2024年4月23日

ポイントを使うか、ポイントに使われるか

報道によると、カルチュア・コンビニエンス・クラブのTポイントと三井住友のVポイント制度が統合するらしい。

会員数は両者を合計すると1億5,000万人、重複を省いても8,600万人いると発表されている。また、競合する他社の会員数(各社発表)はというと、以下の通り。

楽天ポイント 1億4,000万人
Pontaポイント 1億1,000万人
dポイント 9,800万人
PayPayポイント 6,300万人

これらもまた大きな数字が示されているが、ちょっと待てよ。確か日本の総人口は1億2,400万人。そのうち15歳未満が1,400万人、75歳以上の後期高齢者が2,000万人いる。それらを除いた人口は9,000万人だから、楽天カード、Pontaカード、dポイントの運営各社が会員数として発表している数字はそれらより大きい。どういう計算をしているんだろうか。

買物の際に各社のポイントを利用して付与される還元率は、0.5〜1%が基準。それをどう見るかはそれぞれだけど、「ポイ活」とかいった用語を聞かされるとなぜか力が抜ける。

どのポイントの会員になろうかとか、どうやってポイントを貯めようかとか、そんなことを考えている時間は、ポイントなんかより遙かに貴重だと思うけどね。

2024年4月21日

共同責任といった言葉は、まやかしが多い

放送作家として第一線で活躍するだけでなく、自ら番組に数多く出ていた人物が51歳で引退を宣言。

彼がメディアからの取材に応えたなかで、旧ジャニーズ事務所を舞台としたジャニー喜多川の性加害問題についてこう語っていた。

本当はそんなことないだろうな、触れてはいけないな、とか。魔法にかかっていた感じ。すべてが噂で、具体的には何も聞いていない。結果的に見て見ぬ振りをしてきたということだから、僕はみんなと同じ立場。共同責任だと感じています。

笑ってしまったよ。共同責任といいながら、何か責任をとったのか。取っちゃいない。つまり、彼にとっての「共同責任」とは「責任がない」ことなんだろうね。

ジャニーズの件は、一部のメディアを除いてほぼすべての日本のメディアが見て見ぬを続けていたが、英BBCによるドキュメント番組によって世界に知られたとたん、国内でも蜂の巣をつついたような騒ぎになった。結果、多くのメディアやジャーナリストが自己批判を行わざるを得なかった。

だがその後、それに続くエンタメ・興行界の悪弊が明らかにされただろうか。そうしたものは、ほとんど聞こえてこない。ジャニー喜多川の所業は、その世界で今も行われている「見て見ぬを続けられていた」多くの悪行の一つに過ぎなかったはず。

2024年4月20日

働くワンコ

成田空港で見かけたワンコ。農林水産省の省名が書かれた青いベストを着ている。

探知犬として働いているのはシェパードかラブラドル・レトリバーだと思っていたのだけど、こんなかわいいビーグルもいるんだ。 


ここは写真を撮っちゃいけないエリアらしくて、このあと注意されてしまった。

2024年4月19日

そうか 京都、よかったね

京都市にある冷泉家で、木箱に収められていた古今和歌集の注釈書の原本が見つかった。藤原定家によって今から約800年前の1221年にまとめられたものだ。
 
藤原定家の直筆の書であることはその筆跡から明らかになり、推敲の跡なども見られる。またそれ以外に冊子59冊と古文書58点も見つかった。
 
注釈書が収納されていた木箱は蔵の中で保管され、約130年間一度も開けられることがなかった。現在のデジタル媒体、つまりハードディスクやフラッシュメモリ、DVDといった媒体だったら、今から130年後にその中身を確認することができるだろうか。
 
おそらく電子データを取り出す事は難しいだろうし、ディスクはどうやったって800年間はもたない。えっ? クラウド・サービスならどうかって? それって、800年間、サブスクで利用料を払えってことかね。
 
あらためて媒体としての紙と墨はすごいと思う。紙は、人類の最大の発明だ。日々流れ去っていく情報はデジタルで構わないが、人類が後生に残すべき知は、紙でも保管しておくことが大切だ。

藤原定家直筆の注釈書「顕注密勘」

ところで京都で思い出したのが、映画「オッペンハイマー」のなかで米軍の首脳らが原爆投下地をどこにするか会議で話し合っているシーン。
 
投下の候補地リストに京都があがるのだが、時の陸軍長官(ヘンリー・ルイス・スティムソン)が、京都は自分がハネムーンで旅行した先の1つだからそこは避けたいと言った。結果、京都は原爆の投下予定地から外され、広島と長崎が選ばれた。
 
そうだとすると、京都に原爆が投下されなかったのは、たまさかの事だったのである。もしスティムソンが新婚旅行で京都を訪ねていなかったら、今の京都はなかったかもしれない。
 
「京都人にとって先の戦争とは、応仁の乱のこと」てなことを、ある種の京都人は好んで言うらしいが、京都が原爆で一面が焦土になるかどうかはアメリカさん次第で紙一重だった。もしそうなっていたら、古今和歌集の注釈書どころではなかったわけだ。

2024年4月18日

いい加減さと日本蔑視

おフランスから見ると、日本人というのはよっぽど奇妙な民族なのかも知れない。あるいは、いじるのが楽な対象なのか。 

フランス人記者が「NPO法人エンディングセンター」という恰好のネタを見つけたことをいいことに、われわれ日本人でも知らないことをありがたくも色々と教えてくださる。

こうした連中は、どこかに日本人に対する侮蔑観があるのだろう。

ところで、その記事の中に日本では世帯数が減少しているという記述があるが、実際はいまも増加している。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推定では2030年まで増え続ける見通しだ。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp

(出典)国立社会保障・人口問題研究所、2023年4月12日
 

いい加減な記事を書いている仏フィガロ誌の記者はもちろん問題だが、それを平気で転載しているクーリエ・ジャポン(講談社)の編集部もまたお粗末。


『クーリエ・ジャポン』

「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙

Text by Régis Arnaud『フィガロ』フランス

「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。

 井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。

「消滅した星」

政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。
      
農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。

いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。
 
そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。

日本が他の国とは違う点

国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。

この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。

こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。

「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。

人口と反比例して増える孤独

人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。
         
もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。

賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。

 いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。

買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。

さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。

「墓友」

この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。

「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。
 彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。

そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。

孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。

遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。

おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。

死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。

だとか。余計なお世話である。

特殊な事例を意図的に集めてパッチワークすれば、日本人の奇妙さが浮かび上がる。意図して歪んだ編集をすれば、どんな国について何でも言える。

記事というのは、ただ面白ければいいというものではないだろう。

2024年4月17日

なぜ会長は辞任してしまったのか?

オイシックス・ラ・大地の会長だった藤田氏が辞任したという記事を見た。
https://news.yahoo.co.jp/articles/03e9f135c0ae0452fe93e78fee3e3240d35f1b23?page=1

それによると、辞任の理由は、フクシマ第1の放出水を放射能汚染水と投稿したことの責任を取ってと。

えっ、と思った。だってそれは事実だから。だからこそ、20年もの長い時間をかけて東電は海洋放出することにしている。もし放射能のない真水なら一気に流してしまえば済む。そうしたって、太平洋はあふれはしない。

どうしてこうした話(会長の辞任)になってしまうのだろう。今回の件、何もかもがおかしいように思う。

X(旧ツイッター)で「オイシックスは有機・無添加野菜を販売しているが、『汚染水』で栽培されているのか」といった風評が広がったというが、この批判はそもそもおかしい。海洋放出と野菜の栽培には関係がないことは、誰にでも分かるはず。

この記事を書いたライターもおかしい。藤田氏が学生時代に大学新聞に関わっていて大学当局を批判していたと書いているが、77歳の藤田氏が学生時代だったときの話だろう。そんな半世紀以上も前の話を持ち出して、彼の人物印象を作ろうとしているのは間違ってないか。

そんな記事を掲載するメディアの編集者もおかしい。

彼が会長職にあった会社の社長もおかしい。「高島宏平社長(50)は藤田氏への監督責任を取る形で2月12日~3月末の役員報酬の10%を自主返納した」とされるが、会長だった藤田氏が放射能汚染水のことを書いたのは個人のX上だ。企業の経営とは関係ない。社長が責任を取る筋合いではないし、しかも会長に対する「監督責任」とはどういうこと? 

