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2024年4月13日

15歳は、生産者か

総務省が昨日、人口推計を発表した。それによれば生産年齢人口は7400万人ほど。前年比、60万人減。減少は13年連続だ。

生産年齢人口とは、15歳から65歳未満の人口。「生産活動に就いている中核の労働力となるような年齢の人口」と定義されているが、現在、15〜18歳(高校就学年齢)で労働力となっている人たちはどのくらいるのだろう。

下記の総務省HP内のグラフでは、昭和25年(1950年)からのデータが集計されている。その頃は高校進学率ですら半数を切っていた。つまり、高校に進学しない半分以上の人たちは確かに生産に携わる人口だった。

地方の中卒者を中心とする「集団就職」は1970年ごろまで続き、オリンピックのころには「金の卵」が流行語になった。

時代が時代であり、今とは隔世の感がある。いまも義務教育終了後、つまり中卒で働きに出るひともいるだろうが、全体の中での比率はかなり小さいだろう。

そうすると、正確には実生産年齢と言えない15から18歳を彼らを先の数字から減ずるのが正しい生産年齢人口であり、実生産年齢人口とも言える。

15から65歳というひとつの括りは、統計の連続性からは保つべきだろうが、その名称(意味合い)は検討し直した方がいい。

増加し続ける65歳以上の高齢者の数も、15年から20年後にはピークを迎える。その後は減少に転じていく。そして子供の数は、減り続ける一方だ。

ところで、日本では人口減少が問題だと言われ続けているが、1964年の東京オリンピックの頃は、日本全体の人口はまだ1億人に達していなかった。日本はこれから30年かけて、その頃と同じ人口に戻っていく。

ただ、そのときの顔ぶれ(年齢別構成比)は大きく変わっていることだけは間違いない。そこは、活力の失せた干からびた社会なんだろう。

年齢別人口構成比からだけ見ると、65歳から74歳の層を生産年齢に入れるのが1つの解決策に思える。ほぼ日本の全人口が同じ(約1億人)である1964年とその90年後である2055年を比べてみると、1964年の生産年齢人口は6,744万人、生産年齢を拡大した2055年の生産年齢人口は6.286万人。人数の減少率は7%ほどになり、その程度は技術の進歩で埋め合わせされるはずだ。

後は、75歳以上の高齢者を中心にした社会保障費をどう手当てするかである。防衛費をアメリカの言いなりになって盲目的に拡大している場合ではないということが分かる。

2024年3月31日

国家プロジェクトなら、何でもいいのか

神奈川県の黒岩祐治知事が、品川と名古屋を結ぶ予定になっている中央リニアのことで静岡県の川勝知事に苦言を呈した。

静岡のエリアでは、工事に伴う生態系への影響や水資源がどのようになるかの調査結果が得られていないとして工事を中止させていることを指してのことである。

黒岩神奈川県知事はその際、リニアは「国家プロジェクト」なんだから「責任を果たすのが当然」と言い切ったらしいが、大きな勘違いをしている。

そもそも国家プロジェクトの定義は何なのか。リニアはJR東海という民間企業が始めた取り組みではないのか。

ただその会社には「皇帝」と呼ばれて30年近くもその企業を牛耳っていた経営者がいて、その人物が安倍元首相と連んで事を進めていたから、いつの間にかそれを「国家プロジェクト」と言い始めた連中が出てきただけだ。

リニアは国家プロジェクトではない。また、もし国の金が注ぎ込まれているから国家プロジェクトだという向きがいたとしても、そのことと「責任を果たすのが当然」かどうかは別の問題である。

この黒岩というおじさん、国家総動員法でも日本にまた復活させたいのだろうか。国家がどうのとか、そうした大きな理屈で盲目的に物事を判断するのではなく、もっと冷静に事の是非を考えた方がいい。

無理か。頭の中が「アワビにバナナ」だからナ。
https://bunshun.jp/articles/-/61913

2024年3月19日

いまどき昭和風の学生の蛮行に苦笑する

神戸大学の学生サークルのメンバーが、合宿か何かで宿泊した旅館の部屋を荒らしたニュースが広がっている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8b98e41f4446a8260caf5ac846c5807bb642f9c5

