ラベル 生活雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 生活雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026-08-24

人生の最盛期

探検家の角幡唯介は、その著書の中で「43歳が人生の全盛期」と主張する。

現在50歳の彼が自身の20代から40代を振り返って感じた実感からで、彼の『43歳頂点論』ではそれは体力の横溢さと経験の深さの双方から得られる総体としての探検者能力を示している。

角幡は大学の探検部にいたときから<探検>を続けている。探検はオリジナルでなければならず、まだ誰も足を踏み入れたことのない地へ踏み込んでいく。あるいは、まだ誰もそのルートでたどり着いたことのない道筋を選んで進む。

そのためには体力や肉体の強靱さが求められるが、それは歳とともに衰えていくのは避けられない。一方で、場を踏めた踏むほど、また歳を取ることからの人間としての経験は深くなる。

角幡の場合、その2つの総合力がピークに達していたと振り返って感じたのが、43歳だった。

探検家でも冒険家でもない身としては「へえ、そうかいな」としか思わないわけだが、植村直己や長谷川恒男、星野道夫などが43歳で命を落としていると聞かされると、妙に真実味を帯びてくるから不思議だ。

この本を読んだ読者は、たぶん誰もが「自分の全盛期はいつだったのかな?」と考えたに違いない。この問いは深い。基準をどこに置くかですべての判断が変わってくるから。そこに、その人の人生観と価値観がはっきり現れる。

そんなことを思っていて、ふと頭に浮かんだのは、一昨日の夏の甲子園大会の決勝戦である。

智弁和歌山高校が優勝した場面は、その日のテレビ局の各ニュースで流れ、スポーツ紙だけでなく、すべての一般紙でも取り上げられたはず。その選手たちが高校野球で日本一になった感動的で晴れやかなシーンだ。 

気になったのは、その選手たちは優勝の熱が冷めた後、何を考えるのだろうということ。下級生たちは来年以降の大会を目指すのかもしれないが、来春に卒業する3年生はどうなんだろう。

スカウトされて大学の野球部やプロ球団に進む3年生もいるだろうが、それは一部の選手だ。残りの選手たちはこれから何を目指すのだろうか、と余計なことを考えてしまった。

人生は長い。彼らにとって「18歳が人生の最盛期だった」とならなければいいと思う。 

2026-08-22

Evernoteの利用料金が2倍以上に値上げされることに

サブスクリプション料金の改定と題したメールが来た。

最近、こうしたメールを送ってくるサービスが多いので、またか、という感じなのだが、それにしてもEvernoteは大胆にも2倍以上の新料金を言ってきた。

 

日本じゃ普通あり得ない。  

自分たちはユーザーをロックインしていると考え、利用者の足下を見た価格政策をとっている。とっても厭な感じ。

Evernoteを使い始めたのは2009年だから、今年で17年になる。最初は無料サービスを利用していて、その後、有料サービスに変更。料金は月額2.50ドルだった。


2013年から年額払いに変更したが、その頃は年4,000円だったから新料金はその当時の4倍の金額になる。

会社の経営者が変わったことも影響してるのだろう。最近はやたらと頻繁に細かいアップデイトの通知ばかり送ってきて、ただ煩わしいだけでなく、肝心のデータの同期に時間がかかるのが気になっていた。

このタイミングで解約するに限るようだ。これまでのデータを人質にされて一方的なビジネスをされるのは実に不愉快。

2026-08-16

60万キロ越えのトヨタ・コンフォート

お盆の帰省客の流れに逆行して京都へ。

お昼過ぎ、歌川国芳展が開催されている京都市京セラ美術館へ着いた。向かいの京都国立近代美術館は何度か行ったことがあったが、この美術館に入ったのは初めて。


京セラが主体となって竣工した美術館だと勝手に思って訪ねたところ、やけに建物が重厚で歴史を感じさせる。しかも、名前が京セラ美術館ではなく、よく見ると京都市京セラ美術館だ。

調べて見ると、京都市がネーミングライツの契約を結んだ先が京セラで、だからこの名前の美術館になっている。市と結んだ契約金は50年間で50億円。半世紀にわたる契約を結べたのは、稲盛さんの意向が働いたからだろう。

歌川国芳展はこれまでに何度も見ているので、実はそれほどわくわくしながら訪ねたわけではなかったのだが、思いのほか展示作品が充実していて、知らない作品がたくさんあった。大漁だった。

