2020年12月28日

分・散・参・拝

濃厚接触、外出自粛、分散参拝、、、どれも今の社会に根付いた格言かスローガンのように聞こえる。

こうした歯切れの良い言葉で語られると、なんだか世の中の常識であって国民は従わなきゃならないような雰囲気になってくる。すでに以前から一般的な標語かのような定着感があるから不思議だ。

乾坤一擲、鬼畜米英、挙国一致、臥薪嘗胆。先の大戦中に国民を鼓舞し、ある方向へ導くために意識的に用いられたこうした4文字熟語を日本人は愛した。

4文字熟語には、日本人が周りと気持を一つにしたいというセンチメントを呼び起こす何か不思議なチカラがあるように思う。言葉のリズム感とイデオロギーを4つの表意文字で表したスタイルに、日本人はしびれるのかもしれない。

そういえば、あえてそうした4文字熟語ばかり集めて歌詞にした、山平和彦が唄う「放送禁止歌」というユニークな70年代フォークがあったのを思い出した。今はYouTubeで普通に聴けるあの唄が、どうしてテレビやラジオで放送禁止だったのだろう。

2020年12月26日

ベランダ焚き火

月がきれいで、星がいくつかきらめていて、風がない夕刻は焚き火にもってこい。

炎の熱が、火の中で木材が弾ける音が、そして薪が燃える匂いが五感をくすぐる。時折、煙が目にしみる。それもまたリアルな実感だ。

 
         動画:20秒           

2020年12月25日

クリスマスのベートーヴェン第9

NHK交響楽団の今年最後の定期公演の演目は、ベートーヴェン「第9 合唱付き」。

第9を完成させた頃、ベートーヴェンはすでに完全に聴覚を失っていた。また内臓疾患にも苦しんでいたという。そうした苦しみの中で、もがくように光と希望に満ちた本交響曲を作り上げた。

会場は渋谷のNHKホール。客席は観客の間に空席を一つずつ挟んでの公演であるが、その状態で会場はほぼ満席だった。

指揮はスペイン人のパブロ・エラス・カサド。キビキビした指揮ぶりだ。

テノールの宮里直樹は私の遠縁の一人だが、今や若手で日本を代表する歌い手の一人。彼にとって今回の公演は、N響バイオリニストの父親との「共演」でもあった。

大晦日の夜にNHKで放送されるらしい。

2020年12月24日

「〜なのに」をやめることから始める

 「今日はクリスマスイブの日なのに、街はどこも例年の賑わいを欠き、・・・」。街の様子を紹介するニュース番組でのコメントだ。

確かに繁華街でも人通りは思ったほどではなく、賑やかなジングルベルの音楽はどこからか流れてくるものの、人の気持はそちらへは流れて行ってはいない感じがする。

マスクなしの外出をさける、県をまたがった移動を避ける、会食などの集まりを避ける、人との近距離での接触を避ける・・・そうした状況下で(宗教色がなくお祝い一色の日本型の)クリスマスもないのだろう。

だから、クリスマスなのに若者はデートもせずに自宅に引きこもっている。カップルだけでなく、この「なのに」に僕たちは急速に慣れていかなきゃならなくなった。

考えてみれば、僕らの普段行う行動の規範のひとつとして「なのに」は大きな意味を持っている。「男(あるいは女)なのに、何々しない」「大人なのに、何々できない」「親なのに、何々しようとしない」「学校の先生なのに、何々している」等々、個人の特性や自由を無視して決めつけることをわれわれはしてきた。

そうした個人を無視した圧力が、新型コロナによって少しずつ変わって来た感じがする。直接的にそのウイルスが変えたわけではないが、ウイルス感染防止のために我々は半強制的に新しい行動の仕方を身につけるようになった。そして、新しい行動が新しい感覚を呼び、新しい意識と考え方につながっている気がする。

ニューノーマルとか新常態なんて言葉もあるが、この機会をチャンスに旧来続いてきた訳の分からない因習や考えから僕たちは自由になれればいいと思う。

「彼(彼女)は、●●なのに▲▲だ」と指さされ、批判されるような人たちが今回を機に一気に国中に増えるが、そしてやがてはそれが一般的なこととなり、常態化する。そうしてやがて「なのに」が人々の意識から消えていけば。

2020年12月23日

袴田事件、再審開始が決まった

袴田さんの無罪を求める再審請求が認められる可能性が出てきた。

1966年に当時勤めていた味噌会社の一家4人に対する強盗殺人放火犯として逮捕され、47年以上にわたって収監された。これは世界最長の収監期間としてギネス認定になっているほど。

しかし、その記録を読むと僕には明らかに警察のでっち上げにしか思えない。取り調べは凄まじい、文字通りの拷問が長期間にわたって繰り返されている。有罪の決め手となった証拠品としての味噌桶に投げ込まれた血痕がついていたする衣類はどう見ても警察の捏造である。

味噌会社で働く前にプロボクサーをしていた袴田さんは、警察にとっては格好の狙い目だったのだろう。「ボクサー=暴力的で野蛮」というイメージを前面に押し出すことで、袴田さんを犯人に仕立て上げようとあらゆる手段を講じている。

なんとも偏見にみちた非道な考えだ。そうしたことが普通に、本当に普通にまかり通っていたのである。袴田さんが関係しているとされるこの事件だけが決して特別な例外的ケースではない。

今回、裁判をやり直す再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し審理を差し戻した最高裁の決定は、ささやかながらも袴田さんを支援してきた僕にとっても明るいニュースだ。

しかしながら、事件から半世紀以上が過ぎた。袴田さんはすでに84歳になっている。

2020年12月20日

総閲覧数がトップに

3月からのコロナウイルス感染拡大の影響で、この夏参加予定だったベルギーの国際学会への出張がなくなった。

仕方ないので報告先を国内の学会に切り替え、研究成果はこの10月に開催された学会(日本マーケティング学会)で発表した。
https://waseda.box.com/s/xiuu0a2nhl4zsbafnib0i1f8iv0mg3z4

この前学会事務局から連絡があってそのサイトを見たら、その後に学会サイトへ掲載された研究報告で閲覧数がトップになっていた。

学会のサイトにはあえてフルペーパー(論文本体)は掲載せず、報告概要しか載せてないんだけど、とにかく興味を多くの人が持ってくれたのは良かった。

10年ほど前からほぼ毎年、海外の国際学会に参加して研究発表をしている。外国の学会に出ると世界各地からやって来たいろんな研究者と知り合えるし、なんといっても海外の研究者はフランクに質問してくるから刺激的でとても楽しい。

日本人ばかりの集まりだと、なぜそうならないのだろう。

2020年12月19日

エリートが出て来ないからこそ

川崎のチネチッタで観た『ニューヨーク 親切なロシア料理店』は、デンマークの映画監督ロネ・シェルフィグが2019年に制作した作品。

重要なセッティングのひとつであるロシア料理店「ウィンターパレス」のあるところは、たぶんマンハッタンのミッドタウンあたりをイメージしているんだろう。主人公の女性クララが2人の子供を連れてたびたび訪れる New York Public Library(ニューヨーク公共図書館)が懐かしい。

なぜ映画の舞台がマンハッタンだったのか。人々(アリスなどそこを訪れた事がないアメリカ人にとっても)の憧れの地で、種々雑多な人が暮らし、そしてタフな場所というイメージが映画の原題である<The Kindness of Strangers> を浮きだたせる舞台としてふさわしかったのだろう。

マンハッタンというと、個人主義の強い人たちが集まった厳しく情け容赦のない競争の地というイメージがあるかもしれないが、実体はたぶんそうではない。

確かにニューヨーカーらは、自分からあまり人に深くは構おうとしないが、それは他人を尊重しているから。話しかけ、必要な助けを求めれば、多くの人たちはさりげなく手を貸してくれる。というのが、以前そこで1年間暮らした僕の経験だ。シェルフィグ監督が醸し出したかった雰囲気もそれだったに違いない。

主題の一つは、救い。映画の中、主人公のそのクララと病院の救急医療の場で働くアリスの2人の女性がストーリーのなかで交差し、それぞれのやり方で救われていく。それをもたらすのは、見知らぬ人たち(ストレンジャーたち)の親切さ。

忘れてはならないのは、アメリカ社会がーーわれわれ日本人には意外かもしれないがーー豊かな共助によって支えられている社会だということ。それを象徴する「シェルター」の存在。

アリスが所属する教会、彼女がそこで定期的に開いている「赦しの会」という集まり、ホームレスらへの食事提供の場、42丁目にあるニューヨーク公共図書館、そしてロシア料理店の「ウィンターパレス」。どれも助けを必要としてる人たちのためのシェルター(避難場所、保護施設)になっていて、そのベースにはコミュニティーの意識がある。

社会的、経済的な成功者(エリート)は誰も出てこない。物語は寓話のようでもあるが、マンハッタンの人たちの実際の暮らしのスライスでもあるように思った。

レストラン・オーナー役のビル・ナイが、飄々としたいい味を出している。


 

2020年12月18日

データ漏洩の可能性は、顧客に速やかに連絡すべきだ

ひさしぶりにNHKオンデマンドのサイトにログインしたら、「このパスワードはデータ漏洩で検出されたことがあるため、このアカウントは危険に・・・」というメッセージがいきなり現れた。
 

 
もちろんパスワードは変更したが、自分のアカウントが他者に利用されていた可能性は否定できない。

その場合、僕のアカウントで他の誰かがサイトを利用していたということであり、まあ大きな実質的な被害はないのだろうが、それでも気持ちいいことじゃない。

アカウントデータ漏洩が確認できた段階でサイト運営者はすぐにその説明を利用者(顧客)に連絡する義務があるんじゃないのかね。 

2020年12月17日

やっぱり芸術とうんちは違うんじゃないのか

今朝の新聞紙上でインタビューを受けていたネット証券会社社長のM本某が、「芸術はうんちみたいなもの。排泄しないと不健康だし、人間らしさが凝縮されている」と語っていた。

そうか? 芸術家が日々創造しているのはうんちなのか。画家も彫刻家も音楽家もうんちに生きているというのか。こんな失礼な話はないだろう。

うんちはご飯さえ食べてれば勝手に(自然に)でる。そこには何の葛藤もない。ネズミだってミミズだってうんちをする。

排泄しないと本当に不健康かどうか知らないが、そうした発想自体が不健康である。

(うんちには)人間らしさが凝縮されてるんだって? 知ってた? じゃあ、あなたのうんちにはあなたらしさがどう凝縮されているのか話してごらん。

アーティストが、自分が生み出したものという意味で自らの作品をうんちということはあるかもしれない。だけど、数字(金)のことしか考えてなく、芸術家と違って人のこころを動かすものなど何もクリエイトしてない人が利いたふうな口を叩くのはどうなんだろう。

彼の会社には、これ見よがしに(たぶんね)若手の現代美術家の作品が飾られているらしい。もしうんちがすきなら、ぜひピエロ・マンゾーニの「芸術家の糞」でも一緒に飾るといいよ。


 

2020年12月15日

迷走する政権のGoTo なんたら

ガースー首相が「GoToトラベル」キャンペーンの全国一斉停止を発表した。やっと年末年始が静かに過ごせそうだ。

とにかくやることが遅く、判断が一貫していない。説明が説明になっていない。こんなのではどうしようもない。

感染者数がこれまでになく増えているのは明らかなのにもかかわらず、妙な数字を持って来て、キャンペーンの継続を正当化し続けた。その挙げ句、世論調査で首相の支持率が急低下したと見るや一転、自己保身的にキャンペーンの停止を発表した。二階派に対して「忖度」を続けている場合ではなくなったのだ。

それとタイミングを一にして、自民党二階派が「勝手なことしやがって」と毒づいたとか。現在の自民党幹事長二階は、全国旅行業協会の会長。業界は、その一派にとって重要な票田であり、献金元なのだろう。

だからか、観光庁も「GoToトラベルが感染を拡大させたというエビデンスはない」とずっとうそぶいていた。かれらは極めて限定的なデータをもとに、そんな証拠はないのだからGoToは続けて問題がないと子どものようなロジックを主張し続けていた。

医学領域の専門家があれだけGoToを控えるべきだと懸念していたにもかかわらずだ。彼ら政治家と官僚が、国民の命や健康、安全といったものより明らかに自分たちの利益集団を守り、票田を保つことが優先されていたというだ。 

2020年12月13日

それでも少年は生きていく

横浜で映画「異端の鳥」を観る。3時間近い白黒映画である。

舞台は東ヨーロッパのどこかの国。ドイツに攻め入られ、侵略されている国だが、特定の国名やそれを著す言語は出てこない。そうするとどこにもない国のようだが、どこにでもある国でもあると言える。

チェコ人の監督、マルホウルはこの映画をデジタルではなく、古典的なモノクロのネガフィルムで撮影した。デジタルとは異なる輪郭とコントラストが際立った映像は、こんなに鮮やかだったのかとあらためて再確認させられた。

