「「スポンジ人間」化を回避せよ」と題した面白い論考を新聞で読んだ。
観天望気 木村空也ブログ
2026-04-17
システムの進化とスポンジ化する人間
2026-04-16
東海林さだおさんが死去
東海林さだおさんが亡くなった。88歳。さえない、もてない、仕事に身が入らないサラリーマンを主人公にすえた漫画を長年週刊誌各誌に連載していた。どれも40年以上なんて長丁場の仕事だったのがすごい。
食べ物をめぐるエッセーなんかも彼が書くと絵のない漫画で、その独特の言語感覚に気持ちをくすぐられ思わずにんまりしてしまうことが多かった。ひょっとしたら、読者層の広さの点では漫画よりエッセーの方がまさっていたのではないかナ。
またそうしたエッセーとはちょっと毛色のちがう『超優良企業さだお商事』(東洋経済)は、プロの仕事師がどうあるべきかを教えてくれる。若いビジネスマンには、世に跋扈するコンサルもどきが書いたデタラメビジネス本なんかより、よっぽど役に立つ。
そういえば、先月亡くなったつげ義春さんも同じく88歳だった。どちらも、他に類を見ない唯一独自の漫画を長年にわたり見せてくれた独創的な表現者だった。
昨年9月にはさいとうたかをさんも亡くなってしまった。
2026-04-15
機内持ち込みを禁止にする前に
昨年一月、韓国の釜山空港で航空機が炎上した。その原因として、モバイルバッテリーが出火元だった可能性が指摘された。
そうしたこともあってか、国土交通省が旅客機に持ち込めるモバイルバッテリーに規制をかけることにした。持ち込みは一人2個までで、充電は禁止。スマホやラップトップへのモバイルバッテリーによる機内での充電はしないよう要請するという。
確かに発火リスクがあるのなら、しょうがない。ぼくだって機内で火だるまになったり、機体もろとも墜落はしたくない。
だが規制に先だって政府にはやってほしいことがある。これまで発生したモバイルバッテリーの発火事故について、その原因になった製品のメーカー名とモデルを発表してほしい。
最近ではほとんど聞くことはないが、もし家電製品が何らかの理由で発火する事故があれば、必ずその製品のメーカー名やブランド名が発表され、メディアで広く公表される。
ところが今回の肝心のモバイルバッテリーはどのメーカーのどういった(どのくらいの容量の)ものかなど一切公表されていない。
実は昨日、iPhoneのバッテリーを新しくした。6年ほど前に買った機種で、バッテリーの最大容量が80%を切っていたので交換と相成った。
iPhoneのバッテリー交換は自分ではできないから、業者に頼むことになる。依頼先の候補は3つで、アップルとその正規プロバイダーの店、次にアップル製品の修理を専門としていて各地に店舗展開している専門業者、それと個人かそれに近い形の運営元が営業する修理ブティックである。
近くに2番目のタイプの店があったので、そこでやっちゃおうと持ち込んだのだが、店のお兄ちゃんからバッテリー交換で「問題が発生しても文句言いません」のような書類にサインを求められ、止めた。
結局、アップルからライセンスを受けている正規プロバイダーの店で先の店より7割以上のプレミアムを支払って交換してもらったのであるが、その際、いろいろとスマホのバッテリーについて専門スタッフから教えてもらったおかげでリチウム電池について知識が得られた。
さてそこで、機内への持ち込み制限がかかることになった先のモバイルバッテリーだが、モバイルバッテリーが一様にリスキーな訳ではないと考えている。
スマホの電池もモバイルバッテリーも、どちらもリチウム電池(Li-ion)だ。リチウムイオン電池が発火のおそれがあるなら、ノートPCも機内に持ち込めないことにならないか。だが、そうはなっていない。なぜならその発生確率はゼロではないが、極めて低いから。
リチウム電池の性能(この場合は特に安全性能)を決定する最大の要因は安全確保のための回路がきちんと組み込まれているか、次にリチウム電池のセルの品質だ。
つまり、モバイルバッテリーがもとから危険なのではなく、安全対策を施していない粗悪品が火を噴くのである。
であれば、一律に禁止することは得策ではなく、危険なメーカーやブランドを公表して利用者に注意を促す方が機内持ち込みに限らず安全性を担保する面からメリットが大きい。
