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2024年10月19日

V字回復という欺瞞

企業経営について議論をしていると「V字回復」という言葉がときおり登場する。V字回復は、辞書によると「一時は落ち込んだ業績や相場などが、V字形に一気に回復すること」とある。

巷でV字回復した例としてしばしば挙げられるいくつかの企業名がある。

    日本マクドナルド
    日本航空
    良品計画
    日産自動車
    マツダ
    森永製菓
    ジャパネットたかた
    ゼンショー
    パナソニックホールディングス
    ユー・エス・ジェイ、などだ。

だが、上記の企業において落ち込む一方だった売上のトレンドが上向きに変わったあと、それらの企業の業績が今現在どうなっているが気になる。

一時的に売上あるいは利益を好転させるのは難しいことではない。例えば安売りを集中的に行えば通常売上額は上がる。しかし利益が一緒にあがるとは限らないだけでなく、店頭での価格が低位で固定されるリスクもある。また人件費や研究開発費、マーケティング費を削ればその分の利益が増すが、中長期的な競争力を自ら削ぐことにつながる。

だからこそ、重要なことはV字回復そのものではなく、根幹のところで競争力を組織が身につけることだという方向へ議論は進む。

V字回復した企業において、気がつけばまた売上や利益が下降線をたどっているという例は少なくない。というか、回復したからといってそのまま半永久的に右肩上がりを続けられると思う方がおかしい。

典型例の一つが、6年前にカルロス・ゴーンが去ったあとの日産だろう。ゴーンは、倒産寸前で青息吐息だった日産に着任するや、生産工場を3つ閉鎖するなど大胆なコスト削減をおこなって見事「V字回復」を遂げた。たしかに一時的には。だが問題は、カンフル剤の効果が切れてくるその後だ。

後継の経営者たちがとった戦略は大きく狙いが外れ、その結果はいまや死に体の同社を見ればあきらか。「V字回復」がもたらす誤謬である。

2024年10月13日

政治家は目と口だ

政治家は「目」と「口」だと思っている。

人として何を考えているか、政策立案能力はあるか、倫理観はあるか、リーダーシップはあるか、などなど、国民の視点で判断基準とするものは数多いが、いかんせんそうしたものは外から見えづらい。

だが、テレビやネットの画面上に映る彼らの「顔」は一目瞭然だ。そのなかで一番相手を引きつけるのは、間違いなく目。目にどれだけ力があるか、目が光っているか、誠実さを映し出しているか、それとも常に何かを隠している目か、われわれはほぼ直感的に理解する。

そして、現総理大臣のように目が死んでいる場合、つまりそこから多くのことを感じられない場合、われわれの目は彼らの口に向く。真実を語っている口か、情熱をもって相手に思いを伝えようとしている口か、人間としての清潔感を表している口か。

石破首相の場合、目が死んでいる。そして口元が不潔。どうする。

2024年8月31日

コンタクトサービス(株)という詐欺会社

地方に住む老親のもとに、「NTT西日本コンタクトサービス株式会社の●●」と名乗る男から電話があった。

電話料金が安くなるので回線契約を変更しないかというセールスである。電話にでた母親が、今使っているインターネットのプロバイダーが変わると困ると言うと、プロバイダーが変わっても同じメールアドレスを使い続けられるから大丈夫と説明した。ただし、プロバイダーはビッグローブに変更になると言った。

帰省時にこのことをたまたま知り、おかしいと思った。調べると、NTT西日本コンタクトサービス株式会社なんて会社は存在していなかった。営業電話をかけてきたその男が残した電話番号で所在を調べると、その会社は札幌市西区にあるコンタクトサービス株式会社という会社で、コールセンターの経営やプロバイダーの取り次ぎ代行業務をやっていることが分かった。

NTT西日本の回線営業の仕事を受けているんだろう。 また、ビッグローブに連絡し、コンタクトサービス(株)について訊いてみると、彼らの販売代理店であることも分かった。

腹立たしいのは、自社の名前に「NTT西日本」を勝手に付けて名乗っていること。そのやり口で地方に住む老人を安心させ、そしてだまして回線契約を結ばせる手口をこの会社は取っている。 

