ラベル 生活雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 生活雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年1月18日

生成AIの説明能力

生成AIがオフィス・ワークに急速に取り入れられていて、会議の議事録をまとめたり、販売データをもとにした報告用の資料なんかをあっという間に作ってくれたりする。

AIは文章でも図表でも、たじろぐことも戸惑うこともなく作成する。その全能感を漂わせるアウトプットのスピードに、オフィスで働く人たちは使い慣れると手放せなくなるに違いない。

ただし生成AIには、まだまだときおりギョッとさせられる。たとえばデータの解釈だ。

見せかけの相関のなかには、いろいろと笑わせてくれるものがあるが、以下のマーガリンの消費量と離婚率の推移もそのひとつ。グラフによると2000年から2009年にかけて、マーガリンの消費の減少トレンドと離婚率の減少トレンドが0.99という強い相関を示してる。

これを生成AIに説明させると、以下のような解釈がなされる。

おそらく、マーガリンの使用量が減るにつれて、人間関係もギクシャクしなくなったのだろう。人工的なスプレッドがないため、カップルがお互いにバターを塗り合うことがなくなり、全体的な夫婦喧嘩の減少につながったのかもしれない。バターでないことが信じられない現実、それは夫婦関係の成功の秘訣なのだ。あるいは、マーガリンの消費量が減るにつれて、全体的なヌルヌル状態も減り、パートナーが結婚生活をうまくコントロールできないと感じるケースが減ったということも考えられる。

おもしろい。新説である(だが意味不明)。ひょっとしたらこんな考え方もあるかも、と思うことで発想の幅を広げる役割を果たす可能性も考えられるかもしれない。

ここまで解釈がぶっ飛んでいると、さすがに小学生でも変だと気づくけど、そうじゃないAI作成の文章で専門家でも見紛うものがネット上を中心にいくらでもある。人が書いたのか、AIが書いたのか、多くの場合、その判別がつかなくなっている。

結局、今のところは説明の内容をどう判断するかは人の知識と経験、それにセンスに頼るしかない。

それこそ何でもAIに代わりに考えさせていると、ヒトの頭脳はあっという間に判断能力を失い、機械に乗っ取られてしまいそうだ。

2025年1月7日

年賀状は続く

日本郵便によると、今年の元旦の年賀状の枚数が昨年比で34パーセント減、3年前と比べて半数以下になったらしい。

ここ数年、毎年「今年で年賀状じまいします」という年賀状が増えた。面倒くさくなるんだろうな。そうやって、届く枚数も減っている。

それに呼応してこちらから出す年賀状の枚数も少なくなる。もうずいぶん前からだが、年賀状は手書きだ。表面の宛名書きも手書きだ。以前は年賀状ソフトで宛名を印刷していたけど、手書きしてもたいして時間がかかるわけじゃないから。

もう50年近く、年賀状だけでつながっている友人がいる。彼は、小中学校での同級生だった。高校は別の学校に進んだが、夏休みなんかは皆で集まって一緒に遊んでいた。

彼に会った最後の記憶は、彼が18になりすぐ免許をとったというので、彼の運転する車に小中学校時代の同級生たちと乗り込み、免許とり立ての危なっかしい運転で山道をぶっ飛ばしたこと。ガードレールもない田舎の山道で、死ぬかと思った。

高校を卒業し、彼は地元の電力会社に就職し、僕は大学に行くため東京へ出た。それきり会っていない。48年前のことである。

お互いまだ生きているが、もう昔の面影といったものはないかもしれない。けれど、年賀状のやり取りだけは今も続いている。会っても顔が分からないかもしれないし、会うこと自体ないかもしれないからこそ、年に一度の年賀状がお互いに必要な気がする。顔は分からなくても、彼の筆跡は分かる。

2024年12月29日

実感のないインチ表示はやめよう

インチ表示について考えてみる。インチキ表示ではないヨ。

手持ちのEブック(電子書籍)リーダーのバッテリーがへたってきたため、新しいものを買うことを考えている(バッテリーの交換修理サービスを提供しているところもあるようだが、僕のはモデルが古いため対象外)。

本を読むとき紙かディスプレイかというと、間違いなく紙の方が好きなのだが、海外へ行っているときはそうはいかない。電子ブックはとにかく持ち運びが便利。どこの国にいても、何語の本でもすぐに手に入れられるのですごく助かっている。手放せない。

