2020年3月31日

複業を始めるチャンスだ

社会人学生らに今の働き方を訊ねたら、その多くがテレワークに移行してることが分かった。

なかには入館証を電子的にロックされて、出社したくても事前に上司の許可を取らないと会社に入れないケースも。

ひょんなことから始まった本格的な働き方改革である。世の中が一変したように見える。人の働き方だけじゃない。電車も新幹線も空いている。レストランも映画館もデパートも空いている。一方、宅配便の仕事をしている人は忙しくて大変そうだ。

テレワークを始めた人は、この機会に複業を考えてみるといい。これまで毎日費やしていた往復の通勤時間や無駄な会議に奪われていた時間が自分に戻って来たのだから。

それを有効に使って新しいことにチャレンジすることを本気で考えてみてはどうだろう。

2020年3月27日

君はRBGを知っているか

日本国憲法を前文から103条まで、通しで読んでみた。

憲法の前文は崇高で、国民の一人として自信と誇りを感じさせる。が、と同時に、今の政治家や官僚が明らかに憲法に反した多くのことを行っていることに気づく。憲法が平気でないがしろにされている日本は、不思議な国だ。

急に日本国憲法を読もうと思い立ったきっかけは、ルース・ベイダー・ギンズバーグを描いたドキュメンタリー「RGB 最強の85才」を観たから。彼女は米国の法律の専門家として70年代から性差別にかかわる数々の訴訟にかかわり、米国という国を平等な社会に向けて変えてきた一人だ。

RBGと頭文字で呼ばれて若者たちから愛され、いまやロックスターなみのアイコンになってる85歳のおばあちゃん。カッコいいね。 



2020年3月26日

横のものを縦にする

ご多分にもれず、新型コロナウイルス感染の騒ぎから自宅で過ごす時間がこのところ増えている。

それはそれで読みたかった本を読んだり、なかなか手が付かなかった片付けに取りかかる余裕ができたりでよいのだけど、そこで気になってきたのが家の中の本の平積み、積み重ねられたいくつもの本の山である。

本は背表紙さえ見えていればデッドストックにはならないはずとの考えがあった。しかし実際はそうでもない。

10冊や15冊の山なら、その一番下に置かれた本だって必要があれば抜き出して手に取る。だが、30冊、40冊と積まれた本の山を前に、その下の方に置かれた一冊の本を取り出すとなると、まずは深呼吸の一つも必要となる。

狙いをさだめて、山が崩れないように両手両足を使って押さえながら、タイミングよく目的の一冊を一気に引き抜く。うまくいけばいいが、バランスが崩れれば、山全体が崩れ落ちることになる。

それがどうした、また積めばいいじゃないかと思われるかもしれない。いや、その通り。だが、そうやって何度も本の山を崩れ落とした経験が重なると、次第にそこから手が遠のいていく。気持も遠のいていく。触らぬ神に何とかではないが、トラウマとなって家の廊下や壁際に積まれた本の山はアンタッチャブルなものと化す。

そのままでは意味がないと思い直し、書棚以外でヨコになっている本をタテにする一人プロジェクトを始めることにした。

本を立てることが目的ではなく、ヨコ積みの本の山をなくすことが目的だから、最初にやることはできる限りの本の処分。今日、そこから取り組み始めた。 

2020年3月23日

一年遅れで考える

複数年連用の日記帳を使っている。良いところは、昨年の同じ日、あるいは一昨年の同じ日に自分が何をし、どんなことを考えていたかを知ることができること。

あんなことがあったな〜、あれはその後どうしたんだっけ、などとその日のことを書く際に自分の1年前や2年前の記憶が自然に呼び戻される。

当時の世の中のことを思い起こして、あんなに大騒ぎしたことが今では全く何もなかったのように扱われているなど、1年、2年という年月の間での時間の流れの早さを痛感することがある。

そんなとき、僕たちはその日その日に追われ、目の前に現れては消えていくことをにしか眼差しを向けず、あたふたと生きているんだなぁと痛感しないわけにはいかない。たいていの事は、少し時間が経ってみればなんてことないことばかりだということがわかる。

目は半眼に閉じ、聞こえてくるものは右から左に流してしまい、その中で自分の心の奥底に引っかかったものだけを取り入れて過ごしていったほうがいいんじゃないかと思ったりする。