部屋の中で、メンバーをみんなして胴上げして、天井に穴を開けたとか。やるね。

部屋の障子をメタクタに破り、その穴から皆で顔を出して記念写真を撮ったとか。おもろいやん。就活でのお前らの証明写真に使うといい。

こちらは顔出ししているウチの猫

 
ただ、どういう気持でそうした事を旅館でやったのか、少し気になる。報道には、

旅館によると、破壊された天井や障子は既に、学生らが加入していた保険をもとに修復されており、警察への被害届は出されていないという。

とある。

やっちまっても、どうせ加入している保険ですべてカバーされると分かっていてやったのなら、鞭打ちだ。

そして、その出来事を知った神戸大学当局のコメントにも首を傾げる。新聞によると、

神戸大はHPで「本学学生による不適切行為がSNS上に掲載されており、関係者の皆さまには大変ご迷惑をおかけし深くお詫び申し上げる」

とコメントしたらしい。

SNS上に掲載されていることにまず言及しているが、そんなことは事の本質には関係ない。ネットで広がっているからといったことではなく、問題は学生が破壊行為をしたという一点にあるんじゃないのか。

2024年3月14日

みんなで叫ぼう、「クソ野郎!」

「クソ野郎」とツイッターに投稿されたことで名誉を傷つけられたと、元TBS記者山口某(ジャーナリストの伊藤詩織さんに性暴力を加えた)が、れいわ新選組共同代表の大石晃子議員を訴えていた件の判決が出た。

東京高裁は損害賠償金の支払いを認めた東京地裁の1審判決を取り消し、山口の請求を棄却した。

1審での東京地裁の裁判長は、「クソ野郎」を「攻撃的かつ激しい侮辱」だとして名誉毀であるとした。一方、2審の東京高裁の裁判長は、「直ちに人身攻撃となり、意見や論評の域を逸脱したとは断じられない」と判断した。

この違いは面白い。裁判長2人の価値観と言語感覚が大きく異なっているのがうかがえる。それにしてもツイッターでの「クソ野郎」との投げかけを「攻撃的かつ激しい侮辱」とまでネガティブに受け取る東京地裁の裁判長は、ずいぶんお上品な育てられ方をしてきた人なんだろうナ。


とにかく、ある意味で「クソ野郎」に裁判所のお墨付きが出たようなもの。世の中を見回すとそこかしこに「クソ野郎」がいるではないか。さあ、ソイツらに向かって、みんなで叫ぼうじゃないか、クソ野郎って。

2024年3月12日

「新感覚」の自民党青年局議員たち

自民党青年局が、同党近畿ブロック会議とやらの会合の後の懇親会で、女性ダンサーたちを余興に招いた。その余興の「趣味の良さ」はまずは置いておくとして、そのダンサーらに青年局の議員らが口移しでチップを渡したことについて書く。

事の発端は、そこにいた他のメンバーがそれをインスタに公開し、世の中が知ることになった。そして、その場にいた青年局の局長と局長代理が責任を感じて役職を辞任した。局長代理は群馬出身で、あの中曽根康弘から続く三世議員だ。
 
それにしてもよくやるな、というのが正直な感想。そうした行為を行った議員は元より、その場にいた連中は、自分たちが見ている行動が恥ずかしいとは思わなかったのだろうか。

恥ずかしいと言えば、当の議員らは当然のことながら、それらの国会議員を選挙で選んだ有権者はどう思っているのだろう。普通だったら、恥ずかしくて穴があったら入りたいような思いに駆られるはずだが。

なぜそうした議員たちが選ばれ続けるのか、不思議でならない。そうした不埒な国会議員は当然だが、そうした人物を自分たちの代表として選挙で選ぶ側にも問題がある。

議員たちに票を投じた選挙民は、自分がその議員の後援会の会員でもない限り、自分がそのとき誰に投票したかよく覚えていないんじゃないか。覚えていないから、こうした不祥事を目にしても自分は恥ずかしいと感じないし、別の選挙の時には投票所で誰にしようかと悩んだあげく、そうした議員にまた1票を投じるのかもしれない。

