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2025-09-01

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか

経済産業省が発表した試算によると、今から15年後の2040年に「AIなどの活用を担う」人材が498万人必要となり、そのうち326万人が不足するらしい。

だが、その498万人という具体的な数字の内訳は分からない。この場合、分からないというのは、いくら調べても出てこないってこと。それこそ生成AIに徹底的に探索させたが見つからない。つまりは、経産省が元々それについて発表していないのだ。

中味を発表せずに、そうした数字だけを示す意味があるのかどうか首を傾げる。塊としての498万人という数字は、産業連関表などを用いて産業構造の今後の変化を予測して編み出したものらしい。

15年後に産業構造がどう変化しているかを過去のデータをもとにどこまで推定できるかだ。それこそ今から15年前に、生成AIの登場と社会への浸透が急速に進む2025年の姿を予測していいた人がいたか。いやしないよな。

頼るものが他にないのかもしれないが、役人が産業連関表で未来の社会を予測して政策を立案するのはもう止めにした方がいい。もっともらしく聞こえるだけで、当たりはしないのだから。そんなこと、自分たちも分かっているはずなのに続けている。

「AIを活用できる」人の育成が急務だとの考えは文科省も同様に指摘しているようだが、ここでもAIを活用するとは何なのかははっきりしない。またしても役人がよく分かってないのだ。 

思い出すのは、いまから30年前。ウィンドウズ95が発売され、爆発的に売れた。そしてパソコンのブームが到来した頃のこと。当時はパソコンを使える、具体的にはワープロソフトで文書作成ができるとか、スプレッドシートで計算ができるといったことが、ビジネスマンの特殊技能として通用した。

いま、あなたはどんなスキルがあるかと聞かれて、パソコンが使えますと言ってもお話にならないが、当時はそれが通用した。現在、そのパソコンに当たるのがAIなんだろう。

パソコンができる、が技能として認められていた時期は間もなく過ぎ去り、それはただのツールでしかないことを社会が理解していった。

今の時代のAIは30年前のパソコンと同じと考えた方がよいように思う。肝心なことはそれを活用できるかどうかといったテクニカルなことではなく、どれだけオリジナルな発想をアウトプットできるかどうかなのである。

何をやろうかという意思と評価はつねに人間側にあるべきもの。どうやるかは、やりたければAIの助けを借りてやればいいだけの話だ。 

話を戻すと、2040年、「AI活用人材」が国内で300万人不足するなどありえないと考えている。情報処理全般は、そのころには間違いなく意思決定も含めてAIがまかなっているはず。ここで言う情報処理全般とは、仕事そのものである。

人の手に残されるのは、包丁やハサミ、メスを扱う仕事、つまり調理、理容、外科手術といったものだ。それとスポーツ競技と芸術活動(の一部)と第一次産業である。

まもなくAIは、エージェントとして自律的に考えて仕事をするようになる。それらを指揮するのは一部の人間と、そのアシスタントとなるマスターAIエージェントだ。 

そう考えれば300万人が不足するどころか、数百万人の労働者が仕事をなくしていくことになる。そのとき人々は、否が応でも価値観の転換を求められる。 

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか、いずれかの選択を迫られる時代に私たちはまもなく向かう。

私がいる大学の現場も、AIとロボットであらかた事足りるようになるのだろうな。  

2025-08-28

企業の本音は利用規約に表れる

新幹線予約の際に用いている「エクスプレス予約」「スマートEX」のサービスを変更するというメールがそれぞれ届いた。日常的に利用している関係上、メールに一応目を通す。

これまで使えたカード(EX-ICカード)を使えなくするというだけでなく、改札の際に自動改札機から発行されていた「利用票(座席の案内)」の発行をやめるといったことが記されていた。

前者はプラスチックカードの発行を今後中止するということ、後者は機器からの印字して発行してた6x8センチほどの紙(カード)をなくすことでのコストカットである。

実に発想がセコイ。利用者の利便性などお構いなしである。それらのメールは例によって「本メールは送信専用アドレスからの送信のため、そのまま返信されないようお願いいたします」だ。