ノーブランドの粗悪品に比べて価格は高いが、しっかりしたメーカーが安全対策をちゃんとほどこした設計と機構を組み込んだモバイルバッテリーが現にあるのだから。
発火などの事故を起こした製品のメーカー名をしっかり特定し、それらを公表することが疎かになったままになっている。
旅客機内への持ち込みや使用を一律に禁止する前に、やることをやってほしいものである。
2026-04-10
シェークスピアの妻を描いた『ハムネット』
シェイクスピアの名は誰でも知っているが、その実際の人物像や生涯には謎が多い。謎が謎を呼び、世界中でこれまでも数多くの創作の素になってきた。さらにその実体が不明なのが、彼の家族についてである。
年上の妻だったアン・ハサウェイはどんな女性だったのか。彼らの息子が少年期になくなったのは何が原因だったのか、今も不明なままだ。 それでいながら、シェイクスピアの妻は後生、ずっと悪女としてこき下ろされてきた(ソクラテスの妻、クサンチッペと同様に)。
映画『ハムネット』は、その女性を主人公にすえ、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』と11歳でなくなった2人の息子ハムネットを想像力で結んでいる。
本作品の主人公のアグネスを演じるジェシー・バックリーが実にすばらしい。圧巻の迫力と演技力である。劇中の彼女は鷹を操り、種々の野草のもつ効果について詳しい知識を持ち、自然そのものと交感する力を持っている。そうした原始的な強さと魔性を持つ女性を自然とこなしている。
自然のなかで自己の精神を守り続けていく女性は、本作品の監督であるクロエ・ジャオが2021年に制作した『ノマドランド』でフランシス・マクドーマンドが演じた主人公も同様だった。
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/04/blog-post.html
原作小説を書いたマギー・オファーレンとクロエ・ジャオの共同脚本による本作品は、悪女として扱われてきたシェークスピアの妻を「再生」させ、謎に包まれた夫婦の関係を息子の死を中核にしながら、2人の出会いと相克、そして喪失と再生を想像力豊かに作り上げた。
終盤、ロンドンのグローブ座で劇中劇として『ハムレット』が上演される。当時は椅子などなく観客は全員立ち見で観劇しているのだが、その最前列で夫の作品を観るアグネスがその芝居によって「再生」されていく様がなんとも感動的に描かれていた。なるほどこれならアカデミー主演女優賞を受賞したのも当然と納得した。
観客は予想と違って男性が7割! そして、その7割は僕より年上の人たちだった。
2026-04-09
「街の声」はニュースか
某国営放送の夜のニュース。
現在、米国とイランの停戦を巡る交渉が世界的に注目されているわけだが、そのニュースのなかで女性キャスターが、「この件に関しての街の声を紹介します」といって街頭インタビューのビデオが流れはじめた。
50代らしきどこかの一般男性が局のレポーターからマイクを突きつけられ、このままだとガソリン価格がどこまで上がるか分からないとか、他の物価への影響も不安だとか話している。
何だ、これは。この発言のどこにニュース価値があるのか。たまたま近くで見つけて、マイクを向けて、それらしく話をしてくれたおじさんがいただけのことと違うのか。
こうした無意味な街角インタビューがこの局は好きらしいが、<報道とは何か>についてこの局の番組制作者たちは考えた方がいい。
2026-04-06
SNSはなぜクソまみれなのか
端的に言って、SNSはクソだと思っている。
ネット上での誹謗中傷に関して寄せられた相談件数が過去最多を記録した。
そりゃそうだろう、ネット空間は増大し続けているなか、発信者のモラルは低下する一方なんだから。兵庫県知事選に際して発生したあまたの問題を思い返せば明らか。
人の意識は容易には変わらないことを考えれば、まずは制度や仕組みを変えることで対応していくしかない。
オーストラリアやフランス、米国のいくつかの州では既にSNS利用の年齢制限を法で設け、SNS利用の運営企業には利用者の年齢確認を義務化している。その他、デンマーク、スペイン、ドイツ、ギリシャ、フィンランド、ポルトガルで議論が進んでいて、だいたい15歳を利用制限年齢に設定するという方向で進んでいる。日本での実質的な利用者年齢についての規制はない。