電子書籍を読むのは、iPadのようなタブレットでもいいのだけど、kindleに代表されるEインクを用いたものの方が読みやすく、デバイスも軽くていい。

ということで、1台新調することにした。メーカーは複数ある。それぞれに機能や価格もいろいろ。大きさも複数の選択肢がある。6インチ、7インチ、8インチ、10.2インチといったぐあい。

ただそうした選択の際によく分からなくて困るのが、画面の大きさについてだ。インチの数が大きければ画面サイズが大きいのは分かるが、実際に手に取ったとき、どのくらいの画面の大きさなのかピンとこない。

電子ブックリーダーだけではない。スマホもタブレットも、デジカメのモニターも、テレビもすべてその大きさを示す単位として<インチ>が使われている。本来、インチは、主に米英で用いられている度量衡法であるヤード・ポンド法の単位である。

日本ではかつで尺貫法(長さは尺、容積は升、重さは貫)を用いていたのを1921年にメートル法(メートル、キログラム)を採用し、その後、尺貫法は1959年に廃止された。

そうやって古来用いていた尺貫法を廃止し、メートル法に移行しておきながら、なぜヤード・ポンド法の「インチ」を日本人が平気で使っているのか、なんとも不可解かつ不愉快である。

そもそも1インチが何センチかなんてことを、正確に知っている日本人がどのくらいいるのかね。100人のうち3〜5人くらいかなァ。それを知ってなければ、実際の長さを理解できないはず。正解は2.54センチ。

電子ブックリーダーのディスプレイやテレビ画面のサイズを示すのにインチが使われていることに抵抗感があるもうひとつの理由は、それらは画面の対角線の長さを示しているのであって、大きさ(画面サイズ)は表していない。

つまり、アスペクト比(画面の縦横比率)が違えばインチ数が同じでも画面の大きさは異なる。このように、現状用いられている単位は本当は分かりづらい単位なのである。

テレビやスマホ、電子ブックの画面サイズをイメージしたいときにイメージしたいのは対角線の長さではなく、その画面の大きさである面積。だとしたら、別の尺度が欲しい。

ひとつの考え方は平方センチだ。例えば32インチのワイド画面(16:9)テレビは、2,816平方センチ、64インチなら11,265平方センチになる。

うーん、これも慣れないと分かりづらい。ならば、皆が使い慣れているはがき(ポストカード)のサイズ(10センチx14.8センチ=148平方センチ)を1単位にしたらどうか。たとえば32インチのワイド画面テレビは19ps(postcards)、64インチのテレビはその4倍(2x2)の76psと表す。それぞれ、はがき19枚分、76枚分の大きさ(画面の広さ)の意味である。

この方がずっと分かりやすいと思うのだが、どうだろう。


2024年12月28日

犯人の顔になぜぼかしが必要なのか

千葉県内の企業に賊が押し入って金庫などを持ち去ったというニュース。事務所内の防犯カメラに犯行の様子が映っていて、犯人が室内を物色したり、金庫を抱えて歩いている(!)映像が番組で公開されていた。

ところが、なぜか押し入った賊の顔が視聴者に分からないよう、わざわざボカシが入れてある。防犯カメラに記録された映像がオリジナル、つまり加工されたフェイクでなければそのまま使用すればいいはず。

そうすることで犯人逮捕につながるかもしれないのに、なぜ顔にボカシを入れるのだろう。犯人たちのプライバシー保護を重視してのこと? 

 
(TBSテレビ「報道特集」から)

局の視聴者センターに電話して、犯人の顔にボカシを入れる理由を訊ねたが、担当の窓口の回答は「他のテレビ局もそうしている」とか「警察署の指名手配の犯人の張り紙には顔写真が出ている」など、ピントが完全にずれている。笑うしかない。結局、顔写真を出すことで犯人逮捕にも繋がるのではないか、とのこちらのコメントに「ではそう関係者に伝えておきます」でおわり。 

ただ、こうした映像処理は、警察などの捜査当局からの指示ではなく、テレビ局自体の判断で行っていることは確認できた。

残念ながら、これが今の日本のテレビ局の実状のようだ。

2024年12月15日

3日かけてセーターを売りに来る

冬を控えてセーターを何枚か取り出した。これは、ペルーに行った折にクスコの町で買ったもの。

時期が8月だったので防寒など考えることなくペルーに出かけたのだが、現地は標高3400メートルの地。朝夕の冷え込みを甘く見ていた。

マルカパタという村に住む女性がベイビーアルパカの毛で編んだセーターは、なめらかな肌触りでとっても温かい。彼女は編み上がると歩いて3日かけてクスコの町へやってくるのだという。その距離は165キロだから、確かにそれくらいはかかる(東京から栃木県の那須あたりまでに匹敵する)。道中は3,000メートルを超える峠道である。 