こうしたセールスのやり方は、準詐欺罪にあたる。違反したときの罰則は、詐欺罪と同じく懲役10年以内だ。

消費者庁に連絡した。今後も同様の報告があれば、何らかの行政処分がとられるはずである。

セコい手口で田舎の年寄りをだまそうとするんじゃないよ、馬鹿タレどもが。

2024年8月28日

日本のビジネススクールは、どこへ行くのか

「週刊ダイヤモンド」の特集記事の一つが、「MBAが中高年に大人気!」。

新型コロナの頃から国内MBAの状況のビミョーさを感じていたが、ここまできているとは。

学ぶに遅すぎることはない、というのは事実だが、40や50を過ぎた人たちが会社の仕事と併行してビジネススクールに通い始めたからといってビジネスの分野でリーダーにはなれないだろう。

20年以上仕事をやっていれば、日々のなかから既に多くを学んでいるはず。自分の仕事を通じて直接学んでいないとしても、少なくとも自分に何が足りないのかくらいは分かっているはずだ。

それすら分かっていないとすれば、ビジネスリーダーはおろか、ビジネスマンとしての基本能力に問題があると言わざるを得ない。

何を知るべきかが分かっていれば、それについて自分で学べばよいのである。いい歳をして、人任せに「教えてもらおう」という段階でリーダー資質にも、基本的な素養にも欠けている。

日本の中高年はどこへ行こうとしているのか。そして日本のビジネススクールはどうなるのか。

2024年8月19日

ドロン、死去

アラン・ドロンが亡くなった。88歳。不世出の俳優だった。

味わいのある二枚目だった。ただ見てくれがいいというのではなく、陰りと深みを感じさせる演技を見せてくれた。

ヴィスコンティの「山猫」や「若者のすべて」など多くの代表作がある。もちろん1960年の「太陽がいっぱい」は、まぎれもない一つの金字塔だ。 

その彼が、NHKの番組でこんなことを語ったことがある。「老いるということは 船が難破するようなものだ。波に翻弄されつつ徐々に沈んでいく」。

前段の「老いるとは・・・」は、仏大統領だったド・ゴールが言った言葉。だが、それを引用し、加えて「波に翻弄されつつ・・・」と語らせたのはドロンの感性である。

一つの時代が終わったように感じる。

彼の死をラスト・サムライと評した仏の各紙

2024年7月26日

ペヤングと岡山弁

先日の昼食時、近くの駅ビルのエレベータに乗ったら、そこに女子高生が4人いた。そのなかの2人は、エレベータの中でペヤングの焼きそばを食べていた。ただ手にしていたのではない。割り箸片手に、焼きそば麺をががががっと啜り込んでいた。

ちょっとビックリしたね。しかも、その一人が手にして食ってたのはペヤングの「超大盛りサイズ」。

なんだコイツらと思い、最初、彼女たちの存在を頭から消して無視していたが、なぜかその様子が可笑しくなって、その少女らに「うめえか?」と訊いたら、声を揃えて「うまい!」。

で思い出したのが、先日たまたま見た、「新宿野戦病院」という新宿歌舞伎町の病院を舞台にしたフジの番組である。

その番組の中で、主人公の小池栄子がちょっとアクセントのズレた岡山弁をしゃべっている。「ぼっけえ」「ぼっこう」「でえれえ」「もんげえ」といった岡山弁だが、どれも「すごく(very)」「ものすごい」を意味する表現だ。「でえれえ でえこん てえてえて」は、岡山弁で、大きな大根を炊いておいて、の意味だということを小池が番組中で言っていた。

