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2024年4月21日

共同責任といった言葉は、まやかしが多い

放送作家として第一線で活躍するだけでなく、自ら番組に数多く出ていたS木が51歳で引退を宣言。

彼がメディアからの取材に応えたなかで、旧ジャニーズ事務所を舞台としたジャニー喜多川の性加害問題についてこう語っていた。

本当はそんなことないだろうな、触れてはいけないな、とか。魔法にかかっていた感じ。すべてが噂で、具体的には何も聞いていない。結果的に見て見ぬ振りをしてきたということだから、僕はみんなと同じ立場。共同責任だと感じています。

笑ってしまったよ。共同責任といいながら、何か責任をとったのか。取っちゃいない。つまり、彼にとっての「共同責任」とは「責任がない」ことなんだろうね。

ジャニーズの件は、一部のメディアを除いてほぼすべての日本のメディアが見て見ぬを続けていたが、英BBCによるドキュメント番組によって世界に知られたとたん、国内でも蜂の巣をつついたような騒ぎになった。結果、多くのメディアやジャーナリストが自己批判を行わざるを得なかった。

だがその後、それに続くエンタメ・興行界の悪弊が明らかにされただろうか。そうしたものは、ほとんど聞こえてこない。ジャニー喜多川の所業は、その世界で今も行われている「見て見ぬを続けられていた」多くの悪行の一つに過ぎなかったはず。

2024年4月20日

働くワンコ

成田空港で見かけたワンコ。農林水産省の省名が書かれた青いベストを着ている。

探知犬として働いているのはシェパードかラブラドル・レトリバーだと思っていたのだけど、こんなかわいいビーグルもいるんだ。 


ここは写真を撮っちゃいけないエリアらしくて、このあと注意されてしまった。

2024年4月18日

いい加減さと日本蔑視

おフランスから見ると、日本人というのはよっぽど奇妙な民族なのかも知れない。あるいは、いじるのが楽な対象なのか。 

フランス人記者が「NPO法人エンディングセンター」という恰好のネタを見つけたことをいいことに、われわれ日本人でも知らないことをありがたくも色々と教えてくださる。

こうした連中は、どこかに日本人に対する侮蔑観があるのだろう。

ところで、その記事の中に日本では世帯数が減少しているという記述があるが、実際はいまも増加している。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推定では2030年まで増え続ける見通しだ。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp

(出典)国立社会保障・人口問題研究所、2023年4月12日
 

いい加減な記事を書いている仏フィガロ誌の記者はもちろん問題だが、それを平気で転載しているクーリエ・ジャポン(講談社)の編集部もまたお粗末。


『クーリエ・ジャポン』

「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙

Text by Régis Arnaud『フィガロ』フランス

「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。

 井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。

「消滅した星」

政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。
      
農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。

いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。
 
そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。

日本が他の国とは違う点

国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。

この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。

こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。

「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。

人口と反比例して増える孤独

人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。
         
もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。

賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。

 いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。

買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。

さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。

「墓友」

この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。

「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。
 彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。

そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。

孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。

遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。

おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。

死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。

だとか。余計なお世話である。

特殊な事例を意図的に集めてパッチワークすれば、日本人の奇妙さが浮かび上がる。意図して歪んだ編集をすれば、どんな国について何でも言える。

記事というのは、ただ面白ければいいというものではないだろう。

2024年4月15日

入管を名乗る電話から考える

携帯電話に「入国管理局から重要なおしらせです」で始まる電話が入った。その後、中国語が続き、何も反応しないでいると切れた。

中国語の内容は分からないが、〇番を押せと言った指示があったのかもしれない。 

発信者番号は +29532747545だったが、295という国番号はどこにもまだ割り当てられていない。つまり、カモフラージュするためのもの。スマホアプリで簡単にそうした国際電話番号を取得することができるらしい。

