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2025-07-02

ルノワール

映画「ルノワール」の主人公は11歳の少女。時は1980年代後半。主な登場人物はその少女フキ(変わった名前だ)とその母と父。

父親(リリー・フランキー)は闘病中で入院している。医師から余命宣告は受けていないが、入院先の出す薬を自分で調べて自分がガンだと知っていて、死ぬ覚悟はもう気持ちのなかでほぼできている。母親(石田ひかり)は仕事と家事、それにフキの世話に追われて神経が尖っている。

そうした家族環境の中での少女のある夏が、いくつかのエピソードをパズルのように組み合わせながら展開していく。

ぼくには11歳の少女の気持ちを想像することや、彼女の周りに起こるだろう日々の出来事を思い浮かべることはたやすいことではないけど、それにしても映画の中で起こる事件のような出来事はまるでスペインのファンタジー映画を観ているような印象だった。

そんななか、一つだけ日本的というか土着感を感じたのは、入院している父親が病院を抜け出して自宅のアパートに帰り、寝室の扉を開けると、そこに女物の喪服が衣紋掛けに駆けられていたシーン。

ゾッとするとともに、これってあるかな〜? えっ? なに? あるんだ。

早川千絵監督の「PLAN 75」はテーマがストレートで、いかにも(良くも悪くも)新人監督のメジャーデビュー作といったものだったが、「ルノワール」は難しい。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_17.html 

11歳だという少女の気持ちの変化や波打つ感情を、もう推測できなくなっているからかもしれない。 

2025-06-14

Anselm Kiefer + 二条城

昨年日本で公開された「アンゼルム 傷ついた世界の芸術家」は、戦後ドイツを代表する芸術家であるアンゼルム・キーファーを主人公とした、ヴィム・ヴェンダース監督によるドキュメンタリー映画だった。

1945年、第二次大戦のさなか、実家が爆撃された日に生まれたという。今年80歳になるこの芸術家を僕はその映画を観るまで知らなかった。

この映画で一番印象に残っているのは、パリの郊外にあるという彼のアトリエ。まるでジャンボ・ジェット機の格納庫を思わせるような巨大な空間におびただしい数の作品が収納されいて、キーファーがそのなかを自転車で悠然と動き回るシーンがおもしろかった。

ヴィム・ヴェンダースが製作した映画ということもあり、以降、キーファーにも興味を持っていたところ、京都の二条城で彼の展覧会が開催されていることを知った。

 
会場に足を踏み入れて、まず最初に目に飛び込んできたのは、彼の代表作の一つである「ラー」と名付けられた例の翼だ。

二条城の空間に不思議とマッチしている

ほぼ想像していた通りの大きさに嬉しくなる。今回、展覧会に足を運んだのは彼の作品の実際の大きさとそれぞれの作品の質感を確かめたかったから。

だが、それ以外の作品はといえば、個々のものはそれぞれ興味深かったのだけど、残念ながら展示作品の点数が限られていて、その少ない点数を「二条城」という別の作品で補っている展覧会という感じだ。 

ところで今回、展示を見るために二条城のかつて台所だった建物の中に靴を脱いで上がるのだ、展示作品を見ていた連れが会場スタッフに声を掛けられた。

ストッキングと裸足はダメで、スリッパを履いてくれという。チケットを購入したホームページの注意事項にはそうした文言はなかったと返したら、先ほどチケット窓口でそう伝えてあるはずだと。

チケット窓口に並んだのは僕だから、ストッキングのことなんか言われても当然ながら知った事じゃない。右から左だ。 

これは、建物のなかでは帽子を取ってくれ、というような事とは違う。ストッキングがダメなら靴下を履いてくるように事前にサイトで注意を促しておくべきだが、そうしたことがなされてなかった。

結局、建物からいったん外に出て、別に設えられた売店でスリッパを買わされることになった。

これはやり方が間違っている。万が一、ストッキングの女性に対してスリッパを履くことを求めるのであれば運営側が用意したものをそこで差し出すべきである。主催者の極めてお粗末な運営をうかがわせた。 

展覧会のあとは、キーファーの作品からふと連想した銀閣寺を訪ねた。断続的に雨が降り続いていたがそのためか思ったほど人はおらず、広い境内のなかをゆっくり回ることができたのが良かった。

雨に濡れた緑のなかの観音殿(銀閣)

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。


2025-06-07

原発を東京に

東電旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟の判決で、東京高裁はかつての経営者4人に対し13兆円強の賠償を命じた東京地裁の1審判決を完全に翻し、無実とした。 

ポイントは、津波を予見できたか否かの判断であり、その元となった国が行った地震予測の長期評価をどう扱うかだった。

東日本大震災の9年前に国の機関が公表した地震予測「長期評価」では、三陸沖から房総に至る地域でマグニチュード8.2級の大地震が発生する可能性があると言及されていた。