複数年連用の日記帳には、そんなことを考えさせてくれる効用がある。

2020年3月22日

山中先生による新型コロナウイルス情報の発信サイト

iPS細胞研究所長の山中先生が、新型コロナウイルスについての情報発信サイトを個人でオープンした。

https://www.covid19-yamanaka.com/

書かれていることはとても分かりやすく、世の中に流布している情報をエビデンスがある(科学的といえる)ものか、そうでないものかに分けて説明してくれている。

例えば、「暖かくなると終息する」という話はエビデンスのない情報、つまり単なる与太話ってこと。テレビの番組で感染の専門家と紹介されていた研究者がそう話していたけど、信じるに足るものじゃなかったのが分かっただけでもよかった。

まだワクチンは開発されてなく、効果の証明された治療薬も見つかっておらず、山中先生は今回のことを1年は続く可能性のある長いマラソンと語っている。

心してかかる必要がありそうだ。

三島と東大全共闘

今週の金曜日から、映画「三島由紀夫 VS 東大全共闘」が東宝系を中心に劇場公開されている。

1969年、東大のキャンパスで行われた両者の討論会を収録したドキュメンタリーといえる作品だ。映像は、TBSが撮影したものが局の倉庫に眠っていたのが、1年前に見つかったものという。

そうであれば、TBSはどうしてその映像を自社で番組にせず、劇場版の作品にしたのだろう。放送局でありながら、劇場でかかる映画の方がテレビ番組より格上だと思っているからか。

東海テレビのような地方局が、テレビ番組として制作したものをもとに劇場用映画として配給したものは確かにある。若い女性を中心に多くの観客を集めた「人生フルーツ」などがそうだ。

地方局制作の番組は、基本的にはその地域でのオンエアしか見られない。だから局のプロデューサーが、テレビでの放映後に内容を劇場版に仕立て上げて日本中に流すという手を考えるのは分かる。だが、TBSはキー局で全国にネットを持っているじゃないか。

さてその映画だが、僕はたぶん劇場へはそのためには足を運ばないかな。三島も東大全共闘もいまそれほど興味を感じないから。

映画のポスターやチラシには「衝撃のドキュメンタリー!!」の文字が躍る。映画評論家さんたちの評は、どれもポジティブだ。それもとても。「凄い!」「見逃せない」「必見」と絶賛だ。本当にそうか?

50年以上前の当時の事を理解し覚えているとしたら、70歳以上だろう。何も知らず、また学んでもない若い映画ライターらが、ただ「今とはあまりに違う」ことに驚き、気圧されて<こりゃ参った>といってるだけじゃないのかね。

2020年3月14日

映画と経営学修士

今年30作目の作品が今日から公開される映画監督の神山征二郎さんが、新聞の「ひと」欄で取り上げられていた。78歳になる彼の映画との関わりは60年間におよぶ。

彼は長年の監督業を振り返りつつ、今回の作品が最後になるかもしれないと語る。また韓国映画の「パラサイト」が話題になっているなか、日本の映画界では若い才能が実写で力を発揮する場が少ないことを嘆く。

日本で映画は斜陽産業と言われてきたが、今は産業とさえ呼べず、韓国映画に水を開けられたとその心残りを語っている。
私は若い世代のために何をしたらよかったのだろう。経営学修士を取り、資本主義の勉強したら、産業となりえたのだろうか。
彼は、自分が映画人としてそうした勉強をしたかったわけではないし、また映画監督としてそうしたことが必要だったとは考えていない。むしろ逆だろう。

作り手である自分たちだけでは産業としての映画を残し発展させていくことはできないことを経験的に感じていて、日本映画を産業として成長させるためにはそのためのプロの経営者が不可欠であること、そして今の日本の映画界にはそれが決定的に欠けていることを示唆している。

映画制作の能力で負けているのではなく、産業のマネジメント能力の欠如が敗因であると。これはなにも映画に限ったことではないに違いない。

2020年3月12日

宵の明星

3月12日午後6時半過ぎ、西の空にひときわ明るく輝く金星。

金星が見えるかな?

