朝のある新聞記事の見出しだ。

昨日、政府は萩生田経産相をGX担当大臣に兼任で任命すると発表した。<カーボンニュートラル>を実現するために「総合的な対策を推進すべく、行政各部の所管する事務の調整を担当する」という。

GXのGは、グリーンらしい。つまり政府が意図するGXは「グリーン・トランスフォーメーション」だとか。

岸田首相は、「GXの実行は、新しい資本主義実現のための最重要の柱の1つ」と関係閣僚らが集まる「GX実行会議」でぶち上げた。そんなに重要なものなら、国民の前でしっかりと説明してほしい。

また、先の新聞記事によると、記者が経産省にGXの意味を問うた際の担当者の答えはというと、「一言で表すのは難しい」だった首相が最重要項目の1つと言っているの一方で、所管官庁の担当者が定義すら分かってない。

またこれだよ。やれDXだとかGXだとか、口先だけで意味を説明することすらできない用語を振り回して、「やってる感」だけを見せて空回りしてる。つまりは、ただの目くらましだ。国民を心底バカにしてる。

そもそも環境保護に関することなら、本来は経産省ではなくて環境省が考えて推進することなんじゃないのか。そこに岸田政権の本音(原発の再開と推進)がはっきり浮かんでいる。

2022-07-27

日本は発想力で負けているんじゃないか

3年ほど前に学生たちとゼミ合宿で中国の深圳を訪れた。現地のBYD(EVの大手企業)のショールームを見る機会があったのだが、その時印象的だったのはEVカーのバリエーションの多さだった。今思えば、そこに彼らの並々ならぬ本気度が現れていたのだと気づく。

日本の公共交通機関でエコカーの導入が急速化しているが、その中核を占めているのがその中国BYD製のEVバスである。

日本は、経済産業省が先導してEVバスではなく水素バスの開発に舵を切ってきた。バス製造メーカー各社は開発を急いでいるようだが、実現できていない。結果、戦略が完全に裏目に出た。

経産省が2017年に説明した水素基本戦略では、2020年までに100台、30年までに1200台程度の導入とある。水素は燃料充填の時間が短くて済み、航続距離が長い点が優位だと説明されていた。

しかし、水素は調達コストが高く、燃料供給のインフラ整備にも時間を要するなど、EVの充電設備設置の方が現時点ではコスト面でも時間の面でも優れている。 

結果、水素バスは思わく倒れとなり、世界中で中国メーカー製のEVバスが席巻している現状になった。わが国においてもそうだ。

技術力の差というより、発想力(長期的な戦略思考)の差の表れの典型例だ。

2022-07-25

人手不足でそのうち閉店か

駅前に野暮用があって出かけ、それらを片付けたあと、あるチェーンの定食屋に寄った。

隣のテーブルで学生らしき娘がスマホを塩と胡椒の容器に立てかけて、イヤホンを耳にYouTubeの映像を見ながらメシを食っている。

目の前のテーブルのOLらしき女性は、ヴィトンのバッグをテーブルのうえにドンと置き、それを鎮座させたままテーブルに両肘をついて背中を丸めた格好で生姜焼き定食を食らっている。小さい時、親から食事の仕方を教わらなかったのか。

それはそうと、店員が午後7時半で店を閉めると言ってきた。ずいぶんと早い。

さっきから店内を見ていると、結構広い店のフロアで注文を取ったり、配膳、下げ膳、テーブルの片付けしているのは男女の二人しかいないのに気づいていた。まったく人手が足りないのだ。

迷惑にならないよう、店員が近くに来たおりに、なぜそんなに早い閉店なのか聞いてみた。「(働く)人がいないんです」と言う。やはりそうか。

「私もたまたま友人から紹介されてここでバイトしているんですけど、人が入ってこないんです」「隣のマクドナルドに取られて・・・」

その店の隣には24時間営業のマックがあって、いつもけっこう賑わっている。だからか、時給はそちらの方がいくぶん高い。

2022-07-24

マーク・ライデルからヘンリー・フォンダ

マーク・ライデル監督の映画が観たくなり、『黄昏』を観る。描かれるのは、湖畔の山荘での家族の夏の日々。主な登場人物は、6人のみ。まるで舞台劇のようだと思ったら、やっぱりもとはブロードウェイでかかっていた芝居だった。

映画版が素晴らしかったのは、湖やそれをとりまく自然の美しさだ。原題の On Golden Pondを映し出したのも、映画ならでは。しっとりとしたデイブ・グルーシンの音楽もストーリーと映像によくマッチしていた。

この作品では、主役のヘンリー・フォンダとキャサリン・ヘプバーンの2人がそろってアカデミー主演男優賞、女優賞を受けた。キャサリン・ヘプバーンは4度目、ヘンリー・フォンダは76歳での初めての受賞だった。

で、ヘンリー・フォンダの『怒りの葡萄』を続けて観ることに。原作はスタインベックの小説で、ピューリッツァー賞を受賞し、のちにノーベル文学賞を彼が受賞する理由になった作品。

オクラホマからカリフォルニアに仕事を求めて移動する貧農の一家。いまからまだ80年足らず前のアメリカでの、土地を持たない農家がおかれた厳しい状況とそれに抗う逞しい人たちの姿は、今のアメリカからは想像できないほど。 

ただ、搾取する側と搾取される側がはっきりと線引きされた社会の構図は、いまも何ら変わってはいない。

 
ところで、スタインベックのこの小説の初版が出たのが1939年。映画が公開されたのは、翌40年。速攻でこれだけの映画を完成させたのは、名監督ジョン・フォードと20世紀フォックスの豪腕プロデューサーだったダリル・F・ザナックの力だ。

2022-07-23

カペラは冬の星

「カペラが見えてた」と書いたが、ちょっと気になって調べて見ると、カペラは冬の星。

ということは、東の空の比較的低いところに見えてたあの明るい星は何だろう?