マルタパカークスコ

マルタパカの村

マルタパカの村

僕は旅先で土産物を買うという習慣がない。理由は、旅をするときは荷物は最小限にしておきたいということと、土産物を選んで決めるというのが得意でなく、そして時間がもったいないと考えているからだ。

でもお土産ではなく、旅に必要なものを現地で調達することはよくあるし、それらは衣料品や小物、薬まで、旅から帰っても十二分に活用している。手に取るたびに旅の思い出が蘇り、懐かしい気持ちにしてくれる。

2024年12月14日

シリアとライスプディングと豊島美術館

親子2代にわたる独裁政権によって国民に対する圧政が続いていたシリアのアサド政権が崩壊した。

アサド政権に抗する反政府活動は長年続いていたが、今回はシリア解放機構(HTS)率いる反政府勢力が一気にダマスカスに入城、政府省庁や刑務所、国営放送局などを陥落させた。

長年の願いだったのだろう、市民らが心からアサド政権の終焉を喜んでいる映像が伝わって来た。ここでも前大統領の像が市民によって引き倒され、人々が喝采と雄叫びを上げていたのが印象的である。

後ろ盾だったロシアがウクライナの戦線に軍事力を注力せざるを得なかった状況を捉え、電光石火の10日間の攻防で首都を制圧したわけだ。

アサド政権の元でのシリア経済は悲惨な状況だった。かつて日産60万バレルを超えていた石油の生産は設備の老朽化などのせいで20分の1の3万バレルまで落ち込んでいた。代わりに外貨を稼ぐ手立てとなっていたのが麻薬の製造といった始末だった。 

シリアの人たちと親しく付き合っていた時があった。1980年代前半、浜松町の竹芝桟橋近くのマンションに住んでいたとき、一時、同じマンションにシリア人が10人ほど暮らしていたのである。

ある日、建物の管理人室の前で何やら揉めている様子があり、たまたま通りがかって通訳のようなことをしてやったのが、彼らと知り合ったきっかけだった。それから、彼らが日本で暮らすうえでのちょっとしたことを求められてアドバイスするようになった。

彼らは田町のNEC本社で長期研修を受けるために来日していた、シリアから派遣された通信関係のエンジニアたちだった。日本語はおろか英語もままならない人たちもなかにいて、人ごとながら日本にいる間は仕事の面でも生活の面でもさぞ大変だったと思う。

ある週末のこと、部屋のドアをノックする音に扉を開けてみると、スカーフ(ヒジャブ)を被ったシリアの女性がふたり。たいていは相手に助けを求めるような何か困ったような顔をして現れるのだが、その日はなぜかニコニコしている。で、自分たちの部屋まで一緒に来てくれという。

彼女らについていくと、そこではシリア人たちが車座になって座っていた。研修が終わる日が近づいているのだという。そうした気持のゆとりも手伝ってか、僕にこれまでのお礼を言いたいというので招いてくれたのだ。

そこで彼らにライスプディングを饗された。といっても、その時はそれが何かまったく分からなかった。目の前に出された大皿には白いかたまりがこんもり盛り付けられていて、それを好きなだけ自分の皿に掬って食べるよう勧められた。

初めて食したライスプディングはとても甘く、さらにミルクの匂いのする米粒の食感に最初戸惑ったのを覚えている。

シリアのニュースを見る度、竹芝桟橋近くのマンションの小さな一室で車座になっていたシリアの人たちの顔を思い出す。

そして、瀬戸内海の豊島に帰郷した折、近くの豊島美術館まで朝の散歩に行ったときには、あのこんもりと大皿に盛られたライスプディングを思い出すのである。

豊島美術館

2024年12月3日

石岡瑛子 I デザイン

最近の広告は面白くない。形だけ整えているだけで、表現としては死んでいるも同然。

まだ作り手の中には意欲を持ち、ビジネスの手段としての広告と表現物としての広告のせめぎ合いを買って出る志のある人もいるはず。しかし、企業(広告主)のなかからそうした度量と知性のある人間がいつの間にか消えてしまったようだ。