2020年3月11日

桜の開花

3月11日、横浜市内某所。桜がすでに開花していた。





2020年3月9日

主人公との同化

映画『1917  命を賭けた伝令』。監督のサム・メンデスが、かつて祖父から聞かされた第一次大戦中の体験談をもとに脚本を書き、制作した。


舞台は1917年(ソビエト連邦の成立につながるロシア革命が起きた年だ)、ドイツ軍と英国軍が戦闘を繰り広げていたフランス。そこで重要な伝令を託された英国軍の2人の若者が、防衛線を越えて敵の占領地に分け入り、罠にかけられようとしている味方軍にその事実を届けるというもの。

スーパーマンでも何でもない普通の兵士2人が、まさに命を賭けて(というか、戦場そのものがそうした場所なのだが)敵陣をくぐり抜けていくというサバイバルゲームを見ている感覚。

2人は走る、走る。それを長回しのカメラが、いい距離感で追っていく。まるで自分が主人公の一人になって戦場の中を命がけで駆けている気にさせられる。

近代兵器が生まれることで一気に闘いが凄惨なものとなった第一次大戦の悲惨さが伝わってくる。徹底して敵であるドイツ人は、薄汚いイヤな奴らとして(しっかり)描かれている。ドイツではこの映画、あまり流行らないかもしれない。

それにしても、観るものを主人公に同一化させる映画手法はすばらしい。カメラや美術のテクニックが抜きんでているのはもちろん、観るものの五感に訴えるように計算された細かい演出が心憎い。

主人公の近くで爆裂し、耳をつんざく砲弾の音。ドッグファイトで撃墜された敵の飛行機が主人公たちに迫ってくる息を呑む迫力の映像。そうした典型的な映画的体験だけではない。

ポケットから取り出して2人で分けて食べる固いパンはその食感を観客に伝え、喉が渇いた彼らが農場の跡で見つけた牛乳は、その甘い匂いを漂わせていた。

そして何よりも感覚を共有させられたのが、主人公が自陣を離れ、鉄条網を抜けながら敵陣に入って行くときに手の平に刺さったその鉄の棘の痛さ。立ち止まることができないなか、泥の中を進みながら血が流れる手の平にもう片手で包帯を無造作に巻きつける。

観客が主人公と同化するこうした仕組みがうまく盛り込まれている。だから、主人公は特殊な能力を持つスーパー戦士ではなく、たまたま上官によって指名された普通の兵士がふさわしい。

2020年3月7日

「感謝状」は感謝の気持ちを込めて渡してあげてほしい

航空会社に勤める友人が、定年退職を迎えた。

その会社の定年退職式が2月の末にあったと聞いたが、感染騒ぎの影響で、人の密度を下げるために会議室を分けて実施され、感謝状は社長からの手渡しではなかったとか。

おそらくは式典を取り仕切った人事部の判断なのだろうが、それに従って感謝状を感謝の気持ちの感じられないやり方で渡した、その社長もどうかしている。

2020年3月6日

62歳ってどんな歳

2009年から使っている、僕にとっては初代のキンドルがおシャカになった。バッテリーがいかれてしまったんだ。まったく充電できなくなってしまった。

バッテリー交換についてアマゾンに相談したところ、キンドルはバッテリーの交換ができないとのこと。10年以上使っているから、仕方ないか。彼(たぶん中国人)は、割引のクーポンを出すから新しいの買ってはと提案。

その後の対応はアマゾンらしい。そのあと、アマゾンのサイトでキンドルの新製品を選んでショッピングバッグに入れ、そのままチェックアウトしようとすると約束の割引がすぐさま適用されて請求金額が変更になった。実にスマート!!

今度購入したキンドルは防水設計。だから、風呂場に持ち込んで湯船で読書できる。これがなかなかいい。

私立探偵フィリップ・マーロウのその後を描いた Lawrence Osborne の Only to Sleepを湯船につかりながらキンドルで読んでいたら、こんな1節にあたった。
Seventy-two isn't a bad age, but sixty-two is too old to be working.  Your are just impersonating the man you used to be.  Retirement had seemed like the best way not to die ...
62か・・・。

2020年3月5日

こんな専門家は迷惑だ

いま日本中がコロナウイルス感染対応と、その数々のリアクションで大騒ぎだ。

この1〜2週間が山場だとか、この週末を乗り越えられればとか、この4月以降は収束に向かう模様だとか、メディアでは専門家らしい人たちがそれぞれの見解を述べているが、どれも信用できない。だって、エビデンスが何も示されないんだから。