ホロコーストを逃れて親から田舎の祖母の家に預けられた物言わぬ少年が主人公。小さなその家で、少年がたどたどしいながらピアノを弾いているシーンが冒頭にある。

ある日、祖母が当然死し、同時に事故で住んでいた家が火事で燃えてしまい少年は居所を失ってしまう。

彼は各地の村落で差別され虐待される。凄まじい偏見と暴力。不条理の海を少年はそれでも一人でわたっていく。登場する人物たちの邪悪さ、粗雑さ、人間の皮を被った獣のような普通の村人たち。

まるでいじめのゲームでも見ているかのように、行く先行く先で少年は出会った大人たちから蹂躙され痛めつけられる。そして、それでも彼は生きていく。だんだん子供なりに人間性を失っていきながら。

映画には説明的なナレーションや少年の内なる台詞などは一切ない。寡黙な少年の心情を映画の観客が知る術は、彼の表情しかない。時にうつろに、時に大人たちの心の奥底をのぞき込むような眼差しに引き込まれる。

この映画の原作は、1965年にポーランドの作家イェジー・コシンスキーが発表した小説「ペインテッド・バード」。映画の半ばで、鳥売り男が出てくる。その男が、あるとき一羽の小鳥の羽に戯れにペンキを塗って空に放つ。鳥は空を舞う仲間の群れに入って行くが、群れの仲間から小突かれ、突っつかれ、やがて無残な姿で墜落する。

羽の色が自分たちとは異なるペンキを塗られた鳥は、異物であり、異端であり、排除されるというメタファーである。東ヨーロッパ各地の村を流れて行くユダヤ人の少年もまた異物であり、異端と受け取られたために動物、いや虫けらの扱いを受ける。

普通の人々の残虐さと狭量さ、かれらこそ人間であっても動物のような精神性しか持ち得ていないことを訴えている。そうした人間たちは、自分たちの群れに属さない存在は拒絶し、放逐して何にも感じるところはない。すでに人間としての理性や情緒を失ってしまっているのだ。

それらのすべて、とりわけそうした人間のもつ偏見の根底には無知がある。


2020年12月12日

タダほど高いものはないから

グーグルが利用者へのサービスポリシーを変更すると発表した。いつかやるだろうと思っていたが、予想より早かった。

そもそも「無料」だから何も言えないし、こちらも工夫次第でなんとかしのげる。しかし、それも彼らは織り込み済みで、またいつかもっと厳しくポリシーを変更してくるか分からない。信頼しきっていたら、大変なことになりそうだ。

僕にとっての最大の影響は、これまでグーグル・サイトを学生などとのファイル共有の場にしていたのが、そう簡単にできなくなったことである。 

しばらくは様子を見ながら、いざとなったときの対応策を検討しておかなければと思っている。

2020年11月14日

グーグルの気味わるさ

YouTubeであるアプリの設定の仕方を動画で確認しようとDuckDuckGoで検索をかけたところ、匿名性に関する警告が表示された。「YouTube(Google社)に匿名性はありません。ここで見るビデオはGoogle社によって記録されています」と。実にはっきりと述べている。


情報としては知っていたものの、このような表示を見せられると、このまま安易にアクセスしてよいものやらどうか一瞬たじろぐ。

そういえば、Google Photos がその方針変更を発表した。まあ、いつかはやるだろうと思っていたが、現行の写真保管のデータ量にキャップ(上限)をかけることにするらしい。

ユーザーとすれば、使用料を彼らに払って使っているサービスではないので何をやられても文句の言いようがない。

ただ、これをきっかけに、多くのユーザーがグーグルのサービス利用に関してより注意を向け、このままタダという目先の小さな利益を追って個人情報を垂れ流していってよいのか自分の頭で考えるきっかけになればと思う。

話をYouTubeに戻せば、彼らは広告収入を広告主から得ていながら(この仕組みは民間放送テレビやラジオと同じ)、さらに同時にユーザーの個人情報を収集し、販売して稼いでいる。 大もうけできるはずだ。

2020年11月9日

犬の散歩にウンチはつきものだから

冠雪した富士山を眺めつつ、朝の空気を吸いながらススキの道を散歩をしていたら、道端にDog Poop Boxと書いた缶を収めたちいさな屋根付きの箱を見つけた。上の段にはビニール袋の箱が置いてある。

誰がこれを設置したのか。たぶん自分自身ワンコを連れて散歩をする人だろう。自分も使えるし、他の犬好きにも喜んでもらえると。この缶の大きさだと、2、3日に一度は回収をしなきゃならないけどね。



2020年11月6日

70円のエアメール

駅に向かう途中、書き損じのはがきを持って郵便局へ立ち寄った。鞄の中から取り出したのは、返信しなかった往復はがきの片割れが5枚ほどと机の引き出しに残っていた国際郵便はがきだ。

机を整理していて、古い手帳やらメモ帳の下から出てきたエアメール専用のはがきには、70円の切手が印刷されている。いつそれらを購入したがまったく記憶がない。10年以上前なのは確か、いや20年前くらかもしれない。

国内で使う普通のはがきが63円だかから、どうせこのままでは使えないだろうと思って窓口に出したとところ、「いまもこのまま使えますよ」と言われた。

はがきの代金はここ数年少しずつ上がってきたが、この国際郵便はがきは今も変わらず、立派にエアメールで送れると言われた。

Eメールでメッセージが送れる時代に、エアメールといえども葉書でメッセージを送る人がどれだけいま日本にいるのか、思わず考えてしまった。おそらくはほとんどいないとはいえ、こうした手段がまだ残っていることにはなんだか感謝の気持ちがわいてくる。

手書きのエアメールなんて書いたことない人がもうほとんどなんだろうけど、われわれの世代にとっては今も懐かしく、ちょっぴりお洒落な響きと感傷をかき立てるアイテムである。

2020年11月5日

地球から1番近い星、2番目に近い星

空気が澄んできて、天気がいい夜は星がたくさん見えるようになってきた。

ベランダに出てみると、正面に月と火星が。

スマホには天体観測用のアプリがいくつか入っていて、その中のひとつは星にカメラを向けると、星座と星の名前を示してくれる。無料のアプリなのに便利で重宝している。

2020年10月26日

気仙沼で秋刀魚を

秋の気仙沼にやって来た。一ノ関から気仙沼線に乗換えて気仙沼駅。そこから先はBRTと呼ばれる鉄道の代替交通機関として走っているバスで南気仙沼駅へ。もともと鉄道が架設されていたところが舗装され、バス路線に替わっている。 

南気仙沼駅前で待っていてくれたタクシーの運転手さんの案内で街を回る。まず街全体を見下ろせる場所へ行きたいという僕の希望で連れて行ってくれたのは、安波山という小高い山。

そこの駐車場から街を見下ろしたが、その場所は3・11の時に気仙沼に来ていたサンドウィッチマンが、地元の方に連れられて津波から避難してきた場所だったと聞いた。

街のなかは静かだ。夜は9時頃を過ぎると、あらかたはひっそりとしている。黄色い街路灯が冷たい光で地面を照らしている。

日中はいつも旅先でそうするように時間がある限り歩き回ったが、気になったのは子どもをまったく見なかったこと。もちろんいないわけじゃないだろうけど、なぜだろう。

安波山の展望台から市内を見下ろす

町の産業は、土木業だけが栄えている

昨年ほどではないが、ことしも秋刀魚の漁獲量は少ない

2020年10月21日

近藤等則の死を悼む

ジャズトランペッターの近藤等則が亡くなった。71歳。死亡理由は明らかにされていない。

80年代なかば、ジャズの歴史をモチーフにラジオコマーシャルのシリーズを制作していた時、アドバイザーをお願いしていたジャズ評論家の油井正一さんから「面白いから」と彼の音楽を薦められた。

既存の音楽集団に属することなく、独自の理論と音作りで世界を文字通りわたりながら活動していたミュージシャンだった。 

2020年10月11日

人は、本によってできている

部屋の片付け(つまり物を減らす作業)をしていたら、岩波書店が発行している古い『図書』がでてきた。1997年の臨時増刊号で、岩波新書創刊60周年記念と題字の上に描かれている。

特集タイトルは「私の薦めるこの一冊」。岩波書店が各界で活躍している人たちにアンケートを送り、回答を返してくれた429人の「岩波新書の一冊」についての思い出やコメントが紹介されている。

「岩波新書にこんな本があったんだ」という発見だけでなく、評者と本の意外な取り合わせが面白くて、トイレに置いてしばらく眺めていた。

劇作家の人が数学に関する本を「学生時代に読んで、忘れられない」と書いていたり、天文学者が禅の本を取り上げていたり。取り上げられている本にもまして、なぜこの人がこの本を、と創造するのがとても楽しい。

一方で、政治家が政治思想史の本を取り上げていたり、歴史学者が歴史の本をこの一冊と言っていてもなんだかね。

自分が回答するとしたら、どの一冊だろう。永六輔さんの『大往生』かな。

2020年10月7日

どこへ行くのか、民放放送

武漢型肺炎感染拡大以来、この半年は自宅で仕事をする機会が増えた。時を同じくして、テレビをつけている時間も以前に比べて伸びたのが分かる。きちんと見ている、聴いているわけではないが、なんとなく仕事のBGM的に流している。

主にチャンネルを合わしているのはCNNかBBC、そうでなければNHKの地上波かBSだ。

民放局(地上波もBSも)を見ることは、最近ではTBSの「報道特集」などごく一部の番組を除いてほとんどない。

民放を見ない理由は特にない。あえて言えば、見る理由がないから。どのニュース番組も主張がないし、ゴールデンタイムの番組もほとんど何のためにやっているのか意味が分からない。しかもやらたと1つの番組が長い。

今日の民放各局の夕方以降の番組は、NTVが夕方のニュース番組(バラエティ?)が2時間10分、その後の同じくバラエティが2時間、続いてドラマが2時間(まあこれは分かる)。

テレ朝は夕方のニュースが2時間5分、続くクイズ番組が3時間10分、ニュースが1時間20分。

TBSは夕方のニュースが3時間10分、続くバラエティが3時間。

テレ東は、夕方のニュースが2時間35分、その後のバラエティが2時間。

CXは夕方のニュースが3時間15分、続くバラエティが2時間、さらに2時間のバラエティが続く。

多彩な選択肢と時間の過ごし方が可能な現代で、どのくらいの人がひとつのチャンネルのまま3時間見続けると考えているのだろう。ただこうやって時間単価あたりの番組製作費を抑えているとしか思えない。

これまで僕は、いくらネットの時代になってもマスメディアのパワーと影響力は残ると主張してきたが、それにしてもこんなコンテンツじゃあ、民放局はどこも近いうちにどうなるかホントわかんないね。

だって番組編成を見る限り、どこももう半分死んでるも同様だからサ。

 

アップデイトという弊害

最近では、エクセルで関数を使って計算する機会は以前ほどなくなった。それでもたまにやんなきゃならないことがあって、スプレッドシートを開き作業する。

そうしたとき困るのは、アイコンやボタンの位置が以前使ってたときと感じが違っていること。ソフトの機能はさほど変わってないのに操作性だけが大きく変わっていて、昔の勘ではそのまま使えない。

さっさと計算を済ませたいのに、そのまえにエクセルの使い方に新たに慣れるという手間がかかるのは愉快ではない。

もういい加減、見た目を変更するだけのアップデイトは止めにして欲しいものである。

OSのバーションがどんどん変更になるのも考えもの。セキュリティ強化などが目的なのだろうが、それにしても手元でのアップデイトには手間がかかる。集中して作業しているとき、スクリーン上にOSアップデイトの案内などが出ると気が削がれるしね。

複数のパソコンを一緒に使ってると、各機のOSのバージョンの違いにより使えるソフトが異なる不便も発生する。

もうこの辺にしたら、と言いたくなるが、売らなきゃいけない方としてはそうもいかないのだろう。

下はコンサルタントをしている友人の「スタジオ」写真。企業研修などはここ(彼の自宅)からライブでやっているそう。MacBookが3台あるけど、うまく同期を取りながらやっているんだろうなあ。


2020年10月3日

DXは、80年代のSISに似ている

DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉を聞くと、1980年代後半から90年代によく耳にしたSIS(戦略的情報システム)という言葉を思い出す。

あの頃、日本ではNECが中心だったろうか、当時まだ業務用コンピュータの中心をしめていたメインフレームとそれを動かすアプリケーションを販売するために大規模な広告を通じてSISを世に知らしめた。
ある会社の社長が、部下に向かって「君、秋葉原に行ってSISを買ってきてくれ」と言ったとか言わなかったとか。
戦略的な情報システムがあるわけではない。情報システムを戦略的に活用するかという人間の思考があるだけだ。
最近巷でよく言われてるデジタル・トランスフォーメーションにも同じ匂いを感じる。デジタル・トランスフォーメーションという何か便利な仕組みや仕掛けがあり、それを組織に導入することで業務改革が実現できたり、競争力を高められるとでも言いたいような話が多い。
今まで手書きしてた社内メモをメールに替えるのもデジタル・トランスフォーメーションだ。情報をデジタルにし、使いやすくするというだけのこと。中身は変わらない。
デジタル情報を何のためにどのように使うかは、人間のアタマ次第。意味のないデジタル投資にいくら金を費やしても、それだけでは自社の競争力を高めることができないのは明らかである。
基本に立ち返り、自分たちのビジネスは何なのか、自分たちの顧客は誰なのか、顧客にどういった価値を競争相手より上手に提供できるのかを知り、そして目的と目標をはっきりした上で、初めて経営者はデジタル・トランスフォーメーションをどう使うか決めることができるはずだ。
新しい言葉に振り回され、周りに遅れまいとデジタル投資をしさえすれば自分たちの組織は戦略的に動き始め、自動的に利益をあげられるとひょっとしたら多くの日本の経営者たちは夢想してるのかもしれないが。