スマホのちっぽけな画面のなかですべてを満足させられてしまっているうちに、思考も視野も拡がりをなくしてしまったというのもある。

つまんねーなー、と思っていた矢先、石岡瑛子(1938-2012)の回顧展(石岡瑛子 I デザイン)が兵庫県立美術館で開催されているのを知り、なんとか会期の最終日に三宮の県立美術館へ足を運んだ。

彼女はグラフィック・デザイナー、アート・ディレクター、衣装デザイナー、プロダクション・デザイナーと、広告だけでなく書籍や雑誌の装丁、商品のパッケージデザイン、映画や舞台の衣装、同じく映画や舞台の舞台美術全般にわたる、アートに関しての幅広い実に多種多様な仕事をしている。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

そうした膨大な仕事量を沸き立つような熱量で精緻にかつ大胆に仕上げているクオリティの高さには目を見張る。

今回の展示品は60年代から80年代の広告と出版に関するものが多かった。さすがにパルコの一連の広告に添えられたコピーは今ではすっかり古くさいが、石岡のアート・ディレクションは今でも刺激的だ。






2024年11月27日

気球で成層圏に行ける

風船から大型気球へ。そしてゴンドラから気密性キャビンへ。だけどやっている基本は同じ。

7年前にラジオ番組でインタビューした岩谷圭介さんが、テレビ番組に取り上げられていた。


ぼくはその後の彼の動向をまったく知らなかったのだけど、彼はその仕事を着実に発展させ、いまはベンチャー企業の経営者としてやっぱり宇宙を目指していることを知って嬉しくなった。

2017年に話をうかがったとき、彼は風船にカメラを載せて1万メートルの高度から宇宙の写真を撮っていると言っていたのが、いまはキャビンに人が乗り込み、2万メートルの高さまで飛ぶ。

静的浮力を持つヘリウムを使って空に向かう気球は、基本的には無音のはず。世界には宇宙観光の実現を目指すロケット・ベンチャーがいくつもあるが、無音の気球を使って宇宙へ上がっていく岩谷さんのプロジェクトが宇宙の神秘性をもっとも高めてくれるのは間違いない。楽しみである。

「木村達也 ビジネスの森」ゲスト 岩谷圭介さん<前編> 

2024年11月24日

谷川俊太郎のすがすかしさ

谷川俊太郎さんは、1982年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが、辞退した。彼は民間からの賞はたくさん受けているけど、国家からの褒章は何も受けていない。

日本芸術院会員にも推されたけど、それも辞退した。そんなことを誰にも話さず、相談もせず、まるで通りがかったスーパーの試食コーナーでソーセージか何か勧められ「ぼくはいいよ」と断るように。たぶんね。

谷川さんのすがすがしさは、そうした決して国家に依らない、自由ですっと立っている姿にあった。

国や都や県や、そうした「お上」から褒章めいたものを目の前にぶら下げられると、それだけで嬉嬉として尻尾をふる人が多いけど。

2024年11月22日

Tシャツにジャケットは似合わない

先日なくなった谷川俊太郎さんは、いつもTシャツ姿だった。自宅でくつろぐ姿はもちろん、講演会などでも同様。Tシャツ以外ではスタンドカラーのシャツ、あるいはハイネック。ぼくは、彼がワイシャツのような普通の襟の付いたシャツを着ているのは見たことがない。


どういった考えがあったのかは知らない。聞いたことも、読んだことがないから。ただ、谷川さんにはTシャツがよく似合っていた。彼のその存在のあり方そのものだった。

ところでTシャツと云えばいつからだろうか、ジャケットの下に直接Tシャツを着る人たちが現れた。圧倒的に若い男性が多いように思う。あるいは、若さを気取っているそれほど若くない男たちも。

とりわけ、起業家を自称する男たちやネット系ビジネスの経営者たちは、まるで決まったようにジャケットの下はTシャツのインナーである。しかも足下を見るとストレートチップの革靴だったりして。スタイルというものがまるでないみっともなさである。

Tシャツの持つカジュアルさを若さを示す記号として使い、その一方でジャケットを着てビジネスマンとしての「きちんとさ」も年配者相手に示さなきゃという、どうにも中途半端な折衷思考だ。

