ラベル 時事時評 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 時事時評 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026-09-10

正しい歴史認識は政治を司る者の基本だと思う

自民党政調会長の天皇家に関する発言に対して、日本の歴史学者たちがとうとう堪らず批判の声を上げ始めた。

自民党の小林鷹之政調会長が皇室典範の改正をめぐって、「皇位の男系継承は、2600年以上にわたって先人たちが守り抜いてきた皇室の伝統」と述べたことについてだ。

声明を発表したのは、小林の発言に危機感を覚えた神戸大・古市晃教授と4人の研究者が中心となって結成した「皇室・皇位をめぐる議論に関する研究成果の尊重を求める古代史研究者の会」である。

会は「連綿と続けられてきた古代史研究の成果を否定するもので、到底容認できない」との声明をウェブ上で公表した。 

そりゃそうだろう。この自民党政調会長の言ってることは、歴史事実とかけ離れためちゃくちゃな話なんだから。

古市教授らは声明で。紀元前660年の日本の状況を「考古学の研究成果によれば、縄文時代晩期、または弥生時代早期にあたり、日本列島にはまだ文字を使用する文化は存在しませんでした」として天皇を中心とした国造りが行われるような段階にないことをはっきり指摘している。

「紀元前660年」という建国の年そのものが後年に設定されたフィクションというのは定説というか、常識だよな。 

そもそも、日本で縄文、弥生時代に文字がなかったことくらい小学生でも知ってるし、ちょっと考えればわかること。

そうしたことすら知らない、分からない人間が政治家をやるなよ。私たちみんなが迷惑するから。

そういえばタカ市首相も同様のことを堂々と言ってたのを思い出した。
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/09/blog-post_22.html

つくづく呆れた連中としか言いようがない。

2026-09-01

20年前の「今年の消費・トレンドのポイント」

本棚から昔の原稿が出てきた。2006年12月の日付けが記してある。

ある新聞社からの依頼で、たしか翌年の正月に載せる特集記事のひとつとして書いた原稿だったと思い出した。ただその原稿はあるが掲載紙がないところを見ると、その頃新聞社が始めたばかりのデジタル版用の原稿だったかも。 

今年の消費・トレンドのポイント

「今年の消費・トレンドのポイント」は何かというのが新聞社からのテーマなのだが、正直、そんなこと僕にはよくわからない。「今年のトレンド」という言葉は、何となく論理矛盾を含んでいる気もする。ただ、トレンド予想は苦手だけど、時代の流れの中でこんな変化はありそうだといった推測はいくつか立てられる。さもなければ、こうあって欲しいなあという期待みたいなものとか。

今年の市場を見た場合、そのもっとも大きな変化の一つが「2007年問題」と言われている団塊世代の第一波が定年を迎えて消費市場に本格的に登場することだろう。退職金をもらったうえ、今までにない自由時間を手にした彼らが考えることはなんだろうか。それは、まずはそのお金の置き所をどうするかではないだろうか。金融機関はどこも強迫的なまでに積極投資へ彼らの背中を押し、多くの退職者たちは慣れない投資とやらに思い悩む。せめて我も人並みにと・・・。資産があるが故に、どうにか活用せねばという深き悩み。投資のあり方は個別性が高いはずが、人並みを基準としたものの買い方・使い方に慣れている人たちが、いきなりこれぞ私の投資法といった戦略を立てられる訳もない。結局誰もが、誰もが買っている投資信託の銘柄に投資して一件落着となる。

投資だけではない。何に幾ら、どのように消費するかといったことにも多くのシニア、とりわけ日本の男性は概して自らの主張がないと言ったら彼らから怒られるだろうか。そうした意味で、案外これから最も有望なビジネスは、そうしたシニアにお金の使い道を指南するためのアドバイザーのような存在かもしれない。夫婦へのカウンセリングをもとに、あなたはまず奥さんとヨーロッパかニュージーランドへ3週間のんびり贅沢な旅行にいくのがいい。帰国後は、昔かじったギターでも買って、懐かしいフォークソングを健康維持もかねて毎日声を出して練習するのがよい、とかね。

じゃあ、彼らの奥さんたちはどうだろうか。一つ想像できるのは、これまで夫や子供など家族の面倒をみてきた彼女たちが、そこから解放されて、今度は自分が金銭を支払い誰かに「やってもらう」ことに夢中になるということではないだろうか。自らが料理するのではなく誰かに自分の好みの食事を用意してもらう、健康について人から気遣ってもらう、思いっきりわがままを聞いてもらう、などなど。亭主を会社に送り出す必要(責任)がなくなった主婦に怖いものはない。これまでできなかった「やってもらう消費」への情熱が花開く。 
彼らにとっての消費は、別荘購入など除いて圧倒的に「もの」より「こと」へ向かう。そして、そうした「時間消費」は彼らにとっては重要な「仕事」だ。だって彼らはじっとなんかしてられないんだから。どこかで読んだが、人は自分が経験したことがあるものにしか夢中になれないところがあるらしい。彼らがかつて経験したこと、例えばそれは旅行だったり、楽器の演奏や語学の勉強、学校の体育でやったスポーツ競技など、そうした昔の記憶や感覚を取り戻すための「回帰消費」が拡大するのは想像に難くない。言い換えれば、当然のことだが退職したからって誰もが蕎麦打ちに興じたり、陶芸に生き甲斐を見つけたりするわけではないということだろう。 
もう一つ忘れてはならないのが、ますます盛んになる「健康消費」。健康病と診断してもよい程の飽くなき健康追求の病をいやすための消費である。食事も健康、旅も健康、スポーツも健康、友人づきあいも健康。何はなくても健康第一。とにかく健康スパイスがふりかかっていないと触手が動かないといった、強烈な健康消費がさらに広まることだろう。 
と、ここまで先輩世代をずいぶん揶揄してしまったが、彼らの根っこは常識的な社会人であり、実は彼らが担う消費社会の特徴はバランスの良さだと僕は信じている。お金は使うが死に金は使いたくない彼らには、今の若者のような一点豪華主義的な消費性向は少ない。いわば「バランス消費」である。給料月20万円のOLが、月に一度は一泊5万円の老舗温泉旅館に出かけるとか、100円マックを頬張るもう片手にエルメスのバックが握られていたりするのは、決してそれらが悪いわけではないが、いかにもアンバランスである。それらと対照的に、身近なものに自分が納得のできるプレミアム性を求め、それにふさわしい対価を支払うのが団塊世代を中心としたバランス消費の特徴だろうと僕は期待している。
20年前はOLという言葉もまだ一般的だった。その頃、我々は日々の消費をそれなりに楽しんでいて、サラリーマンの退職後の姿にも今のような悲壮感がなかったのが分かる。 

