2011年11月27日

驚くべき若きテノール

ある音楽賞の入賞者たちによる披露コンサートに出かけた。午後1時半から6時頃までの長丁場だったが、そのほとんどトリに出てきた声楽・大学の部第1位のテノールのすばらしさに度肝を抜かれた。宮里直樹という今年東京芸大の声楽科を首席で卒業したばかりの若い歌い手である。卒業時には大賀典雄賞などを受賞している。

その時は3曲披露したが、とりわけ最後に歌ったプッチーニ作曲のトゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」は、ポール・ポッツが英国のオーディション番組Britain's Got Talentに初めて登場して同曲を歌ったシーンを思い起こさせた。

2011年11月25日

グレン・グールドについての映画

渋谷アップリンクにて、青柳いづみこの短い講演と『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』の上映会。天才で異才。真夏でも手袋とマフラーを手放さなかったとか、ピアノに向かう時に用いる異様に低い椅子を持ち歩いていたとか。エキセントリックな言動で知られていた。けれど考えれば、どちらも音楽家としてのdisciplineとして不思議ではない。

フィルムで見るその人物像は思っていたより普通で、一般の人とは少しずれていても(芸術家とはそういうもの)決して破綻などしてはない。むしろその人懐っこい人柄が分かった。それにしても50歳で脳卒中で急逝とは。

一つ印象的だったのは、バーンスタインがコンサートの場でこう聴衆に語ったシーン。「私は、今晩演奏するブラームスのグールド氏の解釈には賛同できません。 しかし、グールド氏の資質と才能を認めるからこそ、私は今日指揮棒を振ります」

グールドには関係ないが、スクリーンの大写しになるアシュケナージが昨年亡くなった役者のレスリー・ニールセンに似ていることを発見。

この映画とは関係無いが、グールドは夏目漱石の『草枕』を愛読していたらしい。

2011年11月20日

小水力発電

中小河川や農業用水路を利用した小規模水力発電が注目され始めている。水力発電は、その発電量の変動が天候に左右されやすい太陽光や風力発電より少なく安定している。

水車を回して発電する小規模水力発電に利用可能とされる場所は、日本全国に約2万カ所も。発電時に二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーとして注目されているが、初期導入コストや工事費の高さが障壁になっている。

近くで見つけた超超小規模水力発電。プラスチックのカップを使った水車が小川の流れで回ると、上の橋桁に設置されたカッパの目玉が光る。それだけのことで、もちろん実用性はないが、こうした簡単な仕組みで電気が作れることを通りがかりの人は知ることができる。なによも見ていて楽しい。

2011年11月19日

富士山と金星

秋になり、空気がキリッと澄んできた。遠くの山なみや星もくっきりしてきた。

2011年11月18日

夏が終わってから、大学へ

東大が入学時期を秋に移行する検討を始めている。世界の他の大学とアカデミック・カレンダーを合わすことで、留学生をいま以上に増やしたり、日本人学生が在学中に海外へ留学しやすくなり、結果として大学の国際化をはかることができる。結構なことだと思う。

3月に卒業、4月に入学というのに、教育面からの明確な理由づけはない。春夏秋冬と呼ぶように、日本の季節は春から始まることになっていることから、企業も役所も学校も4月に新年度が始まるようになっているのだろう。だが考えてみれば、4月から大学生を開始するためには1月〜3月に大学入学試験を行わなければならず、その時期に入試を行うことの不合理性はもっと議論されてもいい。というのは、この時期、受験生は風邪やインフルエンザに悩まされながら受験をしなければならないし、積雪のために試験会場に行くのも一苦労という地域も多々ある。確かに桜の季節の入学式はすばらしいが、それだけだ。秋に入学するのなら、4月に入ってからの入試試験で大丈夫だ。

ところで、新聞の報道で読んだのだが、ある教育情報会社が大学を対象に秋入学への移行についてアンケート調査を行った。対象は4年生大学576校で、263校が回答した(回答率45.7%)。秋入学へ肯定的な回答を寄こしたのは43%、否定派は39.5%、どちらともとれないのは10.7%となっている。

