皇室典範の改正要綱が、政治の場で概ね了承された。
内容の詳細についてはここでは触れないが、気になるのはその改正の目的として掲げられている「皇族数の確保」と云う考え方だ。
| 衆参両院の正副議長 |
皇室典範の改正要綱が、政治の場で概ね了承された。
| 衆参両院の正副議長 |
暮らしているマンションの掲示板に部屋のリフォームのスケジュールが掲示されてた。通りがけに工程表をチラッと見ると、足かけ4ヵ月にわたる大がかりな工事だ。
リフォームではなく、ほとんどフルリノベーションだ。大変だな、と思ったらその部屋は隣室じゃないか。
何も聞いていないヨ。どうなっているのか、管理組合の理事長にすぐメールを送った。
その部屋に賃貸で暮らしていたSさん夫婦が転居していったのは半年以上前。彼らとは今もお付き合いさせてもらっているのだけど、その室で暮らしていたときは水回りのトラブルなどがあって大変だったらしい。それも一度ではなかったらしく、それが理由で仕方なく転出を決めたと話していた。
その後、その部屋は売りに出た。所有者(個人)が今が売り時だと判断したのだろう。中古マンションの価格が市場でバブルと言えるほど高騰しているうえ、築30年のマンションは今後立て替えなどを睨んで管理費や積立金の上昇や種々の煩わしい手続きが発生するのが目に見えている。
昨年売り出されたときの価格は6,280万円。10年前の相場の倍以上である。強気すぎる値段に買い手がつかなかったのだろう、3ヵ月前には5,780万円に下がった。
と思ったらその後、業者(デベロッパー)がそこを購入し、すぐさま7,490万円の値で売り出した。表面上の値上げ幅は3割だが、実際は叩いて安く仕入れたはずだから、買値から4、5割を載せているのだろう。
しかも、その室はまだリノベーションの工事を始めたばかりなのに、新しい間取り(現状プラス1部屋)でもう不動産売買サイトで売り出している。
まもなく建物の大規模修繕が控えている築30年の老朽マンションを、誰がその金額で買うのだろうか。
不動産の世界は、ぼくの目からはちょっと理解しがたい特殊な世界だ。
東京芸術大学大学美術館で開催されている「日曜美術館50年展」を最終日に訪ねた。
展示会場に入ると、まず目に飛び込んできたのが壁に縦書きされた「ピカソを神棚から降ろせ 岡本太郎」の文字。続いて、「抑制している自分がピカソ見てるとやんなっちゃう 横尾忠則」。
この展覧会が普通の展覧会とちょっと異なるのは、NHKの毎週の番組がベースになっていること。だから、ただ作品を展示しているのと違い、番組でゲストが作品について語った言葉なども紹介されている。それが面白い。
岡本太郎や横尾忠則という、その分野の専門家だけでなく、「日曜美術館」には詩人やバイオリニスト、劇作家、映画監督、音楽評論家など、他分野のゲストが登場し、その日の作家や作品について語るのを聞くのが楽しい。
そうした番組の一片を再現しているのが、今回の展覧会の特徴である。
図録には1976年4月の番組開始当時からのテーマ(取り上げた美術家)一覧が載っている。50年という長年にわたるその企画の継続はすばらしい。
上野は日曜日ということもあってか、ずいぶん賑わっていた。公園には多くの外国人観光客。そしてガード下近くの飲み屋街は、森保ジャパンのブルーのユニフォームでいっぱいだった。
| 石田徹也《飛べなくなった人》1996年 |
4ヵ月程前、ある学会に退会の旨を伝えるメールを送った。
何も言ってきてなかったのが、つい先日になって<退会が認められました>と連絡してきた。なんというか、日本の学会はどこまでもお役所みたいである。
振り返ると、ぼくはどうも日本の学会とはあまり相性がよくなかった。
初めて学会に参加したのは30代後半になってから。外資系企業のマーケティング・セクションで働くかたわら博士後期課程の大学院生でもあった時、知り合いから商業系のある学会を紹介されて入会した。
初めて参加した学会、そこに最初に登壇した人物は関西のある国立大の経営学部に所属する助教授で、彼女は研究報告の冒頭でこう言い放った。「企業には攻撃型の企業と守備型の企業があります」
「おいおい、ちょっと待てよ、なんだその二分法は」と仰天したのが、最初の感想。
企業は人間と違って、生まれながらの不変なパーソナリティを持っているわけではない。市場において攻撃的な行動をとることもあれば、状況に応じて守備(防衛)的な行動をとることもある。