そうしたことを防ぐための1つの方策として、我々選挙民が自分が誰にいつ投票したかをちゃんと覚えておくことが必要だと思う。

レコーディング・ダイエットを参考にすればいいかもしれない。レコーディング・ダイエットは、ダイエットを目的とする方法の1つだが、やる事は日々の体重を記録しておくことだけ。ダイエットと言うと、どういった料理をどんなふうに食べるかとか、カロリーをどう減らすかとか、そうした具体的な手法に行ってしまうが、レコーディング・ダイエットはただ自分の体重を日々記録し、それを「意識」しておくようにすることだけである。

その潜在意識が自然とその人の行動、つまりそこでは食事の内容やその仕方を変えていき、結果としてダイエットにつながる。

それになぞらえば、私の提案は<レコーディング・エレクション>とでも言おうか。選挙に行った時は、必ず手帳や日記等に自分が投票した候補者の名前と所属政党を書き記しておく。そのことでそれが記憶に残る。

もし今回のようなことで、自分が投票した議員の名前を目にしたりすることがあれば、それらの議員を選んだ国民は自らの選択を反省し、次は異なった投票行動を取るはずである。そうしたことが、本来選ばれるべき良き候補者を議会に送ることにつながっていくのだ。

それはそうと、同党青年局長の川畑議員さんとやら、女性ダンサーを招いた理由を「多様性の重要性を問題提起しようと思った」と釈明したとか。また、そうした余興を「新感覚のおもてなし」と考えた、と述べたという。

ノータリンの軽薄さもついにここまで来たか、という印象である。

2024年3月4日

0.2%でブランドを破壊

日産が下請け企業への代金を一方的に減額したことで、下請法違反にあたるとして公正取引委員会から勧告を受ける。

日産と下請け企業各社は、当然ながら納入金額は事前に交渉の上で決めている。にもかかわらず、製品納入後に代金を「一方的に」減額して支払っていた。信じられない。下請けという相手の弱い立場につけ込んでだ。あまりにセコイ、ずるい。

今回明らかになったのは、30社あまり。金額は約30億円。平均すると一社あたり1億円ほどか。日産にとっては目くそ鼻くそでも、下請け企業にとっては存続を左右する回収すべき代金だったかも知れない。

なぜ日産の担当者は、こうしたしょうもない下請けイジメを行っていたのか。会社のためか、自分のためか。「課長、今回も〇〇社への納入代金、支払金額を減額しておきましたから」「おう、そうか、ようやった!」という日産社内の上司と部下のやり取りが聞こえてくる。

今回、この件がニュースになってから、日産は「減額分の全額を業者に返金しました」とコメントしたらしいが、もともと支払うべきものを支払っていないのだから「返金」というのはおかしいだろう。

「全額」というのも変じゃないか。遅れて支払うわけだから、最低限、金利分のペナルティを加えて支払うのがスジだ。そんなこともこの大自動車会社は理解していない。さらには、下請け企業の経営者に与えた精神的苦痛への慰謝料も支払ってしかるべきだろう。どこまでも「上ー下」でしかものを考えない愚かさが見て取れる。

日産の昨年度の売上は13兆円。彼らが違法に支払いを節約しようとした今回の30億円はその0.2%。それによって企業そのものの倫理観を問われ、ブランドを自ら傷つけ、顧客を遠くにやってしまっている。そして日産という会社はセコイ、汚い、いじましい、そして情けないことを広く知らしめた。

こうした企業は他にも多くある。例えば、私が知っているだけでも富士通は同様のことをやっている。下請けの開発会社からソフトを納入させたあとで、見積もりの金額を変更して支払金額を値切っている。こちらにも公取委の調査が入るべきだろう。

日産にしても富士通にしても、自分たちでできないから外の企業に発注してるはずだが、そのあたりが分かっていない。発注者だから自分たちの方がエライ、と考えているのだろうが。

2024年2月26日

規制以前の問題

東京都が条例でカスハラに関して規制を制定するらしい。

こうしたことが「カスハラ」の例だと紹介する、厚労省が作成したビデオがこれだ。

 
よく起こりそうな店頭でのやり取りだが、これが客による店や店員に対する迷惑行為という根拠は何だろうか。誰に対してどういう迷惑をかけていると認定できるのか。たぶん、この状態では無理だろう。