木星ー火星ー月ー金星

今晩は、南南東の木星から火星、月、そして東北東の金星まで、なんと4つの星がほぼ直線に並んでいるのを見つけた。また、南西の空には土星も見える。だけど、その他に見えるのはカペラ、くらいか。

もっと空が暗ければ、天気がいいので天の川やカシオペア座なんかも見えるはずなんだけど。街の夜は、肉眼ではこれが精一杯。

2022-07-22

文科省元局長(続き)

先の記事を書いたあと、有罪判決を受けた元文部科学省科学技術・学術政策局長佐野太が出したコメントを読んだ。

「明らかに不当な判決。後日、控訴に対する態度をあきらかにする」

だとか。

自分と息子を守るためだろうが、文科省の官僚が大学から利益供与として裏口入学を受けたことがどういうことか、分からないはずはないだろう。

文科省局長の有罪判決と大学ブランディング

すっかり忘れていた事件の判決を読み、当時の記憶を新たにした。

発生したのは、2018年の2月。4年前の大学入試の時期のこと。東京医科大学が、当時の文部科学省局長の息子に入試でゲタを履かせて合格させたという一件である。

そもそもの発端は、文科省が起案した「私立大学研究ブランディング事業」の募集に東京医大が選定されたくて、大学の理事長が文科省の局長に飲食の場で自分らが選ばれるための申請書の書き方を局長に教えてくれるように依頼したことから始まっている。

実に身も蓋もない話だが、さらにそれに輪を掛けたのが、その見返りとして文科省のその局長が、当時浪人中だった息子の入学を求め、便宜を受けたといういきさつだ。

私立大学の入試では、ある特定の学生の入学を優先するということはある。たとえば女性を優先するとか、地方出身者を優先するなど、多様な考えがあっていいと思う。

だが、世話になった文科省官僚の息子を見返りに合格させるのは、大学の専権事項にはならない。その元官僚は裁判期間中、自身の無実を一貫して主張していたらしいが、社会常識と照らし合わせればそれがどういうことかは明らかだろう。

この事件で皮肉だったのは、ことの発端が同省の「私立大学研究ブランディング事業」だったこと。名前を読むだけでも首を傾げて笑ってしまうような事業(*)だけど、それで名前を一気に全国に知らしめた医大理事長は立派というか阿呆というか。

* https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002/002/1379674.htm

文科省とそのプロジェクトに対して下心見え見えで参画を狙った医科大学。双方のトップが裏でそれぞれの利益しか考えてなかったところに問題の核心はあった。そもそもが、この官僚の浪人中の息子のためにこの事業が文科省で組まれたのかも知れないとすら思える。 

この事件があって以来、僕は初めて診察を受けるお医者さんには、少々失礼だと思いながらも問診の時に「先生は、どちらで医学を学ばれたのですか?」と聞くようにしている。

偏差値の高い医大の出身者だからといって、優秀で良い医者だとは思っていない。ただその時の彼(女)の返答の仕方は、その医師について多くを語ってくれるので大いに参考になる。

2022-07-17

「金の匂い」より「文化の香り」

先日、ある親しい友人とひさびさに話す機会があった。

彼曰く「なんだか、早稲田のビジネススクールって、金の匂いが強いよね」。うっ、返答に困った。

「金の匂い」がすべて悪いわけではないけど、やっぱり大学なんだからできれば「金の匂い」より「文化の香り」がするって言われる方が100倍うれしいんだけどネ。

今の状況じゃあ、到底ムリか・・・

2022-07-12

乱入せよ、さもなくば乱入させよ

夕方、大学正門前の大隈講堂で「村上春樹 presents  山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」と題した催しがあった。

開演15分前の午後6時15分、研究室のある11号館の11階でエレベータに飛び乗ろうと思ったら、エレベータホールでN先生とばったり。実は彼とは大事な打合せがあってそれに誘われたのだけど、時間が迫っていたので失礼させてもらった。

このイベント、ネットで申込み、抽選そして当選、チケット引き取りなんかをして9千数百円はたいて出かけたが、何のことはない。普通のコンサートだった。

それとは別に、今回のチケット購入のプロセスはまったくの噴飯物だった。いま思い出しても腹が立つ。客を何だと考えているのかと。

クレジットカード情報を含む個人情報をサイトに打ち込んでチケットの申し込みをすると、「仮登録」という返信メールがシステムがら届き、そこにあるリンクから今度は「キョードー東京メンバーズ」とやらに登録を求められる。当選した際にチケット受け取るため、メールとパスワードを登録して「マイページ」を作らされる。

抽選にするという理由のひとつは、一人でも多くの個人情報を取ることだろう。小銭稼ぎにどこかに流すつもりか。そうでもなければ、当選するかどうか分からない申込者全員のクレジットカード番号を含む個人情報を取得する必要はないはず。

チケットはといえば、抽選結果の連絡を待たされ、当選の連絡を受けたあとはコンビニでの引き取りの準備ができるまで連絡待ちをさせられ、その後、イベント直前にチケット販売業者指定の特定コンビニでチケット実券を受けとることになる。

コンビニ店頭ではいったん店内の機器に予約情報を入力し、プリントされてきた用紙を今度は同店のカウンターまで持参して、やっとチケットが手渡される。あまりにまどろっこし過ぎる。

本来はこれまで通り、申込の先着順で席を決めてチケットを客に郵送する。それで済むはずだ。郵送料なら84円で済むなのに、システム利用料(なんだこれ?)220円とコンビニの発券手数料110円がチケット代金に加算される。客に不必要な手間をかけ、不必要な個人情報をはき出させ、時間を無駄に使わせ、余計な支出をさせている。

キョードー東京が客に負わせたこの一連の手続きは、数々の点で間違いなく最低かつ悪質だと言っておく。

イベントを大隈講堂でやれば、学生を含めて大学関係者が観客として多数来ることは容易に予測できるし、またそれをひとつの目当てにして「早稲田大学共催」となっているはず。大学も安易な名義貸しをせず、もう少ししっかりを吟味しなくてはいけない。

当日の演奏自体は良かった。第一次山下洋輔トリオのメンバーであるドラマーの森山威男とサックスの中村誠一の演奏もすこぶるパワフルで、フリージャズの面白さとダイナミックさを満喫させてもらった。前座の早稲田大学モダンジャズ研究会の演奏も愉しめた。

だが期待したイベント性はほとんどなく、仕掛け人の東京FMがその番組用にカラ宣伝したとしか思えなかったのが残念。観客席に京大元総長の山極寿一さんがいて、山下さんが山尾三省さんと知り合ったいきさつについて質問したのが興味深かったくらいで、他にイベントらしきものは見るものなし。主催者の企画力のお粗末さが露呈していた。