残念ながら新幹線はそれしかないので、こちらが否が応でもそれに合わせて適応するしかない。念のために現在のそれら2つの登録がどうなっているか確認しようとしたら、サイトにまず「会員規約等の変更」画面が出た。

で、そこに記された3つの文書、会員規約、特約、同意条項を<読んだ>として <同意>しないとログインができない仕掛けにしてある。 


試しに、そのなかの一つの規約とやらを生成AIに読ませて内容確認をやらせてみた。各条項についての利用者側のリスクと注意事項が表示される。以下は、そのまとめの部分。


例えばネットの通信上のトラブルがあっても何があっても責任はすべて「利用者」、規約等に変更が加えられてもJR東海はそれを自社HPに載せるだけでOK、など徹底的に一方的な契約内容。

サイトではそうした規約や同意事項に「同意」しない限り、利用者が自分の登録内容すら見ることができないようにしてある。

まともな競争に晒されているまともな企業なら、ここまではやらない。そうしたところに、この企業の黒い裏の顔が見えている。 

2025-08-25

ネットは嘘の世界だから

勝手なところから勝手なメールが日々送られてくる。

そのなかでも不愉快なのが、「このメールは送信専用アドレスからお送りしています。ご返信いただいても回答はできませんので、あらかじめご了承ください。」 なんて文末で言いながら、自分たちの言いたいこと(セールス・メッセージ)だけ書き連ねているメールだ。

そうしたメールが増えていっているように感じる。実に不愉快な世の中。すべて迷惑メールに放り込んでいる。

それと同時に、なんでんもかんでも「会員登録」を求め、その際に氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業等々を「*必須事項」として記入させるサイトがあまた増えているのも気に入らない。何のためにそれらに回答させるのか分からないし、説明もない。

顧客の個人情報を集めておけば、そのうち何か自分たちの役に立つかもしれないと考えている。あるいは、売れば金になるとでも考えているのだろうが、そうした企業は頭が悪くて厭になる。

正直に「申告」する人も中にはいるのだろうが、多くはそうじゃない。ぼくはそういう時は自分のプロフィールについてはデタラメしか書かないし、友人たちに聞いてもばか正直に書く人は一人もいなかった。これが現実。

ならば、そうしたつまらないことさっさと止めればいいのに、と思う。あまりに浅薄な連中が絶えない。それがネットの世界。 

2025-08-23

サービス・デザインの研究会

大学でOBOGを交えたサービス・デザインについての研究会を開催した。

某大手金融機関の関連総研でリサーチをしてるI君からの問題提起のプレゼンテーションと、最近ある金融機関の窓口でとんでもない経験をしたというSさんの報告をもとに、現状と課題について議論が進んだ。

ひとつのフォーカスは、日本の金融機関におけるAI/ロボットの導入と活用だったのだが、米国などの他国の状況に比べてあまりにも日本の状況が立ち後れていることをあらためて確認した。

