2012年7月31日

Staff Summer Holiday ー 欧米企業社員旅行事情

プールだか温泉に(しっかり首まで浸かっているところを見ると、たぶん温泉だろう)、10名の男女が入っている写真に目を引かれた。ファイナンシャルタイムズ紙の記事だ。欧米企業の社員旅行を取り上げたものである。

ファイナンシャルタイムズ、2012年7月30日

記事では社員旅行を実施しているいくつかの企業が紹介されている。共通しているのは、発起人が企業(経営者)であり、目的は社員間の関係構築や絆づくりであること。日本人にはお馴染みの社員旅行と同じである。

僕も社員旅行はそれなりに参加した方であるが、日本の企業と外資系企業では社員の参加度や意識もずいぶん違っていた記憶がある。

社員旅行がうまく働いている企業とそうではない企業。その違いはどこにあるのだろうか。日本の企業と海外の企業ではどういった特徴がでてくるのだろう。業種や企業サイズ、マネジメント・スタイルによっても違いがあることだろう。

社員旅行ではないが、大学入学時には学部のオリエンテーションが箱根湯本の温泉旅館で行われた。つい先日、学生時代の同級生とスポーツクラブのジャクジーに浸かりながら、どちらからともなくその時の話が出た。なんでもない思い出話の一つであるが、そうした「体験」は印象深く記憶に刻まれている。その時、夕食には新入生のほとんどは未成年にもかかわらずビールが出た。今ではたぶん無理だろう。大らかないい時代だったと言っておこう。

英国の大学院(マネジメント・スクール)のオリエンテーションは、湖水地方(イングランド北部)の古城で2泊3日のアウトワード・バウンド形式で行われた。こちらも楽しかった。また参加したいくらいだ。

大学(大学院)の仲間たちと一緒に飯を食ったり、風呂に入ったり、課題を与えられたゲームに取り組んだりするのは実に楽しかったけど、会社の社員旅行は全然楽しくなく、思い出すこともない。この違いはどこからくるのだろう。目的が真に参加者のためか、それともオーガナイザー(社員旅行の場合は企業)のためのものかというところではないか。

FT紙の記事では、成功する社員旅行の秘訣を3つ指摘している。

1)学校の夏休み期間のような家族旅行とぶつかるタイミングは避ける、
2)有給休暇とは別の休暇として与える、
3)プランについて社員の意見に耳を傾ける。

社員旅行先進国?の日本ではどれも当たり前のことかもしれないが、3点目は社員にどう聞くかがポイントだ。

2012年7月30日

ジョージ・ワシントン・ブリッジまで

昨日今日と、いくぶん涼しい日が続いている。こんな日曜日を逃す手はないと、久しぶりに自転車で外に出た。目指すはジョージ・ワシントン・ブリッジ。ハドソン川沿いを北上する。ペダルも軽い。途中で雨が降ってきたがかまわずこぎ続け、橋のたもとまで約30分。往復で1時間ほどの道のりだったが、太ももの内側が痛い。筋肉痛である。ふだんサボっているとこうなる。


2012年7月29日

Ai Weiwei: Never Sorry 体も心も大きな男

昨日から上映が始まった「Ai Weiwei: Never Sorry」をリンカーン・プラザ・シネマへ観に行く。映画の上映に先だってこの作品を監督したAlison Klayman が観客に挨拶をした。小柄なおとなしそうな女性である。

映画は、中国を代表する現代美術の作家であるAi Weiwei(艾未未)を追ったドキュメンタリー。

冒頭、ドアのノブに飛びつき、自分で扉を開けて出て行く猫が出てくる。映画を見終わって、Aiとその猫が重なって見えた。

http://aiweiweineversorry.com/
http://movies.nytimes.com/2012/07/27/movies/ai-weiwei-never-sorry-on-the-chinese-artist.html



2012年7月27日

Red Bull Girls

ダウンタウンで見かけたレッドブル・ガールズとお馴染みのレッドブル・カー。新商品(シュガーフリー)のサンプリングを行っていた。RBのコミュニケーション・コンセプトは世界共通のようだ。


2012年7月26日

引き裂かれた国 ー スティグリッツの出版記念講演

ノーベル経済学者であるスティグリッツの講演会があった。彼の新刊、The Price of Inequality(Norton)の出版を記念してのものである。


彼は、現在の米国は完全に引き裂かれた社会になってしまい、既に「Land of Opportunity」ではなくなってしまったと数々のデータを示しながら説明する。

典型的な現象としては、かつてないほどの所得と富の偏りがある。具体的には上位1%の層が米国全体の所得の2割を得ている。富の分布でいえば、上位1%が米国全体の富の35%を保有し、しかも基本財である家の価値を除いて計算すると、なんと上位1%がアメリカという国全体の富の40%を握っていることがデータから示されている。

