2022-06-26

F/A-18と腕立て伏せ

「トップガン マーヴェリック」をIMAXシアターで。お話は簡単で子供にでも分かるものだが、よく練られている。

トム・クルーズ演じるマーヴェリックと、彼の教え子たちともいえる若い選りすぐりのパイロットたちが主人公。だが、本当の主人公は戦闘機F/A-18とF-14だ。これらの飛行シーンには度肝を抜かれる。

磨き抜かれた技術で最新鋭の戦闘機を扱うパイロットたちだが、かれらが何かにつけて「罰」として腕立て伏せをさせられるシーンが妙に印象に残った。このコントラストが面白い。単なるストーリー上の演出ではなく、アメリカ海軍では実際にやっているんだろうな。

映画の冒頭あたりで、今後さらに技術が進めば戦闘機乗りは不要になっていくと上官に言われたトム・クルーズが「そうだろうが、それは今日ではない」と返すシーンがあった。

肉体と意思をもった人間を忘れるべきではないという制作者のメッセージである。


2022-06-25

小田嶋隆さんがなくなった

コラムニストの小田嶋隆さんがなくなった。65歳。面識はないが、同じ時期に大学の同じキャンパスにいたはずである。

訃報で「反骨のコラムニスト」「反権力のコラムニスト」と彼が呼ばれているのは、日本ではそうしたはっきりものを言う文筆家があまりに少ないから。

彼のことを詳しく知っているわけでも思想的な背景を理解してるわけでもないが、書かれたものを読む限り、彼は反骨ではあっても反権力を標榜したわけではないように思う。彼は、右も左も関係なく、ただ理屈に合わない考えやそれにもとづく言説を黙って認めることができなかったリベラリストであっただけ。

そうした彼に「反権力のコラムニスト」というレッテルを貼ったのは、恵まれた組織(大企業)内にいるがため直言したいが彼のようにはなれない、へたれメディア人たちである。

2022-06-22

2年半ぶりの国際学会出張

コロナ前の2020年1月、ハンガリーのブタペストにいた。学会発表のためだった。

現地では学会後にサーカスを観に行った会場で、現地駐在の日本人夫婦の方と偶然に知り合い、その後食事を一緒したり、帰国後もメールのやり取りをしたりで、思いがけず記憶に強く残る旅になった。

それは一例だが、日本を出て海外に行くと、たいていは新たな出会いや発見がある。それもあって海外の学会に出かけることを続けていた。

だが、中国武漢発のコロナウイルスが一気に拡がり、海外への渡航は一切禁じられた。その後のことはここに書くまでもない。人の移動が制約され、ネット上で展開するヴァーチャルなコミュニケーションにいつの間にかわれわれは違和感を感じることがなくなった。

それから2年半が過ぎて、やっとまあまあ普通に海外に出かけられるようになった。最初は欧州の学会へ出かけようと思ったが、ここはまずはリハビリを兼ねて距離の近いアジアの国にしようと思った。

そこで今回のマレーシアである。マレーシアを訪ねるのは初めてだし、英国留学中に一緒だった友人がいることも背中を押した。

日本からの出国と現地への入国。そして、現地出国と日本への再入国。一番大変だった、というか翻弄されたのは現地からの出国の際の手続きだ。 

今回のフライトはJAL。現地への直通フライトを飛ばしているからだ。ただ、現地空港での乗客の搭乗手続きなどグラウンド作業は、提携先のマレーシア航空が受け持っていて、それが今回大きな問題のもととなった。

これはあくまでも個人的な評価だが、マレーシア航空のスタッフはとても真面目なのだが柔軟性に欠け応用力がなかった。しかも、以前の古い日本政府の感染防止策とその規制手段をいまも適用しようとするので、当然のようにこちらとは押し問答になる。

MySOSとかいう日本政府のアプリをスマートフォンにインストールしていないという理由で搭乗手続きを拒否された。ワクチン接種証明書も、さっき済ませたばかりのPCR検査の証明書があってもである。

そもそもMySOSというのは、もし機内で感染者が出た場合に、日本政府の検疫所がその飛行機に乗っていた他の乗客に連絡を取ることを目的としたもの。住所や名前、連絡先をデータをしていれるだけのアプリのようだ。感染拡大やその防止と関係ない。紙の用紙に渡航で利用した航空便と座っていた座席番号、日本での連絡先を記入して提出すれば済む。実際、最終的には僕はアプリをインストールするなどせず、成田空港で1枚の紙を記入しただけで済んだ。

こうしたことが、その目的を一切知らされず、また彼女らも考えることをしないので、ただただ教条的に以前言われたとおり、そのアプリがないと搭乗手続きを行わないと言い張るだけ。

