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2019年4月22日

スリランカでもテロ

スリランカの首都コロンボで、複数の箇所で爆発事件が起きた。今日時点で200名強がなくなり、450名あまりの負傷者が報告されている。日本人の犠牲者も出た。

爆発が起きた箇所の1つの名に目を引かれた。狙われたシナモン・グランドホテルは、2015年2月にJICAの仕事でコロンボを訪れた際、3日間ほど投宿したホテルだったからだ。

滞在中はいろんな人から長年にわたる内戦のこと、民族間の諍いのことを聞かされた。でも当時、それらは落ち着き、昔そうだったような穏やかな暮らしを人々は取り戻していた。

今回の事件はまだ原因が解明されていない。連続的な事件につながらなければいいけど。

後日、スリランカからの留学生と話した際、今回の事件で彼の自国の友人の2人の姉妹が犠牲者になったと聞かされた。

シナモン・グランドホテル近くの幹線道路

2016年2月3日

1年ぶりにスリランカへ

現地にわずか2泊という駆け足だったが、一年ぶりにスリランカの首都、コロンボを訪れた。今回もJICAからの依頼の仕事である。

スリランカは、昨年の1月にそれまでの独裁的な政権から民主的な政権へと変わった。短期で訪れるわれわれのような者には変化は分からないが、昨年に比べて入国がスムーズにいったのはひょっとするとその影響かもしれない。

昨年も今年同様、公務のビザで入国しようとしたのだけど、その時は別室に呼ばれて入国の具体的な目的が何なのか説明させられる一幕があった。

政権が変わったといっても、長らく続いた前政権時に大臣ポストを目的にやたらと作られた省庁は今も残っていて複雑な官僚機構を構成している。今回打合せを行ったのは財務省の一部門だったが、組織が縦割りで全般的に情報の流れが悪い。すっきりさせるには、かなり時間がかかるのだろう。

ホテルの窓から見下ろすと、ビーチに沿ってビルがいくつも建設中だった。シャングリ・ラなどのホテルで、すべて外国資本のものらしい。中国資本が多いと聞いた。インドの近くにありながらも、シーレーンの獲得を睨んだ中国主導で経済発展がなされていくのかもしれない。

宿泊先のホテルの部屋からの風景。右手がインド洋。浜辺の近くにホテルがいくつも建築中だった。

2015年2月11日

コロンボの街で

JICAの仕事でスリランカへ。スリランカ航空の直行便で成田空港からコロンボ空港まで9時間あまり。時差は、3時間半。

僕にとっては、スリランカで連想するのは紅茶とアーサー・C・クラークくらい。 キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の原作者として知られるクラークは、1956年から亡くなる2008年まで50年以上をスリランカで暮らした(彼が移住した当時、この国はセイロンと呼ばれていた)。

そのクラークが、なぜそれほどスリランカ(コロンボ)に惹かれたのかを考えながらこの街で過ごしている。

ほんの数日の滞在で「この国は・・・」などというのはおこがましいが、あえて印象を言えば、アジアにしては、またインドのすぐお隣にしては(勝手に想像していたよりはるかに)インパクトがない。それを退屈ととるか平穏ととるかは、その人次第である。

ここ連日、夕方になるとシャワーのような雨が降る。初日、ペターという市場や屋台のような商店が連なる雑踏のエリアを歩いていたとき、突然ザザザッと来た。その時は雨具はなく、その辺の商店の軒先を借り、雲が流れていくのをながめながらしばらくじっと雨宿りをするしかなかった。アジアの気候である。

ペタ−(Pettah)の人混み

街中のバス・ターミナル

インド洋に沿って走る鉄道路線
埋め立て開発が進むコロンボ市内フォートエリア
オランダ植民地時代に建てられた病院跡。現在はショッピングエリアになっている。