しかも、それはただの「現状」ではない。機会均等は社会から奪われ、階層はほぼ固定化されてしまったため、下層にいる人たちが上方へ移行することは極めて困難な社会ができあがっていると彼は指摘する。経済システムと政治が機能していないことがその理由である。

彼は、上位1%の経済エリートが多額の所得を得ることに単純に反対しているのではない。問題は、彼らが残りの99%からの収奪の上に不当な多額の富を得ていることをいくつもの事例を示しながら訴える。キーワードのひとつは、レント・シーキング(Rent-seeking)である。新しい価値を創造することで市場全体を大きくするのではなく、ロビイングなどで自分に都合のよいルールをつくり、現市場のなかで自分のパイ(取り分)を最大化することに血眼になっていることを厳しく批判している。


堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ』『ルポ 貧困大国アメリカⅡ』(ともに岩波新書)は、その主張をスティグリッツの前掲書と軌を一にしている。こちらは学術的な本ではなく、表題の通り著者の取材・インタビューを中心にまとめられているルポルタージュである。最初、堤の本を読んだ時は、正直いうと内容に関して本当かどうか疑問も多かったが(特殊なケースをある意図のもとで取り上げているではないかと)、決してそうではないようだ。それが分かり、いっそう慄然とさせられた。

アメリカはどこへ行こうとしているのか。

2012年7月25日

イチローがNYヤンキースに移籍した

マリナーズのイチローが、自ら志願してトレードでヤンキースへ電撃移籍した。

先日シアトルに行った際、セイフコ・フィールドでマリナーズ対レンジャーズの試合を観戦した。その時のイチローはいまひとつぱっとせず、彼ももう歳なのかと思わせた矢先だった。

7月15日の対レンジャーズ戦、バッターボックスに立つイチローをバックネット裏から。

オリックスからマリナーズに移籍して今季で12年目。昨季、10年連続で記録した年間200安打が途切れ、チームも2001年を最後にプレーオフに進むことはなく低迷していた。

「環境を変えて刺激を求めたいという強い思いは芽生えていた。それなら、できるだけ早くチームを去ることが僕にとってもチームにとってもいいと思った」と彼は語っている。熟慮の末のこうした思い切りの良い決断が彼らしい。38歳でまだまだ頑張れることをヤンキーズでぜひ示して欲しい。

Whole Mind Strategy Workshop

午後、Whole Mind Strategy - Mindfulness Practices for Executives というワークショップに参加した。
http://www4.gsb.columbia.edu/events/view/7215656/Whole+Mind+Strategy%3A+Mindfulness+Practices+for+Executives

参加者は15名ほど。中国人(中国系)インストラクターからの、あなたの今日のinner weather はどういったものですか、という問いかけで始まった。各自が順番に自分の内なる天気について語る。僕は、大晴天、一点の曇りもない、とっても爽やかと答えた。ところが、その場にいたほぼ全員は、それが嵐だったり、土砂降り、凍えるような天候だと述べていた。たまたま「悩めるアメリカ人」ばかりが集まったのか。なんだか僕ひとりだけ脳天気のような気になったが、正直そうなのだから仕方ない。

ワークショップは、太極拳で用いるような呼吸法の基礎的動作のいくつかを中心に折り込んだもの。そうしたエクササイズをいくつか終えた終盤に、インストラクターが再度問うた。「あなたの今の内なる天気はどうですか?」 

みなは口々に「晴れ晴れしてきた」「嵐が去り、陽が差してきた」などと答える。

彼らの回答の源はどこなのだろう。たった1時間半のワークショップで、心の内がstormy(嵐)だと答えた成人男性がsunny(快晴)と答えられるものか。思い込み、あるいはサービス精神がそう答えさせるのか。

それらが入り交じったものかもしれないが、どうもアメリカ人は東洋的な神秘性に「弱い」ようだ。それらに触れた時、知的と思われるアメリカ人ほど分からない、理解できない、好きでないなど否定的なことは云わない。驚くほどポジティブな反応を示す。

