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2025-06-17

「世界の果てからこんにちはⅠ」

早稲田大学の南門通りにある早稲田小劇場どらま館がリニューアル10周年を迎えた。そして、もともとその地に芝居小屋「早稲田小劇場」を構えていた鈴木忠志がSCOT(Suzuki Company of Toga)を利賀に立ち上げてから50年目。

その節目の年ということで、早稲田小劇場どらま館で「世界の果てからこんにちはⅠ」の映像上映会が行われた。

早稲田小劇場どらま館

今回の記録映像は2023年の利賀での同作品の上演風景。ステージの後ろに広い池が配置され、そのさらに背面には利賀の山なみが控える円形劇場である。むかし演劇際(利賀フェスティバル)を現地に観に行った夏のことを思い出す。

「世界の果てからこんにちはⅠ」

昨年暮れは帰国していた折に「世界の果てからこんにちはⅢ」を都内で観る機会があった。が、やはり、鈴木演出の芝居は室内の劇場ではなく、利賀の屋外劇場で観るのが本道と再認識。 

吉祥寺シアターでの公演

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。

 

2025-06-10

岡山県と香川県の間には何があるか

今年、3年おきに開催される瀬戸内国際芸術祭の第6回目となる催しが香川県の直島を中心に開催されている。
https://setouchi-artfest.jp/

直島にはいまでは世界中から現代アートのファンが訪れる。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、トルコ、ニュージーランド、韓国、中国、香港、タイ、スペイン、モロッコなどなど、僕が現地で知り合った人たちだけでもその国籍は数えきれないくらい。

先日、NHKのある看板番組がその島を取り上げていた。番組の冒頭で、現地を訪れた同局の男性キャスターが「直島は、岡山県と香川県の間にある島です」と紹介した。

んっ? 直島の住所は香川県香川郡直島町であり、香川県に属している。

そもそも、岡山県と香川県の間には島などない。あるとしたら、(目には見えない)県境のラインだけだ。

まあ、よくある間違いといえばそうなのだが、その番組は生放送ではなく、収録されたものを編集して制作した50分のゴールデンタイムの番組だった。

放送前に何人もの局内の人間が試写を見ているはずなのに、なぜこうした日本語の初歩的な誤用に誰も気づかないのだろう。 

どこかに問題があるように思う。 

2025-05-31

中国繁体字が表示される理由

アマゾン・キンドルで本を読んでいるとき、指先でスクリーンをなぞり特定の箇所にマークを付けることができる。紙の本で横線を引いたり、アンダーラインを引く感覚だ。 

それらはアマゾンのサーバー内に記録され、あとで呼び出して読んだり、一覧をメールに添付して送ることができる。マーキングするだけでなく、メモを付けておくこともできて便利だ。
 
キンドルで本を読み終え、自分がハイライトしたものをメールで送って一覧を開いたところ、なんか変だ。文が日本語の句読法に沿ってなく、中国語の繁体字の表記の仕方(横書きの場合、句読点が下になく、中空に浮かんでいる)になっている。漢字の書体も日本のものとは違う。
 

自分がどんな本を読み、その本のどういった箇所にしるしをつけたかなんてことは個人情報であり、思想信条にも関すること。
 
なのにそれらが外国のサーバーに記録されてしまっているというのは気分がいいものではない。
 
利用者の不安を除くためにも、アマゾンはそのあたりの説明をすべきだろう。 

2025-05-17

アメリカと中国はどちらか大きいか

本を読んでいたら、そのなかに米国と中国は国土の広さがほぼ同じだとあった。米国は日本なんかに比べて巨大な国土の国だとは思っていたが、まさか中国と同じくらい大きいとは思わなかった。

だが、調べたら確かにそうだった。


国土面積で比較すると米国の方が大きい! ただし、陸地だけの面積では中国の方がいくらかでかい。いずれにしても、どちらも巨大だ。

米国の人口は中国の4分の1以下。広大な国土に比べれば人口は少ない。豊富な自然資源もあり、豊かでいられるわけである。この国への移民を望む人々が多いのは当然だ。

そして世界最大の国土面積を持つのが、ロシア。米国の1.7倍である(日本の45倍)。ウクライナに手を出して、さらなる領土拡大なんかする必要性がまったくどこにあるのか。

