2021年12月29日

古めかしいエスニック・ジョークのようなCM

政府はよほど国民にマイナンバーカードを持たせたいらしい。何人ものタレントを使い、複数バーションのテレビCMでその取得を熱心に促している。

そのCMのひとつがこれ。

 
「いまもう国民の3人に1人が持っているっていうから・・・」

と、佐々木蔵之介が話すこのテレビCMに、なんだか馬鹿にされていると感じた視聴者も多いことだろう。理屈はなく、ただ<船に乗り遅れるよ>と相手を不安がらせようとしているだけ。

船と言えば、「沈没船ジョーク」と呼ばれる各国の国民性を揶揄した鉄板ジョークがある。こんな話だーー。

様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、さてどのように声をかければいいか?

イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。

ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。

アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える

イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。

フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。 

中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。

日本人には、「もうみなさん飛び込んでますよ」と伝える。

総務省が作ったこのテレビCMが言わんとしていることは、これと同じ。「何も考えなくていいから、さっさと右へ倣えでカード作れ」って。

深層心理の部分で国民に向かって「海に飛び込めー」って言ってる。

2021年12月26日

立ち上がる女

映画「たちあがる女」は2019年作のめっぽう元気で、気が利いたアイスランド映画である。

主人公ハットラを演じるハルズ・ゲイルハルズドッテルを見ていて、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドを連想した。

現代のアイスランドを舞台に、その環境破壊を食い止めるために立ち上がった一人の女性を描いたユニークな作品で、自然にあふれたアイスランドの地にも環境汚染の波が押し寄せていることが分かる。中国資本が注がれたアルミニウムの製錬工場である。

アルミニウムの製錬には大量の電気を必要とするが、アイスランドは火山の国、すべての電力は地熱でまかなわれていて電気代が安い(タダ)からだ。

平原に延びる送電線をショートさせ、鉄塔を一人で爆破する彼女は一人で立ち上がり、戦いを続けている。

警察などから追われる彼女を赤外線カメラで執拗に追うドローンは中国の象徴だ。姿を捉えられないように死んだ羊の皮をまとって逃げるハットラ。途中、彼女を追うドローンをハットラが弓矢(!)で仕留め、手に握った石で叩き潰すシーンは「これが私たちのあんたへの回答よ」と聞こえた。その時、彼女は彼女のヒーローであるネルソン・マンデラの写真で作ったお面を被っている!

彼女にはオルガンと太鼓、スーザフォンの謎の3人からなる音楽隊が寄り添っていて、時に彼女の気持ちを象徴するように、時に彼女を励ますかのようにリズムを刻む。さらに3人の若い女性からなるコーラス隊もあちこちのシーンで登場する。不思議なユーモラスさを醸し出している。

映画のなか、自転車でアイスランドを旅するスペイン人の若者が方々のシーンで登場する。彼はその都度、ハットラが巻き起こす騒動に巻き添えを食わされる。気の毒だったり、情けなかったり。でも可笑しい。

太古の土地が残り、原始性豊かな自然のなかで暮らすアイスランドにも、外国からの資本が容赦なく流入し経済発展の名の下で環境破壊が行われていることへ、この映画は警告を発している。快作である。

2021年12月19日

鳥と落花生

昨日、千葉から遊びに来た友人が持って来てくれた煎り落花生をバッグに放り込んで南の島へ。横浜とは気温が10度以上違う。

ベランダでその落花生をむきながら本を読んでいると、次々と鳥がやって来る。豆の匂いなのか、殻を剥いている音なのか、それとも食べてる様子に誘われてなのか。 

人に慣れているらしく、落花生の実を投げてやると器用にキャッチする。

2021年12月16日

クリスマス前

毎週木曜午後に非常勤講師として教えに来てくれている神奈川大学のY先生と、今度ランチでもしましょう、とずっと言ってきたのが、やっと実現した。

彼と大学キャンパスを少し散策。

大隈庭園から大隈講堂を撮る。ふだんあまり見ないアングル。

演博の企画展「新派」の垂れ幕の前に飾られたクリスマス・ツリー

2021年12月13日

直島の美術館巡り

駆け足で瀬戸内海に浮かぶ直島の美術館3館、地中美術館、ベネッセ・ミュージアム、李禹煥(リー・ウーファン)美術館を回ってきた。 

特に今回の目当てだった地中美術館は、安藤忠雄が設計した独特なデザインによる美術館。建物自体が美術館のひとつの作品だ。

実は、2004年にこの美術館がオープンした時に一度訪問している。夏の暑い日だったのを覚えている。表の駐車場に延びる長蛇の列に並び、1時間近く待っただろうか。結局、暑さに疲れて諦め、入館しないまま島を去った覚えがある。

今回は、コロナ感染拡大防止のために事前予約制による入館なので、「これなら」と思い訪ねた次第だ。

そこには3人の作家、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品がそれぞれの展示室に分けられて恒久展示されている。

モネの部屋には5点の「睡蓮」が展示されていた。いずれもモネが70代半ばを過ぎて取り組んだ作品。会場スタッフの人と、モネが高齢になって煩っていた白内障がモネの作品に与えた影響について意見を交わす。

地中だけど、展示スペースには天窓が設けらえていて、柔らかな空間の雰囲気が醸し出されている。とりわけジェームズ・タレルの「オープン・スカイ」は天窓とそこから差し込んでくる光も作品のひとつになっている。

ジェームズ・タレルの会場では、彼の作品が展示されている新潟県十日町の「光の館」(2000年に越後妻有トリエンナーレのために制作)に展示されているタレル作品をめぐってスタッフの方としばし歓談。

彼女らは、本当はそうした会話は禁じられているのかも知れないけど、ほかに誰も客がいないし、こちらが話しかけると色々と専門知識を教えてくれるのでありがたい。


W・D・マリア「タイム/タイムレス/ノー・タイム」2004年

2022年は、5回目となる瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)が直島を中心に、このあたりのいくつもの島を舞台に開催される予定だ。第1回目から毎回訪問しているが、訪れるたびに新しい発見や出会いがある。

ブルース・ナウマン「100年生きて死ね」1984年(ベネッセ・ミュージアム)

ミュージアム・カフェのテラスから夕暮れの瀬戸内海を望む

2021年12月7日

LINEの国内利用者数が8600万人って本当か?

LINE Payでキャンペーン参加者の個人情報が漏洩していた。下記の記事にあるように2ヵ月にわたって外部からアクセスできる状態になっていた。


LINEは今年の3月、ユーザーの名前やメールアドレスといった個人情報に加えてトークや写真も閲覧できる状態を放置していたのが明らかになったのが記憶に新しい。

そもそも、LINE社のセキュリティに関しては、2014年頃から問題点を指摘する声も一部ではあげられていた。 

https://facta.co.jp/article/201407039.html 

それにしても、こうした記事が掲載される際にLINEについては「日本で8600万人のユーザーを持つ・・・」という説明がメディアでなされているが、どうも信じられない。

国内ユーザー数8600万人というのはLINEが発表している数字だろうが、これは全国の15歳以上すべての77%にあたる。12歳以上に対象を広げても73%だ。日本全土のほぼ4人に3人がLINEユーザーということになるが・・・。

総務省が2021年6月に発表した「通信利用動向調査」によると、2020年度の日本国内のスマホの利用率は下図のように68.2%である。しかもこの数字は「無回答」を除いたものなので、実数はそれより低い可能性が高い。

先のLINEの国内ユーザーが8600万人というのとは辻褄が合わない。


2021年12月6日

DXは、デラックスだ

最相さんの『辛口サイショーの人生案内DX』(ミシマ社)が面白かった。


新聞に連載されていた人生相談をもとに再構成したもので、相談の中身はもちろん真面目なものばかりなので「面白かった」という感想は不謹慎に聞こえるかも知れないが、最相さんの相談者の甘えをぶった切る回答姿勢は新鮮だった。

ところで、この本のタイトルのDXには<デラックス>とルビが振ってある。今流行りのデジタル・トランスフォーメーションではないところが昭和で、僕が気に入ったところ。

そもそも、今ごろデジタル・トランスフォーメーションが重要などといって口角泡を飛ばしている国家も企業も、それだけで自分たちが既に周回遅れなのが分かってるのかね。

たとえば承認プロセスのハンコをどうやってなくすかとか、紙の書類を電子化して効率化を図るなんてことを経営者が考えている段階でアウトだ。沈みゆくタイタニック号の甲板の上でデッキチェアをきれいに並び直しているようなもの。やってる感はあるが、それだけ。

大切なのはMX、つまりマネジメント・ トランスフォーメーションなのだよ。

たとえよく切れる包丁を手にしたからといって、それで素人がいっちょまえの板前仕事ができるわけではない。優れた料理の提供に必要なのは、そして繁盛する店をやり繰りするのは、客が何を欲しがっているかという理解とそれに応える技術、そして豊かな経験と想像力なのだ。 

それをなしに、日本の経営者は、何か「魔法の道具」さえ手に入れればすべてうまくゆくと考えてはいないだろうか。

2021年11月28日

財政破綻に向かう日本

なぜ日本の財政破綻が避けられないのか、以下の記事はとても分かりやすくその理由と現在の日本の状況を説明してくれている。

https://toyokeizai.net/articles/-/471734

一方で、元イェール大学教授の浜田宏一など、有力な経済学者に日本はどれだけ国債を発行しても「理論的に」破綻はしないと以前から説く人たちもいる。 浜田はアベノミクスの理論的支柱でもあった人物で、元内閣官房参与だった。

「日本政府は自国通貨を発行しているので破産することはありません」という彼の一貫した主張に強い疑問を持っていた僕には、慶應大学の木幡による先の説明の方が明らかにスジが通っているように思える。

2021年11月26日

目的もなく誰かと会ってずっと喋っている

作曲家の池辺晋一郎さんが、若かりし頃を思い出してこんなことを話していた。

特に目的もなく、誰かと飲んだりしゃべったりする時間からどれほどの人生の滋養がえられるか。その時には、これが自分を太らせてくれるなんて思いもしないんだけど、少なくとも、僕はそういう世界に育てられてきたんです。

自分が若かったころ、つくづく閑だったと思う。特に学生時代は、大学に行っても教室に向かうわけでなく、近くの喫茶店や部室で誰彼ともなく一緒にほんとにダラダラダラダラ話をしていた。

それが何を自分に残したのか、そんなものがあったのかさえ判然としないが、ただそうした中で自分以外の人間とどう話を合わせていくか、意識しているわけではないが相手をどう理解するかなど考えていたのかも知れない。 

今、そんなことをしている若者を見ることはあまりない。昔ながらの居心地のいい喫茶店が減っているのは一因だろう。以前に比べ、空いた時間を潰す手段もたくさんできた。面と向かって本音を話すより、スマホで書き込んだ方が気楽に思えるからというのもあるだろう。

だから激論になって、思わずテーブルをどんと叩いたり、ましてやコップの水を相手の顔にぶっかけるなんてことはあり得ないんだろうね。(まったく自慢じゃないが、ぼくは昔やったことがある)

先日、駅前のレストランを昼食を取っていたとき、隣のテーブルには若い男女4人組がいて(最初は彼らの存在にすら気づかなかった)、それら4人ともが下を向きスマホをいじっていた。まったく会話がない。いまでは珍しい風景ではないけど、つい「お前ら、せっかくなんだから何か話でもしろよ」 と言ってやりたくなった。

色んなものが薄まってきた。淡泊であっさりも悪くはないが、気持が太る機会がますますなくなっているように思う。

2021年11月22日

市場規模予測はどのくらい信頼できるのか

ニュースの中で日常的に見聞きする市場規模予測。

コンサルティング会社のデロイトによると、世界の顔認証関連の市場規模は25年に85億ドル(約1兆円)となり、20年の38億ドルから倍以上になると予想されている。
今日の新聞紙面からだ。読んだ読者は、へぇ〜とその規模の大きさにちょっと驚いたりするんだろう。だけど、まとなビジネスマンなら、本当はこれってまずは疑ってかかった方がいい。

まず、顔認証関連の、って言われても、何がどこまで関連領域なのかまったく不明だ。だから、その数字の信憑性も不明のはず。

先のことなんかよく分からないんだから、新聞記者ももう少しおずおずと、そしていじいじと語ってくれればそういうもんだと思えるのだけど、こうもしれっと言われると、一般の読者はそうなんだろうと勝手に思い込んでしまう。

その数字をはじき出したのが誰なのか表に出るわけでなく、5年や10年後にその推計がどのくらい当たっていたかなんて誰も気にしないと分かっているから、あっけらかんとしたもんだ。 

少なくとも一応はその数字に至った計算式とその前提があるはず。市場予測を発表するコンサル会社は、それを公表すべきだ。そして、メディアはそうした数字を記事に用いるのであれば、読者がそれを確認できるように参照先サイトをQRコードで示すか、ウェブ上でURLを表記すべきだ。