社長だけじゃない。他の経営陣はなぜ藤田氏を守らなかったのか? 経営陣は懲罰委員会によって彼を処分することを決議したというから呆れる。人を傷つける発言とか反社会的なことを会長としてやった訳ではない。

汚染水放出をどう考えるかは人それぞれであるにもかかわらず、それに対し取締役会は懲罰を与える決議をした。しかもそのきっかけがSNS(誰が書いたかも分からない便所の落書き)での風評ときてる。そうしたお粗末な経営者たちこそ懲罰の対象になるべきだ。

藤田氏もおかしい。辞任する必要がないのに辞めてはいけなかった。馬鹿を相手にするのが嫌になったのは分かるけどーー。

どれもこれもが世間の「空気」に怯え、それに従属している。

2024年4月15日

入管を名乗る電話から考える

携帯電話に「入国管理局から重要なおしらせです」で始まる電話が入った。その後、中国語が続き、何も反応しないでいると切れた。

中国語の内容は分からないが、〇番を押せと言った指示があったのかもしれない。 

発信者番号は +29532747545だったが、295という国番号はどこにもまだ割り当てられていない。つまり、カモフラージュするためのもの。スマホアプリで簡単にそうした国際電話番号を取得することができるらしい。

日本人はいままで情報セキュリティについて、お世辞でも慎重だったとは言えない。ズボラというかお人好しというか、直に目に見えない事に関して日本人は理由もなく大丈夫だろうと高を括って信じてしまう傾向が強い。

結果、すでに膨大な量の日本人の個人情報が世界に流出している。やっかいなことには自分がいくら注意していても、他人の「連絡先」に情報が入っている場合、それらも一緒に流出してしまう。

https://www.moj.go.jp/isa/publications/others/nyuukokukanri01_00142.html

2024年4月14日

Eメールを有料化したらいい

口座を持つある銀行から、

【重要なお知らせ】公共料金の未払い料金請求を騙るフィッシングメールにご注意ください 

と題するメールがきた。これまでも他銀行から同様のメールを受け取っているし、また銀行のサイトを開いたときにも多くの場合、同様の注意書きが赤字ボールドで記されている。

口座番号とパスワード、あるいはカード番号と有効期限、セキュリティコードを盗み取ろうとするものだが、どうも世の中全体でこうした詐欺および詐欺未遂が増える一方のようだ。

ある法律事務所のサイトには、フィッシングメールが成功している確率は低いが、0.001%の確率で成功すれば犯罪者には割に合うと示されていた。「10万人に1人が引っかかれば、めっけもの」というわけか。

だが、そもそもネットでのメール送信にはコストはまったくかからない。ということは、10万件に1件であろうが100万件に1件であろうが、フィッシングメールに対して1件でも狙った反応があれば、奴らとしては儲けになるわけである。

フィッシングを仕掛けるのに、難しい技術はいらない。パソコンが1台あればできる。どこからでも奴らは「仕事」ができる。しかも、不正な手段でパスワードなど取得して警察に掴まったとしても、1年未満の懲役または50万円以内の罰金である。しかも、実際に摘発された話はとんと聞いたことはない。

このままでは、フィッシングメールは絶対になくならない。たとえば、8,000万人が利用登録しているというLINEの個人情報は中国に筒抜けになっていて、データがかの国に流出した可能性がきわめて高い。

https://bunshun.jp/articles/-/70027

本人がLINEを使っていなくても、LINE利用者の「連絡先」に登録されていた人の名前やアドレス、電話番号なども一緒に抜かれているはず。

フィッシングメールには政府や警察も注意喚起をしているし、法改正もなされているが甘々である。抜本的な対策が必要とされている。ひとつの考えは、規制を一気に厳格化すること。だが、これにはリスクも伴う。

もう一つの案は、フィッシングメールの送信が割に合わなくすること。そのための対応策は、メール送信を有料化することだ。実際に詐欺を働こうとしている奴らがどのくらいの数のメールを送信しているのか知らないが、それが割に合わなくすればいいのである。

たとえば、メール1通につき1円の費用が発生するようにする(その支払い方法や支払い先、徴収した金の使途は別途考える)。教育関係や公的組織などは無料にする。企業などは自社内のイントラネットを用いるようにすればいい。

詐欺犯どもが、もし100万通の詐欺メールを送ればその費用は100万円である。さてそれでも奴らはフィッシングメールを送り続けるかどうか。費用を睨んで送信を踏みとどまるのではないか。

ただし、それだけコストがかかるとなると、これまで以上に手の込んだ内容のフィッシングメールが登場してくるかもしれないが。

我々みな、メールはタダなのが当たり前だと思っている。だが、それを変えてもいいんじゃないのかね。フィッシングメールが激減するだけでなく、世の中のつまらぬメールも減って少しは快適な社会になる。

本当に必要とするメールなんか限られている。

2024年4月13日

15歳は、生産年齢だろうか

昨日、総務省が人口推計を発表した。それによれば日本の生産年齢人口は7400万人ほど。前年比、60万人減。減少は13年連続だ。

生産年齢人口とは、15歳から65歳未満の人口を意味する。「生産活動に就いている中核の労働力となるような年齢の人口」と定義されているが、現在、15〜18歳(高校就学年齢)で労働力となっている人たちはどのくらいるのだろう。

下記の総務省HP内のグラフでは、昭和25年(1950年)からのデータが集計されている。その頃は高校への進学率ですら半数を切っていた。つまり、高校に進学しない半分以上の人たちは確かに「生産」に携わることになる人口だった。

地方の中卒者を中心とする「集団就職」は1970年ごろまで続き、オリンピックのころには「金の卵」が流行語になった。

時代が時代、今とは隔世の感がある。いまも義務教育終了後、つまり中卒で働きに出るひともいるだろうが、全体の中での比率はかなり小さいだろう。

そうすると、正確には実生産年齢と言えない15から18歳を彼らを先の数字から減ずるのが正しい生産年齢人口であり、それが実生産年齢人口とも言える。

15から65歳というひとつの括りは、統計データの連続性からは保つべきだろうが、その名称(意味合い)は検討し直した方がいい。

増加し続ける65歳以上の高齢者の数も、15年から20年後にはピークを迎える。その後は減少に転じていく。そして子供の数は、減り続ける一方だ。

ところで、日本では人口減少が問題だと言われ続けているが、1964年の東京オリンピックの頃は日本の人口は1億人に達していなかった。日本はこれから30年かけて、その頃と同じ人口に戻っていく。

ただ、そのときの顔ぶれ(年齢別構成比)は大きく変わっていることだけは間違いない。そこは、活力の失せた干からびた社会になってしまっているんだろう。

年齢別人口構成比からだけ見ると、65歳から74歳の層を生産年齢に入れるのが1つの解決策に思える。ほぼ日本の全人口が同じ(約1億人)である1964年とその90年後である2055年を比べてみると、1964年の生産年齢人口は6,744万人、生産年齢層を拡大した2055年の生産年齢人口は6.286万人。その枠内の人数の減少率は7%ほどになり、その程度は技術の進歩で埋め合わせできる。

後はその上の層、つまり75歳以上の高齢者を中心にした社会保障費をどう手当てするかである。防衛費をアメリカの言いなりになって盲目的に拡大している場合ではないということが分かる。

2024年4月12日

非力な顧客窓口を持つ企業の行く末は

急な用で帰省する必要があり、国内便のフライトを予約。搭乗前日にANAから「チェックインのご案内」というメールがきたが、メールに記された搭乗用情報のターミナル番号の欄がブランクになっている。