自分が書いたものを元に言うのも変だが、ある面で今よりよっぽど明るい時代だったことがうかがえる。

「やってもらう消費」「時間消費」「回帰消費」「健康消費」そして「バランス消費」などと勝手なことを言っているが、その後の日本の消費者の行動とどのくらいマッチしていたか、自問自答の機会だ。

2026-08-29

横浜市長の辞任で「組織」について考えた

地元・横浜市の市長がパワハラの責任を取って職を辞することを発表した。そのため、10月には市長選挙が行われることになった。

今回の出来事についてはメディアの報道でいきさつを知ることになったが、どうも釈然としない。

ひとつは、いつもながら言葉が勝手に一人歩きしている点で、「パワハラ」が今回のキーワードなのだが、その吟味が弱いように感じる。

メディアが報道しているような山中市長の行為を認めるわけではない。ただ、彼が日々やり取りしていたのは、大組織である横浜市役所の局長や部長という幹部職員である。みんな組織経験の長い「大人たち」のはず。

それが、市長が叱責するときに机を叩いたとか、提出した書類を投げて返したとか、ポンコツと言われたらとか、そんな子供じみたことでパワハラなんて言うなよ。指鉄砲を向けられたからといって、そんなことで精神的に傷つくなよ。ポンコツと言われて侮辱されたというのであれば、言い返してやればいい。

すべて器の問題。

それを反映するように、第三者調査報告書ではどの幹部が、なぜ、どういった文脈で「ポンコツ」とか「頭が悪い」とか言われたかは明らかにされてない。そこを知りたい。そこが分からなければ論評が難しいはずだから。

ふたつ目は、長期にわたって行われてきたとされる市長の一連の行為を、なぜ誰も止められなかったのかという疑問である。

下記はAIがまとめた、今回の出来事の概要。 


2023年の6月にはすでに問題が発生していたとされる。少なくともそれから3年間も市庁舎のなかで続いていたのは、普通の組織だったらありえない気がする。

副市長や局長が、市庁舎内での出来事として何も知らなかったはずはない。にもかかわらず、根本的な対応が取られていなかった。とりわけ、副市長の責任は重いと思う。

第三者委員会も地方自治法167条をもとに、副市長を「市長を補佐して職員の事務を監督する最高補助機関」と位置づけ、市長本人によるパワハラを防止・是正する重大なガバナンス上の役割を負うとしている。実際、副市長は横浜市役所で統括コンプライアンス責任者の職責を負っていた。

組織内で対策を取るべきだった副市長や局長が、何年にもわたって対応を怠った。自分に対する人事権を握られていたことに恐怖を感じたためか。だとすると、つまりは保身。

そうした彼らにとっては、市長に立ち向かうことではなく、黙ってやり過ごすことが合理的な行動だった。そのことで、組織的沈黙と呼ばれる状況が蔓延したということだろう。 

結果、別の問題が発生していた。第三者委員会の調査によって分かったことだが、職員たちの声として、市長の行為が局長への精神的な負荷となり、それが増幅されて部長、またその部下へと降りてくるという趣旨の証言が寄せられている。

経営心理学の分野で言う「虐待的監督の下方伝播」が起こっていたのである。

今回の横浜市役所の組織としての失敗の流れを整理すると、次のようになる。 
① 市長が圧倒的な人事権を持つ

② 反対した者が異動などの対象になるとの認識が生じる

③ 副市長、局長、部長などの幹部が市長を諫めることを放棄する

④ 市長への悪い情報・反対意見が上がらなくなる

⑤ 市長自身は自分のマネジメントの問題を認識しないままになる

⑥ 幹部は市長の要求圧力を部下に向けて転嫁し、順に下へ伝播する

⑦ 組織全体の心理的安全性が低下する

⑧ 内部通報も行われなくなる

⑨ 問題は解決されず、さらに長期化する 

⑩ 組織内では問題の解決が不能で、最後に人事部長が外部に向けて会見を行い告発。社会が知ることとなった。  

最悪である。

市長も悪いが、副市長など幹部職員の責任も問われるべきだ。そこが報道ではすっかり抜け落ちている。僕が釈然としなかったのはそこだ。

メディアはフォーカスを絞って分かりやすく伝えた方がニュース価値が上がると思っているのかもしれないが、問題を単純化しすぎてはいけない。全体が分からないまま終わらせてしまう。

2026-08-25

「売る側」「買う側」の向こうにいる「売らせる側」こそがもっとも悪

法務省の有識者検討会が、売買春について売春側だけでなく買春側にも罰則を与えるべきだとの意見をとりまとめた。

罰則規程が当てはまる対象は「勧誘行為」であり、それは売春者を物色する目的での徘徊(つまり歩き回りか?)らしい。しかし「行為自体」には罰則はない。なんだ、それ?

