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2024年3月29日

だから、人々はチェンマイで長逗留してしまう

チェンマイに4日ほどいて、バンコックを経てシンガポールに戻って来た。

バンコックの宿の宿泊費は、シンガポールのおよそ3分の2から半分。そして、チェンマイはバンコックの3分の2から半分である。つまり、チェンマイのホテルは、シンガポールの半分から4分の1の値段ということになる。

値段が半分から4分の1で部屋の広さは3倍、ホスピタリティのレベルは2倍である。総計すると、チェンマイのホテルの価値はシンガポールの12倍から24倍という計算になる。

シンガポールには、その効率的な社会システムなど優れたところが数多くあるが、海外から遊びで来るところでなく、あくまで金を稼ぐ場。とりわけ今のように安い日本円を財布に入れてやってくる日本人には、そうとしか思えない。



アルジャジーラ

ホテルにもよるが、僕が泊まり歩いている宿ではCNNもBBCも映らない(契約していない)ことが多い。英語でニュースが聞けるチャンネルがないか探すと、ABCかアルジャジーラ(Al Jazeera)に落ち着く。

契約チャンネルにCNNもFOXもないけど、ABCは映ることが多い。CBSやNBCは映らない(だからSNLは見られない)。

そうした状況の中では、ニュースでは断然アルジャジーラが見応えがある。中東カタールのドーハに本拠地をおく放送局だが、イスラム寄りの放送局ではない。僕が見る限り、極めて高い中立性を保っているニュース専門局だ。

局のモットーは「一つの意見があれば、もう一つの意見がある(the one opinion and the other opinion)」というもの。オルタナティブの重要性を示すもので、これはすごくいい。

アルジャジーラのニュース番組

それにしても、こちらで視聴できる「NHKワールド」は、一体誰に向けて放送しているつもりなんだろう。編成担当が何を考えて制作しているのか、まったく分からない。これじゃ、誰も見るわけないな。いや、とにかく日本語が恋しくてしょうがない日本人が見るか。

アルジャジーラと比べて、あまりに番組のクオリティが低いのは予算のせいか、制作能力のせいか、やる気のせいか。ともかくNHKの国際放送は、あんまりみっともない番組を外国で流すのは止めた方がいいと思う。

2024年3月28日

チェンマイ( /3)

宿の前に自転車が何台か並べてあったので、1台借りて町に出た。

これなら遠くへ行けそうなので、昨日まで出かけていた市街地と反対の方面にペダルを漕ぐ。 すぐ脇を抜き去っていくクルマの排気ガスを浴びつつ、地面の凸凹に車輪を取られないよう注意をしながら自転車を走らせる。だんだん周囲の人口密度が低くなっていく。

途中で線路に突き当たったので、線路に沿ってその脇を北へ向かって進むとチェンマイ駅に着いた。チェンマイの街は、街を挟んで西にチェンマイ空港、東にチェンマイ駅がある。

駅の構内は静まりかえっている。タイムテーブルを見ると、もともと発着の本数が少ない。駅にはプラットホームが4番まであるが、列車を待っている客はいない。いるのは、ホームのベンチ寝ている若者だけだ。荷物がないところを見ると、旅行者ではなく地元の青年なんだろう。静かにゆっくり昼寝できるとやって来てるのかも知れない。

待合室(といっても正確には部屋ではないのだが)にはバックパックを背負った白人が何人かいた。若者だけでなく、中年の夫婦も。おそらくチェンラーイか、ラオス国境あたりへ行くのかもしれない。

2024年3月27日

チェンマイ( /2)

チェンマイ2日目。昼間に出歩くのはかなり疲れることが分かったので、暑い時間帯は静かに宿で過ごすことにする。日がほぼ沈むかけたころから、街へ。

街の中心部を歩いているとマッサージの店、カフェ、入れ墨の店が多いのに気づく。それとバイクを取り扱う店も多い。前の3つは、明らかに観光客目当て。

マッサージ店で働いているのは、ほぼすべて女性である。若いお姉さんを揃えた店と中年以上の女性を従業員として集めた店と、明らかに店のタイプが分かれている。

僕がフットマッサージをやってもらったのは、後者。アスリートのような筋肉質のおばさん(歳はよく分からない)に揉んでもらった。

店頭のメニューだと1時間が250バーツ。30分でやってくれと頼むと200バーツだと言う。180バーツに値切り、マッサージが終わったあと、担当者に20バーツをチップで渡した。

マッサージ自体は、最初香油のようなものを塗って香りを立て、その後はジョンソン・エンド・ジョンソンのベビーオイルかと思えるオイルを足に塗りながら、さすりながら、揉んでいく。取り立てて何もないけど、気分のせいか、いくぶん足が軽くなる感じがした。

本当はね、しっかり身体全体マッサージしてもらいたいところなんだけど、日本出発前に発症した帯状疱疹で左の胸から脇、背中が刺すように痛い。これをマッサージ師にグイグイやられたら、痛さで間違いなく卒倒しちゃうからね。残念。

フット・マッサージの後、ピン川の畔のガーデン・レストランで、スズキのフライとビール。ステージではバンドが懐かしいアメリカン・ポップスを演奏していた。男性と女性のツイン・ボーカルだが、その女性が上手い。