2020年10月2日

いきなり馬脚を現した新政権

いやあ、驚いた。日本学術会議が推薦した新会員候補を菅首相が拒否した。学術会議が推薦書を提出した105人のなかから6人の任命を拒否した。

官房長官の加藤勝信は、「首相の下の行政機関である学術会議において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然」と言ってのけた。

前代未聞。同会議が設置された目的からすると、首相に任命権そのものや拒否権があるとは思えない。気に入らぬものは徹底的に排除する精神のあらわれ以外のなにものでもない。

時の政府から拒否された以下の方々は、実はわれわれにとってとても重要な研究者であることが分かったよね。きちんと覚えておきたい。

【任命されなかった6人】 (ハフポストから)

■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。

■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。

2020年9月17日

徐々に、徐々に、なんだろうけど

関西へ取材を兼ねて出張してきた。

まだまだ新幹線で移動する人が少ないので、そのメリットを生かしての移動である。Go To 何とかを使ったわけではないが、それでも宿泊料は驚くほど安い。ホテルが気の毒になるくらいだ。

夕食後、京都市内の四条通りを歩いたところ、まだ9時前だというのに人の流れがとても少ない。


スターバックスもこの通り閑散としている。

2020年9月13日

大坂なおみがUSオープンで優勝

素晴らしい試合だった。コロナ禍で観客がいないなか、また Black lives matter の声が社会で高まるなか「自分はアスリートである前にひとりの黒人女性です」と語り、7回の試合ではそれぞれ、ジョージ・フロイド氏ら警官によって命を奪われた犠牲者の名前を白く抜いた黒地のマスクを披露した。

もちろんそうしたメッセージの確かさと力強さだけでなく、肝心の毎回のプレーも目を見張るものだった。

何年か前は、大坂といえばゲームの最中に精神的に不安定になり、コーチがまるで子どもをなだめるかのように話しかけているシーンがたびたび見られた。彼女は、まだ10代だったはず。

おそらく当時は(今もそうかもしれないが)、周囲の大人たちの駒として動かされていた苛立ちや不安が強かったのだろうと想像する。

まだ22歳だが、外から見ていても本当に成長したのが分かる。

「ニュースからの情報ばかりにならないようにして、自分の考えをつくるように心がけている」
https://www.afpbb.com/articles/-/3304344




2020年9月10日

日本企業は、ここでもまた失敗する

「日本企業が「ジョブ型」の雇用制度の導入に動き出した」で始まる新聞記事を目にした。
「ジョブ型」には括弧が付けられている。強調のしるしだ。こうやってメディアは自分たちの新たなネタを作っていく。
ここでいうジョブ型雇用は、考え方として目新しいものでも何でもない。旧来の日本型の雇用形態とされてきた新卒の一括採用、終身雇用、年功序列とは異なる企業と個人との関係のことだ。ほとんどの外資系企業は、何十年前からそれが当たり前だ。
記事の中にこんな一節があった。
全社員のジョブ型雇用への移行を目指す富士通。総務部門はジョブディスクリプション(職務記述書)と呼ばれる文書の作成に追われている。
これを読んで、残念だが富士通は彼らの考えてるジョブ型への移行は間違いなく失敗するだろうと思った。
それはなぜか? 理由は簡単だ。まず、総務部門がやる仕事ではないのだよ。次に、全社員のジョブディスクリプションをいきなり整える必要性がどこにあるのか?
それぞれのポジションにおける必要な職務内容は、その上司であるマネージャーやディレクターしか分からない。例えば、同じ企業のマーケティング・マネジャーでも、担当する事業(ビジネスユニット)によって求められるジョブ・ディスクリプションは個々に違う。
そうしたことを総務部門が事務的に作文したからといって、ほとんど意味をなさない。
また全社員のジョブ・ディスクリプションを一気に整えようと考えるのも間違っている。採用や評価の方法を変えず、一括で新入社員として採用した人たちの各配属セクションにおけるジョブ・ディスクリプションを作ったからといって何になるのだ。
ピントがずれている。

2020年9月4日

大学はいつまで閉じこもるのか

武漢型肺炎の感染拡大防止を目的に、いまだに大学の封鎖が解けない。
今は夏休みだが、休みが明けた後の秋学期も我々のところは基本的にオンラインで授業をやってくれと言われている。
一つには感染拡大初期に、京都産業大学で感染者クラスターが発生したことが原因だ。メディアで広く報道され、一説では大学に多くの非難が殺到したらしい(大学にどうしろと言うのだろう?)。
また、そのことで京都産業大学の学生を就職説明会や採用面接から意図的に外すという企業があったらしい。大学でそうした感染者が出たからといって全ての学生が感染してるわけではない。そうした企業の姿勢は、明らかな差別行為である。
感染者が出たことで大学が世間にさらされるのなら、それを理由に学生の採用を差別した企業ははっきりその名を社会に公表されてしかるべきだろう。
ところで、感染者に占める死亡者の割合をみると、年代別に大きな違いがあることが分かる。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000647797.pdf

70代以上は6%だが、10代や20代は統計データ上は0.0%だ。これは割合では感染者1000人中1人もいないことを示している。

一方、気をつけなきゃいけないのは60代、70代だ。つまり、大学が三密とやらを避けることで感染拡大防止を謳うのは学生のためではなく、そこに勤務する年配の教授らへの感染リスクを避けるのが目的じゃないのかね。
幼稚園や小学校、中学校、高校がすでに生徒たちに登校させているにもかかわらず、大学は一体いつまでこんなヘタレを続けるのだろう。何か起こった時に問われる責任を負いたくないと考えているだけとしか思えない。
現に.実験や実習をともなう授業は従来どおり大学内ですでに再開されているではないか。実験や実習科目はいいのに、講義科目はダメという理屈が分からない。理系の学生たちは文系の学生に比べて免疫力に優れているので感染しない、感染しても重症化しないという秘密のデータでもあるのだろうか。

2020年9月2日

印税の小切手から日本の銀行について考える

外国から郵便物が届いた。開けてみると、ポンド建ての小切手が入っていた。
英国の出版社(Routledge)から出した本の印税の支払いである。金額は大したことがないが、突然やってきた臨時収入には少しうれしくなる。
問題はその小切手をどう国内で換金、現金化するかだ。とりあえず自分が口座を持つ都市銀行に電話してみた。三菱なんとか銀行と三井なんたら銀行だ。
だがどちらも外貨建ての小切手は、今は取り扱ってないらしい。本店に持っていったら何とかしてくれそうか一応尋ねてみたが、本店でも取り扱ってないという。

じゃあこうした小切手はどうやって現金化したらいいのが聞いてみたが、どちらの銀行も「他行の事はわかりません。ご自分でお調べください」とつれない。

間違ってても構わないから、あなたの銀行員としての知識で何か顧客にアドバイスできることはないのかと少しだけ食らいついたが「間違ったことをお伝えすると、お客様にご迷惑をおかけすることになりますから」と型通りの返答。それしかできないのであれば、人間よりAIの方がまし。
ところでネットで見たら、2018年あたりから日本の銀行は外貨小切手を受け付けなくなっている。マネー・ロンダリング防止が目的らしい。ということは、金融庁からの指示なのだろう。僕の場合、マネー・ロンダリングもへったくれもない小遣い程度の金額なのに、なんだか不条理だ。
どうしたらいいか途方に暮れる。小切手を見ると、金額の上のところに発行元としてBNP Paribas London と書いてあるので、試しにBNPパリバ銀行の東京支店に電話してみた。
だがその東京支社は法人相手のビジネスをやってるだけで、個人客との取引は何もしておらずどうしていいかわからないらしい。ここでも何かアドバイスはないのかと尋ねてみたのだが、そうしたら「発行元の当行ロンドン支店に連絡してみてはいかがでしょう」と言われた。
一瞬言葉につまったが、ひょっとしてそれもありかな〜と思って、じゃあ貴行のロンドン支店の連絡先を教えて欲しいと尋ねたら、わからないからご自分で調べてくださいと言われた。あちゃー。
銀行ってのは、まったくどいつもこいつもって感じだナ。今度外国に行った時に換金するしかないのかなと思いつつ、BNPパリバの人が「通常、小切手の有効期間は6ヵ月です」と言っていたの思い出してちょっと暗い気分になった。

2020年9月1日

ヤマザキマリとブレイディみかこ

いま、書いたものがすこぶる面白いと思う書き手が2人いる。ヤマザキマリとブレイディみかこである。2人とも日本を飛び出して外国で彼の地のパートナーと暮らし、家族や周りの人たちと生活をするなかで書いている。ヤマザキの場合は、描いているというべきか。
1967年生まれのヤマザキマリは絵画を学ぶためにイタリアに渡った。1965年生まれのブレイディみかこは、ブリティッシュ・ロックに憧れて英国に向かった。ともに自由な精神を持ち、それぞれ絵画や音楽にとどまらない幅広い興味関心の域を持っている。
観察が鋭く、少なくとも一般的な日本人とはちょっと違う独特なものの見方や考え方を持つ彼女らの柔軟な発想にはっとさせられる。2人とも決してエリート的な教育を受けているわけではないが、その豊かで柔軟な知性は素晴らしい。
彼女らの他にも日本を出て、外国の地で日本や日本人について書いてる人はたくさんいる。 多くは行った先の社会にしっかり浸り、その国(例えば米国やドイツ)は本当にすばらしい、それに引き替え日本という国はどうして…といった論調で今自分が暮らす国を手放しで礼賛するか、あるいは逆に外国に来て日本のことをあらためて見直し、日本って国はなんてホントに素晴らしいんでしょう、とばかり日本を盲目的に礼賛しつつ、自分が暮らす国に厳しい批判の目を向けるかのどちらか。
そのどちらも、外国の地で暮らしてる日本人の心情を思うと理解できなくもないが、そうしたものの見方は多くが片手落ちである。
それに対してヤマザキマリもブレイディみかこも、とてもバランス感覚に優れ、相対的にかつ広い視点から物事を見てる点に感心させられる。そうした彼女らの先輩とも言うべき存在が塩野七生かもしれない。
異文化の中で日本と外国の両者の違いを柔らかな目で見て、そして表現力豊かにそこでのできごとや感じたことを書くことができるのは、なぜみんな女性なんだろう。

2020年8月27日

座らない生活を始めてみた

仕事をする時も、食事も、テレビを見るのも新聞を読むのも座ってだ。これまではそうだった。

当たり前のようにそうしてたが、長時間座ることは体によくないらしい。確かに座ってばかりいると、腹筋や背筋が緩んでくるのが分かる。

そこで立って仕事をすることにした。高さを調整できるテーブルを購入し、机の上に載せて使い始めた。僕はもともと猫背気味なので、あえて今は少し高めに設定し背筋が伸びるようにしている。

なかなかいい。ずっと同じ姿勢だと足が疲れてくるので、ときおり足踏みしたりしながら続けている。

もともと本を読むとき、家の中をぶらぶら歩きながら本を読む習慣があるので、それにも都合がいい。わざわざ「よいしょ」と立つ必要がないからだ。そのまま本を手に読書の旅に出ることができる。

今のところは、座ったままより集中できる感じが続いている。

2020年8月24日

こういう日々だから、花火の音が聞きたい

厳しかった猛暑が今日はゆるんで、日中は過ごしやすかった。このところ連日、エアコンをかけっぱなしにしていていたが、久しぶりにそのスイッチをオフにした日曜日だった。

やっと残暑も収まってきたのかもしれない。秋の訪れが待ち遠しい。

振り返ってみると、今年は花火とは縁のない夏だった。ほとんどの花火大会が、武漢型肺炎対策で中止になった。花火の音を聞くことがないまま終わる、侘しい夏の終わりになった。

花火には何も実用的な機能はない。ただ、ドーンと打ち上がって、大空でパーンとはじけ、パラパラパラと消えていくだけだ。

だが、夏を夏として人々の記憶に刻むその色と音は、これまでずっと日本人の夏のひとときに欠かすことができないものだった。

2020年8月23日

なぜ怒らない、男性社員

ゼミ生の中に、組織におけるダイバーシティ推進をテーマに修士論文の研究を進めている学生がいる。

ダイバーシティーと言っても、一言で言いあらわせられるものではない。種々の観点から定義できるが、最近メディアなどで取り上げられているもののひとつにジョブ型かデモグラフィ型かいう区分けがある。だがそれだって定義が曖昧で、両者の違いがはっきりしているとも言えないんだけどね。