こうした件が議論されたのは「売る側の勧誘行為が処罰される現行法に対して、不均衡を是正する必要がある」からだと。つまり、不公平だからそれを調整して条件を「合わせる」ことが目的らしい。なんだ、それ?

路上で(多くは)女性が売春目的で客を見つけるために立ちん坊していることが周囲の風紀を乱す迷惑行為と考える「良識人」から出た発想だ。中学校の風紀委員会かい。

政府がこうした法律の見直しに動いたきっかけは、性売春を目的に来日する外国人観光客が目立って増えてきたことを懸念するようになった面が強い。今や、歌舞伎町界隈での日本の少女による売春は世界的に(特にアジア方面で)知られるようになっているということなんだな。貧しくなるニッポン。

政府は、そうした国としての見た目の悪さを気にしてる。だから、お上は路上での売買春を迷惑行為だとして取り締まりを強化したい。

だがこれは、問題の本質から逸脱している。売買春のための「勧誘行為」を適法とするか違法とするかなど、どうでもいい。というか、路上で勧誘ができなければ、場が路上からスマホ上に移るだけ。それで周囲の人の目に見えなくなるが、消えた訳じゃない。

ここでの重要な問題のひとつは、ホストクラブなどで女性(多くは未成年だったりする)が多額の借金を背負わされて、その返済の為に強制的に性労働させられている現実なのである。これは周囲の風紀を乱す迷惑行為をなくすためとか、道徳的であるためとかではなく、もっと本質的な真に解決すべき人権に関する問題だ。

そうしたことが行われている構造を取り払おうとせず、表面上の性売買、しかも「勧誘行為を処罰」というところにしか頭が行ってないとしたら情けなさ過ぎる。

裏で糸を引き、女性を逃げられない状態に追い込んで性搾取している悪党らこそ、まずは集中的に処罰されなければならないはずだ。そこをちゃんとやって欲しい。 

2026-08-07

もうこれはシンギュラリティの一歩手前かも

人工知能が人間の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年頃に訪れるかどうかといった議論がなされていたのはつい先頃だと思ったが、実はもうすでに状況はその域に達しつつあるように感じる。

数学の分野で1946年にハンガリーの著名な数学者が提示した問題があり、彼自身がその解答を予想したものの、答えは解かれないままになっていた。

ところが、AIがその問題に取り組み、これまでの予想を覆す新発見をした。これまで多くの数学者がおそらく正しいと信じていたそれまでの予想を見事に裏切った。その事実は、数学の世界に強い衝撃を与えた。

とりわけ注目しなければならないのは、人間がそれまで思いつかなかった異分野の手法を組み合わせて今回の解答を導き出した点である。

なぜ人にはそれができなかったかというと、数学に限らずどの分野もそうだが、今では研究の細分化が極度に進んでいるために違う分野の知識を組み合わせる研究が難しくなっているからだ。

 

AIは人間と違い、いくら考えても疲れるということがない。しかも幅広く様々な分野の知識や知見を無数に組み合わせて答えを導き出すことが可能だ。

だとすると、今後、数学者の多くはこれまでの役割を失うということになるかもしれない。AIに問題を出したり、AIが示した解答を確認するという限られた数の数学者がいればそれで済む。


これはなにも数学分野に限った話ではない。まずは自然科学の分野でこうした状況が進んでいくのだろう。そして早晩、社会科学の領域においても人文科学の領域においても、AIが人間の研究者を凌駕するようになるに違いない。

それまで何年かかるか? 10年もかからないんだろうなぁ〜。

2026-08-04

嘘くさいSNS規制反対論者の主張に反対する

先月末にも同様の趣旨のことを書いた。

繰り返しになるが、子どもたちをどうSNSから保護するかということをあらためて考えておきたい。

世界各国で子どものSNS利用を年齢によって制限する方向性が打ち出されているが、そのなか日本は一向に具体的な指針が定められないままだ。

大人として実に無責任だと思わざるを得ないのだが、子どもの保護を目的としたそうした規制に反対する慶応大の准教授の談話が新聞に掲載されていた。

日経新聞、2026年8月3日朝刊

この御仁、総務省のネット上の未成年保護に関する有識者会議のメンバーだそうだが、規制に反対する主な理由が2つあるとしている。

ひとつは過剰規制。年齢でSNSの利用を規制することは「憲法が保障するこどもの知る権利に対して過剰規制」という考えである。

憲法の「知る権利」まで持ち出して子どものSNS利用の規制に反対するという向きだが、どういう神経をしているのだろう。

知る権利の侵害と言っても何について知る権利を侵害するというのか。それを具体的に示してほしいものだが、肝心のそうした点はまったく明らかにしてない。 

日本は、子どもが知る権利が十分補償されているとボクは思っているんだけどね。アメリカのある州の学校では、未だに「神」が世界を創造したとされ、現在も天動説が教えられている。だが、日本では学校でそんなことを教えられている子どもはいない。

宇宙の起源についての最新理論であろうと生殖の仕組みであろうと、日本の子どもたちは自分が知ろうと思えば、そして調べようと思えば何だって知ることができる。

にもかかわらず彼は、SNSの利用をある一定の年齢まで制限することによって、子どもは憲法で保障された知る権利を侵害されるから反対だという。こうした過剰な配慮意識はどこから来るのかね。

もし彼が指摘する、子どもの「知る権利」が気になるのなら、SNS利用を年齢によって制限した後、実の当事者である子どもが「自分たちの知る権利が奪われた!」と苦情を言ってくるのを待ってその内容に耳を傾けたらいい(万が一、そうした声があるとしたらだが)。それから真摯に検討してみたらいい。先走って、ありもしないことを心配するのは賢明な態度ではない。