日本人はいままで情報セキュリティについて、お世辞でも慎重だったとは言えない。ズボラというかお人好しというか、直に目に見えない事に関して日本人は理由もなく大丈夫だろうと高を括って信じてしまう傾向が強い。

結果、すでに膨大な量の日本人の個人情報が世界に流出している。やっかいなことには自分がいくら注意していても、他人の「連絡先」に情報が入っている場合、それらも一緒に流出してしまう。

https://www.moj.go.jp/isa/publications/others/nyuukokukanri01_00142.html

2024年4月12日

非力な顧客窓口を持つ企業の行く末は

急な用で帰省する必要があり、国内便のフライトを予約。搭乗前日にANAから「チェックインのご案内」というメールがきたが、メールに記された搭乗用情報のターミナル番号の欄がブランクになっている。

羽田は、第3ターミナルが国際線。だから第1ターミナルか第2ターミナルなんだろうが、国内線のフライトは普段めったに使わないのではっきり覚えていない。

問合せ先のカードデスクに問い合わせてターミナルは確認できたが、なぜターミナル番号がメールに不記載だったのかは不明だという。 「システム上、あるいは人為的ミスです」と説明するが、それ以外の原因があるのか。不記載の理由が分かったら教えてくれるように言って電話を切った。

それから一週間たつが何も連絡がない。一週間たっても原因の究明ができていないとしたら、企業として失格だ。あるいは放置しているとしたら、それもまたサービス業として問題だろう。

電話をしている際に、相手が自分の社内についてほとんど分かっていないことが気になった。システム部門に連絡して確認します、と言ったが、それが具体的にANA内のどういった部署なのか、所管がどこなのか、誰に話を持っていけば良いのかなど、何も分かっていない感じだった。

これは多くの日本企業がそうであるように、外からの問合せを受ける顧客窓口部門が組織内でほとんどといっていいほど力がないことと繋がっている。窓口を外部のコールセンターに外部委託しているところはいうまでもなく、今回のように社内にそうした部門をおいているとことでもそうだ。

本来は、顧客とのもっとも重要なタッチ・ポイントであるカスタマーサービス部門が、利益を生まない部署だと言う考えによってないがしろにされているケースだ。

残念ながら、そのツケは間違いなく売上と利益のマイナスとして返ってくる。

2024年4月2日

どこの国でもリサイクルは難しい(シンガポール)

外出先から宿に帰る途中、少し道に迷い、表通りからいくぶん離れた裏道を通っていたら、トンネル通路のなかにさりげなく設置された廃品回収箱を見つけた。

ここに書かれた説明を読むと、衣料、(柔らかい)玩具、枕、宝石(マジ ?!)、バッグやベルト、靴、カーテンなどの日用品を回収してリサイクルに回しているらしい。なかなか結構な試みである。

若い女性が2人やって来て、この「Let's RECYCLE」の前でお互いに何やら言葉を交わした後、持って来たボストンバッグの中身をザバザバと投入していった。なるほど、彼女たちのような若い人が積極的に環境保全へ取り組んでいるんだなと思った。

ただ、この回収箱の側面には、破棄された衣料品189,000トンのうち、わずか4%しかリサイクルされていないとある。まだまだ、これからという感じ。

2024年3月31日

大学寮を覗く

夕方、昔の英国留学時代の同級生だったシンガポール人が、息子を連れてホテルまでやってきた。彼をシンガポール国立大学のHall(学寮)までクルマで送るので、よかったら一緒に行ってみないかと。

大学2年生になる彼は、6つある大学寮の1つに住んでいる。Raffles Hallという1958年にできた歴史のある寮だ。

他の寮生と同様に、月曜日から金曜日まではそこで過ごし、金曜の夜か土曜の朝に自宅にもどる。そして、日曜日の夜、父親(つまり私の友人)が時間があればクルマで大学まで送り届けてやるらしい。