立ち後れの理由は、日本の大手金融機関の経営者の頭の古さと金融庁の指導の的外れさにあるようだ。そしてどちらも、一朝一夕にはこの地では改善される見込みはない。

ということは、世界の主だった諸国に後塵を拝するのは必至で、いつものようにギリギリになって「このままじゃイカン」と足を前にやっと踏み出すようになるのだろう。 

2025-08-16

渋滞高速道路上の快感ホルモン

年末年始とお盆の時期の毎年変わらぬ高速道路風景がこれである。


休みを取って移動する時期をその前でも後でも一週間ずらせば、写真の左側<下り>のようにスイスイ行けること間違いないのに・・・。

人間(日本人)の習慣の粘着性はすごいなと感心するとともに、不思議でならない。

こうした渋滞や混雑によって生じるストレスが、人に快感を感じさせる脳内ホルモンを発生させているに違いない。たぶんね。

2025-08-14

市長の実績が意味するもの

郵便受けに今月初旬に行われた横浜市長選の投票開票の結果数値を記したチラシが入っていた。

裏面には当選した現市長の「実績」というのが書いてあり、曰わく、

・小児医療費の無償化
・待機児童ゼロ
・中学校全員給食の実施
・学童保育での昼食提供

どれも子どもたちの成長を支援する策で、結構なことではある。が、これが市長の実績かと言われると、大いに疑問がある。

どれも金を使えば実現できるばかり。これらの政策を実現するために必要な資金を市長が追加的にどこかから生み出したなら市長の実績と言っても構わないが、だがそうではなく、予算の使い道を変えただけなら、その実績は市長のそれではなくわれわれ納税者のものということにならないか。

これでは市民としてどっちらけだ。他人の褌みたいなことを実績として標榜するなどせず、もっと力を果たせよと言いたい。

2025-08-06

その後の新幹線の喫煙ルームは何に使うのか?

新幹線は昨年の3月、他の交通機関に遅れること10年?くらいか、やっと完全禁煙になった。

ところが新幹線の車両には、不思議なことに今も「喫煙室」が備えられている。


訪日外国人旅行者がこの数年で格段に増加し、新幹線のなかで大型のスーツケースの置き場所に困っている乗客をいつも目にする。他国に比べて日本の高速鉄道(新幹線)には、荷物用のスペースが圧倒的に足らないのである。

「喫煙室」は、写真のような貼り紙をした上で鍵がかけられ開けられなくしているが、みんなが困っているのだからその部屋を荷物置き場として乗客に開放すればいいのに。

そんなことを考えていたら、車掌がたまたま通りかかったので、なぜ喫煙室を乗客の荷物置き場として利用させないのか問うたが、納得いく答えが返ってこない。

サービス業として顧客の利便性をもっと考えた方がいい、海外からの旅行者を中心に多くの乗客が困っているのだとこちらが話はじめたら、「ちょっと用事がありますので・・・」と言って逃げてしまった。 

2025-08-05

「利用規約」は代わりに生成AIに読ませよう

インターネット上で、有料無料問わず各種サービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほど「利用規約」だの「プライバシーポリシー」や「個人情報の取扱い」といった長々とした文章を読まされる。

金融機関のサイトはなおさらで、各種規約を読んで「読みました」というチェックを付けないと先に一歩も進めない。消費者保護の観点もあるのだろうが、やり方は明らかに現実離れしている。

先日、ある情報サイトを利用するに際して相手から提示された「利用規約」を、自分で読むのは億劫なので生成AIに読ませ、注意点を指摘するように言った。すると、こんなコメントが出てきた。

ーーーーー
 
✅ 注意が必要な条項とポイント
1. 利用規約の一方的変更(第3条)
•    リスク:🌑🌑🌑は利用者の事前承諾なく、いつでも規約を変更可能です。
•    注意点:不利益な変更については告知義務がありますが、利用を継続することで自動的に同意したとみなされる点は留意が必要です。
 
2. 会員登録の取消・強制退会(第5条・第8条)
•    リスク:🌑🌑🌑が「不適切」と判断した場合、会員登録を拒否・抹消可能です。
•    特に強い条文:理由の詳細を通知する義務がなく、損害に対する責任も負わないと明記。
 
3. 免責条項の強さ(第16条)
•    リスク:🌑🌑🌑の責任は「故意または重過失がある場合」かつ「直接かつ通常の損害」に限られ、逸失利益・機会損失は対象外です。
•    実質的な意味:ほとんどのケースで損害補償を受けるのは困難。
 
4. クレジットカードに関する責任(第22条4項)
•    リスク:クレジットカードのトラブルは「カード会社との間で解決」とされ、🌑🌑🌑は一切関与しないと明記。
•    注意点:不正利用・二重請求などが発生した場合も、🌑🌑🌑は対応しない可能性あり。
 