彼が挙げているもう一つの反対の理由は、もし年齢による規制を設けても抜け道があるので合理性に欠けるから、という点。

だけどね、それはしょうがないだろう。大きな声では言えないが、大抵の規制には抜け道があるのがこの世の常。例えば、未成年は飲酒や喫煙が認められていないけど、飲もうと思えば飲めるし、吸おうと思えば吸える。大学近くの居酒屋で新入生が新歓コンパで楽しそうに飲んで騒いでいるのを見るのは例年のことだ。

だからといって未成年による飲酒や喫煙の規制が無為だとも不要だともボクは思わない。

同様に速度制限を守らない走行車があるからといって、一般道での速度規制が非合理的とも思わない。

この慶大准教授さんは、ルールは100%徹底されなければ意味を持たないというタイプみたいだが、現実の世の中はそうはできちゃいない。徹底されなくたって、それがあることで国民の意識は変わるし、抑止の方向に社会は進んでいくのが現実の世の中だ。どうもそのあたりが分かっちゃいないようだ。 

ところで、今日、文部科学省が行っている小学6年と中学3年を対象にした全国学力・学習状況調査の結果が発表になった。

授業以外に1時間以上勉強している子どもの割合は、前回調査に比べて10ポイント以上減少した。そして、SNSに割く時間は増加傾向にあって、実施された学力テストではSNSの閲覧や動画視聴の時間が長い子ほど全科目で正答率が低いことが示された。

この調査結果は驚くような内容でなく、日常の観察からわれわれが感じていることが間違ってはいないことをファクトとして示したに過ぎない。 

年齢によるSNSの利用規制についてだが、日本の子どもたちの未来を少しでも豊かにしたいなら、子どもの知る権利を侵害する過剰規制だとか、抜け道があるルールだから不合理だとか、そうしたつまらぬ屁理屈を弄んでいる場合ではないだろう。 

規制反対をもっともらしい顔をして主張する学者は、もしメタやXといった米国のSNSプラットフォーム運営企業がSNSサービスを停止すると言ったらどうするのか。それらの企業に対して、「知る権利を奪う憲法違反」だと主張するのか。

冷静に考えれば分かる話だ。

2026-08-02

石油元売り会社の経営者の出番だ

熊本地震への対応と支援は、多くの方が不断の努力を続けている。

そんななか、車中泊をしていた女性がガソリン切れでクーラーが効かないまま車内で熱中症によって亡くなっているのが発見されたというニュースを聞いた。辛い。

 

なぜガソリンが足りないのか。なぜ必要な量のガソリンが被災地に運ばれないのか。

「朝5時半から並び、4時間待ってやっと給油できました」という熊本の被災者の声を聞いた。ここはパレスチナのガザ地区か?

石油元売り会社の経営者は何をやってるんだ。日本でガソリンを運ぶためのタンクローリーを一番多く所有しているのは、君たちだろう。全国からそれをかき集めて、さっさとガソリンを被災地に運べよ。

今それをやらなくて、いつやる。

今回は興味深いマーケティングの実証実験になった

ホルムズ海峡紛争の影響を受け、ナフサ不足からカルビーがポテトチップスなど自社製品のパッケージの印刷を白黒に変更すると発表したのが5月12日だった。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/05/blog-post_13.html

実際にパッケージを変更した商品を出荷し始めたのが5月22日の週。北海道内のコンビニから順次、それらの商品が店頭に並び始めた。

小売店は当然、在庫があるうちは現行品を販売するので、実際に都内の小売店で白黒印刷されたパッケージのカルビー製品が商品棚に並んだのは6月中旬だった。

下記は新聞に掲載されてたカルビー・ポテトチップスの売上推移のグラフである。6月下旬に話題性と物珍しさでポーンと売り上げが急上昇。その後、急降下している。


これはいわば予想通りなのだが、一方で日本経済新聞は「カルビー 白黒ポテチの誤算」という見出しを掲げた記事を掲載した。

マーケティングのマの字も知らない、あきらかな見当違いである。

また、この売上動向をもって、リピート販売につながっていないからとカルビーに対して批判的なコメントをしている(知ったかぶりの)マーケティング専門家がいるが、これもお門違いだ。

マーケティングで一時の熱狂をFadと呼ぶが、これは謂わば突風(Gust)を狙ったマーケティング戦術である。

ナフサ不足で不本意な(本来やるべきでない)モノクロ・パッケージへの変更をやらざるを得ないなら、それでせめて話題を盛り上げて売上を作る、という考えである。

そして、その背景には社会が自社の政策を理解してくれる理由(今回の場合は原油供給の逼迫)があること、そして時間が経てば根本の問題は解決されるとの読みがあった。 

黙ってモノクロにパッケージを変更したのでは、顧客が該当商品をただ「みすぼらしくなった」と感じるだけで100%マイナス。それを逆手にとって、カルビーは堂々と事前にアナウンスしたわけだ。

カルビーは各商品でしっかり追加分の売上を手にしている


さらに、水木さんが描くところの子泣き爺 (こなきじじい)のような顔をした農林水産大臣からの「ナフサは足りている!」アピールは白黒化の話題性をさらに高めるのに役立った。


カルビー、Good job!
 


