駅の上りエスカレーター。ふと見上げるとウマが。
頭絡とサドルパッドを付けているので乗馬用のウマみたいだ。それがリュックから半分からだを見せている。
別にぬいぐるみが好きなわけではないのだが、なんか面白いので一枚撮った。
駅の上りエスカレーター。ふと見上げるとウマが。
頭絡とサドルパッドを付けているので乗馬用のウマみたいだ。それがリュックから半分からだを見せている。
別にぬいぐるみが好きなわけではないのだが、なんか面白いので一枚撮った。
東京芸術大学大学美術館で開催されている「日曜美術館50年展」を最終日に訪ねた。
展示会場に入ると、まず目に飛び込んできたのが壁に縦書きされた「ピカソを神棚から降ろせ 岡本太郎」の文字。続いて、「抑制している自分がピカソ見てるとやんなっちゃう 横尾忠則」。
この展覧会が普通の展覧会とちょっと異なるのは、NHKの毎週の番組がベースになっていること。だから、ただ作品を展示しているのと違い、番組でゲストが作品について語った言葉なども紹介されている。それが面白い。
岡本太郎や横尾忠則という、その分野の専門家だけでなく、「日曜美術館」には詩人やバイオリニスト、劇作家、映画監督、音楽評論家など、他分野のゲストが登場し、その日の作家や作品について語るのを聞くのが楽しい。
そうした番組の一片を再現しているのが、今回の展覧会の特徴である。
図録には1976年4月の番組開始当時からのテーマ(取り上げた美術家)一覧が載っている。50年という長年にわたるその企画の継続はすばらしい。
上野は日曜日ということもあってか、ずいぶん賑わっていた。公園には多くの外国人観光客。そしてガード下近くの飲み屋街は、森保ジャパンのブルーのユニフォームでいっぱいだった。
| 石田徹也《飛べなくなった人》1996年 |
大学を退職してひと月になるが、今もって大学関係のいろんなメールが届く。
先日、ある教授から総長選に候補として出馬することにしたのでよろしく、というメールがきた。
なぜ投票権のない僕にまで選挙についてのメールを送付してくるのかと思うとともに、メールを読んで思わず頭を捻ってしまったのは、彼が総長選へ出馬することにした理由として前総長から強く推されたからと書いていたこと。
その前総長が退任したのは2018年で、今から8年前である。企業でも前社長や前会長が院政を敷き、自分の息のかかった人物を組織のトップに据えたがるというのがあるが、さすがに退任して8年が過ぎているのに影響力を示そうとするのには驚く。
18、19という歳で大学に入学、学部卒業後はそのまま修士の課程に進み、指導教授の覚えめでたければ博士課程に留まり、そのレールに乗ったまま助手から専任講師、そして助教授(准教授)、やがて教授と年月と共に昇任してきたという人が大学にはたくさんいる。
大学以外の組織の経験がなく、しかも自分が入学したその大学だけで50年以上を過ごしているというのはかなり特殊な生き方だが、さらにその大学を退職してもなお、そこから離れられないという不思議な人間の姿がある。
「「スポンジ人間」化を回避せよ」と題した面白い論考を新聞で読んだ。
音楽評論家の湯川れい子さんがX(旧ツイッター)に書いた「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」という投稿に対して難癖をつける書き込みがいくつも寄せられたという。
ぼく自身はXはやらないのでそのもとの投稿は読んでいないのだけど、それはウクライナやパレスチナのガザ地区、イランなどの地に住む人たちに思いをはせての湯川さんの投稿だったのではないかな。
現在90歳の湯川さん。終戦の時は9歳。それをもって、「お前は戦争に行っていないくせに」と批判された。
湯川さんも血気盛んなのか、それを受けて「私が戦争を経験していない? 寝ぼけたこと言わないで下さい」と返して論争になった。
そんなクソリプは放っておけばという向きもあろうが、黙っておけないのが昭和の生真面目さと言っておこう。
彼女は先の大戦で父親と兄を戦地でなくしている。またあの時代だから、戦後は他の人たちと同様、さまざまな生活上の困窮にも見舞われたはず。
だが、彼女にイチャモンをつけた連中は、まだ9歳で戦争に行ってないのだから戦争を知っていると言うのはおかしいとツッコんだ。
そうした彼(女)らにとっての戦争とは、兵士が機関銃を撃ち合っているようなどこかの戦場という場所で展開されていることなのだ。
自分たちがスマホやパソコンの画面で楽しんでいる戦争ゲームこそが「ザ・戦争」なんだろうが、あまりに発想が表層的で貧しい。
そうした連中に、もし「戦争じゃない状況とは、どういう状況だと思うか」と問うてみると、おそらく「戦争じゃないんだから平和なんだろう」という答えが返ってきそうな気がする。
戦争か平和か、トルストイの小説みたいだが、実際はそうした単純図式では片付けられない。S・ダスグプタは戦争と平和という二分法ではなく、平和の対極にあるのは<非平和>であると定義した。
非平和とは、別の言い方をすれば平和の不在であり、貧困や不平等、弾圧、飢餓、分断、不正義の蔓延などがそれにあたる。つまり、大砲の弾が飛んでないから平和だというわけではないということ。
人はつい物事を単純化して考えがちになるけど、AじゃないからBというのが常に当てはまるわけではない。CかもDかもしれない。あるいはA’かもしれない。
これはシンプルに想像力の問題。