彼らを観察していていると、本当はあまり分かっていないと僕には見える。つまり、彼らはよく分からない東洋的な神秘に実に弱い。とりわけ中途半端な知識階層ほど、この傾向は多いように思える。

2012年7月24日

恒例の Bryant Park Film Festival に出かけたものの

ミッドタウンにあるブライアント・パークで、月曜日の夜に Bryant Park Summer Film Festival と題した無料の屋外上映会が開かれている。今日の作品は、ハンフリー・ボガートの出世作『マルタの鷹』。ジョン・ヒューストンの監督デビュー作である。

本日の開場は午後5時、上映開始は日没後の予定。午後7時半頃に公園に到着した。会場は公園内の芝生の上だが、周りを柵で囲っていて入場の際には荷物のチェックがある。場所を確保した後は新聞を読んだり、近くの人とお喋りをして時間を潰す。やっと8時10分頃にマイクを持った女性がステージに現れ、簡単な挨拶をしたのち、映画の上映は8時50分からと告げた。ところが、その後まもなく雨が降り始めた。

傘は持っていなかったけど僕は帽子を被っていたし、多少濡れても平気な格好をしていたのでそのまま上映開始を待った。でも、雨は小降りになるどころか雨脚を強めてきた。後ろ髪を引かれつつ、退散した方がよいと判断してタイムズ・スクエア駅に向かった。

主催者が天気の動向を確認して、完全に日が暮れてからと云わずに早めに上映を開始してくれればよかったのだけど。

芝生にしつらえられたスクリーンにテストパターンが映し出される。

芝生に寝転がり、上映を待つ人たち。奥の建物はニューヨーク市立図書館。

雨が降ってきた。傘を持っていない人たちは次々と引き上げ始めた。

2012年7月22日

ここでも野外劇

夕方の散歩の途中、目の前に現れたのはHudosn Warehouseと書かれたのぼり。その向こうから台詞をしゃべっているような声が聞こえてくる。芝居の練習でもしているのかなと近づけば、どうも観客を前に実際に芝居をやっているらしい。


公園の階段を観客席に、テラスを舞台に、そして周りの緑を舞台背景に無料の野外劇をやっていた。たまたま通りかかった散歩客が、芝居をしている間を通り抜けていったりする。


ネットで調べたら、次のような劇団だった。http://hudsonwarehouse.net/home.htm

2012年7月21日

The Dark Night Rises

乱射事件の起こった映画がどんなものか観に行った。事件後だからなのだろう、映画館の前には警官が2人。平日にもかかわらず、上映前には入口の前に長蛇の列ができていた。


前作でヒース・レジャーが演じた悪役「ジョーカー」のインパクトが強かっただけに、今回も悪役のキャラクター作りに念が入っている。

ただ、映画自体は僕には退屈だった。もとがコミックだから仕方ないし、それでよしとしているのだろうが、全体があまりにご都合主義的というか嘘くさ過ぎて閉口する。どうせ空想の世界なら、もっと遠くに連れて行って欲しい。それに2時間半近い上映時間は冗長だ。モーガン・フリーマンやマイケル・ケイン、ゲーリー・オールドマンといった名うての俳優たちと漫画チックな映像がちぐはくな印象を与える。映画が終わった後、拍手が館内の方々で起こったのにまた驚いた夜だった。

やりきれない

大津市で中学生が自殺したニュースは、実にやりきれない思いにさせられる。

事件が起こった後に学校長や教師が行った生徒たちに対する口止め。大津市狂育委員会の隠蔽、言い訳、自己保身。親が何度も相談に行ったにもかかわらず、まともに対応しようとしなかった本来の仕事を忘れている無責任な警察。

これらにべたべたの蜘蛛の巣のような、いかにも日本的な組織の特質を感じるのは僕だけだろうか。陰湿ないじめを集団で執拗に行っておきながら「遊びのつもりだった」と言い放つ中学生の気持ち悪さ。人が死んでいるのだよ。

今日、米国のコ ロラド州で大量射殺という事件が起こった。封切られたばかりの The Dark Night Rises(バットマン・シリーズ)を上映している映画館内で24歳の男が突然 "I am the Joker"と叫んでライフル、ショットガン、ハンドガンを乱射し、観客12人が死亡、50人あまりが負傷した。

こちらも「またか」との思いが頭をよぎ る。日本人からすれば、いいかげんに銃規制をきちんと整備すべきだと感じるのだが、当地の友人はこの国では銃の問題は複雑すぎて簡単には変わらないと言う。これまたやりきれない。

