2022年6月22日

2年半ぶりの国際学会出張

コロナ前の2020年1月、ハンガリーのブタペストにいた。学会発表のためだった。

現地では学会後にサーカスを観に行った会場で、現地駐在の日本人夫婦の方と偶然に知り合い、その後食事を一緒したり、帰国後もメールのやり取りをしたりで、思いがけず記憶に強く残る旅になった。

それは一例だが、日本を出て海外に行くと、たいていは新たな出会いや発見がある。それもあって海外の学会に出かけることを続けていた。

だが、中国武漢発のコロナウイルスが一気に拡がり、海外への渡航は一切禁じられた。その後のことはここに書くまでもない。人の移動が制約され、ネット上で展開するヴァーチャルなコミュニケーションにいつの間にかわれわれは違和感を感じることがなくなった。

それから2年半が過ぎて、やっとまあまあ普通に海外に出かけられるようになった。最初は欧州の学会へ出かけようと思ったが、ここはまずはリハビリを兼ねて距離の近いアジアの国にしようと思った。

そこで今回のマレーシアである。マレーシアを訪ねるのは初めてだし、英国留学中に一緒だった友人がいることも背中を押した。

日本からの出国と現地への入国。そして、現地出国と日本への再入国。一番大変だった、というか翻弄されたのは現地からの出国の際の手続きだ。 

今回のフライトはJAL。現地への直通フライトを飛ばしているからだ。ただ、現地空港での乗客の搭乗手続きなどグラウンド作業は、提携先のマレーシア航空が受け持っていて、それが今回大きな問題のもととなった。

これはあくまでも個人的な評価だが、マレーシア航空のスタッフはとても真面目なのだが柔軟性に欠け応用力がなかった。しかも、以前の古い日本政府の感染防止策とその規制手段をいまも適用しようとするので、当然のようにこちらとは押し問答になる。

MySOSとかいう日本政府のアプリをスマートフォンにインストールしていないという理由で搭乗手続きを拒否された。ワクチン接種証明書も、さっき済ませたばかりのPCR検査の証明書があってもである。

そもそもMySOSというのは、もし機内で感染者が出た場合に、日本政府の検疫所がその飛行機に乗っていた他の乗客に連絡を取ることを目的としたもの。住所や名前、連絡先をデータをしていれるだけのアプリのようだ。感染拡大やその防止と関係ない。紙の用紙に渡航で利用した航空便と座っていた座席番号、日本での連絡先を記入して提出すれば済む。実際、最終的には僕はアプリをインストールするなどせず、成田空港で1枚の紙を記入しただけで済んだ。

こうしたことが、その目的を一切知らされず、また彼女らも考えることをしないので、ただただ教条的に以前言われたとおり、そのアプリがないと搭乗手続きを行わないと言い張るだけ。

結局、カウンター周辺にいた、つい10日ほど前に日本からやって来たという日本航空社員が取りなしてくれて搭乗手続きができて機内に入ることができた。彼がいなければ、僕はその便には乗機できなかった。

コロコロ変わる日本の厚労省の政策と未徹底な通達。意味を理解しようとせず、機械的にしか仕事をしない現地スタッフ。日本から着任したばかりで、そうした現地スタッフをまだ掌握できていない日本の航空会社の社員。と、今回の問題の所在は多層で多岐にわたっていた。

最後の最後、現地の空港でのやり取りは、今思い出しても腹がたつことばかり。もともとコロナがなければこんなこともなかったと自分を慰めるしかない。

ところで今回の学会では、最終日のセレモニーで僕の研究発表に対してDistinguished Academic Award(4名が受賞)が与えられた。こうしたことがなければ、もう2度と彼の地は踏んでやるかと怒り心頭だったはず。せめてもの救いかな。 

 

ペトロナス・ツインタワー。観光デッキに昇る予約は今も一週間待ち

  
ホテルの部屋から見えたKLタワー

ヒンドゥー教の聖地「バトゥ洞窟」から見下ろす

日本への直通便は夜便のみ。昼間の時間を使ってマラッカへ足を伸ばした。