読者に対するそうした配慮がなされないまま、無根拠としか言えないような市場規模予測がニュースでまかり通っているというお話。

2021年11月21日

南の空に


木星、土星、金星がほぼ一列に並んだ。北緯24度。いつもと星の見え方がこんなに違う。

南の海で

透き通るような海。軽石は漂着していない。

2021年11月20日

マスク顔で人を迎えるということ

飛行機に搭乗したのは、昨年の2月以来のことだ。

早朝、羽田空港で全日空機に乗り込んだ。搭乗機の入口で乗客を迎えてくれるCAと軽く挨拶を交わす。これまでも何度となく行ってることだけど、なんか違う印象が残った。何だろう・・・。

予約した席が後方窓口だったので、そこへ向かう途中にも何人かのCAと挨拶をかわす。そこで気がついた。アイコンタクトの時間が以前と比べて長い。加えて、その時の目に力がこもっている。

コロナ感染対策でCAらも全員マスクをしている状況で、彼女たちが自然にそうするようになったのか、あるいは会社の考えからそう指導されているのか知らないが、マスクで半分以上隠れた顔でお客を迎えるための工夫だ。

2021年11月17日

大学内の研究職名の多さに驚いた

来年4月に、大学の教職員証(IDカード)を一斉に新しくするので写真を提出するようにと人事課から連絡があった。 

彼らの説明によると、2022年3月31日時点で以下の職名で仕事を継続する人は、必ず手続きをするようにとしている。それらは、

教授
准教授
講師(専任)
特任教授
教授(テニュアトラック)
准教授(テニュアトラック)
講師(テニュアトラック)
教授(任期付)
准教授(任期付)
講師(任期付)
助教
助手
特任研究教授
上級研究員
主任研究員
次席研究員
研究助手、だそうだ。

こんなに多種な肩書きが大学内にあったなんて、これまで僕は気がつかなかった。このリストを見ると、たとえば教授といっても種類が5つある。

このヒエラルキーのあり方は、役所内の官僚的序列よりも酷かったりして・・・。以前はこうではなかったように思うのだけど、いつからこうなったんだろう。

2021年11月16日

95年間働き続けるエレベーター

所用で午後から日帰りで京都へ行った。

用件を済ませた後、下鴨神社の近くから四条大橋まで鴨川沿いを歩く。今日は寒くも暑くもなく、川沿いの公園では多くの人々がのんびりと読書したり、散歩を楽しんでいた。

橋のたもとにある東華菜館に初めて入った。目当ては、大正15年(1926年)から動いているエレベータ。米オーティス社製で、95年前に船で運ばれてきた。

動き続くように頻繁にメインテナンスを施していると、エレベータボーイならぬエレベータおじさんが言っていたが、オーティスもよく部品を絶やさないでいると感心する。

東華菜館2階から南座を見下ろす

日本脱出おめでとう

皇族のお嬢さんが結婚し、早々に二人でニューヨークへ渡ったとか。

人ごとながら、よかったと思う。

ニューヨークは楽しいよ。彼の方はマンハッタンにあるロースクールに通っていたらしいから、現地での生活の仕方も分かってるだろうしね。

とにかくNYではみんな勝手に、自由に生きている。それが当たり前、それが自然に行われている。どこかの国のように、つまんないことであれこれヘンな口を挟む人はいない。いても、それは一部の特殊なヘンな人たちだから放っておけば済む。

日本を脱出して、今はさぞ清々した気分に違いない。

2021年11月15日

青木雄二の慧眼

あの『ナニワ金融道』で一世を風靡した異色の漫画家、青木雄二が『僕が最後に言い残したかったこと』(小学館)のなかでこんなことを語っているのを見つけた。

僕が思うに、間違いなくマルクスは復活してくる。多分、最初は西ヨーロッパで、その動きが出てくるでしょう。だけど、さっきも言ったように、日本で最初に復活しても不思議ではない。・・・ 非常にゆっくりと少しずつ、社会主義体制への動きが活発になるはずや。僕は多分、エコロジー関係の問題に絡んでマルクス主義の復活が始まるような気がするで。

青木がこれを語ったのは2003年のこと。斎藤幸平『人新生の「資本論」』(集英社)に先立つこと17年だ。

2021年11月13日

ジェニファー・ハドソンがアレサ・フランクリンに乗り移った『リスペクト』

『リスペクト』は、「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンを描いた作品。3年前に亡くなったアレサをジェニファー・ハドソンが演じているが、とにかく歌唱がすごい。

 
『ドリーム・ガールズ』でも見る者、聞く者を魅了したが、彼女の歌はこの映画ではそれ以上だ。実際、アレサの葬儀で彼女はアレサを悼みながら「アメイジング・グレイス」を歌った。

牧師の娘に生まれ、教会でゴスペルとともに育ったアレサが「神」について歌い、語るとき、無神論者のぼくも一瞬、神の存在を信じたくなったほど。声のちから、歌のちからを今一度思い起こさせられた。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとの交流や、60年代のアメリカの公民権運動のなかで彼が暗殺されたときのことなども紹介されているのは、BLMの流れが米国で定着してきたことの表れか。

劇中、アレサの父親(デトロイトの有力な牧師)をフォレスト・ウィッテイカーが演じていたが、彼がマーティン・ルーサー・キングJr. が殺されたあと、「多く(の黒人牧師)が彼の後がまを狙っている」と言ったのが妙に記憶に残った。

そうした黒人を巡る当時の世相も織り込みながらということなのだろうが、とにかくそうした時代変革の背景もあってか、60年代から70年代には素晴らしい音楽がたくさん作られたのが分かる。

映画のタイトルにもなった「リスペクト」は、元のオーティス・レディング版とはまったく印象が違うアレサ版ともいえるもの。 フリーダム♪ フリーダム♪ とシャウトするアレサのオリジナルの「シンク」。そしてキャロル・キング作の「ナチュラル・ウーマン」など、どれも素晴らしい。

この映画では、強権的だった父親やマネージャーとして彼女を支配し続けた夫など、多くの男たちからの束縛と抑圧から一人の人間として解き放たれたいと願う一人の黒人女性が描かれている。

2021年11月10日

イノベーションから取り残される日本

ひと月半ほど前になるが、国連の専門機関のひとつWIPO(世界知的所有権機関)がグローバル・イノベーション・インデックス2021年版を発表した。以下がその上位10ヵ国だ。

今年もスイスが1位。日本のお隣の韓国は5位に入っている。米国とアジアからランクインした韓国とシンガポールを除いた7ヵ国は、すべて欧州勢だ。中国は12位。日本はその後塵を拝して13位となっている。

https://www.wipo.int/pressroom/ja/articles/2021/article_0008.html

このランキングがどれだけのことを語っているかという点はあるが、どうも日本は「イノベーション、イノベーション」と誰も彼もが叫ぶ割に、肝心のイノベーションが生まれていない。一体、何が問題なんだろう。

明治維新から150年経っても日本人にタキシードが似合わないように、イノベーションも本来的に日本人に似合わないのか。

2021年11月8日

山崎デルス

『文藝春秋』の巻頭随筆に、「漫画家の母を見つめて」と題された文章が掲載されていた。筆者は、漫画家のヤマザキマリの息子だ。仕事はフリーランスカメラマンとなっている。

ヤマザキが、黒澤明が旧ソ連で制作した映画『デルス・ウザーラ』(1975年公開)に感動して息子にデルスと名付けたと読んだことがある。いい名前だ。

その彼が、母であるヤマザキマリと義理の父のベッピの間で両者を眺め、そのなかから忙しさなどにへこたれず仕事に邁進する母への尊敬の思いを書いている。

何と言っても掲載誌が文藝春秋だから、原稿はおそらくヤマザキマリが事前に読んでチェックしたのかどうかなどと妙なことを気にしながら読んだが、素直な文章は母親譲りなんだろう。

苦労人で、そして才能豊かな母親としてブレイディみかこも忘れてはいけない。「ブルー」という単語はどんな感情を意味するか、という国語の先生の質問に間違った答えを書いてしまったあと、ノートの右隅に「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と落書きした彼女の息子もきっと面白い書き手になると思っている。

2021年11月7日

「リスキリング」て何だ

またぞろ、ヘンなカタカナ言葉を新聞などで目にするようになった。<リスキリング>という言葉だ。技術、技能を表す英語の名詞 skill がもとになっている。

新聞などで「リスキリング(学び直し)」と書かれているが、どうして「学び直し」じゃダメなのか。

その例としてよく紹介されるのが、米アマゾンの事例だ。同社は、2025年までに米アマゾンの従業員10万人に対しリスキリングすると発表した。一人当たり約75万円の教育投資を行うことで、非技術系人材を技術職に移行させる「アマゾン・テクニカル・アカデミー」、IT系エンジニアがAI等の高度スキルを獲得するための「マシン・ラーニング・ユニバーシティ」などを実施するとしている。

米アマゾン一社だけでも750億円の金が動くわけだから、それを目当てにリスキリングの旗を振り始めた有象無象が現れるわけだ。 

日本では、日立製作所が国内グループ企業の全社員約16万人を対象にDX基礎教育を実施すると発表している。

教育関連企業やコンサルティング会社を中心に、「社長さん! リスキリングに乗り遅れてますよ、おたく」といったセールス・トークが方々でなされているのだろうが、何がどうなればリスキリングとやらが「できた」状態になるのか何も語られておらず、さっぱり分からないのが現状だ。

リスキリングを触れ回っている連中は、どうも「オオカミが来た!」と叫び、ナイーブな日本人を惑わしているだけのように見える。

企業にとって大切なことは、そうした流言飛語と見紛う扇動に容易に乗せられないこと。360度の情報を集めて状況を判断し、自分の頭で何をやるべきか考えること。それができない人たちは、またしてもカモにされて終わるだけである。

だいたいが、事情通を気取ってこうしたカタカナ言葉を振り回す連中にろくな奴はいない。

リスキリング(学び直し)に乗せられようとしている経営者は、まずはリシンキング(考え直し)した方がよいと思うよ、ほんと。

2021年11月2日

ますます硬直化する日本

衆院選の結果、465人の当選者が決定した。それら議員の男女比率は、男性82%に対して女性は18%。年代で見ると、70〜80歳台がまだ9%いる一方で、20〜30歳台はわずか5%しかいない。20代で当選した候補は一人だけだった。

そんな今回の選挙結果を受け、経団連の会長(住友化学社長)は自民党の絶対安定と政策の継続を歓迎したとか。日本の経済界は表層ではいろいろ言っても、結局は社会の変革など何も求めていないのが分かる。

東京都職員とプラカード

先週のこと、地下鉄東西線の大手町駅に「行幸地下ワクチン接種会場はこちら」という表示を持って立っている人がいた。40代半ばくらいの男性で、首から都職員のIDカードをぶら下げている。

何だろ?と思い、それってどこにあるんですか?と訪ねると、丸の内側の地下一帯だという。地下鉄大手町駅は八重洲口だから、東京駅の反対側だ。そこに現在大規模接種会場を設置し、いまなら予約なしでワクチン接種を受けられるという。

僕自身は接種済みなので直接の関係はないが、横浜市に住んでいる学生で自治体による接種をまだ受けられていないと言っていた学生のことを思い出した。なぜ彼が予約をまだ取れないのかよく分からないところがあるのだが、いずれにせよ未接種のままでは周囲にも迷惑をかけることになる。

そこで、会場表示のプラカードを持って立っている都職員に、都外の人間でも受けられるのか尋ねたところ、都内在住か、あるいは都内に勤務じゃないとダメだという。じゃあ、都内の大学に通学している学生はどうなのか聞いたら「さあ」と。分からないらしい。

当然、その場で都庁に電話を入れるなりして確認してくれると思ったら、あっさり「ホームページかなにかで調べてください」と言われてしまった。

大勢の市民が行き交うところにプラカード持って立ってるのだから、もともとそのくらいの情報は持っているのが当然だと思うのだけど。

「自分で調べて」と言うのなら、40男が立っている必要はない。東京都職員の給料は高いんだから。学生バイトに任せなさい。

2021年10月31日

衆院選投票日

時折雨が降った日曜日だった。昼過ぎに投票会場になっている近くの小学校に行くと、思いもよらず長蛇の列。

「最後尾はこちら」のプラカードを持っている女性に、どのくらいかかるか訊いてみたら20分ほどだろうとの返答。会場の体育館から学校の門まで投票に訪れた人たちがずーと並んでいた。

何か読み物を持って来ればよかったと思ったこともあって、出直すことにした。そして夕方、雨が止んだのを見て、再度投票所に出かけた。列の様子は昼間とほぼ同じ、長蛇の列である。