それはそうと、山下洋輔さんには1989年に、中村誠一さんにはそれ以前の1987年ごろか、僕が広告代理店に勤務していた頃にそれぞれあるイベントとCMの仕事をご一緒したことがあり、それから30年以上になるけど、お二人とも「古びてなかった」。

2022-07-11

当選者らの「バンザイ」について

選挙が行われるたびに思うのだが、当選者やその関係者はなぜ「バンザイ」をするのだろう。子どもの頃からの疑問であり、いまだその違和感はなくならない。

選挙に当選したということは、これから議員として国会で国民の代表として仕事をすること。そこできっちり仕事を成し遂げてから「バンザイ」してくれよ、と子供の時から思っていた。

テレビ画面に映る「バンザイ」当選者とその取り巻きの心の中は、「一仕事終わりや」という気分でいるようにしか見えない。

そうしたなかで「今はバンザイはしない」と言った当選者もいた。どちらが今後に向けて本気かは明らかだ。

2022-07-08

ジェームズ・カーン

ジェームズ・カーンが亡くなった。彼の映画はいくつか思い浮かぶが、僕は彼がアカデミー賞候補にあがった「ゴッドファーザー」より、その翌年に公開された「シンデレラ・リバティー」の方が記憶に残っている。

彼の役どころはアメリカ海軍の水兵。真夜中で時間切れとなる「シンデレラ休暇」である港に上陸した際、酒場の玉突場でキューをあやつっている女と知り合い、恋に落ちる。その娼婦役を演じていたのは、ニール・サイモンの奥さんだったこともあるマーシャ・メイソン。

実直で頑固で不幸な境遇の親子を放っておけないアメリカ男が、カーンに似合っていた。

監督はマーク・ライデル。「ローズ」や「黄昏」といった秀作を撮っている。

2022-07-04

10人分も10億人分も同じだから

ブルームバーグの報道によると、中国で最大10億人分の個人情報が当局からハッキングされた。具体的には上海警察のデータベースから住民の氏名、住所、出生地、身分証番号、電話番号、犯罪歴情報などを含むデータが盗まれた。

 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-07-04/REHL1MDWRGG201?srnd=cojp-v2 

紙に印刷された10億人分の情報なら大変な量でちょっとやそっとでは運び出せやしないが、デジタルデータなら手元のキーボード操作だけで済む。警察が管理しているデータですら、ハッカーの手にかかればたやすいものなんだろう。

と思ったら、国内では日経BPの会員情報が不正にアクセスされて、データが外部に持ち出された可能性があるとニュースで流れた。

マイナンバー・カードに収められた日本人のまとまった個人情報は、世界中のハッカーらの垂涎の的。使い方次第で膨大な利益を得られる。だから、そのうちハッカーらのターゲットになるのは間違いない。

あるいは、そうなる前に役所が作業を丸投げした業者から情報が漏れるか、もしくは紛失するか。先日、尼崎市の全市民46万人の個人情報が入ったUSBメモリーが紛失したように。

それを手に入れてやろうとする専門家集団がひしめいている限り、どうやったって100%安全なデータ管理はできないのである。だとしたら、政府が考えているような個人情報の集中的な一元管理でなく、分散管理を行うことが必須なのではないか。

情報漏洩が発覚した際、政府は「今後のセキュリティ対応を強化します」といえば済むが、自分の情報を漏洩させられた個人は、不安をかかえたまま泣き寝入りするしかない。

2022-07-03

「秘密は何もない」

ピーター・ブルックがパリでなくなった。

オックスフォード大の学生だった17歳で演出家としてデビュー、20歳でRSC(ロイヤル・シェークスピア・カンパニー)の演出家に。22歳でロイヤル・オペラハウスの制作主任に抜擢されたという、英国出身の天才演出家だ。

昔、銀座セゾン劇場で観た「マハーバーラタ」の昂奮を思い出す。 

手元にある彼の『秘密は何もない』(早川)は、僕の愛読書のひとつ。クリエイティブであるということはどういうことか、クリエイティブなものを創造するということはどういうことか、深く考えさせてくれる本だ。

彼は「秘密は何もない」というが、僕には秘密だらけだ。

2022-06-26

F/A-18と腕立て伏せ

「トップガン マーヴェリック」をIMAXシアターで。お話は簡単で子供にでも分かるものだが、よく練られている。

トム・クルーズ演じるマーヴェリックと、彼の教え子たちともいえる若い選りすぐりのパイロットたちが主人公。だが、本当の主人公は戦闘機F/A-18とF-14だ。これらの飛行シーンには度肝を抜かれる。

磨き抜かれた技術で最新鋭の戦闘機を扱うパイロットたちだが、かれらが何かにつけて「罰」として腕立て伏せをさせられるシーンが妙に印象に残った。このコントラストが面白い。単なるストーリー上の演出ではなく、アメリカ海軍では実際にやっているんだろうな。

映画の冒頭あたりで、今後さらに技術が進めば戦闘機乗りは不要になっていくと上官に言われたトム・クルーズが「そうだろうが、それは今日ではない」と返すシーンがあった。

肉体と意思をもった人間を忘れるべきではないという制作者のメッセージである。


2022-06-25

小田嶋隆さんがなくなった

コラムニストの小田嶋隆さんがなくなった。65歳。面識はないが、同じ時期に大学の同じキャンパスにいたはずである。

訃報で「反骨のコラムニスト」「反権力のコラムニスト」と彼が呼ばれているのは、日本ではそうしたはっきりものを言う文筆家があまりに少ないから。

彼のことを詳しく知っているわけでも思想的な背景を理解してるわけでもないが、書かれたものを読む限り、彼は反骨ではあっても反権力を標榜したわけではないように思う。彼は、右も左も関係なく、ただ理屈に合わない考えやそれにもとづく言説を黙って認めることができなかったリベラリストであっただけ。

そうした彼に「反権力のコラムニスト」というレッテルを貼ったのは、恵まれた組織(大企業)内にいるがため直言したいが彼のようにはなれない、へたれメディア人たちである。

2022-06-22

2年半ぶりの国際学会出張

コロナ前の2020年1月、ハンガリーのブタペストにいた。学会発表のためだった。

現地では学会後にサーカスを観に行った会場で、現地駐在の日本人夫婦の方と偶然に知り合い、その後食事を一緒したり、帰国後もメールのやり取りをしたりで、思いがけず記憶に強く残る旅になった。