2025-05-13

AIでもう十分

家族に持たせていたauのケータイがなくなった。紛失した時の状況から考えて回収は不能。新機を買うことにした。料金プランを継続するためには4Gのガラケーしか選択肢はなかったが、それで十分だと考えた。 

近くのauショップに行ったら、ネットで購入した方が2万円以上安いと言われ、それではとウェブで検索し手続きをしようとしたのだが、契約者である私が既にKDDIのユーザーではないことでネットで手続きが完了できない。

そこで、オンラインショップのスタッフの個別対応を申し込む。パソコン上に表示された一番早い空き時間でさえ2日後だった。スタッフ不足なのか。しかたなくその時間枠を予約し、当日は送付されてきたアクセス先URLで接続。

そこからその会社とのやり取りが始まったのだが、いやはや散々な目に遭った。KDDI指定のネット回線は途切れ途切れで(そもそも通信会社がなぜ顧客とのやり取りにわざわざネット回線を利用するのか分からない)、会話は埒があかない。

こちらの問いへの回答が一貫しておらず、突っこむとその場しのぎのテキトー 回答を寄こして逃げを打つ。挙げ句の果て、対応方法が分からないのか「今回のケースの場合、auショップ店頭でのお手続きとなります」とのたまった(別の担当者に替わってもらったら、オンラインで契約できた)。

いま思い出すだけでも腹が立つので思い出したくもないくらいだ。時間を浪費させられただけのそうした対応の相手をさせられ、つくづく考えさせられた。

詳細は措くが、それらの背景にある根本原因は主に3つ。まず、顧客対応プロセスの基本的設計がまずい。それに関連し、オペレーターの知識や技能が決定的に不足している。苦し紛れの誤案内が続く。そして組織内の連携というものがないうえに、他箇所にたらい回ししたがる無責任体質。

考えられる対応策はまず2つ。経営者の中にしっかりしたCCEO(Chief Customer Experience Office 最高顧客経験責任者)をおくこと。そしてやる気のないオペレーターに代わって顧客対応をまかなうAIを導入することである。

パソコン画面右下にしばしば出てくるオモチャのようなチャットボットでは駄目だが、ちゃんとした生成AIなら問題ない。AIに顧客の相手をさせた方が、顧客の立場からしてはるかに望ましい。

手続きの対応だから、決まっていることをその範囲で正確にやってくれればいい。記憶と計算ができればよいのだ。オペレーターの人間としての特性や裁量など必要なく、すべてアルゴリズムで処理できてしまう。しかも24時間利用可能なので、2日先の予約といったことも不要になる。

企業は人を採用する必要がなければ、教育することも勤怠管理もなんにも必要ない。経験的価値の提供が求められるような一部の分野を除いて、電話オペレーターによる顧客対応がじきに世の中からなくなっていくことは間違いないだろう。

2025-05-09

デザイン変更の目的

出張のためにフライトを予約する必要があり、JALのウェブサイトで席の検索を始めた。が、なかなか画面が切り替わらない。ネットワークのせいか。

仕方なく電話で確認しようと思い、JALカードを取り出した。電話を片手にカードの裏面を見たが・・・ない。予約センターの電話番号が記載されていない。以前のものにはあったはずだが。

それじゃあと、予約センターの番号を教えてもらうため、そこにあった株式会社JALカードの番号に電話した。自動応答メッセージの指示に沿って、カード番号16桁などを入力させられる。何ために必要なのか?と疑問に思いつつ。

電話に出たJALカードの社員に先ほど疑問に感じた件、つまりカードから予約センターの電話番号をなくした理由を訊いてみた。すると、カードのデザイン変更に伴ってはずしたという。

(株)JALカードという会社は、予約のための電話番号がない方がカードとして優れていると判断したようだ。その方がデザイン的に好ましいと考えているのだろうか。とっても不思議。