こんなの初めてだが、それだけ有権者が高い投票意識を持っているのなら結構なことと自分に言い聞かせた。

夜8時から開票が始まり、テレビ局はどこも開票速報を報じる選挙特番を流している。なかでも面白いのが、爆笑問題の太田が政治家とやり取りしていたTBSの番組だ。

自民党の二階前幹事長に「人相が悪いんですけど怒ってますか?」と切り込み、「いつまで政治家続けるつもりですか?」と突っ込みをかまし、二階を「お前失礼だよ!」と怒らせてたので、おもわず笑ってしまった。

2021年10月30日

衰退途上国 ニッポン

テレビの報道番組で、経済学者の野口悠紀雄さんが日本はもう先進国ではなく、衰退途上国だと語っていた。僕自身、10年前の3・11以来ずっと感じていたことだ。各種のデータもそのことを示している。

たとえば経済成長率、平均給与の伸び率、株価、国の競争力、科学技術分野の研究業績、ジェンダーギャップ指数など、日本の相対的位置づけは明らかに低迷を続けている。

日本は1975年の第1回からG7会議の加盟国だが、いずれG7のメンバーから外されても不思議ではない。主要先進国から衰退途上国へポジションが変わったのだから。

もともと英語もできず、原稿がなければスピーチすらできないこの国の首相がG7の会合に参加しても存在感などなかった。いてもいなくても同じだったから、他国の代表は日本がそこから消えても誰も気にしないだろう。

明日、衆議院議員総選挙が行われるが、どうやってもコップの中の嵐だ。20年後のこの国の姿を描いてみせる政治家がいない。

フェイスブックの内部告発

元FBの社員、フランシス・ホーゲンさんがCBS「60 Minutes」のインタビューに続き、米国上院の公聴会で証言した。


彼女の証言を聞くと、フェイスブック社がやっていることはFBやインスタグラムで子供や女性らを傷つけ、社会の厚生を無視し、さらに民主主義に脅威を与える極めて悪質なことだというのがよく分かる。

どういった経緯で彼女がここまで立ち上がらなければならなくなったのか知らないが、たぶん社内でいくら声を上げ自分たちの誤りを正そうとしても、埒があかなかったからだろう。

利益を最大化するためには平気でウソをつくことを厭わず、醜悪なものが目前にあるのに見ない振りをし、知らぬ存ぜぬで見え透いたきれいごとを口走るバッカーザーグ、いやザッカーバーグへの鉄槌だ。 

公聴会のライブ録画

2021年10月29日

若い銀行員たち

駅前のM銀行で貸金庫を契約した。間違いなく来る大型地震への備えのひとつだ。

最初、電話で利用を申し込むと、審査があるのでまず一度来店してくれと言われた。銀行の担当者が相手の人物を<見る>らしい。面倒だが仕方なく銀行通帳と身分証明書をポケットに出向いたら、まだ学校を出たばかりと窺える若い女性行員から横柄としか思えない極めて事務的な対応を受けた。

客にとって効率的に手続きが進む事務的対応ならまだしも、時間を約束して店を訪ねたにもかかわらず何も準備しておらず、こちらが行ってから必要書類などを1つずつ揃えていく。客が目の前で待っているのだけど、眼中にないみたいだ。意識は、おそらく会社の先輩と上司に向かっている。

こうしたどこを見ているか分からない若い行員の「眼力」を試すために、わざわざ店まで客を呼びつけるなよ。

紙を1枚渡され、名前、住所、連絡先、携帯番号、勤務先名、勤務先での役職、勤務先住所などを記入させられる。で、「一週間ほどで審査結果が出ます」と告げられた。その結果が出なければ次の手続きは進まない。

10日ほどして審査に通ったという連絡があり、再度予約をして銀行の店舗を訪ねた(どうして銀行はいまだに窓口が午後3時までなのか?)。今回が正規の利用申込で、何枚もの書類に個人情報を記入させられる。すべての書類に口座開設時に届出したハンコを捺印していく。

手元の書類に判を押しながら「オタクではDXっての、何かやってるの?」 と聞いてみると、入行3年目というお客さま相談課のS林君は「本社ではいろいろ始めているみたいです」と。

「ハンコ、無くなりそう?」と尋ねると、「無理でしょうね」と彼。「こんなことお客さんにいつまでもやらせていると、そのうち誰も銀行使わなくなって、代わりに日々の決済なんかヤフーとか楽天でみんな済ますようになるよ」と言ったら、彼は「そうでしょうね(分かってるじゃない!)、でも僕が働いているうちは大丈夫だと思います(エエッ!)」だって。 

入社3年目がこれだから、銀行幹部のおじさんたちの頭の中は推して知るべし。銀行はなくなっても仕方ないけど、貸金庫の中身はなくさないように。

2021年10月28日

夜のコンビニカウンターで。

自宅のすぐ近くに大手コンビニチェーンの店があって、重宝している。

今日は、大学からの帰宅途中にビールを買いに立ち寄った。時間は夜の11時を過ぎていた。お客さんは僕の他には若いカップルがひと組だけ。アイスクリームのケースをのぞいている。

僕が精算カウンターに行くと、奥で揚げ物を作っていたA達君が出てきた。「いらっしゃいませ」「こんばんは」といつものように挨拶をかわす。

支払いをしながら「朝9時まで?」、と以前彼から聞いたことのある仕事明けの時間を尋ねると、「はい ・・・ 実は今日はお昼からずっとなんです」

「えっ! 何時間の勤務になるの?」と訊ねたら、下を向いて指を折って数え始め「20時間です」とこちらを向いた。

「ずっと一人で?」、「はい、ワンオペです」と彼。午後1時から働き始め、翌朝の9時まで一人でコンビニのすべての業務を行うという。

その間、代わりのスタッフはいないから、食事も落ち着いてとれない。トイレもゆっくりすますことはできない。お客さんがいないときは体を休ませるようにしていると言ったけど、横になって眠ることはできないはずだ。

とにかく人手が足りないらしい。彼はアルバイトなのだが、端で見ていても真面目でよく働くから店主から都合良くシフトを頼られてしまうのかもしれない。

「大丈夫ですよ、もう慣れてますから。37時間働いたこともありますから」と話してくれた。

そうやってまで働く彼には彼の事情があるのかもしれないと思いつつも、コンビニエンス(便利)ストアってもうここまで営業しなくてもいいと思わないでいられない気持になった。そもそも労働基準法に違反している。

ある時期まで、夜間にそのコンビニに行くとオーナーらしき50代後半の男性が店番をしていたが、最近は見なくなった。 何かあったのかもしれないし、ただ疲れただけなのかもしれない。

どちらにしても、もうコンビニの24時間営業もA達君も限界にきている。なんとかならないものか。

2021年10月27日

DHLの劇場用CM

 
劇場で見てよくできてると思ったら、このCMのカメラは映画『007/ノー・タイム・トゥー・ダイ』の撮影監督で、アストンマーチンDB5を運転しているのも同映画のスタント・ドライバーだった。

この頃見る広告は、CMも印刷媒体もウェブもどれもこれもつまらなくなったと思ってたけど、優れたアイデアといいスタッフを集めてちゃんと作ればこんなイカシタCMができる。

2021年10月26日

梅の開花

 
近くの公園で梅が咲いていた。まだ10月なのに。梅の開花時期は、一般的には1月下旬頃から。地域や品種により前後するが、それにしても早い。 

2021年10月20日

シンクロニシティ

夕食後、テレビのニュースを見ながら、実際は聞きながら、いつものように本を読んでいた。

『拡張するキュレーション』という新書を片手でめくり、155ページに掲載されてるバンクシーの「風船と少女」に目が行ったとき、テレビでバンクシーのまさに同じ作品がオークションで141億円の値がついたというニュース映像が画面に現れた。

この本でバンクシーのことが記されているのはこの前後の数ページで、「風船と少女」が掲載されているのはこのページのみ。

びっくり⁉️  完璧なシンクロニシティだ。

 

2021年10月19日

真鍋淑郎さんの発言について

2021年のノーベル物理学賞をプリンストン大学の真鍋淑郎博士が受賞した。

彼は大学院修了後に日本の気象庁に入ろうとしたが採用されず、アメリカの気象局に就職した。その後、アメリカで地球温暖化対策につながる気候変動の予測モデルを開発し、今回、ドイツの研究者とともにノーベル物理学賞を受賞した。

真鍋さんは、受賞後のインタビューで日本に帰りたくないと語った。「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と冗談めかしたが、その本音をわれわれは考えなければいけない。

彼は帰りたくない理由として、「日本では人々はいつも他人を邪魔しないように気遣っています。とても調和的な関係を作っています」と述べ、一方アメリカでは「自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかにも気にする必要がありません」と比較して語った。

「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と明言した。

90歳になる真鍋さんは、ご自身が米国籍を取られたこともあり、もう日本については諦めているのかもしれない。 

ノーベル賞を受賞した碩学のこの発言の内容だが、その後国内でこのことはほとんど議論されていないように思う。半世紀以上も海外から日本を眺めてきた科学者のこの「観察」をないがしろにすることは、日本全体がガラパゴス化をさらに深めることにつながる。

本当は、彼のこの発言はとても重いはずなんだけど。

真鍋淑郎さん

2021年10月16日

秩序築けぬ日本のネット広告業界

閲覧数(サイトへのアクセス)を不当に水増しして、それで不当な広告費をだまし取る広告詐欺(「アドフラウ」と呼ばれている)の被害が以前にまして深刻化している。 

今日の新聞が社会面において7段抜きで報じた。

 
米国の広告監査機関が調査したところでは、日本のネット広告における広告詐欺の割合は世界の主要20ヵ国のなかでも最悪の状態であることが分かった。不正の割合が主要20ヵ国の平均値に比べて約4倍、米国と比べて約2倍だった。

ひとつの理由として、広告主(企業)側の姿勢が指摘されている。自分たちの広告がどういったサイト(メディア)に掲載されているかという質への関心にまして、どれだけ安い単価でより多く配信されるかを重視しているがために足下を掬われているということ。つまり、広告主側のマーケティング意識の欠如だ。

もうひとつは、そうした広告主の考えを逆手にとったネット広告業界側の不正行為の継続である。典型的な例は、とにかくアクセス数を増やすことを目的にしたボットを使った不適切で無意味なサイトへの重点的アクセスだ。

いつまで経ってもこうした不正がなくらならないだけでなく増加する要因としては、根本がおかしくなっているネット広告業界の構造的な問題がある。

2000年を過ぎてから、企業による広告媒体の利用が従来のマスメディアからネット利用へと大きく変化してきたが、そろそろ現状の問題の深刻さに気づいた広告主は本格的な再考を始めている。

2021年10月15日

またインバウンドか

コロナ感染者数の一応の減少によって緊急事態宣言が解かれ、人の動きが増してきたように思う。

酒を提供できなかった飲食店でもやっと食事と一緒に飲めるようになった。アルコール提供の自粛、閉店時間午後8時の要請、そうしたことが実際に感染拡大防止にどれだけ役に立ったのか、僕は強く疑っている。

結果オーライで、感染者数が減ったのだから良かった正しかったんじゃないかというのではダメ。

そろそろ、また旅行業界が政府に泣きつき始めた。Go To トラベルを早く再開しろと。

多くの人々の気持の中には、出かけたい、旅行したい、という思いがふつふつと甦ってきているはず。それにただ弾みを付けるためだけに、一部の企業や関係者にだけ恩恵が向かう政策に多額の税金をこれ以上流し込むべきではない。

旅行や移動を制限されていたから、人々は旅行しなかった。その制約がなくなれば、放っておいても人は旅行という行動をとるのは間違いない。それに、さらに税金で自分らを潤せというのは欲が深すぎるんじゃないの。

消費者の行動の抑制で厳しいビジネス環境で耐えることを強いられたのは、なにもホテルや旅館、交通機関だけじゃない。

音楽、演劇、ダンスなどのライブ・エンターテイメントは、公演の場をずっと失っていた。病院は、一般患者の通院や健康診断の受診数が減少して収益を確保するのが大変だったはず。

もちろん飲食店もだ。僕が贔屓にしている近くの日本料理店は、先月末で緊急事態宣言が解除されるまで、この1年間で営業できた(店を開店した)のは3週間にも満たなかったと言っていた。

ある大手ホテル&リゾートの経営者が、インバウンドが期待できないのだから早々にまたGo To をやってくれなければ困る、と恥ずかしげもなく主張してたが、自分たちのことだけでなく少し広い目で社会を見たらどうだ。

先に述べた通り、人々の気持ちの中には旅行をしたいという感情と欲求がわいているのは間違いないのだから、旅行ビジネスに携わる人たちは、ただ政府に補助金政策で後押ししてくれと訴えるのではなく、業界挙げて旅や旅行の愉しさや本来の喜びを国民に伝える工夫をしたらどうだ。

