2019年10月21日

ワンコ同伴も当たり前

海外に行き、時間があるとHop-on Hop-off(乗り降り自由)のバスで街の中を巡ることが多い。訪ねた街のサイズや全体的な雰囲気をつかむには、それが一番だと思っているからだ。

ここブダペストには3つの異なるバス会社が運営する市内巡りのバスが走っていて、今回はそのなかのBig Busという名のバスで市内をまわる機会があった。

幸い2階の最前列の席に座ることができ、隣を見ると4人家族が乗り込んできた。両親と子供たちが2人。ラテン系の顔つきをしている。スペインからきた家族かな。それとワンコ。

どうやって連れてきたのか、飛行機に乗せてきたのか、それとも陸路来たのか聞き忘れたが、当たり前のようにそこにいる。

日本だと犬をバスに乗せようとするとだけで、色々面倒くさいことをいわれるかもしれないなあ。




2019年10月20日

古本屋は世界中どこでも同じ匂いがする

ブダペスト市内、国立博物館の向かいの通りには古本屋が軒を連ねている。ハンガリー語は読めないが、神保町の古書街と相通ずる雰囲気を感じて中をのぞいてみる。


うずたかく積まれた古書の山はなかなかのもの。店内は雰囲気があっていい。


2019年10月19日

「いだてん」看板

学会先のブダペストの街中、小さな酒屋の看板に見覚えのあるシンボルが・・・。

2019年10月18日

国際学会でPSJ(Promoter Score Japan)を発表

会場は、ハンガリー・ブダペスト市内のほぼ真ん中にあるCentral European Universityだった。

現地にいくまで知らなかったのだが、この大学はあのジョージ・ソロスが資金を出して1991年に設立した大学院大学。彼はハンガリー系のユダヤ人で、ここブダペスト生まれである。

大学院大学だからなのだろう。学生たちは大人で、キャンパス全体が落ち着いた雰囲気の大学だった。講義用の教室はどれも比較的小ぶりだが、最新の機器が備え付けられていた。

巨大なスクリーンと見間違うようなモニターディスプレイ上を指でタップ、スワイプ、ピンチしながらプレゼンテーションをすることができる。とにかくお金がある大学という印象。

大学(CEU)のホールに掲げられていたソロスの碑


さて学会では、日本人の顧客を対象にそのロイヤルティを測定するための新しい指標であるPSJ(Promoter Score Japan)についての提案を理論および実証研究をもとに行った。

PSJは、世界的な顧客推奨指標になっているNPS(Net Promoter Score)をもとに日本人の回答性向を勘案して開発した独自指標である。

なぜPSJなのかという質問がいくつもあり、新しい独自指標の意味を他の研究者が理解してくれたのがよかった。

2019年10月10日

リチウムイオン電池は、日本人が発明したものだったんだ

iPhoneをずっと使っている。今使用しているモデルは iPhone SEという古いやつで、昨年9月にはアップルストアでの販売は終了してしまった。

買い換えようかとずっと思っていたのだが、ジーンズの前ポケットにいれても邪魔にならない小型のサイズが気に入っており、今後も使える限り使おうと決め、今日バッテリーの交換をした。

実感としてはまだそれほどへたった感じはなかったのだけど、前の夜に充電するのを忘れると次の日の夕方あたりには電池の残量が怪しくなってくる。転ばぬ先の杖とでもいうか。

交換費用はバッテリーと作業料で7700円だったからAppleストアより割高だったが、その場で15分ほどでやってくれたのでよしとしよう。

以下の写真は、僕のiPhone SEに入っていた元のリチウムイオン電池(Li-ion Battery)。縦長の薄っぺらい羊羹のような感じだった。


帰宅してニュースを見ていると、今年のノーベル化学賞の発表があり、日本人の吉野彰さんら3人が受賞したという。吉野さんの受賞理由は、リチウムイオン電池の原型といえるものを昭和58年に開発したこと。

スマホなどの電子機器はもちろん、これから車の主流になる電気自動車もリチウムイオン電池が不可欠だ。

受賞はめでたいが、開発から受賞までの時間の流れ(今回は36年間)を考えると、今後日本人がこうした優れた発明でノーベル賞を受賞できるのだろうかと、ふと考えてしまった。

2019年10月9日

銀行というのはいつまでたっても・・・

毎月の送金のため、これまで三菱UFJ銀行(あれ、いつ社名から「東京」が外れたんだ?)の「定額自動送金サービス」というのを使っていた。それを今回、郵便貯金の「自動送金」に切り替えた。というのは、手数料が3倍以上違うのに気がついたから。

まずM銀行とのネット取引でサービスの解約をしようとしたのだけど、店頭でしかできないらしい。しかたなく、店頭に出向き(なぜいまだに窓口業務が3時までなんだろう?)手続きをした。解約届に記入を求められたが、記入内容はすでにサービス開始時に届け出たもので、銀行のシステム上に記録されているはず。それを一つ一つ改めて手書きで記入させられる無駄を強要される。

しかも窓口にその届け出用紙を出したあとは、複写になっているその用紙の「お客様控」が渡されるだけ。えっ、それだけ。おかしい。銀行側の何の処理上の加工がない。受付日付を記入するでなく、受付担当者が書類に受領のサインをするでなく。

窓口では、客が書いた書式の一枚目を自分たちの控えとして受け取り、複写の二枚目を客に返すだけなのだ。

これだったら、ネットからシステム上で容易にできるようにできる。最悪でも書式をサイトからダウンロードしてpdfで送信するか、または郵送すればすむはず。わざわざ店頭まで客の足を運ばせる理由が分からない。