2026-07-30

元の期待値が低いから、支持率が保たれているだけ

新聞でタカ市総理についての面白い論考を読んだ。

最近の皇室典範改定などのやり方で支持率が低下したとはいえ、なぜいまだ多くの人が彼女を総理大臣として支持するのかに関する考察だった。著者によれば、その理由は「共感」。

 「厳しい追求には答えたくない」「議論を尽くす合意形成は面倒くさい」「英語でのコミュニケーションは苦手だけれども、できているように見られたい」

こうした彼女の姿勢は普通なら批判の的となり、国民からの支持率低下につながるはず。ところが我らが総理大臣は、このような欠点ゆえに支持されているとの分析なのだが、なるほどこれは一理あるなと感じた。

もし、そういった指摘が前総理の石破のものであれば、彼は即刻多くの批判を受けることで支持率の低下は免れないだろう。ところがタカ市の場合は、そういった総理大臣としては明らかな問題を抱えるが故に「それってあるよね」と、逆にある層から共感を持って認められているというわけだ。

不思議な現象だが、確かにそうとでも考えなければ、現状についての合理的な説明はつかない。

国の最高意思決定者ではなく、ある層にとっての推しの対象になっているわけで、いやはや、なんとしたらいいのだろう。

総理大臣に対しては、本来、国民はもっと高度な期待を持っても構わないはずなのだけど。 

2026-07-28

SNSを子どもたちの<居場所>にしてはいけない

フランスなど欧州のいくつかの国やオーストラリアで、子どもたちの心身の健康を守るため、また性的搾取をはじめとする犯罪被害や各種イジメからの子どもの保護を目的として、SNS利用への年齢制限を設ける動きがある。

背景にある考え方は国によって異なるところがあり、例えばフランスは以下の点を強調している。

・
若者の精神的健康
・サイバーいじめ
・注意力を奪うプラットフォーム設計
・夜間利用と睡眠不足
・学校生活への影響
・親だけでは対応できない巨大プラットフォームの影響力、など

一方、日本では有識者とやらが発する、子どもたちのプライバシーの問題や自由の尊重を理由としたSNSの利用規制へ反対する強い意見があり、具体的な対策がほとんど取られていない。

その代わりに、「学校教育でSNSの正しい使い方を教えるべきだ」とか「プラットフォームに対策を講じるように要請する」といった考えがいまも採用されている。

が、考えてみればいい。学校教育で教えるSNSの正しい使い方? それって具体的に何を示しているのか分かる人がいるのか。教育の現場を惑わせるだけではないのか。そのための明確な「トリセツ」でも作成されているのか。

学校の教師がSNS利用について具体的に何をどう教えるのかを示さず、「相手は子どもなんだから、学校で先生が教えてやれよ」だけでは何も動くはずがない。さらに、もし役人がそのための「指導要領」を作ったとしても、ネットの状況は日々変化しているので対応できるものでもない。

Xやメタなどの米国のプラットフォームが、どれだけ反倫理的な運営を平然と続けているかは日々の彼らの動きから誰でもわかるはずだ。各国の行政からの要請を無視するそれらの姿勢はこれからも容易に変わることはないだろう。

そして日本の有識者の中には「今やSNSは子どもたちの<居場所>なので、彼らのためにそれを奪うわけにはいかない」という考えで規制に反対する向きもあるが、どうにも理解が不可能だ。

自分の10歳の子どもがSNSに居心地のよい<居場所>を見つけ、そのまま成長していくことを想像してみればいい。例えば20歳までの10年間、SNSで過ごした彼(女)が、その後、そこからどうやって抜け出せるとおもうか。

SNSという、優れた(もちろん皮肉だが)ユーザビリティを実現しているツールだからこそ、子供らは中毒的にそこにのめり込み、友達などとの実体のある付き合い(コミュニケーション)ではなく、ただ手のひらの上ですべてを済ましてしまう。

SNSが使えなくなったから、子どもたちが友達との交流手段がなくなるわけでもあるまい。学校以外で友達に伝えたいことがあれば電話すればいい、訪ねていけばいい、遠方であればメールすればいい。

SNSが使えなくなると子どもたちは孤立してしまう。だから居場所としてのSNSが彼らに必要なのだとする考えが、僕にはどうしても理解できない。

ヴァーチャルからリアルへと、むしろ今のうちに子どもたちを取り戻すべきではないのか。 

2026-07-23

今年の後半は倒産企業数が増え、国民の生活困窮度も高まる

円安傾向が止まらない。タカ市政権が意図してその流れを強化しているのだから、当然と云えば当然だ。

ドルの値段が163円/1ドルを超え、円は1989年以来39年ぶりの安値レベルに落ちた。円の価値が上がる理由が見当たらず、それに市場が素直に反応している。

財源について語らないまま「責任ある積極財政」だとか、「骨太の方針」だとか、意味が分からない。

政府の施策に責任が伴うことは国民にとって自明のことで、わざわざ「責任ある積極財政」を標榜するってことは、これまでは責任というものが存在しなかったという事か?

言葉尻をとらえるわけではないが、「骨太の方針」というのも意味が分からない。骨太か骨細かの区別は一般の国民には関係ない。その方針は、国民が求め、必要としているものかどうかがすべてなのである。

タカ市は太いのが好きなんだろうが、それは自分の個人的な趣味にしておけばいい。

銀行口座に残高がほとんど残っていないのに、クレジットカードでどんどん買い物してたらどうなるか。やがて支払いができなくなり、信用を失い、金を借りることもできなくなり、最後には飯が食えなくなる。

円が売られ続けているということは、すでにそうした兆候に日本の経済が向かっているということ。 

気分で選んだとしか思えない具体性の欠如した17の重点投資分野を掲げ、370兆円を越える投資を流し込むことで一部の企業に大金が分け与えられ、大もうけする連中も多々出てくるが、国民経済全体がそれで底上げされるほど簡単なものではない。

タカ市ら今の官邸のものの考え方とやり方では、例のCJ(クールジャパン)シンドロームを繰り返すだけだ。 

今年後半、止まらぬ円安によって国内の倒産企業数が増えていくことが懸念される。 

2026-07-21

サッカー・ワールドカップと国民の民度

39日間に及ぶサッカー・ワールドカップが閉幕した。足かけ1か月以上だった。

一昨年のパリ五輪は全32競技(329種目)が17日間にわたって行われたことを考えると、サッカー1競技でこれだけの日数(五輪の2倍以上の日程)を要したのはなぜなんだろうと考える。商売とすればゲーム数が多く、日数が長ければ長いほど儲けが上がるわけで、そこにFIFAの意図が現れているのだろう。