ではこれは許されるかというと、それはまた別の問題。相手を傷つけている点で、問題だと考えられる。ではどうしたらよいのか。

どうも今後は、こうした行為が東京都内で行われると条例違反ということになるらしいが、誰がどのようにそれを適用するのかがイメージできない。

それを適用してそうした客を規制や処罰の対象とするためには、その人物が誰かを特定し、その客が現場で何をどのように言ったか、何を行ったかを証明しなければならないはず。音声も含めて店内の出来事をすべて録画録音しておけというのだろうか。

ところでこのビデオで気になるのは、問題はレジ前の客だけじゃないことである。やりとりを背中で聞きながら黙ったままで手を貸そうとしない他の店員、割って入ろうとも口を挟もうとせず、後ろでただ顔を歪めているだけの他の客らも問題だ。

少なくともレジが止まり待たされているのだから、堂々と声を上げて注意すればいい。「都の条例」だとか面倒なことを振りかざしても現場での実効性はないに等しいんだから。

もっとシンプルに、一人ひとりがその場でおかしなことに対して声を上げ、そうした客を追い出せばいいだけの話である。そうした当たり前のことができないことが、残念なこの国を象徴している。

カスハラなんて奇妙な言葉を振り回し、しかも役所による規制に頼って問題を解決しようという考えが間違い。

2024年2月3日

桐島聡とされる人

1月29日、自称「桐島聡」とされる人物が死亡した。70歳。1974年ごろに起こした企業爆破事件の容疑者として指名手配されていた。

彼は神奈川県鎌倉市の病院に内山洋というクールファイブのような偽名で入院していて、1月25日に病院側に「私は桐島聡だ」「最後は本名で迎えたい」と話したという。警察がそれから捜査に入って、わずか4日後になくなった。末期の胃がんを患っていたらしい。

爆破事件に関与したのは、彼がまだ20歳の学生だった頃。共犯者が海外逃亡しているために時効の適用が止まっていた。

それから逃亡生活を始め、50年である。その間、本名を誰にも明かせず、免許証や保険証、銀行口座を持たず、住民登録などもできず、裏の日常をひっそり生きてきたのだろう。

警察に出頭しようと何度も考えたに違いない。けれどそうしなかった理由は、彼にしか分からない。

ネットには「今頃になって、のこのこと出てくるな」とか「目立ちたいだけだろう」などといった言葉が流れている。本人の50年間の思いを想像したこともない他人が、一知半解な理解でものを言うべきではない。

本名を病院で明かしたのは亡くなる4日前のことになったが、その気持ちたるや察するにあまりある。日々葛藤のなかにいて、さまざまな思いのなかで生きていたはずだ。

彼が20歳の時に行ったことは明らかに犯罪である。では何がその時の彼をそうさせたのか。おそらくそれは、学生時代の人との出会いではないだろうか。もともと本人のなかにいささか歪んだ正義感のようなものがあったのだろうが、その当時の人との出会いが彼をしてこの事件に巻き込まさせ、残りの人生を決定づけたと思っている。

違う出会いがあれば、桐島はまちがいなく違う人生を歩んでいたに違いない。手配写真に写った彼の写真を見て、そう思う。

死を覚悟した彼は、50年間のあいだ封印していた本名を最後の最後に明かして、死ぬ直前にやっと表の世界へ戻ってきた。おおきな胸のつかえが取れた思いがしたことだろう。

2024年2月2日

「他者」への憎しみは、自分自身への憎しみから生じる

パレスチナの人たちを殺し、痛めつけているイスラエル首相のネタニヤフが、どうにもヒトラーに思えてきてならない。イスラエルが殺傷しているのは、あきらかに戦場のウクライナ兵だけではない。街中で、学校で、病院で、なんとか生きのびているウクライナ人の子どもが女性が多数犠牲になっている。

ジェノサイド(集団殺戮)であると世界中の人たちが批判しているにもかかわらず、その発言と行動を止めることをしないのはなぜだ。

ヒトラーは、ラウシュニング(ポーランド生まれのナチス政治家)との対話の中でこう言ったとされる。「私たちの心の中にユダヤ人がいる。しかし、目に見えない亡霊と闘うよりも身体的なかたちでのユダヤ人と闘う方がやさしい」。ヒトラーの人間性の一部が「ユダヤ人」なるものであり、それゆえに彼はユダヤ人を絶滅したかった。ユダヤ人という「他者」への憎しみは、自分自身への憎しみから生じていた。