羽田は、第3ターミナルが国際線。だから第1ターミナルか第2ターミナルなんだろうが、国内線のフライトは普段めったに使わないのではっきり覚えていない。

問合せ先のカードデスクに問い合わせてターミナルは確認できたが、なぜターミナル番号がメールに不記載だったのかは不明だという。 「システム上、あるいは人為的ミスです」と説明するが、それ以外の原因があるのか。不記載の理由が分かったら教えてくれるように言って電話を切った。

それから一週間たつが何も連絡がない。一週間たっても原因の究明ができていないとしたら、企業として失格だ。あるいは放置しているとしたら、それもまたサービス業として問題だろう。

電話をしている際に、相手が自分の社内についてほとんど分かっていないことが気になった。システム部門に連絡して確認します、と言ったが、それが具体的にANA内のどういった部署なのか、所管がどこなのか、誰に話を持っていけば良いのかなど、何も分かっていない感じだった。

これは多くの日本企業がそうであるように、外からの問合せを受ける顧客窓口部門が組織内でほとんどといっていいほど力がないことと繋がっている。窓口を外部のコールセンターに外部委託しているところはいうまでもなく、今回のように社内にそうした部門をおいているとことでもそうだ。

本来は、顧客とのもっとも重要なタッチ・ポイントであるカスタマーサービス部門が、利益を生まない部署だと言う考えによってないがしろにされているケースだ。

残念ながら、そのツケは間違いなく売上と利益のマイナスとして返ってくる。

2024年4月3日

マリーナベイ・サンズ

こういうところは、本来あまり好きじゃないのだが、でも実際行ってみないことには気に入るかどうか分からないから行ってみた。


マリーナベイ・サンズ36階「スカイパーク」の人々

確かに眺めはすばらしかった

パノラマで撮影

地上200メートル36階の展望デッキ(スカイパークって言うらしい)を一回りし、そこでサッポロビールを一杯飲んだ後、ショッピングセンター、フードコート、地下にあるカジノも行ってみた。

シンガポールの人たちはカジノに入るために入場料がかかるが、観光客は完全無料で入れる。ただし入るときと出るとき、それぞれパスポートを提示させられる。

現地の友人曰く、政府はシンガポール人がカジノを利用することはまったく推奨していない。それはそうだろう。政府も含めての胴元が金を儲ける以外、何の価値もそこでは生まないんだから。

カジノの中はシンガポールであるにもかかわらず喫煙自由で、客たち(多くは中国人観光客)が歩きながらタバコをスパスパやっている。煙い、クサイ。それがカジノ。大阪で維新の会がやりたがっているのが、こうした施設だ。

日本語が併記された施設内の案内表示。
日本人も上得意客なんだろう

NUSビジネススクール

今日は午後、ランチを取りながらNUSビジネススクールの教授と打合せ。

その後、施設をぐるっと案内してもらったのだが、ビジネススクールだけでビルが3つある。またそれ以外に、それらと隣接する形で卒業生のためのビルも。そこにはプールまであったのにちょっと驚かされた。


2024年4月2日

どこの国でもリサイクルは難しい(シンガポール)

外出先から宿に帰る途中、少し道に迷い、表通りからいくぶん離れた裏道を通っていたら、トンネル通路のなかにさりげなく設置された廃品回収箱を見つけた。

ここに書かれた説明を読むと、衣料、(柔らかい)玩具、枕、宝石(マジ ?!)、バッグやベルト、靴、カーテンなどの日用品を回収してリサイクルに回しているらしい。なかなか結構な試みである。

若い女性が2人やって来て、この「Let's RECYCLE」の前でお互いに何やら言葉を交わした後、持って来たボストンバッグの中身をザバザバと投入していった。なるほど、彼女たちのような若い人が積極的に環境保全へ取り組んでいるんだなと思った。

ただ、この回収箱の側面には、破棄された衣料品189,000トンのうち、わずか4%しかリサイクルされていないとある。まだまだ、これからという感じ。

2024年4月1日

雨のフォートカニング・パーク

街の中心部にあるフォートカニング・パークは、標高160メートルほどの小高い丘である。そこが見事な公園になっている。

午後、出かけた際にその公園を抜けて目的地へ行こうとしたら突然途中でシャワーに見舞われた。シャワーと行っても、最初はポロポロと来ただけだったので10分か15分かで止むと思い、大木の下で雨宿りをしていたのだけど、急に雨脚が強まりどうしようもなくなり、公園内のホテルに飛び込んだ。

とにかく建物のなかに入らなきゃと一番近い扉を開けて飛び込んだら、その扉はホテルの厨房の裏口(つまり搬入口)だった。そこいた厨房スタッフの人たちにゴメン、ゴメンと言いながら奥へ進み、ホテルのレストランの真ん中を通ってフロントのところへ出た。

雨はなかなか止まず、結局そのあと、40分近くロビーで雨が止むのを待たせてもらった。ただ、こうした天気はこの国では珍しくないわけで、今日の僕のような客、いや正式には客でもなんでもない人間も温かく放っておいてくれるだけでなく、ホテルのスタッフはみんな、僕の前を通るときには軽くお辞儀をしていってくれる。もちろん僕もそれを返す。





2024年3月31日

大学寮を覗く

夕方、昔の英国留学時代の同級生だったシンガポール人が、息子を連れてホテルまでやってきた。彼をシンガポール国立大学のHall(学寮)までクルマで送るので、よかったら一緒に行ってみないかと。

大学2年生になる彼は、6つある大学寮の1つに住んでいる。Raffles Hallという1958年にできた歴史のある寮だ。

他の寮生と同様に、月曜日から金曜日まではそこで過ごし、金曜の夜か土曜の朝に自宅にもどる。そして、日曜日の夜、父親(つまり私の友人)が時間があればクルマで大学まで送り届けてやるらしい。

厚かましくもその寮の部屋の中まで入れてもらった。2人部屋。狭い。ベッドが壁の両側に2つ並んでいるが、その間のスペースは50センチもないくらい。室内設置型のエアコンが部屋の真ん中に鎮座してフル回転していた。本当はエアコンの設置はだめらしい。けれど、それじゃあ暑くて勉強できない。大学当局も見て見ぬ振りをしている。

その後、広大なキャンパスを彼の運転で見て回った。日曜の夜だけあって、とても静かだ。その中、キャンパス内巡回の黄色いバスだけが走っていた。

大学には門がなく、誰でも自由にどこからでも施設内に入れる。クルマでの出入りも自由だ。管理社会の典型であるシンガポールで、大学がこのように運営されているのは意外だった。

完全にオープンにしていて、そのために構内で問題や事件が起こることはないのか訊ねてみたが、ほとんど聞かないという。そうした社会的秩序ができているのかもしれない。それと、確認はしなかったがカメラによるモニタリングが行き届いているからかもしれない。

ところで、自宅から通学しても1時間ほどなのに、なぜわざわざ寮に入るのかーー。彼(オヤジの方)曰く、若いうちに共同生活を送ることでコミュニティの一員としての意識を涵養することに役立つからと。

確かに日本の大学でもかつては寮がたくさんあり、学生ならではの共同体としての役割を果たしていた。そういえば、京大の吉田寮の老朽化に伴う建てかえのために明け渡しを大学側が寮生に求めている件は、その後どうなったのだろう。 

シンガポール国立大学の寮はとても人気で、入寮のための競争が激しい。また一旦入寮しても、翌年度にそのまま残れるのは20〜30%で、残りの学生は退寮させられる。残れるかどうかの基準は、その寮での各種活動(運営参加やイベント開催など)によって「稼ぐ」ポイント数によって決められる。そうした点は、なるほどシンガポール的なのである。

シンガポールのナショナル・ギャラリー

街の中心部にあるナショナル・ギャラリー・シンガポールに行ってみた。15ドル(シニア、教員、学生は割引料金が適応される)を支払ってなかへ。

この建物は、もともとは1929年に建てられた旧市庁舎と1939年建設の旧最高裁判所の建物を改築したもの。広さは十分、シンガポール政府の意欲がはっきりと感じられる。