いつもそうなのだけど、美術展を見終わるとぐったりと疲れてしまう。立ちっぱなしで1時間以上歩くこともあるが、ずっと集中しているから頭がしびれてしまうのだ。リラックスして楽しめばいいのに、と連れ合いから言われるが、どうもつい。

美術館の前にやけに昭和なタクシーが駐まっていた。ずいぶん前に生産中止になっているトヨタ・コンフォートだ。

乗り込んで行き先を告げ、シートに体を預けて見回すと、ドアに窓を開けるハンドルがついている。嬉しくなる。

彌榮自動車という京都市で古くから営業しているタクシー会社で、運転手に車の営業歴を尋ねたら、「16年くらい使ってますかね」と。さすがに昭和からではなかったけど、営業用の車にしてもずいぶん長い。そして、その車の走行距離は60万キロ越えていた。地球15周分の距離だ! ますます嬉しくなる。

窓のハンドルで思ったのが、先日の千葉での豪雨とそれによるクルマの水没事故だ。今回、道路の水かさが増してドアが開かなくなったケースが続出した。そして車の電気系統がやられて窓が開かないまま脱出できず、人が亡くなった。

そんな事故のことを聞いて思ったのが「なぜパワーウインドウが必要なのか!」といういつもながらのアナクロな罵りだ。 

昔から、車の窓くらい電気の力じゃなく人が手で開ければいいと思っていた。その方が開き具合の調整が楽だし、エンジンをかけてなくても開け閉めでき、ずっと便利だと思うんだけどね。

グローブボックスには窓ガラス破砕用のハンマーが一応入っているけど、窓が開きさえすればそんなもの使う必要なしだ。 

そもそも、何が嬉しくて車にパワーウインドウが付いているのか。何でも電動にすれば、そっちの方がいいという感覚がわれわれの中にあると自動車会社は考えているようだ。

今度車を買い換えるときは、パワーウインドウのスイッチをオプションで窓開けハンドルに変更してくれるようディーラーに話してみよう。

2026-08-06

利用規約変更が意味するもの

マイクロソフト社から「利用規約更新」の件名のメールが来た。

いまではマイクロソフトの製品はといえば、hotmailのアカウントを保持しているだけのぼくの所にもきた(笑
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/06/blog-post.html 

そのメールには、同社のサービス規約と「プライバシー・ステートメント」のリンクが貼られており、試しにどんなものかサービス規約を生成AIにチェックさせた。

AIは、一般的な大手クラウドサービスの利用規約としては標準的だとしながらも、注意すべき点をいくつか挙げた。

それらのなかで一番気になったのは、同社の規約では「サービス提供、安全確保、製品改善」といった目的で、マイクロソフト社は利用者のコンテンツを

  • 複製
  • 保存
  • 転送
  • 表示
  • 再フォーマット

することができる権利を利用者から与えられているという点。これって、大丈夫か? ぼく個人はマイクロソフトのサービスはほとんど使わないから、ま、いいけど。

それにしてもこの規約、文字数にして71,326文字もある。AIが本人の代わりに内容を精査してあっという間にコメントしてくれるからいいものの、そうでなければ誰も読まない(読めない)。

顧客のことを少しでも考えたら、何か他にやりようはあるはずだと思うんだけどね。そうしたことを何も考えないところがこの会社らしい。

マイクロソフトだけでなく、我々は気を付けないと彼らにケツの穴まで覗かれることになりそうだ。・・・もうそうなっているかもしれない。 

2026-07-29

鍵を捨てた

机の引き出しの中の箱に鍵が入っていた。5本ほど。それらは、実は何の鍵なのか自分でもわからないまま、そこにあった。

分からなくなる前にタグなど何か手がかりを付けておけばよかったのだが、そうしたものはなく、どれも何のための鍵かまったく不明だった。

ずっと処分できなかったのは、それらが自分が忘れている何かの「扉」を開くために必要な鍵かもしれない、という思いがあったから。捨てることで、自分が開くことができなくなる「何か」を手放してしまうのでは、といった小さな怖れがあった。小心者なのである。

