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2013年11月22日

ヒースロー空港へ

学会は20日で終了。21日夕方のフライトで日本へ戻る。

ホテルで朝食をさっと済ませた後、朝10時の開館と同時にカーディフ美術館を訪ねる。それほど大きくはないが、近代や現代の有名な画家の作品に加えて、地元ウェールズを代表する作家の作品が多く展示されていた。

カーディフ美術館

 昼過ぎ、昼食用のタルトを2つとナッツ1袋を買って、ヒースロー空港行きのバス、ナショナル・エクスプレスに乗り込む。そして一週間前に来た道を、そのまま今度は東へ走る。

ところが途中、高速道路でバスの運転席側のサイドミラーが突然壊れ、走っていたバスは路肩に停車。見ると風圧でミラーが破損して、ぶらぶらとぶら下がっている。これが路上に落下すると、間違いなく後続車が事故になる。

運転手がバス会社に連絡し、救援を待つ。僕はバスの前から3列目あたりに座っていたのだけど、その間運転席までやって来て、サイドミラーがなくたって車は走れるのだから空港へ向けて走るべきだとか、このままだとフライトに遅れるかもしれないからタクシーを呼べとか、強烈な要求をしてくる乗客がいるのに驚く。たいていは、アメリカ人か中国人である。

40分ほど待って、乗り換え用のバスがやって来た。以前、ハワイでも途中でバスが故障して、道中で30分ほど待って救援のバスに乗り換えたことがあったのを思い出す。

まあ外国ではこんなもんだろうと、十分ゆとりをもって出たので慌てることはなかった。むしろ、こんなちょっとしたハプニングのおかげで、バスを乗り換えた際に隣に座っていたロシア人女性ととても親しく話ができた。地質学者である彼女はその仕事柄か、旧ソビエト連邦内をずいぶん旅していて、興味深い話をたくさん聞かせてくれた。別れ際にメールアドレスを交換した。

2013年11月20日

Morgan Arcade in Cardiff

カーディフは小さな街。中心地の主な場所はほとんど歩いて回れる距離にある。繁華街の中に、古い趣を残すモーガン・アーケードがある。落ち着いた雰囲気のアーケードのなかに靴屋や本屋、カフェ、レコード店、カメラ屋など、いずれも小さな店構えである。




本屋のショウウインドーには、研究社版の『ビジネス英和辞典』が展示されていた。古書も扱ってるので、カーディフ大学で勉強していた日本人学生が売っていったものかもしれない。

またこのアーケードには、スピラーズという1894年に開店した世界最古のレコード店がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spillers_Records



2013年11月17日

Croeso i Gymru!

ロンドン・ヒースロー空港からバスでカーディフへ。車はM4(国道4号線)を西に向かって走り、セバン川を渡ったところでイングランドからウェールズになる。するとまもなく Croesso i Gymru! と書いた看板が目に入る。Croesso i Gymru! は、Welcome to Wales!(ウェールズにようこそ!)の意味。

ここでは、道路標識や公共の掲示はウェールズ語と英語の併記が法律で決められている。ウェールズ語では英語のtaxisをtacsisと表記するように、比較的新しい言葉は英語に似ているが、そうではない言葉は表記も発音もまったく別ものである。

 
駅の出口に掲げられている表示


ウェールズに入った日、学生時代の友人が息子を連れてバス・ステーションへ迎えに来てくれた。The Mill House というのが彼の家の住所で、その名の通りかつては地域の製粉工場として使われていた建物に一家で住んでいる。

子どもたちは学校でウェールズ語を必修の第二言語として学んでいるのだが、それをあまり好んではいないようだった。ウェールズ語を習得する必要性があるわけではなく、政治的な背景をもとに無理矢理学ばされているからだ。

ウェールズは16世紀の半ばにイングランドに併合され、その後ウェールズ語は劣った言語とみなされて教会以外での使用を禁止されてきた歴史がある。その結果、ウェールズ語を話すことができる人の数は減り続けてきた歴史がある。それへの歯止めをかけるためにウェールズ政府が学校での必修化を決めたのである。

言葉は、人が生きてきた歴史と文化そのものだ。力によってそれを奪われようとしたことへの抵抗の気持ちがあるのは当然のこと。しかし、英語が当たり前となった状況で、ウェールズ語を子どもたちが嫌がるものまた自然なこと。

いったん自分たちの「スタンダード」を奪われると、苦労するのである。