2020年、フジテレビ制作の番組がきっかけで、女子プロレスラーの木村花さんが視聴者から大量の中傷誹謗を受け自殺した。その後、中傷投稿への対応をSNSの運営企業に義務づける情報流通プラットフォーム対処法が2025年にやっとできた。
だが、それには予防的な効果は期待できず、いくらかの事後的処理のための制度でしかない情けなさ。だって企業の対応はまちまちだし、腰は引けてるし、強制力はないし。役所がやってる振りを見せるための腑抜け規制と言われても仕方ない。
最大の問題は、誹謗中傷投稿の発信者を被害者が特定するのに極めて骨が折れること。時間がかかるし、問題解決に働きかけるのにも信じられないほどの手間がかかる。
日本では未だにそうした現状に対して鋭角的に切り込まない理由として、「表現の自由」が取りだたされている。
だが、考えてみればすぐ分かると思うのだけど、匿名での発言に「表現の自由」もないはず。誰が言ってるのか分からず、今では人間が発信しているのかどうかすら分からないのだから。
プラットフォーム企業が「発言の自由」を振りかざしてこれらの問題を放置しつづけているのは、ネット上の情報流通が多ければ多いほど彼らにとって儲けになるからに過ぎない。単純な話だ。
欧州のデジタルサービス法(DSA)は、利用者保護の観点からプラットフォーム企業にSNS規制をしっかりかけている。罰金もとる。違反企業の前年度の全世界での売上高の最大6%まで課す。
日本はそれに比較するとまるで何も規制していないに等しいのだ。間違いなく国の不作為である。
だからネット上の中傷誹謗についての相談件数がうなぎ登りになるだけでなく、泣き寝入りも後を絶たない状況が続いている。
冒頭、SNSはクソと書いたが、クソなのはSNSというシステムではなく、匿名でしか発言ができない奴と、発生している問題へ真剣に対峙しない当局の担当者がクソなのだ。
2026-04-05
映画「金子文子 何が私をこうさせたか」
今日は朝から雨。花見でもなかろうと、朝食後は近くの京都シネマに行く。ここは昔からセレクションがユニークで、大手の興行会社が運営する劇場ではかからない作品を見せてくれる。
選んだのは「金子文子 何が私をこうさせたか」。彼女は1903年に生まれたが、親が出生届を出さず、壮絶な虐待を受けて育つ(朝鮮半島で彼女を奴隷のように扱う鬼祖母を吉行和子さんが演じており、吉行の遺作になった)。虚無主義者、無政府主義者として生き、23歳で獄中で縊死する。
彼女が死んでちょうど100年。100年前の日本でこうした女性が生き、闘い、抗い、死んでいった。投獄されたのは冤罪だった。天皇や天皇制を批判したことで「官」から目をつけられぶち込まれたわけだ。
映画は、彼女が残した手記にある短歌をもとに脚本が書かれ制作された。映画の中でそれらのいくつかが紹介されるが、すばらしい。深い才能を感じる。
彼女は短歌以外にも膨大な量の書き物を残したが、当時の官憲がそれらが世の中に出ることを怖れて短歌を除いて処分してしまった。
この時期、他にも才気溢れる反骨の女性たちが国家権力によって殺されている。菅野スガが1911年に29歳で死刑に、伊藤野枝は1923年、28歳の時に特高によって虐殺された。
受難の時代だ。今はどうだ?
2026-04-04
ライトアップの祇園枝垂桜
八坂神社の東、円山公園には約800本の染井吉野や山桜などが咲き揃う。
が、そのなかでも円山公園の中央、10メートル以上の樹高を持つ1本の祇園枝垂桜(ぎおんしだれざくら)はひときわ見事である。今がまさに満開。
夜にはライトアップで薄紅色を闇に浮かべる姿は息を呑むような空間をつくりだし、周囲に焚かれたかがり火と合わせて夢幻の世界へと訪れた者をいざなっている。
2026-04-02
AIについての軍事利用も教育利用もベースは同じ
ニュース番組でAIの軍事利用が急速に進んでいる話題が取り上げられていた。
思い出すのは、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地域への攻撃で嫌というほど見せられた、モニター上で建造物や施設、車両などが自動で照準を合わされ、あっという間にミサイルで爆破される例の映像だ。