ANAカードを取り出し、見てみた。裏面には航空券予約のための0570で始まるものと03で始まる2つの電話番号がフツーに記されていた。そりゃそうだろうな。

2025-05-08

Skypeがサービスを廃止

海外にいるとき、電話はSkypeを使っていた。使い始めて13年になる。それが、今週の初めサービスが廃止されてしまった。

ネット環境さえあれば、どこにいても世界中の電話番号に簡単に電話をかけることができた。外国にいるときは常にWi-Fiルーターを携帯しているので、海外でも何のストレスもなかった。相手がスマホの電話帳に登録されてなくても、また特定の通信アプリの利用者でなくても構わない。そうした制限が何もなく使えたので便利だった。

通話料金は確か1分あたり2セントとか3セントで、ほとんどタダみたいな額。残高(Skypeクレジット)がなくなれば自動的にクレジットカードからチャージされていた。

海外を旅してまわるとき、ホテルや航空会社、レストラン、美術館などへその場その場で電話できたのはスカイプ電話があってのことだった。 

またスカイプは発信元の電話番号を自由に設定することができたのが便利だったのだが、世界中で日本ともう1ヵ国だけがそれができなかった。国の通信に関する法律がそれを認めなかったのが理由。日本の総務省!

僕の場合、米国にいたときに現地で契約したので、現地で使っていたケータイ電話と同じ番号を発信元番号に設定していた。1-646-xxxxxxといったものだ。日本に帰ってきてからもそれは変わらなかったので、日本国内でどこへ電話しても米国の電話番号が発信者番号として通知されていた。

これはこれで使い方によってはメリットがあった。

だが、それも終了。馴染んだサービスが次々となくなっていくのは残念である。代わりになる通信手段を探さなければ。

2025-04-28

貼り紙


街でこんな貼り紙を見つけたが、誰に向かって言ってるのだろう。散歩途中の犬か、飼い主か。あるいはそれ以外の誰かか。糞が廃棄物処理法の対象とは知らなかった。警察が実際に取り締まることはないだろうが。 

2025-04-26

顧客が強い不満を感じたサービスは何か

「あなたが強い不満を感じたサービス経験にはどういったことがありますか? 具体的な経験を教えてください」

というアンケートを行った。

回答者のなかでもっとも多かったサービスは病院(11%)だった。治療や検査の中身についてのコメントはなく、「予約を取っていたにもかかわらず待たされた」「後から来た人が先に診察を受けた」といった待合室での順番待ちに関することがほとんど。医療機関が患者(顧客)満足度を上げるポイントの一つはここにありそうだ。

次に多かったのは小売り(9%)、続いて飲食店(8%)。どちらも提供物(商品や品揃え、出された料理)についての不満のコメントはなく、レジスタッフの対応や店内での接客態度に強い不満感を示している。

続いて銀行(7%)。こちらも窓口での接客対応(長時間待たされる)や最近多くの銀行が始めた予約システムへ強い不満が出ている。宅配業者を挙げたのは6%。配達された時間が指定したのと違っていた、置き場所が指定の場所と異なっていた、など。

携帯通信業者は5%。料金プランとショップでの接客に関しての不満。JRも5%。駅内のスタッフの応対態度に関するものとみどりの窓口の縮小が指摘されている。 

病院、小売り、飲食店、宅配業者、携帯通信業者は顧客接点でのサービス提供内容が標準化されていない点で問題が発生している。銀行とJRはそれに加えて、企業側の一方的なサービス提供の変更が一部の顧客に受け入れられていないことを示している。

顧客の意識や行動は、企業が思っている以上に変化は緩やかである。企業側が狙った単純なコストカットや効率化は、彼らが予想している以上のハレーションを顧客に起こしているようだ。

2025-03-08

赤いポストが消えていく

デンマークでは400年続いた書簡サービスが廃止され、今年6月から町中の郵便ポストも順次撤去されることになった。

BBCのサイトから

世界のなかでもとりわけデジタル化が進展しているデンマークでは、郵便局による手紙の取扱い数量が激減している。今世紀に入ってからは、14億通だったのが昨年度は1億1千万通と9割以上の減少である。

