2018年6月9日

社会や家族から捨てられた人たちの物語

映画「万引き家族」の舞台は、林立するマンションの谷間にぽつんと残された古びた一軒家である。そこに集まり、また拾われてきて暮らすようになった5人+ひとりが主人公である。


この映画は、すでに死亡している親の年金を、遺族たちが黙ったまま不正に受給し続けていたという事件から是枝監督が着想したという。新聞社のデータベースで検索してみると、そうした事件は2010年の夏頃から報道され始めている。
当時、非倫理的だとか様々な批判がなされたが、なぜそういった事件が起こったのか、また続けられてきたかについての深い考察はほとんど聞くことはなかった。ただ、けしからん、悪い事やってる、と言った報道しかなされていなかったように記憶している。誰も深く知ろうとしなかった。
是枝は、そうした小さな事件(といっていい)と世の中にはびこっているもっと大きな社会的犯罪との差、そしてそれらの報道にまつわる違和感や居心地の悪さから発想をスタートしたのだ。
是枝監督には「そして父になる」という映画があったが、今回の映画はその延長にあるものだと思う。どちらもリリー・フランキーが主演だ。タイトルは「万引き家族」だが、「そして家族になる」というタイトルでもいいくらいだ。
ほとんど血のつながらない連中が、擬似的に家族を構成し、そこでお互いを家族だと思って生きている。これははたして家族か家族ではないのか。家族とは何なのか、そんなことを深く考えさせられる映画だ。 

彼らは社会の谷間の中で、周りとさほどつながることなく生きている。しかし考えてみれば彼らの近くのマンションの住人たちだって、同じように社会とそれほど深くつながらないままに生きているである。そういう意味で、彼らはわれわれ一般の日本人の一つの縮図かもしれない。

拾われてきて、この「家族」と一緒に暮らすようになった少女がいい。「フロリダ・プロジェクト」の少女もよかった。どちらも監督の技が光る。