結局、カウンター周辺にいた、つい10日ほど前に日本からやって来たという日本航空社員が取りなしてくれて搭乗手続きができて機内に入ることができた。彼がいなければ、僕はその便には乗機できなかった。

コロコロ変わる日本の厚労省の政策と未徹底な通達。意味を理解しようとせず、機械的にしか仕事をしない現地スタッフ。日本から着任したばかりで、そうした現地スタッフをまだ掌握できていない日本の航空会社の社員。と、今回の問題の所在は多層で多岐にわたっていた。

最後の最後、現地の空港でのやり取りは、今思い出しても腹がたつことばかり。もともとコロナがなければこんなこともなかったと自分を慰めるしかない。

ところで今回の学会では、最終日のセレモニーで僕の研究発表に対してDistinguished Academic Award(4名が受賞)が与えられた。こうしたことがなければ、もう2度と彼の地は踏んでやるかと怒り心頭だったはず。せめてもの救いかな。 

 

ペトロナス・ツインタワー。観光デッキに昇る予約は今も一週間待ち

  
ホテルの部屋から見えたKLタワー

ヒンドゥー教の聖地「バトゥ洞窟」から見下ろす

日本への直通便は夜便のみ。昼間の時間を使ってマラッカへ足を伸ばした。

2022-06-13

男女役員数の均衡化義務の意味

日本の話ではない。まずはEU(欧州連合)を中心とした話をしよう。

EU各加盟国と欧州議会が、それらの地域において上場企業の女性取締役比率を増やすための規制案に合意した。

対象となる企業は、2026年6月末までに社外取締役での女性比率を40%以上にしなければならない。このことは、各国で2年以内に法制化することになっている。

また、社外取に限らず全取締役の枠組みで見ると、男女それぞれの取締役の比率を33%以上にするという方針になった。

男女平等、機会均等の考えのもと、女性が企業の取締役にとどまらず、あらゆる場で責任のあるポジションに就くのは大いに結構だと思う。

だが同時に、こういった単純極まりないクオータ(割り当て)の発想には、大いに疑問がある。

先のEUと欧州議会の合意だが、形式的に数字を作るのは阿呆でもできる。たとえば、社外取締役をすべて女性にする。そうすれば、社外取締役の女性比率40%以上も、また全取締役の女性比率33%以上もクリアできる。だが、それが果たして企業経営にとってプラスになるか。

なぜか。今回、そもそも上場企業に限ってのルール設定をしているのが、それが納得いかない。上場企業と非上場企業でなぜ線引きするのかの説明がなされていない。

また、日本企業の社外取締役に見る女性の状況は、以前から極端なインフレ状態にあると言われている。東証の基準をクリアすることを目的としているため、その多くは取締役の内実を伴わない形式優先との批判はあながち間違いではないだろう。

以前、建設機械メーカーであるコマツの相談役、坂根正弘さんと対談したときのことを思い出した。彼は「取締役に女性をつけるのは、難しいことではないんです。社外取締役は、どこかから探してくればすむ」「だが執行役員に女性をつけるのは、社員の採用から始まって、時間をかけて育成しなければならならず、一朝一夕にはいかない」と話してくれた。まさに正論だと思う。

形式要件を満たすために女性の社外取締役を増やす企業があとを絶たないが、その結果、そうした企業が今後どうなっていくか。

IMDなどの調査結果を見るまでもなく、日本企業の国際的な競争力が急低下してる状況の下で、こんな発想で見せかけのガバナンスを行っていることを「経営」だと思っているマネジメントが実に多い。

2022-06-12

総長決定選挙

総長決定戦の投票締め切りを間近に控え、各候補の選挙活動が続いている。今回の総長戦に立候補しているのは、現総長を含め3名。

僕は来週から海外出張に出るので、その前に投票を済まさなければならない。といっても、レターパックで投票用紙を大学の選挙管理委員会宛に返送するという簡単なやり方だが。

誰に投票しようか決めかねている。前総長というのが一体何をやったか分からないような人物だっただけに、現総長が良く見えていたこともあった。が、本当に3人のなかで最適な選択なのかと迷っている。

勤務先の大学で教員を務める古くからの知り合いと電話で話したところ、その人は大学の執行部を務めたことがあるだだけあって僕なんかより学内の色んな情報を持っており、また大学サイトの選挙ページに掲載されている立会演説会などの動画をきちんと見ると良いとアドバイスされた。

大学というのは、一見、世間からは浮世離れした社会に思われがちな世界だが、ご多分にもれず人間の欲がそれなりに渦巻いているようだ。権力を求める人間の欲求は場所や環境に関係ないようだ。