デンマークでの手紙の取扱量

また、デンマークでは現金を使う人はほとんどおらず、人々は運転免許証や健康保険証さえもスマートフォンで持ち歩くらしい。デジタル化できるものはすべてデジタルにしちゃえ、とばかりに社会システムを変革している様子が窺える。 

運転免許証にしても健康保険証にしても重くて持ち運びが大変といったものではなく、利用者側の日常のメリットはさほどない。一方で、すべての記録がデジタルで保管できるので為政者側にとってはさまざまなメリットが考えられる。

国民がそうしたこれまでの社会インフラのデジタル化の推進に歩調を合わせられるかは、政府がどれだけ信用されているかにかかっている。その点で翻って日本はどうか、ということに思いが行く。

それはさておき、町中から郵便ポストがなくなり、手紙を書くということが日常からきえていくことは寂しい気がする。電子メールですべてが置き換えられ、やがて手紙を書いたり受け取ったりしていたことすら人は忘れていくのだろうか。

日本でもやがて、と思わせるニュースである。

2025-03-04

入国時、手にしているパスポートは「輸入物」である!?

日本入国時、納税申告の対象がないにもかかわらず、なぜ税関の申告書を提出しなければならないのか、ということを書いた。 

空港の税関吏は、私にたいしてその根拠として関税法第67条をあげた。その条文は「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者は、政令で定めるところにより、当該貨物の品名並びに数量及び価格(輸入貨物(特例申告貨物を除く。)については、課税標準となるべき数量及び価格)その他必要な事項を税関長に申告し、貨物につき必要な検査を経て、その許可を受けなければならない」というもの。


「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者」の定義について東京税関に確認したところ、「すべての入国者」がそれに当たるという。入国者が手にしているものはすべて「輸入物」にあたるからだと。

なぜか。たとえスーツケースやバッグを持たず、手ぶらであってもである。すなわち、その時は入国時に身につけている物が「輸入物」とみなされるらしい。

服も着ず、靴も履かず、つまり全裸で入国したとしても(実際にありえないが)、日本に入国したということは、その手にはパスポートが握られているはずであり、そのパスポートが「輸入物」となる。 だから、すべての入国者が対象となる、というのが税関職員の説明だった。

なんという拡大解釈! 屁理屈だ。

そうであれば、「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者」などと表現せずとも、「すべての入国者」と書けばよいではないか。が、そうはなっていない。

そもそも、いまでは入国時に税関の申告書を提出させる国は世界の中で極めて少数になりつつあり、その点は日本の税関も理解している。にもかかわらず、先述の関税法の解釈にとらわれて利用者視点の運用ができないでいるのが現実である。

顧客の声を聞かない日本のサービス企業はどうなるか

先月末、東南アジアの国々を少し回って帰国した。各地のホテルは行く先々でネットで探して予約、フライトもほぼ同様だ。便利な世の中になったものである。地上の移動はGrabを使い、実にスムーズでストレスもなかった。

そうしたホテルや航空会社、Grabなどに共通するのは、サービスを使った後、すぐにお礼メールとサービスへの評価と今後のサービス改善のためのアンケートを依頼してくること。

ところが、それらのなかで一つだけ例外があった。日本までのフライトで利用した日本の航空会社だ。とりわけ今回の利用時、さまざまな点でサービス提供に問題があり、その航空会社に伝えておきたいことが何点かあったにもかかわらず、フライト後にも何のコンタクトもしてこない。

本来、顧客の声を拾わなければサービスの改善も、新たなサービスの開発もできない。

その日本の航空会社は、サービス企業としての意識が絶対的に欠けているように感じた。実際その企業は、ここ数年で明らかにサービス品質が低下しており、これから数字の面での業績低下は避けられなくなるだろう。

2025-03-02

税関は何のために私たちに手間をかけさせるのか

日本に再入国するときのこと。

到着した空港で手荷物受取所のカルーセルからバッグをピックアップし、そのまま税関を通り抜けようとしたら、その手前で中華系の職員に「税関申告書」を準備してくださいと止められた(この人員配置は、中国からの訪日客が多いことへの対応だろう)。