今回の大会は日本チームの活躍も含め、ゲーム自体は見ていて面白く、実にワクワクさせられたが、その一方、フィールド以外の部分で考えさせられることが多かった。

その1つがアメリカ・チームがボスニア・ヘルツェゴビナ・チームと戦った際に審判から出されたレッドカードの扱いだ。アメリカチームの選手がレッドカードを受けて次の試合に参加できなかったはずのところが、トランプ大統領がFIFA会長のインファンティーノに直接電話してその決定を変更させた件である。

この行為については、既に多方面の関係者やファンからも様々な声が上がっているので、ここでは触れないが1つ気になるのは、そうしたトランプの行為とFIFA側の対応についてのアメリカ国民の反応だ。

YouGov/Economistが、2026年7月10日から13日に実施した全米調査によれば、「トランプ大統領がFIFA会長に電話をかけ、バログンの試合出場停止処分の撤回を求めたことを指示するか」と言う問いに対して、支持する米国人が21%いた。

「大統領が自国のチームを支持するのは当然だ」と言う考え方がベースにあるとされているが、これには首をかしげざるを得ない。

スポーツはスポーツであり、戦争とかではない。

そうした基本すらわきまえていない米国民が、5人に1人いると言うから驚きである。

ただしこれを政党別に見るとかなり違いが現れていて面白い。YouGovのクロス集計では、共和党支持者では賛成が多数派である一方、民主党支持者ではその圧倒的多数が反対の意を示している。

従って、FOXなどでの「大統領が自国選手を守るのは当然」と言う意見は、アメリカ市民全体の考えを反映したものではなく、共和党及びトランプ支持者らの意向を反映したものであることがわかる。

今回の件、アメリカではサッカーファンほどトランプの行動とFIFAの決定について批判的だったらしい。そして一方で、アメリカの一般国民は「よくわからない」と答えた層が多かった。

サッカーを日常的に見ている、いわゆるファン層では政治介入はスポーツの公平性を損なうとか、アメリカ代表の評価まで傷つけたといった意見が非常に目立っていた。

つまりこれらを総合的に考えてみると、サッカーについて詳しく知るわけでもない共和党・トランプ支持者らが歪んだ単純すぎる愛国心によってトランプがやったことを支持し、スポーツにおいても、とにかくアメリカが勝ちさえすればそれでよいと考えていると云うことが分かる。

こうした傾向は日本も同様で、ものごとを深く考えることなく表層的にしか判断しようとしない特定層が社会全体を蝕んでいっている姿が想像される。

勘違い丸出しの高市自民党へ投票した有権者しかり、斎藤知事を飽きもせず再選挙でも支持した兵庫県民しかり、ゲス丸出しの福岡県議会議員を自分たちの代表として選んだ福岡県民しかり。民度で云えば、先の米国民より酷いんじゃないか。 

2026-07-20

やはり米国への属国化を強めるしかないのか

『銃・病原菌・鉄』で、著者のジャレド・ダイアモンドはとても興味深い論考を展開して見せた。

例えば、かつて同じような条件でスタートしたはずの人間が、今では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜかーー。著者によれば、答えは地形や動植物相を含めた「環境」にあるという。

その進化生物学者である彼が、今日の新聞で「米国の強さとは何か」について語っていた。

今度発行される新著で「リーダー」について述べているのと絡め、歴史に残るリーダーがリーダーたり得た理由として「場所とタイミング」を指摘している。つまり、正しい場所に正しい時にいたかどうかということ。

そして、その延長線上で、なぜ米国にめざましい成功を収めた政治家、経済人、科学者らが集中してきたのかを問われ、以下の3つのポイントを挙げている。

1:野心と行動力、リスクテイクが報われるという楽観主義の存在
2:多くの危機を乗り越えた強固な民主主義と資本主義を身につけていること
3:階層がなく、若者や女性か活躍できる社会であること 

翻って日本はどうか、米国のような成功者を生む国であることはできるのかどうかというと、かなり心許ない。

とりわけ1と3は絶望的だ。1が無理なのは日本の若い連中を見ていれば納得がいくだろう。とにかくリスクに敏感すぎる。つまり、リスクとは全力で避けるべきものと考えている。だが、リスクがないところには真のチャレンジも成功もない。

3であるが、政治家の集まりを見ても、経済人の集まりを見ても、年配者しかいない。しかもほとんどが男だ。そして、いうまでもなく日本人が圧倒的。

ダイバーシティなんて横文字が振り回されて久しいが、実態は遅遅として変わらない。

皇室はある意味で日本の縮図。皇紀何年とか言って、保守系政治家らは今も間違った歴史観をあからさまに口にするだけでなく、国会では意味薄弱な「男系男子」への妄信的執着が大勢を占めて、皇室典範について国民の総意とまるでかけ離れた決定がなされた。

おやじたちは階層にとどまることに人生をかけ、若者や女性を対等な存在として扱おうとはしない。 

それでも大半の国民が真面目にコツコツやることでそこそこのところまで登り詰めたが、それも今後はもう無理。コツコツやるのはAIやロボットの方が圧倒的に得意で勝負にならないんだからさ。 

やはり日本はコバンザメ戦略で、米国に追従していくしかないのか。

ただ米国について云えば、ノーベル賞受賞者や誰もが知るような企業経営者(例えばNVIDIAのジェンスン・フアン、スペースXのイーロン・マスクなど)を見ても、移民に繋がる人物の多くが米国で影響力のある大きな成功を収めている。その意味で、今後どうなるかは分からないけど。 