それは一例だが、日本を出て海外に行くと、たいていは新たな出会いや発見がある。それもあって海外の学会に出かけることを続けていた。

だが、中国武漢発のコロナウイルスが一気に拡がり、海外への渡航は一切禁じられた。その後のことはここに書くまでもない。人の移動が制約され、ネット上で展開するヴァーチャルなコミュニケーションにいつの間にかわれわれは違和感を感じることがなくなった。

それから2年半が過ぎて、やっとまあまあ普通に海外に出かけられるようになった。最初は欧州の学会へ出かけようと思ったが、ここはまずはリハビリを兼ねて距離の近いアジアの国にしようと思った。

そこで今回のマレーシアである。マレーシアを訪ねるのは初めてだし、英国留学中に一緒だった友人がいることも背中を押した。

日本からの出国と現地への入国。そして、現地出国と日本への再入国。一番大変だった、というか翻弄されたのは現地からの出国の際の手続きだ。 

今回のフライトはJAL。現地への直通フライトを飛ばしているからだ。ただ、現地空港での乗客の搭乗手続きなどグラウンド作業は、提携先のマレーシア航空が受け持っていて、それが今回大きな問題のもととなった。

これはあくまでも個人的な評価だが、マレーシア航空のスタッフはとても真面目なのだが柔軟性に欠け応用力がなかった。しかも、以前の古い日本政府の感染防止策とその規制手段をいまも適用しようとするので、当然のようにこちらとは押し問答になる。

MySOSとかいう日本政府のアプリをスマートフォンにインストールしていないという理由で搭乗手続きを拒否された。ワクチン接種証明書も、さっき済ませたばかりのPCR検査の証明書があってもである。

そもそもMySOSというのは、もし機内で感染者が出た場合に、日本政府の検疫所がその飛行機に乗っていた他の乗客に連絡を取ることを目的としたもの。住所や名前、連絡先をデータをしていれるだけのアプリのようだ。感染拡大やその防止と関係ない。紙の用紙に渡航で利用した航空便と座っていた座席番号、日本での連絡先を記入して提出すれば済む。実際、最終的には僕はアプリをインストールするなどせず、成田空港で1枚の紙を記入しただけで済んだ。

こうしたことが、その目的を一切知らされず、また彼女らも考えることをしないので、ただただ教条的に以前言われたとおり、そのアプリがないと搭乗手続きを行わないと言い張るだけ。

結局、カウンター周辺にいた、つい10日ほど前に日本からやって来たという日本航空社員が取りなしてくれて搭乗手続きができて機内に入ることができた。彼がいなければ、僕はその便には乗機できなかった。

コロコロ変わる日本の厚労省の政策と未徹底な通達。意味を理解しようとせず、機械的にしか仕事をしない現地スタッフ。日本から着任したばかりで、そうした現地スタッフをまだ掌握できていない日本の航空会社の社員。と、今回の問題の所在は多層で多岐にわたっていた。

最後の最後、現地の空港でのやり取りは、今思い出しても腹がたつことばかり。もともとコロナがなければこんなこともなかったと自分を慰めるしかない。

ところで今回の学会では、最終日のセレモニーで僕の研究発表に対してDistinguished Academic Award(4名が受賞)が与えられた。こうしたことがなければ、もう2度と彼の地は踏んでやるかと怒り心頭だったはず。せめてもの救いかな。 

 

ペトロナス・ツインタワー。観光デッキに昇る予約は今も一週間待ち

  
ホテルの部屋から見えたKLタワー

ヒンドゥー教の聖地「バトゥ洞窟」から見下ろす

日本への直通便は夜便のみ。昼間の時間を使ってマラッカへ足を伸ばした。

2022-06-13

男女役員数の均衡化義務の意味

日本の話ではない。まずはEU(欧州連合)を中心とした話をしよう。

EU各加盟国と欧州議会が、それらの地域において上場企業の女性取締役比率を増やすための規制案に合意した。

対象となる企業は、2026年6月末までに社外取締役での女性比率を40%以上にしなければならない。このことは、各国で2年以内に法制化することになっている。

また、社外取に限らず全取締役の枠組みで見ると、男女それぞれの取締役の比率を33%以上にするという方針になった。

男女平等、機会均等の考えのもと、女性が企業の取締役にとどまらず、あらゆる場で責任のあるポジションに就くのは大いに結構だと思う。

だが同時に、こういった単純極まりないクオータ(割り当て)の発想には、大いに疑問がある。

先のEUと欧州議会の合意だが、形式的に数字を作るのは阿呆でもできる。たとえば、社外取締役をすべて女性にする。そうすれば、社外取締役の女性比率40%以上も、また全取締役の女性比率33%以上もクリアできる。だが、それが果たして企業経営にとってプラスになるか。

なぜか。今回、そもそも上場企業に限ってのルール設定をしているのが、それが納得いかない。上場企業と非上場企業でなぜ線引きするのかの説明がなされていない。

また、日本企業の社外取締役に見る女性の状況は、以前から極端なインフレ状態にあると言われている。東証の基準をクリアすることを目的としているため、その多くは取締役の内実を伴わない形式優先との批判はあながち間違いではないだろう。

以前、建設機械メーカーであるコマツの相談役、坂根正弘さんと対談したときのことを思い出した。彼は「取締役に女性をつけるのは、難しいことではないんです。社外取締役は、どこかから探してくればすむ」「だが執行役員に女性をつけるのは、社員の採用から始まって、時間をかけて育成しなければならならず、一朝一夕にはいかない」と話してくれた。まさに正論だと思う。

形式要件を満たすために女性の社外取締役を増やす企業があとを絶たないが、その結果、そうした企業が今後どうなっていくか。

IMDなどの調査結果を見るまでもなく、日本企業の国際的な競争力が急低下してる状況の下で、こんな発想で見せかけのガバナンスを行っていることを「経営」だと思っているマネジメントが実に多い。

2022-06-12

総長決定選挙

総長決定戦の投票締め切りを間近に控え、各候補の選挙活動が続いている。今回の総長戦に立候補しているのは、現総長を含め3名。

僕は来週から海外出張に出るので、その前に投票を済まさなければならない。といっても、レターパックで投票用紙を大学の選挙管理委員会宛に返送するという簡単なやり方だが。

誰に投票しようか決めかねている。前総長というのが一体何をやったか分からないような人物だっただけに、現総長が良く見えていたこともあった。が、本当に3人のなかで最適な選択なのかと迷っている。