AIが何を攻撃するかを決定し、実際に攻撃し、その評価まで行うのに要する時間はほんの数分。人が介在し、その攻撃の適正さなどを判断する時間はすでになくなっている。
つまり、AIが勝手になんでも攻撃を進めているのが既に現実なのである。具体的な手順は、以下の画面に写っている6つのプロセスだ。
![]() |
| NHK『国際報道』 |
よく見てみると、これらの6ステップはAIによる自律的な攻撃だけのことではなく、AIを用いた他のジョブにもしっかり当てはまる。
最近では、ほとんどの学生が課題の作成に関して、程度の差はあれこそAIを利用しているという。そして、AIに卒業論文や修士論文の手伝い(作成)をさせる際の流れもほとんど同様に思える。
修士論文を作成するように学生に命じられたAIは、まず①指定の分野においてリサーチ・クエスチョンを探し(Find)、②その学生の修論として使えそうなトピックを特定し(Fix)、③周辺領域の先行研究を集め(Track)、④参考文献として利用できそうな記事を選定し(Target)、⑤それらをベースに論文本体を執筆(Engage)、最後に⑥研究の限界をまとめる(Assess)といった具合だ。
また番組では、進歩するAIの軍事利用のなかで、もっともその利用が懸念され、また課題となっているものとしてLAWS(Lethal Autonomous Weapons Systems 自律型致死兵器システム)が紹介されていた。
これは差し詰め、学生たちに当てはめれば、LAWS(Longing Autonomous Writing Systems 自立型渇望的文章作成システム)といったところか。これさえあれば、レポートはもちろん、卒論でも修論でもあっという間にできちゃう。
だからこそ、軍事面においても大学での学習面においても倫理について考えておくことが重要になる。ただ単に、「便利なツールなんだから使わない手はない、上手に使おう!」で済ませていてはダメなのである。
その番組の最後でまとめ的に取り上げられていたのが「自動化バイアス」だった。これもまた、というか、戦場においての軍事利用よりも大学などの教育機関においてこそ注意しなければならないポイントである。
自分自身、生成AIを日々使っていて感じるのは、AIは実にうまく「もっともらしい」答えを出してくるなという驚き。決して分からないとか、知らないと匙を投げたりしない。必ずそれなり(に見える)回答を、それも自信満々にひねり出してくる。
そうしたとき、出てきた答えを見て違和感を感じたら自分でそれを深掘りして調べてみる。と、そうした時はAIのアウトプットはたいてい間違っている。実際は、まだその程度なのだ。
だが、もし急いでいたり、そうした手間を惜しんだり、端から盲目的にAIが吐き出す回答を疑わない習慣になっていたら当然ながら間違いにも気づかないままに終わる。
そこが、まさに自動化バイアスの罠である。
2026-03-28
「空飛ぶクルマ」はクルマなのか
経産省と国交省が「電動垂直離着陸機」の商用化への工程表を示した。
それによると、来年か再来年にはパイロットが操縦するものを運用開始し、2030年代前半には都市間の輸送をそれに担わせるらしい。
そして2030年代後半には自動運転で飛行できるように制度を改定するという。
これだけドローン技術が発達しているので、人が乗れるようにしたその大型と考えれば納得もいくが、飛行している途中に地上や衛星からの電波が途絶えたりしたら、どうなるのかちょっと心配だ。
現在のタクシー代わりのような存在になると言われているけど、うまくいくだろうか。タクシーで運転手さんに「その先の郵便ポストのあたりで止めて」みたいな使い方ができるとは思えない。だって、どこにだって降りられるわけではないから。
日本は(人が住んでる)地上は電線がいっぱいだし、道も公園も狭い。これは10年後だって変わっちゃいないはず。離着陸するには危なくて仕方ない。
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| スカイドライブ社の「空飛ぶクルマ」 |