それはさておき、日本企業のお粗末な大多数の経営者らにとってはダイバーシティもその本質を理解するには至らず、ただ人材多様性の別語としか理解されていない。それも一言で言えば、女性管理職の登用のことと受け取られている。

それはダイバーシティーが意味する表層のひとつであり、本質的な議論はそれとは別途に存在してる。だが、難しいことを言っても理解できない経営者らには、まあそうしたものとまず考えてもらうのも一法だ。そして、たとえ形式的であっても、とりあえずは女性を組織のできるだけ中心部分に送り込むことは無駄なことではないように思える。

「おれたち、<ダイバーシティー>を理解してるもんね」と言いたい経営者らは、女性社員の中からこれぞと思った(各部署から選抜させた)女性社員を対象にした管理職登用への資格取得のための特別研修を社内で実施する。

その根底にあるのは、経営者と人事部で女性社員を持ち上げてやっているという「してやってる」意識だ。選ばれて参加を促された女性たち自身は、そうした不自然な扱いに対して違和感を感じているという人が多いらしい。

聞いてみると、「なぜ女性だけの研修なのか?」と疑問を述べる。そうしたやり方では、自己肯定感が持てないと言う。そりゃそうだろうナ。その感覚は、まっとうだ。

一方で、経営者や人事部は鈍感の極地ともいえる。そうしたことにすら気がついておらず、彼女たちと会社のためという<好意的差別主義(benevolent sexism)>に染まっている。

もうひとつ、僕が不思議なのは、そのような企業で男性社員が声を上げないこと。同じ階層で女性だけが幹部登用を前提にした研修を与えられているのなら、それに対して異議を唱えるのが当たり前だろう。

だが、男声社員が会社に対してそうした場面で異議申し立てをした例を知らない。情けないとしか言いようがない。

この国では、ビジネスパーソンとしてまともな意識をもってるのは一部の女性だけのようだ。日本のほとんどの企業の経営者らはやっぱり基本のところが判っていないし、それらをロールモデルとして会社生活を過ごしている多くの男性サラリーマンも、残念だが思考停止のままだ。

2020年8月19日

あの夏はどこへ

猛暑が日本中で止まらない。静岡県内では、なんと40度を超える温度を観察した。国内史上最高気温だ。

熱中症患者の数もうなぎ登りで、昨日は30人の方がなくなった。病院に救急搬送されたなかで、初診時に死亡が確認された数だ。おそらく救急車で病院に運ばれなかった人、そして搬送された人の中でもその後亡くなった方が他にもいるだろう。

だから、実際は30人の数倍の人が熱中症で一日になくなっていることが推察される。武漢型肺炎(COVID-19)で昨日亡くなった人は全国で16人だから、われわれが本当に心配しなければならないのはどっちか分からなくなる。

それにしても、以前からいわれていることではあるけど、日本はもう熱帯に属する国になった。少なくとも夏の季節はそうだ。

昨年の夏、30年前に英国の大学院で一緒だった友人がシンガポールから訪ねて来た。学会出張で東京に来たという。早稲田大学の近くのレストランで食事をしたのだが、シンガポールの天気はどう?と尋ねたら、笑って "Same, same..." と。ややあって、 "Hot, very hot, very very hot..." だって。

つまりシンガポールには四季なんかなく、暑いか、とても暑いか、ものすごく暑いかってことらしい。思わず笑ったが、このところの日本の夏もまったく同じじゃないかと思う。

子どもの頃、夕方になると井戸から水を汲み、庭に打ち水をした。熱気が蒸気としてす〜と消えていき、気持ちよい風が庭に吹くのを感じる一瞬。そのあとは縁台を出して、そこでスイカを切ったり、冷えた麦茶を飲んだり、将棋を指したり。

あの夏の日はどこへいったのだろう。

2020年8月14日

ハリケーン イサイアス

先週、アメリカ東部をハリケンーンが襲った。ワシントンDC、フィラデルフィア、そしてニューヨークへと北上した。http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKCN2500JE.html

NYに住む知り合いのところでは停電した。この暑さのなかでだ。おかげで日没と共に就寝、日の出と共に起床の日々が始まったと言っていた。

僕がコロンビア大学に研究員として行っていた2012年には、超スーパー級のハリケーン・サンディがNYを襲った。
https://tatsukimura.blogspot.com/search?q=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B3

彼女によると、今回のハリケーンはそれほどでもないらしいが、このところ何年かに一度はハリケーンのためNYは停電になっているという。

間違いなくこれも異常気象のひとつ。だが、そうした異常がしだいに異常でなくなってきている。

鳥と間近に空を飛ぶ感覚

映画「グランド・ジャーニー」は、実話に基づいた話らしい。鳥が好きでしょうがない野鳥の研究者とその家族が、絶滅危惧種とされているカリガネを孵化させ、自然に戻そうとする。

クリスチャンと息子のトマが、北極圏に近い場所から越冬地までカリガネたちを率いて軽飛行機で「飛ぶ」。 実話ではスウェーデンからドイツの越冬地までだったのが、フランス映画だからか、この物語のなかではノルウェーからフランスまで鳥たちを誘導しながら飛ぶ話になっている。

童話の「ニルスのふしぎな旅」を連想させる。実際、鳥たちの中で一匹だけ種類の違うカモの名前は、その童話にも出てきたアッカという名前がつけられている。

とにかくよく調教された鳥たちとの飛行シーンが素晴らしい。調教されたというより、鳥たちが彼らを親と思って一緒に飛んでいるのだろうけど。野鳥と一緒に空を飛んでいる気分になれるだけでも、今のこの時期に見る価値はあった。


ところで本編とは関係ないが、映画の主人公のトマはフランスの中学生。グランド・ジャーニーは、その彼が過ごす5週間のバカンス中の出来事だ。5週間のバカンス!だぞ。

そして彼は、その5週間を母親が離婚した父親とその間一緒に過ごすために、母親とその今の恋人にネットもまともに入らないようなところに連れてこられた。

日本の単独親権の考え方のもとでは、子供のこうした過ごし方はまずあり得ない。

この国で少子化がいつまで経っても解決の方向に向かわない理由の1つだ。

2020年8月10日

PSJの論文を投稿

7月最終週で大学の授業がすべて終了し(そう、今期はすべてZoomを使ってのオンライン授業だった)、その翌日からは投稿論文を書いていた。

F・ライクヘルドらが提唱しているNPS(Net Promoter Score)の問題点を修正した日本版NPSともいえるPSJ(Promoter Score Japan)に関するものである。

これまで海外の学会で一部を紹介してきたテーマだが、年初からの武漢肺炎の影響でまったく海外出張に出られなくなってしまったので、今年はしかたなく国内学会へ参加することにした。

PSJ®は、日本の消費者を対象にした顧客推奨度を測定するための独自の新たな指標だ。

早稲田大学マーケティング戦略研究所と僕でその商標を持っている。論文は締め切りまであまり時間がなくていささか忙しかったが、今日で一段落といったところ。

このあとは、ペンディングにしてしまっている前期授業の成績評価を早く終わらせなければ。

2020年8月5日

学生らと打ち上げ

昨日はマーケティング授業の履修者有志で呑み会があり、誘われて参加。

呑み会といっても例によってZoom上のことだけど、今のところはこれもしょうがない。授業ではできなかった話をしたり、学生らと少しプライベートに関する話もできたのがよかった。こうした機会がないと、やはり人間同士の距離感が縮まっていかない感じがするからさ。

2時間ほど酒を飲みながら(学生たちはあまり飲んでなかったみたいだけど)多岐にわたるあれやこれやの話をし、最後に記念写真(↓)を撮って終了。なかなか、おもしろかったよ!

彼らが画面上で指で示しているのは、「K」のマーク、らしい。

2020年7月31日

前期授業が終了

今週で大学の前期の授業が終わった。Zoomを使ってのライブ授業や講義ビデオを事前に撮影し、それをオンデマンドで学生が見られるようにしたり、初めての経験が多かった。

4月の時はどうなるかと思ったが、意外と教師も学生も世の中の状況が分かっているだけに強い違和感はなく、やり方に前向きに慣れようと努力し、協調的な雰囲気がいつの間にかできていた。

パソコンの画面からだと発言や質問もやりづらかろうというのは、こちらの勝手な思い込みに終わった感じだ。チャットの書き込みで質問を投げてきたり、システム上の挙手反応で質問の意思を示したりするのは学生にはストレスがなくていいのかもしれない。

画面上に並ぶ学生たちには、お互いに妙な序列を感じていなかったようだ。教室という場と違って体の大きさや声の大きさ、身なりや持ち物といった付随する情報がない分、学生たちがフラットな雰囲気のなかで自由に発言できる空間だったのだろう。

2020年7月24日

人気のないキャンパスは寂しいね

入構制限のため、夜間になるといっそうひっそりと静まりかえる大学キャンパス。照明も最小限になっていて、気を付けないと水たまりに踏み込んでしまう・・・。いつまでこれが続くのか。早く大学に賑わいが戻ってくるといい。

11号館前から大隈講堂方面。時計台の左は大隈さん銅像のシルエット

2020年7月19日

副業だからといって、相手の足下を見すぎではないのか

自宅他でリモートワークで人が働くようになって、4ヵ月目に入った。

サラリーマンは月曜から金曜日、朝から夕方までオフィスで働くもの、というのが日本社会の基本だったのがあっという間にリモートワークに取って替わられつつある。まだ少数ではあるが、リモートで働くことを基本にするところも出てきた。

そうした流れを汲むように、ヤフーが副業で働く人材を募集し始めた。戦略人材として100名。他社の正社員でありながら副業でヤフーで能力を発揮してくれる人を求む、というわけである。

試みは大変面白いと評価できる。だが、新たな事業プランや企画を立案する「アドバイザー職」としてオンラインで月最大5時間程度働き、月5万円の給料は求めている能力の割には安すぎるんじゃないかね。

2020年7月11日

グーグル漬けから抜け出すために始めたこと

個人情報を流出させられたことを書いたが、それを機に個人情報の取扱いについて考えることにした。

対象はネット企業、とりわけグーグルに渡っている個人のさまざまな情報だ。

検索はgoogle、メールはGメール、地図はgoogleマップ、ファイルの共有はgoogleドライブ、写真の保存はgoogleフォト、予定の管理はgoogleカレンダー、動画の共有や閲覧はYouTube、ブラウザーはChrome・・・と自分が何者で、どこでいつ何をしているかがグーグルに丸裸になっている。

グーグルに蓄積される個人の情報は日々積み重なっていく。使い勝手が良く、しかも無料なので負担やストレスをあまり感じることなく、当たり前のものとして使っているが、これって自分を売り渡していることだと思うようになった。

しかも、どれも無料だからわれわれ利用者はグーグルがサービスの変更やその廃止を決めても不平を申し立てられない、考えてみればとても危ういサービスなのだ。

グーグル社が保持している我々の情報はgoogle takeoutというツールを使ってデータのアーカイブをダウンロードして確認するできるらしい(まだやったことはないが)。そして「マイ・アクティビティ(myactivity.google.com)」にアクセスして、個人で「広告」の履歴を削除することはできる。

しかし、ユーザーが削除したデータがグーグルのサーバーから消去されるか、それとも匿名化された状態でグーグル内に保持されるかは、グーグル社の方針によって決まるという。

つまり、いったんグーグルにわたった個人の情報は、現時点ではどうやっても彼らの手元に残り、加工され、売り渡されると考えた方が良さそうだ。

そこで僕は、武漢肺炎禍でパソコンの画面に向かう時間が増えた中、自分なりのチャレンジを始めた。以下のような変更だ。

★検索は、google → DuckDuckGo(全然問題ない)
★メールは、Gメール → Fastmail(快適)
https://ref.fm/u24279104
★地図は、googleマップ → Appleマップ(問題なし)
★フィル共有は、googleドライブ → dropbox、evernote、その他いろいろ
★写真のクラウド保存は、googleフォト → Amazonフォト(遜色なし)
★予定の管理は、googleカレンダー → Fastmailカレンダー(問題ない)
★動画の共有は、YouTube → Vimeo(これから)
★ブラウザーは、以前からFirefoxとSafari

一番悩んだのがメールだ。これまであまりにGメールに慣れすぎているし、データの蓄積も半端ではない。だが、最終的に選択したFastmailはとてもいい。使い勝手もいいし、信頼できる。有料だが、そこはサービスを受けるものとして当然と考えることにしている。
https://ref.fm/u24279104

そうそう、いまだ移行をどうしたらよいか決めかねているのが、グーグルが運営しているこのBloggerだ。1,000を越えるこれまでのブログ記事をそのまま写真ともども問題なく移行できる先をどうしようか。

2020年7月9日

個人情報の漏洩に合う

JICA(独立行政法人国際協力機構)の下請け先組織のひとつに、一般社団法人日本国際協力センターという団体がある。

JICAの国際プロジェクトを引き受けたときの相手側の実働部隊がそこで、謝金もそこから支払われた。

振込先の僕の銀行口座や住所、電話番号などが外部に情報漏洩したことが確認されたと連絡があった。該当の銀行に連絡し、不審な入出金(入金はないだろうが)やアクセスがないかを確認してもらったところだ。