自分で頭を使うことをせず、いきなり「補助金ちょーだい」というところが、日本の旅館業界のレベルの低さを象徴している。

そのうち、業界からも国交省を中心とした政府関係者からもまた「インバウンド」の合唱が始まることだろう。

インバウンドについて、先日、作家の北方謙三さんがこう書いていた。

インバウンドとは、どういう意味なのかな。もし外国人旅行者のことを言うのなら、そのまま日本語で言った方が、はるかに分かりやすくないか。(中略)日本語で言えないので、インバウンドなどと言ったりするのだろう。インバウンドが外国人旅行者だとしたら、それほど日本人にとって不都合な人たちになるのか。いやだなあ。私は、ほんとうにいやだよ。

その通り、本当にいやだね。「インバウンド」はひとつの例で、そのほかにも流行り言葉を自分で吟味することなくそのままカタカナで表現して、括弧のなかで日本語で説明するなど、各メディアの見識のなさが目立つこの頃だ。

2021年10月14日

紙とペンが一番だった

言語脳科学を専門とする東大の先生が、情報を記録するツールと記憶に関しての実験を行った。

学生を手帳群(手書き)、タブレット群(電子ペン入力)、スマホ群(フリック入力)の3群に分けて、記憶力の差を図ることを目的にある課題に取り組ませた。

その結果として、記憶を想起する際の脳の活動をMRIで測定してみたところ、手帳に手書きしたグループが他の2グループに比べて「豊富で深い記憶情報を取り出せる」ことが明らかになった。

その理由として上げられているのは、紙には思い出すための「手がかり」が多いということ。手帳のどのあたりのページのどのあたりの場所に書いたか、何色のボールペンで書いたか、丸で囲ったかどうかなど、空間情報や色の形の情報が記憶に残るから。

ダブレットに電子ペンを使って記録しても同様かと思うかも知れないが、タブレットではどのあたりのページといった物的な感覚はあまり備えていない。

いまだに記録にはノートと手帳が手放せない僕としては、これまでそうじゃないかと思っていたことが、まだ1つの実験結果だけだけどこうして実証されたことに少しほっとしてる。

2021年10月13日

DXのためのDXになってないか

世の中、デジタルらしい。

教育の場でもデジタルが流行りだ。ハイブリッドとかハイフレックスとか、コロナは収まってきたのに一旦走り始めたこちらは収まろうとはせず、エスカレートしている。

授業を録画してアーカイブに入れてまた利用できるようにした方がいいとか、オンデマンドで学生がいつでも授業を見られるようにすべきだとか、いろいろ。

会議の席で大学の教員から、大学内に授業用動画収録のための本格的なスタジオを作るべきだとの提案があった。なんでもこれからは映像の「クオリティ」が重要だからとか。被写体のクオリティはどうすんねん、と思わず突っ込みかけた。 

他の大学(多くの場合、海外の有力校)を例に引いて、もっとDXを積極的に推し進めるべきだと何も迷わず主張する人たちがいるのにも驚く。やろうとしていることは、DXのためのDX。本来の目的はどこへやらである。だから、世の中の動向を一向だにせず、どこかで見た海外の先進的な事例を自分たちのモデルと考える。

一方でオンラインでのPCスクリーン越しの授業に慣れた学生は、本当かどうか分からない理由を掲げてリモートでの受講を求める。教室まで来るのが面倒臭くなっているのだろう。

どっちもどっち。DXだかデトックスだか知らないが、そんなことやってて新しい知が生まれるはずはない。逆に人の思考力がかすれていくだけのような気がする。

2021年10月12日

失礼なのはそっちだ

『文藝春秋』に財務事務次官の矢野氏が寄稿した「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」が波紋を拡げているようだ。 

この記事、分かりやすく十分納得のいくものである。数日前にこのブログで拡大が止まらない財政赤字について書いたとき、参考にさせてもらった。

彼が書くように、政治家は無為なバラマキ政策をあらためて、財政を立て直す意識を持たなければならないと思う。ジャカスカ国債を発行すればよいというものではない。恩恵にあずかる連中はウハウハだろうが、ツケは必ず後に回ってくる。誰かのところに。 

後々の世代に思いを向ける意識が少しでもあれば、目の前に出されたマシュマロを後先考えずに口に放り込む愚かさに気づくと思うのだけど。

『文藝春秋』のその記事に、自民党政調会長の高市早苗が「大変失礼な言い方だ」とテレビ番組(NHK「日曜討論」)の中で噛みついた。

ん? 何言っているんだろう、この人。「失礼」とは

【失礼】礼儀を欠く振る舞いをする・こと(さま)。失敬。無作法。「―なことを言う」「―のないようにもてなす」「先日は―しました」「ちょっと前を―します」

つまり、彼女が「失礼」と感じたのは、役人が自分と違う考え方を口にしたことが彼女にとって礼儀を欠いていることを指している。

自分は違う考え方なのであれば、それを説明すればよい。立場の上下の問題ではない。彼女にとっては、自分と考えが異なる人は「失礼」な人になるんだろう。

また彼女は、続けてこんなことを語った。

基礎的財政支出にこだわって本当に困っている人を助けない。未来を担う子供たちに投資しない。こんな馬鹿げた話はない
ん? 困っている人を助けなくていいとか、子供への投資を控えるとか、そうした話は先の『文藝春秋』の記事中に一言も書かれてはいない。

どうやったら、こんなに思い込みが強くなるんだろう。

また、上記にあるように、彼女は「分配(政策)で消費マインドを高めていけば税収となって返ってくる。総合的に考えていただきたい」と言ったようだが、これまで散々バラマキをやっても消費マインドはあがっていない。

安倍が行った10万円一律給付がどのように使われたか検証したのか。仕事を長期間失った人や、子供を抱えたシングル・マザーなどの人たちの生活を一時救う手立てになったが、国民全体の消費マインドを刺激して経済成長を押し上げるようなことにはまったくつながっていない。

国民のおよそ7割は、それを貯えに回したとの調査結果がある。そりゃそうだろうな。小学生がお年玉をもらったのとは違うんだから。一方で、生活が立ちゆかず経済的な支援を心底必要としている人たちには、10万円ではあまりに少なすぎる。

必要としている人に、必要なものを、必要とする形で手助けする。政府は本気で、心してそれを実施するべきだろう。

菅が行ったGo To トラベルで商売が上向いた関係企業のほとんどは、一部の高級旅館や高級ホテルだった。その利用者はといえば、金も時間も十分にあるシニア世代が中心だ。税金で補填してやらなくても大丈夫な連中ばかりじゃないか。

一方、新型コロナ感染拡大の影響でアルバイトやパートの仕事を切られ、生活に困窮し始めた人たちは旅行など行けるはずもなく。また当然ながら、感染者と休みなく向き合って働いていた医療関係者にも、そんな夢のような話はまったく縁がなかった。 

こうして1兆円を超す税金が捨てられたようなものだった。

これまでの税金を使った対策は、効果のほとんどない、ただの目先の対処療法的目くらまし対応で、単なる税金のバラマキ(無駄使い)だったわけだ。

2021年10月11日

いつまで夏なんだろう

10月も10日を過ぎたのに、いまも家ではショートパンツと半袖シャツで過ごしている。完全に夏だ。窓を全開にした部屋で、猫は気持よさげに寝てる。


2021年10月10日

1166兆円の借金を忘れるな

日本の新しい総理大臣が言う「新しい日本型資本主義」って何だろうと思っている。 

岸田は「年内に数十兆円規模の経済対策を策定して、国民にともに協力していただける雰囲気を作りたい。そしてその先に、経済、新しい資本主義を構築していきたい」と総裁選直後の会見で語った。

数十兆円が具体的にどのくらいのことか分からないが、今の日本の財政がどうなっているかご存じなのか。

コロナ対策費用に金がかかるのは分かるが、菅がやってたころのGo To 何とかなどはほとんど効果を生まない、特定の政治的意図を実現するためだけの明らかなバラマキだった。

政府はまた、そうしたことをやろうとしているような気がする。総選挙を睨んだ<パンとサーカス>だ。

現在の財政赤字は1166兆円、日本のGDP比での一般政府債務残高は256%にのぼる。これは過去最悪の状況。他の先進国では、たとえばドイツは69%、英国は104%、米国が127%だから、それらと比較しても日本のそれがいかに突出したものかわかる。

2、3日前に千葉を震源とする震度5の地震があった。もし今後、首都直下型地震が発生した場合、死者数万人、家屋の全壊・焼失60万棟、避難者700万人強、そして経済被害額は95兆円と想定されている。また、南海トラフ地震が起きた際の経済的損失は、220兆円と試算されている。

散々バラマキをやって政治家は神経が麻痺しているのかもしれないが、これ以上国の赤字を増やした場合、大地震など何かの拍子に一発でこの国は崩壊に向かう。

これって、心配しすぎだろうか。

日本列島は4つのプレートが切り込む真上にある!

2021年10月9日

ONODAの真実

金曜日に公開された『ONODA』は、フランス人のアルチュール・アラリが脚本を書き、監督した映画だ。

津田寛治が演じるルパング島の小野田さんは、精悍で危なさそうでキャラクターとしては魅力的だ。劇場に足を運ぼうと思いながら、小野田さんについての本を以前買っていたのを思いだし本棚から手に取った。

それは『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』と題する本だが、意外な結論に驚く。著者が書いているのは、あくまで推測である。しかし、状況や時代背景を考えると、十分納得がいくものだ。

その具体的な内容はここでは記さないが、これまで小野田さんはどうして29年間もフィリピンのルパング島にいたのかという謎が解けた気がした。

ルバング島は東西10キロ、南北27キロあまりの島だ。29年間をずっと過ごすには小さすぎる。なぜ脱出しなかったのか。

小野田さんは終戦を知らなかったのでずっと任務を続けていた日本兵士の鏡と評価する向きが多いが、彼は戦前は海外勤務をしていた商社マンで英語が理解でき、フィリピンでの任務の前には陸軍中野学校で諜報の訓練を受けたインテリだった。そして、島の密林に暮らしながらも、食糧や物資の調達のためにフィリピン人の民家に忍び込んでいた彼が、29年間ずっと終戦を知らなかったというのは不自然だ。

彼は終戦のことくらい当然知っていたが、ある<任務> のために世間に出てこれなかったというのがこの本の指摘するところ。

「なあんだ、そうか」というのが正直な読後感だった。おかげで映画を観に行く気が萎えてしまった次第。


2021年10月8日

震度5は警告

昨日、帰宅の途中に千葉県北西部を震源とする地震に遭った。時刻は午後10時41分頃。

 
駅を出て、帰宅途中の食料品店でワインを選んでいるとき、店の中には僕を入れて2人の客、そして男女一人ずつの店員がいた。突然の揺れに、女性店員が叫び声を上げた。

すぐ近くのワイン棚の最上段から赤ワインが床に落ちてボトルがくだけた。一気に立ちこめるワインの香り。飛び散ったガラスを避けるため僕はその場からすぐに離れた。

自宅に戻って玄関を開けたら、普段と雰囲気がちょっと違う。いつもならそこに猫が座って待っている。エレベータの音で帰ってきたのが分かるみたい。だけど、その日は姿が見えない。

廊下に平積みしている本がいくつも倒れていた。それを跨ぎ室内へ。同様に本棚の上に平積みで置いてあった本が床に散乱していた。書斎の本も同様。本棚に収容している本は問題なかったが、平積みしている本が下に落ちていた。

着替えもそこそこに床の本を集めていると、どこからか猫がそろりと姿を見せた。思っていたほど怯えている様子でもなく、ちょっと安心する。

それにしても地震発生が帰宅駅に着いてからでよかったとつくづく思う。東京駅発の下り新幹線最終は、22時48分発だから、それで帰ろうと思っていたらそのままホームに停車している車内で何時間も待たされたはず。

昨日はその一本前、22時12分発の新幹線になんとか間に合ったのでスムーズに帰り着けた。それにしても、22時12分に乗り遅れたら、48分の終電まで36分も空いているJR東海のタイムテーブルは何とかならないものか。

震度5の「周囲の様子と被害」状況は、1996年以前の定義だと「壁が割れ、煙突が壊れたりする」となっているが、今回はそうした話はほとんど聞かなかった。

最近の建造物は、それだけ堅牢なものになったということだろう。建物が地震で崩壊するということは、古い木造建築物以外はないかもしれない。問題は、建物の中で何が起こるかだ。身の危険に及ぶとしたら、家具などに押しつぶされる可能性が一番大きいかもしれない。

震度6や7(最大震度)の地震、それも直下型のものがいつ来てもおかしくない状況である。これを機に、ちゃんとその時の対応に備える準備をしなくてはと思う。

2021年10月5日

グラフは言葉よりストレートに語るから

昨日、おかしな調査結果について少し書いたが、今朝の日経に別の意味でおかしな調査が掲載されていた。プレゼンテーション(表現)についてである。

以下の3つのグラフには、いずれも1980年以降の労働力人口を表す2本(全年齢と64歳以下)の曲線が示されている。

図A


図B

 