何を着ようが人の勝手なんだけどね。ただ、ぼくには彼らの首すじあたりが汗臭く、昔から不潔に見えてしかたない。

スティーブ・ジョブズは黒のTシャツかタートルネック(スタンドカラー)が決まりだったが、決してその上にジャケットを羽織るなんてダサい着方はしなかった。

2024年11月20日

谷川俊太郎さんが亡くなった


先週、谷川俊太郎さんが亡くなった。92歳。ひとは生まれ、ひとは死ぬ。いつかはと思っていたが、いつかはと思っていたが。5年ほど前、横浜で彼が話をするのを聞いたのが最後になった。

 
谷川俊太郎&武満徹「死んだ男の残したものは」

2024年10月19日

立って読むか、座って読むか

地中海にあるマルタ島で行ったレストランのトイレ。

男性用と女性用がふつうに並んで設置されている

よく見ると、扉のピクトグラムに新聞らしきものを持った人物が描かれている。

なかなか難しい姿勢だ

こちらは問題なし


トイレの中では新聞にちゃんと目を通せ、というメッセージかね。

2024年9月13日

演歌歌手がソウルを歌ったらすごかった

ふと聞こえてきたアレサ・フランクリンの "Think"。だが、アレサじゃない。アレサに似たドライブ感・・・。

なんとそれは、日本の演歌歌手の島津亜矢だった。びっくり。彼女が Aya Shimazuの名で出したアルバム「Aya's Soul Searchin' - Aretha Franklin -」からだった。


さっそくアルバムを聴いてみたところ、「Think」「Respect」「A Natural Woman」などアレサの初期の曲が中心に組まれていた。いやあ、ほんとに驚いた。着物姿しか思い浮かばない演歌歌手がこれほどソウルフルな歌を聞かせてくれるとは。

だが考えてみれば、演歌は日本のソウル。それを長年唄ってきているのだから、ソウルを愛する歌心と歌唱技術があれば、確かに唄いこなせるわな。

それにしてもお見事。

https://tatsukimura.blogspot.com/2021/11/blog-post_13.html

2024年9月10日

大手銀行の対応について思うこと

高速道路を走っているトラックに狙いを付け、その車がパーキングエリアに入ったところで「飛び石で高級車が傷ついた」とか 「ボルトが飛んできて当たった」 などと運転手に言いがかりをつける。

そして、彼らの運転免許証をスマホで撮影しては、それを使ってクレジットカードを偽造することを続けていた3人組が捕まったというニュース。

トンデモナイ連中がいたものである。

この事件を受け、警察はむやみに顔写真や住所の入った身分証明書の撮影に応じないように注意を促しているらしい。

それで思い出したのが、先日の三井住友銀行新横浜支店でのできごと。

口座開設のために訪店し、店内の案内係に用件を告げたところ、身分を証明できるものがあるか聞かれたので免許証を出した。「そこに座ってお待ちください」と言われ、しばらく待たされた。

手渡した免許証が気になり、近くにいた行員に免許証を返すように言ったら、「いま奥でコピーを取っていますのでお待ちください」と。 

本人にコピーをとって構わないかと確認することもなく、人の免許証を勝手に複写していたのである。

その支店においてはそれ以外にも首を捻らないではいられないおかしな対応がいくつもあった。近頃の銀行の支店では、こんなことを平然とやってるのかね。

気になって支店長宛にこの件について親展で手紙を送ったが、知らんぷりである。

2024年8月17日

衣料と靴の耐用年数

リサイクル素材を積極的に用いるなど、衣料廃棄物の問題に取り組んでいるという英国のアパレルブランドが発表したデータによると、人が生涯で必要とするシャツは23枚、ズボンは22本、ジャケットは13点、靴は63足だとか。

これらの数字は、それぞれの耐用年数に基づいている。それらは、シャツは2.74年、ズボンは2.81年、ジャケットは4.58年、そして靴は1年とされている。

つまり、人が生涯に渡って衣料や靴を利用する年月は63年間と考えられているわけだ。

毎日同じシャツを(飽きずに)着て、2.74年たったら新しいものに交換する。靴も同様、毎日同じ靴を(嫌がらずに)はき続け、耐用年数に達する1年後に新しい靴に換える。実際は、世の中にそんな着方、履き方をする人はいないと思うけど。