今日、それらの鍵を全部捨てた。

万一、その鍵が必要だったということが後にわかったとしても、もういいや、と言う気になれたからで、実にすっきりした気分。

何かを切り離したり捨てていく行為は、ちょっとしたなごり惜しさとともに、それに勝る気持ちよさを与えてくれる。

2026-06-25

現在のマンション価格はあまりに不自然だ

暮らしているマンションの掲示板に部屋のリフォームのスケジュールが掲示されてた。通りがけに工程表をチラッと見ると、足かけ4ヵ月にわたる大がかりな工事だ。

リフォームではなく、ほとんどフルリノベーションだ。大変だな、と思ったらその部屋は隣室じゃないか。

何も聞いていないヨ。どうなっているのか、管理組合の理事長にすぐメールを送った。

その部屋に賃貸で暮らしていたSさん夫婦が転居していったのは半年以上前。彼らとは今もお付き合いさせてもらっているのだけど、その室で暮らしていたときは水回りのトラブルなどがあって大変だったらしい。それも一度ではなかったらしく、それが理由で仕方なく転出を決めたと話していた。

その後、その部屋は売りに出た。所有者(個人)が今が売り時だと判断したのだろう。中古マンションの価格が市場でバブルと言えるほど高騰しているうえ、築30年のマンションは今後立て替えなどを睨んで管理費や積立金の上昇や種々の煩わしい手続きが発生するのが目に見えている。

昨年売り出されたときの価格は6,280万円。10年前の相場の倍以上である。強気すぎる値段に買い手がつかなかったのだろう、3ヵ月前には5,780万円に下がった。 

と思ったらその後、業者(デベロッパー)がそこを購入し、すぐさま7,490万円の値で売り出した。表面上の値上げ幅は3割だが、実際は叩いて安く仕入れたはずだから、買値から4、5割を載せているのだろう。

しかも、その室はまだリノベーションの工事を始めたばかりなのに、新しい間取り(現状プラス1部屋)でもう不動産売買サイトで売り出している。

まもなく建物の大規模修繕が控えている築30年の老朽マンションを、誰がその金額で買うのだろうか。 

不動産の世界は、ぼくの目からはちょっと理解しがたい特殊な世界だ。 

2026-06-20

リアリティから乖離した大学人の単純思考

4ヵ月程前、国内のある学会に退会の旨を連絡した。

その後、何も言ってきてなかったのが、つい先日になって<退会が認められました>とメールを送ってきた。なんというか、日本の学会はどこまでもお役所みたいだ。

振り返ると、ぼくはどうも日本の学会とはあまり相性がよくなかった。 

初めて学会に参加したのは30代後半になってから。外資系企業のマーケティング部署で働くかたわら博士後期課程の大学院生でもあった時、知り合いから商業系のある学会を紹介されて入会した。

初めて参加した学会、そこに最初に登壇した人物は関西のある国立大の経営学部に所属する助教授で、彼女は研究報告の冒頭でこう言い放った。「企業には攻撃型の企業と守備型の企業があります」

「おいおい、ちょっと待てよ、なんだその二分法は」と仰天したのが、最初の感想。

企業は人間と違って、生まれながらの不変なパーソナリティを持っているわけではない。市場において攻撃的な行動をとることもあれば、状況に応じて守備(防衛)的な行動をとることもある。

どうするかはその時の競争状況と、現在の戦略や資源などとの兼ね合いで決定される。 A男さんはいつも物静かな性格で、B子さんはつねに饒舌なタイプといったアナロジーは企業には当てはまらない。 

企業をマーケットリーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーに分けて考えるようなことはある。が、それはその時の特定業界における市場占有率によって取るべき基本戦略を類型化したところからの発想に過ぎない。

彼女の冒頭の発言を聞いておったまげ、すぐに会場にいた周りの参加者の反応が気になり、ぐるりと周囲を見回した。そこでまた烈しく驚いた。

さっきの決定論的な発言に対して首を傾げている人が一人もいなかったからである。みんな何もなかったような涼しげな顔で聞いている。「ダメだ、こりゃ」と思ったのが、2番目の感想。

ビジネスの現場でのたうち回ったことのない安穏な大学人の様態はこうなのだと実感して、自分とは相容れないことを痛感した。

これが一番最初の学会での記憶。そしてぼくが聞いた一番最初の研究報告での出来事である。これが良かったのか、良くなかったのか。

以来、学会活動への目は国内ではなく海外に自然と向くようになった。だから、コロナ禍で海外渡航ができなかった時期を除いて、学会発表はほとんど海外での国際学会で行った。

そのため国内では学会内の何々一派といった集団には一切タッチすることなく、毎回、外国でいろんな国からその都度やって来た研究者たちと仲良く面白くやり取り(飲み食い、小旅行を含む)ができたわけだ。 