勤務先の大学で教員を務める古くからの知り合いと電話で話したところ、その人は大学の執行部を務めたことがあるだだけあって僕なんかより学内の色んな情報を持っており、また大学サイトの選挙ページに掲載されている立会演説会などの動画をきちんと見ると良いとアドバイスされた。

大学というのは、一見、世間からは浮世離れした社会に思われがちな世界だが、ご多分にもれず人間の欲がそれなりに渦巻いているようだ。権力を求める人間の欲求は場所や環境に関係ないようだ。

2022-06-10

気仙沼で漁師になった彼女

好きな声というのがあって、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が松たか子だ。それが理由で、彼女がナレーションをしているNHK BSプレミアムの『新日本風土記』を見る。

今日のその番組だが、テーマは「気仙沼」。番組の冒頭で、いきなり知り合いの娘さんが画面に現れた。

実は、新聞のラテ欄で「気仙沼で都会から移住し漁師になった女性」という番組説明を見たとき、ひょっとしたら・・・、とは思っていたのだけど。

彼女は横浜生まれの横浜育ちのはずだ。大学卒業後は青年海外協力隊の隊員として何年間かアフリカのマラウイで活動をしていたと聞いていた。それだけで、突然「私、漁師になる」と言い出したとしても、なんとなく納得できそうな感じがする。

僕は彼女に直接会ったことはないのだが、彼女のお母さんにお世話になったことがあり、その子が震災復興のボランティアとして宮城でいろんな活動をしているとか、数年前から漁師になりたくて気仙沼の船頭のもとに通っていると話には聞いていた。

テレビに映る彼女は、華奢な見かけではあるがとても逞しく見えた。網やロープを日々扱う彼女の手がアップで映る。若い彼女の手は、カサカサで荒れ放題だ。爪のところから血が滲んでいる。彼女はそれを喜んでいるわけではないが、ちょっとした勲章のように感じている節も窺える。

番組終了後、彼女の母親に「NHKの番組、見ましたよ」とメールしたら、「日焼けがどうの、美白がどうのとおしゃれにばかり気をつけていた高校生時代とは全く違ってますね。なんだか母の私にも手の届かないところまで行ってくれたようで嬉しいです」と返信があった。

思いもしなかった夢を追いかける娘が心配で仕方ない一方で、親元から遠く離れ、親たちの想像を超えた逞しさで自分の生き方を突き進む娘に、大きな希望を感じているように思えた。

そんな彼女には、赤の他人ながらとにかく元気で、思いっきりやってほしいと願っている。

2022-06-07

株主総会招集通知も少しは進化したら

6月の下旬は上場企業の定時株主総会の時期。各社から「招集ご通知」が送られてくる。

どれも昔から同じスタイル。サニタイズされた表面的で型どおりな情報ばかり。決議事項は、だいたいどの企業も定款の一部変更と取締役/監査役の選任だけだ。だから代わり映えするわけない。

いつからか、取締役候補者のスキルマトリックスなる表を掲載する企業が出てきたが、それを見てもよく分からない。勝手な自己申告だろうから信憑性がなく、ほとんど意味を感じない。株主が判断する際の役に立つとは思えない。

取締役候補くらいは、ウェブサイトで自分がこれまで何をやってきたのか、どういう考え方で取締役に就こうとしているのかを株主などに語りかける動画くらい掲載したらどうだろう。

やろうと思えば簡単にできるはず。「前例がないからやりません」って? そーかい、だからあんたたちダメなんだヨ。総会をもっと爽快なものにしようという発想でも持ったらどうだ。

2022-06-06

「なぜ日本は没落するのか」

ノーベル経済学賞候補と言われた森嶋通夫さんは、日本と英国を行き来しながら日本の行く末について考察していた。

その彼は、1999年に著した「なぜ日本は没落するのか」で50年後、つまり2050年頃の日本について「国際的発言力のない没落した国に落ちぶれている」と予言した。

なぜ50年後を彼は予言できたのか。あるいは、予言できると考えたのか。おそらく彼は、その当時の学生たち、二十歳前後の若者を見て50年後の日本の行く末を予言したのだ。 

日本では政治の世界においても経済の世界においてもリーダー的ポジションにいるのは60代後半から70代のオッサンが中心であり、50年後にどうなっているか、彼は当時の教育の場の状況とそこにいる若者らを見て予測したのである。

日本の戦後の学校教育は知識偏重で「価値判断を行う能力」「論理的思考で意思決定を行う能力」の涵養を疎かにしていて、そして50年後にはそれらの教育を受けた人間が政官財の指導者になっているはずだから日本は没落する、と考えた。

森嶋の基本的な認識は、現在の日本人は堕落したという点にある。それを断定的に述べることはここではできないが、政治はもとより経済においても、日本は没落した三流国家に成り下がってしまったのは事実だ。

彼が云う50年待たず、わずかその半分以下で到達してしまった。森嶋は、国が栄えるかどうかはその国民性にあるとしている。想像力に欠けた硬直化した発想と、右へ倣えの意思決定を範とする日本という国のスタイルがその典型である。

2022-06-04

何ごとも訓練・・・

交通誘導員のための練習かな。近くの公園で見かけた、ちょっとのどかな風景。





2022-05-31

リニアって本当に必要なのか?

リニア中央新幹線の開業は、今から5年後の2027年が予定されているらしい。

地下トンネル工事を進めるにあたり、まだ地権者や住民の理解は完全に得られていないらしいが、これができると品川駅=名古屋駅間はノンストップ運行の場合、40分で結ばれるらしい。

ただし、リニア中央新幹線が走る品川駅から名古屋駅まで、途中の神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県それぞれの県に新しく設けられる新幹線駅に止まるリニアの場合、品川駅から名古屋までは約1時間かかる。

東京駅を出発地とした場合、品川駅までは一区間だが東海道新幹線で移動するとしたとしよう。品川駅で降りてリニアへの乗り換えを行うとそこまでで20分程度の時間がかかるので、東京駅から名古屋駅まではリニア中央新幹線を使っても1時間20分程度という計算になる。

現在、東京駅から名古屋まで新幹線のぞみで1時間半だから、驚くような違いがあるとは思えない。

また、料金がどうなのか知らないが、7兆円を超える費用がかかっていることを考えれば、リニア中央新幹線は現在の東海道新幹線よりかなり料金が上乗せされるに違いない。そうしなければ費用の回収はできないのだから。

つまり、区間が品川駅から名古屋駅までという限られた移動手段であることに加えて、利用料金は増す。考えれば、それほど速くないだけではなく、品川駅が起点という事は既存の新幹線に比べて利便性は劣る。

さらに僕が個人的に気になるのは、リニアは路線の7割以上は地下を走るために車窓の景色を望むことはできないことだ。地下深く、真っ暗なチューブの中を走るわけだが、こんな移動が楽しいかネ?