確かにそうなんだけど、ストーリーと直接の関係がなく、そうした一発芸的な台詞に苦笑した。

半世紀近く前に岡山を出て以来すっかり東京の言葉でやって来たが、記憶の奥底に干からびて残ってた澱のようなものが反応した。

脚本の宮藤官九郎は、生まれも育ちも岡山とは関係ないはずだが、今回、主人公に岡山弁を話させているのは何故なのか、岡山生まれとしては少し気になる。 

番組の中、小池はペヤングのファンである。

三谷幸喜がニール・サイモンやビリー・ワイルダーを連想させるエスプリの利いた(正統派的)台詞で笑わせるのに対して、宮藤官九郎はペヤングと岡山弁である。

笑いへの持っていき方が違う。しかもエッジが立っている。

2024年7月7日

どこまで気温は上がるのか

今日、静岡で気温が40度になったらしい。死者とかでてなければよいが。

今さらながらであるが、この気温の上昇、そしれその大元となる地球の温暖化は何とかならないものだろうか。

1850年以降の全地球の平均気温をグラフにしたものが以下のものだ。1970年ごろから急激な上昇が見られ、2010年ごろからはそれに一層拍車がかかっている。


温暖化の原因はいくつも挙げられるが、その主要なもののひとつが化石燃料による発電である。下図は、電力を何によって生み出しているかを示したグラフだ。


中国が電力供給のために大量の化石燃料を燃やし続けていることが分かる。インドは、総量は中国の約4分の1だが、中国同様の増加トレンドにあるのが心配だ。

日本でこれまで記録された最も高い気温は41.1度。静岡県の浜松市(2020年8月17日)と埼玉県の熊谷市(2018年7月23日)である。

今日はまだ7月7日。梅雨は明けていない。今夏、最高気温を記録するのだろうか。 

2024年5月13日

デザイン思考をどうデザインするか

IDEOの日本支社(IDEO Tokyo)が事務所を閉鎖すると発表した。以前訪問したことのある表参道のオフィスはなかなかお洒落で、一時期はいくつもの大手企業をクライアントとして抱えていたはずだったのだが。

クライアントが彼らの「デザイン思考」に飽きてしまったのか、うまく成果につなげられなかったのか、はたまたそもそも理解できなかったのか。あるいは、サービスの提供者側に問題があったのか、それとも双方に問題があったのかーー。

日本においても、デザイン思考がある時期からビジネスにおける流行り言葉のひとつになった。サンフランシスコにあるデザイン・コンサル会社のIDEO社が、自社のアプローチをそう名付けて広めたことがきっかけだと僕は思っている。

Design Thinking の重要性について創立者のデイビッド・ケリーは比較的早くから語っていたが、その後ティム・ブラウンが「Change by Design: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation」を出版して、彼らの路線はより明確になった。

当初、デザイン思考は彼らを他コンサル会社と差別化するための方略のひとつだったが、その後はデザイン思考そのものが彼らの売り物になっていった。背景として、時代がそれを求めたんだろう。

ただし、日本での動向を見ていて僕が感じていたのは、これでは早晩行き詰まるだろうということ。というのは、デザイン思考という言葉が一人歩きし、新しいものを生み出せる<魔法の杖>のように企業から思われはじめてたから。企業経営者たちは「これで我が社もイノベーションが生み出せる」と期待したが、多くの場合、そうした夢は現実からは遠かった。

なぜそうなったかと言えば、デザイン思考という言葉に引き寄せられた連中が、それを定型化されたツールのように扱ったことが大きい。つまり、ひとつの方法論としか考えなかったのだ。ブレストをやったりポストイットを使って皆でアイデアを出し合い、「共感→問題定義→アイデア創出→プロタイピング→テスト」という5つのステップをふめば一丁出来上がり、といったような。

デザイン思考はそもそも「思考(Thinking)」の名の通りでツールや道具や手法ではなく、いわば発想のベースであり、体質、くせ、習慣と考える方が正しい。だから、誰もが一朝一夕にそのアプローチをとれるわけではない。

社員に研修を受けさせ、 集めてブレストをやらせ、ポストイットに戯れ言を書かせ、それをもとに何か引き出そうとしたって無駄に決まっている。求められるのは体質なんだから。

IDEOの日本支社が撤退するのは2度目だ。以前、パルアルトのIDEO本社を訪ね、デイビッドの弟で当時同社のゼネラル・マネジャーだったトム・ケリーにインタビューしたとき、かつてプロダクト・デザイナーの深澤直人氏がIDEOの東京支社を率いていたが後継者育成がうまくいかず撤退したいきさつを話してくれた。