そもそも、先のシャツや靴などの耐用年数は、どうやって編み出したのだろう。その5倍近く使い続けている僕は、物持ちが良すぎるのかね。

2024年7月8日

魔法のような90フィート

野球にはほとんど興味がない。が、ドジャーズの大谷翔平選手の活躍は、ついつい気になる。彼の人並みはずれた能力だけでなく、あの個性は魅力的だ。

昨日のブルワーズ戦で、大谷選手は今季20個目の盗塁を決めた。彼は足が速いことに加えて、自分がピッチャーだから投球フォームから盗塁のチャンスをつかむのも上手いんだろう。

盗塁する大谷選手(7月7日)、AP通信

盗塁って見ていて面白い。バックネット裏からのカメラ・アングルだと、手前に送球するキャッチャーと打席のバッター、画面なかほどにピッチャーが、そして画面奥(画面上方)に右から左に全力で疾走する一塁ランナー、 ランナーが向かう先にボールを捕球する体勢で構える2塁手。この構図はとても絵になる。

大谷の場合、先に書いたように足が速いしスタートも上手いから首尾よく盗塁成功となることが多いけど、多くはきわどいタイミングでセーフだったり、アウトだったりする。

野球のベース間の距離って上手く設計できていると思う。調べたら、その長さは90フィート(27メートル43センチ)。もしこれが91フィート、あるいは89フィートだったらどうだったろう。

わずか30センチほどの違いだけど、野球の面白さが大きく変わっていたんじゃないかと思う。誰が決めたんだろう、90フィート。

昨日の東京都知事選挙で小池知事が3選を果たした。ホームランとか、でかいヒットを打ったわけでなく、たくさんの盗塁(48億円かけたプロジェクション・マッピングなど)をかさねて点を稼いで勝ったという印象だった。

2024年7月4日

僕がGメールをやめた理由

2020年に、プライベートのメールアドレスをgmailからfastmailに変更した。fastmailの運営会社は1999年に設立されたオーストラリア企業である。(米国企業でないところが肝心)

変更の理由は、gmailは無料で良くできた便利なツールだが、プライバシーの点で大いに懸念があるから。いや、懸念があるどころか、すべて覗かれ、彼らに利用されているのが実状。気づかれないように実に巧妙にやられちゃってる。

プライバシーについては、個人が気にするかどうか。ぼく自身はgmailを使っていたとき、自分のメールが常に覗かれ、記録されている感覚があって気持ちが悪かった。

最初、そうした気持ちの問題でfastmailを使い始めてみたのだけど、特に最近便利だと思うのがfastmailのMasked Emailのサービスである。

これはいわば、覆面アドレスである。日常、各種のサイトへの登録時にメールアドレスの記入を求められる。だが、よほど信頼できるもの以外は、Masked Emailのアドレスで登録する。

fastmailは、それをいくつでも使える。すごく簡単。また不要になったら、すぐ抹消できる。運営母体がセキュリティを最優先している企業だからだろう。

fastmailは、gmailやYahooメールのようなフリーのサービスではない。どうでもいいやり取りは、そうしたフリーメールを使えばいい。ただ、個人的なプライバシーが少しでも含まれるコミュニケーションは、信頼できるシステムを使った方が安心できる。

タダほど高いものはない、というのは揺るぎない真理だからね

2024年6月27日

本読みについて

本読みについて書いたら、コメントが送られて来た。

そのなかに、小学校でやっている始業時間前の「朝読」(朝の読書)と似てるという意見があった。朝に行う、時間を区切って行う、読みたい本を読む、集中して読む。なるほど、似たようなものかもしれない。

ほかに、20分といえども朝の忙しい時間帯には難しいという意見も何人からか。

そうした人は、こうしてみればどうだろう。出かける時にはバッグに必ず本を1、2冊入れるという、これもいたって簡単なこと。

で、通勤や移動で電車に乗ったときには、すぐに本を取り出す。ポイントは、意味もなくスマホを取り出し、いじったりしないこと。

これだけで本読みの時間は確実に確保できるはず。

むかし、帰りの電車の中でのこと、読み始めた本が面白かったので目的の駅についても下車せずにそのまま読み続けたことがあった。残りのページ数の半分を読み終えたところでいったん下車し、それから反対方面の電車に乗って帰宅した。

電車の中は読書に向いている。

2024年6月24日

泥棒猫

背中に載せるなら、海老天丼。これなら許せる。どこかの軍隊のような、人殺しのための機関銃なんか見たくもないからね。

香港出身のイラストレーター、黒山キャシー・ラムのThief Cat