昨晩、プーノからリマに戻ってきた。やはりリマは、空の色がどんよりしている。
午後、旧市街地域(セントロ)にある宗教裁判所博物館を訪ねた。裁判所と云っても、もとになる法律があるわけではない。キリスト教信者以外はすべて異端者とみなされ、改宗を迫られるか、殺された。神の名を借りての極めて残虐な行いに背筋が寒くなる。おぞましい。何かを盲目的に信じてしまうと、人間はここまで非道なことでも平気でできる。
高度な文明を持っていたとされるインカ帝国も銃という武器を持っていなかったがために、金や銀を求めてやって来たスペイン人によって徹底的に破壊され1532年に滅ぼされた。破壊と略奪を行ったスペイン人たちは、キリスト教の宣教師集団でもあった。
理屈抜きにドグマでしか判断しようとせず、しかもそれに気付いていない(あるいは気付いていない振りをしている)のは現代の国際政治や外交のなかにも見受けられるが。
蝋人形などで、当時行われていたいくつかの拷問が再現されている。どれも痛そう、苦しそう。
2012年8月25日
2012年8月24日
ティティカカ湖(Lago Titicaca)(ペルー /5)
2012年8月23日
標高4,335メートルの峠をこえる(ペルー /4)
朝7時発の長距離バス(Inka Express)で、約10時間ほどかけてクスコからティティカカ湖畔の町プーノ(Puno)に向かう。
途中で立ち寄ったラクチ遺跡。
遺跡の入口でお土産を売っていたおばさん。焼き物のお皿を買った。
La Rayaというこの峠は、標高4,335メートル。富士山より557メートルも高い。
色鮮やかな民族衣装をまとった女性。ここで写真の被写体になって収入を得ている。
プーノの町に入る前、バスはプカラ村に着いた。ここには小さいながらも博物館がある。周囲を歩いていたら、少女が家から出てきた。彼女の家で飼っているらしいわんこも出てきた。
途中で立ち寄ったラクチ遺跡。
遺跡の入口でお土産を売っていたおばさん。焼き物のお皿を買った。
La Rayaというこの峠は、標高4,335メートル。富士山より557メートルも高い。
プーノの町に入る前、バスはプカラ村に着いた。ここには小さいながらも博物館がある。周囲を歩いていたら、少女が家から出てきた。彼女の家で飼っているらしいわんこも出てきた。
2012年8月22日
マチュピチュ遺跡へ(ペルー /3)
まだ外がほの暗い時間にホテルを出る。マチュピチュへは列車でしかたどり着けない。クスコのポロイ駅から、屋根の一部が展望用のガラス張りになったビスタドーム号に乗り込む。
各車両ごとに専任の車掌さん(男女ペア)が乗っている。
列車は、険しいアンデスの山の間を縫うように走る。日本の山に慣れていると、垂直的にそそり立つアンデスの山の圧倒的な姿に山の概念が揺らいでくる。
マチュピチュ(Machu Picchu)は標高2400メートルの地にある。高さはそれほどではないが、切り立った崖のてっぺんにあるから、下からはその存在は分からない。また、たどり着くルートも限られているために、16世紀の前半にインカ帝国の都市がスペイン人によってことごとく破壊され略奪されたあとも、ここだけは400年近く発見されなかった。
1911年にここを発見したのは、当時エール大学の助教授だったハイラム・ビンガム。彼は、スピルバーグの映画でハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズのモデルとも言われている。
見張り小屋と呼ばれている一段高い場所から神殿跡や住居跡を見下ろす。
各車両ごとに専任の車掌さん(男女ペア)が乗っている。
列車は、険しいアンデスの山の間を縫うように走る。日本の山に慣れていると、垂直的にそそり立つアンデスの山の圧倒的な姿に山の概念が揺らいでくる。
マチュピチュ(Machu Picchu)は標高2400メートルの地にある。高さはそれほどではないが、切り立った崖のてっぺんにあるから、下からはその存在は分からない。また、たどり着くルートも限られているために、16世紀の前半にインカ帝国の都市がスペイン人によってことごとく破壊され略奪されたあとも、ここだけは400年近く発見されなかった。
1911年にここを発見したのは、当時エール大学の助教授だったハイラム・ビンガム。彼は、スピルバーグの映画でハリソン・フォードが演じたインディ・ジョーンズのモデルとも言われている。
見張り小屋と呼ばれている一段高い場所から神殿跡や住居跡を見下ろす。
2012年8月21日
水はどこでも大切(ペルー /2)
クスコのホテルの部屋にあった掲示。
英語、スペイン語、フランス語、日本語で書いてある。
日本語は、少しヘンな機械翻訳をそのまま載せているかんじ。でもその場所(ホテルのバスルーム)で読めば、意味は分かるはず。
日本語の表記がなければ、おおかたの日本人客は注目すらしないだろう。正確さより伝えたいという意志が大切だと教えてくれる。
リマからクスコへ(ペルー /1)
朝9時15分リマ発の飛行機でクスコ(Cusco)へやって来た。標高3300メートルの地である。
クスコは、インカ帝国の中心地として栄えた場所。写真は、クスコの中心部であるアルマス広場の近くで見かけた民族衣装をまとった2人の女性。親子だろうか。おばあちゃんはなぜか山羊の子どもを抱いて座っている。足下のスニーカーが軽快そう。
クスコでの昼食は、アルパカ・ア・ラ・プランチャというアルパカの肉を炒めたものに野菜とライスを添えたものを注文した。アルパカはここクスコなど山岳部では一般的な食材。マトンのような匂いと多少しわしわした歯ごたえ。アルパカの顔が浮かんできて、結局少ししか食べなかった。
ランチをとったレストランから、町の中心部であるアルマス広場を見下ろす。
ペルーには犬がたくさんいる。どの犬も放し飼いである。首輪すらしていない。町の風景として自然に溶け込んでいる。犬たちは人に吠えたりせず、また犬同士で喧嘩することもない。とてもおとなしい。平気で人が行き来する足元で横になっている。
サント・ドミンゴ教会の回廊。この教会は、インカ帝国時代はコリカンチャ(太陽の神殿)と呼ばれる神殿だった。リマの空はいつも曇っていたが、標高の高いクスコの空は青く澄んでいる。
日暮れ後の町の路地。
クスコのシンボルの一つであるカテドラルの塔
クスコは、インカ帝国の中心地として栄えた場所。写真は、クスコの中心部であるアルマス広場の近くで見かけた民族衣装をまとった2人の女性。親子だろうか。おばあちゃんはなぜか山羊の子どもを抱いて座っている。足下のスニーカーが軽快そう。
クスコでの昼食は、アルパカ・ア・ラ・プランチャというアルパカの肉を炒めたものに野菜とライスを添えたものを注文した。アルパカはここクスコなど山岳部では一般的な食材。マトンのような匂いと多少しわしわした歯ごたえ。アルパカの顔が浮かんできて、結局少ししか食べなかった。
ランチをとったレストランから、町の中心部であるアルマス広場を見下ろす。
ペルーには犬がたくさんいる。どの犬も放し飼いである。首輪すらしていない。町の風景として自然に溶け込んでいる。犬たちは人に吠えたりせず、また犬同士で喧嘩することもない。とてもおとなしい。平気で人が行き来する足元で横になっている。
クスコのシンボルの一つであるカテドラルの塔
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