厚かましくもその寮の部屋の中まで入れてもらった。2人部屋。狭い。ベッドが壁の両側に2つ並んでいるが、その間のスペースは50センチもないくらい。室内設置型のエアコンが部屋の真ん中に鎮座してフル回転していた。本当はエアコンの設置はだめらしい。けれど、それじゃあ暑くて勉強できない。大学当局も見て見ぬ振りをしている。

その後、広大なキャンパスを彼の運転で見て回った。日曜の夜だけあって、とても静かだ。その中、キャンパス内巡回の黄色いバスだけが走っていた。

大学には門がなく、誰でも自由にどこからでも施設内に入れる。クルマでの出入りも自由だ。管理社会の典型であるシンガポールで、大学がこのように運営されているのは意外だった。

完全にオープンにしていて、そのために構内で問題や事件が起こることはないのか訊ねてみたが、ほとんど聞かないという。そうした社会的秩序ができているのかもしれない。それと、確認はしなかったがカメラによるモニタリングが行き届いているからかもしれない。

ところで、自宅から通学しても1時間ほどなのに、なぜわざわざ寮に入るのかーー。彼(オヤジの方)曰く、若いうちに共同生活を送ることでコミュニティの一員としての意識を涵養することに役立つからと。

確かに日本の大学でもかつては寮がたくさんあり、学生ならではの共同体としての役割を果たしていた。そういえば、京大の吉田寮の老朽化に伴う建てかえのために明け渡しを大学側が寮生に求めている件は、その後どうなったのだろう。 

シンガポール国立大学の寮はとても人気で、入寮のための競争が激しい。また一旦入寮しても、翌年度にそのまま残れるのは20〜30%で、残りの学生は退寮させられる。残れるかどうかの基準は、その寮での各種活動(運営参加やイベント開催など)によって「稼ぐ」ポイント数によって決められる。そうした点は、なるほどシンガポール的なのである。

2024年3月15日

BSW

大学から特別研究期間をもらい、明後日からシンガポールへ行く予定だ。

シンガポールでは入国の際の入出国カード(紙)が廃止され、代わりに専用アプリによる事前の電子入国申請が求められている。

今し方、スマホでその手続きを済ませた。アプリでできる手続きの種類にはいくつかあって、短期滞在の入国だけでなくて、それを延期するための手続きを行うという項目もある。

シンガポールは継続的な滞在が1ヵ月を超える場合はビザが必要になる。そのためだろう。試しにそのボタンをクリックしてみた。いくつかの記入項目が現れたと同時に、見知らぬアクロニム(頭文字語)がいくつも出てきた。UOB、DBS、OSB、OCBC、NIR、MOHなどだ。最後のものだけMinisitry of Healthだと推測できた。その言葉の近くにCOVID-19についての記述があったから。それ以外は分からない。

こういったものは、シンガポール人には自明のものなんだろう。日本人が、NHKを日本放送協会の略称だと知っているような感じだ。だが、他国の人間はおそらくほとんど知らない。

外国の人がそれらを知っているかどうかは、ちょっと頭を使えばわかるようなもの。不親切。ベースに傲慢さがある。

結局、このアプリの画面はとってもBSWだ。僕には(B)さっぱり(S)分からない(W)。 

2024年3月11日

「夢をカタチに」 んっ?

散歩の途中に見た懸垂幕。誰に向けてのメッセージだろう。家の持ち主が書いたのか、それともリフォーム会社のアイデアか。

そんなことを考えていたら、近くにある県立高校の女子高生2人が「はずして欲しい・・・」って笑いながら僕の後ろを通り過ぎていった。通学途上、毎日これを目にしているんだろう。分かる、分かる。

2024年3月7日

「承知していない」に感じるいかがわしさ

体調を崩し、回復に向けて静かな日々を過ごしている。病院と薬局に行く以外、どこにも出かける気力が出ない。しかたなく、というわけでもないが、普段はあまり見ることのない国会中継をテレビでながめて過ごしたりしている。