フロア案内

僕が面白いと思ったのは、建物の入口のところにあった巨大な送風機。シンガポールは暑いからねえ。

目玉のような8つの送風口の下に、送風口の向きを勝手に変えないようにという注意書きが書いてある。

ところで、これって何かに似ているなと思ったら気がついた。あれだよ、大阪万博のあの変なやつ。

国家プロジェクトなら、何でもいいのか

神奈川県の黒岩祐治知事が、品川と名古屋を結ぶ予定になっている中央リニアのことで静岡県の川勝知事に苦言を呈した。

静岡のエリアでは、工事に伴う生態系への影響や水資源がどのようになるかの調査結果が得られていないとして工事を中止させていることを指してのことである。

黒岩神奈川県知事はその際、リニアは「国家プロジェクト」なんだから「責任を果たすのが当然」と言い切ったらしいが、大きな勘違いをしている。

そもそも国家プロジェクトの定義は何なのか。リニアはJR東海という民間企業が始めた取り組みではないのか。

ただその会社には「皇帝」と呼ばれて30年近くもその企業を牛耳っていた経営者がいて、その人物が安倍元首相と連んで事を進めていたから、いつの間にかそれを「国家プロジェクト」と言い始めた連中が出てきただけだ。

リニアは国家プロジェクトではない。また、もし国の金が注ぎ込まれているから国家プロジェクトだという向きがいたとしても、そのことと「責任を果たすのが当然」かどうかは別の問題である。

この黒岩というおじさん、国家総動員法でも日本にまた復活させたいのだろうか。国家がどうのとか、そうした大きな理屈で盲目的に物事を判断するのではなく、もっと冷静に事の是非を考えた方がいい。

無理か。頭の中が「アワビにバナナ」だからナ。
https://bunshun.jp/articles/-/61913

2024年3月29日

だから、人々はチェンマイで長逗留してしまう

チェンマイに4日ほどいて、バンコックを経てシンガポールに戻って来た。

バンコックの宿の宿泊費は、シンガポールのおよそ3分の2から半分。そして、チェンマイはバンコックの3分の2から半分である。つまり、チェンマイのホテルは、シンガポールの半分から4分の1の値段ということになる。

値段が半分から4分の1で部屋の広さは3倍、ホスピタリティのレベルは2倍である。総計すると、チェンマイのホテルの価値はシンガポールの12倍から24倍という計算になる。

シンガポールには、その効率的な社会システムなど優れたところが数多くあるが、海外から遊びで来るところでなく、あくまで金を稼ぐ場。とりわけ今のように安い日本円を財布に入れてやってくる日本人には、そうとしか思えない。



アルジャジーラ

ホテルにもよるが、僕が泊まり歩いている宿ではCNNもBBCも映らない(契約していない)ことが多い。英語でニュースが聞けるチャンネルがないか探すと、ABCかアルジャジーラ(Al Jazeera)に落ち着く。

契約チャンネルにCNNもFOXもないけど、ABCは映ることが多い。CBSやNBCは映らない(だからSNLは見られない)。

そうした状況の中では、ニュースでは断然アルジャジーラが見応えがある。中東カタールのドーハに本拠地をおく放送局だが、イスラム寄りの放送局ではない。僕が見る限り、極めて高い中立性を保っているニュース専門局だ。

局のモットーは「一つの意見があれば、もう一つの意見がある(the one opinion and the other opinion)」というもの。オルタナティブの重要性を示すもので、これはすごくいい。

アルジャジーラのニュース番組

それにしても、こちらで視聴できる「NHKワールド」は、一体誰に向けて放送しているつもりなんだろう。編成担当が何を考えて制作しているのか、まったく分からない。これじゃ、誰も見るわけないな。いや、とにかく日本語が恋しくてしょうがない日本人が見るか。

アルジャジーラと比べて、あまりに番組のクオリティが低いのは予算のせいか、制作能力のせいか、やる気のせいか。ともかくNHKの国際放送は、あんまりみっともない番組を外国で流すのは止めた方がいいと思う。

2024年3月28日

チェンマイ( /3)

宿の前に自転車が何台か並べてあったので、1台借りて町に出た。

これなら遠くへ行けそうなので、昨日まで出かけていた市街地と反対の方面にペダルを漕ぐ。 すぐ脇を抜き去っていくクルマの排気ガスを浴びつつ、地面の凸凹に車輪を取られないよう注意をしながら自転車を走らせる。だんだん周囲の人口密度が低くなっていく。

途中で線路に突き当たったので、線路に沿ってその脇を北へ向かって進むとチェンマイ駅に着いた。チェンマイの街は、街を挟んで西にチェンマイ空港、東にチェンマイ駅がある。

駅の構内は静まりかえっている。タイムテーブルを見ると、もともと発着の本数が少ない。駅にはプラットホームが4番まであるが、列車を待っている客はいない。いるのは、ホームのベンチ寝ている若者だけだ。荷物がないところを見ると、旅行者ではなく地元の青年なんだろう。静かにゆっくり昼寝できるとやって来てるのかも知れない。

待合室(といっても正確には部屋ではないのだが)にはバックパックを背負った白人が何人かいた。若者だけでなく、中年の夫婦も。おそらくチェンラーイか、ラオス国境あたりへ行くのかもしれない。

2024年3月27日

チェンマイ( /2)

チェンマイ2日目。昼間に出歩くのはかなり疲れることが分かったので、暑い時間帯は静かに宿で過ごすことにする。日がほぼ沈むかけたころから、街へ。

街の中心部を歩いているとマッサージの店、カフェ、入れ墨の店が多いのに気づく。それとバイクを取り扱う店も多い。前の3つは、明らかに観光客目当て。

マッサージ店で働いているのは、ほぼすべて女性である。若いお姉さんを揃えた店と中年以上の女性を従業員として集めた店と、明らかに店のタイプが分かれている。

僕がフットマッサージをやってもらったのは、後者。アスリートのような筋肉質のおばさん(歳はよく分からない)に揉んでもらった。

店頭のメニューだと1時間が250バーツ。30分でやってくれと頼むと200バーツだと言う。180バーツに値切り、マッサージが終わったあと、担当者に20バーツをチップで渡した。

マッサージ自体は、最初香油のようなものを塗って香りを立て、その後はジョンソン・エンド・ジョンソンのベビーオイルかと思えるオイルを足に塗りながら、さすりながら、揉んでいく。取り立てて何もないけど、気分のせいか、いくぶん足が軽くなる感じがした。

本当はね、しっかり身体全体マッサージしてもらいたいところなんだけど、日本出発前に発症した帯状疱疹で左の胸から脇、背中が刺すように痛い。これをマッサージ師にグイグイやられたら、痛さで間違いなく卒倒しちゃうからね。残念。

フット・マッサージの後、ピン川の畔のガーデン・レストランで、スズキのフライとビール。ステージではバンドが懐かしいアメリカン・ポップスを演奏していた。男性と女性のツイン・ボーカルだが、その女性が上手い。

帰りしな、ステージ近くに寄って「よかったよ」というサインを送った。彼女が唄いながら、ぴょこんと頭を下げた。まだ学生のような感じだった。

2024年3月26日

チェンマイへ

バンコクからチェンマイへやって来た。バンコクは高層ビルが建ち並ぶビジネスセンターのようになっていたが、チェンマイはそれに比べればのんびりした、でも観光客(特にここでも団体の中国人客)にあふれたタイ第2の都市である。

今日は午後早い時間に到着したので、宿にチェックインした後はさっそくコンパスをポケットに街中を歩く。4時間ほど歩き続け、町の中心部を全部とは行かないが、その全体の規模は理解できた。街中の方々に、実にたくさん寺院がある。

チェンマイの真ん中を流れるピン川(Ping River) 

川の畔でくつろぐ若者 


蓮で溢れた市内の小川

髪を切るような感じで入れ墨を入れる

アユタヤへ

バンコクからクルマで北へ1時間半ほど。こちらの人によると、正しくはアユタッヤーと発音するらしい。

ここは14世紀から王朝がおかれ、400年以上にもわたって栄えた古都。その後、18世紀にビルマに攻め入られて陥落し、町は破壊された。多くの寺院は壊され、仏像は首をもぎ取られた。そうした破壊の歴史がこの街のあちこちに残っている。

