今年15回目になる大倉山ドキュメンタリー映画祭の最初の上映作品は「夢見る小学校」だった。
登場する小学校「きのくに子ども村学園」は、テストも宿題も通知表もない。先生もいない(らしい)。
ちょっとびっくり。でもちゃんとした小学校だ。
映画のなかに映る子どもたちは驚くほど自由で活発。もともと疲れを知らないんだから、やりたいことさえあれば、それに夢中になれるのが子どもたちの特権だ。
いつの間にかこんな学校ができたのではない。自由を最優先に、子どもたちがのびのびと楽しめる場(学校)を作ろうと考え、それを地道に実行した大人がいてできた。
とにかく自由。責任がともなわない、完全な自由だ。責任はオトナが取る。だから、子どもたちは自分が何をやりたいのかをみずから考え、見つけ、頭と体をめいっぱい使って毎日を過ごす。
一方で、それができない子には辛い場所かも知れない。先生からあれをやりなさい、これをやりなさいと言われてやっているほうがよっぽど楽だから。
だから、この学校はすべての子どもたちの場ではない。そうある必要もない。だが、こうした学校がもっとたくさんあってもいい。
映画のなかに「卒業を祝う会」の様子が映し出される。「卒業式」ではないのがいい。卒業式になっちゃうと、先生(学校)が主体となって事が決められ、式次第がそこにあって、それに子どもたちが合わせるだけになるから。
体育館に集まった卒業生たち、てんでバラバラに並んでいる。普通だったらクラスごと一列に並ばされるけど、この学校ではそんな集まり方はしない。一列に並んだら「前が見えないでしょ」だって。
昨日、今年のセンバツ高校野球の開会式があった。ニュースでその選手入場の風景を見たけど、さっきの小学校とまったく対照的。
こちらは全員が丸坊主。ユニフォームに身を固め、ブラスバンドの音楽に合わせて整然と手を振り足を上げて進む。
まるで軍隊の行進だ。主催の高野連、毎日新聞、後援の朝日新聞など、運営している人たちは、こうした光景を見てて何も違和感を感じないのだろうか。
昔からこうだからと言っても、だとしたら感覚が麻痺してる。