銃規制についての声も上がっている一方で、銃には銃で対応すべきという意見もある。テキサス州選出のある共和党議員は、この事件について「なぜ映画館にいた他の観客が銃を持っていなかったのか不思議でならない。もしそうだったら、もっと早くこの惨事を止められたのに」と述べている。

銃を持った他の客が、その場で応戦して撃ち殺せばよかったということか。呆れた理屈である。こうしたところに、米国の危うさを感じる。

2012年7月16日

シアトルの Pike Place Market で魚が飛ぶ

Pike Place Marketはシアトルの人気の観光スポット。ここに市場ができたのは100年以上前である。地元の農家の人たちが収穫した野菜や果物を並べた八百屋さんやお菓子屋さん、魚屋さん、自家製のパンにチーズ、地ビールを販売している小売店などが数多く並んでる。


スターバックス・カフェの第1号店は、今もここに店を残している。当時のシンボルマークはグリーンじゃなかったんだね。今は観光名所のひとつ。



ここには魚を放り投げる「芸」で有名なパイクプレイス・フィッシュ・マーケットがある。お客さんが魚を買うと、威勢のいい掛け声とともに店頭からカウンターへ魚が放り上げられる。ちょうど店を訪ねた折、デモで魚のキャッチボールを見せてくれた。

魚の「放り投げ」のデモンストレーション

魚が「飛ぶ」というちょっとした意外性がこれほど人を引きつけるとは(確かに飛んでる魚は美しい!)。彼らのビジネスの底にはセールスではなくショーがある。魚屋にこうしたことができるのなら、他のビジネスにできないことはない!

2012年7月15日

オレゴン・コースト

ニューヨークの猛暑から逃げるようにしてウエスト・コーストへ。オレゴンの夏はからっとしていて、実に爽やか。

今日は、学生時代の友人K崎さん夫妻の車でポートランドからオレゴンコーストへ。以前、大学の仕事でポートランドへ来たのは冬だったので、その時は海岸線を訪れることはしなかった。今回はコーストを訪ねるのに最高の季節である。

Ecola State Parkの散策路から海岸線を眺める
広々としたCannon BeachにそびえるHaystack Rock。高さが70メートルほどある巨岩。

2012年7月12日

Concerts in the Parks 屋外で生のオケを楽しむということ

Concerts in the Parks と題したニューヨーク・フィルの夏の無料コンサートシリーズが始まった。今日のプロスペクトパーク(ブルックリン)をはじめ、セントラルパーク(マンハッタン)、カニンガムパーク(クイーンズ)、ヴァン・コートランドパーク(ブロンクス)で開催される。


地下鉄Fラインで出かけたプロスペクトパークは、晴れ渡った天気もあってピクニック気分の多くの観客で溢れていた。開催場所となったところは、周りをぐるっと林で囲まれた芝生。車の音など、外からの音はほとんど入ってこない。

演奏開始は午後8時過ぎ。今日は音楽監督のアラン・ギルバートがチャイコフスキーの交響曲第4番などを振った。楽団員たちもいつものコンサートホールで演奏するのとは違うせいか、「頑張って」音を鳴り響かせていた感じ。

じっとステージに見いる人だけでなく、寝っ転がって耳を傾けている人、ワイン片手に食事するのに忙しい人など、聴き方もいろいろである。


2012年7月11日

国会の事故調報告書が公表されたが・・・

国会事故調(国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)の報告書がリリースされた。http://www.naiic.jp/

英文のサマリーも発表され、早速海外のメディアが取り上げている。報道される上でのひとつのキーワードになっているのが「文化」である。

報告書の前書きのなかで、調査委員会の委員長(黒川清)が以下のように書いている。
   What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.”
   Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program’; our groupism; and our insularity.
   Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result may well have been the same.
今回の災害を"Made in Japan" と表現し、その根底に日本文化に根ざした慣習があったとしている。「根っこのところに、われわれ(日本人)の反射的な従順さ、権力者を疑問視したがらない態度、「計画を守り通す」ことへのこだわり、集団主義、島国根性があった」という分析は、日本社会の特性としてはその通りだけど、それが今回の事故のルーツだと結論づけられると、一般的すぎて次に何もつながらない気がする。

ましてや「他の誰がこの事故の責任者であったとしても、結果は同様であったかもしれない」などと書かれてしまうと、誰も反省がなく終わってしまう。外国メディアにとって格好のネタになるはずのこうした文化や精神性に拠った上記の文章は、なぜか日本語の報告書にはない。(日本語の報告書の「はじめに」では、50年にわたる一党支配、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった日本社会のシステムや制度とそこにある日本人の「思い込み(マインドセット)」が根底にあると表現している)。

海外のメディアでは、やはりここがポイントとして取り上げられている。例えば、以下はNuclear crisis 'made in Japan'と題したファイナンシャル・タイムズ紙の記事である。
'Ingrained' culture conventions blamed ; Tepco accused of 'wilful negligence'

The chairman of an investigation ordered by Japan's parliament into the Fukushima nuclear disaster has declared that it was a crisis "made in Japan" resulting from the "ingrained conventions of Japanese culture".