そして忘れてはいけないのが、地震大国であるこの国で、もし地下深く走行しているときに大地震が起こったら、ということ。線区によるが、リニア新幹線は地下40メートルあたりを走るらしい。そんなところで地震が原因で新幹線が止まると、どこにも逃げ場がない。想像しただけで気が狂いそうになる。

リニア新幹線が走る箇所は、ちょうど南海トラフ大地震の発生が予想されているエリアと重なる。この地震は、30年以内の発生確率が87%と予想されているのに。

一旦計画し、作り始めてしまったから途中で止むにやまれず工事を今も続けているということだろう。かつての政治家と経営者が残した、まさに偉大なる負の遺産。慣性で人も組織も動いている。それを誰もリーダーが修正できない。

繰り返すが、品川から名古屋という限られた区間の移動に大工事を行い、7兆円もの費用を注ぎ込み、そしていくらかの移動時間の節約があるからといってそこにどれほどのメリットがあるのだろう。

静岡県知事が、自然環境への影響を理由にある区間の工事を県として認めていないが、それとは別の理由でリニアはいくら今さらと言われようが見直しを真剣に考えた方がいいと思う。

リモートワークになれてきた僕たちが、いまさらリニア新幹線を使っていかなきゃいけない必要性をどれだけ感じるかだ。

2022-05-30

長寿を日本人の誇りとする

ロシアによるウクライナ侵攻は、長期化の様相を見せている。ウクライナは、自らの国家としての独立と誇りをかけて国を守り続けようとしているし、ロシアも諦めることなくしつこく攻め続けている。

プーチンがウクライナを併合したがっている理由の1つとして、ロシアの人口減少が指摘されている。かつてのソ連時代は2億人弱だった人口が、現在は1億4000万人。そして、ロシア人は他の先進諸国のなかで平均寿命が短い。人口が増えにくいのだ。

下図は、米国、EU、日本とロシアのそれぞれの国民の平均寿命の推移を示したものだ。2019年時点で日本が84歳、EUが81歳、米国が78歳に対して、ロシアは73歳である。

 
とりわけ寿命の短さは、ロシアの男性に著しい。ロシア人男性の平均寿命は68歳で、女性の78歳に比べて10歳も短い。理由はいろいろ考えられるのだろうが、ウォッカの飲酒が理由の1つだと聞いたことがある。

一方日本は、順調に平均寿命を延ばし、2019年のデータによると国別では世界一である(男女の性別で見ると男はスイスが世界一で、日本人男性は82歳で世界二位)。 われわれ日本人男性は、ロシア人男性よりなんと14歳も平均寿命で長生きしている。

今さらながらだが、こんな幸せなことがあるだろうか。メディアなどで人生100年時代と語られる際には、どうやってわれわれはそこまで「生きながらえるか」という悲壮感や不安感が裏側に貼り付いているが、考えるまでもなく、短命より長命である方が幸せに決まっている。

幸せとは心の状態。金銭的な豊かさや肩書きとは関係ない。そもそも歳をとると、肩書きにしがみついていることほどみっともないことはないし、金はあればあったで困りはしないが、なければないで仕方ないと思うしかない。

気分を高く持ち、幸せな気持ちを保ちながら生きていくことができれば、日本人は世界でもっとも恵まれた、ほかの国が憧れる国になることができる。

そのために必要なこと。それはとにかく社会的な不安感を払拭すること。そして個人が、競争だけでなく助け合いや分け合いの意義を理解し優先していく気持ちを普通に持てるようになること。それしかないと思っている。

2022-05-27

「環境保護の観点から有料とします」の奇妙な理屈

KDDIから「紙請求書発行条件の変更に関するご案内」と題した文書が届いた。

 
目を通すと、冒頭から「環境保護の観点から紙請求書の発行を有料とさせていただきます」と書いてある。「環境保全と気候変動対策として紙請求書の削減」が必要だという。

ひと月にA4一枚の「利用料金のご案内」が環境負荷になるというのだが、これはあまりに利用者を阿呆扱いしている。

auの店に行くと、数え切れない種類のパンフレットが大量におかれ店頭で配布されている。僕はそれが悪いともおかしいとも思わないが、言うに事欠いて利用者に毎月送っている利用明細書1枚が環境負荷にあたると主張するのか。

彼らはただ印刷代と郵送料を省きたいだけなのは小学生にだって分かる。それなのに、環境保全という大義を振りかざして「1通220円」の手数料をペナルティとして客から取るらしい。

その追加収入は、森林整備や植樹費用にでも回すのかね。あり得ない。会社の利益として計上するだけだろう。

こうした見え透いたおためごかしが顧客に通じると思っているその発想が空々しく、貧弱すぎて情けなくなる。

2022-05-22

何とかと煙は、高いところが好きだというから

ボートが加速すると背中のパラシュートが風をふくみ、体がすっーと浮きあがる。どんどん体が空に向けて昇っていく。

水面から70メートルほど上がっただけで、まわりは静寂さに包まれる。風がロープを切るいくらかの音だけが耳元を流れる。それ以外は一切音が聞こえないことに驚いた。

体験してみないと、やはり分からない。

風を受けて浮かび上がる
ほぼロープが伸びきった状態

はるか下のボートに曳航され静かに進む

周りには何もない。眼下には珊瑚礁が見えた

ボートのリアデッキに向け戻ってきたところ

2022-05-08

日本の交通渋滞は、今も季節の風物詩だ

大型連休(ゴールデンウィーク)が終わった。GWにともなう高速道路の渋滞のニュースを聞くにつれ、「働き改革」なんてものは一向に進んでいないことが分かる。

「働き改革」は「休み方改革」であり「生き方改革」のはずだが、10年一日のごとく連休の始まりは高速道路の下り路線で、そして連休後半に差し掛かった頃からは上り路線で車が渋滞する。今年、その長さが40キロにものぼった高速道があった。

昔ながらの「官製休暇」にしたがって国民全員が休みをとるものだから、こうなるのは当然である。

オフィスに行かず、自宅や好きな場所で仕事ができるリモートワークは進んだが、好きな時に好きなように休みをとることはまだできないみたいだ。どうすれば、こうした一極集中をなくすことができるんだろうか。

GW、夏のお盆、年末年始の交通渋滞。コロナ禍の2年間を除き、何十年と同じことが繰り返されている。

これはもう日本の風物詩くらいに考えておいたほうがいいのかもしれないが。

2022-05-06

日本人の「働きがいスコア」は56%か、それとも9%か?