5. 返品・交換の条件が限定的(第24条)
•    リスク:
o    外装や広告物の破損では返品不可
o    申請期間は到着から8日以内
•    注意点:商品本体に明確な欠陥がある場合以外、返品が認められない可能性が高い。
 
6. 会員ID・パスワードの利用責任(第10条)
•    リスク:IDやパスワードが第三者に不正利用されても、利用者側の責任となる。
•    実質的影響:盗用されても自己責任になるため、管理を厳重に。
 
7. サービスの終了・変更に関する免責(第14条・第15条)
•    リスク:サービスが予告なく終了・変更されても損害補償なし。
•    影響例:講座やデジタル商品などが予告なしに停止される可能性。
 
✅ 総合コメント
この利用規約は、🌑🌑🌑側に広範な裁量権・免責権限が与えられており、利用者側の保護がやや弱い構成になっています。一般的なEC規約と同様の範囲内ではあるものの、
•       返品条件の限定
•       会員抹消・強制退会の広範な裁量
•       免責条項の強さ
などにおいて、ユーザーは特に慎重になるべきです。

ーーーーー

とても参考になる。自分で無味乾燥な利用規約など読むのはご免だが、これなら読まずとも注意すべきポイントを知ることができる。

それにしても、他の「利用規約」もいくつか生成AIにチェックさせたのだが、ほとんどはこの通り、自分たちの利益を最大化するとともに責任範囲を最小化したものばかりだった。

知らぬは利用者ばかり、である。

2025-08-03

上條恒彦さん

人の心をふるわせる声というものがあり、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が先日なくなった上條恒彦さんだった。

彼は歌手からスタートし、舞台の役者やテレビの俳優としても活躍した。スタジオジブリの劇場用アニメなどで声優もつとめていた。

初めて聴いた彼の歌は『出発(たびだち)の歌』(1971年)で、だがそのレコード(17センチのドーナツ盤)はどこかにやってしまったらしく探してみたけど見つからない。 

『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』(1972年)が見つかり、ひさしぶりにレコードプレーヤーに載せてみた。この歌唱もスバらしい。

上條の歌唱はもちろんのこと、和田夏十が書いた歌詞もまたいい。あの時代の空気の一つを見事にすくい取っている。


2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。 

2025-07-26

グーグルによるセンサーシップ

先月、このブログの記事の多くがグーグル社によってそのインデックス登録をはずされたと書いた。

グーグル社から「バツ」を付けられたわけだが、彼らによるそうした「検閲」を確かめる目的で今回ブログサイトへ広告を掲載する設定にしてみた。

結果は想像したとおりで、広告掲載は不可だと言ってきた。

 
(クリックで拡大)

どのような審査だったのかは不明。相変わらずまったくのブラックボックスである。

おそらく、グーグルについての批判的コメントをいくつも掲載してあることが原因だろうと思っている。

というのは、以前、彼らからブログ上に広告を掲載するように推奨され、実際にネット広告を掲載していたことがあるから。

だけどその時は、広告収入といっても大した金額ではないし、またどんな種類の広告が掲載されるかコントロールできるわけではないので、ブログへの広告掲載はまもなく止めてしまった。

そうしたいきさつからも、今回の審査結果に対して僕は彼らに邪悪なものを感じる。

グーグルはそのポリシーを以下のように定めている(ChatGPTによるまとめ)。これらはすべて常識的なものばかり。このブログの記事をブロックする理由は一つも見当たらない。 

主なGoogleポリシーと違反例
1. Google 広告(旧AdWords)関連ポリシーの違反
    1-1 禁止されている商品・サービスの広告(例:偽造品、違法薬物)
    1-2 誤解を招く広告(例:虚偽の主張、不実表示)
    1-3 不正な広告行動(例:自動クリック、複数アカウントでの回避)

2. YouTubeのコミュニティガイドライン違反
    2-1 ヘイトスピーチや暴力的コンテンツの投稿
    2-2 著作権侵害(例:無断転載)
    2-3 スパムや詐欺的コンテンツの拡散
    2-4 子どもの安全に関わる違反行為