ネタニヤフのなかにも似た感情があるように思う。長い歴史のなかでユダヤ人を痛めつけてきた数々の国や民族は、今のパレスチナ人ではない。

2024年1月8日

リーダーの判断能力

サントリーホールディングスの新浪剛史社長が記者会見で「(震災の被害は)大変厳しい状況にある」「この状況を考えれば、被災者への対応が何より優先されるべきだ」と強調し、大阪万博は延期をすべきことを示唆した。建設人材の不足が能登半島の震災復興の妨げとなってはならないとの認識を示したといえる。

一方で、三菱商事会長で日本商工会議所会頭の小林健は「万博も震災復興も両方やるべきだ」と述べた。同様に語っているのは、大阪府の吉村知事や経団連の十倉会長(住友化学会長)である。

いろんな考えが当然あっていい。しかし気になるのは、どういった前提で彼らが「万博も震災復興も両方可能」と考えているかである。

報道では被災地での死者の数は日々増えている。被害の全容は、いまだ捉えられていない。つまり被害の全体像は、現時点でわれわれが知っている状態より間違いなく大きくなる。そうした被災の全容が分かるまでまだ時間がいくらかかかる。 

意思決定の元になるはずの情報がない状態で、小林や吉村や十倉はなぜ判断できるのだろうか。そこが不思議でならない。つまりは、彼らは被災地のことなど関心がないのだろう。

こうした連中は、データにもとづく合理的な判断を行おうとせず、とにかく万博を絶対やるのだ、と声高に叫んでいるだけ。これはリーダーがやってはいけないドグマ主体の最悪な意思決定のやり方である。

万博を巡っては、建設業界の人手不足と資材価格の高騰が問題になっている。そうした人手と資金を日本はいまどう使うべきかを考えるべき時ではないのか。

2024年1月6日

トイレ問題とDX

報告される能登半島地震による死者の数が日に日に増えている。国や自治体、自衛隊などの力によって全力の復旧がなされているのだろうが、なかなか進んでいないようだ。今後の天候も気になる。

避難所の様子もメディアを通じて断片的ではあるが流れてくる。水や食料、生活物資が徐々に行き渡りはじめた一方で深刻なのが避難所のトイレ問題だ。住む家を失った人たちが身を寄せる場所は地域の避難所しかないわけだが、トイレが足りない。

災害用トイレの数が足りず、また使い方がよく分からない人がいたらしい。仮設トイレが運びこまれ設置が進んでいるが、まだ数は十分ではない。また避難場所になっている学校などでは断水でトイレが使えないところも多いという。

人は食べて出すことで生きている。災害があったとき、多くの人が心配するのが排泄のことだろう。それがうまく行かなければ健康を害することになるし、ストレスも増す。その場の衛生状態を確保することも難しくなる。 

国はこの数年、デジタル・トランスフォーメーションとか、なんとかトランスフォーメーションという言葉を振りかざして日本のあるべき姿を描こうとしているが、それよりまずはトイレだ。人間、満足に糞もできず、DXでもなかろう。

2023年12月26日

日本は、どうやって生産性を上げるか

内閣府が2022年度の日本の一人当たりGDPを発表した。それによると、日本は先進7ヵ国のなかでとうとう最低になったらしい。数年後、G7のメンバーから日本は外れ、韓国と入れ替わるかもしれない。

OECD加盟国(38ヵ国)のなかでは順位が21位まで下がった。データを遡ることができる1980年以降で初めてだ。韓国は現在22位である。

ドル建ての名目GDPを2005年のものと比較すると、日本は12%のマイナス。一方、米国は2倍になり、ドイツも1.4倍に増加している。

円安の影響が大きいといわれているが、そこに原因を持って行って安心すべきではない。今のように円が弱い状態が常態化すれば、もう原因が円安とか言ってはいられなくなる。

人口減少が続く中で一人当たりのGDPの値が下がっているということは、国の名目GDPが減少し続けているということを示している。

一人当たりGDPとは別に、労働生産性に目を向けると別の状況が見えてくる。日本は2022年、OECD加盟国のなかで過去最低の30位。ポーランドやポルトガルにも超されている。労働生産性が低いから、一人当たりのGDPが低いのも当然。ただ労働生産性が世界30位で、一人当たりの名目GDPが世界21位なのをどう解釈するか。