2022-06-10

気仙沼で漁師になった彼女

好きな声というのがあって、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が松たか子だ。それが理由で、彼女がナレーションをしているNHK BSプレミアムの『新日本風土記』を見る。

今日のその番組だが、テーマは「気仙沼」。番組の冒頭で、いきなり知り合いの娘さんが画面に現れた。

実は、新聞のラテ欄で「気仙沼で都会から移住し漁師になった女性」という番組説明を見たとき、ひょっとしたら・・・、とは思っていたのだけど。

彼女は横浜生まれの横浜育ちのはずだ。大学卒業後は青年海外協力隊の隊員として何年間かアフリカのマラウイで活動をしていたと聞いていた。それだけで、突然「私、漁師になる」と言い出したとしても、なんとなく納得できそうな感じがする。

僕は彼女に直接会ったことはないのだが、彼女のお母さんにお世話になったことがあり、その子が震災復興のボランティアとして宮城でいろんな活動をしているとか、数年前から漁師になりたくて気仙沼の船頭のもとに通っていると話には聞いていた。

テレビに映る彼女は、華奢な見かけではあるがとても逞しく見えた。網やロープを日々扱う彼女の手がアップで映る。若い彼女の手は、カサカサで荒れ放題だ。爪のところから血が滲んでいる。彼女はそれを喜んでいるわけではないが、ちょっとした勲章のように感じている節も窺える。

番組終了後、彼女の母親に「NHKの番組、見ましたよ」とメールしたら、「日焼けがどうの、美白がどうのとおしゃれにばかり気をつけていた高校生時代とは全く違ってますね。なんだか母の私にも手の届かないところまで行ってくれたようで嬉しいです」と返信があった。

思いもしなかった夢を追いかける娘が心配で仕方ない一方で、親元から遠く離れ、親たちの想像を超えた逞しさで自分の生き方を突き進む娘に、大きな希望を感じているように思えた。

そんな彼女には、赤の他人ながらとにかく元気で、思いっきりやってほしいと願っている。

2022-06-07

株主総会招集通知も少しは進化したら

6月の下旬は上場企業の定時株主総会の時期。各社から「招集ご通知」が送られてくる。

どれも昔から同じスタイル。サニタイズされた表面的で型どおりな情報ばかり。決議事項は、だいたいどの企業も定款の一部変更と取締役/監査役の選任だけだ。だから代わり映えするわけない。

いつからか、取締役候補者のスキルマトリックスなる表を掲載する企業が出てきたが、それを見てもよく分からない。勝手な自己申告だろうから信憑性がなく、ほとんど意味を感じない。株主が判断する際の役に立つとは思えない。

取締役候補くらいは、ウェブサイトで自分がこれまで何をやってきたのか、どういう考え方で取締役に就こうとしているのかを株主などに語りかける動画くらい掲載したらどうだろう。

やろうと思えば簡単にできるはず。「前例がないからやりません」って? そーかい、だからあんたたちダメなんだヨ。総会をもっと爽快なものにしようという発想でも持ったらどうだ。

2022-06-06

「なぜ日本は没落するのか」

ノーベル経済学賞候補と言われた森嶋通夫さんは、日本と英国を行き来しながら日本の行く末について考察していた。

その彼は、1999年に著した「なぜ日本は没落するのか」で50年後、つまり2050年頃の日本について「国際的発言力のない没落した国に落ちぶれている」と予言した。

なぜ50年後を彼は予言できたのか。あるいは、予言できると考えたのか。おそらく彼は、その当時の学生たち、二十歳前後の若者を見て50年後の日本の行く末を予言したのだ。 

日本では政治の世界においても経済の世界においてもリーダー的ポジションにいるのは60代後半から70代のオッサンが中心であり、50年後にどうなっているか、彼は当時の教育の場の状況とそこにいる若者らを見て予測したのである。

日本の戦後の学校教育は知識偏重で「価値判断を行う能力」「論理的思考で意思決定を行う能力」の涵養を疎かにしていて、そして50年後にはそれらの教育を受けた人間が政官財の指導者になっているはずだから日本は没落する、と考えた。

森嶋の基本的な認識は、現在の日本人は堕落したという点にある。それを断定的に述べることはここではできないが、政治はもとより経済においても、日本は没落した三流国家に成り下がってしまったのは事実だ。

彼が云う50年待たず、わずかその半分以下で到達してしまった。森嶋は、国が栄えるかどうかはその国民性にあるとしている。想像力に欠けた硬直化した発想と、右へ倣えの意思決定を範とする日本という国のスタイルがその典型である。

2022-06-04

何ごとも訓練・・・

交通誘導員のための練習かな。近くの公園で見かけた、ちょっとのどかな風景。





2022-05-31

リニアって本当に必要なのか?