図C

図Aは、高齢者雇用についての記事に添えられていた図だ。このグラフをパッと見た限りでは、直近での64歳以下の就業者数と65歳以上の就業者数がほぼ似通ったボリュームと印象づけられる人が多いかもしれない。理屈で考えて<おかしいぞ>と思った人は、グラフの目盛りを見て納得することになる。5000が基点になっているからだ。

同じグラフを試しに5500から初めてみたのが、図Bだ。新聞社が図AをOKとするなら、図BもOKとなるはずだ。むしろ、ここまで見え方をデフォルメすれば、ほとんどの読者は目盛りの付け方に目を向け、意味を正しく理解するかもしれない。しかし図Aなら、ビミョーなところだ。

図Cは基点を0で作図してみたもので、これが本来のグラフである。

人は直感で印象づけられ、それをもとに容易に判断に向かう。グラフは多くの場合、言葉(テキスト)より饒舌で、かつストレートに語る。だからグラフの見せられ方にはつねに注意しないとね。

観天望気

書棚の奥から『実戦・観天望気 山の天気を知る法』(飯田睦治郎著)が出てきた。観天望気を知るきっかけになった本。雲や空の様子から今後の天気の移り変わりを読むコツを教えてくれた本でもある。

雑誌『岳人』を出版していた東京新聞から出版されている。 手元のものは昭和52年発行だから、大学に入って間もなく手に入れたものだ。

学生時代、山に行くときはたいていポケットサイズのラジオと天気図帳をザックに入れていた。山行中、テント場に着くとNHKラジオの気象通報を聞きながらその日の天気図を書き、それと当日の雲の様子から翌日の天気を予想していた。

山に行くことはほとんどなくなったが、今も空や雲を見ない日はない。コロナで自宅に籠もっていたときですらそうだし、出張で海外に行っても決まって同じことをしている。そうした習慣を身につけるきっかけとなった一冊。



2021年10月4日

クズな調査ってこんな調査

社会調査を専門とする谷岡一郎さんが、ニュース上に見る社会調査の問題点を指摘していた。

その中の一つとして彼が取り上げていたのが、プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険が行った調査の結果である。

今年60歳になる男女2,000人へのアンケートをもとにしたもので、その結果の内容は「現段階の貯蓄額は4人に1人が100万円未満で、2,000万円にはとても届かない」というものだった。

2,000万円という参照値は、2019年春に金融庁金融審議会が、95歳まで生きるには夫婦で2,000万円の蓄えが必要と試算した例の数字のことである。

詳しい質問票がないので詳細については推測するしかないが、調査結果の発表内容からだけでもいくつかの点が指摘されている。
 
金融庁の報告書にある2,000万円の蓄えには、現金預金は勿論だがそれ以外の不動産や有価証券なども含まれるはずだ。しかし、この生命保険会社の調査で問われているのは、貯蓄額である。貯蓄額を問われた時、一般的に我々は銀行預金をイメージして回答するはずだ。
 
さらに、この調査での調査対象は今年60歳になる男女2,000人らしいが、そのことはつまり、まだ多くの人は退職金を受け取っていないと考えられる。調査対象者の年齢を何歳か上げて聞いたならば、貯蓄額の平均額は退職金で上がったはずである。
 
さらには、さきほど述べたように、貯蓄額ではなく全ての蓄えがいくらかという問いであれば金額はさらに大きくなったはずだ。
 
調査を行ったこの生命保険会社には、意図的に調査結果の数字を小さく抑えることでそれを目にした人の心配をかきたて、「いざという時のために生命保険に入っている必要がありますよ」と思わせようとした狙いがあったと勘ぐられても仕方がない。
 
ところで、朝日新聞社が出版するAERAという雑誌の編集部が、【独自アンケート速報】として以下のようなアンケート調査結果をウェブ上で掲載していた。
 

 
皇族のあるお嬢さんと彼女のボーイフレンドとの結婚について、それを「祝福する気持ちはあるかどうか」を一般の人に尋ねた調査であり、結果は祝福すると答えた人の比率は5%だったとレポートした。設問は「あなたは今、お二人の結婚を祝福する気持ちはありますか?」だった。
 
この調査の問題点は、誰でもが回答することができるネット上の調査であり、回答者の4分の3が女性に偏っていたこと。もともと自誌の登録ユーザー宛に調査したんだろうか。
 
その調査システムでは、同じ回答者が調査期間中に繰り返し回答することができるようになっていたらしい。
 
こんな調査を調査とは呼ばない。そもそもこのアンケート調査の意味はどこにあるのか。誰が誰と結婚しようが、それは当人らの問題であり、赤の他人がどうこう言うことではないだろう。
 
どこのバカがこの調査を立案したか知らないが、自分が、あるいは自分の家族が結婚を控えていたとして、見ず知らずの新聞社の誰かがその結婚について「祝福する気持ちがあるかどうか」のアンケート調査を行って、その結果を公表したらどんな気持ちになるか。少しでも考えてみたのか。
 
嫌がらせ以外の何ものでもない調査だ。これで自社の雑誌が売れるからとか、サイトアクセスが増えるからとか、面白おかしく記事に仕立てるためだけにこんなクズ調査はやってはいけない。それに、こうしたアンケートに答える方も答える方である。

2021年10月3日

アナザー・ラウンド

今年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品で、映画評での評価もすこぶるいい。デンマーク人のヴィンターベアが監督したデンマークを舞台にした作品だ。アナザー・ラウンドは、酒場では「もう一杯」といった意味。

昨日観た007の映画では、ボンドとパブで飲んでいた仲間が Next is my round と言ってカウンターに2人の酒を求めに行くシーンがあった。

英国で暮らしていたとき、学生仲間と授業後に何人かでパブに繰り出すと、まずそのなかの誰かが全員分のビールを手に席に戻ってきた。みんなのグラスが空いてくると、別の誰かが It's my round と言ってみんなのビールを注文しにカウンターへ。次はまた別の誰かが。結果、こうして人数分のグラスを重ねることになる。これが英国のパブ文化。

このデンマーク映画の主人公は、 マーティンという名の歴史を教える高校教師。仕事はあまりやる気がなく、家庭でも問題を抱えて過ごしている。その彼を含む同僚4人が「人間は血中のアルコール濃度を0.05%に保つとリラックスし、やる気と自信がみなぎる」という理論を聞き、それを実践しようとする馬鹿話である。

4人はそれぞれ、ほろ酔いの時は調子がいいのだが、だんだん飲酒がエスカレートしていき、ハチャメチャへと向かう。そもそも、ほろ酔いの時に調子がよかったのは軽い酩酊状態で勝手にそう思っていただけ。酔っ払いには誰でもがそうした経験があるはず。

この4人が、どれだけ血中アルコール濃度を上げられるか挑戦してみようとバーをハシゴし、自宅の居間にボトルを並べ、飲み続ける。どこかで見た風景。そうだ、学生時代の俺たちがやっていたことと変わらない。

16歳から(ハードリカーは18歳から)飲酒が認められているデンマークの人は酒好きらしい。それにしては酒の飲み方が幼いとしか言いようがない4人のおっさんに呆れた。主人公のマッツ・ミケルセンは「北欧の至宝」と呼ばれる名優らしいが、最後まで冴えない中年オヤジにしか見えず。

ラストで、元バレエダンサーだったというミケルセンが、教え子たちの卒業を祝ってパレードで踊りまくるところがハイライト・シーンなんだろうけど、何が言いたいのかメッセージが読めず。何か見落としてるかな?  ☆☆

2021年10月2日

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

ただスカッとしたくて、007の新作を見に劇場に。IMAXのシアターはさすがに音がよく響き渡る。

15年間にわたってボンドを努めたダニエル・クレイグの007最終作だ。『カジノ・ロワイヤル』で彼がボンドとして登場してきたときはどうなるんだろうと思ったが(2002年の『ロード・トゥ・パーディション』で演じた、いささか情けないイメージがあったから)、ボンドの役を重ねることで役者も観客もその世界を共有することになるもんだね。

こうした映画はただ楽しめばいいので、余計な講評はしたくない。 ただ本作品の途中、ロンドンにあるのQのフラットのキッチンで彼が料理をしているとき、彼が日本の酒屋の前掛けをしているのが気になった。ほんの一瞬だったけど、そこに「酒」って漢字が見えた。

今回の悪役を演じるラミ・マレックのアジトには、なぜか畳が敷いてある。後ろには枯山水。で、正座して座っている。能面ぽいマスクが意味深長な小道具として登場する。

何でだろうと思ってたら、この作品の監督はキャリー・フジオカという名の日系人だった。だからかな、ボンドが自死を選ぶ最後のシーンに日本的な滅びの美学を感じた。

上映時間2時間44分は、007シリーズで最長。 ☆☆☆☆


2021年10月1日

3年間、2億円の弁護士費用

東京五輪が終わり、まもなくひと月になろうとしている。その後のコロナウイルス感染拡大と収束、そして緊急事態宣言の解除などで、五輪のときの騒ぎは人々の意識から消えてしまったようだ。

だが、大切なのはこれから。膨大な予算と時間とエネルギーを国家レベルで注ぎ込んだ大イベントなのだから、しっかりとした総括がなされなければ。

例えば、9400億円という巨額な公費(税金)を結果として注ぎ込んだ、その内訳が隠さずに示されるかどうかが問われることになる。

でもおそらくそうはならないと思わせる報道があった。五輪の東京招致をめぐってJOC(日本オリンピック委員会)が賄賂を使ったとされる裁判で、捜査を受けている前JOC会長の竹田恒和の弁護士費用としてこの3年間ですでに2億円が支出されており、けれど公開用の理事会議事録からはその記載が削除されているという。

内部の限られた関係者だけが知り得る情報となっていて、すでに外部からはこうした金の使途がわからないようにされているのだ。

会場となった施設で大量の弁当がそのまま廃棄されていたとか、オリンピック村の食堂でこれまた大量の食事が無駄に捨てられていたニュースは表に出ている通りだ。もちろん五輪事務局が公表したのではなく、メディアが内部関係者から聞き取りを続けて調査した結果、あきらかになった事実である。

弁当や食堂の件は氷山の一角だろう。自分の懐から出る金ではないということで、コスト意識を持たない連中が行ったさまざまな施策は公共心の欠如の表れともいえる。

さて先の賄賂裁判だが、3年の時間と2億円の弁護士費用を注ぎ込んでいまだ無罪となってないということは、「やった」と見るのが普通だろう。JOC会長だった竹田は、フランスの司法省から訴えられて即座にその立場から辞任している。無実なら、そうやって逃げる必要はなかった。

日本政府は色んな方面から圧力を、あるいは懐柔策をフランス司法省やフランス政府に対しておこなっているかもね。フランス側がどう判断するかが見物だ。

この手の有象無象の話がどこまで透明性を持って表に出てきて、事実関係がちゃんと検証されるかが、この国の今後のカタチを決めていく重要なポイントになる。

2021年9月29日

もっと自然に語っていいんだよ

「嵐」の櫻井クンと相葉クンが、それぞれ結婚することを公開した。同じ日に事務所のホームページを通じて発表するというのは、ファンや世の中での騒ぎを最小化するための配慮なんだろうね。

相葉クンは、そこで「結婚させて頂くことになりました」「日々、状況が変化していく中で、それでも頑張れる場を頂き、そしてお仕事をさせて頂いています」と コメントしていたという。

ずいぶん丁寧だなあ。「頂く」のオンパレードだ。結婚は当事者の合意でするものだから、結婚します、でいいと思う。それが自然な表現。

2人は超有名人で社会への影響力が大きいからこそ、妙にかしこまった不自然なものの言い方などせず、当たり前の表現を心がけた方がいい。


2021年9月28日

雲間から光

 
夕刻近く、西の空。赤い光のシャワーが雲の間から降り注ぐ。

 

これからの季節、南の夜空にはシリウス

南の空に輝くシリウス

23夜の月

今日は23夜で南の夜空は結構明るいのだけど、それでも雲がないおかげでいくつもきれいな星が見える。

書斎の窓からは、真正面におおいぬ座のシリウスが輝いている。これからの季節、しばらくのあいだずっと付き合うことになる。そしてシリウスと共に冬の大三角形を形作るオリオン座のベテルギウスとこいぬ座のプロキシオンもきれいに見える。オリオン座の三ツ星もまたたきを見せている。

ベランダに三脚を持ち出し、つい撮影してしまった。

2021年9月25日

映画「MINAMATA」から考えること

水俣病は過去の人災ではない。いまも多くの人が水俣病に苦しんでいる。しかも、いまだに水俣病であることを国から認められていない被害者たちがいる。

熊本県水俣市にある化学会社、チッソ株式会社は32年間にわたってメチル水銀を含む工場排水を無処理で水俣湾に垂れ流していた。32年間である。チッソと国と県の無責任さぶりを示してあまりある期間だ。