そこには、低い労働生産性を長時間労働でいくらか補っている、という現状が浮かんでくる。悲惨な今の日本の姿である。

生産性を上げるためには、効果的に働くこと、効率的に働くこと、たくさん働くことが考えられる。たくさん(長く)働くことを避けたいと考えるなら、前の2つしかない。実態はどうだろうか。本来はやらなくてもいいこと、あるいはやるべきではないことに対して時間や労力を注ぎ過ぎてはいないか。これまでやってきていることややり方で、既に実際上は通用しなくなっている点はないか考えてみる必要がある。

ビジネスの面で言えば、日本企業の最大の弱点は慣性に乗ったら乗りっぱなしで、別の思考をしなくなること。特に経営者が。そして一旦できた流れをとめるのが、日本の組織ではとても困難で時間がかかる。

ビジネスだけではない、政治も同じ。個々の日本人が持つ能力の問題とは別だ。

2023年12月22日

これは構造的な問題、つまり経営の問題である

山田養蜂場から手紙が届いた。ずいぶん前だが、一度、そこからハチミツを購入したことがあったからだろう。文書の内容というと、個人情報を流出させたことへの説明とお詫びだ。流出した件数は、ぜんぶで405万件。驚く数字だ!

経緯はというと、山田養蜂場が仕事を委託した先の(株)NTTマーケティングアクトProCXが、その仕事を関連企業のNTTビジネスソリューションズ(株)を下請けとして再委託。で、そこで働く派遣社員が客の個人情報データを持ち出した。

NTTマーケティングアクトProCXからNTTビジネスソリューションズに仕事が回された時点で、委託経費は中抜きされて削られている。そして、実際の現場の業務はというと、時給で働かされる派遣社員がすべて任されてやっているという構図だろう。

NTTの2社の社員は自分ではほとんど手を動かさず、クライアントである山田養蜂場からの支払いを手にしているわけだ。

そこに派遣されて、何の権限も与えられず、ただ命令されたことをその通りにやらされている派遣社員。彼(女)がやったことは犯罪であることは間違いないが、気持ちを推測して理解することはできる。

下請け(関連企業)に仕事を回すだけの「NTTマーケティングアクトProCX」なんて、そのご大層な社名が恥ずかしくないのかね。私はとても恥ずかしいと思う。

2023年12月18日

ここにも正気をなくした指導者がいる

パレスチナのガザ地区で、捕虜になっていたイスラエル人3人がイスラエル軍によって誤って射殺された。

その一人は、棒の先に白い布を付けた「白旗」を掲げていたにもかかわらず撃たれた。一体、これはどういうこと?

イスラエルのネタニヤフ首相は、それでも攻撃を止める気はないという。

かれは、歴史上に21世紀のヒットラーとして名を残したいのか。 

イスラエル国内でも、戦闘を止めて、交渉により人質の解放を優先するべきだと訴える大規模なデモが行われたらしいが、当然だろう。

2023年12月16日

電車に一礼

宝塚歌劇団による団員への長時間労働や上級生から下級生へのイジメがとりだたされている。旧態依然とした古い体質の組織にはありがちだが、報道を見るにつけこれほどまでとはと驚いてしまう。

とりわけ仰天したのは、阪急電車が走っているのが見えたら、その電車に向かってお辞儀をしなければいけないという決まり。数年前に強制ではなくなったらしいが、それまで何十年にわたる不文律の伝統だった。

ぼくが仰天したと云ったのは、劇団員がそれを長年やらされていたことはもとより、それを当然のことと思って見ていた周囲の関係者たちの存在である。

歌劇団にはその団長をはじめ、制作や運営に関わる大勢の人たちがいるはず。運営元の阪急電鉄、その親会社の阪急阪神ホールディングスにも大人はいるだろう。スポンサー企業にもファンクラブにも、それぞれいい歳をした大人がたくさんいるはず。