3日ほど前のこのブログで、日本経済新聞で日本人ビジネスマンが仕事に働きがいを感じている比率が6割弱(正確には56%)と書かれていたことにふれた。

今日、テーブルの上を片付けていたら、同紙の2021年8月30日の記事が出てきた。「仕事の熱意、日本低く」という見出しの記事で、そこでは日本で働きがいを感じている人は9%だと書かれている。

昨年8月30日の同紙記事から

その記事によれば世界平均の値も35%であり、66%とした先日の記事と数値が大きくかけ離れている。

「日本人で働きがいを感じている人」の割合は56%なのか、それとも9%なのか? 個人的な感覚では、9%とするこちらの数値の方がずっと納得感がある。実際に企業で働いているひとなら、ほとんどがそう感じるんじゃないかと思うけど。

調査方法が違うのだろうが、それにしても差が大きすぎる。

2022-05-03

「仕事に熱意」6割弱は上出来だと思う

これは2、3日前の日経朝刊一面の見出しである。なぜかこれが問題らしい。いや、問題にしたいらしい。

僕は、仕事に熱意を持っている人が6割弱もいるのは大いに結構なことだと感心するのだが、どうもこの新聞の論調はそうではないようだ。世界平均と10ポイントほど乖離しているのが気に入らないらしい。

それを示したのが下記の真ん中のグラフだが、奇妙なグラフである。「10ポイント差」を否が応でも読者に強調して見せたいらしい。縦軸の基点を55でなく、普通に0からとれば印象はまったく違ったものになる。

そもそも世界平均の半分とか3分の1というのなら、まだちょっと真面目にそのあたりの理由を考えてみようという気にもなるが、10ポイント程度の差で騒ぐのはどうかと思うし、その差はグラフを見る限りここ数年大きな変化は見られない。

調査で「会社に所属する誇りがあるか」だとか、「与えられた仕事以上に取り組む意欲があるか」だとか、こうした問いに対して<大いにある>と応える人の国民性とそうではない(日本人のような)国民性があるのを無視して「差が埋まらない」ことを嘆いても始まらない。

朝刊一面トップの、この10段抜きの記事が言っているのは、日本の労働者の総労働時間や残業時間は減っている、有給休暇の取得率は上がっている、したがって「働きやすさ」は大幅に改善した。ところが、「働きがい」のスコアは世界に見劣りしている。そして、「働くことに幸せを感じる」社員が多いほど、業績がいい。だから企業は社員の幸せ感を高めなければならない。ということらしい。

理屈がヘンだ。そもそも「働きやすさ」が何を指しているのか、分からない。勤務時間や残業が短かければ働きやすいとしているが、人々が感じる働きやすさは決してそれだけではないと思う。

また、「労働時間が短い」働きやすい職場の労働者は働きがいを感じるはずだという、理屈のわからない思い込みがあるみたいだが、人間はそれほど単純ではないのだよ。

そして一番下のグラフで、働く幸せを感じている人の比率が高い企業ほど、業績がよくなっていると指摘しているが、なぜそんな因果関係を勝手に思い浮かべるのか。

社員をハッピーな気分にさせさえすれば会社が儲かるのであれば、経営者の仕事はこの上なく楽だ(でもそうじゃない)。

社員の幸せ感と業績に相関関係があることが認められたとしても、それは業績が向上している会社はそうでない会社に比べて社内の雰囲気も悪くはないだろうし、またボーナスの増額でもあれば社員の幸せ感が上がるのは容易に想像できる。

つまり、因果関係の矢印を引くとすれば、それは新聞記事の主張と逆方向と考えるのが常識的だろう。

2022-04-24

これぞ、反マーケティング

吉野家の常務取締役なる人物が、早稲田大学が主催する社会人向けのマーケティング講座で放った言葉が世間を騒がした。

「生娘をシャブ漬けにするための戦略」という、「田舎から出てきた世間知らずの若い女性客を牛丼中毒にする」アイデアを受講者にチームで考案させる講座である。

吉野家の経営陣の一角を担うその人物は、自社の商品にまったく愛情を持っていないように思える。また同様に、自分たちの顧客にも愛情の片鱗すら感じていないようだ。

生娘、シャブ漬け、という身の毛がよだつ言葉を教室内で聞きながら、「講義の流れがあったから」などとうそぶいて、牛丼常務をその場で諫めなかった大学の人間の体たらくにも腹が立つ。

そうした今回の残念な出来事のなかでひとつだけ救いだったのは、件の発言に関して運営サイドにきちんと苦情を申し入れた受講者がいたことである。

その受講者は、その後のメディアの取材に対して以下のように語っている。
酷い性差別であるのはもちろん、覚醒剤で苦しんでいる人もいるのに、冗談にして笑って話して良いことだとは思えません。男性客に対しても『家に居場所のない人が何度も来店する』という趣旨の発言がありました。 
企業の社会的価値が求められる時代に顧客を中傷する発言をすることに強い怒りを覚えましたし、その発言が教育機関でなされたことにも驚きました。 
また、本心は分かりませんが教室にいた受講生の中には笑っている人もいて、温度差を感じました。
また彼女は、その時のことを振り返って次のようにも述べている。
社会にも企業にも学校にも、当たり前に年齢も性別もバックグラウンドも多様な人がいます。けれどこうした偏った発言の1つ1つが、日本社会から多様性を排除していると思います。
こんな言葉は下の世代には絶対に聞かせたくない、その思いを誰かに理解して欲しくて抗議しました。高い意欲を持って学びの場を活用されようと考えていた、他の受講生の方には申し訳ない気持ちもあります。

