2015年8月22日

銀座でミツバチ

今朝の番組(木村達也 ビジネスの森)のゲストは、銀座ミツバチプロジェクトの田中淳夫さん。

銀座のビルの屋上でミツバチを飼い始めてもう10年。収穫する蜂蜜は、年間で1トンにものぼるという。ミツバチが生息するのは、その近くに自然が残っている証拠。

地図をながめると、銀座から南に飛べば浜離宮庭園が、北に向かえば皇居、西に進めば霞ヶ関の並木道があり、それらの緑がミツバチにたっぷりの蜜源になっている。もちろん、銀座の街路樹もそのひとつである。

蜂、と聞くと刺されるから危険と連想しがちだが、決してそんなことはない。むやみに蜂は人を刺したりはしない。その意味で決して危険な生き物ではない。

ミツバチは、環境指標生物と言われている。ミツバチは環境の変化に弱い。農薬などにも弱い。豊かな自然が残る里山には、ミツバチが生きている。しかし、ミツバチがいなくなった地域は、環境が良くない方向に進んでいることを示している。


今朝の一曲に選んだのは、デイビッド・フォスターとオリビア・ニュートン=ジョンのデュエットで、The Best of Me でした。

2015年8月13日

避難はしごで避難する

お盆で大学は一斉休業である。図書館などすべての施設が閉まっており、仕方がないので自宅でいろいろと作業を進める。こういう日は、仕事だけでなく家の中の雑用などもやりつつである。

この時期は、マンションの避難はしごの点検の時期でもある。正しくは「消防設備点検の実施」という。年2回、2月と8月だ。防災管理の会社がやって来て、非常ベルの点検やら、ベランダの避難ハッチの開け閉めの確認をしてくれる。

避難ハッチ、つまり避難はしごの動作確認は人に任さないで、いつも自分でやっている。何かのときに利用するのは点検会社の社員じゃなく、住んでいる住人本人だからね。彼らは仕事としてハッチの開け閉め程度しかやらないらしいが、僕は実際に避難用はしごで下の階まで降りてみる。で、降りたら、そう、昇る。自分で実際にやってみる。

年に2回、もう15年だから慣れたものである。そして、それが実際に役に立った経験がある。昨年2月の寒い日のことだ。

その日は、間近に控えた国際学会での報告の準備を自宅でしていた。部屋の中で暖房を効かせていたため、途中で冷たい空気を吸うためにベランダに出た。その時、冷気が部屋に入らないよう、ベランダ側のガラス戸を後ろ手にしめた。冷たい空気をおなか一杯吸い込み、冷気で目をさまし、しばし一息ついたあと部屋に入ろうとしたら、ガラス戸が開かない。

いくら力を入れて引いても動かない。よく見ると、内側のロックがかかっている。ガラス戸を閉めた拍子に、カギがストンと落ちて閉まってしまったのだ。

家の中には他の住人はいない。平日だから、お隣さん宅も誰もいない。どうするか、しばし考えた。中に入るにはガラス戸を破るしかない。そうすれば中に入ることはできるが、割れたガラスの処理をどうするか、この寒い時期に寒風に室内をさらし続けるのか、思いが巡った。何といっても、手元に道具もなくてガラスを割るのは危険だと思い、そのアイデアはやめた。

次のアイデアは、とにかくこの建物から脱出して、誰かに救助を求めること。幸いに、駅前にマンションの建物管理をしている不動産屋がある。そこに行けば、合い鍵があるかもしれないと考えたのだ。

避難はしごのハッチを開け、これまで練習した通りにスルスルとはしごを降ろし、スタスタと降りる。それをいくつか繰り返して、1階までたどり着いた。着ているものはといえば、ほとんど部屋着のようなペラペラの情けない格好で足下はベランダ・サンダルだったが、人目を気にしている場合ではなかった。ポケットには何もない。当然、携帯電話もなければ、10円玉ひとつ入っていない。

駅前の不動産会社にたどり着き、事情を話し、合い鍵を求めたのだが、建物管理用のカギ(屋上に上るためのカギとか、貯水槽を開けるためのカギ)はあるが、部屋のカギは預かっていないと言われた。住居のカギは、建物の大家である郵船不動産という会社にしかないと。

とにかく、部屋のカギを持って来てもらわないことには、家の中にもどれない。大至急郵船不動産に連絡を取って、カギを持って来てくれるように伝えて欲しいと頼んだ。

話を聞いてくれた女性は、カウンターから少し奥まった席に戻り、電話をかけ始めた。だが、なかなか終わらない。「どうしたんだろう」という疑問と少しばかりの苛立ちが起きる。15分くらいたち、彼女が僕のところにまた来て、申し訳なさそうに「私がこれから行って、カギを借りてきます」と言った。