そして、地震が起こった場合、福島第1原発は最16メートルの高さの津波に襲われると東電は計算していた。実際に東日本大震災が起こる3年前、2008年のことだ。

しかし、東電の当時の経営者らは対応策を施さなかった。なぜか? 「そんなもん、めったなことじゃ起こるはずない」という希望的観測だ。あるいは「自分が在任中に起こらなきゃ構わない」といった経営者の考えがなかったと言えるか。

国の機関による地震予測に対応する対策を東電がとっていれば、最悪の事態は防げたのが今になれば残念でならない。

結果、2011年に大地震と大津波が発生し、冷却水を取るために海岸沿いに設置された福島の原発が爆発したのである。

事故の発生リスクを知っていながら策をとらなかった。これは明らかに経営ミスであり、それゆえに1審の東京地裁はその責任を認めた。

ところが、東京高裁は一転無実とした。地震発生の長期評価の信頼性が不十分だと結論づけたからである。裁判官は科学者でもないのに。

地震発生について、その規模やタイミングを完璧に予測することはできない。当時も今も、おそらく将来的にもそうだろう。

だが、それは当時のトップレベルの専門家がまとめた見解だった。無視していいことにはならない。無視するのであれば、そもそも国の機関によるそうした報告書自体がまったく無意味ということだ。

高裁の木納敏和裁判長は、評価委員会の結果を信頼できないものであって、対応を取らなかった東電の経営者が言った「巨大津波は想定外だった」という言い訳を丸呑みしたわけだ。

ちなみに、東電の勝俣は原発事故の7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理」と回答していた。津波が想定外だった、なんての噓っぱちで、金がかかるからやんないとはっきり明言していたじゃないか。 

リスクといっても、もしそれが発生した場合、企業の売上が減少するとかの話ではない。万一それが発生した場合、多くの人命が失われ、その地域も国全体も長年にわたって被災し続けることは分かっていたはずだ。にもかかわらず、4人の経営者はリスクを看過した。 

世界を震撼させた東電福島第1原発の爆発事故からまだ14年しかたっていないのに、国は「原発回帰」に舵を切った。今回の東京高裁の判決は、まさにそれを忖度し支持するものである。 


そもそも、原子力発電がかかえるリスクを電力会社の経営者が知らないはずはない。だからこそ、原発は電力需要が最大の東京ではなく地方の福島や新潟、大阪ではなく福井や石川に置かれている。

私たちも原発のリスクを過小評価しすぎ。たとえそのことを分かっていても、すぐ忘れるし。理性的に考え続けるのはたいへんなのだ。 

2025-05-23

地方自治と二元代表性について考える

ポレポレ東中野で「能登デモクラシー」を観て、自分が生まれ育ったちいさな町を思い出していた。高校を卒業してすぐそこを出てしまったので、実際にその町の行政や議会の中味が分かっていたわけではないが、なぜか「似てる」と感じたのである。

住んでた人たちの考え方や雰囲気が共通していた。典型的な地方の保守的な田舎町。役所の人間がなぜか分からないが偉そうにしていた。高校生から見ても理不尽なことが多く、不愉快だった。

今年のはじめ、ある新聞で同郷の漫画家の一条ゆかりが、その町についてこう書いていた。

この場所から逃げ出したいと思っていた。噂好きで、人と違うことをする人間を嫌う。何かについて「女だからダメ」と言う。そんな人の多い田舎が大嫌いだった。 

彼女は僕より10歳ほど上だが、これを紙面で読んだとき、古い地元の仲間に会ったような気がした。

「能登デモクラシー」の舞台である穴水町は人口約7千人の小さな町。高齢化だけでなく、その高齢者の数も年々減少している。消滅が想定される町のひとつだ。

そんな町で、いや、そんな町だからか、代々の町長らは自分の利益のためのやりたい放題。 にもかかわらず、町議会の監視機能がまったく働いてない。行政と議会のあいだには惰性と忖度の関係しかない。

だが、それはこの町特有のものではない。僕の生まれた町も、あの町も、日本のどの町も似たようなものだ。その意味で、映画で描かれている穴水町は「日本の縮図」という言葉がぴったりくる。 

カメラが捉えるのは、地元の80歳の男性とその家族。「このままでは町がなくなる」「何もしなければ、何も変わらない」と語り、手書きの新聞を発行しながら町の未来に警鐘を鳴らす。少しずつ理解者がふえてくるのが救いである。

この映画の監督は、地方局である石川テレビのディレクター。彼が、もとは地上波の番組として制作したものがベースになっている。

地方にあるメディアの矜恃というか、意地のようなものを感じる。今では多くの地方メディアがその存在感をなくしているなか、まだまだ頑張っているメディア人がいることが分かり少し嬉しい。 