窓口でなぜそうしているのか彼らに質問したのだが、「そういうことになっています」というのが銀行からの回答だった。

2019年10月8日

自由を奪われるということ

香港での反政府活動がやまない。週末だけだったのが、このところ連日プロテスト活動が展開されている。デモでのマスク着用禁止という馬鹿げたルールには、しっかりとマスクを付けてデモに臨んでいる。

デモ参加者の中心は若者だが、なかには中学生や高校生もいる。香港は、2047年に一国二制度の現在の体制が終わりになる。今二十歳の若者が48歳になったときだ。だが実際の状況は、そうしたタイムテーブルとは別のところで動かされようとしている。

すでにかつての香港の持つ自由や良い意味での混沌さは削り取られ、徐々に中国にのみこまれようとしているようだ。

先日、香港から高速鉄道で中国に深圳へ行ったが、出発地である香港の西九龍駅は中国のようだった。何重にもわたるパスポートや荷物チェック、至る所からこちらを狙っている監視カメラ。気が休まらない。駅のホームにはゲートを通らなければ降りられず、そのゲートが開くのは出発の10分前だ。

中国化する香港に直感的に一番反応しているのが、香港の若者だ。自分たちの将来の自由が奪われつつあるのを見ているのだから。そして黙って見ていては、何も変わらないことを知っている。自由を守るためには、彼らなりのやり方で戦うしかないのだ。

状況をそのまま置き換えるのは難しいが、日本の今の若者たちだったらどうするだろう。呼びかけに応じてデモに参加するだろうか。拳を突き上げて政府への反意をしめすだろうか。

それとも何も行動をおこさず、スマホの画面で起こっていることを見ながら、つぶやくだけだろうか。

今日の雲は、すっかり秋だ。

2019年10月6日

明日も晴れ

夕刻、マンションの屋上から西の空を望む。鶴見川と横浜スタジアムの向こう、雲が赤く染まっている。



2019年10月2日

ローテクだけど、それが何か?

知り合いに自分が録画したテレビ番組を見てもらう必要があって、DVDにその番組を焼いて郵便で送った。
ところが、彼から「PCで見ようとしたけど、見れなかった」というメールが来た。自宅に帰ってから、その番組をもう一度同じようにディスクに焼き、自分のパソコンで見ようとしたら、やはり見えない。
彼によるとコピー前にディスクのイニシャライズやら、データをコピーした後のファイナライズやらが必要なのだという。
しまっておいたレコーダーの取扱説明書を取り出し、録画番組のディスクへのコピーの仕方の欄に目を通すが、どうもPCで見るためにはどうやったらよいか等の記載がない。
今使っている機器は東芝製のもので、購入してもう20年近く経つ。よくもまあと言われそうだが、使い慣れてるし、十分働いてくれてるので日々この機械で毎晩のニュース番組の録画取りなどしている。
さてそれで相手に送らなければいけないテレビの番組だけど、どうしようかと考えた末に、テレビの前にカメラの三脚を立て、画面に焦点を合わせ、フレームを調整し、件の番組を再生。
こうやってテレビの画面そのものをカメラの録画機能で撮影した。
その後カメラからSDメモリーカードを抜き取り、マックに刺してYouTube上にアップロード。著作権があるので公開設定ではなく、限定設定をした上でその映像のURLを相手に送った。
しばらくして、「YouTubeで確認しました」というメールが届いた。
録画のための色んなフォーマットの仕方があることを今回取り扱い説明書を見てあらためて知った。おそらく最近の機器では、もっと多様なフォーマットの仕方があるのかもしれない。

しかし今回、僕は映像を人に送るための最もシンプルでかつ完璧な方法を手に入れたような気がした。

マイケル・リーチからリーチマイケルへ

ワールドカップ・ラグビーの日本代表チームのキャプテンは、日本語がとても流暢で、濃いゲジゲジ眉毛が印象的なリーチマイケル選手だ。ニュージーランド出身で、チームは東芝に所属している。

リーチマイケルって、外国人の名前にしてはちょっとヘンだと思っていた。調べてみると、彼のもともとの名前はマイケル・リーチ。それが、2013年に日本国籍の取得許可が下り、それから日本人選手として活動することができるようになったのをきっかけに、姓名を入れかえて日本風にリーチマイケルとした。

マイケル・リーチとしていたときの中黒「・」もない。日本人表記だからね。

ちょっとしたことだだけど、本人にしてみればよくよく考えた末の変更だろうし、立派だと思う。

僕たちも英語で名前を書くとき、そろそろ下の名前+苗字という西欧人風の書き方を改めるべきだと思っている。

2019年10月1日

自慢と卑小さ

日経新聞の文化面「私の履歴書」のN中氏の連載が終了した。

日本の経営学者として著名な方なので、毎回読むとはなしに目を通していたが、毎回毎回(つまり毎日)自分をどう見せようかという自慢話が計画的に盛り込まれているようで、途中から思いっきり鼻白んでしまった。

今日はそう来たか、という自慢話を連日読まされるたびに、本人の意図に反して人物の器量の小ささが透けて見えるようだった。

まあ、そもそもが少年期にグラマンの機銃掃射を受けたとかで(確かにそれは強烈な印象だっただろうけど)、そのときに機上のパイロットの顔が笑っていたように見えたといった記憶から、敵国アメリカへの対抗心がムクムクと生まれたとする思い込みが、彼のその後の感性を如実に示しているように思える。

続いて今日から始まったIIJ会長・鈴木幸一さんの「私の履歴書」は、打って変わって肩の力の抜けた、ほっとする内容である。

担当記者の違いもあるのかもしれない。

いずれにせよ、他山の石ではないが、自らを語るのってほんとに難しいなあと思わされる。