周りのそうした大人たちは、この奇妙な習慣をどう見ていたのか。それがタカラヅカらしい、美しく、麗しい振る舞いだとして目を細めながら見つめていたのだろうか。

2023年12月7日

パーティー=パンツ説

パーティーによる自民党議員の裏金作りの追及を受けて、岸田首相がすべての派閥パーティーの開催自粛を指示した。

これは、あきらかな問題のすり替え。対応しなくてはならないのは、そういう事ではないはず。

それで思い出したのが、勝新の「もうパンツをはかない」発言だ。

1990年、勝新太郎がハワイ・ワイキキの空港でマリワナとコカインを所持していたことで捕まった。それらを下着に隠して日本に持ち帰ろうとしたのを見つけられたのである。

現地で記者会見が開かれたとき、勝は「なぜ、パンツの中に入っていたかわからない。今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」とコメントした。

彼らしい「名(迷)セリフ」である。みんな笑った。名役者らしい「芸」があった。

岸田首相も国民を目くらまそうとするなら、少しは見習ったらどうだ。

2023年12月6日

130億年前を示す画像

NASAのジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡での観察データをもとに、東大宇宙線研究所などが120〜130億年前の巨大ブラックホールの存在を突き止めた。

 
そうした気が遠くなるほど昔に発せられた光が、いま地球に届いたことでそれらブラックホールの存在が確認できた。遠大さに目眩がしそうである。

さらに驚く話として、今回発見されたブラックホールの重さというのは、太陽の100万倍〜1億倍と発表された。太陽の1億倍の重さって、なんなんだ!

この国の官房長官が、パー券収入から1,000万円分を自分のポケットに入れていたらしいが、そうした小さな精神が情けなくなる。

2023年12月5日

キックバッカーズ

自民党の各派閥が「パーティー券」がらみで政治資金規正法違反の嫌疑をかけられている。

このパー券とやら、議員は販売のノルマを課せられており、それを超えて「頑張った」議員には超過分がキックバックとして支払われる仕組み。

キックバックというのは古くからある慣習だが、ぼくが知る限りそれは商売のうえの言葉であり、政治の世界がやることじゃない。彼らは金と利権だけしか頭にない政治屋だから仕方ないか。


それにしても、よくこれだけ国民を愚弄にした会見が開けるものである。この国ではこうした為政者によって、国民やメディアが完全にバカにされている。だが、そもそもそうした連中を選んだのも、われわれ国民(の一部)だからナ。情けなくなる。

We are Kickbackers

2023年11月26日

やめられない、止まらない、は危険信号である

日本維新の会の代表が、関西万博について絶対に止めない、と語った。この国の首相でもないのに、何を勝手なことを言っているのだろう。


理由は、中止すると「世界の信用を失う」からだそうだが、そうだろうか。冷静で合理的な判断からの中止の結果に対して、一体どの国から信用をなくすと考えているのだろう。

一旦始めたからには止められない、ではまるで先の大戦のときと同じだ。1945年3月の東京大空襲で100万人以上が罹災し10万人が死亡したにもかかわらず、「始めてしまったから」というイナーシャで日本は戦争を止めるという判断ができなかった。

その結果、米軍による日本各地への自在な空襲は続き、挙げ句がヒロシマ、ナガサキである。

日本維新の会の代表の発言からは、その時の日本の思考と同様のものを感じる。

「やめられない、止まらない」は、かっぱえびせんだけで十分だ。

2023年11月17日

問題の幼稚なすり替え

宝塚歌劇団でのいじめや異常な長時間労働が問題になっている。詳しいことは、これからの調査で徐々に明らかになっていくのだろうが、先日の同劇団の記者会見は噴飯物だった。会見には、劇団の理事長などが出席していた。

そこで劇団側と阪急電鉄側は、調査の結果、「いじめは確認できなかった」と語り、いじめの存在を否定していた。

だが、宙組のメンバー4人は調査のためのヒアリングを拒否している。話せない、話したくても話すわけにはいかない、との思いからだろう。劇団側と上級生から重層的な圧力が加わっていたと聞く。

そんな調査で、「いじめは確認できなかった」というのは、ジャニーズの性被害が報道された当初と同じである。あるのは自分たちの責任回避と組織防衛の意識のみ。

調査が今の段階ではまだ不十分なのだから、「いじめがあったかなかったかは未だ確認できていない」とするべきだ。 

とにかく頬被りをして自分の都合がいい結論で幕引きを図りたいという意識が見え見えなのが愚かしい。なさけない集団である。