フランスでは、高校で教員が不足していて開かれるべき授業が何カ月も開講されなかったり、学校の施設があまりに老朽化して不便があることに対して、当事者である高校生たちが連帯し、抗議の声をあげた。
高校生が始めたデモに便乗する形で参加し、それに乗じて略奪や破壊行為を行い暴徒化している一部の連中は当然取り締まりの対象となるべきだが、日々の学習環境の改善を求める高校生たちの要求の声にはフランスのほとんどの国民が理解を示している。そこはしっかり区分けして見なければならない。
学生からの要求といえば、日本でも新型コロナウイルスの感染拡大に伴って学生が大学に通学できなくなったとき、いくつかの大学で学生たちが授業料の返還を求めた。
学生たちは、毎期の授業料と合わせて施設利用料といったものも納付している。にもかかわらず、教室をはじめ図書館やスポーツ施設、その他の各種付属施設も一切使えない状態になっていたので、学生たちの要求には一理あった。
早稲田大学では、そうした学生の声に対して当時の総長が、大学生活というのは4年間で完結するものであって、たとえそのなかの1年間、キャンパスで過ごすことができなかったとしても、そのことをもって4分の1が失われるものではない、といった内容のことを学生に対して説明していた。
なるほど、上手い説明をするなと思ったのを覚えている。
ただし、大学に4年も通わない学生がいる。大学院生だ。特に、ぼくが勤務していた研究科には「1年制総合」という、それこそ1年間(4月から翌年3月)で学位取得ができることを売り物にしたプログラムがあった。
2020年、2021年、新型コロナのせいで入学した時から完全リモートだった彼らは、そのまま大学にまったく足を運ぶことなく修了の日を迎えていった。
ある時、リモート授業の合間の休憩時間のおり、パソコンの画面に映っている彼らに授業料の返還を大学に求めないのか訊ねたことがある。けしかけるつもりで言ったわけじゃないが、要求できることをなぜ要求しないのか、不思議に思っていたからだ。
彼らは学部生ではない。ビジネススクールで学ぶ、企業での実務経験をもつ社会人大学院生である。なのに、できる要求をなぜしようとないのか、聞いてみたかった。
パソコンのディスプレイ越しなので細かい表情までは分からないが、こちらの質問に戸惑っている様子がうかがえた。で、具体的な回答は、なし。
そこにはそれなりに頭のいい学生もいたけど、どれも体制に過剰適応する習癖がすっかり染みついているように見えた。
日本の学生(この場合は社会人だが)はどうして連帯して自分たちの意見をまとめ、それを当然の要求として突きつけないのか。行儀は良いのだがパワーを感じず、そうした学生に心の中でがっかりしたことを思い出す。





