思い返せば、すべてはあの時の彼女のあの発言と、それに対する周囲の大学人の無反応(アパシー)から始まった。

2026-06-12

本屋はラビリンスだ

本をキンドルやiPadなんかで読むことが日常の中で普通になっている。

日常の中でといったが、とりわけ風呂の中で読むのは防水仕様のキンドル・オアシスじゃないと具合がわるい。

その一方で、写真や絵が見開きで印刷された本は、やっぱりデジタルではなく紙に印刷された本でゆっくり眺めたい。 

先日知り合いからもらった『ニューヨーク文学風景』(原書房)もそんな一冊だ。ニューヨークのマンハッタンとその周辺にある有名書店や図書館、作家ゆかりのホテルやレストラン、詩人や作家たちが集ったバーやカフェ、さらには劇場など文学作品に関係する施設が写真とともに紹介されている。


ブロードウェイ沿いのストランド・ブックストアやリッツォーリ・ブックストア、それにユニオン・スクエアに本店を構えるバーンズ&ノーブル、どれも何度も足繁く通った重厚な雰囲気を漂わせる書店だ。

NYにはそれら以外にも気に入った書店はたくさんあって、どの店も知の迷路に迷い込ませてくれた。本屋というのは、不思議な空間である。

そして、それは日本のいい書店も同様。ぼくの日常の動線上にある東京や横浜にもそうした店はたくさんあるが、京都の四条烏丸にある大垣書店が最近のお気に入り。 


そんな本屋さんだけど、全国の書店数が1万店を割り込んだという記事を読んだ。正確には9,993店(2025年度)で、対前年比で424店の減小。店数のピークは1998年で24,237店だった。

本屋が完全になくなることはないと思うけど(その前に人口減少で日本人がいなくなる?)、すでに現実になっているように、書店が一軒もない町や自治体がますます増えていく傾向は変わりそうにない。

ネットでも本は買えるし、デジタルでも読めるんだけど、たまに書店のあの空間に身を置いて、いろんな本と対峙する時間を持つことを失いたくない。

いい本(自分にとって価値がある本)はやっぱり買う前に棚から手に取って、目次を眺めたり、まえがきを読んだりしないと分からない。ただでさえ出版ビジネスは粗製濫造になっていて、最近は本の広告内容だけだと買ってから「なんか違う」と思うケースがしきりだ。

町の本屋がなくならないようにするためには、人が本に対して愛着をもっと持つようにすること。そのために著者と出版社にはいい本を作る努力をもっとしてもらいたいし、取次はベストセラー狙いの本だけでなく、良書をきちんと広く配本すること、本屋はそれをしっかり来店客に伝えてほしい。

そして、顧客は喜びを持ってそうした本を買い、読む。本の値段は、日本では典型的なデフレ価格だと思う。つまり、安すぎるのだ。これも粗製濫造の影響である。

新味のカップ麺を売り出すかのように、ほとんど工夫のない本ばかりが新たに作られているような印象がある。トータルで書籍の販売冊数は減少傾向にあるのに、出版点数だけは増えているんだから。 

なんとかどこかでネジを逆に巻き戻さなければ、大変なことになりそうだ。 

2026-06-01

バイバイ、マイクロソフト

自分のある活動をエクセルのシートを使って記録をとり続けている。

月が変わり、新しいシートを作ろうとしたところ・・・できない。既存のファイルを開くことはできるが、修正も印刷も保存もできなくなった。Microsoft 365のアカウントが失効させられているかららしい。 

忘れてたが、勤務していた大学が管理するソフトだったからだろう。仕方ない。 

それにしても退職2ヵ月で使えなくなるなら、それはそうと事前に知らせておいて欲しかった。2ヵ月という猶予期間の長さの問題ではなく、べつにそれが退職と同時でも構わないけど、いつから使えなくなるのか知らされていれば事前に対応ができていたから。

ということで、表計算の新しいシートをまさに作成しようとしているところで、さてどう対応しようかと思案してしまった。

方法はいくつか。個人でマイクロソフト365を契約して利用するか、ソースネクスト製などの代替Officeアプリを購入するか、Googleドキュメントで代用するという手もある。 