併せて、そのセンターには、僕に関する情報はすべてデータベースから消すように依頼した。彼らがセキュリティの専門会社に調査させたところ、不正アクセスは海外のサーバーからだったと聞かされた。

まさか自分が情報漏洩の対象になるなど考えていなかったが、それこそが勝手な思い込みだった。

2020年7月8日

吉日と言われても

現在住んでいるところの掲示板に、NTT東日本の貼り紙があった。来週の月曜日に建物内の回線を調査するという案内である。それはいいのだが、その案内に「2020年7月吉日」とあるのを見つけた。結婚式の案内でもないのに、何かヘンだ。


2020年7月6日

様式美、とは言わないが

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言と休業要請。多くの分野がそのために大きな変化を求められた。

将棋の世界で何が起こったか。オンラインで将棋を行うことは技術的には何ら問題はない。既にずいぶん以前からアマチュアたちは、ネット上で対局を楽しんできた。

だが、この時期に及んでもオンラインでの公式戦は行われていない。その理由は、伝統文化の様式美が重視されているからと聞いた。

へ〜え、と唸った。これをどう考えるか。オンラインでも簡単にできるのだから、そうすればいいじゃないか、というのは一法。きちんと対戦両者が将棋盤をはさんで向き合うという「型」、すなわち様式美が公式戦の対戦をそうであると形作っているというのも一法。

今日、この4月からの新学期で初めて学生と直接会った。研究室で、大学院生に修士論文の指導を行った。時間をおいて2人。将棋の対戦と同じで、Zoomでも可能。だが、やはり直接会って話していると話題の拡がりが画面上とは違うことに気づく。

こちらは様式美というほどたいそうなものじゃないが、ネット上とは異なる実感を久しぶりに充分に感じられたのが収穫だった。

2020年7月5日

Black Lives Matter

今年5月、米国ミネソタ州で黒人が白人警官から暴力的に押さえ込まれて死亡したことから、Black Lives Matterという言葉がクローズアップされ、日本語で「黒人の命も大切だ」と訳された。

それに対してあるジャーナリストなどは、その日本語が黒人差別の事実を矮小化していると批判している。何を批判しているのだろう。「黒人の命が大切だ」と言いたいようだが、これまでの歴史と人種の問題を契機に起こってきた数々を考えれば「黒人の命も大切だ」と表現するのがもっとも適切に僕には思える。

そういえば、マイケル・ムーアが制作し、2018年に公開した映画『華氏119』にも黒人らがBlack Lives Matterと権利の主張を掲げて行進しているシーン(下の写真)があった。一瞬だけど。

『華氏119から』

2020年7月3日

あじさいの藤森神社

藤森(ふじのもり)神社のあじさい園へ。もう花の盛りは過ぎていて(6月後半が見頃だったと言われた)、咲き誇っているというより頑張って生き残っているという感じだったが、それでもまだピンク、白、紫などの大輪のあじさいが眩しい緑の中で数多く姿を見せていた。

2020年7月2日

千本ゑんま堂

打合せで久しぶりに京都へ来た。夕方から、北野天満宮の北にある千本ゑんま堂を訪ねた。寺の名前は引接寺。かつての結界に位置しており、閻魔大王を祀っている珍しい寺だ。

午後7時から風祭りという特別祈願会に参加した。梶の葉に願い事を書き、それを祈祷いただいたのち、お堂に貼られた紐に吊して願をかける。これは七夕の時に願いごとを書く短冊の原型である。吊された梶の葉は時間が経つにつれて願いごとを書いた葉の表が丸まり、自然と他には見られないようになる。


2020年6月29日

光をなくしたアップル

アップルのCDO(最高デザイン責任者)だったジョナサン・アイブが、昨年退社したことをふと思い出した。

昨日、新しいMacBook Airが届いたーー。これまで使っていたのは2013年版のMacBook Pro。自宅と研究室で同じ機種を使ってきた。だから、新しい機種はいくぶんキーボードのタッチなどに違和感を感じなくもない。しかし、そうしたことは次第に慣れるのだろう。

新しいだけあって起動が早いのがいい。

ただ、光るリンゴマークがないのに気がついた。それまで使ってきた機種は、電源を入れるとリンゴのマークがディスプレイの光を使って白く光った。

使っている時、そのリンゴマークの光は利用者には見えず、また当然ながら性能にはまったく関係ない。ただのデコレーションである。

しかし、それこそがアップルの証明だったのに、なんとも残念な気持ちだ。Airでは、2018年のモデルからトップのリングマークが光らなくなっていたらしい。


新しいMacBook Airを手にして、もうひとつ不満なのは充電のためのコネクターが変わったこと。それまでの充電コネクタは、MagSafeという名前が付けられていて、本体と磁石でくっつくことで充電をするものだった。

コネクタを本体に差し込むわけではないので、充電コードを足か何かに引っかけてしまった際にもすぐに外れ、本体には何も損傷を与えないように考えられていた。こうしたユーザー思いのところがアップルらしかったのだけど。

もうひとつ、細かいことだが、MagSageコネクタからUSB-Cタイプの充電コネクタに変わってから、そこにあったちっちゃなLEDのランプがなくなってしまった。充電時は橙で、充電完了時は緑で点灯していた。

どれもノートブックの性能そのものには関係しない。しかし、だからといって無駄というものではなかった。どれもが、すこぶる「アップルらしさ」を象徴する「デザイン」だったのだ。

 20年以上にわたってアップル製品のデザインとソフトウェア部門の責任者を務めていたアイブの目が行き届かなくなっていた、あるいは彼がその現場から退いていたということじゃないかな。

2020年6月21日

花の名は「ハナノナ」で

朝から横浜地方には大雨注意報が出ていたが、幸い雨は降らず、むしろ涼しくて散歩にはもってこいの天気だった。

裏の土手にいろんな野草が咲き乱れているのがしばらく前から気になっていて、それらの名前を知りたくて、ネットで「野草図鑑」を買おうと探しているうちに、花の名前をAIが教えてくれるアプリがあることを知った。

さっそくApp Storeで探してみると、従来の図鑑を電子本にしたものとスマホで撮影するとデータベースから検索して名前やその他の情報を示してくれるものがあった。

利便性から言えば後者で、なかでも千葉工業大学が開発した「ハナノナ」というアプリは優れものである。それに無料なのがありがたい。

使い方は実に簡単、アプリを起ち上げ、そのままスマホで植物の写真を撮るだけ。瞬時に、その写真に花の名前を表示してくれる。データベースをもとにしたこうした限的的なAIの使い方こそ、AIが一番役に立つ側面である。

散歩の楽しみが倍になった。






2020年6月13日

さっさと川に投げ込んでしまえ

英国の港町ブリストル(バンクシーの生まれた場所だ)で、奴隷商人の銅像が引き倒され、川に捨てられた。


この銅像のモデルはコルストンというイギリス人で、17世紀に奴隷売買の商売で巨万の富を貯えた人物。

20世紀が始まろうとする頃に、誰かがこの人物の偉業を称えて彼の銅像を町の真ん中に建てた。そして、100年以上も街の象徴の一つとして市民に仰ぎ見られていた。

世の中にあまたの職業があるが、そのなかで間違いなくサイテーなのが奴隷商人である。銅像撤去を求める市民の声も以前からあったらしいが、それでも「コルストン偉い!」とする連中がこれまで撤去を許さなかったのだ。

先日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお父さんである横田滋さんが亡くなられたが、そうしたことを知る日本人としては、奴隷商人であるコルストンの銅像を称えるイギリス人の感覚は金正恩を称えるそれと同様に感じられ不快である。

2020年6月10日

H型ジョブとO型ジョブ

新型コロナウイルスの感染防止を目的とした在宅勤務があっという間に普及した。

テレワークで仕事が進むと判断した企業の中には、オフィスを早々に解約し始めたところも出てきている。

COVID-19以前も在宅勤務が一部で認められていた企業はあったが、それは特殊な例だった。だが今回、企業などは否応なくオフィス出勤を禁じざるを得なくなり、社員が在宅でも仕事ができるように仕組みや環境を整えたら結構できてしまった、というのが実感だろう。

テレワークのメリットは大きい。通勤そのものが不要になるので、時間、コスト、疲労とストレス軽減の点で社員と企業の双方にプラス面が大きい。

これから職種を選びながらだが、やがて事務的な仕事のほとんどは自宅でネット環境の元で行うことが一般的になっていくだろう。

ただ考えなければならないのは、世の中になかったようなクリエイティブなものを創り出すような仕事は、やはりそれなりの連中が集まり対面で集中的にやらなければダメだということ。

自宅勤務だけで問題なくできる比較的ルーチン化された仕事を、僕はH(ホーム)型ジョブと名付けている。

それに対するのが、選ばれたメンバーが集合し新たな創造を目指して密な空気の中でやることが求められるO(オフィス)型ジョブである。もちろん実際の場所はオフィスに限らない。集まって集中的に仕事ができる場所という意味である。

今後のホワイトカラーの仕事を考えた場合、純粋なO型ジョブ、H型ジョブ、その中間的なH/O型ジョブという構成になるだろう。

2020年6月9日

「僕はラジオ」

米国ミネアポリスで起こった警官による黒人殺害によって発生した差別反対への怒りのうねりは収まりそうもない。

世界の各地で「Black lives matter」のプラカードが高く掲げられている。日本でも大阪でデモがあったと聞いている。

昨日、アマゾンのプライムビデオでたまたま「僕はラジオ(原題は Radio)」を見た。2003年に製作されたアメリカ映画だ。

知的な障害がある黒人の少年が主人公で、彼と高校のフットボール部のコーチ、そしてその家族や高校生たち、町の人たちとの交流と関係を描いた実話に基づいた映画だ。

あまり期待せずに見始めたが引き込まれてしまった。登場人物はステレオタイプ化されているが、誰もがどこにでもいそうな普通のアメリカ人に思える。フットボールコーチのエド・ハリスがいい。

黒人差別への凄まじい怒りが世界中で吹き出ている時だからこそ、この映画は他の人にも見て欲しい。

2020年6月7日

50日ぶりの電車乗車

昨日、友人から誘われてランチを食べにひさびさに出かけた。東横線と目黒線で片道30分ほど。

駅でSuicaの使用履歴を調べたら、電車に乗るのは50日前に使用して以来のことだった。

4月の利用履歴は、これ1回だけ。外出自粛から緊急事態宣言発令、そして解除。その間、何回か大学の研究室に機材や資料を取りにいってはいるが、車で行ったのを思い出した。

これほど移動しなかったのは、自分の一生でも初めてのことだと思う。そして移動しなくても日常生活が送れ、仕事もこなせ、むしろ空いた時間のゆとりを楽しめることを知った。 移動しなくてもよいというのは、実は楽だ。

かつて狩猟・採集で移動しながら生きていた人々が農耕・牧畜を行う技術を身につけ、土地を見つけた結果定住するようになった。一旦動かなくなった人たちは、狩猟生活には戻らない。

それと同様とまでは行かないだろうが、人々の移動性は以前に比べ低くなっていくに違いない。今回の新型コロナウイルス感染が引き金だが、インターネットが我々の日常を変えたことがもちろんその背景にある。

2020年6月4日

うちのアレクサは中国人だったのか?