2025-05-16

映画「リー・ミラー」

ケイト・ウィンスレットが『タイタニック』で世界的に知られたのは、彼女が22歳の時。それから27年。

映画の冒頭、雑誌「ヴォーグ」の元モデル、カバーガールとして一世を風靡し、その後「撮られる側」から「撮る側」に移った写真家リー・ミラーに扮するウィンスレットが、胸をはだけた姿で知り合いたちと寛ぐ姿が映る。

『タイタニック』で見せた裸体に比べれば、スタイルはかなり変わった。仕方のないことだ。それより、49歳とは思えないいい形の胸を惜しげなく晒すところに、彼女の覚悟のようなものを感じた。ウィンスレットは8年かけて、リー・ミラーについてリサーチしたという。


ミラーは従軍カメラマンとして第二次世界大戦の欧州戦線に赴き、数々のセンセーショナルな写真をものにした。大胆不敵な発想と行動。直情径行な性格でありながら、周囲への、特に虐げられる者への共感の眼差しを持つ複雑さ。とても魅力的だ。 

ヒトラーが自殺し、終戦が間近になった頃、彼女はナチス強制収容所で目を覆わんばかりのホロコーストの悲惨な姿をカメラに収める。しかし、その多くは世の中には出なかった。インターネットなどない時代だ。編集者の判断で新聞や雑誌に写真が掲載されなければ、それらを人々が目にすることはない。

世の中が求めたのは、戦争の終わりと連合軍側が勝利したことを人々に伝える「希望に満ちた」写真や報道だったわけだ。それに強く苛立つミラー。

彼女はかつて、モデルやセレブリティとして輝くような光の中で生きていた。だからこそか、写真家となった彼女を引きつけたのは、人や世界の影の部分だった。

劇中、彼女が使っていたローライフレックスのカメラが気になった。カメラを顔の前に構えるのではなく、腰のレベルで構えて上からファインダーを覗いてピントやアングルを決める。そのあとは、被写体と普通に顔を合わせたままシャッターを押せるのがいい。

 
ナレーション:ケイト・ウィンスレット

2025-03-19

自由を最優先に考えれば、学校はこんなにおもしろい

今年15回目になる大倉山ドキュメンタリー映画祭の最初の上映作品は「夢みる小学校」だった。

映画に登場する小学校「きのくに子ども村学園」は、テストも宿題も通知表もない。先生もいない(らしい)。

ちょっとびっくり。でもちゃんとした小学校だ。


映画のなかに映る子どもたちは驚くほど自由で活発。子どもたちはもともと疲れを知らないんだから、やりたいことさえあれば、それに夢中になれるのが彼らの特権だ。

いつの間にかこんな学校ができたのではない。自由を最優先に、子どもたちがのびのびと楽しめる場(学校)を作ろうと考え、それを地道に実行した大人がいてできた。

とにかく自由。責任がともなわない、完全な自由だ。責任はオトナが取る。だから、子どもたちは自分が何をやりたいのかをみずから考え、見つけ、頭と体をめいっぱい使って毎日を過ごす。

一方で、それができない子には辛い場所かも知れない。先生からあれをやりなさい、これをやりなさいと言われてやっているほうがよっぽど楽だから。

だから、この学校はすべての子どもたちの場ではない。そうある必要もない。だが、こうした学校がもっとたくさんあってもいい。 

映画のなかに「卒業を祝う会」の様子が映し出される。「卒業式」ではないのがいい。卒業式になっちゃうと、先生(学校)が主体となってもの事が決められ、式次第がそこにあって、それに子どもたちが合わせるだけになるから。

体育館に集まった卒業生たち、てんでバラバラに並んでいる。普通だったらクラスごと一列に並ばされるけど、この学校ではそんな集まり方はしない。<前へならえ>で一列に並んだら「前が見えないでしょ」だって。ははは、そのとおりだ。

昨日、今年のセンバツ高校野球の開会式があった。ニュースでその選手入場の風景を見たけど、さっきの小学校とまったく対照的で別の意味で驚かされた。

こちらは全員が丸坊主。ユニフォームに身を固め、ブラスバンドの音楽に合わせてイチニ、イチニと整然と手を振り足を上げて進む。


まるで軍隊の行進だ。

大会を主催している高野連、毎日新聞、後援の朝日新聞など、運営している大人たちは、こうした光景を毎年見てて何も感じないのだろうか。 

だとしたら感覚が麻痺してる。

2025-03-18

映画「生きて、生きて、生きろ。」

近くの大倉山記念館で映画「生きて、生きて、生きろ。」を見る機会があった。
https://ndn-news.co.jp/dvd/4478/

東日本大震災と東電の福島原発事故に遭遇した人たちの中には、遅発性PTSDと呼ばれる精神疾患に苦しむ人たちが多い。

家族を震災でなくし、自分だけが生き残ったことを許せないと悩む人。転々と移動させられる避難所生活によって心を病んで家族が自殺してしまった人。ふるさとを追われ、それまでの日常を消し去られて急速に痴呆症が発症した配偶者を見守る人。