将来、彼らに3度目の正直があるのかどうかは分からない。ただ、硬直化した多くの日本企業の経営者や組織を見るにつけ、それはあったとしても近い将来ではないように思う。

2024年4月21日

「共同責任」という「無責任さ」

放送作家として第一線で活躍するだけでなく、自ら番組に数多く出ていた人物Sが51歳で引退を宣言。

彼がメディアからの取材に応えたなかで、旧ジャニーズ事務所を舞台としたジャニー喜多川の性加害問題についてこう語っていた。

本当はそんなことないだろうな、触れてはいけないな、とか。魔法にかかっていた感じ。すべてが噂で、具体的には何も聞いていない。結果的に見て見ぬ振りをしてきたということだから、僕はみんなと同じ立場。共同責任だと感じています

笑っちゃったよ。共同責任といいながら、彼はその後何か責任をとったのか。取っちゃいない。つまり、彼にとっての「共同責任」とは「責任がない」ことと同義。

ジャニーズの件は、一部のメディアを除いてほぼすべての日本のメディアが見て見ぬを続けていたが、英BBCによるドキュメント番組によって世界に知られたとたん、国内でも蜂の巣をつついたような騒ぎになった。結果、多くのメディアやジャーナリストが自己批判を行わざるを得なかった。

そしてその後、それに続くエンタメ・興行界の悪弊が明らかにされただろうか。そうしたものは、ほとんど聞こえてこない。ジャニー喜多川の所業は、その世界で今も行われている「見て見ぬを続けられていた」多くの悪行の一つに過ぎなかったはず。

共同責任であろうが、団体責任であろうが、責任者の一端であることに変わりはない。だったら、少しは責任者らしいことをしたらどうなんだろう。

2024年4月20日

働くワンコ

成田空港で見かけたワンコ。農林水産省の省名が書かれた青いベストを着ている。

探知犬として働いているのはシェパードかラブラドル・レトリバーだと思っていたのだけど、こんなかわいいビーグルもいるんだ。 


ここは写真を撮っちゃいけないエリア(税関)らしくて、このあと注意されてしまった。

2024年4月18日

いい加減さと日本蔑視

おフランスから見ると、日本人というのはよっぽど奇妙な民族なのかも知れない。あるいは、いじるのが楽な対象なのか。 

フランス人記者が「NPO法人エンディングセンター」という恰好のネタを見つけたことをいいことに、われわれ日本人でも知らないことをありがたくも色々と教えてくださる。

こうした連中は、どこかに日本人に対する侮蔑観があるのだろう。

ところで、その記事の中に日本では世帯数が減少しているという記述があるが、実際はいまも増加している。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推定では2030年まで増え続ける見通しだ。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp

(出典)国立社会保障・人口問題研究所、2023年4月12日
 

いい加減な記事を書いている仏フィガロ誌の記者はもちろん問題だが、それを平気で転載しているクーリエ・ジャポン(講談社)の編集部もまたお粗末。


『クーリエ・ジャポン』

「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙

Text by Régis Arnaud『フィガロ』フランス

「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。

 井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。

「消滅した星」

政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。
      
農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。

いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。
 
そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。

日本が他の国とは違う点

国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。

この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。

こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。

「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。

人口と反比例して増える孤独

人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。
         
もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。

賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。

 いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。

買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。

さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。

「墓友」

この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。

「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。
 彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。

そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。

孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。

遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。

おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。

死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。

だとか。余計なお世話である。

特殊な事例を意図的に集めてパッチワークすれば、日本人の奇妙さが浮かび上がる。意図して歪んだ編集をすれば、どんな国について何でも言える。

記事というのは、ただ面白ければいいというものではないだろう。

2024年4月15日

入管を名乗る電話から考える

携帯電話に「入国管理局から重要なおしらせです」で始まる電話が入った。その後、中国語が続き、何も反応しないでいると切れた。

中国語の内容は分からないが、〇番を押せと言った指示があったのかもしれない。 

発信者番号は +29532747545だったが、295という国番号はどこにもまだ割り当てられていない。つまり、カモフラージュするためのもの。スマホアプリで簡単にそうした国際電話番号を取得することができるらしい。

日本人はいままで情報セキュリティについて、お世辞でも慎重だったとは言えない。ズボラというかお人好しというか、直に目に見えない事に関して日本人は理由もなく大丈夫だろうと高を括って信じてしまう傾向が強い。