否定派でもっとも多かった理由は、「ブランクが生じる」で46%。また、移行に伴って生まれる約半年の猶予期間の活用法を尋ねたらしく、「入学に向けた学習」62.7%、「社会体験」58.2%、「ボランティア」47.9%という数字が記事中に紹介されている。これらは、受験生が「自分は入学までの時間をこう過ごす」と言ったのではない。大学が「こう過ごして欲しい」と言っているわけだが、そもそもこれほど大きなお世話はないだろう。何を意図してこうした設問を設けたのだろう。そして、回答した大学関係者の、その時の頭の中はどうだったのか・・・不思議だ。

大学入学まで時間的ゆとりがあるのは大変よい。春から夏にかけてゆっくり方々を旅するなり、学費を稼ぐためのバイトをするなり、好きにすればいい。大学がこうして欲しいなんて言ってるのは、はなから無視すりゃいい。

2011年11月13日

モダン・アート、アメリカン

今日は日曜日だが大学へ向かう。仕事はお昼を挟んで3時間ほどで片づいたので、前から気になっていた「モダン・アート、アメリカン」展を観に乃木坂の国立新美術館に。目当てのエドワード・ホッパーなどの作品を鑑賞。

そのなかに、一点だけだが国吉康雄の作品があった。彼は20世紀初頭にアメリカに渡り、現地で絵を学び、画家としての活動を続けた。そして、20世紀前半のアメリカを代表する画家としての評価を得た。

今回、展示されていた絵は「メイン州の家族」。一緒にいた連れは「アダムズファミリーみたい」と言う。そういえば、子どもの顔がよく似てる。

ガンバレ、吉田

東京電力福島第1原子力発電所所長の吉田氏が初めてマスコミの取材に応じた。3月11日からの一週間について尋ねられ「次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと『もう死ぬだろう』と思ったことが数度あった」と語っている。それはそうだろうなと、素人ながら納得する。

地震後に1号機が水素爆発してからの東電本社の経営者の責任回避、自己保身は万死に値するが、そのなかで最悪の事態をなんとか避けられたのは彼のような現場の優れたリーダーとそのチームがいたお陰だ。現場を知らず、現場を知ろうともせず、有楽町の本社で組織の内側だけを見て毎日過ごしているネクタイ族とは大違いだ。

2011年11月11日

マーケティングのパラダイムシフトって、何だ

年を取るにつれて、飲み屋にしてもなんにしても、立ち寄るところが次第に限定されてくる。馴染みの心地よさが優先されると云うわけだ。

そうした場所ではメニューなども分かっているから、何を頼んだらいいか迷うことはなく、その点でも楽だ。気がついたら、そうした店は自分以外の客もそうした「楽さ」を求める常連で占められていることに気づく。

マーケティングにおいて「パラダイム」といういささか大仰な言い方がされることがある。マーケティングの「取引パラダイム(transaction pradigm)」から「関係性パラダイム(relationship paradigm)」への転換というのがその代表例だ。

取引パラダイムというのは、経済学でいうところの「交換」をマーケティング上の目的とする考え方である。すなわち、財(商品やサービス)と通貨の交換をいかに実現させるか、そのための役割、機能としてマーケティングがあるという発想。

一方、関係性パラダイムと呼ばれているものは、法人、個人を問わず対象とする顧客との関係構築、維持、強化を通じて長期的、反復的な取引を実現するなかで顧客価値を高めていくという考えである。

これら2つは教科書ではなぜか対比的に紹介され、まるで「天動説」から「地動説」への転換のように、「取引」から「関係」への転換がさもありうるべき「真理」のように語られる。

本当にそうだろうか。僕の考えでは、マーケティングの目的はいずれにせよ取引の実現に他ならない。京都の祇園のお茶屋さんのように一見(いちげん)さんお断り、馴染み客だけでもっている店もあれば、繁華街のファストフード店や観光地の土産物屋のように通りすがりの客がほとんどの店もある。