3. Google 検索に関するポリシー違反(検索スパム)
    3-1 キーワードの乱用(キーワードスタッフィング)
    3-2 クローキング(ユーザーと検索エンジンに異なる内容を表示)
    3-3 被リンクの不正操作(有料リンクやリンク交換など)

4. Google Play 開発者ポリシー違反
    4-1 マルウェアを含むアプリの配信
    4-2 ユーザーデータの不正な収集・送信
    4-3 無断で課金する仕組み

5. Googleアカウントの不正使用
    5-1 なりすましや偽名での登録
    5-2 不正アクセスの試み
    5-3 スパムメールの大量送信 

ネットの世界ですべてを自分の手でコントロールできると思っているグーグルは、自分たちを「神の座」に座っている存在と考えているのだろう。 

2025-07-24

渋谷陽一が亡くなった

2年前に脳出血で倒れ、その後リハビリを行っていたらしい。享年74歳。

渋谷が音楽評論家としてデビューしたのは、彼が19歳のとき。最初のレコード評は、グランド・ファンク・レイルロードの『サバイバル』についてだった。

その翌年に『rockin' on』を岩谷宏や橘川幸夫らと創刊している。確かまだ明治学院大の学生だったと思うけど。彼の論評スタンスは結構過激で、歯に衣着せずと言うか好き嫌いがはっきりしていたように思う。それが彼のロックへの向き合い方だった。

『ロッキング・オン』が誕生した頃の話は、橘川幸夫の『ロッキング・オンの時代』(晶文社)に詳しい。70年代のカウンターカルチャーの時代の空気が伝わってきて面白い。高度経済成長する時代を背景にした、懐かしく、思い切りのいい時代だった。 

個人的には、当時『ロッキング・オン』の渋谷陽一と『ニューミュージック・マガジン』の中村とうようがロック、ポップス、ブラック・ミュージックへの案内人だった。

渋谷は雑誌『ロッキング・オン』や『CUT』などを創刊したユニークな編集者であり、優れた音楽評論家であるとともに、リスナーを魅了するラジオDJだった。

雑誌メディアからスタートした渋谷は、僕にとっては「書く人」より「話す人」として記憶に残っている。NHKの『若いこだま』のラジオDJを彼が始めたとき僕は中学3年で、毎週ラジオに耳を傾けていたのを覚えている。NHK-FM『サウンドストリート』『ミュージックスクエア』など彼が英米のロックを紹介する番組も聴いていた。

僕が後年、FMラジオ局でラジオDJをやったのは、こうした番組をやっていた渋谷陽一とFM東京(現Tokyo FM)で「気まぐれ飛行船」をやっていた片岡義男の二人からの影響が大きい。

80年代前半、知り合いの勤める外資系広告代理店に「渋谷です」と言ってよく電話がかかってくるという話を聞いたことがある。彼女の職場の同僚が渋谷のガールフレンドらしくて、彼からの電話をよく取り次いだらしい。メールなんかなかった40年前のことである。

 

ちなみにGrand Funk Railroadは現在もバンド活動を続けている。まさにサバイバルだ。 

GFRの1974年のライブ。なぜか3人とも裸だ

 

2025-07-16

アメリカには今、スーパーヒーローが必要なんだろう

今日のニューヨーク・タイムスが歴代のスーパーマン6人を取り上げ、それらを詳細に比較した記事を掲載していた。

なんで? という印象だが、アメリカ人は今、こうしたスーパー・ヒーローをどこかで求めているからかもしれない。

などと思ってしまうのは考えすぎかもしれないが、自分のことを「キング」だと勘違いしているアメリカ一の、いや世界一の権力者でならず者がいるからね。 

僕が個人的に好きなのは、何と言っても映画の第1作目から4作目まで(1978ー87年)スーパーマンを演じたクリストファー・リーブである(写真左上)。 なんというか端正でハンサム、優男(やさおとこ)で女性にもてそうだ。