泣くに泣けない人たちばかりである。いずれもやり場のない無念さに、胸をかきむしられる。

誰だ、原発は安全だから問題ないと言い放ち、放射性廃棄物の処理もままならないのにそれを推し進めた奴は。誰だ、原発の建屋に達するような津波など来ることはないと住民に平然とウソをついた奴は。

自己の利益と保身だけをつねに最優先する連中は、自分たちは安全地帯にいて、アブないもの、汚いものはいつだって貧しい地方に持って行く。人々の働く場所が限られ、財政が乏しく必要なインフラすら整っていないような村を狙い、補助金という餌と甘言で絡め取る。

そして今また、政府は政策方針を転換し、原発の新増設などを言い始めている。


2024-09-23

映画「本日公休」

台湾映画「本日公休」の主人公は、台中の街で40年にわたり常連客の髪を切ってきた理髪店の女店主。自分に技術を教えてくれ、かつては一緒に店を切り盛りしていた夫はなくなり、一人で店をやっている。

3人の子供たちはそれなりに独立したが、まだいずれも地に足が付いていない感じだ。

娘からこんな時代遅れの店はやめた方がいいと言われても、彼女はいつもの常連客の頭にいつものようにハサミを入れる。変わっていく台湾の社会。世界のどこにでもあるジェネレーション・ギャップ。だけど、台中の街の風景には、「いつもの」暮らしと人間関係が染みついていて、それが実によく似合っているように思える。

彼女は、毎月離れた街から髪を切りに来てくれていた古くからの馴染みの客が床に伏していることを知り、めったに運転しない古い車でその町へ向かう・・・。

やっとのことでたどり着いたその家で、会いたかった古くの客である老人は息を引き取っていた。彼女は横たわる彼の髪を切り、整え、ヒゲをあたり、最後の理髪を行う。

彼女は、いつもの店で、いつもの客といつものように語らいながら、いつものように髪を切る。そのことで相手を知り、関係を自然と作るなかで自分の仕事や生きている意味を感じていたのだろう。自分がどこで生きているのか、自分は誰か、何をすべきかもよく分かって生きている。

本作では、それが決して頑迷さということではなく、ただゆるぎない一人の生き方として自然なものとして描かれていた。そこはかとないペーソスを秘めた佳作である。

2024-03-13

映画「オッペンハイマー」

96回目になるアカデミー賞では、「オッペンハイマー」が作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、編集賞、撮影賞、作曲賞の7部門で受賞した。

 
原爆の開発責任者だったJ・ロバート・オッペンハイマーについて描いた作品である。僕は先月、この映画を2回観た。飛行機の中、行きと帰りだ。他に観たいものがなかったからだけど。

さて、昨年7月に米国などで公開されたこの作品は、まだ日本では公開されていない。原子爆弾の本質、原爆でのヒロシマ、ナガサキでの被害や被災者の姿などがきちんと描かれていない、という批判がすでに多く寄せられていることがその理由の1つだ。

日本人の一般感情としてそれは分かるが、この映画はそれを目的に作られたものではない。「ゴジラ」とは違う。

焦点は原爆そのものではなく、その開発の中心人物で原爆の父と呼ばれた(呼ばれてしまった)人物の思いや葛藤が中心のストーリーだ。映画として世界中に配給され、商業的に成功するものをと考えたならそうなる。しかたない。だから、日本人がこの映画に「NHKスペシャル」のような作りを期待したら間違っている。

映画で描かれた原爆の「向こう側」にいたわれわれ日本人が考えるべきこと。それは、この映画がヒロシマ、ナガサキの被災者の状況をきちんと描いていないことに対して不満を募らせることではなく、なぜ原爆の投下を相手に許してしまったのか、なぜそれを止められなかったのか、つまり大戦の負けを認めるべきタイミングでそうした対応(降参)を国の中枢部が決められなかったのかだ。

僕は米国による日本への原爆投下を認めているのではない。しかし、もし日本が原爆を大戦中に先に開発していたなら、日本の軍部は間違いなくそれを敵国に対して使用していただろうこと、そして、そうした戦争にともなう開発競争のなかで、大局的にどのように国民と国を守っていくかという考えが、日本の中枢部には決定的に欠けていたことは確かである。

2023-12-23

映画 PERFECT DAYS

「ベルリン・天使の詩」「パリ・テキサス」「アメリカの友人」「ハメット」などの沁みる映画を数々撮ってきたヴィム・ヴェンダースが日本で、日本人キャストで制作した新作が「PERFECT DAYS」である。

主演は役所広司。寡黙な少しミステリアスな男を演じている。役作りだろうか、頬がいくぶんこけ、頬骨が浮き出ていて減量のあとが窺える。映画の中であまり喋らない。とくに最初の30分で喋ったのは、いつも行く銭湯の入口でそこの主人に軽く挨拶した一言だけだった。つまり、映画のシナリオのあたま四分の一は台詞なしだったということだろう。