アユタッヤーを代表するワット・プラ・ラーム、ワット・マハタート、ワット・プー・カオ・トーン、そしてワット・チャイナッタナーラムを訪ねた。

首をもぎ取られた仏像

三輪のトゥクトゥクのドアにUNESCOの文字

傾いている仏塔

暑い日は昼寝をするのが正しい

首のない仏像の列

ガジュマルの木に仏さんの頭が

破壊された数々の寺院、首を取られた仏像が痛々しい。だが、いまパレスチナで行われているガザの街の破壊とジェノサイドは、これらを遙かに超えている。

2024年3月25日

ムエタイ観戦

バンコク市内には、ムエタイ(Muay Thai)のスタジアムが2つ。そのなかの1945年に創立されたという歴史的あるスタジアムで試合を観た。

今日のマッチは8つ、午後6時15分に第1試合のゴングがなった。テレビ局が入っていて、中継で番組を流しているが、午後8時で番組中継は終了。試合は第5試合あたり。

テレビ局のカメラマンがいなくなると、一気に会場の空気が変わった。特にセコンドで大騒ぎしていた選手の所属クラブの連中がさっと消えてしまった。

大声を上げるセコンド。リング上の選手には迷惑なんじゃないかね、これ。

試合が始まる前に、念入りに儀式のようなことを両選手が行う。タイのムエタイは、日本の相撲のようなものなんだろう。 

2024年3月23日

35年ぶりのバンコク

シンガポールからバンコクは、飛行機で2時間20分。羽田から那覇へ飛ぶより早い。

シンガポールは暑かったが、バンコクはもっと暑く、湿度も高い感じである。昔の感じで街を歩き回ると確実に疲弊する。そんなとき、否応なく歳を感じる。

20代、アジアを旅していたときは疲れなんか感じる暇はなかったけどね。朝から日が暮れるまで街中を歩き続け、一日3リットルの汗をかき、4リットルのビールを体に流し込む。そんなことを連日続けていた。

バンコクだけど、35年経って街が大きく変わったかというと、確かにニュキニョキと高層ビルが市内の方々に建てられたが、王宮を中心とするチャオプラヤ川周辺地域は時間の割にはあまり変わってないように思う。

アクセサリーなど細工物を売っている無数の路上店舗も時間が止まっているかのようだ。

王宮

王宮内で見つけたヒゲの友だち

途中、歩き疲れてワット・マハータート(Wat Mahathat)という「格式の高さはバンコク随一」とガイドブックに書かれた寺院の前で入ろうかどうか思案していたら、その前にたむろしているトゥクトゥクの運転手から、どこから来たんだと声をかけられた。

ワット・マハータートは、ドレスコードが厳しい

暑さで疲れ、真面目に答えるのが嫌な気分だったので、どこから来たと思うか、と返したら一瞬押し黙ったあと、 "Germany?" と言ったよ。

俺のどこがドイツ人なんだ。"No" と返し、もう一度どこから来たと思う? と相手に聞いたら、隣のトゥクトゥクの運転手と何か相談したあと、"Nepal?"。

近づいて来たな、と少しだけ面白くなり "No" と返したら、今度は "Greece?" と言ってきたよ。また遠くに行ったじゃないか。 

彼らは何十年も毎日何十人という客に「お前はどこから来た?」と聞いているのに、何にも分かっていないみたいだといささか呆れてそのまま立ち去ったが、後で考えてみれば、彼らにしてみれは相手がどこの国出身であろうとそんなこと関係ないのだ。

彼らは国際交流をしたいわけじゃないんだから。ただ客引きのために話かけているだけなのだから、ドイツもネパールもギリシャも同じなんだろう。

2024年3月22日

Grabのドライバーと

移動手段としてのグラブがとても便利だ。アプリが使いやすく、よく出来ていることに感心する。まだ使用経験はそれほど多くなく個人の印象のレベルだが、運転手は既存のタクシーに比べて全般的にとても若く、対応やサービスもよい。

これまで乗ったグラブ・タクシーの運転手は、全員が日本で言う「脱サラ」のドライバーだった。働いている時間が長いことをぼやいたりしているものの。彼らの全般的な仕事の満足度は高い。まず、働く時間も含めて自分で自分の仕事をコントロール出来ることと組織に縛られない気安さをみんな強調する。ストレスが極度に減ったと。

だから、客に対するサービスも向上する。乗客の満足度も高まる。客は降車後にアプリへ送られてくる領収書を確認し、ドライバーを評価する。乗せた客からの評価がよければ、ドライバーは仕事がさらにやりやすくなるだけでなく、気持も良いはずだ。いいサービスを続けようと考える自然な動機づけになっている。仕組みがよく出来ている。

 
今朝、宿から空港までの移動で乗ったGrabドライバーは、母方の祖父が日本人だと話した。第二次戦争のとき日本軍の兵士としてシンガポールに来て、終戦後そのまま残ったのだという。

彼が小学生の頃に亡くなったらしいが、子供の頃に抱かれた彼の手はまるでアスファルトの道路面のようにザラザラだったと言った。戦争が終わった後シンガポールに残り、ずっと金属を磨く仕事を続けていたからだとか。その人は日本には一度も戻らなかった。母親になぜ彼は一度も生まれた国に帰らなかったのか聞いたことがあるが、教えてくれなかったと話してくれた。

わざわざそんな作り話をするような人物には見えなかったので、本当の話だろう。そんな話を助手席に乗って移動中に聞けるのもGrabを選ぶ理由の1つになっている。

2024年3月21日

シンガポールは、買い物地獄である

かつてシンガポールは、ショッピング天国などと言われていたらしい。今はまったく様相が異なる。

とにかく何でも高い。いや、例えば食事を現地の人たちが普段行くような店で済ませば、その点はそうでもないかもしれない。だが、ちょっと贅沢をしようと思うと、別のモードに入る。

スーパーマーケットに並んでいる商品を見ても、アルコール飲料といった生活必需品以外のものはとても高価。例えばスーパーの棚にあったコッポラのカベルネ・ソーヴィニヨンが、59シンガポールドル(日本円で6600円)だった。日本では2800円だから2.3倍である。

ただし、これはシンガポールに限った事ではない。対米ドルでもユーロでも同じだ。日本政府と日銀がずーと円を安く、日本を安く誘導してきた結果だ。インバウンドと呼ぶようになった外国人観光客を国内に呼び込むのには格好だが、確実に日本人は外国に出て行きづらくなった。

為替レートの推移(SGD対円)
 
政府が短期で懐を膨らませ、大手企業や一部の富裕層をいっそう太らせるには良いのかも知れないが、長期的には国の成長を間違いなく妨げる施策。本来の「成長」を忘れた愚策の結果である。

2024年3月20日

(Part of) My new life has started

大学から1年間の特別研究期間をもらって、外国に出た。

最初の滞在地は、シンガポール。ここで数ヵ月、シンガポール国立大学(NUS)をベースにして活動をする予定だ。

日本を出るときにはコートを手にしていたが、ここでの正しいスタイルは、半袖シャツに短パン。とにかく日中は暑い、そしてムシムシする。夕方には突然、スコールのような雨に襲われる。ただ、天気に文句をいっても仕方ないので、こればっかりは適応するしかない。

今日はこれまでの暑さでいささか疲れ、午後は宿で少し長めの昼寝をとった。そして、夕方からはいつものように町の散策へ。

歩いていると、町の中心部にSMU(Singapore Management University)の広いキャンパスがあった。一般の人たちもそのキャンパスのなかを通り過ぎている。

タウンホール(市庁舎)の方に足を進め、その後近くのラッフルズホテルで夕食をとることにした。Burger and Lobsterというレストランでロブスターロールを。7時までのハッピーアワーにギリギリの時間だったので、ビールとワインを一緒に頼んだ。 