今は予算委員会が開かれているが、そこで議員や官僚などの答弁においてしごく日常的に使われている言い回しに「承知していない」というのがある。

「承知」という言葉について、辞書には1)知っていること、2)聞き入れること、3)許すことの3つの意味が示されている。目的として捉えている範囲が、結構広いのである。

とすると「承知していない」は、1)知らない、2)受け入れない、3)許さないという意味になるが、国会の答弁で用いられているのはそれだけではない。4)理解できない、5)そうは思わない、のときもあるように感じる。

極めて玉虫色の言い回しなのだ。このように相手がどうとでも取れる、ということは、発言者が自分の意図や考えを相手に明確に示したくないときにとても重宝する。「・・・の件については承知しておりません」と言えば、自分は「知らなかった」から「許さない」まで多方面な言い方に使えるわけだ。

本音を知られたくない、言質を取られたくない国会議員や官僚に便利な、ある種の万能表現。だから、もしそうした言い方をする人がいたら、何かを隠し、誤魔化そうとしていると考えた方がよいだろう。

そういえば、私の周りにもこの「承知していない」を多用する人物がいた。旧大蔵省出身の元官僚で、その後天下りか知らないが、早稲田大学の教授になった。会議などの席で、彼が何かにつけてそう言っていたのが違和感として記憶の片隅に残っている。

2024年3月3日

東京ガスの説明はいつ聞けるのか

1月の下旬、郵便受けに「東京ガスから大切なお知らせと、皆さまへご協力のお願い」と題するチラシが入っていた。

それによると、「当社は、環境保全の取り組みの一環として、毎月の検針時にお届けしている紙の検針票を2024年10月末をもって廃止しペーパーレス化します」とある。

検針票というのは、毎月の使用量と料金を記したスリップである。大きさはB6サイズを一回り小さくしたものだ。<環境保全の取り組みの一環>というのは、この紙を削減することで二酸化炭素の排出量が減らせると考えているからだろう。で、いったいどのくらい?

こうした大名目を謳っている以上、どのくらい二酸化炭素を減らすことができ、環境保全に役に立つのか具体的に想定しているはず、と考えて問い合わせてみた。

2月2日に東京ガスの社長さん宛に質問状を送った。ひと月以上が過ぎているが、何も回答がない。

なぜ回答しないのか、あるいはできないのか。

(追記 3月7日)
東京ガスから返答が来たヨ。その文面には「年間で40t程度のCO2排出量削減を見込んでおります」と書いてある。それがどのくらいの数値か彼らが送ってきた資料からデータをいくつか引いてみよう。

東京ガスグループによる2022年度の総排出量は、約5,800万トン。そのうちの92%は原料調達関連(電力・LNG等)と彼らが販売した製品の使用(都市ガス等)による。つまり、これらは東京ガス自体による排出量ではないので除くとする。

残りの460万トンが東京ガスによるCO2排出である。内60%が火力発電事業、34%がエネルギーサービス・地域冷暖房事業だ。残りの6%は、都市ガス製造が3.3%、事務所等が1%、その他が2%となっている。

そして、彼らが今回、毎月の紙の検針票を各戸からなくすことで削減できると言ってきた40トン分は、彼らが排出しているCO2の0.00087%にあたる。さて、どう評価したものか。

今回の彼らの手紙の末尾には「なお、これ以上の詳細な内容につきましてはお答えいたしかねますので何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます」とあった。

2024年3月2日

アマチュア無線は緩くて、深い

週末の朝、近くの土手を散歩していて見かけた風景。河川敷に3メートルくらいの細いポールを立てて何かしている男性がいた。ポールの下に何やら道具をいろいろ置いて何かしている。何してるのだろうと思いつつ、通り過ぎた。

しばらくして再度そこを通り過ぎたとき、その男性はまだそこにいて、ポールはもうなかった。男性は荷物を袋にしまうなど、何やら撤収の様子。「何かの調査ですか」と声をかけてみた。その男性には、なんとなく科学者風の雰囲気があったから。