この映画のもう一つの主人公が、東京の公共トイレ。普通のトイレじゃない、登場するのは謂わばDT(デザイナーズ・トイレ)だ。人が中にいないときには透明で中がみえる透明トイレを設計した坂茂の作品(?)をはじめ、槇文彦、安藤忠雄、片山正通など著名な建築家やインテリア・デザイナーの手になるトイレが登場する。役所が演じる平山は、それら公共トイレの清掃を仕事とする男である。この映画は、TOILET DAYSでもある。

小道具がなかなか渋い。平山が聞く音楽は、ミュージック・カセットだ。早朝、仕事先に向かうダイハツの軽バンでかけるカセットから流れる最初の曲はアニマルズの「朝日のあたる家」。それ以外にオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」やヴァン・モリソンの「Brown Eyed Girl」、パティ・スミスの曲なんかもカセットから流れてきた。ちょっと狙いすぎという感じも。

主人公が毎晩、寝しなに床で手に取る本(すべて古本屋で買った文庫本)はウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミス(「アメリカの友人」の原作者だ)。これもいい感じ。

そうしたなかで僕が一番気に入った場面は、主人公の平山が週末だけ行く近くのスナック。石川さゆりがママを演じていた。平山は彼女に気がある。彼女も彼にまんざらではない様子。その店のなかで、彼女が客(あがた森魚!)のギターで「朝日のあたる家」を歌うシーンがいい。日本語バージョンのこの曲を初めて聴いた。新鮮な印象。演歌だ。すごくいい。

映画の中では、平山の目とカメラの両方を通して木漏れ日が描かれる。何度も、何度も。その一瞬のきらめきや儚さを通して、移りゆく自然と揺れる人の気持ちを表しているのだろうか。彼が隅田川の川縁で、三浦友和演じるスナックのママの元夫と「影踏み」に興ずるシーンもそこに通じている。そうした光と影、陰影の使い方がヴィム・ヴェンダースらしいが、黒澤の「羅生門」を連想させもした。

日本映画の巨匠とのつながりで言えば、ヴェンダースが小津安二郎の信奉者で、そして舞台が東京、主人公が初老の男性、だからといってこの映画に小津の影を無理矢理に見る必要はないと思う。評論家の先生たちの多くは、映画通らしくそのあたりをみな強調しているが。

映画の終盤、彼の妹がアパートを訪ねてくる。そこから、彼が実は鎌倉に住むかなりの資産家の人間であり、父親との相克から家を継がずに出て行って今に至っているらしいことが分かる。主人公が寡黙で、自らを表に出そうとしない所以はそこにあった。表と裏、光と影、象徴としての木漏れ日の光の揺らめきがつながってくる。

ギリシャの唯物論哲学者エピクロスは、「隠れて、生きよ」(断片 その二86)と書いた断片を残したが、これは姿を世間から消すとか隠遁することではなく、自らの心の中の幸せと平穏だけを求める生き方のこと。

エピクロスが別の断片で残した「 幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなく、悩みのないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こうしたことに属するのである」(断片 その二85)という生き方であり、本作で役所が演じた平山の生き方そのものである。あるいは、エリック・ホッファー的ホーボー的生き方といってもよい。

映画のタイトルのもとになっているのは、ルー・リードのPERFECT DAY。この曲は、デュラン・デュランなんかもカバーしていた。

2023-12-10

確かに壮大ではある「ナポレオン」

この映画を観ていると、ホアキン・フェニックスがそのままナポレオンに思えてくる。もう彼以外にナポレオンはいないほどに。それほどまでにフェニックスの見せる造形は深く、見る者をその世界に引き込む。

映画「ナポレオン」は、86歳のリドリー・スコットがおそらく長きにわたってその製作を構想していたに違いない一作。

金のかけ方が半端ではない。それもCGとかそういった先端技術への金のかけ方ではなく、もちろんそうしたシーンもかなりあるが、驚かされるのはエキストラの数とその質である。そこには登場する多数の見事な馬たちも当然含まれる。

むしろ今ならCGでやれば何でもできるものを、広大なセットと同時撮影する何台ものカメラ、それを扱う撮影スタッフ、演出の行き届いたエキストラたちと訓練された馬たちで戦闘シーンを描く監督の力量だ。

物語としては、フランス人兵士たちが全員英語をしゃべるのが観ている途中で気になって、気になって。あまりに自然で見事な英語だからなおさら。その瞬間、やはり映画、絵空事、との思いが頭をよぎったのが残念というか、もったいない。

個人的には、同監督の作品でいえば「グラディエーター」の方が没入感も陶酔感も優っている。なぜだろうと考えた。それは、先にも書いたホアキン・フェニックスのナポレオンではなく、この映画の中で描かれた彼の妻、ジョセフィーヌの役柄と存在へ感じた違和感のような気がする。