昨日、Zoomを使って授業をしていたとき、部屋のなかにあったAmazon Echo(アレクサ)が突然中国語でしゃべり出し、ビックリした。

早口の中国語で、電話か何かでしゃべっているような感じの口調だった。何をしゃべっているのかは分からないまま、それが30秒ほど続いた。何だったのか。

いずれにせよ、これからは家で電話するときやZoomするとき、アレクサやグーグル・ホームのマイクは切ることにした方が良さそうだ。

2020年6月2日

フェイスブックの本性はどこに

ジョージ・フロイドという名の黒人男性が、5月25日に米国ミネアポリス近郊の地で警官から暴行を受けて死亡した。暴行が死因であることは、医師が確認している。

すぐさま全米で「Black lives matter(黒人の命だって大切だ)」というプラカードを掲げた多くの米国人が各地でストに入った。その速さと勢いは凄まじいもので、1960年代の公民権運動を思い起こさせるほどだという。

そうした抗議活動が広がるなか、米国のトランプ大統領がよりによって「略奪が始まると銃撃も始まる」とフェイスブックに書き込んだ。これは、1960年代の人種間対立が深刻化したとき、警察幹部が口にした言い回しらしい。これが火に油を注いだ。

トランプによって同じ書き込みがされたツイッターは、その書き込みが暴力を賛美しているとして掲載時に注記を加えた。

一方でフェイスブックはトランプのメッセージを容認し、CEOのザッカーバーグはFOXテレビやフェイスブックを通じて「表現の自由を尊重する。書き込みをそのままにする」と表明した。

フェイスブック社では社員も含めて抗議が起こり、社員の一部が仕事を拒否する「バーチャルスト」に突入した。フェイスブック社にもそうしたまともな神経を持った社員がいたということだ。

といっても、あのザッカーバーグが率いるフェイスブックという企業ほど油断も隙もない悪辣企業はないことに変わりはない。

2020年6月1日

特別給付金

特別給付金の案内が来た。


税務署らしくない不始末

今年の確定申告も3月なかばが締め切りだったので、3月上旬に書類を作成して送付した。(その後、COVID-19 感染防止対策のために4月16日まで延長されたらしい)

提出先の税務署は自宅から自転車で5分の距離。昨年は、申告書類一式を封筒に入れ神奈川税務署を訪ねたのだがすぐには受け付けてくれず、「列に並んで」と言われ、ただ書類を渡すだけだと思ったのに他の申告者と同じ列で1時間近く待たされた。

郵便で送るのと一緒だから置いて行かせてくれと頼んだが、中身を担当が確認した上で受け取るので列に並べという。郵便や宅配便で送られてくれば、そのまま受け取るのにヘンだ。

列に並んでいた他の人たちは、多くが申告内容の相談だったり、その場で書類を作って提出しようという人たちだった。申告書類を提出するだけだからと言ったにもかかわらずこの扱いにほとほと呆れ、今年はわざわざ税務署より遠い郵便局まで足を運び、簡易書留で書類を送った。

今年、3月下旬にその税務署の職員から修正が必要がある旨の文書が送られてきたが、緊急事態宣言が解けるまで放っておいた。

そこでの相手の言い分は、医療費支出の証明書が付いてないから提出せよというもの。長年やっているこの申告で、今さら手続きを間違えるはずはないという自信がある。既に提出はなされているはずだと主張して、彼らに税務署内の倉庫を探せたら、やっぱり税務署内の別の場所に保管されていた。

彼らに「お前らが探せ」と主張せず、相手の言う通りにこちらがその書類を自宅内で探していたらどうなっていたか。「ある」ものなら時間をかけて探せば見つかるが、「ない」ものをいくら時間をかけて探しても見つかるはずはない。

そうした自滅プロセスへ入って行かなくて、つくづくよかったと安堵した。

僕に書類の不備を指摘し、既に提出済みの書類の提出を求めてきていた神奈川税務署の職員は、今年の3月31日付で定年退職していた。

退職を一年以内に控えた職員に、こうした現場の仕事をさせるべきではないな。仕事が荒れる。モラルハザードが起きる。今回は、その典型例である。

新型コロナウイルスの残滓

今日からまた社会が動き始めた感じだ。

感染防止という面から不安はある。どこにウイルスが潜んでいるのか、誰にも分からないから。

だが、心理面ではそろそろ限界に近い頃で、その面では誰もがほっとしているんだろうと思う。これからバック・トゥー・ノーマルと言われているが、社会全体が以前の状態にうまく戻っていけたらいい。第2波が来なければと願っている。

人は、喉元過ぎればなんとかで、すぐ忘れてしまう生き物。自分もだから、この2ヵ月の記憶が残るカタチを残そうと考えている。

これを機に坊主頭にしようかとか、車をスポーツカーに買い換えようかとか(なんで?)考えたが、髪の毛はすぐ伸びるし、車も車庫に入れたままでほとんど乗らないから止めにして、家の中を以前とははっきりと印象が違うカタチでものを減らすことで変えようと思う。自分自身が、後にあれは(第一次)新型コロナウイルス感染の時だったなと思い起こせるように。

自分が忘れないようにということに加えて、ものを減らしておきたいとの考えもある。今回の感染被害者の実際の例だが、その人は発熱して3日後に入院。検査でコロナウイルス陽性と判明。すぐに隔離。誰にも会えないまま17日間治療後、死亡。死体は即刻焼却。翌日に骨壺が家族に届けられた。

あっという間のことで、残された人たちは言葉にならなかったことだろう。こうしたことが、実際に起こりうる。

感染し、症状が進むと肺の中にガラスの破片を吸い込んだような凄まじい痛みがあるという。その痛みに襲われ、家族とも対面できないままやがて息絶えるなんて、地雷を踏んで吹っ飛ぶより悲しい。

もしものこと、万一のことを考えて、身辺は軽くしておいた方がいいように思っている。

2020年5月31日

グローバルと言うほど、グローバルから遠ざかる

昔からおかしいなと思う言葉が、2つある。グローバルとイノベーションだ。

そうした用語自体が間違っているわけではない。それらをよく使う人たちが、大抵はヘンなのだ。

経験的に言えば、これからはグローバルな視点でビジネスを考えていかなければいけない、などという連中にかぎってグローバルのグの字もその経験にも頭にもない連中が圧倒的に多い。

同様に、イノベーションという言葉を金科玉条のごとく振りかざす経営者や経営学者に限って、まったく創造性のかけらもない。これだけは断言できる。

えっ、なに? あなたの所属している部署の名称が今度「グローバル・イノベーション推進部」に変更されたって? 困ったね。

2020年5月30日

来た、アベノマスク

夕方、散歩から戻って来て郵便受けをのぞくとマスクが届いていた。例のあれだ。

ありがたいような、どうでもいいような。たまたまエレベータで一緒になった犬の散歩帰りのご近所さんと、お互いが手にしたアベノマスクを見て苦笑いである。

このマスク、ガーゼに厚みがあってしっかりしているが、なぜかすごく小さい。これじゃ飛沫がもれもれだろうに。

誰かが、テレビに映る安倍晋三のマスク姿を見て「小学校の給食当番みたいだ」と言ってたが、確かにサイズや形がその通りだなと納得する。


2020年5月29日

思考の積み重ねと展開性

年初から始めた私的な研究会で、今日は神谷美恵子『生きがいについて』(みすず書房)をもとに2時間ほど議論した。新型コロナウイルス感染防止ためというのがあって大学では開催できず、Zoomを使って行う。

本を読み、それについて語ることは、その人のものの考え方、生き方、人との関わり方が実に反映されると思う。

どういった理解の仕方や感じ方が正しいとか正しくないとか、そうしたものはなく、捉えるべきものはそれが自分が考え、思い当たったものとどれだけ違うかだけ。そしてそれはなぜかと思いを巡らせ、互いに質問し、議論する。

他者の考えを聞いていて、それまでの己の思考が裏切られ、新しい光が差してくる。そしてまた、自分の思考が新たな展開とともに深まっていく。

とりわけ、これまで研究会で取り上げてきたニーチェやスピノザ、パスカルなどとの関連が語られると、はっとさせられる。

2020年5月27日

企業に所属するか、参加するか

JR東日本の元社長だった松田昌士氏が亡くなった。84歳。彼は1993年から2000年まで7年間、同社の社長だった。

報道によると、同氏のお別れの会の連絡先はJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)の総務部・法務戦略部となっている。

社長を辞めて20年が経っている。故人の業績を称えてということだろうが、どうも違和感が強い。

日本人の就職は「所属」だ。それは就社と言い換えられる。一方、欧米では所属するのではなく「参加」であると言われる。組織とのより対等で柔軟な関係である。だから、組織のために命を捧げるなどまずあり得ない(あるとすると軍隊くらいだ)。

冷静に考えれば、そうした対等な関係が当たり前だとわかるはず。だとすると、20年前に社長だった人物のお別れの会を元いた会社が執り行うのは奇妙と云わざるを得ない。そこにあるのは、伝統的な日本の大企業の組織と人に染みついた「会社社会・日本」の姿だろう。

誰が「ニップン」に入社したいだろうか

日本製粉という120年以上の歴史を持つ日本の伝統企業がある。

その会社が、製粉事業以外にも事業を拡大し、総合食品会社を目指すことを目的に社名を4月1日から変更するという。その新社名は、ニップン。日本製粉からとったニップン(日粉)である。

これからその名前で、どうやって新入社員を集めるつもりだろうか。自分が新卒大学生だったら「ニップン」という名と響きの会社には入りたくないナ。

社名変更という大切な意思決定をする前に、調査のひとつもやったのだろうか。たいして金も時間もかかりはしない。

2020年5月26日

匿名でものを言うのは、カッコ悪いぞ

木村花さんという女子プロレスラーが亡くなったことを、数日前CNNを見ていたときに知った。ある番組の途中、画面の下に流れている時事ネタのテロップでたまたま目にした。

それは、22歳の日本人の女子プロレスラーがなくなったという一行のニュースだった。 

彼女については、まったく知らなかった。フジテレビがやっているリアリティ番組に出ていて、最近その視聴者からたいへんな中傷や誹謗を受けていたらしい。

その番組は見たことはないし、SNSへの書き込みがどういったものだったのかもしらないが、一人の人を死に追いやるほどのものだったんだろうと推測するしかない。

ほんとに厭な気分になるよ。たかがテレビ番組に対して、本気であるいは遊び気分かもしれないが、相手を死に追いやるかもしれないような言葉を匿名で投げかける、その頭の悪さと品性のなさと、どうしようもないほどの人としてのなさけなさ。

時の権力に対して意見を言うとき、人は匿名で主張することがある。それは、もしもの時のことを考え身を守るためのものだと思う。中国ほどあからさまでなくても、日本の公安だってどういった形で情報を集めているかわからないからね。

そうした一般の個人が普通では一人で立ち向かえない巨大な相手を対象とする時以外、匿名で人を批判するのは御法度だ。

2020年5月22日

これを犬と思う感覚が分からない

シンガポールの公園では、ボストン・ダイナミクス社が開発した4本足歩行のロボットがパトロールしている。


新型コロナウイルスの感染拡大防止のために人々が適切な距離を保っているかをチェックするためらしい。

それはいいが、これが犬だろうか!? ロボット犬と言われているようだが、犬好きとしてはどうしても犬には見えない。

4本足で移動し、大きさが大型犬程度だからか? 不気味だ。

2020年5月17日

放送大学はどこへいく

僕が教えている研究科は、4月20日からリモート授業を開始した。それから4週間が過ぎた。

最初はどうなるかと思ったところもあったが、何とかなってる。確かに相手が社会人大学院生だから、というのはある。

学部の1年生(18歳)の授業を担当している先生などは、いろいろ苦労が多いという話を聞く。授業の中身をどう伝えるかという以前に、学生によってはネット環境が整っていなくて遠隔のクラスになかなか参加できないとか。

教員もほとんどが自宅からだから、相手の状況を手に取るように分かるわけではなく、そうした授業以前の問題の解決に時間と労力を取られている。

セキュリティの問題が取り沙汰されたりはしたが、Zoomがほぼ一般的なツールとして利用されているようだ。懸念はメンバー以外が紛れ込むことことで情報が漏洩するリスクがあるというのだったが、もともと所詮は大学の授業だ。秘密などない。まあ、あるとすれば、学生の個人情報(誰々は勉強ができない、とか)くらい。

遠隔教育といえば、日本では放送大学がすぐ頭に浮かぶ。それが設立されたのは1981年だから、40年の歴史がある。

しかし不思議なことに、今回日本中の大学教育機関がキャンパスを閉じ、遠隔授業の実施を迫られたとき、僕が知る限りではどこからも放送大学を手本にしようといった考えはみじんもなかった。

40年の遠隔教育の歴史があるのであれば、本来はそこが日本の司令塔として様々なノウハウを各機関に提供するのが道理なのだが。放送大学には実質的なノウハウや教育の技術は何もないのを皆が見て取っているということか。

2020年5月11日

9月入学が始まるかもしれない

人はすべてそうだが、なかでも日本人はこれまでやって来た流れを断ち切り、新たなシステムへ乗り換えるのが下手だ。下手というより、勇気がないのかもしれない。

その断ち切れない一例が、学校への4月入学、3月卒業、企業への一括採用による4月入社などだ。そこでは真の合理性はほとんど考慮されていない。

毎年、2月や3月になると、大雪の中を長靴を履き、顔一杯にマフラーを巻いた受験生が受験場である大学に向かう様子がニュースで流れる。電車などの交通機関の遅延で受験に間に合わなかった高校生の話なども。

またその時期は、例年インフルエンザの流行時期とも重なる。それまで一所懸命準備してきて、インフルエンザや風邪に罹患して目的の大学の入試が受けられなかった若者も多数発生する。

本当に時期が良くないとおもう。学期の始まりを9月にすることで、そのあたりは大いに改善できるはずだ。

9月入試の考えに対しては、全国の多くの教育委員会が反対している。混乱を招くとか、社会全体の仕組み中で考えるべきだとか、もっともらしい事をいっているようだが、要は変化を好んでいないだけだ。 変化に対応するのが億劫なのである。おじさん、おばさんらは。

9月入試に関して、ある新聞社が世論調査を行った記事を目にした。 9月への移行への賛成は56%、反対は32%。ただ、重要なのは若い人ほど賛成への意向が強かったということである。

18〜39歳では、賛成=66%、反対=28%
40〜59歳では、賛成=59%、反対=32%
60歳以上では、賛成=50%、反対=35%

それぞれのグループの標本数は分からないが、もしそれぞれの標本数が同数であるとしたら18〜59歳での賛成者率は63%、反対は30%でダブルスコア以上になる。

60歳以上の意見などは、ただ参考程度にするだけで十分だろう。

コロナ禍で生徒たちが学校に行けない特殊な状況下での調査結果であるが、9月へ入学時期を移行するメリット、デメリットを整理し、移行するなら早々に実行した方がよい。


2020年5月10日

配信解除からみる顧客志向度

自宅ですべての仕事をするようになって、パソコンの前にすわる時間が圧倒的に増えた。おそらく多くの人が同様の変化のなかにあるだろう。

授業はZoomでやっている。個人的なコミュニケーションはメールである。トラフィックが増え、種々のやり取りを整理しておいた方が良さそうに思い、これまで放置していた広告メールを処理することにした。