「あ、いや、アマチュア無線です」と返ってきた。かれはこの河川敷で自作のアンテナを立て、アマチュア無線の交信をしていたらしい。聞けば、アンテナだけでなく、無線機やアンプ(50W)も自作だといい、さっき袋にしまったものを色々わざわざ取り出して見せてくれた。

聞けば僕の住まいから歩いて5分ほどのところに住んでいて、天気がいい日はこれら機材一式を載せたカートを押してこの河川敷にくるらしい。

 「お盛んですねえ」と言うと、「いま頑張るしかないんですよ」と。というのは、アマチュア無線の電波がどこまで飛ぶかについては11年周期で現れる太陽黒点の活動が大きく影響していて、今年はその大爆発の年らしい。つまり、アマチュア無線愛好家にとっては電波が遠くまで届く願ってもないタイミングで当たり年なのである。

さらに、遠くの電波を拾えるのは1日のなかでも特定の時間帯だけで、朝の7時半から9時半くらいがいいんだとか。なるほど、それで10時くらいにはもう撤収していたのか。

黒点活動が11年ぶりに活発になっているこの時期に、朝の電波状態が良好な時間帯で頑張れば地球の裏側とも交信できるらしい(一番のポイントはアンテナの大きさだとか)。その日は、ブラジルやアルゼンチンのアマチュア無線愛好家と交信できたと言っていた。

いまのSNSの原型をそこに見た気がした。ただし、インターネットと違うのは声、もしくはモールス信号だけなので、その時点で消えていくこと。

インターネットは電波さえ確保できれば、どこだっていつだって安定して使えるが、アマチュア無線はそうではない。周りに高いビルがあるかどうかで圧倒的に受信感度が変わる。天候にも左右される。また1日のなかでの時間帯でも受信感度が変わる(地球上の大気層の変化によるんだろうか)。そして、太陽黒点の活動にも影響される! そんな変化が面白いと思う。

今朝出会ったおじさんは、現在83歳。次の絶好のタイミング(つまり11年後の太陽フレア)のときはどうなっているか分からないって言ってたけど、いつまでも手作りの機器でアマチュア無線を楽しんで欲しい。

2024年1月31日

ゴッホ・アライブ

友人に誘われ、天王洲アイルの寺田倉庫で開催されている「Van Gogh Alive」を観てきた。モーショングラフィクスでゴッホの世界を見る者に近づけてくれる。

映像はすべて投影さえれたもので、実際のペインティングは一枚もない。通常の絵画展とはまったく異なった設えになっている。

壁やパネルといった垂直方向だけでなく床にも映写されていたが、せっかくなら天井も投写スペースにしてくれたら、床に寝転がって見れたのだけど。


2024年1月5日

紀信

写真家の篠山紀信が亡くなった。83歳、老衰だった。あの、林家三平風の髪型がなつかしい。

彼は学生時代から頭角を現し、さまざまな新しい写真の表現を見せてくれた写真家の一人だった。彼の仕事でわれわれの目に触れているものとしては、女性のヌードが圧倒的に多い。彼がヌードを撮りたかったのか(もちろんそこが最初だろう)、世間のニーズがそこに強く寄っていたのか。

ある女優はその被写体経験を「魂を吸い取られるような気持ち」と言ったらしい。紀信は催眠術師か、と突っこみたくなるが、人を撮る写真家にもっとも必要な才能はそこにあるのだろう。

カメラを取り扱うテクニックは当然必要だが、それだけであれば誰にでも同じ事ができる。それなのに相手の魂を吸い取る写真が撮れるのは、相手との関係を縮めるコミュニケーション力とパーソナリティか。

ある企業でマーケティングをやっていたときのことを思い出す。ある有名な女優を当時担当していたブランドのキャラクターに据えた。その広告の撮影に立ち会ったときのこと。一度の撮影でCMとスチールの両方をすます段取りで、CMの撮影が進行している最中にスチール隊がスタジオの一角で撮影の準備をしていた。