2023-11-14

アメリカでも、パレスチナの地でも

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、1920頃のアメリカ、オクラホマ州を舞台にした史実に基づいた映画だ。監督はマーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロやレオナルド・デカプリオが主演している。

 
石油が湧き出た土地を保有する先住民族から、白人たちがどうやってその土地と利権を奪い取ろうとしたかが描かれている。白人にももちろんいい奴そうではない奴がいるわけだが、これも今に通じるとおり、権力を握った連中は間違いなく後者だ。

スコセッシらしく、怯むことなく、また衒いなくアメリカの暗部を描き出す。デカプリオの叔父役で、オクラホマの地方名士を演じるデ・ニーロの底冷えのする悪辣さが際立っている。

ネイティブ・アメリカンであるオーセージ族の女性を演じたリリー・グラッドストーンはオスカーを獲るだろう。

2023-11-13

老兵は死なず

映画「SISU」は、不死身の男と呼ばれた老兵を主人公にしたフィンランドの活劇だ。時は第二次世界大戦の末期、北欧ラップランドの地で彼はナチスの一群と対決する。

 
彼に武器は無い、手にするのはツルハシとナイフ。戦いの仲間はいない、一緒にいるのは愛犬1匹。彼は何も喋らない、自らの知恵と経験と不屈の体力でドイツ軍の戦車や飛行機に立ち向かう。

スタローンが演じた「ランボー」は、弓とナイフで戦った。「ダイハード」のジョン・マクレーンはロサンゼルス市警らしく拳銃で敵を倒す。一方、 一人で金塊探しをしていたこの老人は穴掘りに使っていたツルハシで敵を倒していく。その豪快さと爽快さ。荒唐無稽と嗤うなかれ。

2023-09-05

年寄りはメチャクチャなくらいがちょうどいい

現在公開中の『春に散る』は、沢木耕太郎の新聞小説を原作にした映画。

実は映画を見てから、原作の小説を手に取った。書棚の片隅に置いていたその本は2017年発行の初版本だった。

映画では初老の元ボクサーを演じる佐藤浩市の年齢は、おおよそのそれは推測できるがはっきりとは明らかにされていない。佐藤本人は63歳なので、それくらいかという印象だった。

小説で描かれた主人公、広岡は26歳で日本を出て米国に渡り、40年ぶりに初めて帰国したということなので66歳に設定されていた。66歳、微妙は年齢である。一昔前なら、もう現役の第一線から退いた引退者の一角を占めているわけだが、いまはどうなんだろう。

映画の中で印象的だった、佐藤浩市演じる元ウェルター級のボクサー広岡仁一が、若いボクサーの黒木に向けて放つ台詞がある。黒木から「言ってることがメチャクチャじゃねえか!」と言われ、広岡は「年寄りはメチャクチャなんだよ」と返す。この台詞は、沢木の原作には書かれていない。

前言を翻すといったことではなく、「今」を生きる感覚で、理屈ではなく直感的に判断をすると、そうなるのである。

世間の若い連中には理屈に従って秩序正しく真面目に生きてほしいが、俺たち年寄り(都合がいいときはそう言っておく)は好き勝手言って、好き勝手やって、メチャクチャなくらいがちょうどいいのである。

「春に散る」は、もうひとつの「あしたのジョー」だ。

2023-03-17

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

このタイトルがいい、思い切りがいい。どうだ、という製作者の声が聞こえてくる。

本年度のアカデミー賞で作品賞をはじめ7部門でオスカーを受賞した。コインランドリーからマルチバースまで。白人らが演じたのではただのマンガ。登場人物がアジア系ぞろいだから成立している。

主演女優賞はミッシェル・ヨーが、そして助演男優賞は中国系ベトナム人で難民だったキー・ホイ・クアンが受賞した。クアンは「私の旅はボートで始まった。難民キャンプで1年過ごし、なぜかハリウッド最大の舞台にたどりついた。そんなの映画でしか起こらないと言われるが、信じられないことに私に起こった。アメリカン・ドリームだ」と受賞式で語った。

感動的なスピーチであるが、僕は「アメリカン・ドリーム」とは思わない。運営者側が、いまそれが相応しいと考えた「アメリカン・デシジョン」だからだ。

何ごともタイミング。それを象徴する出来事のひとつである。

ミッシェル・ヨーの見事な上腕二頭筋も表彰したい

2023-03-12

『逆転のトライアングル』

リューベン・オルストン監督の『逆転のトライアングル』には、自由奔放な意地悪さが溢れている。本年度のアカデミー賞作品賞の候補作のひとつである。

原題は「Triangle of Sadness」。額の眉間の皺がよった箇所をしめす美容・ファッション業界の用語らしい。日本語にすると「悲しみのトライアングル」か。もってまわった大仰なこの言い回しを映画タイトルに据えたところが、オルストンの意地悪さの第一歩 。