広告だけでなく、いろんな企業から勝手に届くメールも当然含めてのことである。一度会って名刺交換をしただけで、ずっと毎週個人のメールニュースを送ってくる自称コンサルタントも結構いる。

不要な受信メールを一気に減らそうと考え、迷惑メールのフィルタ強度を上げ、勝手にメールニュースを送付してくる企業のものはオプトアウトすることにした。今では日本企業のものでも、「配信解除」や「unsubscribe」のボタンを押すことでメールの配信を止めることができる。

ただ、なかにはそのために登録IDとパスワードでログインすることを求め、その後も面倒臭い手続きをわれわれに要求するところもある。そうすることで現受信者の解除手続きを減らす目的だろう。相手がメールを読もうが読むまいが関係なく、広告掲載料金のために送付先数をなんとか保っていたい企業だ。

そうした考えが、結局のところどんな感情を相手にもたらすのか、そしてどう彼らのビジネスに跳ね返ってくるかをどうして考えないのだろう。

2020年4月25日

パスカル『パンセ』から

今年1月から始めた私的研究会で、今月はパスカルの『パンセ』を読んだ。いつものように研究室に集まってというわけにはいかないので、Zoomを使っての研究会である。

多くの時間を家の中で過ごし、感染者拡大の数字の移り変わりを見聞きし、いつの間にかそうした目先の情報へ意識が振り回されていると感じているときに、こうした古典をじっくり読み、深く議論をするのは極めて良質な浄化であるように感じた。

『パンセ』は924(編纂によって異なる) の断章からなる一冊だが、そのなかにこうした一節があった。
われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁の方へ向かって走っているのである。(断章183)
この本が出版されたのは17世紀のこと。 だがこれって、今の状況と変わらない。

恐怖と不安

コロナウイルス感染拡大に関しては、ふたつのストレスがある。

ひとつは、自分が感染者になってしまうのではという恐怖感。もう一つは、すでに自分がもう感染者になっていて、そのため知らず知らずに周りを感染させてしまうのではという不安感である。

前者は意識してコントロールできる。外出を最小限にひかえる、人との距離を確保しておくなど。だけど、後者は厄介だ。すでに感染しているかどうかは、熱が出るとか、嗅覚に問題があるとか何らかの身体的な症状が発症するまで分からない。

その不安感を払拭するのは検査して確認するより他ない。にもかかわらず、検査が容易に受けられない。この国では。

すでに機動的に大規模検査を実施済みの他国に比べて、医療行政の問題が大きいように思う。何かやる際に、やけに慎重なのだ。役人は、やったことがないことをやって何か問題が発生すると責任を問われちゃうと思い、すぐ自己保身のブレーキが働くから。

役人、あるいは「官」という人間たちにとっては、国民の命より責任回避の方がよっぽど大切。だからわれわれの命などはいつも置いてけぼり。3・11の対応も、先の大戦での終結までの過程もそうだった。

行政は国民の顔色をうかがいつつも、全身やけどした患者に一枚一枚バンドエイドでも貼るかような対応しかしていない。効果的ではないし、それらは「ありがたい国からの施し」に見えて、実はすべて国民がかかえなければならない負債(将来の税)として積み上がる。

2020年4月11日

人口単位あたりの新型コロナ死亡者数

毎日、いや毎時のニュースで感染者数が何人になったとか、死亡者数がどれだけ増えたといったニュースでの報道がある。

見ているうちに、多いのか少ないのか、分からなくなってきた。自分が住んでいる町内の話ではなく、国家レベルだったり、あるいは全世界でという話だからである。

仮にだが、日本国内で100人が亡くなったとすると、それは人口比では100万分の1以下である。統計的には誤差の範囲である。もちろん人一人の命はそれぞれかけがえのないものであることは分かっているが、その数値のインパクトをどう捉えるかは冷静になった方がいい。

下記のグラフの元は、札幌医科大学が公表している人口あたりの新型コロナウイルス死亡者数の国別の推移を示したグラフである。https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html


縦軸に対数を取り、その変化がとても分かりやすく見て取れる。イタリア、フランス、英国が圧倒的に死亡者比率が多い。イタリアは国民3,300人に1人がこのウイルスで亡くなっている。日本は15万人に1人だから、その差の大きさに驚く。

また注目したいのは、その伸びの変化率である。ヨーロッパ諸国を中心にその伸びは大きく、また似通っている。 そうした中で、日本と韓国だけが相対的に緩やかになっている。

もう一つ特筆すべきなのは中国だ。世界で最も早く新型コロナウイルスによる死者を出してきたが、3月5日時点でイタリアがその死亡者数を抜いた。中国のそれはというと、それ以降ほとんど数値はフラットのまま。これをどう考えるかだが、個人的にはあの国らしく正直に数字を公表していないのが理由だと考えている。

日本においても注意を怠ることなく、少しでも早く終息の方向に持っていく必要があるのは言を俟たない。しかし、毎年インフルエンザだけで3,000人以上が亡くっていることを考え合わせれば、いまの騒ぎというか、国民の不安の度合いは度を超していると言えなくはないか。

2020年4月4日

C.D.Cが一転、マスクを推奨

全ての米国人が人前ではマスクを着用することを推奨するとC.D.Cが発表した。これまで感染予防の効果がほとんどないと言っていたが、宗旨替えのようだ。

わざわざ cloth masks(布マスク)とうたっているところを見ると、どんなマスクでもいいからしたほうがいい、という感染が急拡大する切羽詰まった米国内での状況がうかがい知れる。

2020年4月1日

一律自粛は思考停止である

新型コロナウイルスの影響で、各種の行事やイベントが中止になるだけでなく、美術館や博物館は閉館になっている。レストランや居酒屋での集まりもあまり見られなくなった。

そうしたことをよしとして、「きちんと守る」のがまるで知性のある大人の振る舞いのように語れているが、そうだろうか。ただ正体のないものに過剰におびえ、合理的な判断を放棄して周りの意見に流されているだけはないだろうか。

もちろん感染の拡大は防がなくてはならない。しかしそのことは、まるで無人島に一人で暮らすことがそのための理想的な方法であるというような発想とは異なる。無駄なこと、過剰な対応をしても無意味だからだ。

感染を怖れてマスクやトイレットペーパーを大量に買い込んだ人たちがいるが、思考停止の典型だろう。WHOや米国CDCは、マスクは感染予防にほとんど無意味だと発表している。そりゃそうだろう、一般のドラッグストアで売っているガーゼのマスクでウイルスが防げるかどうかは、見ればわかるはず。

自分が感染者の場合、他に飛沫を撒き散らすのを防ぐには役立つ。マスクを大量に買い占めた人たちは、自分が感染したときに他人にうつさないようにするのに備えてか。見上げた根性だが、もし感染したらマスクして出歩かないで入院治療してくれ。

熱のある人は出歩かない、熱のある人には近づかない、手洗いやうがいは励行する、あとは万一の時に備えて免疫力が落ちないように食生活や睡眠に気を付ける。持病や重篤な疾患を抱えてる人は別として、そのうえでなるべく普段の生活を取り戻すようにすることが大切だと思う。

昨夕、市内の映画館に出かけた。電車はがらがら。それでもいちおう人が少ない車両を選んで乗車して。

2011年の東電福島第1原子力発電所事故を描いた「Fukushima(フクシマ)50」を上映するシネマコンプレックスの一劇場、131席のところ、観客は最初から最後まで僕ひとりだった。これなら感染しようもない。

2020年3月31日

複業を始めるチャンスだ

社会人学生らに今の働き方を訊ねたら、その多くがテレワークに移行してることが分かった。

なかには入館証を電子的にロックされて、出社したくても事前に上司の許可を取らないと会社に入れないケースも。

ひょんなことから始まった本格的な働き方改革である。世の中が一変したように見える。人の働き方だけじゃない。電車も新幹線も空いている。レストランも映画館もデパートも空いている。一方、宅配便の仕事をしている人は忙しくて大変そうだ。

テレワークを始めた人は、この機会に複業を考えてみるといい。これまで毎日費やしていた往復の通勤時間や無駄な会議に奪われていた時間が自分に戻って来たのだから。

それを有効に使って新しいことにチャレンジすることを本気で考えてみてはどうだろう。

2020年3月27日

君はRBGを知っているか

日本国憲法を前文から103条まで、通しで読んでみた。

憲法の前文は崇高で、国民の一人として自信と誇りを感じさせる。が、と同時に、今の政治家や官僚が明らかに憲法に反した多くのことを行っていることに気づく。憲法が平気でないがしろにされている日本は、不思議な国だ。

急に日本国憲法を読もうと思い立ったきっかけは、ルース・ベイダー・ギンズバーグを描いたドキュメンタリー「RGB 最強の85才」を観たから。彼女は米国の法律の専門家として70年代から性差別にかかわる数々の訴訟にかかわり、米国という国を平等な社会に向けて変えてきた一人だ。

RBGと頭文字で呼ばれて若者たちから愛され、いまやロックスターなみのアイコンになってる85歳のおばあちゃん。カッコいいね。 



2020年3月26日

横のものを縦にする

ご多分にもれず、新型コロナウイルス感染の騒ぎから自宅で過ごす時間がこのところ増えている。

それはそれで読みたかった本を読んだり、なかなか手が付かなかった片付けに取りかかる余裕ができたりでよいのだけど、そこで気になってきたのが家の中の本の平積み、積み重ねられたいくつもの本の山である。

本は背表紙さえ見えていればデッドストックにはならないはずとの考えがあった。しかし実際はそうでもない。

10冊や15冊の山なら、その一番下に置かれた本だって必要があれば抜き出して手に取る。だが、30冊、40冊と積まれた本の山を前に、その下の方に置かれた一冊の本を取り出すとなると、まずは深呼吸の一つも必要となる。

狙いをさだめて、山が崩れないように両手両足を使って押さえながら、タイミングよく目的の一冊を一気に引き抜く。うまくいけばいいが、バランスが崩れれば、山全体が崩れ落ちることになる。

それがどうした、また積めばいいじゃないかと思われるかもしれない。いや、その通り。だが、そうやって何度も本の山を崩れ落とした経験が重なると、次第にそこから手が遠のいていく。気持も遠のいていく。触らぬ神に何とかではないが、トラウマとなって家の廊下や壁際に積まれた本の山はアンタッチャブルなものと化す。

そのままでは意味がないと思い直し、書棚以外でヨコになっている本をタテにする一人プロジェクトを始めることにした。

本を立てることが目的ではなく、ヨコ積みの本の山をなくすことが目的だから、最初にやることはできる限りの本の処分。今日、そこから取り組み始めた。 

2020年3月23日

一年遅れで考える

複数年連用の日記帳を使っている。良いところは、昨年の同じ日、あるいは一昨年の同じ日に自分が何をし、どんなことを考えていたかを知ることができること。

あんなことがあったな〜、あれはその後どうしたんだっけ、などとその日のことを書く際に自分の1年前や2年前の記憶が自然に呼び戻される。

当時の世の中のことを思い起こして、あんなに大騒ぎしたことが今では全く何もなかったのように扱われているなど、1年、2年という年月の間での時間の流れの早さを痛感することがある。

そんなとき、僕たちはその日その日に追われ、目の前に現れては消えていくことをにしか眼差しを向けず、あたふたと生きているんだなぁと痛感しないわけにはいかない。たいていの事は、少し時間が経ってみればなんてことないことばかりだということがわかる。

目は半眼に閉じ、聞こえてくるものは右から左に流してしまい、その中で自分の心の奥底に引っかかったものだけを取り入れて過ごしていったほうがいいんじゃないかと思ったりする。

複数年連用の日記帳には、そんなことを考えさせてくれる効用がある。

2020年3月22日

山中先生による新型コロナウイルス情報の発信サイト

iPS細胞研究所長の山中先生が、新型コロナウイルスについての情報発信サイトを個人でオープンした。

https://www.covid19-yamanaka.com/

書かれていることはとても分かりやすく、世の中に流布している情報をエビデンスがある(科学的といえる)ものか、そうでないものかに分けて説明してくれている。

例えば、「暖かくなると終息する」という話はエビデンスのない情報、つまり単なる与太話ってこと。テレビの番組で感染の専門家と紹介されていた研究者がそう話していたけど、信じるに足るものじゃなかったのが分かっただけでもよかった。

まだワクチンは開発されてなく、効果の証明された治療薬も見つかっておらず、山中先生は今回のことを1年は続く可能性のある長いマラソンと語っている。

心してかかる必要がありそうだ。

三島と東大全共闘

今週の金曜日から、映画「三島由紀夫 VS 東大全共闘」が東宝系を中心に劇場公開されている。

1969年、東大のキャンパスで行われた両者の討論会を収録したドキュメンタリーといえる作品だ。映像は、TBSが撮影したものが局の倉庫に眠っていたのが、1年前に見つかったものという。

そうであれば、TBSはどうしてその映像を自社で番組にせず、劇場版の作品にしたのだろう。放送局でありながら、劇場でかかる映画の方がテレビ番組より格上だと思っているからか。

東海テレビのような地方局が、テレビ番組として制作したものをもとに劇場用映画として配給したものは確かにある。若い女性を中心に多くの観客を集めた「人生フルーツ」などがそうだ。

地方局制作の番組は、基本的にはその地域でのオンエアしか見られない。だから局のプロデューサーが、テレビでの放映後に内容を劇場版に仕立て上げて日本中に流すという手を考えるのは分かる。だが、TBSはキー局で全国にネットを持っているじゃないか。

さてその映画だが、僕はたぶん劇場へはそのためには足を運ばないかな。三島も東大全共闘もいまそれほど興味を感じないから。

映画のポスターやチラシには「衝撃のドキュメンタリー!!」の文字が躍る。映画評論家さんたちの評は、どれもポジティブだ。それもとても。「凄い!」「見逃せない」「必見」と絶賛だ。本当にそうか?