結果、すでに膨大な量の日本人の個人情報が世界に流出している。やっかいなことには自分がいくら注意していても、他人の「連絡先」に情報が入っている場合、それらも一緒に流出してしまう。

https://www.moj.go.jp/isa/publications/others/nyuukokukanri01_00142.html

2024年4月2日

どこの国でもリサイクルは難しい(シンガポール)

外出先から宿に帰る途中、少し道に迷い、表通りからいくぶん離れた裏道を通っていたら、トンネル通路のなかにさりげなく設置された廃品回収箱を見つけた。

ここに書かれた説明を読むと、衣料、(柔らかい)玩具、枕、宝石(マジ ?!)、バッグやベルト、靴、カーテンなどの日用品を回収してリサイクルに回しているらしい。なかなか結構な試みである。

若い女性が2人やって来て、この「Let's RECYCLE」の前でお互いに何やら言葉を交わした後、持って来たボストンバッグの中身をザバザバと投入していった。なるほど、彼女たちのような若い人が積極的に環境保全へ取り組んでいるんだなと思った。

ただ、この回収箱の側面には、破棄された衣料品189,000トンのうち、わずか4%しかリサイクルされていないとある。まだまだ、これからという感じ。

2024年3月31日

シンガポールの大学寮を覗く

夕方、英国留学時代の同級生だったシンガポール人が、息子を連れてホテルまでやってきた。彼をシンガポール国立大学のHall(学寮)までクルマで送るので、よかったら一緒に行ってみないかと。

大学2年生になる彼は、6つある大学寮の1つに住んでいる。Raffles Hallという1958年にできた歴史のある寮だ。

他の寮生と同様に、月曜日から金曜日まではそこで過ごし、金曜の夜か土曜の朝に自宅にもどる。そして、日曜日の夜、父親(つまり私の友人)が時間があればクルマで大学まで送り届けてやるらしい。

厚かましくもその寮の部屋の中まで入れてもらった。2人部屋である。かなり狭い。ベッドが壁の両側に2つ並んでいるが、その間のスペースは50センチもないくらい。室内設置型のエアコンが部屋の真ん中に鎮座してフル回転していた。本当はエアコンの設置はだめらしい。けれど、それじゃあ暑くて勉強できない。大学当局も見て見ぬ振りをしている。

その後、広大なキャンパスを彼の運転で見て回った。日曜の夜だけあって、とても静かだ。そのなか、キャンパス内巡回の黄色いバスだけが走っていた。

大学には門がなく、誰でも自由にどこからでも施設内に入れる。クルマでの出入りも自由だ。管理社会の典型であるシンガポールで、大学がこのように運営されているのは意外だった。

完全にオープンにしていて、そのために構内で問題や事件が起こることはないのか訊ねてみたが、ほとんど聞かないという。そうした社会的秩序ができているのかもしれない。それと、確認はしなかったがカメラによるモニタリングが行き届いているからかもしれない。

ところで、自宅から通学しても1時間ほどなのに、なぜわざわざ寮に入るのかーー。彼(オヤジの方)曰く、若いうちに共同生活を送ることでコミュニティの一員としての意識を涵養することに役立つからと。

確かに日本の大学でもかつては寮がたくさんあり、学生ならではの共同体としての役割を果たしていた。そういえば、京大の吉田寮の老朽化に伴う建てかえのために明け渡しを大学側が寮生に求めている件は、その後どうなったのだろう。 

シンガポール国立大学の寮はとても人気で、入寮のための競争倍率が高い。また一旦入寮しても、翌年度にそのまま残れるのは20〜30%で、残りの学生は退寮させられる。残れるかどうかの基準は、その寮での各種活動(寮の運営参加やイベントの開催など)によって「稼ぐ」ポイント数によって決められる。そうした点は、なるほどシンガポール的なのである。

2024年3月15日

BSW

大学から特別研究期間をもらい、明後日からシンガポールへ行く予定だ。

シンガポールでは入国の際の入出国カード(紙)が廃止され、代わりに専用アプリによる事前の電子入国申請が求められている。

今し方、スマホでその手続きを済ませた。アプリでできる手続きの種類にはいくつかあって、短期滞在の入国だけでなくて、それを延期するための手続きを行うという項目もある。