C.D.C.(Center for Disease Control and Prevention  アメリカ疾病管理予防センター)のディレクターは「この病気はインフルエンザに似ているが、問題は我々がそれが何なのか理解していないことだ」と述べ、ワクチンがまだ見つからず、今の状況はこの季節を越えて続くだろう、あるいは年を越えても続くだろうと語っている。https://www.youtube.com/watch?v=kX5bFqgD3Cs

ええっ!て感じである。日本の専門家が語ってることと見方がまったく異なっている。

日本の感染病の元締めは国立感染症研究所(感染研)であり、厚労省や官邸の政策にそこが多大な影響を与えているようだが、これまで(例えば季節性インフルエンザ)のワクチン製造の音頭取りの不適切さ、つまり国民の命や健康を第一義に据えるのではなく、自分たちの利権を常に最優先してきたやり方からは、今回もまたか、と言わざるを得ない。

ダイヤモンド・プリンセスで発生した700人を超える感染者を招いたのは、まさに感染研の不作為による。

いま僕は、コロナウイルス関連の情報について日本のメディアはまったく信用しないことにしている。代わりにCNNやBBCといった海外メディアでの報道を仔細にチェックする。科学的な根拠をもとにしたコメントが聞けるから。そして何と言っても一番頼りになるのは、米国のCDCの責任者から伝えられる情報だ。

日本は未だに自分たちが何をどうしたらよいか分からないまま、目先の対応だけを気分でやっているように見える。日本人が得意な「そのうちなんとかなるだろう」である。

だが残念ながら、コロナウイルスはそうした日本人の気分を忖度してくれはしない。政府の施策は「私たちはやってますよ」という言い訳と証拠づくりだけが目的で、ただ時間と税金の無駄遣いに終わる。僕は、今回の闘いは長く続くとみている。

日本の感染症対策の第一人者だという賀来満夫(東北医科薬科大特任教授)なる人物が、毎日新聞社のインタビュー(以下のリンク)に答えている。

https://mainichi.jp/articles/20200306/k00/00m/040/020000c?cx_testId=96&cx_testVariant=cx_5&cx_artPos=2&cx_type=collabctx&cx_recsMode=collabctx&cx_testId=96&cx_placement=1000&cx_campaign=5#cxrecs_s

「1~2週間が山場」
「1~2週間が山場」

賀来はこのインタビューの中で、何の科学的根拠も示さず「1~2週間が山場」だと言ってのけた。

また「SARSは2002年11月に確認され、ピークは03年3~4月で同7月に終息宣言が出た。その例を考えると、今回は19年12月に始まったことから、20年4~5月がピークで、8月まで続くと推測」と語っている。

だが、現時点で実体がまだ分かっていない新型コロナウイルスについて、なぜSARSを引き合いに出して単純に今後の感染予測が成り立つのか?

日本の「第一人者」とやらがこうだから、他は推して知るべしだろう。とっても残念、そして腹が立つ。頭に浮かぶのは、こうした不見識な「専門家」に振り回されるかもしれない不幸な日本人のこれからだ。

SARSは2002年11月に確認され、ピークは03年3~4月で同7月に終息宣言が出た。その例を考えると、今回は19年12月に始まったことから、20年4~5月がピークで、8月まで続くと推測。
「1~2週間が山場

2020年3月4日

停滞し、自らの首を絞める日本

不要不急の外出はするなというのが、いまの日本の考えらしい。

新型コロナウイルスの国内の感染者数は、例のクルーズ船を除くと3月1日現在で239人。この人数をどう見るかはいろいろあるだろうが、人口比での確率は0.0002%である。感染が原因で肺炎などで亡くなった死者数は国内では6人だ。

どこでどういうルートで感染するかが分からないため疑心暗鬼になっているようだが、常識的に考えれば、今われわれがやっていることがどれだけバカバカしいことか分かるはず。

学校は休校になり、各種の催しものは中止。博物館、美術館まで閉館になっている。なんともはやだ。だがその影響で、電車は空いているし、どこも人が少なくていい。いつも混雑している観光地も閑古鳥が鳴いている。どんどん出かけていくチャンスだ。

ところで、テレビで新型コロナウイルスに関しての報道の際にウイルスの顕微鏡写真が映される。これを視聴者に見せることで何が伝わると考えているのだろうか。何か得体の知れないものに人間が襲われているという妙な感覚だけが残る。それ以外の意味はない。学校の理科の授業じゃないんだよ。

国立感染症研究所のクレジットがついた映像