リニア中央新幹線の開業は、今から5年後の2027年が予定されているらしい。

地下トンネル工事を進めるにあたり、まだ地権者や住民の理解は完全に得られていないらしいが、これができると品川駅=名古屋駅間はノンストップ運行の場合、40分で結ばれるらしい。

ただし、リニア中央新幹線が走る品川駅から名古屋駅まで、途中の神奈川県、山梨県、長野県、岐阜県それぞれの県に新しく設けられる新幹線駅に止まるリニアの場合、品川駅から名古屋までは約1時間かかる。

東京駅を出発地とした場合、品川駅までは一区間だが東海道新幹線で移動するとしたとしよう。品川駅で降りてリニアへの乗り換えを行うとそこまでで20分程度の時間がかかるので、東京駅から名古屋駅まではリニア中央新幹線を使っても1時間20分程度という計算になる。

現在、東京駅から名古屋まで新幹線のぞみで1時間半だから、驚くような違いがあるとは思えない。

また、料金がどうなのか知らないが、7兆円を超える費用がかかっていることを考えれば、リニア中央新幹線は現在の東海道新幹線よりかなり料金が上乗せされるに違いない。そうしなければ費用の回収はできないのだから。

つまり、区間が品川駅から名古屋駅までという限られた移動手段であることに加えて、利用料金は増す。考えれば、それほど速くないだけではなく、品川駅が起点という事は既存の新幹線に比べて利便性は劣る。

さらに僕が個人的に気になるのは、リニアは路線の7割以上は地下を走るために車窓の景色を望むことはできないことだ。地下深く、真っ暗なチューブの中を走るわけだが、こんな移動が楽しいかネ?

そして忘れてはいけないのが、地震大国であるこの国で、もし地下深く走行しているときに大地震が起こったら、ということ。線区によるが、リニア新幹線は地下40メートルあたりを走るらしい。そんなところで地震が原因で新幹線が止まると、どこにも逃げ場がない。想像しただけで気が狂いそうになる。

リニア新幹線が走る箇所は、ちょうど南海トラフ大地震の発生が予想されているエリアと重なる。この地震は、30年以内の発生確率が87%と予想されているのに。

一旦計画し、作り始めてしまったから途中で止むにやまれず工事を今も続けているということだろう。かつての政治家と経営者が残した、まさに偉大なる負の遺産。慣性で人も組織も動いている。それを誰もリーダーが修正できない。

繰り返すが、品川から名古屋という限られた区間の移動に大工事を行い、7兆円もの費用を注ぎ込み、そしていくらかの移動時間の節約があるからといってそこにどれほどのメリットがあるのだろう。

静岡県知事が、自然環境への影響を理由にある区間の工事を県として認めていないが、それとは別の理由でリニアはいくら今さらと言われようが見直しを真剣に考えた方がいいと思う。

リモートワークになれてきた僕たちが、いまさらリニア新幹線を使っていかなきゃいけない必要性をどれだけ感じるかだ。

2022-05-30

長寿を日本人の誇りとする

ロシアによるウクライナ侵攻は、長期化の様相を見せている。ウクライナは、自らの国家としての独立と誇りをかけて国を守り続けようとしているし、ロシアも諦めることなくしつこく攻め続けている。

プーチンがウクライナを併合したがっている理由の1つとして、ロシアの人口減少が指摘されている。かつてのソ連時代は2億人弱だった人口が、現在は1億4000万人。そして、ロシア人は他の先進諸国のなかで平均寿命が短い。人口が増えにくいのだ。

下図は、米国、EU、日本とロシアのそれぞれの国民の平均寿命の推移を示したものだ。2019年時点で日本が84歳、EUが81歳、米国が78歳に対して、ロシアは73歳である。

 
とりわけ寿命の短さは、ロシアの男性に著しい。ロシア人男性の平均寿命は68歳で、女性の78歳に比べて10歳も短い。理由はいろいろ考えられるのだろうが、ウォッカの飲酒が理由の1つだと聞いたことがある。

一方日本は、順調に平均寿命を延ばし、2019年のデータによると国別では世界一である(男女の性別で見ると男はスイスが世界一で、日本人男性は82歳で世界二位)。 われわれ日本人男性は、ロシア人男性よりなんと14歳も平均寿命で長生きしている。