 
主人公のカップル、カールとヤヤはファッションモデルの男女で、上っ面の見せかけだけを飾った中身が限りなく空虚な世界を象徴する。

物語の展開は、パート1から3までの3幕で繰り広げられる。それぞれが「起」「承」「転」であり、最後の3分ほどで「結」をなす。パート1は主人公ふたりについてのこと、パート2は豪華客船に乗り合わせた大富豪などの俗物らと船上でのエピソード。パート3では、船が海賊に襲われ爆破され、カールとヤヤほか数名が無人島に流れ着いたあとの逆転劇となる。

映画は、登場人物のロシアの大富豪(オルガルヒ)や、武器製造会社のオーナーでこれまた大金持ちの英国人夫婦などを底意地悪くからかい、嘲っている。ここで彼らを笑うか、またどう笑うかで観ている方が試される。

最後の3分。ハッとさせられる。この展開はどこかで見たことがあるなと思ったら、1968年公開のフランクリン・シャフナー監督の「猿の惑星」(Planet of the Apes)だと気づいた。

監督のオルストンは、それをやりたくてこの映画を作ったんじゃないのかね。

この作品、笑える話題作ではあるが、作品賞はなさそう。

2023-02-14

チョコレートな日

「間違ったら、溶かして作り直せばいい」「温めれば、またやり直せる」。宮本信子さんの抑制のきいたナレーションが、劇中で何度も繰り返される。まるでチョコレートは人生のようだ。

ドキュメンタリー映画『チョコレートな人々』の舞台は、愛知県豊橋市にある「久遠(QUON)チョコレート」。登場するのは代表の夏目浩次さん。このチョコレート店の開業者であり、経営者である。

バリアフリー建築を学んでいた学生時代に、障がい者の平均月収(工賃)が1万円しかないことを知り、障がい者雇用の促進と低賃金からの脱却を目指してパン屋を開設した。が、うまくいかなかった。いいパンを作るのは、難しい。パン作りは、その最後の製造工程でミスをすればもう売り物にならず、その日店頭で売れ残った商品は廃棄処分するしかない。

身をもってこうした経験をした夏目さん、めげずに<じゃ、どうすればいいか>を真剣に考えた。行き着いたひとつのアイデアが、チョコレートだった。チョコレート作りが簡単とは言わないが、よい原料を使い、丁寧に手順通り作ればばおいしいチョコはできる。しかも、溶かせばやり直せる。

一流のショコラティエである野口和男さんの協力を得て商品作りをしたのも、夏目さんのパン屋失敗の経験からだろう。そして、メインの商品は、テリーヌ風のチョコレート。ナッツやフルーツが入っていて、見た目がきれいで愉しい。一枚ずつ手切りにされた色とりどりのテリーヌ・チョコは、一枚一枚見た目が違う。その個性は、そこで働く人たちを象徴しているかのよう。  

もともと東海テレビの番組として制作された。それが劇場用映画として編集し直されたおかげで、日本中の人がこうして観られる。同テレビ局の制作による「人生フルーツ」や「さよならテレビ」と同じスタイルだ。準キー局の民放テレビ局のなかにも、まだ志とチカラのある制作陣がいるのがうれしい。

このドキュメンタリー映画は、障がい者について知り、考えるきっかけを与えてくれる。が、それだけじゃない。「働くこと」ってどういうことなのか、否が応でも考えさせられる。

とりわけ考えさせられる、いや、突きつけられるのは、映画の終わりでの夏目さんの言葉だ。障がい者の人たちとともに日々苦悩しながら闘っている彼は、「経済人たちから、頑張ってるね、とよく言われるが、頑張ってるねと言うのは所詮他人事だからなんです」と語る。

「大変だね」「頑張ってるね」というのは確かにエンパシー(共感)を示す言葉だけど、それを言い訳にわれわれは逃げていないか、安心していないか。優しそうな夏目さんの、その言葉の切っ先は鋭く、観ているこちらにも向かってくる。

前面には出てこないが、経営に行き詰まり、何枚ものカードローンを組んでまで頑張った夏目さんをずっと後ろで支えた、彼の奥さんも凄いと思う。

2023-02-12

誰もがどこかで聞いたあのメロディー

フェリーニの映画にニーノ・ロータの音楽が不可欠だったように、セルジオ・レオーネの作品にはエンリコ・モリコーネが書いた音楽が欠かせなかった。代表作は「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」など。

もちろんそれだけではない。あの「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ)や「アンタッチャブル」(ブライアン・デ・パルマ)など、映画とテレビのための音楽だけで500作を超える。脂が乗っていた41歳の時には、1年間に21本の映画の仕事をしているというから驚く。才気煥発、溢れる才能とでも言おうか。