当時、広告写真の分野で第一人者といわれる写真家と数人のアシスタントがカメラの位置やライティングを決めていた。CM撮影の休憩後、スチールの撮影にかかり、僕はその一部始終を近くで見ていたのだが、その写真家はレリーズを手にしただけで、一度もカメラのファインダーを覗くことはせず、カメラ本体に触ることすらしなかった。

彼が写真家として「写真」を撮ったのは、被写体である女優と何気ない風のおしゃべりをしながらで、広告の撮影らしいと言えば、その間に最低限のポージングを指示しただけだった。数分で撮影は終わった。数日後に僕のもとに届いた写真のあがりは、納得いくものだった。

なるほど、と思った。写真家はいい写真を撮るのが仕事で、カメラの扱いが上手いかどうかの問題ではないと。

物書きでもペンを持たず、キーボードも叩かず「しゃべること」だけで本を書いている人たちがいる。建築家には自分で図面を引くこともなく、「プレゼン」だけで仕事をとる人たちがいる。有名シェフには自分で包丁を握ることもなく、「盛り付け」だけで客を集める人がいる。それらもプロフェッショナルのひとつの姿だ。 

2024年1月4日

トラヴィス

正月の昼間からやけに騒がしい。アリーナから会場整備のハンドスピーカーの声が聞こえる。町のあちこちに若い女性がたむろしている。周辺のコンビニの店頭で何やら立ち食いしている。ドトールもスターバックスもタリーズもすっかり占拠されている。

スマホで今日の公演予定を調べたら、Travis Japanとある。3日から6日まで4日間、連日1日2公演だ。

Travisときくと連想するのは、マーティン・スコセッシの映画「タクシードライバー」でデ・ニーロが演じた主人公の名前だが、それと何か関係があるのかね?

ジャニーズは社名変更をしたはずだが、そのサイト名はいまだジャニーズ(www.johnnys-net.jp)のままのようだ。商売のためか。本気では反省していないみたいだな。

2024年1月3日

「万国博をかんがえる会」

昨年の年末から梅棹忠夫が書いたものと彼に関する本をいろいろと読んでいる。一般には『文明の生態史観』がもっとも馴染みのある書物だろうが、文明論をはじめ、彼が対象とした研究分野は実に多彩で、膨大な業績を残している。

アジアを中心とする探検的な調査や登山はもとより、文系理系といった枠を端から超えた多くの共同研究とその成果は量質ともにめざましい。

研究者としてだけでなく、梅棹はまた優れたプロデューサーでもあった。今日読んだ本の中にあったのだが、彼は東京オリンピックが開催された1964年ごろから「万国博をかんがえる会」という私的なあつまりをもっていたという。

会を立ち上げたのは大阪万博が開催される6年も前のこと。彼を中心に集まったメンバーは、他に林雄二郎、川添登、小松左京、加藤秀俊といった俊英たちだ。

そうしたビジョナリーたちが、いわばボランタリーに集まっては万博をどのようにするか議論を重ねていたという。その結果、やがて岡本太郎をチーフ・プロデューサーとして推薦したのも梅棹だったし、また万博開催にあたっての、当時の佐藤栄作総理の挨拶や万国博協会会長だった石坂泰三の挨拶を書いたのも梅棹だった。

そうやって自ら進んで万博について考え、多くの知恵を出した梅棹はまた、その跡地に国立民族学博物館を建てるという仕掛けをしっかり計画していたという。

翻ってその55年後にまた大阪で開催されようとしている万博は、誰が中心となって構想したかというと、大阪の日本維新のあの連中である。そして、跡地に建てられるのは・・・カジノ。