個人でマイクロソフトと契約して利用者IDを購入すれば、これまで通りの使い勝手で継続利用できる。だが私は、昔からマイクロソフトという企業は嫌い。

どうしようかと考えた結果、この際、新しいやり方(ちょっと大袈裟だけど)にチャレンジしようとMacに標準装備されているiWork(Pages, Numbers, Keynote)を使ってみることにした。何と言っても無料だし、この場でスグに起動できる状態なんだから。

iWorkを使ったことはない。これまで会社でも大学でも、そこではMS-Officeが業務上の標準とされていたために、習慣的にそれに否応なく倣っていたからだ。

ちょっとおっかなびっくりでNumbersを起ち上げた。当然、最初は操作に戸惑うが、そもそも表計算のアプリで必要なことは決まっているので、求めるボタン(コマンド)がどこにあるのか推測しながら探しさえすれば、たいていは見つかるというもの。 

そうして、15分ほどでiWorkのNumbersアプリで表計算のシートを初めて作成し、プリントアウト。細かい仕上がりの調整の仕方はまだ分からないが、それはどうでもいい。そのうちに分かるから。 

それより、これまでの長年にわたる一つの惰性から抜け出たように思えて、嬉しい気分。

2026-05-28

水芭蕉、リュウキンカ、日暈

梅雨に入る前に水芭蕉を見ようと尾瀬へ出かけた。

戸倉の宿の主人からは、今年は例年より水芭蕉が咲き始めたのが早く、もう終わりの時期に入っているようだと言われたが、湿原を方々歩いてみるとまだ群生している場所がたくさんあった。

今の季節の花は、水芭蕉とリュウキンカが中心。どちらも風情を感じさせるいい花だ。 

湿原に広がる水芭蕉

鮮やかな黄色いリュウキンカの群れ。向こうに至仏山

尾瀬ヶ原は標高1400メートルの高原。火山活動をもとに、何万年もの時間の経過によってこれだけの広さの高層湿原が生まれ、そしてそれが残っているのは考えてみればスゴいこと。

とにかくだだっ広く、それだけ空も広い。ふと見上げると、太陽の周りにまるく虹がかかっていた。日暈(ひがさ)だ。ハロ現象ともいわれる。今日は天気が良かったわりに湿度が高いなと思っていたが、それが影響したのだろう。

至仏山

2026-05-15

回答しないのは回答したくないのか、回答できないのか

新横浜駅前にある三井住友銀行の支店へ行く。

2階にある貸金庫室に入ろうとしたが、どういうわけか扉が開かなかった。カードキーを何度も通すがエラーが出続ける。時刻は3時前、その日はそこで用を済ませてすぐに他の銀行にも行かなければならなかった。(なぜ銀行の窓口は今も3時閉鎖なのか)

貸金庫室の入口で5回目のエラー表示を見た頃、隣の部屋から行員の女性が出てきた。「異常」の通知を知ったのだろう。彼女は私のカードキーを試した後、ちょっとお借りしますといってそれを持ってオフィスに入っていった。

しばらくして「貸金庫借用に関する申告書」という用紙を持って出てきた。これにサインしてくれ、という。そうしないと貸金庫室へ入れないらしい。??? 利用料は払っているのに。

書類にざっと目を通し、ひっかかった点を彼女に尋ねたが、説明が説明になっていない。だけど時間がないのでとりあえず種類にサインをし、コピーをくれるよう頼んだ。

 
その時の書類上に記された、利用客の遵守事項1の「その他」とは、また3の「公序良俗に反する行為」とはそれぞれ具体的に何なのか。説明を求めて銀行本社に質問してみた。

だが一月経っても回答がない。

回答できないのか、回答したくない(回答を残したくない)のか知らないが、困ったものである。 

2026-05-12

われわれの生活から色が消える

報道によると、カルビーは「ポテトチップス」「かっぱえびせん」「フルグラ」など計14商品について、印刷のインク色数を2色に変更するという。

 


中東のホルムズ海峡でタンカーが足止めされていることでナフサが手に入らなくなっているのが原因。

トランプよ、お前のせいで俺たちのポテチから色が消える! なんとかしろよ。

上の写真で分かるとおり、モノクロのパッケージのポテトチップスは素っ気なくて、まったく旨そうじゃない。カルビーの経営者だって販売のためにはパッケージが重要過ぎるほど重要だってことは百も承知のはず。

推測だが、これは原油の備蓄レベルはまったく問題ないとか、ナフサの調達も手配が付いてるとか、高市が官僚の書いた答弁書だけ見て、相変わらず現実を見ずにいる状況へのカルビーの怒りの姿勢の表明じゃないのかね。

そういえば、先日近くのスーパーで買い物をしたとき、いつものようにレジ袋の口をセロハンテープで留めようとしたら、ない。セロテープがないのだ。右となりを見ても、左となりをみても、テープホルダーにセロテープが一つもない。