シンガポールは継続的な滞在が1ヵ月を超える場合はビザが必要になる。そのためだろう。試しにそのボタンをクリックしてみた。いくつかの記入項目が現れたと同時に、見知らぬアクロニム(頭文字語)がいくつも出てきた。UOB、DBS、OSB、OCBC、NIR、MOHなどだ。最後のものだけMinisitry of Healthだと推測できた。その言葉の近くにCOVID-19についての記述があったから。それ以外は分からない。

こういったものは、シンガポール人には自明のものなんだろう。日本人が、NHKを日本放送協会の略称だと知っているような感じだ。だが、他国の人間はおそらくほとんど知らない。

外国の人がそれらを知っているかどうかは、ちょっと頭を使えばわかるようなもの。不親切。ベースに傲慢さがある。

結局、このアプリの画面はとってもBSWだ。僕には(B)さっぱり(S)分からない(W)。 

2024年3月11日

「夢をカタチに」 んっ?

散歩の途中に見た懸垂幕。誰に向けてのメッセージだろう。家の持ち主が書いたのか、それともリフォーム会社のアイデアか。

そんなことを考えていたら、近くにある県立高校の女子高生2人が「はずして欲しい・・・」って笑いながら僕の後ろを通り過ぎていった。通学途上、毎日これを目にしているんだろう。分かる、分かる。

2024年3月7日

「承知していない」に感じるいかがわしさ

体調を崩し、回復に向けて静かな日々を過ごしている。病院と薬局に行く以外、どこにも出かける気力が出ない。しかたなく、というわけでもないが、普段はあまり見ることのない国会中継をテレビでながめて過ごしたりしている。

今は予算委員会が開かれているが、そこで議員や官僚などの答弁においてしごく日常的に使われている言い回しに「承知していない」というのがある。

「承知」という言葉について、辞書には1)知っていること、2)聞き入れること、3)許すことの3つの意味が示されている。目的として捉えている範囲が、結構広いのである。

とすると「承知していない」は、1)知らない、2)受け入れない、3)許さないという意味になるが、国会の答弁で用いられているのはそれだけではない。4)理解できない、5)そうは思わない、のときもあるように感じる。

極めて玉虫色の言い回しなのだ。このように相手がどうとでも取れる、ということは、発言者が自分の意図や考えを相手に明確に示したくないときにとても重宝する。「・・・の件については承知しておりません」と言えば、自分は「知らなかった」から「許さない」まで多方面な言い方に使えるわけだ。

本音を知られたくない、言質を取られたくない国会議員や官僚に便利な、ある種の万能表現。だから、もしそうした言い方をする人がいたら、何かを隠し、誤魔化そうとしていると考えた方がよいだろう。

そういえば、私の周りにもこの「承知していない」を多用する人物がいた。旧大蔵省出身の元官僚で、その後天下りか知らないが、早稲田大学の教授になった。会議などの席で、彼が何かにつけてそう言っていたのが違和感として記憶の片隅に残っている。

2024年3月3日

東京ガスの説明はいつ聞けるのか

1月の下旬、郵便受けに「東京ガスから大切なお知らせと、皆さまへご協力のお願い」と題するチラシが入っていた。

それによると、「当社は、環境保全の取り組みの一環として、毎月の検針時にお届けしている紙の検針票を2024年10月末をもって廃止しペーパーレス化します」とある。

検針票というのは、毎月の使用量と料金を記したスリップである。大きさはB6サイズを一回り小さくしたものだ。<環境保全の取り組みの一環>というのは、この紙を削減することで二酸化炭素の排出量が減らせると考えているからだろう。で、いったいどのくらい?

