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2012年5月21日

またキングストンへ、そしてNYへ(ジャマイカ /11)

帰りはこのままモンテゴベイの空港からNYへ飛ぼうと思ったが、フライトの予約変更がうまくいかずキングストンへまた戻ることにした。利用するのは、こちらへ来た時に乗った長距離バスである。出発が朝の8時半と早かったせいか、乗客は10名もいない。バスは予定の時間通り出発。4時間弱でキングストンのバス・ターミナルに着く。

キングストンに着き、バスを降りたところで乗客の一人だったアメリカ人と知り合った。長髪、50歳後半の教育学が専門の大学教授で、ジャマイカ政府から依頼され、勤務先大学の休みの期間を使ってこの国の教育改革の手伝いをするため何度も来ているという(米国の大学では春学期が5月初めには終了するから、この時期はもう夏休みに入っている。そういえば、コロンビア大学ではこの前の水曜日に卒業式があった)。モンテゴ・ベイで2週間ほど仕事をした後、今度はキングストンで仕事だという。

「この国の教育制度と現状をどう思っているか」と尋ねたら、「どの学校も教材が足りない、施設が貧弱だ、教師の給料が安い、問題が多い」。「でも教師たちは、とても献身的だ」と言う。観光客の一人でしかない僕は、学校のなかの具体的なことは分からない。だが教師が献身的だというのは、なんとなく分かる気がする。

僕の感じたジャマイカ人の印象を書こう。彼らはとても真面目で、勤勉である。誰もが親切で優しく、ユーモアに溢れている。本当だ。少なくとも僕が会ったジャマイカ人は、みんなそうした人たちだった(観光案内を装いチップをせびった連中ですらそうだ)。この国には、どこの国にも必ずいる根っからの悪人というのがいないんじゃないかという気すらする。

2012年5月20日

モンテゴベイのダウンタウンで声をかけられるということ(ジャマイカ /10)

朝食後、モンテゴベイのダウンタウンまで歩く。

結構な距離で、やっと町の手前まで来たとき、2人のジャマイカ人の若者が声をかけてきた。例によって日本語で「ニッポン人ですか?」ときた。

サングラスをかけ、帽子を目深に被っていても日本人だと分かるらしい。ひとりは少し日本語ができる様子で、自分は大阪のリョウコという女を知っているとか、京都から来たマリコを知っているとか、嬉しそうにしゃべる。


サム・シャープという奴隷解放運動のリーダーだった人物の銅像の所で、いかに彼が勇敢にかつての支配者であった英国人と戦ったかを語ってくれた。そうしたガイド話を聞きながら、決して悪人ではなさそうだけど、このまま付きまとわれると必ず金をせびられると思ったので、思い切って私は一人で町を歩きたい、と彼らに言った。

すると突如歩みを止めた2人は、われわれは盗人でもなければ物乞いでもないとはっきり言った。われわれはいつもこうして海外からの客人をもてなしているのだ、と僕の目をまっすぐに見て言ったあと、「しかし、チップは欲しい」と言った。


やっぱりそうだった。でもまあいいかと、ポケットのなかにあった500(ジャマイカ)ドル紙幣を2人で分けるように言って一人に渡した。それを受け取った男は、何も言わずくるりと後ろ向くやいなやさっさと立ち去り始めた。

もう一人は、俺にもくれよ、というようなことを言いながら手を差し出す。「さっき渡した金を2人で分けろ。もうたくさんだ」と少しきつく言うと、仕方なそうに去っていった。

海外でこんな時、自分は正しいことをしたのかどうか、いつも少しばかり悩む。金をやったのはよかったのかどうか、よかったとすると金額は適当だったのかどうかなどと、歩きながらつらつらと考える。

それからものの5分もしないうちにまた別のジャマイカ人、今度は年配の男性が英語で話しかけてきた。「朝飯は食ったか?」と何度も僕にたずねる。へんな奴だなと思いつつ、「食った」と答えると、彼は僕が泊まっているホテルの名前をあげ、自分はそこのシェフで毎日朝食をつくっている、そして僕のことも知っていると言うではないか。シェフには見えなかったが、調理の手伝いなどしているのもしれない。

その男は「あのホテルの客のほとんどはホテルの敷地から外に出ようとはしない、あれではJail(監獄)だ」と言った。「お前のように一人でこうして街中をほっつき歩く奴は珍しい」と言いながら後ろを付いてくる。こいつも悪人ではなさそうで、この地にやって来る外国人観光客のことなど地元の人がどう考えているのかヒアリングしてやろうとふと考えたが、最後には「おれは物乞いでも盗人でもないが、チップはくれ」と言ってくるのだろうと思い、お引き取り願った。金銭の問題ではない。そうした対象と考えられるのが、あまり愉快ではないのだ。

町の真ん中にほぼ近いところにセント・ジェームズ・チャーチというイギリス国教会の教会がある。土曜日の昼間だというのに、たくさんの人が集まっている様子。行ってみると、地元のある女性の葬儀が行われていて、彼女の孫だというジャマイカ人の男性が追悼のスピーチをしていた。