帰りしな、ステージ近くに寄って「よかったよ」というサインを送った。彼女が唄いながら、ぴょこんと頭を下げた。まだ学生のような感じだった。

2024年3月26日

チェンマイへ

バンコクからチェンマイへやって来た。バンコクは高層ビルが建ち並ぶビジネスセンターのようになっていたが、チェンマイはそれに比べればのんびりした、でも観光客(特にここでも団体の中国人客)にあふれたタイ第2の都市である。

今日は午後早い時間に到着したので、宿にチェックインした後はさっそくコンパスをポケットに街中を歩く。4時間ほど歩き続け、町の中心部を全部とは行かないが、その全体の規模は理解できた。街中の方々に、実にたくさん寺院がある。

チェンマイの真ん中を流れるピン川(Ping River) 

川の畔でくつろぐ若者 


蓮で溢れた市内の小川

髪を切るような感じで入れ墨を入れる

アユタヤへ

バンコクからクルマで北へ1時間半ほど。こちらの人によると、正しくはアユタッヤーと発音するらしい。

ここは14世紀から王朝がおかれ、400年以上にもわたって栄えた古都。その後、18世紀にビルマに攻め入られて陥落し、町は破壊された。多くの寺院は壊され、仏像は首をもぎ取られた。そうした破壊の歴史がこの街のあちこちに残っている。

アユタッヤーを代表するワット・プラ・ラーム、ワット・マハタート、ワット・プー・カオ・トーン、そしてワット・チャイナッタナーラムを訪ねた。

それら4つの寺院の入口にはそれぞれチケット売りのおばさんがいる。4つめの寺院を訪ねたとき「もう3つも同じチケットを買わされたよ」と3枚の半券を見せて苦情を言ったのだけど、何食わぬ顔で「ワン・バイ・ワン」と言われてしまった。ガイドが隣で「ワン・バイ・ワン」とつぶやき苦笑していた。

タイ人は入場無料で、外国人観光客だけが有料となっている。ま、仕方ないけど。

首をもぎ取られた仏像

三輪のトゥクトゥクのドアにUNESCOの文字

傾いている仏塔

暑い日は昼寝をするのが正しい

首のない仏像の列

ガジュマルの木に仏さんの頭が

破壊された数々の寺院、首を取られた仏像が痛々しい。だが、いまパレスチナの地で行われているガザの街の破壊とジェノサイドは、これらを遙かに超えている。

2024年3月25日

ムエタイ

バンコク市内には、ムエタイ(Muay Thai)のスタジアムが2つ。そのなかの1945年に創立されたという歴史的あるスタジアムで試合を観た。

今日のマッチは8つ、午後6時15分に第1試合のゴングがなった。テレビ局が入っていて、中継で番組を流しているが、午後8時で番組中継は終了。試合は第5試合あたり。

テレビ局のカメラマンがいなくなると、一気に会場の空気が変わった。特にセコンドで大騒ぎしていた選手の所属クラブの連中がさっと消えてしまった。

大声を上げるセコンド。リング上の選手には迷惑なんじゃないかね、これ。

試合が始まる前に、念入りに儀式のようなことを両選手が行う。タイのムエタイは、日本の相撲のようなものなんだろう。

2024年3月23日

35年ぶりのバンコク

シンガポールからバンコクは、飛行機で2時間20分。羽田から那覇へ飛ぶより早い。

シンガポールは暑かったが、バンコクはもっと暑く、湿度も高い感じである。昔の感じで街を歩き回ると確実に疲弊する。そんなとき、否応なく歳を感じる。

20代、アジアを旅していたときは疲れなんか感じる暇はなかったけどね。朝から日が暮れるまで街中を歩き続け、一日3リットルの汗をかき、4リットルのビールを体に流し込む。そんなことを連日続けていた。

バンコクだけど、35年経って街が大きく変わったかというと、確かにニュキニョキと高層ビルが市内の方々に建てられたが、王宮を中心とするチャオプラヤ川周辺地域は時間の割にはあまり変わってないように思う。

アクセサリーなど細工物を売っている無数の路上店舗も時間が止まっているかのようだ。

王宮

王宮内で見つけたヒゲの友だち

途中、歩き疲れてワット・マハータート(Wat Mahathat)という「格式の高さはバンコク随一」とガイドブックに書かれた寺院の前で入ろうかどうか思案していたら、その前にたむろしているトゥクトゥクの運転手から、どこから来たんだと声をかけられた。

ワット・マハータートは、ドレスコードが厳しい

暑さで疲れ、真面目に答えるのが嫌な気分だったので、どこから来たと思うか、と返したら一瞬押し黙ったあと、 "Germany?" と言ったよ。

俺のどこがドイツ人なんだ。"No" と返し、もう一度どこから来たと思う? と相手に聞いたら、隣のトゥクトゥクの運転手と何か相談したあと、"Nepal?"。

近づいて来たな、と少しだけ面白くなり "No" と返したら、今度は "Greece?" と言ってきたよ。また遠くに行ったじゃないか。 

彼らは何十年も毎日何十人という客に「お前はどこから来た?」と聞いているのに、何にも分かっていないみたいだといささか呆れてそのまま立ち去ったが、後で考えてみれば、彼らにしてみれは相手がどこの国出身であろうとそんなこと関係ないのだ。

彼らは国際交流をしたいわけじゃないんだから。ただ客引きのために話かけているだけなのだから、ドイツもネパールもギリシャも同じなんだろう。