こうした大名目を謳っている以上、どのくらい二酸化炭素を減らすことができ、環境保全に役に立つのか具体的に想定しているはず、と考えて問い合わせてみた。

2月2日に東京ガスの社長さん宛に質問状を送った。ひと月以上が過ぎているが、何も回答がない。

なぜ回答しないのか、あるいはできないのか。

(追記 3月7日)
東京ガスから返答が来たヨ。その文面には「年間で40t程度のCO2排出量削減を見込んでおります」と書いてある。それがどのくらいの数値か彼らが送ってきた資料からデータをいくつか引いてみよう。

東京ガスグループによる2022年度の総排出量は、約5,800万トン。そのうちの92%は原料調達関連(電力・LNG等)と彼らが販売した製品の使用(都市ガス等)による。つまり、これらは東京ガス自体による排出量ではないので除くとする。

残りの460万トンが東京ガスによるCO2排出である。内60%が火力発電事業、34%がエネルギーサービス・地域冷暖房事業だ。残りの6%は、都市ガス製造が3.3%、事務所等が1%、その他が2%となっている。

そして、彼らが今回、毎月の紙の検針票を各戸からなくすことで削減できると言ってきた40トン分は、彼らが排出しているCO2の0.00087%にあたる。さて、どう評価したものか。

今回の彼らの手紙の末尾には「なお、これ以上の詳細な内容につきましてはお答えいたしかねますので何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます」とあった。

2024年3月2日

アマチュア無線は緩くて、深い

週末の朝、近くの土手を散歩していて見かけた風景。河川敷に3メートルくらいの細いポールを立てて何かしている男性がいた。ポールの下に何やら道具をいろいろ置いて何かしている。何してるのだろうと思いつつ、通り過ぎた。

しばらくして再度そこを通り過ぎたとき、その男性はまだそこにいて、ポールはもうなかった。男性は荷物を袋にしまうなど、何やら撤収の様子。「何かの調査ですか」と声をかけてみた。その男性には、なんとなく科学者風の雰囲気があったから。

「あ、いや、アマチュア無線です」と返ってきた。かれはこの河川敷で自作のアンテナを立て、アマチュア無線の交信をしていたらしい。聞けば、アンテナだけでなく、無線機やアンプ(50W)も自作だといい、さっき袋にしまったものを色々わざわざ取り出して見せてくれた。

聞けば僕の住まいから歩いて5分ほどのところに住んでいて、天気がいい日はこれら機材一式を載せたカートを押してこの河川敷にくるらしい。

 「お盛んですねえ」と言うと、「いま頑張るしかないんですよ」と。というのは、アマチュア無線の電波がどこまで飛ぶかについては11年周期で現れる太陽黒点の活動が大きく影響していて、今年はその大爆発の年らしい。つまり、アマチュア無線愛好家にとっては電波が遠くまで届く願ってもないタイミングで当たり年なのである。

さらに、遠くの電波を拾えるのは1日のなかでも特定の時間帯だけで、朝の7時半から9時半くらいがいいんだとか。なるほど、それで10時くらいにはもう撤収していたのか。

黒点活動が11年ぶりに活発になっているこの時期に、朝の電波状態が良好な時間帯で頑張れば地球の裏側とも交信できるらしい(一番のポイントはアンテナの大きさだとか)。その日は、ブラジルやアルゼンチンのアマチュア無線愛好家と交信できたと言っていた。

いまのSNSの原型をそこに見た気がした。ただし、インターネットと違うのは声、もしくはモールス信号だけなので、その時点で消えていくこと。

インターネットは電波さえ確保できれば、どこだっていつだって安定して使えるが、アマチュア無線はそうではない。周りに高いビルがあるかどうかで圧倒的に受信感度が変わる。天候にも左右される。また1日のなかでの時間帯でも受信感度が変わる(地球上の大気層の変化によるんだろうか)。そして、太陽黒点の活動にも影響される! そんな変化が面白いと思う。

今朝出会ったおじさんは、現在83歳。次の絶好のタイミング(つまり11年後の太陽フレア)のときはどうなっているか分からないって言ってたけど、いつまでも手作りの機器でアマチュア無線を楽しんで欲しい。

2024年1月31日

ゴッホ・アライブ

友人に誘われ、天王洲アイルの寺田倉庫で開催されている「Van Gogh Alive」を観てきた。モーショングラフィクスでゴッホの世界を見る者に近づけてくれる。

映像はすべて投影さえれたもので、実際のペインティングは一枚もない。通常の絵画展とはまったく異なった設えになっている。

壁やパネルといった垂直方向だけでなく床にも映写されていたが、せっかくなら天井も投写スペースにしてくれたら、床に寝転がって見れたのだけど。