それにしても、この手のモビリティだが、いまだに日本では「空飛ぶクルマ」と呼ばれている。けれど、見ての通り車輪はついていない。垂直に上昇するから滑走もしない。
なのに、なぜクルマと呼ぶのか。形状と機能はクルマではなく、ヘリコプターに一番に似ている。だから「空飛ぶクルマ」というへんてこな呼び名はやめて、「ミニヘリ」と定義した方がいい。
2026-03-26
EUでできて、なぜ日本でやらないのか
われわれが日常利用している多くの電子機器のバッテリーはリチウムイオン電池がほとんど。そのリチウムイオン電池は使用していると性能が次第に低下し、やがて交換が必要になる。
結果、機器本体には問題がなくても時間の経過とともにバッテリー(リチウムイオン電池)のせいで利用性能が落ちていく。
ところがメーカーの設計仕様によって電池交換ができなかったり、あるいはできても専門業者に依頼し手数料を払って交換してもらわなければならない機器が多数。
そうした消費者の不利益を減ずるため、EUでは「修理する権利」が法制化されている。2027年2月以降、EUでは携帯用バッテリーを組み込んだ製品は、消費者が容易に取り外しや交換ができるようにする必要があるのだ。
実際、任天堂がスイッチ2やそのコントローラーに搭載されているリチウムイオン電池を交換できるよう仕様を変更するという。ソニーはプレイステーション(PS)のコントローラーの電池を交換できるように仕様をすでに変更している。
ところがこれはEU域内で販売する製品だけ。任天堂もソニーも日本で販売する製品への対応はまだ考えていないのだとか。
これって、おかしくないか。技術的にできるにもかかわらず、日本ではまだ法制化されていないから「やらなくていいじゃん」とメーカーは考えているわけだ。
理由は、製造工程や部品が増すことでコスト増につながるからだと。これはシンプルなビジネスの論理だが、企業の経営者たちには少し考えてもらいたい。
ぼくの家にはアマゾン・キンドルが何台も転がっている。壊れたからではなく、バッテリー性能が低下し、使うたびに充電が必要になるなどの理由で使わなくなり、かといって捨てられず・・・。スマートウォッチのFitbit(マイクロソフト)も同様にバッテリーの持ちが悪くなったかつてのモデルがいくつも死蔵されている。
どちらも、メーカーによってバッテリーの交換ができない設計になっている。つまり、消費者に向け「使い捨てろ」と言ってる訳だ。
こんなこと、日本でだっていつまでも認められるべきではないだろう。
2026-03-22
捨てられた赤飯
3月は卒業式のシーズン。そのめでたい卒業式を毎年、赤飯で祝っている福島県いわき市内の中学校5校で給食用に用意された赤飯が,すべて廃棄された。
事の始まりは、たまたま今年の卒業式が3月11日、つまり東日本大震災が起きた日と重なったことだった。そんな日になぜ赤飯を出すのか、という指摘が保護者なる人物から学校にあったという。
そして、市の教育委員会が赤飯を出すのをやめることを決定し、用意されていた約2100食の赤飯が廃棄されることに。そんなニュースを聞いて、情けなさに力が抜ける。
確かに3月11日は、誰もが知る東日本大震災の発生した日である。しかし、卒業式とはそれは別の話だ。赤飯を用意したいわき市の給食センターは、卒業していく子供たちの門出を祝って毎年赤飯を提供しているらしい。
たまたま卒業式が3月11日にあたったからといって、そのことに疑問を呈してきたという保護者はなんなのだ。
またそれを受けて、生徒たちへ給食の赤飯を出すことを取りやめ、準備された赤飯を廃棄することを決めた教育委員会の委員たちはどういう判断基準の持ち主なのか。
さらに、いわき市の5つの中学校の校長や管理者たちは、それに対してどのように反論をしたのか、あるいはしなかったのか。
赤飯による卒業生徒への祝意が震災被害者の追悼を損なうという奇妙な理屈。それが通ってしまう不可解さ。
保護者から批判されたくない、責任を問われたくない、そのため赤飯を給食に出すことを取りやめて廃棄することにしたという「大人の判断」。
自分の頭で考え、判断し、責任を取るという基本を、卒業していく中学生たちの前できっぱりと放棄してみせた。これが市の行政と教育者たちがやるべきことだろうか。赤飯捨てて、いったい誰が喜んだ?