通りがかった店のお兄さんに言ったら、「すいません。原油不足が原因だそうです…」とか。 

明らかにすでに国民の生活に影響が出ている。 

2026-05-10

簡体字を含むメールはすべて受け取らない設定に

先日、似た投稿をしたばかりだが、同様のメールについて。

国民年金の保険料が未納で、いついつまでに何がしかの金額をPayPay決済しなければ財産差し押さえすると書いたメールが。

荒唐無稽なのは明らかだが、このメールを受け取った人のなかには慌てて決済用のリンクをクリックしてしまう人もいることだろう。それがもし0.01%だとしても、10万人に発信されていればその数は10人になる。 

実際の被害者の数は知らない。だが、こうしたメールはそれなりに「効果」を発しているから、なくならないのだ。

下記は今回送られてきたメールの一部。

【最終納付期限】までに全額の納付が
確認できない場合、予告なく貴殿の財産
(預貯金、給与、不動产、自動車、有価証券等)
の差押えを執行いたします。 

「 不動产」の「产」は中国大陸で用いられている簡体字なので、発信元がどこからかはこれで推測がつく。

簡体字を含むメールは一切受信しないというシンプルな設定ができればと思うが、どうすればいいのだろう。こうした機能をメールサービスはデファクトでつけて欲しい。  

個人的には中国人の知り合いや教え子はいるが、簡体字を含む文章を書いてくる人はいない。また研究者なら英語で連絡してくるはずだから、必要なメールを失うこともないはず。

2026-05-08

日本年金機構は選択的夫婦別姓制度を支援しているのか、と思いきや

先月半ば、近くの年金事務所を訪ねて年金受給のための手続きをしたが、その際その時点では何点か不明なまま残っていた点があったので、それらを確認のために電話をかける。

そうすると音声案内につながり、指示通りボタンを押すと「年金ダイヤル」という相談センターに回線が繋がった。

不明点が明らかになれば相手が何でもいいので、出てきた相手に基礎年金番号を告げる。それを相手が知らなければ状況の確認はできないと思ったから。

すると、まず要件を言えと。ならばとこちらの要件を伝えると、基礎年金番号を言えと。「さっき言ったじゃないか」との言葉を呑み込んでもう一度伝える。

「本人確認をします。そのため6点お訊ねします」という。ああ、金融機関なんかとの通話の際にいつもやらされるアレである。が、普通は4点確認なので、2つほど多い!? 面倒くさい。

プラスαの2点は、配偶者の名前と誕生日だった。だが、なぜ配偶者のことを聞くのか。しかも、僕が自分のフルネームを答えているのに、「配偶者のフルネームは?」と訊いてくる。

「フルネームですか」と僕。「はい、奥様のフルネームです」と相手職員(のちに職員ではないことが判明するが)。 

ふと選択的夫婦別姓のことが頭に浮かび、特殊法人日本年金機構はひょっとして選択的夫婦別姓を支持しているのか訊いてみた。

しばしの沈黙の時間。明らかに回答に困っているような様子。「事実婚という関係で、苗字が違うというケースもありますから」と言ってきた。

そりゃそうだろうけど、だがそうしたことと僕の年金支給額が関係するかというと、関係しない。日本年金機構の老齢基礎年金と老齢厚生年金は、受給者本人の加入記録・報酬額・加入期間によって決まるもので配偶者の現在の収入や所得によって減額されることは通常ないのだから。ましてや事実婚は話の筋から完全に外れている。

なので、あらためてなぜ配偶者のフルネームを確認するのか訊ねたのだけど、結局「そうするようになっているので」としか答えが返ってこない。 

埒があかないので、あなたは日本年金機構から仕事を受託しているコールセンターの方ですかと訊ねたら、すんなり「そうです」と。自分たちは与えられたマニュアル通りにやっているだけなのですと。

なるほどね。最後に年金機構本部の連絡先を尋ねたら、知らされていないと言われた(本当かどうか分からないが)。

2026-05-07

AIをなぜ使わないのか

昨日は国民健康保険料が未納だという偽督促メール(Yahoo!メール)について書いた。その続き。

今日来たのは昨日と同じデザインフォーマットを用いたメールで、年金の支払いが滞っているというものと、住民税が未納だというもの。どちらも「差し押さえ」が迫っていると脅かす文言が入っている。 