ほろ酔い気分になったので、食事の後はそのままラッフルズホテル内のLong Barへ。カウンター席の目の前に置かれたのは、落花生が入った麻袋。おつまみなんだろうと、遠慮なくいただく。

しばらして、バーのスタッフに「正しい落花生の食べ方を教えてくれ」といったところ、殻は構わず床にそのまま捨てるのが正しいやり方だとか。19世紀からの習わしで、マレー人の何とかがといったその事の起こりも説明してくれたが、頭に入らなかった。ただ、それが今も続くトラディションか、との問いに彼がYesと答えたのは覚えている。

隣の席に女性の一人客がやって来て、グラスを前にして手持ち無沙汰にスマホをいじり始めた。さっき聞いたばかりの(少し記憶が怪しげだが)落花生にまつわる話をしたら面白がってくれた。 

 
 
天井の団扇が扇いでくれる

ここシンガポールには数ヵ月の滞在予定。その間に周辺の国を回るつもりである。夏はロンドンをベースにして、まだ行ったことのない欧州の国をまわりたいと思っている。

もうバックパックは背負っていないが、それに近い形の一人旅だ。高齢者の仲間入りをした身で、果たしてこれからどれだけまだ見たことがない新しいものを見ることができるか。

2024年3月19日

いまどき昭和風の学生の蛮行に苦笑する

神戸大学の学生サークルのメンバーが、合宿か何かで宿泊した旅館の部屋を荒らしたニュースが広がっている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b98e41f4446a8260caf5ac846c5807bb642f9c5

部屋の中で、メンバーをみんなして胴上げして、天井に穴を開けたとか。やるね。

部屋の障子をメタクタに破り、その穴から皆で顔を出して記念写真を撮ったとか。おもろいやん。就活でのお前らの証明写真に使うといい。

こちらは顔出ししているウチの猫

 
ただ、どういう気持でそうした事を旅館でやったのか、少し気になる。報道には、

旅館によると、破壊された天井や障子は既に、学生らが加入していた保険をもとに修復されており、警察への被害届は出されていないという。

とある。

やっちまっても、どうせ加入している保険ですべてカバーされると分かっていてやったのなら、鞭打ちだ。

そして、その出来事を知った神戸大学当局のコメントにも首を傾げる。新聞によると、

神戸大はHPで「本学学生による不適切行為がSNS上に掲載されており、関係者の皆さまには大変ご迷惑をおかけし深くお詫び申し上げる」

とコメントしたらしい。

SNS上に掲載されていることにまず言及しているが、そんなことは事の本質には関係ない。ネットで広がっているからといったことではなく、問題は学生が破壊行為をしたという一点にあるんじゃないのか。

2024年3月15日

BSW

大学から特別研究期間をもらい、明後日からシンガポールへ行く予定だ。

シンガポールでは入国の際の入出国カード(紙)が廃止され、代わりに専用アプリによる事前の電子入国申請が求められている。

今し方、スマホでその手続きを済ませた。アプリでできる手続きの種類にはいくつかあって、短期滞在の入国だけでなくて、それを延期するための手続きを行うという項目もある。

シンガポールは継続的な滞在が1ヵ月を超える場合はビザが必要になる。そのためだろう。試しにそのボタンをクリックしてみた。いくつかの記入項目が現れたと同時に、見知らぬアクロニム(頭文字語)がいくつも出てきた。UOB、DBS、OSB、OCBC、NIR、MOHなどだ。最後のものだけMinisitry of Healthだと推測できた。その言葉の近くにCOVID-19についての記述があったから。それ以外は分からない。

こういったものは、シンガポール人には自明のものなんだろう。日本人が、NHKを日本放送協会の略称だと知っているような感じだ。だが、他国の人間はおそらくほとんど知らない。

外国の人がそれらを知っているかどうかは、ちょっと頭を使えばわかるようなもの。不親切。ベースに傲慢さがある。

結局、このアプリの画面はとってもBSWだ。僕には(B)さっぱり(S)分からない(W)。 

2024年3月14日

みんなで叫ぼう、「クソ野郎!」

「クソ野郎」とツイッターに投稿されたことで名誉を傷つけられたと、元TBS記者山口某(ジャーナリストの伊藤詩織さんに性暴力を加えた)が、れいわ新選組共同代表の大石晃子議員を訴えていた件の判決が出た。

東京高裁は損害賠償金の支払いを認めた東京地裁の1審判決を取り消し、山口の請求を棄却した。

1審での東京地裁の裁判長は、「クソ野郎」を「攻撃的かつ激しい侮辱」だとして名誉毀であるとした。一方、2審の東京高裁の裁判長は、「直ちに人身攻撃となり、意見や論評の域を逸脱したとは断じられない」と判断した。

この違いは面白い。裁判長2人の価値観と言語感覚が大きく異なっているのがうかがえる。それにしてもツイッターでの「クソ野郎」との投げかけを「攻撃的かつ激しい侮辱」とまでネガティブに受け取る東京地裁の裁判長は、ずいぶんお上品な育てられ方をしてきた人なんだろうナ。


とにかく、ある意味で「クソ野郎」に裁判所のお墨付きが出たようなもの。世の中を見回すとそこかしこに「クソ野郎」がいるではないか。さあ、ソイツらに向かって、みんなで叫ぼうじゃないか、クソ野郎って。

2024年3月13日

映画「オッペンハイマー」

96回目になるアカデミー賞では、「オッペンハイマー」が作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。

 
原爆の開発責任者だったJ・ロバート・オッペンハイマーについて描いた作品である。僕は先月、この映画を2回観た。飛行機の中、行きと帰りだ。他に観たいものがなかったからだけど。

さて、昨年7月に米国などで公開されたこの作品は、まだ日本では公開されていない。原子爆弾の本質、原爆でのヒロシマ、ナガサキでの被害や被災者の姿などがきちんと描かれていない、という批判がすでに多く寄せられていることがその理由の1つだ。

日本人の一般感情としてそれは分かるが、この映画はそれを目的に作られたものではない。「ゴジラ」とは違う。

焦点は原爆そのものではなく、その開発の中心人物で原爆の父と呼ばれた(呼ばれてしまった)人物の思いや葛藤が中心のストーリーだ。それはしょうがない。映画として世界中に配給され、成功するものをと考えたならそうなる。だから、日本人がこの映画に「NHKスペシャル」のような作りを期待したら完全に間違っている。

映画で描かれた原爆の「向こう側」にいたわれわれ日本人が考えるべきこと。それは、この映画がヒロシマ、ナガサキの被災者の状況をきちんと描いていないことに対して不満を募らせることではなく、なぜ原爆の投下を相手に許してしまったのか、なぜそれを止められなかったのか、つまり大戦の負けを認めるべきタイミングでそうした対応(降参)を国の中枢部が決められなかったのかだ。

僕は米国による日本への原爆投下を認めているのではない。しかし、もし日本が原爆を大戦中に先に開発していたなら、日本の軍部は間違いなくそれを敵国に対して使用していただろうこと、そして、そうした戦争にともなう開発競争のなかで、大局的にどのように国民と国を守っていくかという考えが、日本の中枢部には決定的に欠けていたことは確かである。

2024年3月12日

「新感覚」の自民党青年局議員たち

自民党青年局が、同党近畿ブロック会議とやらの会合の後の懇親会で、女性ダンサーたちを余興に招いた。その余興の「趣味の良さ」はまずは置いておくとして、そのダンサーらに青年局の議員らが口移しでチップを渡したことについて書く。

事の発端は、そこにいた他のメンバーがそれをインスタに公開し、世の中が知ることになった。そして、その場にいた青年局の局長と局長代理が責任を感じて役職を辞任した。局長代理は群馬出身で、あの中曽根康弘から続く三世議員だ。
 
それにしてもよくやるな、というのが正直な感想。そうした行為を行った議員は元より、その場にいた連中は、自分たちが見ている行動が恥ずかしいとは思わなかったのだろうか。