私が、申告する物は何もないからと言ったら、全員が書かなくてはいけないと言われ、仕方なく例の黄色い縦長の用紙をもらって記入した。


その用紙を手に、税関職員にパスポートを見せるレーンで、なぜ申告する物がないにもかかわらずこうした書類を強要するのか訊ねてみた。

彼女は、私が渡した税関申告書の表面の上部を指して「ここの情報が大切なんです」と回答した。名前や住所、生年月日、パスポート番号、今回のフライトの出国地などをわれわれが記す部分だ。

だが、誰が入国したかの記録なら、パスポートの情報を入国管理のところで記録してあるはずであり、その説明はおかしい。と伝えて、納得のいく説明をくれるように求めていたら、やり取りを見ていた別の職員が僕の方にやってきた。

そのまま出国ゲート脇の詰め所(のような場所)に案内され、そこの男性職員が今度は税関の申告書を提出するのは法律で決まっているからだという。それはどういった法律かと問うと、「広辞苑」と見紛う分厚い本を持って来た。背表紙に「関税六法」と書いてあり、そこに収められた第六十七条に定められていると私に開いてみせた。

彼が示した条文を読んだが、理屈がオカシイ。

関税法第六十七条とは、以下の通りである。


ここでは「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者は」という条件が付いている。つまり、その条件に当てはまらない者にはこの条文は適用されないはずだ。

彼にそう言ったら、少し困った顔をして黙ってしまった。すると、彼から少し離れてやり取りを見ていた別の職員がやおらこう切り出した。「申告する物がないと言う人も、申告書を書くことで申告する物があったことを思い出すことがありますから」と。

ええっ。リマインドのためかよ。人を馬鹿にしてないか。だったら、別の手段を考えてくれ。たとえば、申告忘れをしないようにとのメッセージの音声を手荷物受取所で流すとか、航空会社と協力して乗客の下船時にそうしたアナウンスをしてもらうとか。もっと効果のあるシンプルなやり方があるはずだろう。

もう少しスマートにやってくれよ。

2025-03-01

意味のない大規模修繕工事が始まる

ひさしぶりに日本に帰国したら、斜め前に建つマンション全体が黒いネットで覆われていた。 

マンションの大規模修繕らしい。建物の周りに組まれた足場を行き来する職人たちの姿がネットを透かして見える。工事は、予定では3ヵ月かけておこなわれる。その間、なかに住んでいる人たちは紗のかかった目隠しをされているようなもので、さぞ迷惑なことだろう。

ところが、僕の住む集合住宅も大規模修繕に向けた話し合いが行われていて、来週あたりには管理業者の入札があるらしいことを知った。自身は部屋のオーナーではないので、何がどうなっているのかといった詳しい話が直接は届かず、知らなかった。そもそも外国にいたし。

予定だと、本年中に大規模改修の作業が始まることになりそうで、実に憂鬱な気分だ。

始まると、騒音がうるさい、ホコリっぽい、洗濯物が干せない、中を覗かれる(気がする)。何と言っても部屋からの景観がなくなり、日差しが注がなくなる。バルコニーに寝そべり本を読んだり酒を飲むことも出来なくなるのも辛い。

いいことは何一つ考えられない。そもそもマンションの大規模修繕ってのは、通常は外壁の洗浄と塗装が中心。つまり外面(そとづら)を塗り直すことで、建物を少しでもキレイに見せることに主眼が置かれている。歳とって顔の皺が増えたのを、これまで以上にファンデーションを厚く塗って隠そうとすることと同じ。

人間の体に例えるなら、その血管や神経に相当する給排水管や通信回線などを改修しなければ、日々の生活のクオリティには影響しないのだが。

外からの見栄えを良くすることで、マンションの資産価値の減少を保とうというのだろうが、その発想がどうにもみすぼらしくて嫌だ。そんなことが資産価値の向上に寄与するという社会の価値観がバカバカしい。

僕のように賃貸で住んでいる者にとっては、外壁をきれいにすることに意味はない。それどころか、そのことで今払っている月々の家賃を引き上げられたら泣きっ面に蜂だ。

一般的に修繕業者に支払う金額は、1戸あたり100万から125万円といったところらしい。5000万円の予算があれば宅配ボックスを増やすことで住民の利便性を高め、ルーフテラスを緑化して住み心地を良くし、さらにそこでバーベキューなんかできるようにしてもお釣りがしっかり残るのに。