熊本大学医学部が水俣病は原因不明の奇病ではなく、チッソが垂れ流す排水が原因だと報告したのは1963年のことーー日本中が翌年の東京オリンピックに沸いていた頃。しかし、国が水俣病の原因をチッソの工場が流す排水に含まれる有機水銀が原因であると認めたのは1968年になってから。1963年以降も5年間、毎日毎日、水俣病の原因である有機水銀は水俣湾に流され続けた。

水俣病の原因は過失ではなく、見まがうことない国と県の犯罪だったわけだ。なぜそれがなされたのか。為政者が見るべきものを見ようとしなかったからだろう。もし見ていたとしたら、人間として感じるべきものを頭の中で完全に封鎖していたからだと思う。

2011年に原発事故を起こした東京電力福島第1発電所をあげるまでもなく、企業などによる人災によって被害を受けた住民への補償や原因追及においては、住民の中に被害者と加害者が混在することで地域社会が分断されるケースが多い。

産業に乏しい地域でその企業に雇用され生計を営む人たちが多く存在しているからだ。それが企業にとってはある種の安全弁となっている。住民からすれば足下を見られ、取られた人質である。

水俣病をめぐる闘争においても訴えについての賛成派と反対派のいざこざがあり、この映画でもそれが描かれている(真田クンがカッコいい)。根の所にあるのは仕事と金である。

映画の中で、ジョニー・デップが演じるユージン・スミスが妻のアイリーンの手を借りながら、あの「入浴する智子と母」を撮影する箇所がある*。日系アメリカ人で、ユージンの通訳として一緒に水俣で過ごすことになるアイリーンがいたからできた撮影であることがよく分かる。

米写真誌「LIFE」誌によって世界中に水俣病をしらしめることになった一連の写真のなかのこの一枚が、被写体となった智子の母親の強い思いから撮影されたことに強く心がふるえた。緊迫のシーンである。 

ユージンとアイリーンが日本に来たのは、1971年。三波春夫が歌う「世界の国からこんにちは」が日本国中に流れ、「人類の進歩と調和」をテーマにした大阪万博が開催された翌年のこと。

当初数ヶ月の予定だったのが、彼らはそれから3年間水俣の地に滞在して不条理としか言いようがない現地の姿を撮影した。 


化学会社であるチッソの事業は、2011年にチッソが設立したJNC株式会社という別会社に移転して運営されている。そのサイトにアクセスすると、トップページに「よろこびを化学する」というコーポレート・スローガンが表示される。悪い冗談かと苦笑するしかない。

帰宅後、書斎の本棚から彼の写真集を引っぱりだした。映画を思い出しつつ、モノクロの数々の写真にしばし見入ってしまった。 


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* その写真は1998年から新たな著作物への使用が認められていなかったのが、今年新たな写真集で使用が認められた。https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/634576

以下の西日本新聞の記事参照
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/451786/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/451978/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452161/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452445/
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/452733/

2021年9月22日

神話と歴史の境界

現在行われている自民党総裁選に私は関係ない。総裁選で投票できるのは日本国民の1%。

そう、われわれのほとんどは蚊帳の外の "We are 99%" である。アメリカの大統領選挙のような首相公選制がわが国でも本気で議論されるべきだが、ここではそれは置いておく。

僕は自民党の4人の候補が総裁になるために何を主張しようが気にしないことにしている。99%のわれわれには関係ないからね。関係があるのは、実際に総理大臣になった議員がその後何をやるかだけ。

だが、高市早苗議員が天皇家の皇位継承策について「126代続いた男系の血統は天皇陛下の権威と正統性の源であり、多くの国民の誇りと敬愛の情の源。私は男系維持で、その中でも旧ご皇族の皇籍復帰を希望いたしております」と訴えたことは聞き流せない。

天皇制を支持しようがどうしようが、それは個人の価値観。ただ、歴史と作り話(神話)の区別がつかないような人物が日本のリーダーになってはいけない。

高市が言う126代とは、初代の神武天皇から数えた歴代の天皇を言っているのだろうが、これは事実ではなく作り話である。

初代の神武から第15代の天皇と言われている応神天皇までは、実在したかどうか分かっていない。存在が確認されているのは、第16代とされている仁徳天皇以降である。

もし初代天皇から存在したと国が主張するなら、天皇墓とされている各地の古墳を考古学者に公開し、きちんと発掘させて歴史的な事実を明らかにすればいい。しかし宮内庁は調査を絶対に認めない。

そもそも紀元前7世紀から始まるとされる神武、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)・・・と続く代々の天皇に漢字名がついているのはおかしな事である。

日本に漢字が伝えられたのは、3世紀終わり頃のこと。漢字文字が日本に伝わる1000年も前、どうやってそれらに漢字の名前がつけられたのか? 誰が考えたっておかしいことが分かるだろう。

実はこれらは江戸後期になって水戸藩が雇った中国人学者である朱舜水が徳川光圀から『大日本史』の編纂を依頼されて「整えた」もの。だから、綏靖、懿徳なんていう日本人には誰も読めないし使えない漢字が使われている。

つまり、126代というのは事実ではない。以前のこのブログで歴史(ヒストリー)と物語(ストーリー)の線引きの曖昧さについて書いたが、そのまさに典型のひとつ。

神武天皇が天照大神の子孫であると『古事記』『日本書紀』で記されているが、それらは当時の朝廷が自分らの権威を既成事実化するために作った「物語」なんだから何をか言わんやだろう。

神話と歴史の区別がつかない人は、特徴として自分が信じたいことだけを信じるようなところがある。そうしたタイプが元総理大臣に何人もいたが、もう結構、こりごりである。

2021年9月16日

私の個人情報は高い、という訳ではないが

「フォーラム」と称するものへの案内メールがたくさん来る。主催は新聞社やリサーチ会社、コンサル会社、IT企業などさまざまだ。

ほぼ全てスルーだが、ごくたまにちょっと気になるスピーカーがいたりして、予定が合うかどうか分からないが、まずは参加申込みだけでもしておこうと思うことがある。

ただ詳細を読んでみて思うのは、フォーラムと称しておきながら、まったくフォーラムらしくないものばかり。Forumとは、本来は公開討論会、討論の機会、討論の場の意味。つまり双方性の高い議論の場である。だが、開催要項に書かれているのは、完全な一方通行のプレゼンか説明である。

しかも申込時に記入を求められるのは、なぜここまで書かせるのかと頭をひねる質問事項だ。名前とメールアドレスに加えて、生年月日、性別、現住所、勤務先名、所属部署名、連絡先電話番号、携帯の番号、これらの欄がすべて<必須>となっている。

開催内容からはどう考えても郵便物を送ってくることはないし、電話でやり取りする必要もない。だから本来は、名前とメールアドレスだけで事足りるはず。

そうした主催企業の意図は、ただこちらの個人情報を「可能な限り」集めたいということだけ。一応、個人情報に関してのきまりのようなものは参照できるようにしているが、ほとんどの人は読まない。

こうした個人情報泥棒にまともに付き合う必要はないので、適当にアバターを作る。フリーメールのアドレスを追加で作成し、なりすまし用のいい加減なプロフィールをつくったうえでメールの転送設定をする。

面倒臭そうに聞こえるだろうが、慣れれば数分とかからないし、こうした別人格を何人かもっておくと他のサイトや企業相手にも使えるからね。

相手がどう感じるかよく考えて、合理的で節度のある態度でこちらに質問してくれば、それなりにちゃんと回答してやるのだけど仕方ない。

2021年9月14日

無力感

自民党総裁選が熱を帯びてきたようだ。これで日本の首相が決まる。

報道では、その現状とゆくえが第一に取り上げられている。だが実質的には、そうしたニューズ・バリューはない。

どうせ投票できるのは、自民党議員と自民党員だけ。一般の市民は完全に蚊帳の外だ。

それに候補者は、どれも似たようなもの。自殺した元財務省職員の赤木さんが関わされた公文書改ざんの実状を明らかにしようと考えるものはいないし、モリカケ問題と言われている森友学園、加計学園の開学認可に関する疑惑を再調査しようと考える候補もいない。だから、どの候補も五十歩百歩だ。

それらのなかから総裁を選ぶ自民党議員の最大の関心は、次の選挙で自分が当選できるかどうかだけだろう。それと、誰にくっつくことでより大きな権力を得られるかだけ。

まだ今は小康状態だが、これからの日本は間違いなく長期的にとんでもない状況に陥るのは明らかなのに、それに向けた議論が政府からもメディアからも出てはこない。

自らの決定権がまったく及ばないところで、自分の国にそれなりの影響を与えることがきまってしまうことに無力感のようなものを感じるいたたまれなさ。

2021年9月10日

27歳のチーフ・デジタル・オフィサー

来年度の国の予算策定に向けた概算請求の総額は、111兆円を超えた。またまた膨大な額の国債を発行してまかなうのだろう。

特に要求金額が大きいのが、9月1日に発足したばかりのデジタル庁。その要求額は5,426億円にのぼるが、なんてことはない、各省庁内の情報システムの整備と運用費用がその98%を占めるという。


役所同士がデータをやり取りできるようにするのだろう。紙をデジタルデータにし、ハンコを不要にし、どの省庁内からでもデータの検索ができるように・・・なんてことを計画している。業務効率は上がるが、そこには戦略性は感じられない。

総務省は、マイナンバーカードの普及と促進に1,230億円を要求している。金がいるのも分かるが、普及と促進に一番必要なのは知恵と工夫だ。

これらはすべて国民の税金。

先日、デジタル庁の事務方トップに72歳の女性(元大学教授)が就いた。高齢だからだめだとは言わないが、彼女が自分のサイトで商用イラストを無断利用していたと報じられた記事を読むと、そうした感覚の人でほんとに大丈夫かなと思う。

2012年、僕がニューヨークのコロンビア大学で在外研究をしてた時のこと。マイケル・ブルームバーグ市長(当時)によって、ニューヨーク市の初代CDO(チーフ・デジタル・オフィサー)が任命された。当時27歳の女性、レイチェル・スターンだった。


その後、彼女はニューヨーク市での仕事を評価され、3年後の2015年にはニューヨーク州のクオモ知事に乞われて州政府のCDOに就任した。

27歳と72歳。彼我のなんと大きな違いだろう。本人の問題というより、任命した人間(役人)のセンスの問題ともいえる。72歳の元大学教授、さてこれから1年もつかどうか。


2021年9月7日

五輪が終わった。余韻などない。

五輪は終わった。国民生活のレベルで語るならば、この時期にやる必要性はなかったのにやっちまった五輪である。

「安全安心」という言葉が何百回と念仏のように唱えられただけで、総理大臣も五輪担当相も組織委員会の責任者も、最後までそれが何かを誰もきちんと説明しないままにだった。

成田に到着する選手団や五輪関係者だけでなく、各国からのメディアへのコントロールはほとんど利かなかったと聞いた。現場にいるのはアルバイトやボランティアの人たちばかりで、正規の担当者は姿を見せないのだからそうなって当然の様相だったらしい。だからクラスターが発生したのも当然の成り行きである。

「復興五輪」とか「新型コロナに人類が打ち勝った証」とか、今にして思えば見え透いたウソで固められたオリンピックとして人々の記憶に残ることだろう。

いずれにせよ、今回のオリンピックがどうだっかかなんて、今後話にのぼるのは日本だけだ。もちろん、全体の予算や当初の目的がどう達成できたのかなどについては、ちゃんと総括をやってもらわなくては困る。

でも外国は状況がまったく違う。例えばパリではメディアや人々の口にも9月6日以降は東京五輪の話などまったく出なくなった。オリンピック・パラリンピックと云えば、パリ2024なのだ。他国も似たようなものだろう。

観客を入れずに試合が行われた数々の新設施設はこれからも残る。

2021年9月6日

ジャパニーズ・タリバン

先日、東京オリンピックの開会式に絡めてLGBTQのことを書いたら、知り合いからLGBT理解促進法案の提出が、この5月に自民党によって見送られていたことを知っているかと聞かれた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/08/blog-post_11.html

調べて見ると、その法案は足かけ5年かけて議論されてきたにもかかわらず、自民党内で意見の統一が見られず提出が見送られてたものだ。

7月下旬から始まった東京オリンピックは、そのオリンピック憲章で性的指向による差別を明らかに否定している。また、同性婚やそれに準ずる法制度が国のレベルで整ってないのはG7の国の中で日本だけである。

全体の話のつじつまが合っていない。 

この法案の最終的な取扱いは、最終的に二階ら自民党の党三役の判断に一任されたとあった。それじゃあ絶望的だ。

結局、日本は性的指向による差別が法的に規制されていない、つまり差別が認められている国家の1つということになる。タリバン支配のアフガニスタンと同じだ。

2021年9月5日

この国のこれから

こんなニュースを目にした。

同じ神奈川県選出で信頼する麻生派の河野太郎行政改革担当相を要職に起用できないか―。だが、麻生氏は声を荒らげた。「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」(西日本新聞 9月4日配信)