その教会の駐車場に「Nippon Rent-A-Car」と書かれた車がとめてあった。お払い箱になった日本の中古レンタカーが、流れ流れてやってきたんだろう。わずかばかりの感慨を感じた。

2012年5月19日

Jamaica は No Problem なのだ(ジャマイカ /9)

モンテゴベイにAQUASOLという名の遊園地がある。中には入らなかったが、浅草花やしきみたいな感じだ。入口にそのアトラクションの内容を表した大きな看板があった。よく描かれているではないか。立派なアートである。左下の方に描かれたバッグには、Jamaica no Problem の文字が。これがジャマイカのスピリットだ。


「おっにいさん」って、おれのこと?(ジャマイカ /8)

夕食前に近くを散策しようと思い出かけた。ホテルの守衛にゲートを開けてくれと行ったら、部屋番号を聞かれた。ゲートを出てすぐさま、さっきまで守衛と立ち話をしていた男が駆け寄ってきて、買い物か、女か、としつこく聞く。ただの散歩だと言って出かけた。

この辺りはリゾートホテルが並ぶジャマイカでも有数の観光地のはずだが、ほとんど人通りがない。いても、地元の人か、土産物屋の店員だ。通りに並ぶ店自体がまだ7時だというのに多くがシャッターを下ろし、明かりを消している。レストランとバーの前だけが煌々と明るい。

歩いていると、「こんばんはー」とか「おっにいさん」とジャマイカのお兄さんたちから日本語で話しかけられる。無視して歩き続けると後ろを付いてきて「いい女、紹介するよ」とこれまた日本語で話しかけてくる。

こちらに来てから、これまでタクシーの運転手や店の店員などから、たいていは「お前は中国人か」と聞かれてきた。スペイン人と間違えられたことも何度かある(本当だ、笑)。

そうしたなか、ポン引きの兄ちゃんたちだけは、うす暗闇の中でもこちらが日本人だとよく判るものだと感心する。(それがなぜかということを考察すると論文一本分くらいになるので、ここでは書かない)。ホテルの守衛が、出掛けしなにこちらに見せたちょっと意味深な表情は、これに関係していたのかもしれない。

日がすっかり暮れたのでダウンタウンまで行くのを止め、途中からホテルに引き返すことにした。来る途中は気がつかなかったが、人気のほとんどない道ばたの方々に警察官が立っている。なるほど夜はそういう場所なのかと思いつつホテルへ戻った。

いろんなカップルがいていい(ジャマイカ /7)

ホテルに連泊していると、レストランやバーなどで顔見知りができる。話はほとんどしないが、軽い挨拶くらいはするようになる。

周りの客は、圧倒的に男女のカップルが多い。これはリゾートという場所柄から当然のことだろう。組み合わせは、白人同士のカップルが一番多く、次に黒人同士、その次は白人男性と黒人女性、最後に黒人男性と白人女性のカップルという順だ。女性同士のカップル(白人同士、黒人同士、白人と黒人)も目につく。これは仲のいいお友達同士といった感じである。白人男性同士のカップルも何組かいる。こっちはほとんどがゲイのカップルだ。

ところで、人様の身体的特徴をあれこれ言えた筋合いではないけど、どうしてこうも男も女も超肥満体が多いのか。相撲部屋に紛れ込んだとでも言おうか。たまたまデブが多いのか。あるいはデブはジャマイカが好きなのか。彼らの大きさを言葉でうまく表現できないのが残念(その人たちの名誉のために写真は載せない。僕だって他の客からは国籍不明、年齢不詳のあやしい男と見られてるだろうからね)。

2012年5月18日

All inclusive はジャマイカから(ジャマイカ /6)

ジャマイカのリゾート・ホテルの多くは、all inclusive(何もかもすべて込み)という料金制度を採用している。食事代やバーでの飲み代、さまざまなアトラクションへの参加費、税金やチップまでタダ、いやタダではなくあらかじめ決められた料金に含まれているのである。地中海クラブなども採用しているこうしたやり方は、ここジャマイカが発祥の地である。

そのアイデアのきっかけが何かは知らないのだが、客側からすれば追加料金がかからないのでスッキリ明瞭会計というメリットはある。ホテル側にとっては、面倒な会計が一切必要ない。これは大きい。人やシステムにかかる事務コストが最小限ですむ。客が追加的に支払う必要があるのは、電話料金とワインをボトルで注文した時くらいである。

ただ、こうしたオール・インクルーシブのビジネスのやり方に批判もある。環境へ負荷が高くなるという主張である。「食い放題、飲み放題」だから、余計に食物資源が消費、あるいは浪費されるということだろうか。でもそうだとすると、日本のホテルでも流行りの「ブッフェ式」の食事の提供の仕方と同じかなとも思ってしまうが。

「用心棒」に会う(ジャマイカ /5)

カリブ海の水は、透き通るような薄緑色をしている。夕暮れ近くまで浜を歩き、その後はホテルの部屋のベランダで本を読む。目の前に拡がる海の上を20分おきくらいにジェット機が横切る。近くの国際空港へ向け着陸態勢に入った飛行機だ。