2026-07-12

「勝ちたいとか満足いくプレーをするとかではなく、もぎ取りにいく」

7月11日、ウィンブルドン選手権の車椅子の部、女子シングルス決勝で上地結衣が初優勝した。10度目の挑戦だった。

これで彼女はテニスの四大大会全制覇にパラリンピック金メダルを加えた「生涯ゴールデンスラム」を達成した。すごいぞ、上地。

写真:共同


今回の決勝の相手は、2022年に決勝で敗れたデフロート(オランダ)。宿命の決勝戦であり、上地は「勝ちたいとか満足いくプレーをするとかではなく、もぎ取りにいく」と臨んだ。

その強烈なスピリットがあってこその勝利だった。これまでウィンブルドンでは優勝できなかった悔しさを爆発させた一戦を見せてくれた。 

2026-06-27

あれこれ下手な考えでこねくり回さない方が良い

皇室典範の改正要綱が、政治の場で概ね了承された。

内容はというと、説明を読んだが、それにしてもややこしい。あれこれとツギハギをして何とかその場しのぎをしていることは窺える。長期的な視点と明確な指針に欠けていて、相も変わらず政治家や政府が考えることらしい。

内容の詳細についてはここでは触れないが、気になるのはその改正の目的として掲げられている「皇族数の確保」と云う考え方だ。

数を確保するために皇室典範をどう修正するかということで、人ではなくまるでモノを扱っているかのような印象を受ける。皇族だって人間だろうに。

道具とまでは言わないまでも、球団が新しい選手を獲得する話をしてるかのようだ。なぜそこまでしてこうした制度を維持しなければいけないのか、彼らはそもそものところをどう考えているのか、考えていないのか。

この国では人口が確実に減っているのだから、皇族の人数が減っていてもそれは自然な流れだ。しかも皇族の場合、やれ男だとか女だとか、やけにめんどくさい。

天皇を継ぐ人物がいなくなったらいなくなったでいいんじゃないかと思うんだけど、それっておかしいのかね。

「千代に八千代に」だなんて、明らかなフィクションの世界を真に受けすぎではないのか、日本人は。
 
「立法府の総意」とのたまった衆参両院の正副議長
 
写真のおっさんらは、皇室の人間を人ではなく、絶滅危惧種のトキやコウノトリと同じように考えているみたいだナ。

2026-06-17

米国のお粗末さが露呈した今回の覚書締結

昨日から今日にかけての世界のトップニュースは、アメリカとイランが戦争終結に向けての条約への締結をしたというニュースだ。

報道では14項目の合意がなされているとされ、特に第8項目の「イランは核兵器製造せずと改めて表明(最終合意で対処)」が注目されている。

米国の高官が読み上げたその正式な内容は「イランは核兵器を取得・開発しないことを再確認する」となっている。

これって気にならないか。

英語で何と言ったのか調べたらこうだ。"The Islamic Republic of Iran reaffirms its permanent commitment not to produce or acquire nuclear weapons."

イランは核兵器を「製造」も「取得」もしないとなっているが、これでは例えばロシアや中国から核兵器を借り受けた場合はこれに抵触しないことになる。

またイランは、この項目で核兵器を「使わない」とは言っていない。さらに同じ第8項目の後半は次のようになっている。

"The Islamic Republic of Iran and the United States have agreed that the fate of enriched material and the fate of all other mutually agreed nuclear-related issues, including Iran's nuclear needs, will be adequately addressed in a final agreement."(イランと米国は、濃縮核物質の処遇およびイランの核エネルギー需要を含むその他の核関連問題について、最終合意において適切に解決することに合意した)

ここでの「適切に解決」が何なのかは不明のままである。

イラン側は、とにかく早く決着をつけたくて仕方ないトランプの足下を見て交渉をうまくやった。というか、米国高官らの対応があまりにお粗末すぎるのが、よその国の事ながら気にかかる。 

トランプはこの合意で一件落着と思っているようだが、これから一悶着あるのは間違いない。 

2026-06-16

14億人市場の読み方

講談社がインドで出版社を設立すると発表した。

彼らはその目的としてふたつあげている。ひとつは「(インドの)全人口は14億6300万人以上、そのうち10代〜20代のいわゆるZ世代だけでも約3億7000万人もいる」であり、もうひとつは海賊版対策だという。

さてその通り、うまくいくか。

講談社は以前からインドに社員を置いているが、同社の今回の発表内容を読む限り、それでもってインドのことを分かっているとはあまり思えない。

確かにインドの人口は中国を抜いて世界一の14.6億人という途方もない数だ。しかし、インドは一つの国というより、その文化や言語の観点から見れば28の州がそれぞれ異なる別個の国のようなもの。

言葉だけで数百の言語・方言がある。もっとも多く用いられているのはヒンディーだが、全体の半分に満たない。

ヒンディー語(約43.6%)
ベンガル語(約8.0%)
マラーティー語(約6.9%)
テルグ語(約6.7%)
タミル語(約5.7%)
その他

英語が曲がりなりにも読める層は全体の1、2割と推定されている。そして、現地でいま講談社の漫画を激安の海賊版で読んでいるのは、そうした英語版読者だ。 

出版社が版権を売った米国の出版社が発行した漫画雑誌がインドに輸入され、その店頭価格が高い(読者にとって)のですぐ海賊版に化けてる。もとの一冊をスキャナーで読んでデータ化するだけなんだから、簡単に行える。

おそらくインド政府はマンガの著作権(それも外国のIP)の保護などさほど関心はないだろうし、スキャンする人たちのモラルや読者の懐具合(小遣い)といった状況も合わせて考えれば、講談社の担当者がいくら「手に取りやすい価格で正規品を売ることで海賊版を減らしたい」と言っても、その撲滅は絶望的に思える。マンガに正規品も海賊版もない。

しかも、講談社がインドに設立する新会社は「紙」で出版すると宣言している。だからなのか、あるいはその方策の理由なのか、大日本印刷がインド法人の共同設立者になっている。