2日夜、菅首相が党役員人事に関して麻生副総理と話したときのやり取りだ。この記事の通りなら、一体どちらが総理大臣で、どちらが副総理か分からない。これはガバナンス上の大問題である。

もし国に万が一のことがあって最高意思決定者の総理大臣に重大な判断が求められても、こんな状況では速やかかつ適切な意思決定ができるのか。

いつ首都圏直下型の大地震なんかがが起こっても不思議ではないなかで、どうかしちゃってるね、この国は。

戦後70数年。敗戦後の混沌の中からの復興への意欲とその後の人口増加をもとに少なくとも経済的には成長してきたこの国は、今やもう完全にガス欠である。より良くなろうと高みを目指す貪欲な意欲はなく、足下の日々の些事に一喜一憂している。つまり、目的も資源も戦略も意欲もない。

今日、パラリンピックは閉幕する予定。この13日間、スーパーマン、スーパーウーマンとしか言いようのないような選手たちのパフォーマンスに目を見張った。

だが、これで祭りは終わり。これから日本の長い長い落日が始まるのだろうーー。

2021年9月4日

歴史とは、そもそもが物語

唐辛子味のとっても辛い「暴君ハバネロ」(東ハト)というお菓子がある。

その商品名は、ローマ皇帝の暴君ネロから取っているのだろうが、ネロは実際に暴君だったのか。

今、ロンドンの大英博物館で「Nero: the man behind the myth」(ネロ:物語に隠れた男)という展示会が開催されている。さまざまな出土品をもとに、ネロが実際はどういった皇帝だったかに想像力が刺激される。

https://www.britishmuseum.org/exhibitions/nero-man-behind-myth

第5世ローマ皇帝ネロというと、稀代の暴君として歴史にその名が残っている。ただ、彼のもともとの胸像や碑文は死後に削り取られ、多くの痕跡は消されている。ネロが今日暴君とされているもとになったのは、歴史家のタキトゥスらの著作に残された記述である。

ところが、ローマのコロッセオに隣接する地から掘り起こされ、復元がなされている当時の遺跡からはネロがきわめて有能な君主だった多くの証拠が見つかっているという。

また、ベスビオ火山の噴火で埋没してしてしまったポンペイの遺跡からは、その地を訪れたことがあるネロについての落書きが見つかっていて、そこには市民がネロを称える多くの言葉が書き残されていた。

ネロがとんでもない暴君だったとして挙げられる理由に、キリスト教徒への激しい弾圧がある。また、彼は市民からの受けはよかった一方で、元老院との関係が良くなかった。

先に書いたように、彼に関する碑文などは削られ消されてしまっているが、残っている他の記録によればネロの死後には丁重な葬儀が行われ、墓前には花が途切れることなく市民から手向けられていたという。

もし、ネロが当時の誰もが認める暴君であれば、葬儀などなされなかっただろうし、絶えず花が供えられることもなかったのではないか。

ネロの公式な評価は歴史家タキトゥスの著作によるものだが、タキトゥスはネロの存在を苦々しく思っていた元老院議員のひとりだったし、その後ローマの歴史を書き残してきたのは、のちにローマの国教として認められたキリスト教徒だった。

キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝は聖人として歴史に刻まれているが、実は自分の長男と2番目の妻、義父を殺害したような男だった。

ネロが非道な暴君で、コンスタンティヌスは聖人というのは一体どういうことだろうか。想像するに、ネロに関しては後にフェイクニュースが作られ、それが唯一の歴史になってこれまで残ってきた可能性があるということだ。

英語のHistory(歴史)は、His story(彼、つまり時の権力者の物語)だと言われる。ギリシャ語では、「歴史」も「物語」も 同じ ιστορία(イストリア)である。さすがはソクラテスを生んだ国だけあり、ギリシャ人はそのあたりをよく分かってる。

そういえば、我々が学校で教えられてきた「歴史」のなかにも、冷静に考えてみるとありえない話がたくさんあるよね。

参考:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140819/411814/

2021年8月31日

3時間のドライブだった

入り口でチケット買い、そこに記された3番シネマに向かう。扉のところでチケット確認をしているスタッフに、CMと予告編は何分かを訊ねると「この映画は、1分です」と彼女。

時計を見ると、予定の開演時刻ちょうど。これから予告編が始まり、1分後には本編の上映がスタートする。どうせ本編上映まで十数分あるだろうから、トイレで手をゆっくり洗ってから席に着きたいと思っていたのだが、そうはいかないようでそのまま席につくことにした。

映画「ドライブ・マイ・カー」は、村上春樹の短編集『女のいない男たち』を原作にした映画。
 

映画の中で、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が劇中劇として登場する。ただの劇中劇として演じられるだけではなく、そのためのキャスティングから始まり、本読み、稽古、そして最後は劇場での舞台公演までが映画の中に登場する。舞台が作られていくプロセスが、この映画と併走する。

西島秀俊が演じる主人公の家福は、演出家で役者。彼は広島のある劇場から招かれ、演劇祭のためにこの芝居を作ることを依頼されている。

もう一人の主人公は、クルマで彼の送迎を担当することになった小柄な若い女性のプロドライバー、みさき。

いや、この映画にはもうひとつの主人公がいた。みさきが運転し、2人が移動に使う赤いサーブ900である。村上の原作では黄色いサーブ900になっているが、映画では赤いボディカラーで正解だったね。

この車は家福が15年乗り続けている車なのだが、芝居の製作中にもし事故があったらいけないという演劇祭の主催者の意向で、みさきが送り迎えを運転するのだ。

窓が大きく、「これぞクルマ」といった、いかにもオーソドックスなスタイルのこの車が映画にとてもよく似合ってた。

映画の終盤、家福はみさきの運転するサーブ900で、彼女が生まれ育った北海道の小さな町まで夜を徹した長距離のドライブをすることになる。

それは、2人がそれぞれに抱えてきた過去を振り返るとともに、そこにある種の諦めをも感じさせる、しかし未来へと続く価値を見いだす旅でもあった。赤いサーブ900は、その2人の再生を見届ける証人のようだ。

映画の中で「ワーニャ伯父さん」の舞台を作っていく家福。亡き妻との関係から自分を見つめ直さざるをえなくなる家福と、これまた捨てられない過去を心に潜めたみさきの2人が、まるで「ワーニャ伯父さん」の主人公たち、ワーニャとその姪のソーニャのように思えてくる。

上映が終わり、腕時計を見たら3時間が経っていた。後で調べたら、この作品の上映時間は179分とあった。つまり、上映前の予告編1分と合わせてちょうど3時間の、発見のドライブだったわけだ。

2021年8月30日

キャスターやるなら、ニュースとは何かよく考えた方がいい

8月30日、TBSの夜のニュース番組「ニュース23」に同局の国山ハセンというアナウンサーが、小川彩佳キャスターのサブとして登場した。

番組が始まっての第一声、彼の「国山ハセンです。みなさんに少しでもお役に立つニュースをご紹介していきたいと思っています」という自己紹介でスタートした。

おいおい、と思ったのは僕だけではないはず。頼むから「役に立つ」かどうかでニュースについて考えたり、選んだりしないでくれ。

視聴者はそうしたことを期待して、最近のタリバンによるアフガニスタン新政府発足に関するニュースに関心を向けているのではない。 

ニュース番組は、バラエティや情報番組とは違うはずだろう。えっ、今はもうそうじゃないのか。

2021年8月29日

日本の選挙は、車椅子ラグビーに倣うべし

この数日、車椅子ラグビーを見ている。

(一般社団法人)日本車いすラグビー連盟のサイトから

車椅子ラグビーには、男女別がない。一方、同じ車椅子によるコートでの団体競技でもバスケットボールは男性と女性で競技が分かれている。

コート上には各チームから4名ずつ、試合中は合計8名の選手が車椅子を器用に扱いながら走り回る。

ラグビーと言っても、元のラグビーとはルールはかなり異なる。ボールを前に投げてもいいし、当然キックはない。ボールを相手陣営のゴールに持ち込めば得点になる。ボールを運んでいる時は、10秒以内にドリブルかパスをしなければならない。

競技で忘れてはならないのは、厳密なポイント制度があること。選手たちは、それぞれの障がい度合によってポイントが決められていて、障がい度合が最も重いクラスは0.5点、最も軽いクラスは3.5点がつく。0.5点きざみになっている。

コート上に出ている4名の構成は、そのポイントの合計が8点以内でなければならない(女性選手が出場している場合は、1人あたり0.5点の追加ポイントが認められる)。https://jwrf.jp/about/ 

ゲームの公平さを担保するためである。このベースにある考え方は重要であり、他にも応用できる。

たとえば国会議員の選挙だ。まもなく衆院総選挙が行われるが、その際に立候補資格、あるいは得票数の換算にポイント制を導入するとかできると思う。

よく選挙ではジバン(地盤=支持者のいる地域)、カンバン(看板=知名度)、カバン(鞄=選挙資金)が必須と言われる。言い方を変えれば、ポッと出のボンクラ候補でも、これらがあれば当選できる確率は高い。

親が、そしてそのまた親が国会議員をやっていたケースだ。二世議員、三世議員と言われる世襲議員。

下記のサイトは、日本の政治家にいかに二世、三世(あるいは四世)が大量にいるかを示している。データは古いけど、今も状況は変わってない。
http://www.notnet.jp/data02index.htm

政治が、まるで歌舞伎や狂言のような伝統芸能と同様に世襲化している。

そこで選挙にあたっては、親が国会議員だった場合は●ポイント、じいさんがそうだった場合は■ポイント、曾じいさんは▲ポイント、またそれらが大臣経験者であった場合はポイントを2倍、そして首相経験者は3倍で計算する。

そして、選挙での候補者の得票数とそれらのポイントの逆数を掛けたものを「有効得票数」として認めることにする。

こうでもしなければ、世襲議員は選挙戦の必勝ツールであるジバン、カンバン、カバンを最初から握って選挙に出るんだから、公平公正な結果になるわけない。

2021年8月28日

映画館は、ネットフリックスから学べ

徒歩圏には映画館はないが、2駅先にはシネコンがある。4駅先にもシネコンがあり、5駅行けばさらに3館ある。新作映画は、これらの劇場でほぼカバーできる。

それはいいのだが、劇場で映画の本編上映前につまらないCMや映画の予告編を流すのは、そろそろ止めてくれないものか。その時間、13分から15分。結構長い。

入場料を払っているのに半ば強制的にCMを視聴させられるのは不愉快だし、新作の予告編は客が興味があれば自分でネットを探して見ることができる。

劇場に足を運んだ客がそうしたものを見せられどう感じているか、調査したことあるのだろうか。映画の興行会社は、少しは客の立場になって自分たちのサービスを振り返ったほうがいい。

ネットフリックスが、視聴者を惹きつけるためのマーケティングをどれだけ懸命にやっているかを少し真面目に学んだらどうだ。このままだと、じきに手遅れになってしまうぞ。

2021年8月27日

語り尽くせないホロコーストの事実

第二次世界大戦中、ナチスドイツが組織的に行ったホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の犠牲者は600万人に上るといわれている。

なかでもポーランド南部にあった「アウシュビッツ強制収容所」にはユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者などが収容され110万人が虐殺された。

アウシュビッツには一度に2,000人が入れられたという4つの巨大なガス室があって、ユダヤ人たちはそこで10人のうち9人、全体で100万人以上が殺されたとされる。

第二次大戦中は、アウシュビッツでそうした虐殺が行われていたことはナチスによって厳重かつ巧妙に隠匿され、明らかになっていなかったことを映画『アウシュビッツ・レポート』で知った。

 
映画は事実がベースになっている。主人公は2人のユダヤ系スロバキア人。彼らは1942年に強制収容所に入れられ、44年4月10日に実際にアウシュビッツを脱走した。「中」で何か行われているのかを外に知らせるため、十数日かけて命を削りながら逃げていく姿が凄まじい。

その2人、ヴルバとヴェツラーは、収容所の内実を伝える32ページのレポートを作成した。後にアウシュビッツ・レポートとして連合軍に報告されることになるこのレポートには、収容所のレイアウトやガス室に関する詳細などが描かれていた。

収容者に送られた人たちは一列に並ばされ、最初に「右!」「左!」とナチの担当者によって2分される。一方は、病弱な人、妊婦、子どもなど、その場で殺される一群。肉体労働に耐えられる男たちは重労働を強いられた後、ガス室で殺されることになる。

ナチスドイツの連中はよくこんなこと考えるなというような様々な手段で、収容者は極限まで痛めつけられる。肉体的にはもちろん、精神的にも人間がボロボロになるまで追い詰める。

収容された人たちが山中で頭だけ出して地中に埋められ(これって、自分でその穴を掘らされたんだろう)、ナチスの伍長がそれをスイカ割りをするごとく棒でめった打ちにするシーンには背筋が凍る戦慄を覚えた。