Kiyoshi Kurokawa, chairman of the Diet's Nuclear Accident Independent Investigation Commission, said the crisis was the result of "a multitude of errors and wilful negligence" by plant operator Tokyo Electric Power, regulators and the government.

In an English language summary of the commission's final report, Mr Kurokawa blamed the plant's failure on "our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to 'sticking with programme'; our groupism; and our insularity".

He added: "What must be admitted - very painfully - is that this was a disaster 'made in Japan'.

"Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result [might] well have been the same."

In his preface to the Japanese version of the report, however, Mr Kurokawa offered a more measured critique of the cultural background to the crisis, blaming the mindset created by postwar effective one-party rule, seniority systems and lifetime employment rather than the nation's culture as a whole.

Mr Kurokawa's commission is leading one of three investigations into the failure of Fukushima Daiichi, which suffered multiple reactor meltdowns and hydrogen explosions after its safety systems were knocked out by the earthquake and tsunami that hit Japan's north-east coast on March 11, 2011.

A government-commissioned group issued an interim report in December and plans a final one this summer, while a separate committee established by an independent foundation concluded its investigation in February. All three have criticised the failure to prevent or prepare for such a crisis and its handling by Tepco, politicians and bureaucrats, although they differ on substantive details and none of the accounts is likely to be seen as definitive.

Other members of Mr Kurokawa's commission included a former diplomat, two lawyers, a chemist, a seismologist and a science journalist. Their report criticises regulators that colluded with utilities to reduce the burden of safety measures, inadequate government emergency planning, poor communication and decision-making by Tepco and bureaucrats and an ad hoc response to the disaster by Naoto Kan, Japan's then-prime minister. The report in effect accuses Tepco of covering up possible earthquake damage to Daiichi.

It cites plant worker accounts as suggesting the tremor may have disrupted cooling systems. Tepco's explanation for some actions after the earthquake is "irrational" and its overall insistence that only the tsunami caused critical damage is "an attempt to avoid responsibility", the commission's report says.

The claim that the earthquake may have caused a lot of damage is likely to fuel resistance to restarting other nuclear reactors in Japan that have been judged at lower risk of tsunami but which are located near seismic faults.

Tepco, which had for decades promised the public its plants were safe against any seismic event, says it was the unforeseen scale of the tsunami that caused the crisis and that it responded appropriately.