あえて自分の手足を縛った、デジタルをやらない(できない)体制で出版事業を現地で興す発想が分からない。

紙のマンガ雑誌(もの)をどうやって毎週毎週、広大なインドの書店やキオスク(そうしたものがあればの話だが)に配本するのか。ちなみにそれは日本のように返本可能か、それとも売り切りか。

コンテンツ開発、ターゲット設定、商流管理など不安要素しか浮かばないのだけど、講談社の経営者は何か秘策でも持っているのだろうか・・・。 

同日、キッコーマンとカゴメがそれぞれインドでのビジネス強化を進めるという話を聞いた。こちらには期待が持てるのだが。 

2026-06-03

政治家の「はぐらかし」が追求されない日本という国

「週刊文春」と文春オンラインが、しつこく(もちろんいい意味で)高市総理の地元事務所が2月の衆院選などで他候補を誹謗中傷する動画を大量に作成・発信した件について報道している。

それによると地元の高市事務所の公設秘書が動画作成を依頼したことは明らかだろうと思われるのだが、高市総理は一連をすべて否定している、というか正しくは、認めていない。

そうしたことを陣営として行ったのかどうか問われたときは、行ったとも行っていないとも回答せず、「私は秘書を信じる」と答えた。回答をさけた「はぐらかし」だ。

高市総理が国会質問で「週刊文春」に掲載されたその動画作成に関わった人物の証言の是非について問われたとき、彼女は雑誌に書かれたその証言について語ることなく、「面識のない方の名誉を傷つけることは申し訳ない」と、これまた完全に的をずらした答えを繰り出した。

確信犯だ。 

今回の事以外にも、こうした悪質な政治家の「はぐらかし」を目にすることがある。兵庫県知事の斎藤や東京都知事の小池の顔がすぐ浮かぶ。

兵庫県知事選にかかわる事件では、県議会議員や県職員が自死するということまで起こったにもかかわらず(というか、そうした重大な事柄が起こったからこそ)、それらへの関与を問われた斎藤は、自身が「関係していない」とは明言せず、「関係しているという認識はない」という表現に終始した。

後に捜査で事実が明らかになったときのことを考えての逃げ道を用意している。「関係していない」と言ってしまうと偽証したことを問われるが、「関係しているという認識はない」なら、認識が違ってました、と云うことにして逃げ切ろうというわけだ。

カイロ大学首席卒業という学歴の正否を問われたときの小池の対応も、また呆れるほど同類。

なぜ政治家というのはこうもずる賢いのか。そして、日本のメディアはなぜそうした稚拙なはぐらかしをしっかり糾弾しないのか。 

たぶんだけど、その背景の一つには、そんなこともういいじゃないか、彼女(彼)は総理(県知事、都知事)にまでなった人なんだから、という日本国民の、ありがたくも寛大過ぎる勘違いした心の広さがあるからかもしれない。 

2026-05-31

750人の電通太郎

電通がマーケティング・リサーチを仮想空間上でできるようにするらしい。

仮想空間上と云ったのは、生身の人間ではなくAIがこしらえた仮想顧客(仮想人間)のことで、これまでの調査で必要だった調査対象者のリクルートが全く不要になる、らしい。

これまで調査でもっとも大変だったのは良質なサンプル(回答者)をタイミングに合わせて集めることだった。コストがかかった。

早く、安くできると謳うネット調査は実は形だけで、一般的にはノイズが多すぎて残念ながら調査といえる代物にはない。ましてやマネジメントが経営上の判断に用いるのは危うすぎる。
https://tatsukimura.blogspot.com/2023/03/blog-post_6.html

それをすべてヴァーチャル人間に切り替えちゃおうというわけだな。

電通は、彼らの説明によればこれまで収集した顧客に関するデータをもとにAIが750種類の人格を作成し、それをもとに顧客調査ができまっせと。

彼ら、というかそれらは生身の人間じゃないから「質問や聞き直す回数に上限はなく、持病などの悩みから広告などに関するネガティブな感想まで、聞きづらい本音も回答を得られる」のがウリだとか。

だけどね、ちょっと考えてみようよ。例えばだけど、持病や性癖、家庭状況、自分が抱えている悩みやコンプレックスといったプライバシーに関わるようなことでも、感情を交えずあっけらカーンと答えてくれる被験者が被験者たり得るのか。 

どうも違うんじゃないのかね。だって、そんな人間、世の中にはいないんだからさ。

それと、電通は750種類の人格をそれぞれ1つのサンプル(ペルソナ)として売って課金する商売を考えているんだろうけど、AIがつくり出した仮想顧客なんだから、本当はひとつ(1人)で済むはず。

1人で750の人格を備えている多重人格者、といったら分かりやすいかな。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』という興味深い本があったけど、それと同じような感じだ。

仮想顧客の被験者「電通太郎さん」は男であると同時に女であり、大人であると同時に子どもでもある。都内の金融機関に通勤するサラリーマンであり、田舎の田畑で毎日汗を流す農家でもある・・・。つまり電通太郎は、750人分のペルソノが備わっている超重度の解離性同一症の人物と考えれば分かりやすいだろう。

だとすると、調査はすべてn=1で済む。その1は<電通太郎>だ。でもそれじゃ商売にならないから、生身の人間のイメージに合わせて個々に切り分けて料金設定するんだろうな。 

今後、AIの能力を使ってマーケティングのやり方はドラスティックに変わっていき、本来の意味でのマーケティング・オートメーションが実現するようになる。

1人か2人の真に優秀なマーケターがAIエージェントを扱うことで、市場分析やマーケティング・プランの作成などすべてのマーケティングの仕事をこなすイメージだ。

企業側はもう何十人といったマーケティング部門を構える必要はなくなる。真に優秀なマーケターとマーケティング・センスがあるトップ・マネジメントがいて意思決定ができれば、それで済むのだから。 

夢物語ではなく、近い将来、確実にそうなるだろう。