どうするかはその時の競争状況と、現在の戦略や資源などとの兼ね合いで決定される。 A男さんはいつも物静かな性格で、B子さんはつねに饒舌なタイプといったアナロジーは企業には当てはまらない。
企業をマーケットリーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーに分けて考えるようなことはある。が、それはその時の特定業界における市場占有率によって取るべき基本戦略を類型化したところからの発想に過ぎない。
彼女の冒頭の発言を聞いておったまげ、すぐに会場にいた周りの参加者の反応が気になり、ぐるりと周囲を見回した。そこでまた烈しく驚いた。
さっきの決定論的な発言に対して首を傾げている人が一人もいなかったからである。みんな何もなかったような涼しげな顔で聞いている。「ダメだ、こりゃ」と思ったのが、2番目の感想。
ビジネスの現場でのたうち回ったことのない安穏な大学人の様態はこうなのだと実感して、自分とは相容れないことを痛感した。
これが一番最初の学会での記憶。そしてぼくが聞いた一番最初の研究報告での出来事である。これが良かったのか、良くなかったのか。
以来、学会活動への目は国内ではなく海外に自然と向くようになった。だから、コロナ禍で海外渡航ができなかった時期を除いて、学会発表はほとんど海外での国際学会で行った。
そのため国内では学会内の何々一派といった集団には一切タッチすることなく、毎回、外国でいろんな国からその都度やって来た研究者たちと仲良く面白くやり取り(飲み食い、小旅行を含む)ができたわけだ。
思い返せば、すべてはあの時の彼女のあの発言と、それに対する周囲の大学人の無反応(アパシー)から始まった。
昨日から今日にかけての世界のトップニュースは、アメリカとイランが戦争終結に向けての条約への締結をしたというニュースだ。
報道では14項目の合意がなされているとされ、特に第8項目の「イランは核兵器製造せずと改めて表明(最終合意で対処)」が注目されている。
米国の高官が読み上げたその正式な内容は「イランは核兵器を取得・開発しないことを再確認する」となっている。
これって気にならないか。
英語で何と言ったのか調べたらこうだ。"The Islamic Republic of Iran reaffirms its permanent commitment not to produce or acquire nuclear weapons."
イランは核兵器を「製造」も「取得」もしないとなっているが、これでは例えばロシアや中国から核兵器を借り受けた場合はこれに抵触しないことになる。
またイランは、この項目で核兵器を「使わない」とは言っていない。さらに同じ第8項目の後半は次のようになっている。
"The Islamic Republic of Iran and the United States have agreed that the fate of enriched material and the fate of all other mutually agreed nuclear-related issues, including Iran's nuclear needs, will be adequately addressed in a final agreement."(イランと米国は、濃縮核物質の処遇およびイランの核エネルギー需要を含むその他の核関連問題について、最終合意において適切に解決することに合意した)
ここでの「適切に解決」が何なのかは不明のままである。
イラン側は、とにかく早く決着をつけたくて仕方ないトランプの足下を見て交渉をうまくやった。というか、米国高官らの対応があまりにお粗末すぎるのが、よその国の事ながら気にかかる。
トランプはこの合意で一件落着と思っているようだが、これから一悶着あるのは間違いない。
講談社がインドで出版社を設立すると発表した。
彼らはその目的としてふたつあげている。ひとつは「(インドの)全人口は14億6300万人以上、そのうち10代〜20代のいわゆるZ世代だけでも約3億7000万人もいる」であり、もうひとつは海賊版対策だという。
さてその通り、うまくいくか。
講談社は以前からインドに社員を置いているが、同社の今回の発表内容を読む限り、それでもってインドのことを分かっているとはあまり思えない。
