2020年2月26日

ラオスの少年と少女

現地のNGOと一緒に訪問したラオス、ナコック小学校の子供ら。笑顔が不敵で素敵だ。


 

2020年2月23日

ラオス象の水浴び

ラオスの象は思ったよりは小ぶりだった。その分、あまり威圧感を感じさせることがない。象使いにちゃんと調教されているからかどうか知らないが、大きな声を上げて啼くこともなくとても静かでおとなしい。サワラン地区の川で撮影。


2020年2月22日

廃物利用

ここは、ベトナムとの国境近くのラオスの山村。農業以外の産業はない。子供も大人もみんな腕が細い。栄養が十分じゃないからだろう。

痩せた畑に、粗末な小屋がいくつか建てられていた。その高床式の小屋には収穫した作物が収められるのだろうか。よく見ると、建物のその足は木造ではなく鉄製であることが分かる。

かつてベトナム戦争で爆撃された地域。落とされたその爆弾の薬莢を小屋を支える柱にしている。ある種の廃物利用であるが、これなら木と違ってネズミが昇ってこられないというメリットがあるらしい。


村の子供ら。

2020年2月12日

カズ・ヒロは、なぜ日本の文化が嫌になったのか

先の「パラサイト」がアカデミー賞で作品賞他を受賞したニュースの続きだ。

 「ウィンストン・チャーチル」で受賞して以来2年ぶり、カズ・ヒロ(辻一弘)さんが米映画「スキャンダル」で2度目のメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞した。おめでたい。

ただ、授賞式後の記者会見で彼が話したという、以下の談話が少し気になる。

彼は、記者から「日本での経験が受賞に生きたか」と訊ねられ、英語で「(日本の)文化が嫌になってしまった。(日本で)夢を叶えるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ご免なさい」と応えた。その場でそれ以上の詳しいコメントは語っていない。

そういえば以前彼は、日本人の映画ジャーナリストのインタビューでこう述べている。少し長いが引用しよう。
日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います。
また彼は、こうも述べている。
自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ。
ああやっぱり。日本の社会の空気は重苦しく、息が詰まるようなものに感じていたんだろう。今の日本社会の同調圧力やら、くだらないKYやら、忖度やら。

国籍や性別や年齢や、そうした属性に関係なく世界で勝負でき、生きていける人は一様にどこかで彼と同種の思いを持っているはず。

2020年2月11日

「パラサイト」作品賞ほか受賞

韓国映画「パラサイト」がアカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、国際映画賞を受賞した。このハリウッドの祭典で非英語で作られた映画が作品賞を受賞するのは初めてである。


この数年、ノミネートされる候補が白人や男性に偏っているという批判が強く、そのためアカデミー賞を選考する米国の映画芸術科学アカデミーは、会員を急速に国際化、多様化している。 昨年度は、スペイン語映画「ROMA」(確かネットフリックスの製作だった)が監督賞を受賞など3部門で受賞したのもその流れのひとつだろう。

今回、そうした時の利もあったが、ポン・ジュノ監督の手による本作品は、細心の演出が行き届いた、それでいて大胆で想像力豊かに練り上げられたプロットが魅力の一作だった。

受賞後の会見で、同監督は「私が自分の身近なことに没入すればするほど、物語はより大きくなり、国際的にアピールするようになった」と語った。このコメントは、とても大事な示唆を与えてくれる。

たとえ特定の文化や地理、時代を元にした作品でも、そのテーマの純度と作品としての完成度を上げれば、そこには普遍性が浮かび上がってくるということだ。黒澤明監督の「羅生門」を観たときに、なぜこの作品が外国の映画関係者から評価されてヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞できたのか思ったが、その理由が腑に落ちた気がする。

この映画は、現代の韓国社会の経済的格差、二極化、社会の硬直さをその背景としているが、本作品のアカデミー賞受賞を受けて、文在寅大統領が発表したコメントが振るっている。「最も韓国的な話で世界の人たちの心を動かした」だと。冗談キツイよ。

そうした格差を解消できないどころか深刻化させているのは、あなたたち為政者ではないのかーー。それともこの映画に倣ったブラック・ユーモアでもかましたつもりか。

いや、単にこの映画を観ていないだけだろう、きっと。

2020年2月7日

言い間違えも悪くない

今朝、TBSラジオを聞いていたとき、番組で三菱スペースジェットの納入が6度目の延期で2021年以降になるニュースが話題になっていた。

社名がMRJからスペースジェットへ変わった際の話題などを経済評論家の伊藤洋一氏がゲストとして語っていたのだが、彼が「スペースジェットのエンジンは、ホイットニー・ヒューストンで・・・」と言ったのを聞いて、飲んでいたお茶を吹き出してしまった。

故ホットニー・ヒューストンさん

プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)って言いたかったんだろう。

2020年2月6日

増刷の連絡から思ったこと

ダイヤモンド社の編集者から『コトラーの戦略的マーケティング』が増刷になると連絡をもらった。

2000年に出版された本だから、もう20年である。今回で25刷目になるという。ビジネス書でこのように息長く店頭で購入されているのは、珍しいかもしれない。

この本は原題が Kotler on Marketing だったので、『コトラーの戦略的マーケティング』というタイトルにした覚えがある。

その後、本書にあやかったのか、コトラーが書いた本の翻訳はほとんどすべて「コトラーの」という枕詞がつくようになった。検索してざっと数えただけでも、書籍だけで15冊以上。Kotler on Marketing のように元の書名タイトルにコトラーが付いているわけではない。

ちなみに、それらの多くはコトラーが中心となって書かれた本でもない。付け足しのように序文だけコトラーで、にもかかわらず、出版社の売らんかな精神で彼の名を書籍タイトルに付けたものが多々ある。

コトラーは1931年生まれなので、今年89歳。少なくともこの10年ほどは、彼の弟と息子が中心の家族経営会社、コトラー・マーケティング・グループが彼を商品としてブランド化し、稼げるうちに稼ごうとビジネスしている感じがする。

 ま、それもひとつのマーケティングではあるんだけどね。