ホテルの部屋でテレビをつけたらの日本の映画が流れていた。黒澤明の「用心棒」である。思わず見入る。スペイン語の字幕がついている。2月末に日本を出てから、日本映画を見るのはこれが初めてだ。だからというわけでなく、これは何度見ても(どこで見ても)傑作である。


2012年5月17日

大と小のビーチについて考える(ジャマイカ /4)

モンテゴベイで泊まっているホテルは、海に沿った細長い敷地に建っている。目の前の浜は、ホテルが所有するプライベートビーチでなかなか立派だ。端から端まで2、300メートルはあるだろう。

その東の端に行ってみた。金網のフェンスが張ってある。その向こうには30メーターほどの小さな浜があり、そこは誰でもが使える場所らしく地元の若者たちが泳ぎに来ている。

仕切りの金網には有刺鉄線がからませてあった。そこまでしなくてもいいのに。

バスでモンテゴ・ベイへ(ジャマイカ /3)

朝食を食べた後、バスでモンテゴベイへ向かう。9:30発のエクスプレスバスだ。ここでも黒人以外の乗客は僕一人。キングストン市内を出た後は一切信号機がないので、文字通り休みなくバスは走る。峠をいくつも越える。

海が見えてきた。キングストンを出て2時間弱ほど走ったところで、バスはいったん休憩で止まった。そこはオチョ・リオスという町。カリブ海に面した港町で、ボブ・マーリーが生まれたころである。その後、バスはカリブ海沿いの幹線道路(A1号線)を西へ。

午後1時過ぎにモンテゴ・ベイのバス停に到着。迎えをホテルに頼むのを忘れてたことをバスの中で思い出したが、こうしたところではそうした心配は無用。バスを降りるや何人かのタクシーの運ちゃんが寄ってきて、タクシーが必要か、俺のに乗っていけ、とうるさく付きまとい、3人ほどの運ちゃんが右に左に手を引っ張る。

一番まともそうな(に見えた)運ちゃんと料金の交渉をする。その間も客を取られた他の運ちゃんが、「そいつはインチキ野郎だから気を付けろ」とか「俺の方が親切だからこっちへ来い」と大声で呼びかけてくる。目の前の運ちゃんは僕と料金交渉をしながら、そうした相手に「やかましい、うせろ」と叫び返す。

2012年5月16日

夕刻のキングストンで(ジャマイカ /2)

朝飯を早めに済ませ、アップタウンを2時間半ほど歩き回る。日が高く昇るにつれかなり暑くなる。湿度も高い。一旦ホテルに戻って少し昼寝をした後にダウンタウンを歩こうと思いホテルに戻ったところ、プールサイドのバーで一杯やったのが悪かった。1時間ほどの昼寝のつもりが、そのまま一眠りしてしまった。

そのバーで一人で飲んでいるところに現れたのは、ベルギー人の国連職員。バーテンダーだけでなく、周りのスタッフたちとも顔なじみの様子で、頻繁に来ている感じである。ホテルの入口近くでクルマを運転して駐車場に入る彼を見かけたから、本当はアルコールはだめなんだろうけど、当たり前のようにビールを何本か注文していた。NGOの活動の支援をしていて、コソボやソマリア、コンゴ、その他数ヵ所危険地域と思われるところでの勤務を経験し、1年半ほど前からキングストンに赴任しているという。

話をしてみるまで、何をやっている男か想像できなかった。ビジネスマンにしてはざらついた感じがあるし、では自由人かというと、着込んでいるジャケットとネクタイはそれには似合わない。仕事の内容を聞き、なんとなく納得。いささかやさぐれた雰囲気である。

目が覚めた後はダウンタウンまで行くのはやめにして、夕食前の軽い散歩に。

公園でジャマイカ人の新婚カップルとその家族が写真を撮っていた。優しそうな彼と逞しい彼女、迫力ある叔母さん。

2012年5月15日

キングストンでもラジオ体操(ジャマイカ /1 )

ジャマイカの首都、キングストンに来た。ニューヨークからのフライトはほぼ満席で、乗客のほとんどが黒人(完全な白人ではないという意味)だった。

夕方の散歩の途中、キングストン市内のEmancipation Park(解放公園)でiPhoneのスピーカーから伴奏を流しながらラジオ体操をする。ラジオ体操をするのは、日本を離れてからの日課になっている。あまり健康に気を遣う方ではない僕の唯一の健康法である。

周りから、子どもたちが寄ってくる。素知らぬふりして、体操を続ける。

彼らは最初、まるで見せ物の猿でも見るかのようにこちらを眺めているが、そのうち何人かが面白がって真似を始める。他の子どもたちはそれを見て大笑いしながら、やがて自分たちも一緒にラジオ体操(の真似ごと)を始める。

ラジオ体操を終えたあと、そいつらの方を向いて拍手をしてやると、彼らも喜んで一緒に拍手をする。