どうしたのか尋ねると、事情を説明しても郵船不動産の担当者は「いま立て込んでいて行けない」と譲らないらしい。なので、自分が取りに行ってきますと。

親切な申し出ではあるが、何かおかしい。僕は、自分の過失でカギをなくしたわけではない。ガラス戸をしめた折にカギがかかったのは、建物のせいだ。その建物の管理責任は貸し主にある。だいいち、こちらから行って返ってくると、時間が倍かかる。郵船不動産の担当部署はどこにあるのか聞いたら、横浜の馬車道だとか。片道1時間、往復だと2時間くらいかかる。2時間も待てないし、待たされる理由もない。

私が取りに行ってきますと申し出てくれた彼女に丁寧にお礼を述べ、「だけどそれはあなたがする仕事ではないから」と伝え、もう一度電話をしてカギをすぐに持ってくるように言ってくれるように頼んだ。部屋のカギを持って来るだけだ。誰かを使いに送ればすむはなしだ。

彼女も自分が行くより、相手の会社がカギを持ってくるべきだということはよく分かっていたので、また自分の席に戻って電話をかけてくれた。だが、今度もやけに時間がかかっている。

カウンターで待つ僕のところに再度やって来た彼女は、「これからカギを持ってきてくれるそうです」とほっとしたような顔で僕に伝えた。

それから待つこと1時間半、やっと郵船不動産の担当の男性がやって来た。どんな顔をして現れるかと思っていたのだが、平然と、いや「しょうがねえなあ」とでも頭の中で思っていそうな面倒くさそうな顔つきをして現れた。彼は「では行きましょう」とだけ言って歩き始めた。

そのまま何も話さず僕の住むマンションまでたどり着き、玄関のロックをはずして立ち去った。本当に何も言わなかったのだ。「お待たせしました」とも「すみませんでした」とも「ご迷惑をおかけしました」とも。まるで、非は完全にこちら側にあるかのように。非常識。驚くともに、怒りが沸いてきた。

部屋に戻り、気持を落ち着かせるために熱いお茶を一杯淹れて飲んだ。その後、ふと気になって建物の外に出てみた。あ、やっぱりだ。僕の部屋からその真下の1階の部屋まで、各階の避難はしごがすべて吊り下がったままになっている。ため息が出たが、自分がやったことで仕方がないので、今度は建物の1階から避難はしごをよじ登り、各階で回収していった。

もちろん、その時は忘れずにベランダ側のガラス戸のカギは開けておいた。

2015年8月11日

東京が壊滅する日は、日本が壊滅する日である

鹿児島県の川内原発1号機が再稼働を始めた。川内原発2号機も10月中旬の再稼働を目指すらしい。

本当に原発が必要か。原発は一旦稼働すれば簡単には止めることはできない。稼働すれば、放射性廃棄物が発生する。放射性廃棄物は、ゴミの日にゴミ捨て場においておけば回収されて処分されるというものではない。処分不能な廃棄物である。

経済発展のために安定的で安価なエネルギーが求められている、というのが、今も昔も原発推進派の理屈だが、本当か。僕はそうは思わない。

運営企業である九州電力が、今回の再稼働にあたっての安全対策にかけた費用は3000億円強にのぼっているとの報道を読んだ。そもそもそれほどの莫大な費用をかけなければならないという事実が、原発の危険性を物語っている。

放射能という目に見えず、味も匂いもなく、被曝してもすぐには自覚症状がないやっかいなオバケの正体を冷静に科学的に知れば知るほど、「パンドラの箱」と誰かが呼んだ理由が腑に落ちる。

福島の原発事故では大量の放射性物質が広く放出され、福島を中心に東日本に降り積もった。田畑や住宅地に積もったこれらの汚染物は、表面だけがはぎ取られ集められた。

削り取られた表土である放射性廃棄物は、フレコンバッグと呼ばれる黒い袋に詰められて、福島県内に置かれたままになっている。そのバッグが積み上げられている場所は、福島県内でなんと8万カ所を越えている。それぞれ山をなしている何百何千ものフレコンバッグは、あろうことかすでに破れ始めている。その耐用年数が3年だからだ。

広瀬隆の『東京が壊滅する日』は、原子力や放射能についてそれまで知らなかった数々の真実を教えてくれる。ロスチャイルドやらモルガンやら、ロックフェラーなどの恐ろしく凄まじい支配者の影響力と悪行の数々。原爆開発や原子力推進の裏の決定者が彼らだったとは、まったく知らなかった。 


この本の第1章の最初にある「セント・ジョージで起こった恐怖の事件」「パズルを解いた男ポール・クーパー元軍曹」のところだけでも、立ち読みでもよいから目を通してほしい。 


