気がついたら、本をキンドルやiPadなんかで読むことが日常の中で普通になっている。
日常の中でといったが、とりわけ風呂の中で読むのはキンドル・オアシスじゃないとマズいし。その一方で、写真が見開きで印刷された本は、やっぱりデジタルではない紙に印刷された本でゆっくり読みたい。
先日知り合いからプレゼントされた『ニューヨーク文学風景』(原書房)もそんな一冊だ。マンハッタン、ブルックリン、ブロンクスなど、ニューヨークにある有名書店や図書館、作家ゆかりのホテルやレストラン、詩人や作家たちが集ったバーやカフェ、さらには劇場など文学作品に関係する施設が写真とともに紹介されている。
ブロードウェイ沿いのストランド・ブックストアやリッツォーリ・ブックストア、それにユニオン・スクエアに本店を構えるバーンズ&ノーブル、どれも何度も足繁く通った重厚な雰囲気を漂わせる書店だ。
それら以外にも、気に入った書店はたくさんあって、どの店も知の迷路に迷い込ませてくれた。本屋というのは、不思議な空間である。
そして、それは日本のいい書店も同様。ぼくの日常の動線上にある東京や横浜にもそうした店はたくさんあるが、京都の四条烏丸にある大垣書店が最近のお気に入り。
そうした本屋さんだけど、全国の書店数が1万店を割り込んだという記事を読んだ。正確には9,993店(2025年度)で、対前年比で424店の減小。店数のピークは1998年、24,237店だった。
本屋が完全になくなることはないと思うけど(その前に人口減少で日本人がいなくなる?)、すでに現実になっているように、書店が一軒もない町や自治体がますます増えていく傾向は変わりそうにない。
ネットでも本は買えるし、デジタルでも読めるんだけど、たまに書店のあの空間に実際に身を置いて、いろんな本と対峙する時間を持つことを失いたくない。
いい本(自分にとって価値がある本)は、やっぱり買う前に棚から手に取って目次を眺めたり、まえがきを読んだりしないと分からない。ただでさえ出版ビジネスは粗製濫造になっていて、本の広告内容だけだと「騙された」と思うケースがほとんどだ。
本屋がなくならないようにするためには、人が本に対して愛着をもっと持つようにすること。そのために著者と出版社にはいい本を作る努力をもっとしてもらいたいし、取次はベストセラー狙いの本だけでなく、良書をきちんと広く配本すること、本屋はそれをしっかり来店客に伝えてほしい。
そして、顧客は喜びを持ってそうした本を買い、読む。本の値段は、日本では典型的なデフレ価格だと思う。つまり、安すぎるのだ。これも粗製濫造の影響である。
新味のカップ麺を商品ラインに付け加えるかのように、ほとんど工夫のない本ばかりが新たに作られているような印象がある。トータルで書籍の販売冊数は減少傾向にあるのに、出版点数だけは増えているんだから。
なんとかどこかでネジを逆に巻き戻さなければ、大変なことになりそうだ。