確かにインドの人口は中国を抜いて世界一の14.6億人という途方もない数だ。しかし、インドは一つの国というより、その文化や言語の観点から見れば28の州がそれぞれ異なる別個の国のようなもの。
言葉だけで数百の言語・方言がある。もっとも多く用いられているのはヒンディーだが、全体の半分に満たない。
ヒンディー語(約43.6%)
ベンガル語(約8.0%)
マラーティー語(約6.9%)
テルグ語(約6.7%)
タミル語(約5.7%)
その他
英語が曲がりなりにも読める層は全体の1、2割と推定されている。そして、現地でいま講談社の漫画を激安の海賊版で読んでいるのは、そうした英語版読者だ。
出版社が版権を売った米国の出版社が発行した漫画雑誌がインドに輸入され、その店頭価格が高い(読者にとって)のですぐ海賊版に化けてる。もとの一冊をスキャナーで読んでデータ化するだけなんだから、簡単に行える。
おそらくインド政府はマンガの著作権(それも外国のIP)の保護などさほど関心はないだろうし、スキャンする人たちのモラルや読者の懐具合(小遣い)といった状況も合わせて考えれば、講談社の担当者がいくら「手に取りやすい価格で正規品を売ることで海賊版を減らしたい」と言っても、その撲滅は絶望的に思える。マンガに正規品も海賊版もない。
しかも、講談社がインドに設立する新会社は「紙」で出版すると宣言している。だからなのか、あるいはその方策の理由なのか、大日本印刷がインド法人の共同設立者になっている。
あえて自分の手足を縛った、デジタルをやらない(できない)体制で出版事業を現地で興す発想が分からない。
紙のマンガ雑誌(もの)をどうやって毎週毎週、広大なインドの書店やキオスク(そうしたものがあればの話だが)に配本するのか。ちなみにそれは日本のように返本可能か、それとも売り切りか。
コンテンツ開発、ターゲット設定、商流管理など不安要素しか浮かばないのだけど、講談社の経営者は何か秘策でも持っているのだろうか・・・。
同日、キッコーマンとカゴメがそれぞれインドでのビジネス強化を進めるという話を聞いた。こちらには期待が持てるのだが。
本をキンドルやiPadなんかで読むことが日常の中で普通になっている。
日常の中でといったが、とりわけ風呂の中で読むのは防水仕様のキンドル・オアシスじゃないと具合がわるい。
その一方で、写真や絵が見開きで印刷された本は、やっぱりデジタルではなく紙に印刷された本でゆっくり眺めたい。
先日知り合いからもらった『ニューヨーク文学風景』(原書房)もそんな一冊だ。ニューヨークのマンハッタンとその周辺にある有名書店や図書館、作家ゆかりのホテルやレストラン、詩人や作家たちが集ったバーやカフェ、さらには劇場など文学作品に関係する施設が写真とともに紹介されている。
NYにはそれら以外にも気に入った書店はたくさんあって、どの店も知の迷路に迷い込ませてくれた。本屋というのは、不思議な空間である。
そして、それは日本のいい書店も同様。ぼくの日常の動線上にある東京や横浜にもそうした店はたくさんあるが、京都の四条烏丸にある大垣書店が最近のお気に入り。
本屋が完全になくなることはないと思うけど(その前に人口減少で日本人がいなくなる?)、すでに現実になっているように、書店が一軒もない町や自治体がますます増えていく傾向は変わりそうにない。
ネットでも本は買えるし、デジタルでも読めるんだけど、たまに書店のあの空間に身を置いて、いろんな本と対峙する時間を持つことを失いたくない。
いい本(自分にとって価値がある本)はやっぱり買う前に棚から手に取って、目次を眺めたり、まえがきを読んだりしないと分からない。ただでさえ出版ビジネスは粗製濫造になっていて、最近は本の広告内容だけだと買ってから「なんか違う」と思うケースがしきりだ。
町の本屋がなくならないようにするためには、人が本に対して愛着をもっと持つようにすること。そのために著者と出版社にはいい本を作る努力をもっとしてもらいたいし、取次はベストセラー狙いの本だけでなく、良書をきちんと広く配本すること、本屋はそれをしっかり来店客に伝えてほしい。
そして、顧客は喜びを持ってそうした本を買い、読む。本の値段は、日本では典型的なデフレ価格だと思う。つまり、安すぎるのだ。これも粗製濫造の影響である。
新味のカップ麺を売り出すかのように、ほとんど工夫のない本ばかりが新たに作られているような印象がある。トータルで書籍の販売冊数は減少傾向にあるのに、出版点数だけは増えているんだから。