力強さはもちろんだが、知性も表現できた。それは役作りによるスーパーマン(クラーク・ケント)のキャラクターというより、リーブがそうした人だったのだろうと思う。経歴を見ると、彼はコーネル大を卒業した後、ジュリアードでも学んでいる。 

後年、乗馬中に落馬して脊髄を損傷。以降、障がい者として車椅子の生活を続けながら映画監督などを行った。自ら車椅子の主人公を演じたりもした。リーブは、エミー賞やグラミー賞まで受賞している多彩な人だった。

NYTで「原型」と評されたクリストファー・リーブのスーパーマン

2025-07-13

観天望気

このブログのタイトルに関してときどき質問を受ける。 

あらためて辞書で確認したら、観天望気とは「雲や風や空の色などを目で観察して,経験的に天気を予想すること」とあった。まあ、ざっとそんな感じか。

辞書の定義を少しだけ修正すると、観察するのは必ずしも目だけとは限らない。風や湿度や気圧の変化は視覚でなく体で感じて、その変化からこれからどうなるか推理を働かせる。

そうやって知識と経験と体の感覚すべてを使って天気を読むのは簡単ではないが面白い。

観天望気の技術を身につけたのは学生時代。何日も山に入っていると、先の天気がどうなるか分からない。しかも山の天気はただでさえ変わりやすい。安全に山行を続けるためには翌日、翌々日の天気がどうなるか正確に予見することがとても重要になる。

だから夜10時になると、テントの中でポケットラジオから聞こえてくる気象通報をもとに天気図用紙に日本各地の気圧、風向、風力、気温を書き込み天気図を描き、翌日以降の天気を自分で予測する。

天気の流れを知るためには、高気圧と低気圧の位置を知ることが大切だ。また等圧線のかたちも重要な情報になる。

陽が沈む夕暮れ前にはテントの外で空を眺めて雲の高さや空の色、風の具合も確かめておくことを忘れない。そうやって目に映る雲の状態のほかに、体で感じる気温、湿度、風から天気を読む。

実際に観天望気で分かるのは、せいぜい明日は一日雨に降られずにすみそうだ、とか、午後からは一雨来そうだというレベルだが、それでも貴重な情報であることには変わりない。

今、手元のスマホにウェザーニュースのアプリが入っている。無料版ながらアプリの「レーダー」でこれからの天気の変化が時刻ごとにピンポイントで分かる。

とても便利だが、気をつけなければとも思う。こうしたお天気アプリに慣れてしまうと、自分で空を見て天気を読む勘を失ってしまう。

それはクルマを運転するときに毎度ナビを使っているといつまで経っても道を覚えず、方向感覚や距離感覚が鈍っていくのと同じだ。

万一、そうした高度な技術ツールが使えなくなったとき、自分の体一つでどれだけ状況に対応できるかが人間に欠かせない力だと信じている。 

だから、このブログのタイトルは観天望気。周りの表層的な言説に左右されず、自分の感覚を頼りに社会という天気の先を読む。 

2025-07-01

Amazonから Appleへ切り換え

音楽のストリーミングサービスをAmazon Music Unlimited(AMU)からApple Musicに代えた。

AMUはアレクサでも使えてまあまあだった。だが、iPhoneとiPadでは最後まで使えなかった。

海外に住んでいたとき、現地のアマゾンのアカウントをつくり書籍やアプリを購入していた。そのため今もアマゾンのアカウントが2つあり、それらが影響し合ってiPhoneやiPadでAMUが使えなくなっているというのがアマゾン側の説明。

それが本当かどうかは、残念ながら自分では調べようもない。ぼくの問題解決のためにアマゾンではエンジニアのチームが日夜解決方法を探っている、という返答を受け取ってから1年以上経つが、その後の連絡はなし。