Asked on state TV about the Diet report, Naomi Hirose, Tepco president, said he had not yet read it.
 この記事が掲載された数日後、同紙に日本政治の専門家であるジェラルド・カーティス(コロンビア大教授)が、'Stop blaming Fukushima on Japan's Culture' と題する以下のコメントを寄せた。
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More than a year has passed since tragedy struck the Tohoku region of Japan. A huge earthquake and tsunami left 20,000 people dead and missing, hundreds of thousands homeless, and resulted in a nuclear accident at Fukushima that ranks with Chernobyl among the worst ever.
The tragedy cried out for a rapid policy response: the government failed to meet this challenge. The authorities’ incompetence is chronicled in the report of the Fukushima Nuclear Accident Independent Commission released this month. Its sobering conclusion is that this was not a natural disaster but “a profoundly manmade disaster – that could and should have been foreseen and prevented. Its effects could have been mitigated by a more effective human response.”
The report documents the failings of Tepco, the power company that ran the Fukushima plant, the bureaucracy with regulatory responsibility for the nuclear industry and the government of prime minister Naoto Kan. It describes a culture of collusion inside Japan’s “nuclear village” that put the interests of power producers ahead of public safety and wilfully ignored the risks of a major nuclear accident in an earthquake prone country.
But one searches in vain through these pages for anyone to blame. It “singles out numerous individuals and organisations for harsh criticism, but the goal is not to lay blame”. Why not? Because, the commission concludes, “this was a disaster ‘Made in Japan.’ Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the programme’; our groupism; and our insularity. Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result may well have been the same.”
I beg to differ. Had Mr Kan not stormed into Tepco headquarters and tried to exercise some authority over the company’s executives, the situation might have been far worse. If Tepco had had a more competent president, its communications with the prime minister’s office would have been better. People matter: one of the heroes in the Fukushima story was Tepco’s Masao Yoshida, the plant manager who disobeyed orders not to use saltwater to cool the reactors. Incredibly, Tepco’s management initially clung to the hope the reactors might one day be brought back to operation, something that would be impossible once saltwater was injected into them.
To pin the blame on culture is the ultimate cop-out. If culture explains behaviour, then no one has to take responsibility. This is indeed what the report concludes when it says that the results would have been the same even with others in charge.
Culture does not explain Fukushima. People have autonomy to choose; at issue are the choices they make, not the cultural context in which they make them. If obedience to authority is such an ingrained trait in Japan, how then is it possible for a group of Japanese to write a report that not only questions but lambasts authority, anything but an example of reflexive obedience? The culture argument is specious.
Prime Minister Noda promised to have a new independent nuclear regulatory commission up and running by April of this year. The parliament’s lower house finally passed a bill to do that just last week. The government has decided to go ahead and restart two nuclear reactors at a plant that services Osaka and surrounding areas despite widespread public opposition. But it is unlikely that any of Japan’s other 51 nuclear power reactors will be brought online until after the commission is established and new safety standards announced. Culture does not explain this painfully slow response; politics do.
Those inside the Japanese nuclear village do share a particular culture but it is hardly uniquely Japanese. What jumps out from this report are the parallels between the manmade causes of and responses to Fukushima and the “culture” that led to the financial meltdown in the US after the Lehman Brothers collapse and that continues to resist meaningful reform and the pinning of responsibility for this manmade disaster on specific individuals.
The Fukushima Commission report “found an organisation-driven mind-set that prioritised benefits to the organisation at the expense of the public.” Well, if that is Japanese culture, then we are all Japanese.
カーティスは委員会(正確には委員長の黒川だけど)が、事故の責任の根幹を「日本文化にある」と表現し、責任を負うべき者を明確にしようとしていない点を指摘している。原子力村が抱える文化は決して独自なものではないとし、リーマンブラザーズの破綻がきっかけで発生した経済危機を例に、今回の原発事故の原因が公共の利益より企業の利益を優先させる会社中心の「日本文化」だとするなら、「われわれはみな日本人である」と断じている。

それにしても、なぜ日本語版と英語版の内容を変えたのだろう。また、なぜ英語版で a disaster "Made in Japan" という「惹句」をわざわざ使ったのだろう(冒頭の委員長挨拶に一度出てくるだけで、全体で88ページある今回の英文の報告書本文には、この言葉は登場しない)。

2012年7月9日

石岡瑛子とMISHIMA(ミシマ)

今年の初め、アート・ディレクターの石岡瑛子さんがニューヨークで亡くなった。

アート・ディレクターと書いたが、それはまだ彼女が日本の広告業界にいた頃のはなしで、彼女はそうしたADの仕事もやりながら映画や舞台などの美術監督として世界で活躍していた。

ニューヨークに来る前から気になっていた映画「MISHIMA: A Life in Four Chapters」(1985)もその1つである。三島由紀夫の生涯と作品を題材にしたものだ。石岡さんはこの映画で美術監督を担当した。

 
本作品はフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスがプロデュースし、タクシー・ドライバーの脚本家としてその才能を世間に認めさせたポール・シュレイダーが監督。音楽はフィリップ・グラスだ。見応えのある映画作品に仕上がっている。
 
ところが、三島由紀夫の遺族が反対しているために日本国内ではいまだ公開できないままになっている。日本版のDVDの販売もされず、配信もできない。何を怖れているのだろう。海外ではオープンになっているのに。狭量というか、なんというか。

映画の中で主役の三島を演じているのは緒方拳。そして、もう一つの主役が、石岡が担当したセットデザインである。斬新かつシンボリック、それだけでもこの映画を観る価値はあると思う。

2012年7月8日

寿司屋にもGradeをつけたらどうだ

ニューヨーク市内の飲食店には、店頭に Sanitary Inspection Grade という貼り紙がしてある。市の衛生局が調査し、その衛生管理の度合いにあわせてA、B、Cという評価を与えており、その評価証は店頭に表示しなければならないようになっているらしい。