1970年に「人類の進歩と調和」というテーマで開催された万博であるが、少なくとも日本、それも大阪を見る限り、進歩も調和もなされずに来たことがよく分かる。

2023年12月30日

年齢ではない

「まだまだ伸びしろや改善の余地は多いと思っていますが、10代の頃と違い、意識的に取り組んでいかないと棋力を伸ばすのは難しい」と、21歳の藤井聡太八冠

「より高いレベルで勉強することが必要と考えた(だから韓国に移籍することにした)。強くて尊敬される棋士になりたい」と、14歳の仲邑菫女流棋士

ともに今年10月の発言である。

伸びる人は違う。年齢は関係ない。

2023年12月29日

著作権についてのセンス

ニューヨーク・タイムズが、自社の記事を勝手にAIの学習に利用することで著作権を侵害されたとして、オープンAIとマイクロソフトを相手に米連邦地裁へ提訴した。

具体的な損害賠償金額は訴状では特定していないが、ニューヨーク・タイムズ社は「数十億ドルにのぼる」と主張している。これは日本円に直すと数千億円だ。と同時に、ニューヨーク・タイムズの著作物を利用した学習データを破棄することも求めた。

著作権で思い出したが、先日、日経BPから1冊の本が届いた。『ビジネスマンの基礎知識としてのMBA入門』という本の中国語版である。その著者献本らしい。

日本語の書籍の内容は、2011年の東日本大震災で被災した人たちを支援するため、当時の学生たちが企画した有料セミナーの講演内容をもとにしている。ぼくたち教員の何人かが講演した。

その後、その書籍化の話が出版社から出たとき、ぼくは米国に長期滞在している最中だったが、印税はぼくたちが所属している箇所に入れるという話を聞いてすぐに反対した。

分け前を寄こせというのではない。もとは被災者への支援のために行ったセミナー・イベントだ。それを文字起こしして本にするなら、その印税もイベントと同様に震災の被災者支援に向けるべきではないかと当時の研究科長に主張したのだがスルーされた。

その後は何も連絡がないまま、本は翌年に出版された。ぼくは著作権を誰かに譲った覚えはないにもかかわらず。今度は勝手に中国語版の出版だとか。

なぜそこまで著作権意識が希薄なのか。

2023年12月28日

白の集団

先日、近くのコンビニに行った折のこと、そこで雑誌を立ち読みしていると、後ろを入れ替わり立ち替わり白い影が行き来するのが気になった。

振り返ると、コンビニ店のトイレに出入りする「白い」男たち。そのなりはというと、白い靴に白いパンツ、白いジャケット、そしてパナマ帽をかぶっている。

その後、近所を歩いていて分かった。その日、矢沢永吉のコンサートが近くのアリーナで予定されていたのである。

周りの風景から完全に浮き出た男女の集団がそこにあった。彼らはその「ユニフォーム」で電車に乗ってここまでやってきたのだろうかと感心。


2023年12月21日

イチローにとっての「自己肯定感」とは

元メジャー・リーガーのイチローが、自己肯定感について次のように語っていた。

自己肯定感という言葉、目にしたことなかったです。イメージですけど、すごく気持ち悪い言葉です。自己肯定でしょ。いや~、気持ち悪くないですか。

自分を肯定するのは、僕は凄く抵抗があります。僕の場合は疑問符をつけてます。自分がやったこと、やろうとすることに。これが強い人って、ストレスフリーで楽しそうに仕事するみたいな感じですか? それってどうなんですかね。いいなって思うけど、その人たちは人としての厚みが生まれるんだろうか。瞬間瞬間はいい仕事ができるんだろうけど。明らかにダメなのに否定されない。自分でもいいことしか振り返らない。第三者からも指摘されない。僕は堕落すると思いますけどね。

人が最悪になるときって、自分が偉いって思ったとき。最悪というか魅力的じゃない。それが生まれるんじゃないかと。これが強すぎる人は。

自分の軸をしっかり持っている人は、やはり違う。

自己肯定感って、いつからか当たり前のような考えになっているけど、確かになんだか気色悪いと思っていた。それが何だったか、イチローさんに教えてもらった感じだ。

彼はアスリートであって思索家というわけではないはずだが、一流の人間は物事の本質を直感的に感じる回路を持っている。

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