ちょっと文面に目を走らせれば、内容はあり得ないことだと分かる。例えば、市民税が支払われていないというメールの発信者名は、〇〇市ではなく「市区町村役場」なんだから。

こんなものは偽(詐欺)メールに決まってるわけで、AIが判別して配信しないようにすればいいのに。簡単にできることをなぜやらないのかね。

今日来たこれらのメールとともに表示されてるのは、サントリーの広告だ。見方によっては、サントリーがこうした詐欺メールを推奨しているように見える。

なぜこんなことが起こるかといえば、内容が何であろうがトラフィックさえあれば広告収入が入るからとYahoo!が考えているからかね。 

 

2026-05-06

中国からのメールをすべてシャットアウトする方法は

相変わらずしょうもない詐欺メールが送られてくる。

届いたのは、「【督促】国民健康保険料 纳付通知」という件名のメール。

 

「纳付」が中国語特有文字になっているところから、中国人が送ってきたメールだと一目で分かる。

さらに、健康保険料が未納だと言いながら、「未納が続く場合、財産の差押えになる場合があります」と書いてある。

通常、こうしたメールは迷わず消去するが、それも面倒になってきたので中国から送られてきたメールはすべてブロックする設定をしたいのだが、どうしたらいいのだろう。

それにしても、こうしたメールに広告を出稿する企業があることにも呆れる。広告掲載料を取られて、こんなページに露出がされていることを知らないだけなんだろうけど。



CDが出なくなったら、逆さまにして振れ

大型連休中の雨の一日。このところ音楽はストリーミングで聴くことが多いのだが、今日は気分を変えてCDでも聴いて過ごそうかと思い、BoseのCDプレーヤー(Wave Music System)にディスクを挿入する。

フロントローディングのCDスロットに何か軽い抵抗感があったが、かまわず押し込んだら完全に吸い込まれる直前で引っかかってしまった。

引き出すことも押し込むこともできないままで、「CD Error」の表示があらわれる。年季の入った機器なので、ついにその時が来たかと…。

が、挿入した音楽CDだけは取り出しておきたいと思い、対応法をネットで検索してみたーー。

Bose Wave Music SystemでCDが出ない場合、まず
①電源プラグをコンセントから抜き、1分以上待ってから差し直す(ソフトリセット)。
②それでも出ない場合は、本体を逆さまにして振る。
③または、Ejectボタンを押しながら前面スロットを掃除機で吸うと排出されることがある。

とある。 

「逆さまにして振る」とか「掃除機で吸う」とか、ホントかよ、と思いつつやってみた。

①ではダメで、②を試みる。本体を抱えて上下にエイヤッと振ってみると、おおっ、ディスクが半分ほど出てきた。

それを引き出し、その後、電源プラグをコンセントに差し直して「処置」は完了。

なんだかすごく原始的な解決法に笑ってしまった。

2026-04-28

蔵書の処分は難しい

ちょうどひと月ほど前に、大学の研究室にあった本を処分した。どうやって限られた日数内で研究室を空にするかは、頭を悩ます問題だった。一番の問題は、本をどうするかーー。

クルマで何度か大学に行き、今後の活動に必要となるだろう本、種々の理由で手放せない本は書棚から抜き出して箱に詰めて家へ持ち帰った。

それと並行して、知り合いの若い学者に研究に必要と思われる本を自由に持っていってもらった。

残りはまとめて古書市場に出す算段はしていたのだが、繰り返し書棚にならんだ背文字を見ているうちに追加で何箱か宅配便を使って自宅へ送ることに。どう言ったらよいのか、本をまとめて手放すのはさしずめ腕を捥がれるような感じ、とでもいうか。

残りは知り合いの古書店に来てもらい、文字通り束にして持っていってもらった。そして、僕の研究室にあった本はすべて、古書店関係者だけが参加する神保町の「古書市」で売買された。僕がのちに聞かされたその金額は桁が違うのではないかと思うほど安かった。

古書店店主らにとって仕入れの際の書籍は、紙くず同然の存在なんだろうと思わざるを得ない。いかに安く仕入れて、店頭売価との利ざやを上げるかにしか関心が向いていないのかもしれない。業界が将来的にどうなっていくか、その姿が見えてくる。

最初、研究室の本の行き先を考えたとき、自宅の近くに部屋を借りてそこを書庫代わりにすることを考えていた。そうすれば毎月の家賃はかかるが、ことは簡単に思われた。引っ越し業者を雇ってそのままものを移動させればいいと。

