2009年3月13日

盤石の文化と地震の文化

鉄道でセゴビアへ。昨日の朝、アヴィラに行く際にのプラットフォームを教えてくれたマドリッド駅のおばさん(駅員)に、プラットフォームで会った。ボニート!と声をかけられた。

セゴビアの水道橋は紀元1〜2世紀にローマ人によって築かれたもの。漆喰などは用いず、石だけを組み合わせて高さ28メートルもの橋が築かれている。



アーチの下に立ってみると、今にも岩が頭の上に落ちてくるのではないかと冷やっとする。2000年近くの間、雨や風にさらされながら、微動だにしていないことにヨーロッパの本質の一つを感じる。築いたものは、そのままでは壊れないということだ。石を積み上げれば、それは数千年単位でそのままの姿を保つ。

日本は木と紙の文化である。地震があるからだ。石で家を造ったのでは危なくてしかたない。気候の問題と併せて、木の家屋が日本人が選択した理由の一つが地震の多さである。

もしヨーロッパ(例えば、ここスペイン)が、日本と同様に頻繁にかつ大規模の地震に見舞われる場所だとしたら、ヨーロッパ人の精神構造はどう変わっていただろう。

日本人は地震を受け入れてきた。受け入れざるを得なかった。人間にはそれを予見することも、防ぐこともできなかったから。地震を受け入れるということは、自然をそのまま受け入れるということ。征服する対象などにならない。地震(自然の脅威)と折り合いをつけ、かつどこかで諦観の念を胸に生きてきたのが日本人である。

ヨーロッパにも日本同様に地震があったとしたらだが、ヨーロッパ人は今ほど神を信じることはなかったのではないか。少なくとも現在僕たちが目にするような教会建築は発達しなかったはずである。高きを求める塔への憧れも、現在のものとは異なったかたちになっていたはずである。

Avilaへ

マドリッド駅から鉄道で城壁の街、アヴィラへ行く。世界遺産の街である。



スペインの古い町はたいていどこでもそうだが、宗教的な色合いが今も強く残っている。こちらで宗教(キリスト教)が残したものは、建築と絵画と音楽と文学である。日本語でいうところのしつけを教えるのも宗教で、整備された法ができる前にその役割を果たしたのも宗教である。

宗教に必要とされるものは型だ。型は権威となり、防具となる。強く信じた人は疑う心を失い、作られた型に疑問を持つことはなくなるのだろう。これが宗教の仕組みである。

そのための演出が建築、音楽、絵画などである。Avilaのカテドラルで、司教たちの法衣が大切そうにガラスのケースで展示されていたのを観た時に、そんな考えが頭に浮かんだ。

豪華な法衣に何の意味があるのか。妙ちくりんな先の尖った帽子に何の意味があるのか。意味などない。あるのは型だけ。それらの衣装を作るのに、一体どれだけの多くの人の労働と金が使われたのだろう。

2009年3月12日

マドリッドの路上芸

バレンシアでの学会で発表を終え、マドリッドへ戻ってきた。夕食後、市内中心街で見かけた夫婦とおぼしき芸人。投げ銭をもうらうと動いて感謝を表す。