客にとってこれは参考になる。一見店内がきれいに保たれていても、厨房で何が行われているかは客には分からないからね。

話は変わるが、NYには寿司を出す店がかなりある。しかし数の上ではその大半は、はっきり言うが似非(えせ)である。いま住んでいるブロードウェイ沿いにも、Chinese and JapaneseやThai and Japaneseといった店がある。味はそれぞれの人の好みではあるけど、そうしたところで出す料理は本当の寿司からはほど遠い代物だ。

中華料理やタイ料理などの「添え物」として寿司などの日本食を出しているところでなく、寿司あるいは日本料理をうたっているところでも、まともな寿司がでてくることは少ない。米国だからネタや素材が手に入らないからというのではない。少なくても東海岸の大都市では寿司ネタは豊富だ。今では日本にも大量に魚が輸出されている。要は、そうした店には本物の寿司職人がいないのだ。中国人や韓国人、あるいはヒスパニックの調理人が寿司飯にスライスした生魚を載せればそれでいいとでも考えているように思う。

NYだけではない。先日のワシントンDCへの出張の折り、昼食をとりに入ったチャイナタウンの店のメニューの半分は日本食(もどき)だった。その中心は寿司である。周りの客は中華料理のアペリティフの感じで寿司を注文している。食べたいものを食べたいように食べればいいことは分かっていても、やはり日本人としては「ちょっとなあ〜」と思ってしまう。その日の夜は、街の中心部から少し外れるが、日本人が25年前からやっているという店でうまい寿司と日本酒を堪能した。

先に述べたようにNYには寿司を出す店は数多いが、オーセンティックな寿司を出してくれるところは限られている。しかも、日本人以外には何が本物の寿司かはわからない。

寿司屋の認証制度を作ってはどうだろう。先のSanitary Inspection GuideにならってA、B、Cでよい。Sushi-Aは本格的な寿司屋の証し、Sushi-Bはそれに準じるもので本格的ではないが寿司の伝統を感じさせるもの、Sushi-Cは極めてアレンジされた寿司を提供するところ。A, B, Cが付いていないところは、認証外。誰がどういった基準で審査するかだが、堅く考えることなく、日本人が経営している寿司屋が手を組んでニューヨーク寿司協会とか作ってやればいい。

またまた話は飛ぶが、先月だったかこちらで同性同士の結婚が法的に認められるようになったとき、テレビであるコメンテーターが「これは、20年前の寿司と同じだ。気にすることはない」 と上手いことを言っていた。20年前は多くの米国人が魚を生で食べるなんて気持ち悪いと思っていたが、いまはすっかり生活の一部になっている、ということだ。

2012年7月7日

ニール・ヤングのドキュメンタリー

ジョナサン・デミが監督したドキュメンタリー映画「Journeys Neil Young」をリンカーンセンターのシネマへ観にいく。

全編、ニール・ヤングのトロントでのソロステージを追ったものである。途中、自分でハンドルを握り、クラシックな車を運転して移動する車内で語るニールのコメントはあるが、それ以外は彼は何も語らない。ただ歌うだけ。ステージの上でも「俺の歌を聴いてくれさえすればいい」とばかりに素っ気ないのがいい。


独特の乾いた、それでいてむせび泣くような声。ニールヤングならではの70年代から変わらぬ歌声である。

2012年7月5日

4th of July Fireworks

今日は独立記念日で、米国は祝日である。1年の中で最大の花火が行われる日でもある。NYでは百貨店のメーシーズがスポンサーとなっている花火大会が、夜の9時20分から行われた。年によってハドソン・リバー(西側)かイースト・リバー(東側)のどちらかで開催される。今年はハドソン・リバーで行われた。


川沿いの遊歩道は、芋の子を洗うような混雑ぶり。川の4カ所に打ち上げ台を設置しているらしい。隅田川で見るような「ドドーン、ドンドーン」といった腹の底に響く迫力のある大玉の打ち上げ花火はあまりないが、4カ所からの打ち上げが見事にシンクロしているのが特徴的だ。日本の花火は職人たちの経験と技、こちらはコンピュータのプログラムによる打ち上げなのだろう。

テレビではNBCがNY(ハドソンリバー)の花火を、CBSはボストン(チャールズリバーか?)の花火を生中継で放映していた。アメリカという国の最大の誕生日を、いささか(僕には)大げさと云える演出で祝っていた。こうしたイベントがあると、米国人の愛国心はひとつになって高まる。多民族社会だからこそ、何かにつけて国民全体が星条旗の下で気持ちをひとつにするような催しと演出が凝らされる。

