メキシコの人は人懐っこい。おおかたはとても親切で、ある日、美術館への道を迷って近くを歩いていた人に尋ねた時は、わざわざ遠回りして案内してくれたほどだ。モンゴロイドの血を引き継いでいるのか、なんとなく顔かたちが僕らに似ているところがあるのも、お互いが親近感を感じる所以だろう。
メキシコ人の血は複雑である。現在、もともとのメキシコにいた原住民の血を100%継いでいる人たちはわずか1割(だんだん血が濃くなってきて、そのせいだと言われているが、最近は生まれる子供の8割が女の子である)。純粋な白人(スペイン系白人)が1割。そして残り8割はメスティーソと呼ばれる白人と現地人の混血である。スペイン人エルナン・コルテスによってアステカ文明が破壊され、メキシコが征服されたのが1521年。それから500年ほどかけて血が混じり続けてきた。
ティオテワカンへの観光ツアーは、メキシコシティの日系旅行代理店に申しんだこともあり、ガイドは日本人女性だった。滞墨9年目になるという彼女から、往復2時間半あまりメキシコについて話を聞かせてもらった。
彼女によれば、現在の大統領も閣僚もほとんどが人口では1割しか占めていない白人だという。そして、彼らは特権階級である白人のための政治を行う。例えば、富裕層である白人階級保護のため、この国では相続税は課されていない。
しかし、だ。白人が1割しかおらず、独裁国家でもないのに、どうしてそのような議員構成になるのか尋ねてみた。その理由は、一言で言えば「買収」。貧しい人たちが容易に村単位で買収され、歪んだ投票行動につながっているという。その結果、白人がその人口比に対してはるかに多い割合で議会を占め、自分たちの利益誘導に進む。
そうした現状を一般のメキシコ人(白人以外)はどう考えているのか尋ねたら、「ほとんど気にしていない」という。「最初から諦めているのです」とも。戦おうとも現状を変えようともしない。何百年間にもわたって被征服者として虐げられ服従することで生きてきた結果、将来を自分たちの手で作り上げるという意志はまったく持たず、ただ今日だけを楽しく生きることができればいいと思うようになったというのが彼女の説明だった。
メキシコは米国の隣国であり、歴史的にも経済的にも強いつながりがあるにもかかわらず、メキシコの公立学校では英語は教えられていない(そのためか、現地では思った以上に英語が通じなかった)。英語を学ぶためには大学に進学するか、高額な私立の高校に行く必要があるが、一般のメキシコ人にはそれはなかなか難しい。その結果、外資系企業などの「割のいい」仕事に就けるのは、そうした一部の階級に留まっている。こうして階級と格差が固定化されているわけだ。
彼女の話でもう一つ印象的だったのは、就職は肌の色と賄賂の2つで決まってしまうということ。ただ、それがどの程度のものなのかは正確には分からない。だからこそこうした問題は厄介で、問題として定義することすら難しいままに置かれている。
ブータンのワンチェク国王が来日した際、日本でもGNH(国民総幸福度)指標を導入しようという動きがあった。(2010年6月にその測定方法を開発することを目的とした研究会も発足しているはずだが、どうなったのか。)
「幸福度」がキーワードとして語られるとき、しばしば議論に現れるのがメキシコである。幸福度に関する調査結果で示されるスコアが極めて高いからである。
細かな議論はここでは避けるが、メキシコを日本のモデルの一つとして検討してはということなら、それは全くのお門違いだろう。先に述べた悲惨な裏の状況が一つの理由だし、また「あなたは幸せですか」と尋ねられてどう答えるかは、やはり国民性に依存するところが大きい。