なんとかどこかでネジを逆に巻き戻さなければ、大変なことになりそうだ。
「週刊文春」と文春オンラインが、しつこく(もちろんいい意味で)高市総理の地元事務所が2月の衆院選などで他候補を誹謗中傷する動画を大量に作成・発信した件について報道している。
それによると地元の高市事務所の公設秘書が動画作成を依頼したことは明らかだろうと思われるのだが、高市総理は一連をすべて否定している、というか正しくは、認めていない。
そうしたことを陣営として行ったのかどうか問われたときは、行ったとも行っていないとも回答せず、「私は秘書を信じる」と答えた。回答をさけた「はぐらかし」だ。
高市総理が国会質問で「週刊文春」に掲載されたその動画作成に関わった人物の証言の是非について問われたとき、彼女は雑誌に書かれたその証言について語ることなく、「面識のない方の名誉を傷つけることは申し訳ない」と、これまた完全に的をずらした答えを繰り出した。
確信犯だ。
今回の事以外にも、こうした悪質な政治家の「はぐらかし」を目にすることがある。兵庫県知事の斎藤や東京都知事の小池の顔がすぐ浮かぶ。
兵庫県知事選にかかわる事件では、県議会議員や県職員が自死するということまで起こったにもかかわらず(というか、そうした重大な事柄が起こったからこそ)、それらへの関与を問われた斎藤は、自身が「関係していない」とは明言せず、「関係しているという認識はない」という表現に終始した。
後に捜査で事実が明らかになったときのことを考えての逃げ道を用意している。「関係していない」と言ってしまうと偽証したことを問われるが、「関係しているという認識はない」なら、認識が違ってました、と云うことにして逃げ切ろうというわけだ。
カイロ大学首席卒業という学歴の正否を問われたときの小池の対応も、また呆れるほど同類。
なぜ政治家というのはこうもずる賢いのか。そして、日本のメディアはなぜそうした稚拙なはぐらかしをしっかり糾弾しないのか。
たぶんだけど、その背景の一つには、そんなこともういいじゃないか、彼女(彼)は総理(県知事、都知事)にまでなった人なんだから、という日本国民の、ありがたくも寛大過ぎる勘違いした心の広さがあるからかもしれない。
自分のある活動をエクセルのシートを使って記録をとり続けている。
月が変わり、新しいシートを作ろうとしたところ・・・できない。既存のファイルを開くことはできるが、修正も印刷も保存もできなくなった。Microsoft 365のアカウントが失効させられているかららしい。
忘れてたが、勤務していた大学が管理するソフトだったからだろう。仕方ない。
それにしても退職2ヵ月で使えなくなるなら、それはそうと事前に知らせておいて欲しかった。2ヵ月という猶予期間の長さの問題ではなく、べつにそれが退職と同時でも構わないけど、いつから使えなくなるのか知らされていれば事前に対応ができていたから。
ということで、表計算の新しいシートをまさに作成しようとしているところで、さてどう対応しようかと思案してしまった。
方法はいくつか。個人でマイクロソフト365を契約して利用するか、ソースネクスト製などの代替Officeアプリを購入するか、Googleドキュメントで代用するという手もある。
個人でマイクロソフトと契約して利用者IDを購入すれば、これまで通りの使い勝手で継続利用できる。だが私は、昔からマイクロソフトという企業は嫌い。
どうしようかと考えた結果、この際、新しいやり方(ちょっと大袈裟だけど)にチャレンジしようとMacに標準装備されているiWork(Pages, Numbers, Keynote)を使ってみることにした。何と言っても無料だし、この場でスグに起動できる状態なんだから。
iWorkを使ったことはない。これまで会社でも大学でも、そこではMS-Officeが業務上の標準とされていたために、習慣的にそれに否応なく倣っていたからだ。
ちょっとおっかなびっくりでNumbersを起ち上げた。当然、最初は操作に戸惑うが、そもそも表計算のアプリで必要なことは決まっているので、求めるボタン(コマンド)がどこにあるのか推測しながら探しさえすれば、たいていは見つかるというもの。
そうして、15分ほどでiWorkのNumbersアプリで表計算のシートを初めて作成し、プリントアウト。細かい仕上がりの調整の仕方はまだ分からないが、それはどうでもいい。そのうちに分かるから。
それより、これまでの長年にわたる一つの惰性から抜け出たように思えて、嬉しい気分。