フランスなど欧州のいくつかの国やオーストラリアで、子どもたちの心身の健康を守るため、また性的搾取をはじめとする犯罪被害や各種イジメからの子どもの保護を目的として、SNS利用への年齢制限を設ける動きがある。
背景にある考え方は国によって異なるところがあり、例えばフランスは以下の点を強調している。
・
若者の精神的健康
・サイバーいじめ
・注意力を奪うプラットフォーム設計
・夜間利用と睡眠不足
・学校生活への影響
・親だけでは対応できない巨大プラットフォームの影響力、など
一方、日本では有識者とやらが発する、子どもたちのプライバシーの問題や自由の尊重を理由としたSNSの利用規制へ反対する強い意見があり、具体的な対策がほとんど取られていない。
その代わりに、「学校教育でSNSの正しい使い方を教えるべきだ」とか「プラットフォームに対策を講じるように要請する」といった考えがいまも採用されている。
が、考えてみればいい。学校教育で教えるSNSの正しい使い方? それって具体的に何を示しているのか分かる人がいるのか。教育の現場を惑わせるだけではないのか。そのための明確な「トリセツ」でも作成されているのか。
学校の教師がSNS利用について具体的に何をどう教えるのかを示さず、「相手は子どもなんだから、学校で先生が教えてやれよ」だけでは何も動くはずがない。さらに、もし役人がそのための「指導要領」を作ったとしても、ネットの状況は日々変化しているので対応できるものでもない。
Xやメタなどの米国のプラットフォームが、どれだけ反倫理的な運営を平然と続けているかは日々の彼らの動きから誰でもわかるはずだ。各国の行政からの要請を無視するそれらの姿勢はこれからも容易に変わることはないだろう。
そして日本の有識者の中には「今やSNSは子どもたちの<居場所>なので、彼らのためにそれを奪うわけにはいかない」という考えで規制に反対する向きもあるが、どうにも理解が不可能だ。
自分の10歳の子どもがSNSに居心地のよい<居場所>を見つけ、そのまま成長していくことを想像してみればいい。例えば20歳までの10年間、SNSで過ごした彼(女)が、その後、そこからどうやって抜け出せるとおもうか。
SNSという、優れた(もちろん皮肉だが)ユーザビリティを実現しているツールだからこそ、子供らは中毒的にそこにのめり込み、友達などとの実体のある付き合い(コミュニケーション)ではなく、ただ手のひらの上ですべてを済ましてしまう。
SNSが使えなくなったから、子どもたちが友達との交流手段がなくなるわけでもあるまい。学校以外で友達に伝えたいことがあれば電話すればいい、訪ねていけばいい、遠方であればメールすればいい。
SNSが使えなくなると子どもたちは孤立してしまう。だから居場所としてのSNSが彼らに必要なのだとする考えが、僕にはどうしても理解できない。
ヴァーチャルからリアルへと、むしろ今のうちに子どもたちを取り戻すべきではないのか。