50年以上前の当時の事を理解し覚えているとしたら、70歳以上だろう。何も知らず、また学んでもない若い映画ライターらが、ただ「今とはあまりに違う」ことに驚き、気圧されて<こりゃ参った>といってるだけじゃないのかね。

2020年3月14日

映画と経営学修士

今年30作目の作品が今日から公開される映画監督の神山征二郎さんが、新聞の「ひと」欄で取り上げられていた。78歳になる彼の映画との関わりは60年間におよぶ。

彼は長年の監督業を振り返りつつ、今回の作品が最後になるかもしれないと語る。また韓国映画の「パラサイト」が話題になっているなか、日本の映画界では若い才能が実写で力を発揮する場が少ないことを嘆く。

日本で映画は斜陽産業と言われてきたが、今は産業とさえ呼べず、韓国映画に水を開けられたとその心残りを語っている。
私は若い世代のために何をしたらよかったのだろう。経営学修士を取り、資本主義の勉強したら、産業となりえたのだろうか。
彼は、自分が映画人としてそうした勉強をしたかったわけではないし、また映画監督としてそうしたことが必要だったとは考えていない。むしろ逆だろう。

作り手である自分たちだけでは産業としての映画を残し発展させていくことはできないことを経験的に感じていて、日本映画を産業として成長させるためにはそのためのプロの経営者が不可欠であること、そして今の日本の映画界にはそれが決定的に欠けていることを示唆している。

映画制作の能力で負けているのではなく、産業のマネジメント能力の欠如が敗因であると。これはなにも映画に限ったことではないに違いない。

2020年3月12日

宵の明星

3月12日午後6時半過ぎ、西の空にひときわ明るく輝く金星。

金星が見えるかな?

2020年3月11日

桜の開花

3月11日、横浜市内某所。桜がすでに開花していた。





2020年3月9日

主人公との同化

映画『1917  命を賭けた伝令』。監督のサム・メンデスが、かつて祖父から聞かされた第一次大戦中の体験談をもとに脚本を書き、制作した。


舞台は1917年(ソビエト連邦の成立につながるロシア革命が起きた年だ)、ドイツ軍と英国軍が戦闘を繰り広げていたフランス。そこで重要な伝令を託された英国軍の2人の若者が、防衛線を越えて敵の占領地に分け入り、罠にかけられようとしている味方軍にその事実を届けるというもの。

スーパーマンでも何でもない普通の兵士2人が、まさに命を賭けて(というか、戦場そのものがそうした場所なのだが)敵陣をくぐり抜けていくというサバイバルゲームを見ている感覚。

2人は走る、走る。それを長回しのカメラが、いい距離感で追っていく。まるで自分が主人公の一人になって戦場の中を命がけで駆けている気にさせられる。

近代兵器が生まれることで一気に闘いが凄惨なものとなった第一次大戦の悲惨さが伝わってくる。徹底して敵であるドイツ人は、薄汚いイヤな奴らとして(しっかり)描かれている。ドイツではこの映画、あまり流行らないかもしれない。

それにしても、観るものを主人公に同一化させる映画手法はすばらしい。カメラや美術のテクニックが抜きんでているのはもちろん、観るものの五感に訴えるように計算された細かい演出が心憎い。

主人公の近くで爆裂し、耳をつんざく砲弾の音。ドッグファイトで撃墜された敵の飛行機が主人公たちに迫ってくる息を呑む迫力の映像。そうした典型的な映画的体験だけではない。

ポケットから取り出して2人で分けて食べる固いパンはその食感を観客に伝え、喉が渇いた彼らが農場の跡で見つけた牛乳は、その甘い匂いを漂わせていた。

そして何よりも感覚を共有させられたのが、主人公が自陣を離れ、鉄条網を抜けながら敵陣に入って行くときに手の平に刺さったその鉄の棘の痛さ。立ち止まることができないなか、泥の中を進みながら血が流れる手の平にもう片手で包帯を無造作に巻きつける。

観客が主人公と同化するこうした仕組みがうまく盛り込まれている。だから、主人公は特殊な能力を持つスーパー戦士ではなく、たまたま上官によって指名された普通の兵士がふさわしい。

2020年3月7日

「感謝状」は感謝の気持ちを込めて渡してあげてほしい

航空会社に勤める友人が、定年退職を迎えた。

その会社の定年退職式が2月の末にあったと聞いたが、感染騒ぎの影響で、人の密度を下げるために会議室を分けて実施され、感謝状は社長からの手渡しではなかったとか。

おそらくは式典を取り仕切った人事部の判断なのだろうが、それに従って感謝状を感謝の気持ちの感じられないやり方で渡した、その社長もどうかしている。

2020年3月6日

こんな専門家は、迷惑千万だ。誰か、何とかしてくれ

いま日本中がコロナウイルス感染対応と、その数々のリアクションで大騒ぎだ。

この1〜2週間が山場だとか、この週末を乗り越えられればとか、この4月以降は収束に向かう模様だとか、メディアでは専門家らしい人たちがそれぞれの見解を述べているが、どれも信用できない。だって、エビデンスが何も示されないんだから。

C.D.C.(Center for Disease Control and Prevention  アメリカ疾病管理予防センター)のディレクターは「この病気はインフルエンザに似ているが、問題は我々がそれが何なのか理解していないことだ」と述べ、ワクチンがまだ見つからず、今の状況はこの季節を越えて続くだろう、あるいは年を越えても続くだろうと語っている。https://www.youtube.com/watch?v=kX5bFqgD3Cs

ええっ!て感じである。日本の専門家が語ってることと見方がまったく異なっている。

日本の感染病の元締めは国立感染症研究所(感染研)であり、厚労省や官邸の政策にそこが多大な影響を与えているようだが、これまで(例えば季節性インフルエンザ)のワクチン製造の音頭取りの不適切さ、つまり国民の命や健康を第一義に据えるのではなく、自分たちの利権を常に最優先してきたやり方からは、今回もまたか、と言わざるを得ない。

ダイヤモンド・プリンセスで発生した700人を超える感染者を招いたのは、まさに感染研の不作為による。

いま僕は、コロナウイルス関連の情報について日本のメディアはまったく信用しないことにしている。代わりにCNNやBBCといった海外メディアでの報道を仔細にチェックする。科学的な根拠をもとにしたコメントが聞けるから。そして何と言っても一番頼りになるのは、米国のCDCの責任者から伝えられる情報だ。

日本は未だに自分たちが何をどうしたらよいか分からないまま、目先の対応だけを気分でやっているように見える。日本人が得意な「そのうちなんとかなるだろう」である。

だが残念ながら、コロナウイルスはそうした日本人の気分を忖度してくれはしない。政府の施策は「私たちはやってますよ」という言い訳と証拠づくりだけが目的で、ただ時間と税金の無駄遣いに終わる。僕は、今回の闘いは長く続くとみている。

日本の感染症対策の第一人者だというふれこみの賀来満夫(東北医科薬科大特任教授)なる人物が、毎日新聞社のインタビュー(以下のリンク)に答えている。本日付の記事の見出しは「新型コロナ「4~5月がピーク」  感染症対策の第一人者、東北医薬大・賀来特任教授」である。

https://mainichi.jp/articles/20200306/k00/00m/040/020000c?cx_testId=96&cx_testVariant=cx_5&cx_artPos=2&cx_type=collabctx&cx_recsMode=collabctx&cx_testId=96&cx_placement=1000&cx_campaign=5#cxrecs_s

「1~2週間が山場」
「1~2週間が山場」

賀来はインタビューの中で、新型コロナについて何の科学的根拠も示さず「1~2週間が山場」だと言ってのけた。

また、こうも語っている。

SARSは2002年11月に確認され、ピークは03年3~4月で同7月に終息宣言が出た。その例を考えると、今回は19年12月に始まったことから、20年4~5月がピークで、8月まで続くと推測する。

おいおい、ちょっと待ってくれ。現時点で実体がまだ分かっていない新型コロナウイルスについて、なぜSARSを引き合いに出して単純に今後の感染予測が成り立つのか?

日本の「第一人者」とやらがこうだから、他は推して知るべしだろう。とっても残念、そして腹が立つ。頭に浮かぶのは、こうした不見識な「専門家」に振り回されるかもしれない不幸な日本人のこれからである。

SARSは2002年11月に確認され、ピークは03年3~4月で同7月に終息宣言が出た。その例を考えると、今回は19年12月に始まったことから、20年4~5月がピークで、8月まで続くと推測。
「1~2週間が山場

62歳ってどんな歳

2009年から使っている、僕にとっては初代のキンドルがおシャカになった。バッテリーがいかれてしまったんだ。まったく充電できなくなってしまった。

バッテリー交換についてアマゾンに相談したところ、キンドルはバッテリーの交換ができないとのこと。10年以上使っているから、仕方ないか。彼(たぶん中国人)は、割引のクーポンを出すから新しいの買ってはと提案。

その後の対応はアマゾンらしい。そのあと、アマゾンのサイトでキンドルの新製品を選んでショッピングバッグに入れ、そのままチェックアウトしようとすると約束の割引がすぐさま適用されて請求金額が変更になった。実にスマート!!

今度購入したキンドルは防水設計。だから、風呂場に持ち込んで湯船で読書できる。これがなかなかいい。

私立探偵フィリップ・マーロウのその後を描いた Lawrence Osborne の Only to Sleepを湯船につかりながらキンドルで読んでいたら、こんな1節にあたった。
Seventy-two isn't a bad age, but sixty-two is too old to be working.  Your are just impersonating the man you used to be.  Retirement had seemed like the best way not to die ...
62か・・・。

2020年3月4日

停滞し、自らの首を絞める日本

不要不急の外出はするなというのが、いまの日本の考えらしい。

新型コロナウイルスの国内の感染者数は、例のクルーズ船を除くと3月1日現在で239人。この人数をどう見るかはいろいろあるだろうが、人口比での確率は0.0002%である。感染が原因で肺炎などで亡くなった死者数は国内では6人だ。

どこでどういうルートで感染するかが分からないため疑心暗鬼になっているようだが、常識的に考えれば、今われわれがやっていることがどれだけバカバカしいことか分かるはず。

学校は休校になり、各種の催しものは中止。博物館、美術館まで閉館になっている。なんともはやだ。だがその影響で、電車は空いているし、どこも人が少なくていい。いつも混雑している観光地も閑古鳥が鳴いている。どんどん出かけていくチャンスだ。

ところで、テレビで新型コロナウイルスに関しての報道の際にウイルスの顕微鏡写真が映される。これを視聴者に見せることで何が伝わると考えているのだろうか。何か得体の知れないものに人間が襲われているという妙な感覚だけが残る。それ以外の意味はない。学校の理科の授業じゃないんだよ。

国立感染症研究所のクレジットがついた映像

2020年2月26日

ラオスの少年と少女

現地のNGOと一緒に訪問したラオス、ナコック小学校の子供ら。笑顔が不敵で素敵だ。


 

2020年2月23日

ラオス象の水浴び

ラオスの象は思ったよりは小ぶりだった。その分、あまり威圧感を感じさせることがない。象使いにちゃんと調教されているからかどうか知らないが、大きな声を上げて啼くこともなくとても静かでおとなしい。サワラン地区の川で撮影。


2020年2月22日

廃物利用

ここは、ベトナムとの国境近くのラオスの山村。農業以外の産業はない。子供も大人もみんな腕が細い。栄養が十分じゃないからだろう。

痩せた畑に、粗末な小屋がいくつか建てられていた。その高床式の小屋には収穫した作物が収められるのだろうか。よく見ると、建物のその足は木造ではなく鉄製であることが分かる。

かつてベトナム戦争で爆撃された地域。落とされたその爆弾の薬莢を小屋を支える柱にしている。ある種の廃物利用であるが、これなら木と違ってネズミが昇ってこられないというメリットがあるらしい。


村の子供ら。