96丁目あたりのハドソン川沿いから撮影

2012年7月4日

セグウェイについて

ワシントンDC市内のフランクリン・スクエアで、セグウェイの練習をしている5名ほどに出会った。街中をひとりで颯爽とセグウェイする若い女性も見た。

セグウェイは、ワシントンDCの街によく似合ってる。NYほど交通量が多くなく、道に穴ぼこやこぶが少なく、きれいに舗装されていて走りやすい。それにバリアフリーが徹底されていて、車道と歩道が段差なくつながっているからだ。

セグウェイが日本の公道での走行が認められていないのは、何故だろうか。自転車ほどスピードがでず、とても安全なのに。環境への負荷も少ない。セグウェイを使うためには20センチほどのステップへの上り下りさえできればOK。足腰の弱った人でもこれで外出でき、行きたいところにいける。

電動車椅子とセグウェイは何が違うというのだろう。座って乗るか、立って乗るかの違いしかないはずだ。行政の「何かあったら自分たちの責任になる」という、新しいものへの理屈抜きの抵抗感とリスク意識だけが妨げとなっている。

日本でも地方の観光地が、特区としてセグウェイでその街や観光名所を巡ることができるように規制緩和するとか考えてみればよいと思う。

2012年7月2日

ワシントンDCで

学会2日目が終了。今日はレセプションなどはないので、早めに会場を飛び出して、まずは近くのNational Gallery of Art へ。ここは彫刻のコレクションが充実している。絵画は13世紀以降の欧州とアメリカ絵画を中心に展示されている。フェルメールの作品も何点か展示されていた。



写真はあまりないのだけど、Bruce Davidson という米国人の写真家が撮った80年代初めのNYの地下鉄内をモチーフにした作品が20数点あって、それが面白かった。今とはまったく違う、汚く、落書きだらけで、人々の熱気と暴力の匂いがするNYサブウェイの雰囲気が伝わってきた。

その後、City Segway Tour という会社が運営しているWashington DC Segway Night Tour に参加。セグウェイで、ガイドと一緒にワシントンDC内の名所をまわるというものである。6時から30分ほど乗り方の練習をしたあと、8名のグループで町へ出た。日本ではセグウェイは公道の走行は認められていないが、アメリカでは平気だ。車ではなく、自転車に準ずる扱いのようである。

ツアーの終了は9時過ぎ。日はもうすっかり暮れていた。結構疲れたが、気持ちのいい疲労感である。セグウェイは誰でも簡単に乗れて安全、小回りもきき、極めてすぐれた移動手段だと思う。

前半の映像で奥に見えるのは、国会議事堂(連邦議会)

2012年7月1日

フィラデルフィア駅で4時間半待ち

鉄道(アムトラック)でNYからワシントンDCへやって来た。途中、フィラデルフィアで列車が4時間半ほど停車したまま動かなくなった。竜巻の発生によって電力供給が不安定になったためである。

列車が止まってまもなく、売店のある車両へ向かった。途中の車両でマイケル・ムーアを見かけた。4人掛けのボックスシートで彼のスタッフらしい3人と熱心に打合せをしている様子。飲み物とサンドイッチを手に自分の車両に戻る時には、彼らはもういなかった。

4時間半ほどしてやっと走り始めたが、その後も徐行を繰り返し、結局、予定通りであれば3時間弱の区間を8時間50分かかった。

アメリカの交通機関では思いもよらないことが起こる。ある日、ニューヨークで地下鉄に乗って大学へ向かった。96丁目駅から大学のある116丁目駅まで各駅停車の電車で3つなので、いつもはほんの5,6分の距離である。ところが、96丁目の駅を出た地下鉄が止まらない。途中、車内放送で線路のポイント故障のために通常の運行ができないと言ってる。いったいどこまで連れて行かれるのか。車内放送で何か言っているのだが周りがうるさく、スピーカーの音もよくないので聞き取れない。近くのアメリカ人に尋ねたが、その人も内容がよく聞き取れないらしい。

やがて電車が止まったのは、158丁目の駅。その駅は上り方面のホームと下り方面のホームが繋がっていないので、いったん改札を出て地上に上がり道の反対側にある入口から駅に再入構しなければならなかった。

米国人はこうした際には実に辛抱強いと思う。こうしたことが当たり前になっているからだろう。