3月11日が震災の日と重なったから赤飯を出すのをやめたわけだが、そんなことを言えば、一年365日、どの日だって誰かの命日であり、歴史を掘り返せば、どこかで災害が起こった日に違いないのだ。
廃棄された赤飯、2100人分。もったいない。
2026-03-15
まず対極を考えてみる、という方法論
音楽評論家の湯川れい子さんがX(旧ツイッター)に書いた「戦争ほど、理不尽で悲惨なものはありません」という投稿に対して難癖をつける書き込みがいくつも寄せられたという。
ぼく自身はXはやらないのでそのもとの投稿は読んでいないのだけど、それはウクライナやパレスチナのガザ地区、イランなどの地に住む人たちに思いをはせての湯川さんの投稿だったのではないかな。
現在90歳の湯川さん。終戦の時は9歳。それをもって、「お前は戦争に行っていないくせに」と批判された。
湯川さんも血気盛んなのか、それを受けて「私が戦争を経験していない? 寝ぼけたこと言わないで下さい」と返して論争になった。
そんなクソリプは放っておけばという向きもあろうが、黙っておけないのが昭和の生真面目さと言っておこう。
彼女は先の大戦で父親と兄を戦地でなくしている。またあの時代だから、戦後は他の人たちと同様、さまざまな生活上の困窮にも見舞われたはず。
だが、彼女にイチャモンをつけた連中は、まだ9歳で戦争に行ってないのだから戦争を知っていると言うのはおかしいとツッコんだ。
そうした彼(女)らにとっての戦争とは、兵士が機関銃を撃ち合っているようなどこかの戦場という場所で展開されていることなのだ。
自分たちがスマホやパソコンの画面で楽しんでいる戦争ゲームこそが「ザ・戦争」なんだろうが、あまりに発想が表層的で貧しい。
そうした連中に、もし「戦争じゃない状況とは、どういう状況だと思うか」と問うてみると、おそらく「戦争じゃないんだから平和なんだろう」という答えが返ってきそうな気がする。
戦争か平和か、トルストイの小説みたいだが、実際はそうした単純図式では片付けられない。S・ダスグプタは戦争と平和という二分法ではなく、平和の対極にあるのは<非平和>であると定義した。
非平和とは、別の言い方をすれば平和の不在であり、貧困や不平等、弾圧、飢餓、分断、不正義の蔓延などがそれにあたる。つまり、大砲の弾が飛んでないから平和だというわけではないということ。
人はつい物事を単純化して考えがちになるけど、AじゃないからBというのが常に当てはまるわけではない。CかもDかもしれない。あるいはA’かもしれない。
これはシンプルに想像力の問題。
2026-03-10
僕たちは収入印紙をいつまで貼り続けるのか
申請しておいたパスポートを受け取りに市のパスポートセンターへ行った。
受け取り時、国と県にそれぞれ別個に手数料を支払う必要がある。国への手数料は10年用のパスポートが14,000円。支払いにはパスポートセンターとは別室の写真スタジオで収入印紙を購入し、それを所定の用紙に貼り付ける。
収入印紙を販売する写真スタジオ内には街角の宝くじ売り場のような専用のスタンドがあり、そこの窓口には職員の女性2人が座っていた。印紙の販売など自販機でもできるのに、典型的な税金の無駄使いに見える。
一方、県への手数料は2,300円。こちらはパスポートセンター内でクレジットカード支払いができる。
それにしても、それぞれ別の方法で支払わされるのはただ手間がかかるだけ。合計の16,300円をカードで一括支払いできないのかと思う。
日本で収入印紙制度ができたのは明治6年(1873年)だから、150年以上前のこと。それ以降変わってないらしい。収入印紙を用いる制度がいまも残るのは、世界でも日本とインド、フィリピン、スリランカくらいだ。
変わらないのは変える方、つまり国の側に変えるインセンティブがないから。これまでのやり方に慣れているから変えたくないってわけだ。国民の利便性の方には顔がまったく向いていない。
デジタル政府など、この国では実際のところ夢のまた夢ということがわかる。
2026-03-09
歴史を変えた女性の100年
ニューヨークタイムズが "100 Years of Women Who Changed History"と題する記事を掲載していた。
https://www.nytimes.com/interactive/2026/03/06/obituaries/archives/notable-women-deaths-obituaries.html
著名な女性たちの100年にわたる死亡記事を見直し、彼女たちがどのように記憶され、また歴史が語らなかったかもしれないことを明らかにする、というのがその特集記事の趣旨だ。
各国、各界の女性が取り上げられている。著名な夫(たとえば政治家や音楽家、画家)の裏には彼女たちの貢献、あるいは、実は彼女たちがその功績の主人公だったといった話も多い。
音楽分野では、マリア・カラス、ティナ・ターナー、そしてエイミー・ワインハウスが取り上げられていた。あ、それからビリーホリデーも。
そうした歴史の記憶のなかに残る女性100人の中に一人だけ日本人がいた。笹森恵子(ささもり しげこ)さんである。
彼女は13歳のとき、広島で被爆。上半身に大やけどを負い、ケロイドで口や手などを自由に動かせなくなった。その後、協力者の力によってアメリカで皮膚移植の治療を受け、その後現地で看護を学ぶ。そしてアメリカの病院で働きながら92歳で亡くなるまで、核廃絶を訴え続けた。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250754_00000
反戦や反核を訴えてきた女性は他にもいたはず。だけど、いまのアメリカの政権下で反戦に関わった女性をヒロイン扱いするのが難しかったのか。
広島での実際の被害者である日本人を取り上げるが精一杯だったのだろうか。
だとすると、今のアメリカの現状は何ともはやとしか言いようがない。