恥ずかしいと言えば、当の議員らは当然のことながら、それらの国会議員を選挙で選んだ有権者はどう思っているのだろう。普通だったら、恥ずかしくて穴があったら入りたいような思いに駆られるはずだが。

なぜそうした議員たちが選ばれ続けるのか、不思議でならない。そうした不埒な国会議員は当然だが、そうした人物を自分たちの代表として選挙で選ぶ側にも問題がある。

議員たちに票を投じた選挙民は、自分がその議員の後援会の会員でもない限り、自分がそのとき誰に投票したかよく覚えていないんじゃないか。覚えていないから、こうした不祥事を目にしても自分は恥ずかしいと感じないし、別の選挙の時には投票所で誰にしようかと悩んだあげく、そうした議員にまた1票を投じるのかもしれない。

そうしたことを防ぐための1つの方策として、我々選挙民が自分が誰にいつ投票したかをちゃんと覚えておくことが必要だと思う。

レコーディング・ダイエットを参考にすればいいかもしれない。レコーディング・ダイエットは、ダイエットを目的とする方法の1つだが、やる事は日々の体重を記録しておくことだけ。ダイエットと言うと、どういった料理をどんなふうに食べるかとか、カロリーをどう減らすかとか、そうした具体的な手法に行ってしまうが、レコーディング・ダイエットはただ自分の体重を日々記録し、それを「意識」しておくようにすることだけである。

その潜在意識が自然とその人の行動、つまりそこでは食事の内容やその仕方を変えていき、結果としてダイエットにつながる。

それになぞらえば、私の提案は<レコーディング・エレクション>とでも言おうか。選挙に行った時は、必ず手帳や日記等に自分が投票した候補者の名前と所属政党を書き記しておく。そのことでそれが記憶に残る。

もし今回のようなことで、自分が投票した議員の名前を目にしたりすることがあれば、それらの議員を選んだ国民は自らの選択を反省し、次は異なった投票行動を取るはずである。そうしたことが、本来選ばれるべき良き候補者を議会に送ることにつながっていくのだ。

それはそうと、同党青年局長の川畑議員さんとやら、女性ダンサーを招いた理由を「多様性の重要性を問題提起しようと思った」と釈明したとか。また、そうした余興を「新感覚のおもてなし」と考えた、と述べたという。

ノータリンの軽薄さもついにここまで来たか、という印象である。

2024年3月11日

「夢をカタチに」 んっ?

散歩の途中に見た懸垂幕。誰に向けてのメッセージだろう。家の持ち主が書いたのか、それともリフォーム会社のアイデアか。

そんなことを考えていたら、近くにある県立高校の女子高生2人が「はずして欲しい・・・」って笑いながら僕の後ろを通り過ぎていった。通学途上、毎日これを目にしているんだろう。分かる、分かる。

2024年3月10日

この国のダイバーシティ(多様性)は、多様か?

用語としての「ダイバーシティ」がいつから僕たちの生活に入って来たのか検索してみた。朝日新聞のデータベースでは、初めて「ダイバーシティ」の用語が登場したのは1997年。「ILO(国際労働機関)ダイバーシティワーク研究会」なるものを紹介した記事だった。そこではダイバーシティワークを「多様な働き方」と定義し、在宅ワークや短時間の勤務形態などのことを示していた。

次に「ダイバーシティ」が登場するのは2002年。その年には3件の記事が掲載されている。ひとつはオランダの例を引きながら「ワークシェアリング」を紹介している。それと、企業が社員に提供する福利厚生の多様化についてももの。そして、アメリカでの白人、黒人、ヒスパニック、アジア系などの人種多様性を紹介した記事である。

つまり、その時点から「ダイバーシティ(多様性)」の議論は多様なのである。

ところが今の日本では、というか、最初からだが、ダイバーシティ=女性の管理職登用と思い込むきらいがある。そして女性を管理職に登用することで、「女性ならではの感性をいかした経営を実現」などという浅薄で単純な議論がいまも大手を振っている。

その背景には、企業において見ただけでも、採用から教育、配属、評価、昇進、報酬などすべてに渡って男女の間で差別が存在しているからだ。そこは分かる。是正されなければならない。だが、そのこととダイバーシティ論議は分けて考えることが必要。

ダイバーシティが、「男か女か」といった外形的なことなら、人種、年齢、出身地などの属性をもとに機械的に多様な人材を登用すればいいということになる。

そうではないだろう。大切なことは、外形的な見た目では分からない考え方や価値観の多様性だ。その結果として、異なった(マジョリティ、つまりおじさんから見ての、だが)考えや価値観を持った人の中に女性だったり、外国籍の人だったり、自分たちの半分ほどの年齢の人がいるかもしれない、ということ。そこに目を向け、耳を傾けること。それが肝である。

Diversityの同義語には、difference、distinctiveness、diverseness、heterogeneity、multiplicity、range、varietyなどいろいろある。つまり、ダイバーシティ(多様性)とは本来多様なのである。それを忘れてはいけない。 

2024年3月9日

2024年3月8日

診察券

歳をとるとは、財布の中の診察券の枚数が増えていくことだと知った。

2024年3月7日

「承知していない」に感じるいかがわしさ

体調を崩し、回復に向けて静かな日々を過ごしている。病院と薬局に行く以外、どこにも出かける気力が出ない。しかたなく、というわけでもないが、普段はあまり見ることのない国会中継をテレビでながめて過ごしたりしている。

今は予算委員会が開かれているが、そこで議員や官僚などの答弁においてしごく日常的に使われている言い回しに「承知していない」というのがある。

「承知」という言葉について、辞書には1)知っていること、2)聞き入れること、3)許すことの3つの意味が示されている。目的として捉えている範囲が、結構広いのである。

とすると「承知していない」は、1)知らない、2)受け入れない、3)許さないという意味になるが、国会の答弁で用いられているのはそれだけではない。4)理解できない、5)そうは思わない、のときもあるように感じる。

極めて玉虫色の言い回しなのだ。このように相手がどうとでも取れる、ということは、発言者が自分の意図や考えを相手に明確に示したくないときにとても重宝する。「・・・の件については承知しておりません」と言えば、自分は「知らなかった」から「許さない」まで多方面な言い方に使えるわけだ。

本音を知られたくない、言質を取られたくない国会議員や官僚に便利な、ある種の万能表現。だから、もしそうした言い方をする人がいたら、何かを隠し、誤魔化そうとしていると考えた方がよいだろう。

そういえば、私の周りにもこの「承知していない」を多用する人物がいた。旧大蔵省出身の元官僚で、その後天下りか知らないが、早稲田大学の教授になった。会議などの席で、彼が何かにつけてそう言っていたのが違和感として記憶の片隅に残っている。

2024年3月4日

0.2%でブランドを破壊

日産が下請け企業への代金を一方的に減額したことで、下請法違反にあたるとして公正取引委員会から勧告を受ける。

日産と下請け企業各社は、当然ながら納入金額は事前に交渉の上で決めている。にもかかわらず、製品納入後に代金を「一方的に」減額して支払っていた。信じられない。下請けという相手の弱い立場につけ込んでだ。あまりにセコイ、ずるい。

今回明らかになったのは、30社あまり。金額は約30億円。平均すると一社あたり1億円ほどか。日産にとっては目くそ鼻くそでも、下請け企業にとっては存続を左右する回収すべき代金だったかも知れない。

なぜ日産の担当者は、こうしたしょうもない下請けイジメを行っていたのか。会社のためか、自分のためか。「課長、今回も〇〇社への納入代金、支払金額を減額しておきましたから」「おう、そうか、ようやった!」という日産社内の上司と部下のやり取りが聞こえてくる。

今回、この件がニュースになってから、日産は「減額分の全額を業者に返金しました」とコメントしたらしいが、もともと支払うべきものを支払っていないのだから「返金」というのはおかしいだろう。

「全額」というのも変じゃないか。遅れて支払うわけだから、最低限、金利分のペナルティを加えて支払うのがスジだ。そんなこともこの大自動車会社は理解していない。さらには、下請け企業の経営者に与えた精神的苦痛への慰謝料も支払ってしかるべきだろう。どこまでも「上ー下」でしかものを考えない愚かさが見て取れる。

