2013年7月23日

海外ボランティアと震災復興支援

JICAの海外青年協力隊のプログラム経験者たち何人かと会う機会があった。彼らはいずれも、中米などの現地校で教育の仕事に従事していた日本の若者である。

現地での任期は基本的に2年間。話を聞くにつれ、開発途上国での教育現場の未整備な状況に驚かされる。日本と比較すること自体が基本的におかしいのだろうけど。行ってみたら、渡航前に聞いていたのとはまったく状況や条件が異なっていた、というのも珍しくないらしい。

アレンジをする事務局の問題が大きいようだが、そうした若い連連中は頭の切り替えと工夫で現地に対応していた。こうした志とバイタリティのある日本の若者がいることは、本当に心強い。

東日本大震災後、海外青年協力隊による途上国へのボランティア志望者の数は減少している。それは他人のために力を尽くそうという若者が減っているのではない。彼らの多くは、現時点ではまずは震災で被災してさまざまな面で困窮している東北の人たちに対して何かしてあげたいと考え、実際にその現場で行動しているからだ。

東北地方への支援はこれからも続けられなければならないが、やがて海外ボランティア志望者が以前のように戻って来るといい。

2013年7月22日

五感を使う

新聞にバイオリニストの千住真理子が書いていた。

彼女の音楽仲間がポロリとこぼしたという。「今の学生は音楽をデジタルで考えている。どのくらいの大きさで弾くか。目盛り幾つの早さで弾くか。五感を使うことを忘れているのではないか」

音楽の分野だけでなく、他にもいろいろありそう。

2013年7月21日

「創造的人生の持ち時間は10年だ」

スタジオジブリの「風立ちぬ」を観る。アニメを劇場に見に行くのはひさしぶり。

公式ホームページから

子どもたちはもう夏休みなので、劇場は混んでいるかなあとと思いながら予約なしで行ったが、劇場には思ったほどの客が入っていなかった。観客は、ほとんどが大人。その分落ち着いて観ることができた。

零戦の設計者の堀越二郎と小説家の堀辰雄が重ねられている。いろんな意味で夏らしい映画だ。空を駈ける飛行機と青い空、白い雲、避暑地の眩しいほどの緑と小川のせせらぎ。

関東大震災と第二次大戦、そして愛する人の死。それらが一見、淡々と描かれる。運命と言えば運命なのだが、主人公はそうした現実を受けとめ、翻弄されるわけではなく自らの夢を追い続ける。大空への夢である。

二郎は夢の中で、イタリアの飛行機設計家のカプローニと交流する。カプローニが二郎に「創造的人生の持ち時間は10年だ」と語るシーンがある。10年は長いか短いか。それは人によって異なるのだろうが、自分が好きなことに熱中できる時を大切にしろというメッセージである。

カプローニにそう言わせた宮崎駿は、10年を優に超えて創造的な仕事を続けているのがすばらしい。

2013年7月20日

日本の「妖怪」を追え

横須賀美術館で「日本の「妖怪」を追え!」と題した展覧会が開催されている。いま、日本は妖怪ブーム。北斎や広重、歌川国芳から水木しげるまで、妖怪やおばけをテーマにした作品を集めた夏の特別展である。

この美術館、テラスレストランから横須賀湾が見下ろせる。


テラスからわんこも海を見ていた

2013年7月15日

八丈島は快晴なれど

取材のため青ヶ島へ向かう。東京都青ヶ島村は日本一人口が少ない村である。村民は全島で約190名ほど。東京から直行便がないので、八丈島まで全日空機で飛び、そこからは東邦航空のヘリか連絡船で渡る。
http://www.vill.aogashima.tokyo.jp/

朝7時30分発のフライトで八丈島にわたり、9時20分八丈島発のヘリで青ヶ島へ行く予定だったが、天候が理由でヘリがキャンセルになった。連絡船も欠航になったらしい。八丈島の天気は問題ないように思えるのだが、目的地である青ヶ島周辺の海がしけているのと、霧が深いことが理由らしい。さすが太平洋に浮かぶ島だ、と感心してしまう。

 ただの経由地としか思っていなかった八丈島に泊まることになった。空港から町の観光協会に電話してレンタカーと民宿の手配をお願いする。こうなったら、のんびりこの島を見学するしかない、と腹をくくり島の周遊へ。

空港のバス乗り場
のんびりした運行スケジュール
広々した島内の牧場
姿のいい八丈小島
気持のいい露天風呂

2013年7月14日

「あまちゃん」サウンド・トラック

午後、渋谷のタワーレコードへ。NHK「あまちゃん」のサウンド・トラックCDが発売になっている。連続テレビ小説のオリジナル・サウンドトラックがこれほど話題になっているとは。



2013年7月13日

上野からアメ横へ

上野の東京文化会館に行った帰り、アメ横へ行ってみた。最近、NHKの「あまちゃん」で上野駅やアメ横が登場することが多く、その影響で人も増えたのではないかと思い足を伸ばした。

センタービルの電飾看板の下に「アメ横女学園」とある。