それを規定するのは、立地や店の位置づけなど店のタイプだ。決してどちらが商売として優れているというものでもない。

つまり、取引パラダイムか関係性パラダイムかという、学者が勝手に名付けた二項対立的な考え方は正しくない。

実際は「単なる取引(英語にすると simple transaction)」か「関係性を考慮した取引(relational transaction)」かという違いがあるだけだ。

2011年11月9日

松下の「綱領」

昨日のマーケティング特論には、学生時代の友人で現在パナソニックの企業宣伝部門の責任者をしている小関君にきてもらった。

60年代以降の懐かしいテレビCMなどを紹介してもらい、松下のブランドとコミュニケーションの変遷、そして松下からパナソニックへの社名変更とその背景などを分かりやすく説明してもらった。10月にNHKで放映されたドラマ「神様の女房」を見た学生も結構いたことあり、松下に関する話にみんな熱心に耳を傾けていた。

そのなかで、松下の基本経営理念に触れた話があった。その後、ネットでちょっと調べてみたのだけど、松下幸之助はすでに昭和4年(1929年)に、自分たちの会社は人びとの暮らしを豊かにするだけでなく、社会に貢献することを目指すと謳っている。
このような高い志と社会性が、利益を生み出す装置・仕組みとして企業を考えがちな欧米企業と日本企業の経営の違いの一つだ。

2011年11月5日

菁桐の「碳場咖啡」で

台湾鉄道のローカル線、平渓線(ピンシーシエン)沿線を一日乗車券を手に訪ね歩く。

この沿線には、炭鉱跡が各地に残っている。最終地の菁桐(チントン)駅の近くにある「碳場咖啡(Coal Coffee)」という店には中国語でミルクティーという名の犬がいて、僕のような一人客の相手をしてくれる。

2011年11月4日

台北之家

昼過ぎのフライトで台湾に。こちらの今日の最高気温は30度だったらしい。いくぶん蒸し暑いといった感じ。でも、まったく苦にならない。

アジアの国を訪ねた時、到着した飛行機からボーディングブリッジに一歩出た際に感じる、ちょっとむっとした熱気とまつわりつくような湿り気が好きだ。今日の台北の空港もそうだった。

ちょうど機上で読んでいた沢木耕太郎の新刊『ポーカー・フェイス』にも似たような記述があった。バリ島の空気について触れ「私は、たぶん、日本列島にやって来た先住民の中でも、北からではなく、南からやって来た者の子孫なのだろう。乾燥した空気より、湿気のある空気の方が心地よく感じられるのだ」と書いている。

夕方、ホテルにチェックインしてから、街へ出る。目的地は昨日知った「台北之家」という場所。実はあまりガイドブックの類を読まない僕はこの場所についてまったく知らなかったが、たまたま昨日送られてきた早稲田松竹のメールニュースにそこについて書いてあった。劇場のスタッフが台北を訪ねた際にここに寄ったらしい。

台北之家は、映画をテーマにした劇場とショップとカフェ、バーが集まった施設だ。チケット売場の兄ちゃんに聞いたら、台湾政府が運営しているらしい。それにしてはお洒落だ。センスもいい。全体の構成などに侯孝賢が関わっているらしい。
http://www.spot.org.tw/

1階のショップで、動物をモチーフにしたデザインのカップを2つ購入。その後、2階の紅氣球というバーでワインを軽くやった後、劇場へ。定員88人のミニシアターに18名のお客さん。もぎりのおじさんがいい人で、僕が台湾人じゃないと分かったのか、席について荷物を片付けていたところ近づいてきて「No English, OK? OK?」と尋ねてきた。OKと返答すると納得したようにもぎりの定位置に戻っていった。で、少しすると、また近寄ってきて劇場の後方にある扉の方をむいて指さし「トイレ、トイレ」と言う。親切だなあと感心し、謝謝と中国語で礼を述べる。

今日かかっていたのは「星空  Starry Starry Night」という台湾映画。13歳の少女が主人公のファンタジーだ。少女と彼女のおじいさんが約束事をする際、二人は小指を絡ませて指切りをしていた。へぇ〜、日本人だけじゃないんだ。それとも日本統治下の影響なのかな。