私自身は、講座はスタートしたばかりですが続けることを迷っています。マーケティングや授業よりも、人権意識を持つことの方が大切だと感じるので。
とてもまっとうな感覚であって、多くの人の共感を得る考えだと思う。教室の中には笑っている受講者もいたという情けなく呆れた状況で、このような思いをきちんと言葉で発してくれる人がいたことが、せめてもの救いだ。
 
吉野家の牛丼は、日本人の国民食のひとつと言っていい。早くて、安くて、旨い。それがいまは、例の常務取締役の発言とは何の関係もないアルバイトの人たちが店頭で客から嫌がらせを言われているという。
 
多くの顧客を不愉快な気持ちにし、社内で働く人たちも傷つけている。典型的な反マーケティングの一例だ。 
 
早稲田大学に講師として呼ばれたこの人物の発言については他にも色々言いたいことはあるが、とにかくまず言っておかなければならないと思うのは、こんなのは本来のマーケティングでも何でもないということ。これだけは、はっきりさせておかなきゃいけない。

2022-04-23

1969年8月15日とは、どんな日だったか

夕方、陽気に誘われて散歩に出たついでにkino cinema 横浜みなとみらいまで足を伸ばした。そこでは映画「ベルファスト」をまだ上映していたと思ったので。

物語は、1969年8月15日のベルファストの街角からスタートする。プロテスタントの武装集団がカトリックの一般住民への攻撃を始め、ベルファストの人々、特にプロテスタントとカトリックが入り交じり暮らしているエリアでの暮らしは平穏さをなくし大きく変化していく。

英映画「ベルファスト」は、北アイルランド・ベルファスト出身の監督ケネス・ブラナーの自伝的作品である。ブラナーはこの映画の脚本で今年のアカデミー賞脚本賞を受賞した。
 
 
9歳の主人公バディはブラナー自身の少年時代がモデルになっていて、バディを演じている少年もベルファストではないものの、北アイルランド出身だ。

モノクロの画面が、ブラナーの記憶の底をなぞっている。北アイルランドでのカトリックとプロテスタントの争いはその後30年も続き、1998年に和平合意がなされるまでにおよそ3600人が闘争で命を落としている。

少年の家族の日々の暮らしは典型的な労働者階級のそれで、決して豊かではない。が、家族の絆はつよく、家族そろって映画館に行くシーンが度々出てきて微笑ましい。そこだけカラーで映し出される数々の映画は、実際にケネス・ブラナーが1969年当時のベルファストで観た映画なのだろう。

そうした暮らしに覆いかかる血なまぐさい宗派間の争いには理不尽さを超えて、寂寥感を感じる。もともと多神教で、宗教間や宗派間の激しい衝突を抱えていない現代の日本人にはちょっと理解し難いところがあるが。

ところで、ちょっと気になって調べてみたら、やっぱり1969年8月15日というのはウッドストック(ロック・フェスティバル)の初日だった。この日、この映画が示したように北アイルランドでは流血の闘争が始まり、一方でアメリカ・ニューヨーク州のウッドストックでは<ラブ・アンド・ピース>の世紀のロック・フェスが始まっていた。
 


2022-04-19

11歳男児の父。39歳。

いやいや、これは僕のことではない。

今日の朝刊、健康に関する悩みを専門医に相談できるサイトをビジネスとして立ち上げた人を取り上げた記事内で、彼女のプロフィールがポートレイト写真の下に以下のように紹介されていた。


この人がもし、<にのみや・みまお>という男性だったら、はたして記者はこのプロフィール・キャプションを「11歳男児の父。39歳」と書いただろうか? 

この欄の記者は署名からすると女性だが、彼女はなぜこう書いたのだろう? そしてこの記事を事前に読んだはずのデスクや校閲も、なぜ疑問を感じないのだろう。

2022-04-01

Codaが作品賞を受賞

 
「コーダ」は劇場公開からふた月がたっているが、今回の米アカデミー賞作品賞を受賞したからなのか、近くのシネコンでいまも上映していて間に合った。Apple TV+は契約していないし、ネット配信してても映画はできれば劇場で観たいからね。

タイトルのCODAは、Children of Deaf Adultsの略。両親がろう者の子供のことを指す言葉らしい。主人公、17歳の高校生ルビーがそうだ。両親も兄もろう者で、家族の中で彼女だけが健聴者だ。
 
アメリカ東海岸の街で漁師を営む一家の物語だが、うまいキャスティングと練られたシナリオが観るもののこころを打つ物語を見せてくれる。決してお涙頂戴ではなく、まっすぐで、そしてユーモアにも支えられている。

ルビーの両親、そして兄を演じたのは実際にろう者の俳優たちだ。母親役のマリー・マトリンは『愛は静けさの中で』の主演でアカデミー賞を受賞している。そして、父親役のトロイ・コッツァーが本作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。

この映画は、ルビーがその歌の才能を高校の音楽教師から認められて音楽大学を目指すという青春物語でもあり、また音楽映画でもある。中心に据えられている曲は、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」。シックスティーズ!
 
この曲の原題は、Both Sides Now。ルビーのおかれている、ろう者の世界と健聴者の世界、一家に欠かせない「通訳」としての自分と未来を自らの手でつかみたい自分、そうした2つの領域で揺れている彼女の思いを反映しているかのようだ。
 
高校を卒業した後、ろう者の家族を支えて漁師の仕事を続けることは彼女にとって不幸な選択ではなかったが、必ずしも心底望むことではなかった。音楽教師(いいキャラクターだ)の強い勧めでバークリーで勉強をしたいと考え、ある日、家族に相談する。母親は「あなたがいないと困る」と進学に反対する。
 
母親はルビーにこんな話をもらす。ルビーが生まれたとき、母親はその赤ん坊が健聴者であると知って失望したと。なぜなら、自分たちとは違う世界に行ってしまうと感じたからだと話す。この映画の重要なメッセージがその一言に込められている。
 
映画の結末部分、ルビーは家族の祝福を受けてバークリーのあるボストンに向けて旅立っていく。映画のタイトルであるCodaは音楽記号でもあり、それは楽曲において主題とは別につくられた終結部を示す。ルビーの家族からの旅立ちのように。 
 
冒頭で流れるのはブルースシンガーだったエタ・ジェイムズの曲で、それ以外にもマービン・ゲイやデビッド・ボウイが流れる。選曲のセンスがいい。後で、この映画での音楽は LA LA LANDで音楽を担当した人だと知った。