しかも修繕工事費用は、多くがブラックボックス化されている。施工を行う業者によって、専門用語を多用した素人には分からない工事項目とそれらの金額を並び立てた工事見積もり書が作成される。それら業者にしてみれば、赤子の手を捻るようなものである。

工事業者や管理会社などの有象無象が結託し、住民の修繕積立金を吐き出させる仕組みである。痛みを受けるのは金を積み立てた住民だけ。しかも、ほとんどの場合、一般の住民はそうしたことを知る由もない。

大規模修繕工事なんてやめればいい。わざわざなんでそんなことやるんだろうと、つくづく思う。

2025-02-27

羨ましい仕事

世の中にこんなに愉しい仕事があるだろうか。

世界中を回りながら、各地の猫とふれあい、それらのニャンの映像を収めて番組にするという「岩合光昭の世界ネコ歩き」である。

番組に登場するのは動物カメラマンの岩合氏と各地の猫たち。それと、そうした猫らに関係する現地の人たち。

猫に演技をさせようとしても無理なわけで、番組に登場するのはまったくのところ自由で勝手気ままな猫たちである。ところが、そのニャンたちと彼は猫語で挨拶を交わし、ご機嫌を伺いながらカメラを向けると、猫たちは彼の意のままに動いてくれる(ように見える)。

いやまったく、どうして猫の動きを読んでそっちの方にカメラを向けることができるのか、いつも不思議に思っている。 

そして被写体として登場する猫たちを見ていると、猫はそこにいる人間たちの鏡だと感じる。別の言い方をすれば、その土地を映しているともいえる。不思議なものである。

撮影に際してはロケハンなどは綿密にやるのだろうけど、当然ながら予定通りの撮影などはあり得ず、現地ではその場その場での即興の動きを捉えていくのだろう。経験と直感の勝負だ。

苦労もあろうと思うが、そうした苦労ができるのが心底うらやましい。

NHKの番組サイトから

2025-02-14

「会社法人等番号」12桁と「法人番号」13桁

法務局の出張所に、ある法人の謄本を取りにいった。申請書類に当該法人の「会社法人等番号」を記入する欄があった。法人の登記簿に記された識別番号で12桁で構成されているものである。

先日、関連する用件で税務署に行ったおりには「法人番号」を書類に記入することを求められた。こちらは13桁で、会社法人等番号のあたまに1桁の数字が加えられたもの。

ややこしい。法務局の窓口スタッフに、この2つの数字にどういった違いがあるのか、どう使い分けているのかを尋ねてみた。

すると、会社法人等番号は法務局で使用しており、法人番号は国税庁が使用している、なぜこの2種が用いられているかは分からないので国税庁に訊ねて欲しいと。

それ以上の回答がないので、そのままそこを後にしたが、どうも釈然としない。というのは、おそらく国税庁に説明を求めたら、今度は同様に法務局に聞いて欲しいと言われるだろうと思ったから。堂々巡りだ。

法務局が設定している会社法人等番号という名称の、あほらしい無意味さ。「会社法人等」というのは、会社だけでなく他の法人も、という意味だろう。つまり、「法人」の一言で事足りる。要するに本来、会社法人等番号と法人番号という2つの呼び名の意味は同一であるにもかかわらず、管轄する省庁が違うので異なった名称を付けているわけだ。 

国は効率化を推進するためデジタル政府を目指すなどと何年か前に言っていたと思うが、役所はどこも自分たちの縄張り以外のことは知らぬ存ぜずで、われわれ国民をあいかわらず蚊帳の外に置いている。

法務局と国税庁が話し合ってこうした番号の設定の仕方を決めていれば、会社法人等番号と法人番号という似た2つの数字を使い分ける必要などなかったはずである。

2025-02-10

充電できなくなったらもう終わり、というのはいろんな意味で止めにしたい

僕たちはバッテリーで生きている。といっても、生身の体の中にバッテリーが埋め込まれているという意味ではもちろんない。

先日、電話の子機のバッテリーがへたって交換した。フルに充電してるはずなのに、話の途中で突然回線が切れることを経験したからだ。ハンディタイプの掃除機のバッテリーも交換した。

アマゾン・キンドルが起動しなくなった。死んだのはこれで何台目だろう。たぶん5台目か6台目か?

