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2025-06-14

Anselm Kiefer + 二条城

昨年日本で公開された「アンゼルム 傷ついた世界の芸術家」は、戦後ドイツを代表する芸術家であるアンゼルム・キーファーを主人公とした、ヴィム・ヴェンダース監督によるドキュメンタリー映画だった。

1945年生まれ、今年80歳になるこの芸術家を、僕はその時まで知らなかった。

この映画を観て一番印象に残っているのは、パリの郊外にあるという彼のアトリエ。まるでジャンボ・ジェット機の格納庫を思わせるような巨大な空間におびただしい数の作品が収納されいて、キーファーがそのなかを自転車で悠然と動き回るシーンがおもしろかった。

ヴィム・ヴェンダースが製作した映画ということもあり、以降、キーファーにも興味を持っていたところ、京都の二条城で彼の展覧会が開催されていることを知った。

 
会場に足を踏み入れて、まず最初に目に飛び込んできたのは、彼の代表作の一つである、例の「翼」。

二条城の空間に不思議とマッチしている

ほぼ想像していた通りの大きさに嬉しくなる。今回、展覧会に足を運んだのは彼の作品の実際の大きさとそれぞれの作品の質感を確かめたかったから。

だが、それ以外の作品はといえば、個々のものはそれぞれ興味深かったのだけど、残念ながら展示作品の点数が限られていて、その少ない点数を「二条城」という別の作品で補っている展覧会という感じだ。 

ところで建物の中には靴を脱いで上がるわけだが、展示作品を見ていた連れが会場スタッフに声を掛けられた。

ストッキングと裸足はダメで、スリッパを履いてもらうことになっていると言う。彼女がチケットを購入したホームページの注意書きにはそうした文言はなかったと返したら、先ほどチケット窓口でそう伝えてあるはずだと言う。

チケット窓口に並んだのは僕だから、ストッキングのことなんか言われても当然ながら知った事じゃない。右から左だ。 

これは、建物のなかでは帽子を取ってくれ、というような事とは違う。ストッキングがダメなら靴下を履いてくるように事前にサイトで注意を促しておくべきだが、そうしたことがなされてなかった。

結局、建物からいったん出て、外に設えられた売店でスリッパを買わされることになった。これはやり方が間違っている。万が一、ストッキングの女性に対してスリッパを履くことを求めるのであれば運営側が用意したものをそこで差し出すべき。主催者の極めてお粗末な運営をうかがわせた。 

展覧会のあとは、キーファーの作品からふと連想した銀閣寺を訪ねた。断続的に雨が降り続いていたが、そのためか思ったほどの人はおらず、広い境内をゆっくり回ることができたのが良かった。

雨に濡れた緑のなかの観音殿(銀閣)

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。

 

2025-06-07

原発を東京に

東電旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟の判決で、東京高裁はかつての経営者4人に対し13兆円強の賠償を命じた東京地裁の1審判決を完全に翻し、無実とした。 

ポイントは、津波を予見できたか否かの判断であり、その元となった国が行った地震予測の長期評価をどう扱うかだった。

東日本大震災の9年前に国の機関が公表した地震予測「長期評価」では、三陸沖から房総に至る地域でマグニチュード8.2級の大地震が発生する可能性があると言及されていた。

そして、地震が起こった場合、福島第1原発は最16メートルの高さの津波に襲われると東電は計算していた。実際に東日本大震災が起こる3年前、2008年のことだ。

しかし、東電の当時の経営者らは対応策を施さなかった。なぜか? 「そんなもん、めったなことじゃ起こるはずない」という希望的観測だ。あるいは「自分が在任中に起こらなきゃ構わない」といった経営者の考えがなかったと言えるか。

国の機関による地震予測に対応する対策を東電がとっていれば、最悪の事態は防げたのが今になれば残念でならない。

結果、2011年に大地震と大津波が発生し、冷却水を取るために海岸沿いに設置された福島の原発が爆発したのである。

事故の発生リスクを知っていながら策をとらなかった。これは明らかに経営ミスであり、それゆえに1審の東京地裁はその責任を認めた。

ところが、東京高裁は一転無実とした。地震発生の長期評価の信頼性が不十分だと結論づけたからである。裁判官は科学者でもないのに。

地震発生について、その規模やタイミングを完璧に予測することはできない。当時も今も、おそらく将来的にもそうだろう。

だが、それは当時のトップレベルの専門家がまとめた見解だった。無視していいことにはならない。無視するのであれば、そもそも国の機関によるそうした報告書自体がまったく無意味ということだ。

高裁の木納敏和裁判長は、評価委員会の結果を信頼できないものであって、対応を取らなかった東電の経営者が言った「巨大津波は想定外だった」という言い訳を丸呑みしたわけだ。

ちなみに、東電の勝俣は原発事故の7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理」と回答していた。津波が想定外だった、なんての嘘で、金がかかるからやんないとはっきり明言していたのにね。 

リスクといっても、もしそれが発生した場合、企業の売上が減少するとかの話ではない。万一それが発生した場合、多くの人命が失われ、その地域も国全体も長年にわたって被災し続けることは分かっていたはずだ。にもかかわらず、4人の経営者はリスクを看過した。 

世界を震撼させた東電福島第1原発の爆発事故からまだ14年しかたっていないのに、国は「原発回帰」に舵を切った。今回の東京高裁の判決は、まさにそれを忖度し支持するものである。 


そもそも、原子力発電がかかえるリスクを電力会社の経営者が知らないはずはない。だからこそ、原発は電力需要が最大の東京ではなく地方の福島や新潟、大阪ではなく福井や石川に置かれている。

私たちも原発のリスクを過小評価しすぎ。たとえそのことを分かっていても、すぐ忘れるし。理性的に考え続けるのはたいへんなのだ。 


1986年に出版された広瀬隆の本では、すでに放射性廃棄物の問題が詳細に取り上げられていたが、基本的なところで解決は今もなんら図られていない。