所持品はすべて奪われ、丸裸で殺され、そのままゴミのように積まれて放置されている無数の亡骸の山が方々にある。地獄絵だ。

これが歴史的事実として認識されているアウシュビッツに関する出来事である。

ナチスドイツによるこれらの行為は、語り尽くすことができない。もうこれで十分というところには、たぶん永遠に行き着くことはないだろう。 

だから今回、東京オリンピックでその開会式の前日だったにもかかわらず、予定されていたショーディレクターの小林賢太郎がホロコーストをお笑いネタにしていた過去の行いから解任されたのは当然の判断だった。

もし彼を解任せず、オリンピックが始まったあとにその事が明らかになった場合、IOCとJOCに厳しい批判が寄せられただろうことは想像に難くない。

この解任の件で記者会見に臨んだ組織委員会の橋本聖子会長は「これは外交上の問題もあると思っている。早急に対応しないといけないと解任の運びになった」と理由を説明したが、理解しておかなければならないのは、これは「外交上の問題」ではなく「倫理人道上の問題」であるということ。

そういえば、以前、麻生太郎副総理が「(改憲のために)ナチスの手法を学べばどうか」と語ったことで各方面から顰蹙を買った。なぜ解任されなかったのだろう? 不思議だ。

2021年8月26日

パラリンピックはいいね

24日のパラリンピックの開会式は、オリンピックのそれより格段によかった。

オリンピックの開会式はといえば、とにかくまとまりがなく、何を伝えたいのか分からなかった。そのコンセプトは「United by Emotion」だったとか。意味がわからない。

担当プロデューサーいわく、「世界へ向けたメッセージで、あえて和訳はつくっていない」。確かに恥ずかしくて日本語にできないよね。

例えば、唐突に海老蔵の踊りがショーに挿入されていたが、違和感しかなかった。荒事の演目を上原ひろみのピアノに合わせて演じ、途中で見得を切ってみせていたが、外連味が過ぎていて自己撞着してることに気づいていない。

それに比べて、パラリンピックの開会式はよかったよ。テーマがシンプルで、統一感が保たれていて分かりやすかった。

昨日は14歳のスイマー、山田美幸さんが競泳で銀メダルを取った。彼女は生まれつき両腕がなく、足にも障害がある。

腕がないので、足だけで泳ぐ。その力強い、彼女だけの独特の泳ぎ方はとてもクリエイティブだ。

そして何にも増して、両腕がなく身長も小さい彼女がそもそもプールに入りたい、泳ぎたいと思い、それを続けてきたことに驚かされる。半端な勇気じゃできないもの。

2021年8月25日

転がる石が、その動きを止めるとき

ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツが、8月24日に亡くなった。80歳。彼は50年以上にわたってストーンズの音楽を支えてきた。

ブルース・スプリングスティーンによれば、「ミックの声とキースのギター、それらに引けを取ることなくチャーリーのスネア・ドラムこそがストーンズの音だった」。

ロックバンドのドラマーは、華やかで重要なポジションだ。その音量もそうだし、ステージでは視覚的にも目立つ。曲の全体を通じてドラムは音を奏で、バンド全体を支える。だからか、髪を振り乱し、暴れ回って演奏するロック・ドラマーはたくさんいる。

チャーリーは違った。淡々とやる。かっちりと仕事をする。だからこそ、その前でミックもキースも自由にやれた。

チャーリーのドラミングの特徴に、リズムをわずかに後ろにずらす奏法がある。それがバンド全体の独特のリズム感やうねる感覚を作り出した。ソフトウェアのプログラムではできない、チャーリーのものだった。

バンドは不思議な生き物のようなものである。単なるパーツ(メンバー)の寄せ集めではない。

フレディ・マーキュリーが亡くなった後、フリーやバッド・カンパニーで活躍したポール・ロジャーズがクイーンのボーカリストとして一時参加したが、やはり「違った」。

ポール・ロジャーズが稀代のスーパー・ロック・ボーカリストであることは疑う余地がない。(僕も大好き)。だが、違ったのだ。

同様に、チャーリーなきストーンズは、もう転がり続けることはないだろう。

Amazonには、今から30年前に僕が日本に紹介した、フィリップ・ノーマンによるストーンズの本『ローリング・ストーンズ―その栄光と軌跡』(原題 The Life and Good Times of The Rolling Stones)がまだ売られていた。懐かしい。

2021年8月23日

やっと、カジノ誘致反対に向かうことができそうだ

昨日、横浜市長選挙があり、午後8時の投票終了とともに出口調査の結果をもとに山中竹春氏の当選が確定した。彼は48歳の元横浜市立大学の教授だ。

今回の市長選の投票率は、前回の市長選と比べて12%も高かった。市民の今後の市政に向けた関心の高さがこの数字から伺える。

今回は8名もの立候補者が立った混戦模様で、そのなかで現職の林市長を含む2名が今回の最大の争点であるカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致の推進派、残りの6名がその誘致に対して反対の意見を打ち出していた。

当初、反対の声を上げる6名で票を食い合うのではないか、その結果、得票数では少ないIR推進派の現市長が4選されるのではないかと心配されたが、今回はなんとかそうした選挙の罠に陥らずうまくいった。

横浜市では、昨年カジノの誘致を巡って市民の間で多くの反対意見が出てきた。その一つの表明が、IR誘致の是非を問う住民投票条例の制定を求めての市民運動であり、そこには19万筆を超える署名が集まった。僕も微力ながら、署名簿を手に知り合いを回った。

ところが、本年1月の横浜市議会で「住民投票で民意を問う段階には至っていない」などという自民党および公明党両会派の反対で条例案は否決された。

IRを誘致するかどうかを直接問う議論ではない。そこに地元の横浜市民の意見を入れるための住民投票を行えるようにするかどうかという、その条例を求めての議案だったにもかかわらずだ。

それに対して、この両党が反対をして否決に持ち込んだ。そしてあろうことか、その後、林文子現横浜市長の下でカジノの運営事業者を募集するなどIR事業は具体化に向けて舵が切られた。

そうしたやり方に対する市民の反発は、両党の市議会議員らが思う以上に大きかった。それが今回、IR誘致反対の先頭に立つ候補を押し上げた最大の要因だったように思う。
 
今回の横浜市長選の結果について菅総理は「残念だ」とコメントしていたが、当選者は他でもない有権者らによって正統な選挙で選ばれている。それを尊重するどころか、自分の意向に沿っていない結果だからって「残念だ」と言うのはおかしくないだろうか。市民軽視の意識を強く感じる。
 

2021年8月21日

感染者率1%

友人が「早稲田の感染者多いですね」といって、以下のサイトを送ってきてくれた。

https://www.waseda.jp/top/news/70079

これを見ると、8月19日現在で学生や教員、職員など同大学関係者の累積感染者数は600人程度と報告されている。総数のおよそ1%。

同日の日本国内での新型コロナ感染者数は、約123万人。総人口には乳幼児なども含まれているが、それらの約1%だ。 

参考までに米国での感染者数を見ると、同じ日の集計で約3,730万人。こちらは人口比の11%になる。

新型コロナによる死者数をみると、日本は感染者数の約1.3%、米国は同約1.7%である。

米国の場合、感染者や亡くなった人を白人か黒人か、ヒスパニック、アジア系などでの内訳をみるといろんなことが見えてきそうだ。民主党支持者(バイデン支持者)と共和党支持者(トランプ支持者)の違いにも興味ある。 

どこかにデータがありそうだけど、それはまた時間のあるときにでも調べてみたい。

2021年8月14日

今回のオリンピックでの最大の収穫

8月4日のオリンピックのテレビ放映は、スポーツ競技についての世の中の空気を確実に変えたと思う。スケートボード女子パークの試合だ。

それは、決勝戦というメダリストを決める試合だったのだが、それまで見てきた女子柔道や女子レスリングの決勝とはまったく雰囲気が違っていた。

12歳、13歳の女の子(としか表現できない)が、それぞれ個性的なパンツやシャツで現れ、緊張感を見せながらものびのびと滑っているのが見て取れたから。

そしてゲームをしながら、勝った、負けたではなく、それに増して選手たちがお互いのチャレンジを称え、スゴイ技が決まったら拍手を送り、失敗すれば悔しがる様子が新鮮だった。

お互いを蹴落とすために試合に来ているのではなく、みんなで楽しみ、スケボーを盛り立てようと思っているように感じた。それが、誰かにそう指導されたからでなく、自然とみんながそうした空気のなかでスケボーと付き合ってきているのだろうと思った。

これって、間違いなくこれまでのオリンピック感への強烈なカウンターパンチだ。
 


今後、「スケボー何とか」ってのが出てきそうだな。スケボー経営とかスケボー組織とか。

2021年8月13日

映画は、好きか嫌いか

横尾忠則さんが書評でこんなことを書いていた。

書評は一冊の本を剽窃(ひょうせつ)する行為にも似て、創造から遠い。どんな膨大な書物も簡単に要約して気の利いたコメントを加えるが、これは絵を描くようなクリエイティブな行為ではない。クリエイティビティのカット&ペーストだ。書評は絵画における模写というコピーで、パスティーシュ(模倣や意図的に混成したもの)は創造とは言わない。
自分が書く書評を、いきなりこのように書き始める横尾は実にたいしたもんだと感心。

なるほど、確かに彼が言うとおりかも知れない。でもこれは書評に限らず、他の「評」、つまり映画評や音楽評、舞踏評などあらゆるクリティークに当てはまる気もする。

たとえば映画評をとって考えてみると、どう見ても映画会社や配給会社などが試写会時に用意した資料をもとに要約をしただけと思えるような映画評が多い。

その新作映画はまだ劇場公開されていないのだから、一般客はその評をありがたく信じて参考にするしかない。そこにあるのはクリティークではなく、単なる情報の非対称性の利用だけ。

僕が今も映画を選ぶ際に参考にしているものの1つが、週刊文春に昔から連載されている Cinema Chart 欄だ。毎週、2作品を5人の評者が星の数(☆5つが最高)と60字ほどの文章で評価する。

そこで中野翠と芝山幹郎の両者が高評価を与えているものは、僕が観ての評価も高い。これは理屈でも何でもなく、これまでの長年の経験則からだ。

以前、5人の評価者のなかに映画評論家のおすぎがいて、その頃は中野と芝山が高評価、一方でおすぎによる評価が低いものはほぼ間違いなく自分の趣味で高評価の映画だった。たまに彼ら3人が揃って高評価を与えていた作品もあったが、それらは僕には「まあまあ」だったりした。

いま、映画評でかつてのおすぎにあたるのはフランス文学者で映画評も書いているC氏で、彼が高評価を与えている作品は「よした方がいい」対象である。

でもこれは、趣味が合ってないというだけの問題。彼の高評価は「観ない方がいいよ」と教えてくれる、僕には貴重な情報。

その作品がいい映画かどうかは、自分が好きになれるかどうかだけだ。

2021年8月12日

1日5,000人 + 5,000人で密になる

緊急事態宣言下にもかかわらず、新型コロナの感染者拡大が止まらない。医療現場の状況も逼迫したままだ。

人流を5割減らすよう、そして県境をはさんだ移動を避けるよう、政府の新型コロナウイルス対策分科会が緊急宣言を出した。

今日現在の神奈川県の重傷病床の使用率は、96パーセントである。

そうしたなか、近くの横浜アリーナではジャニーズ事務所主催のコンサートイベントが開催中だ。お盆休暇をにらんでか、昼と夕方の2回公演が組まれている。

会場運営会社に公演について訊ねたら、「感染拡大を考慮して」5,000人の観客を入れて実施することになっていると言う。一日で1万人のファンが駅から会場のアリーナまでぞろぞろ移動してくる。


 

今週いっぱい、この調子でコンサート・イベントが開催される。

先週終わったオリンピックはすべての会場で無観客でゲームが行われたが、この開催をどう考えるか会場担当者に訊いたら「文化イベントは、国と県の所管機関に相談した上でルールに従って実施している」という。

そこで管轄である神奈川県くらし安全防災局危機管理防災課にこの時期の実施について考えを聞いた。すると、国(内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室)から収容人数の半分、あるいは5,000人を入れてのイベントの実施ができるとの通達を8月5日に受け、それにしたがって許可していると。

映画館や美術館を楽しむには言葉はいらない。だが、ジャニーズ事務所のコンサートはそうはいかないんじゃないか。

今週いっぱい、毎日5,000人+5,000人の2公演が行われる。県内はもちろん隣の東京都から多数のファンが押し寄せ、人流が一気に増え、密はどう見ても避けられない。コロナ感染者が急増しなければいいのだが・・・。

ワクチン接種の帰り、スターバックスでコーヒーを買って帰ろうと思ったら店のシャッターがおりていた。感染者が1人出たため、「お客様と従業員の安全確保を最優先とするため」一時休業していると。

今は、金儲けよりこうした姿勢が常識のはずだ。