だけど考えてみたら、そのために新しく借りた部屋にまずは本棚を10本以上設置しなければならない。それを考えたとき、自分がその場所に縛り付けられるような感覚があってやめてしまった。 

あれからひと月、今は以前ほど本を買うことがなくなった。手元の本を増やしたくないということと、図書館を上手に使えば必要とする本のかなりのところを借りられることが分かったから。取り寄せなんかで時間がかかることがあるけど、気持を急がせなければ大丈夫だ。

かつて博士論文を書いていた数年間、ネット書店だけでも優に年間100万円以上の書籍を購入していた。また外国の大学や関連図書館から必要とする本の箇所のコピーを郵送で送ってもらうのにも、それなりに費用がかかった。

すべては必要な支出だったが、いまそれらは一部を除いて手元にはもうない。

女優の樹木希林さんは、本は手元に100冊ほどしか置いていなかったという。100冊というのは冊数を数えていたわけではなく、本棚ひとつ分ということだろう。

新しい本が加わると、それと同じだけ人にあげたり、捨てたりして処分したという。そうして入れ替わっていく本の中で、自分がそのとき厳選したものだけが一本の書棚に残り続ける。

人生の達人、樹木希林さんらしい。 

 ーーーーーー
 *『本で床は抜けるのか』
https://www.youtube.com/watch?v=Qe2L5_VfCAo&list=PLsj52cf7UOG3ceoZkXKySV7UrwzCJJkns&index=110

 

2026-04-24

ネット広告が消えれば気分はスッキリする

一週間ほど前、知り合いに勧められてiPhoneに広告ブロッカーを導入した。

感覚的には広告の出現がぐっと減ったようで、ストレス低減に役立っている。それに加え、動画広告が勝手に流れなくなり通信量が減ったのか、バッテリーの持ちが良くなったのがありがたい。値段が安くて動作が軽いところもいい。

 ただ遮断能力は万能ではなく、以下の広告は完全にはなくならない。 

  • YouTube
  • LINEアプリ
  • Instagram 
  • Facebook 
  • X(旧Twitter)
  • だが、LINE、インスタ、フェイスブック、Xのどれも使わないので個人的には構わない。YouTubeの広告は、いずれにせよ有料契約をしないと消せないしね。 

    広告の存在がそもそも悪いわけでも不快なわけでもない。ただはっきり言えるのは、いまのネット上の広告はほんとにダメダメである。 

    表現の面白さなどないどころか、あるのは醜悪さだけ。だれが作っているのか知る由もないが、無能さと愚鈍さしか感じない。情報としての価値はゼロで、不快さを人に与えるノイズの固まりだ。

    制作費と掲載料を払って、そんなものを人目にさらしている広告主はどうかしているとしか思えない。 

    2026-04-21

    『西洋のレッスン、日本の手習い』

    樋口桂子『西洋のレッスン、日本の手習い』(青土社)がすこぶる面白かった。

    副題に「言語化しにくい身体感覚をめぐる比較文化論」とあり、確かに本書では西洋(特に米国とフランス)と日本の比較文化論的な議論がなされてるのだが、著者は必ずしも比較文化論を専門とする研究者ではないみたいで、研究者データベース上には美学、芸術論が専門分野とされている。

    が、この本を読む限り、著者の守備範囲はずいぶん広く、古代ギリシャ哲学から言語学、語彙論、文法論、古典文学、現代思想などの領域にまで話は展開する。

    ただ、乱暴ながら、もし一言で本書のエッセンスをいうなら「レトリック」ということになるのだろう。和洋にわたる博識をベースに、記述はまさにレトリカルに踊っている。

    著者がチェロを先生について習い始めたのがきっかけで(少なくとも本の展開の上では)、レッスンを受けると言うことを、その身体性と言語、そしてそれらから感知する感覚を西洋と日本の双方の文脈を辿りながら解釈、説明している。

    専門家なんだから当然と言ってしまえばそうだが、普段気づかず、気づこうともせず使っている言葉が孕む意味世界を文法とその言語の発達歴史に則って分かりやすく述べる手練は見事。

    とくに本書のなかの説明で印象的だったのは、日本語の擬音語、擬態語の豊かさと清々しいほどのイマジネーションの拡がりだ。息を吐くときの「はあっ」と「ふぅ」の違いなど、ふだん何気なく使っている(何気なく使っているのが正常なのだが)日本語の持つ身体性と込められた意味世界の奥深さに感嘆する。