2015年8月8日

自然にひとりぼっちなんだったら、それがいちばんいいのかもしれない

けさの「木村達也 ビジネスの森」は、漫画家の蛭子能収さんをお招きした。


ある日のこと、テレビをつけたらバラエティらしい番組をやっていて、ゲストのひとりが蛭子さんだった。どんな番組か内容はまったく覚えていないが、面白かったのは番組中で蛭子さんがうつらうつら眠っちゃってること。 

それを他のゲストからいじられてるわけなんだけど、テレビに映っているにかかわらずその後も何度もうつらうつらしている。その日よほど疲れていたのか、それともあまりに番組がつまらなかったのか、その両方か。

面白い人だなあ、というのがその印象で、どんな方か直接お会いしたかった。

スタジオでお話しした蛭子さんは、思っていた通りの感じの方。ほわっとした雰囲気で、相手に緊張感を感じさせない。

人に迷惑をかけないこと、そして人から嫌われないことが彼の基本。自分も他人も尊重して、傷つけない、傷つけられない自由な生き方を大切にしている。

人を傷つけるようなことでなければヘンに回りに気を遣ったりせず、自然に(当たり前に)やっていこうとする無理のない姿勢にうなずいた。

人間関係に疲れている多くのビジネスマンに、彼の『ひとりぼっちを笑うな』をお薦めしたい。


今朝の一曲は、レイ・パーカー・ジュニアで「ゴースト・バスターズ」。


2015年8月3日

マーケティングは一度解体した方がいいかもしれない

友人との待ち合わせまでまだ少し時間の余裕があったので、駅前の本屋で時間を潰すことに。いや、潰すのではなく、こうしたすき間の時間を本屋で過ごすのが、実は何よりも好きなのである。

そこは、行き慣れた地下1階にある古くからある本屋さん。本屋というより、ある程度の規模とそれなりの品揃えがあって「書店」と呼んだ方が似合っているかもしれない。

階段を下りていって、その書店に入った正面の場所にはどんな本を平積みにしていているかが自然と気になるのは、本についての番組をやっているせいか。

書店に入ると、まずは各売り場をそこにいるお客さんの層を少し気にしながら全体を一回りする。身についた習性のようなものだ。別に出版社の人間でもないのに、我ながらヘンだとも思う。


なぜだか理由は分からないが、この書店のマーケティングの書棚はある意味でおもしろい。そこに並んでいるのは・・・

『ニャンコと学ぶマーケティング』(どんな風にニャンコと勉強するのだろう?)
『風俗的マーケティング』(風俗マーケティングならなんとなく想像がつくが、「風俗的」が意味するところは?)
『3分間マーケティング』(カップラーメンができるのを待つあいだで学べるとは便利)
『矢沢永吉に学ぶ 成り上がりマーケティング』(永ちゃんはマーケターだった?!)
『ザ・サンキュー・マーケティング』(感謝の気持ちはいつも大切だよね)、など。

それにしても、マーケティングというのは融通無碍な概念で(つまり、分かったようで分からなく、分からなくても分かった気になれる)、どんな言葉だってくっつけることができる。ウソだと思うんだったら、やってみな。ほら、できちゃうでしょ。

言葉とその意味が厳密に定義されていないから、曖昧なままにどうでも使える。大学の経営学の教授なんかでも、その意味でマーケティングの概念をいい加減に使っている人がたくさんいる。僕は、そのためにも「マーケティング」は一度きちんと解体された方がいいと思っているのだが。

2015年8月2日

和のあかり X 百段階段

友人に誘われて、目黒雅叙園に「和のあかり X 百段階段」展を観に行った。


百段階段というのは、目黒雅叙園のサイトによれば以下のようなものらしい。
「百段階段」とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。 食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。 階段は厚さ約5cmのケヤキ板を使用。 階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
"昭和の竜宮城"と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。 最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。 平成21(2009)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。
一直線に伸びた99段の階段。それらを7つの部屋が分けている。それぞれの部屋が独特の装飾を凝らしていて飽きさせない。

今回のあかりのテーマのひとつが「青森ねぶた祭」で、ねぶたを灯りに見立てたものが間近に見られるというのがウリのひとつである。


それ以外にも、涼しげな灯りをモチーフにした作品が展示されている。この展示会は日本では珍しく、全時間にわたり観覧客による撮影が認められている。ファインダーをのぞき込む若い女性が目立つ。カメラ女子たちはみんな、一眼レフの立派なカメラを抱えている。


僕が個人的に興味をひかれたのは、99段の階段の途中にあった広々とした便所だ。ゆったりとした広さだけでなく、便器のレイアウト、窓からの採光の具合、磨かれた床の質感など、どれもすばらしい。