モーターなどの動作部品は仕込まれてないので、使えなくなるほとんどの理由はバッテリーだ。これまでずっとそうだった。リチウム電池が入っているんだろうけど、こちらは交換不能だから。

どうして交換できないのだろう。バッテリーが交換できなきゃ捨てるしかない。新品購入の費用だけでなく、環境面でも不満だ。

そんなことを考えていたら、スマートウォッチのバッテリーも弱ってきて、日中、気がつくと画面が消えているということがある。何とかしなくては。というか、これもバッテリーの交換が出来るわけではないので、処分するしかない。嗚呼、なんとかならないものか。

強欲な米国企業の買い換え促進策とはいえ、いい加減にしてほしいね。

以前使っていたことのあるシャープ製の携帯電話は、太陽光で充電ができた。クラムシェル(折りたたみ)式のもので、その蓋の部分に太陽光を電気に変えるシートが組み込まれていた。

キンドルは本体(画面)の裏面をつかってそうすべきだ。あるいは、純正をうたうカバーに太陽光シートを貼って本体が充電できるようにしてもらいたい。

身の回りのものの多くがバッテリーで動くようになっている。乾電池の交換ですめば楽でいいのだがそうではない。そのため、場合によってはモバイル・バッテリーとケーブルをバッグに入れて持ち歩かねばならなくなっている。

そして、本体のバッテリーがダメになれば、交換(買い換え)だ。こんなこと、いつまで続けされられるんだろう。そろそろ発想を変えてもいいんじゃないか。

2025-01-18

生成AIの説明能力

生成AIが仕事に急速に取り入れられていて、会議の議事録をまとめたり、販売データをもとにした報告用の資料などを作ってくれたりする。

AIは文章でも図表でも、たじろぐことも戸惑うこともなくあっという間に作成する。全能感を思わせるそのアウトプットのスピードにオフィスで働く人たちは感心し、手放せなくなる。

ただし、生成AIの回答にときおりギョッとさせられることも多い。たとえばデータの解釈だ。

見せかけの相関のなかには、いろいろと笑わせてくれるものがある。下記のグラフでは、2000年から2009年におけるマーガリンの一人当たり消費量と米国メイン州の離婚率のトレンドが相関係数0.99という強い関係にあることが示されている。

その理由を生成AIに説明させると、以下のように解釈する。

おそらく、マーガリンの使用量が減るにつれて、人間関係もギクシャクしなくなったのだろう。人工的なスプレッドがないため、カップルがお互いにバターを塗り合うことがなくなり、全体的な夫婦喧嘩の減少につながったのかもしれない。バターでないことが信じられない現実、それは夫婦関係の成功の秘訣なのだ。あるいは、マーガリンの消費量が減るにつれて、全体的なヌルヌル状態も減り、パートナーが結婚生活をうまくコントロールできないと感じるケースが減ったということも考えられる。

おもしろい。米国メイン州の夫婦はケンカをすると相手にバターを塗りつけようとするらしい。新説である(意味不明のところがあるが)。

ここまで解釈がぶっ飛んでいると、さすがに小学生でも変だと気づくけど、そうじゃないAI作成の文章で専門家でも見紛うものがネット上を中心にいくらでもある。人が書いたのものか、AIが書いたのものか、多くの場合、その判別がつかなくなっている。

結局、今のところは説明の内容をどう判断するかは人の知識と経験、常識に頼るしかない。

それこそ何でもAIに代わりに考えさせていると、ヒトの頭脳はあっという間に判断能力を失い、機械に乗っ取られてしまいそうだ。 

ついでに、生成AIに上記の説明に沿った画像を作成するよう命じたら、こんなのが出てきた。笑える。州の90パーセントが森林だというメイン州の雰囲気は確かに良く出てるかも。

バター版

マーガリン版