残る解決法は、アカウントの一つを削除することらしい。だが、そうすればそのアカウント名で購入したアプリや書籍など一切が使えなくなってしまう。

ならばと、AMUを止めてApple Musicに切り替えることにした。

つい先日、ジェフ・ベゾスはヴェネツィアで結婚式を挙げたらしい。オーバーツーリズムを理由に多くの地元住民が反対の声を上げるなか、72億円の費用を投じて6月27日から3日続く結婚祝賀行事を行ったとか。

ユーザーが手元のデバイスから音楽を聴けないで不自由しているなんて些末なこと、彼にはまったく関心はない。

われわれにできることは、まずは顧客であることを止めることなのである。 

2025-06-30

今夜も電話をかける

海外小説の出版を事業の中心とする早川書房、その社長による「私の履歴書」の最終回は次のようなくだりで終わっていた。

買おうかどうか思案している本の版権はいくつもある。さて、今夜はどの出版社、どのエージェントに電話をかけようか。 

やはりそうなのだな、と思った。電話なのだ。

メールでも要件のやり取りはできる。しかし、相手の声を聞き、こちらも肉声で応える、いきなり要件に入るのではなく、ときには相手への気遣いやちょっとした気の利いたスモールトークで雰囲気をつくって、それからビジネスの話に入る。タイパが信条、などと言っている向きには理解できないだろう。 

これは手間がかかる、もったいぶったやり取りかもしれない。しかも、電話で話しあったことはメールなどで必ず確認しているはずだ。 

だけど、やっぱり電話するんだな。相手の住んでいる国の時刻を頭の片隅におきながら。

彼らが扱っている本という商材の特性もあるし、出版業という製造業やITなどとは違った肌合いのビジネスという背景もあるだろう。

ただ単に性能や特性、価格をもとにその場限りの売買を決めるではない、相手の顔を思い浮かべながら最終的に決めるというやり方。こうしたビジネスを今もやっている業界があるということに、なんだかほっとする。 

2025-06-28

ブログ記事の品質は誰が判断するのか

ブログを書き始めたのは2009年から。思ったことを勝手に書き綴ってきたが、どうもこれまで書いたブログ記事の多くがGoogleで配信されていないことが判った。


Google上でのインデックス未登録とされたものが多数あり、さらにひと月ほど前にその数が一気に急増していた。

なぜそれまで登録されていた記事まで未登録にされたのか理由は不明だ。手がかりを知ろうとそのグーグルで検索してみると、説明が記されたページにブログ記事の品質に関する記述が現れた。 


ページの品質が十分に高くなければいけません、だって!? 

だが、「品質」についての定義もその基準の説明もなく、やってることは相変わらずブラックボックス。

これまでグーグルという企業に対する不審と不信についてもこのブログで取り上げてきた。それが理由かもしれない、と思っている。

いま使っているこのbloggerというサービスだが、グーグルが運営していると知らずに使い始めてしまった経緯がある。他のブログサービスへの移行もできるが、それには手間がかかるし、どうしようかなと。 

2025-06-17

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

早稲田大学の南門通りにある早稲田小劇場どらま館がリニューアル10周年を迎えた。そして、もともとその地に芝居小屋「早稲田小劇場」を構えていた鈴木忠志がSCOT(Suzuki Company of Toga)を利賀に立ち上げてから50年目。

その節目の年ということで、早稲田小劇場どらま館で「世界の果てからこんにちはⅠ」の映像上映会が行われた。

早稲田小劇場どらま館

今回の記録映像は2023年の利賀での同作品の上演風景。ステージの後ろに広い池が配置され、そのさらに背面には利賀の山なみが控える円形劇場である。むかし演劇際(利賀フェスティバル)を現地に観に行った夏のことを思い出す。

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

昨年暮れは帰国していた折に「世界の果てからこんにちはⅢ」を都内の劇場で観る機会があった。が、鈴木演出の芝居は室内ではなく、利賀の屋外劇場で観るのがやはり一番と再認識した。 

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。