日産の昨年度の売上は13兆円。彼らが違法に支払いを節約しようとした今回の30億円はその0.2%。それによって企業そのものの倫理観を問われ、ブランドを自ら傷つけ、顧客を遠くにやってしまっている。そして日産という会社はセコイ、汚い、いじましい、そして情けないことを広く知らしめた。

こうした企業は他にも多くある。例えば、私が知っているだけでも富士通は同様のことをやっている。下請けの開発会社からソフトを納入させたあとで、見積もりの金額を変更して支払金額を値切っている。こちらにも公取委の調査が入るべきだろう。

日産にしても富士通にしても、自分たちでできないから外の企業に発注してるはずだが、そのあたりが分かっていない。発注者だから自分たちの方がエライ、と考えているのだろうが。

2024年3月3日

東京ガスの説明はいつ聞けるのか

1月の下旬、郵便受けに「東京ガスから大切なお知らせと、皆さまへご協力のお願い」と題するチラシが入っていた。

それによると、「当社は、環境保全の取り組みの一環として、毎月の検針時にお届けしている紙の検針票を2024年10月末をもって廃止しペーパーレス化します」とある。

検針票というのは、毎月の使用量と料金を記したスリップである。大きさはB6サイズを一回り小さくしたものだ。<環境保全の取り組みの一環>というのは、この紙を削減することで二酸化炭素の排出量が減らせると考えているからだろう。で、いったいどのくらい?

こうした大名目を謳っている以上、どのくらい二酸化炭素を減らすことができ、環境保全に役に立つのか具体的に想定しているはず、と考えて問い合わせてみた。

2月2日に東京ガスの社長さん宛に質問状を送った。ひと月以上が過ぎているが、何も回答がない。

なぜ回答しないのか、あるいはできないのか。

(追記 3月7日)
東京ガスから返答が来たヨ。その文面には「年間で40t程度のCO2排出量削減を見込んでおります」と書いてある。それがどのくらいの数値か彼らが送ってきた資料からデータをいくつか引いてみよう。

東京ガスグループによる2022年度の総排出量は、約5,800万トン。そのうちの92%は原料調達関連(電力・LNG等)と彼らが販売した製品の使用(都市ガス等)による。つまり、これらは東京ガス自体による排出量ではないので除くとする。

残りの460万トンが東京ガスによるCO2排出である。内60%が火力発電事業、34%がエネルギーサービス・地域冷暖房事業だ。残りの6%は、都市ガス製造が3.3%、事務所等が1%、その他が2%となっている。

そして、彼らが今回、毎月の紙の検針票を各戸からなくすことで削減できると言ってきた40トン分は、彼らが排出しているCO2の0.00087%にあたる。さて、どう評価したものか。

今回の彼らの手紙の末尾には「なお、これ以上の詳細な内容につきましてはお答えいたしかねますので何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます」とあった。

2024年3月2日

アマチュア無線は緩くて、深い

週末の朝、近くの土手を散歩していて見かけた風景。河川敷に3メートルくらいの細いポールを立てて何かしている男性がいた。ポールの下に何やら道具をいろいろ置いて何かしている。何してるのだろうと思いつつ、通り過ぎた。

しばらくして再度そこを通り過ぎたとき、その男性はまだそこにいて、ポールはもうなかった。男性は荷物を袋にしまうなど、何やら撤収の様子。「何かの調査ですか」と声をかけてみた。その男性には、なんとなく科学者風の雰囲気があったから。

「あ、いや、アマチュア無線です」と返ってきた。かれはこの河川敷で自作のアンテナを立て、アマチュア無線の交信をしていたらしい。聞けば、アンテナだけでなく、無線機やアンプ(50W)も自作だといい、さっき袋にしまったものを色々わざわざ取り出して見せてくれた。

聞けば僕の住まいから歩いて5分ほどのところに住んでいて、天気がいい日はこれら機材一式を載せたカートを押してこの河川敷にくるらしい。

 「お盛んですねえ」と言うと、「いま頑張るしかないんですよ」と。というのは、アマチュア無線の電波がどこまで飛ぶかについては11年周期で現れる太陽黒点の活動が大きく影響していて、今年はその大爆発の年らしい。つまり、アマチュア無線愛好家にとっては電波が遠くまで届く願ってもないタイミングで当たり年なのである。

さらに、遠くの電波を拾えるのは1日のなかでも特定の時間帯だけで、朝の7時半から9時半くらいがいいんだとか。なるほど、それで10時くらいにはもう撤収していたのか。

黒点活動が11年ぶりに活発になっているこの時期に、朝の電波状態が良好な時間帯で頑張れば地球の裏側とも交信できるらしい(一番のポイントはアンテナの大きさだとか)。その日は、ブラジルやアルゼンチンのアマチュア無線愛好家と交信できたと言っていた。

いまのSNSの原型をそこに見た気がした。ただし、インターネットと違うのは声、もしくはモールス信号だけなので、その時点で消えていくこと。

インターネットは電波さえ確保できれば、どこだっていつだって安定して使えるが、アマチュア無線はそうではない。周りに高いビルがあるかどうかで圧倒的に受信感度が変わる。天候にも左右される。また1日のなかでの時間帯でも受信感度が変わる(地球上の大気層の変化によるんだろうか)。そして、太陽黒点の活動にも影響される! そんな変化が面白いと思う。

今朝出会ったおじさんは、現在83歳。次の絶好のタイミング(つまり11年後の太陽フレア)のときはどうなっているか分からないって言ってたけど、いつまでも手作りの機器でアマチュア無線を楽しんで欲しい。

2024年2月26日

規制以前の問題

東京都が条例でカスハラに関して規制を制定するらしい。

こうしたことが「カスハラ」の例だと紹介する、厚労省が作成したビデオがこれだ。

 
よく起こりそうな店頭でのやり取りだが、これが客による店や店員に対する迷惑行為という根拠は何だろうか。誰に対してどういう迷惑をかけていると認定できるのか。たぶん、この状態では無理だろう。

ではこれは許されるかというと、それはまた別の問題。相手を傷つけている点で、問題だと考えられる。ではどうしたらよいのか。

どうも今後は、こうした行為が東京都内で行われると条例違反ということになるらしいが、誰がどのようにそれを適用するのかがイメージできない。

それを適用してそうした客を規制や処罰の対象とするためには、その人物が誰かを特定し、その客が現場で何をどのように言ったか、何を行ったかを証明しなければならないはず。音声も含めて店内の出来事をすべて録画録音しておけというのだろうか。

ところでこのビデオで気になるのは、問題はレジ前の客だけじゃないことである。やりとりを背中で聞きながら黙ったままで手を貸そうとしない他の店員、割って入ろうとも口を挟もうとせず、後ろでただ顔を歪めているだけの他の客らも問題だ。

少なくともレジが止まり待たされているのだから、堂々と声を上げて注意すればいい。「都の条例」だとか面倒なことを振りかざしても現場での実効性はないに等しいんだから。

もっとシンプルに、一人ひとりがその場でおかしなことに対して声を上げ、そうした客を追い出せばいいだけの話である。そうした当たり前のことができないことが、残念なこの国を象徴している。

カスハラなんて奇妙な言葉を振り回し、しかも役所による規制に頼って問題を解決しようという考えが間違い。

2024年2月18日

これが国のシンボル?

ホテルのあるClarke Quayからシンガポール川沿いの遊歩道をたどって河口へ下る。日差しがとても厳しい。なぜ帽子を持って来なかったのかと後悔する。

小1時間ほどでマリーナベイに出た。突端にシンガポールのシンボルとされているあの「有名な」マーライオン像がある(写真)。高さは7〜8メートルほどだろうか。キッチュと言えばキッチュだが、造形的にも意味的にも何も面白くない。端から期待はしていなかったが、あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力する。

観光名所か。あたりは、中国から春節に合わせてやって来た観光客で溢れかえっている。