 
6歳の頃に、トランペット奏者だった父からトランペットを教わり始めた。小学校を終えた後、父親の命で音楽院に入学し、その後音楽家として生きていくようになる。小学生の時の同級生がのちに映画監督となるセルジオ・レオーネだった。こうした出会いも興味深い。

このドキュメンタリー映画では、モリコーニ本人が「ニュー・シネマ・パラダイス」で初めて彼が仕事をした映画監督のジュゼッペ・トルナトーレに、これまでの60年以上にわたる作曲家人生の来し方を語る。また、それ以外に彼を知る70名ほどが「作曲家・エンリコ」について話をするなかで、彼がなしてきた比類なき偉業のようなものが浮かび上がってくる構成になっている。

その顔ぶれ。クリント・イーストウッドやタランティーノ、ベルトリッチなどの映画監督はもちろん、スプリングスティーンやクインシー・ジョーンズ、ハンス・ジマー、ジョン・ウィリアムズ、パット・メセニーなどのミュージシャンや作曲家など多彩な顔ぶれだ。

スプリングティーンは、子どもの頃に映画「続・夕陽のガンマン」を観て、すぐにその映画音楽のレコードを買いに走ったという。そうした経験は、後にも先にもそれしかないという。

その「続・夕陽のガンマン」のイントロ部分の発想をモリコーネが語っているのが面白い。導入の♪タリラリラ〜♪というのは、コヨーテの遠吠えをイメージしている。それ以外にも、彼の音作りの発想はユニークで実に前衛的だ。 

 
彼がもっとも多くの仕事をしてきたのは、なんといってもイタリア映画である。本ドキュメンタリーでは、それらの映画と彼の映画音楽が数多く紹介される。それらの多くは観たことがない。それらは日本では未公開だから仕方ないのだが、古いイタリア映画の豊かさを知るきっかけになった。何十年も、日本人にとっては「洋画」イコール、ハリウッド映画だ。

モリコーネは、映画音楽はもちろん、実験的な音楽でもすぐれた作品を残している。本作品に映る彼は、鉛筆と五線紙だけでがんがん曲を書いていく。タランティーノが彼を評して「ベートーヴェンよりすごい」と(いささか興奮気味に)語っている。

モリコーネが映画の仕事を始めた頃、彼は音楽院時代からの師匠から商業音楽に走ったと批判された。彼自身の中にも、そうした後ろめたさはあった。だがそれを振り切り、幅広い音楽で人びとを魅了し、映画の見方さえ変えた。音楽家として100年後も名前が残るに違いない。

2023-02-06

缶切りのひとりとして

映画「猫たちのアパートメント」(Cats' Apartment)は、ソウル市江東(カンドン)地区にある巨大なアパート群を舞台にした人と猫のものがたり。


そこは143棟ものアパートが建っていたマンモス団地。かつては6000世帯、2〜3万人が暮らしていたが、再開発のために建物はすべて取り壊されることになった。

低層住居のビルを高層ビルに建て替えるためだ。それまで建っていたアパートは5階建てか10階建て。それらの建物間のスペースもゆったりしていて、植栽や公園のスペースも多かった。だからおよそ250匹と推測される猫たちが、そこに暮らす人たちに面倒を見てもらながらゆったりと生きていた。

建物の取り壊しが決まり、徐々にだが人びとがこの地から去って行く。やがて住む人がいなくなり、もとからいた猫たちだけが取り残される。もちろん、そうした事情を猫たちは知る由もない。

このままだと野垂れ死にしかねない野良たちを死なせないために、団地に住む作家やイラストレーター、写真家などの5人の女性が立ち上がり、ニャンを移住させる活動を始めた。

相手は勝手気ままな猫。捕獲ひとつとってもなかなか思うようには行かない。時間がかかる、手間もかかる。でも彼女らは手を休めない。

賛同してくれる元住民らも多いが、地域猫についての考えはそれぞれ。これが絶対という解決策にいたらないままに動く彼女らにはストレスものしかかる。


画面では、地面すれすれの低位置に構えたハンディカメラが猫を追う。その猫の映像とそこにかぶさるピアノは、われわれにお馴染みの岩合さんの「世界ネコ歩き」と雰囲気がどこか似ている。

いまではネズミを捕まえることを期待されているわけでなく、害虫退治を求められるわけでもない、実利的には役に立つことのない猫と人が、それでも一緒に生きていくためにはどうしたらいいのか。

登場人物の一人の女性は「猫はご近所さんだ」という。ほどよい距離で見守りたいと考えている。

途中、集まった猫ママ(この映画中で猫たちの面倒をみている女性)たちが、猫たちは(こうやって世話を焼いている)自分らをどうみているんだろうねえって話す場面がある。

そこにいた一人の女性が、「彼らにとっちゃ、私たちは体のいい缶切りみたいなもんよ」って言う。ハハハ、うまく的を付いている。

イスタンブールの街を舞台にしたネコ映画「猫が教えてくれたこと」を思い出した。