今さらながらだが、こんな幸せなことがあるだろうか。メディアなどで人生100年時代と語られる際には、どうやってわれわれはそこまで「生きながらえるか」という悲壮感や不安感が裏側に貼り付いているが、考えるまでもなく、短命より長命である方が幸せに決まっている。

幸せとは心の状態。金銭的な豊かさや肩書きとは関係ない。そもそも歳をとると、肩書きにしがみついていることほどみっともないことはないし、金はあればあったで困りはしないが、なければないで仕方ないと思うしかない。

気分を高く持ち、幸せな気持ちを保ちながら生きていくことができれば、日本人は世界でもっとも恵まれた、ほかの国が憧れる国になることができる。

そのために必要なこと。それはとにかく社会的な不安感を払拭すること。そして個人が、競争だけでなく助け合いや分け合いの意義を理解し優先していく気持ちを普通に持てるようになること。それしかないと思っている。

2022-05-27

「環境保護の観点から有料とします」の奇妙な理屈

KDDIから「紙請求書発行条件の変更に関するご案内」と題した文書が届いた。

 
目を通すと、冒頭から「環境保護の観点から紙請求書の発行を有料とさせていただきます」と書いてある。「環境保全と気候変動対策として紙請求書の削減」が必要だという。

ひと月にA4一枚の「利用料金のご案内」が環境負荷になるというのだが、これはあまりに利用者を阿呆扱いしている。

auの店に行くと、数え切れない種類のパンフレットが大量におかれ店頭で配布されている。僕はそれが悪いともおかしいとも思わないが、言うに事欠いて利用者に毎月送っている利用明細書1枚が環境負荷にあたると主張するのか。

彼らはただ印刷代と郵送料を省きたいだけなのは小学生にだって分かる。それなのに、環境保全という大義を振りかざして「1通220円」の手数料をペナルティとして客から取るらしい。

その追加収入は、森林整備や植樹費用にでも回すのかね。あり得ない。会社の利益として計上するだけだろう。

こうした見え透いたおためごかしが顧客に通じると思っているその発想が空々しく、貧弱すぎて情けなくなる。

2022-05-22

何とかと煙は、高いところが好きだというから

ボートが加速すると背中のパラシュートが風をふくみ、体がすっーと浮きあがる。どんどん体が空に向けて昇っていく。

水面から70メートルほど上がっただけで、まわりは静寂さに包まれる。風がロープを切るいくらかの音だけが耳元を流れる。それ以外は一切音が聞こえないことに驚いた。

体験してみないと、やはり分からない。

風を受けて浮かび上がる
ほぼロープが伸びきった状態

はるか下のボートに曳航され静かに進む

周りには何もない。眼下には珊瑚礁が見えた

ボートのリアデッキに向け戻ってきたところ

2022-05-08

日本の交通渋滞は、今も季節の風物詩だ

大型連休(ゴールデンウィーク)が終わった。GWにともなう高速道路の渋滞のニュースを聞くにつれ、「働き改革」なんてものは一向に進んでいないことが分かる。

「働き改革」は「休み方改革」であり「生き方改革」のはずだが、10年一日のごとく連休の始まりは高速道路の下り路線で、そして連休後半に差し掛かった頃からは上り路線で車が渋滞する。今年、その長さが40キロにものぼった高速道があった。

昔ながらの「官製休暇」にしたがって国民全員が休みをとるものだから、こうなるのは当然である。

オフィスに行かず、自宅や好きな場所で仕事ができるリモートワークは進んだが、好きな時に好きなように休みをとることはまだできないみたいだ。どうすれば、こうした一極集中をなくすことができるんだろうか。

GW、夏のお盆、年末年始の交通渋滞。コロナ禍の2年間を除き、何十年と同じことが繰り返されている。

これはもう日本の風物詩くらいに考えておいたほうがいいのかもしれないが。

2022-05-06

日本人の「働きがいスコア」は56%か、それとも9%か?

3日ほど前のこのブログで、日本経済新聞で日本人ビジネスマンが仕事に働きがいを感じている比率が6割弱(正確には56%)と書かれていたことにふれた。

今日、テーブルの上を片付けていたら、同紙の2021年8月30日の記事が出てきた。「仕事の熱意、日本低く」という見出しの記事で、そこでは日本で働きがいを感じている人は9%だと書かれている。

昨年8月30日の同紙記事から

その記事によれば世界平均の値も35%であり、66%とした先日の記事と数値が大きくかけ離れている。

「日本人で働きがいを感じている人」の割合は56%なのか、それとも9%なのか? 個人的な感覚では、9%とするこちらの数値の方がずっと納得感がある。実際に企業で働いているひとなら、ほとんどがそう感じるんじゃないかと思うけど。

調査方法が違うのだろうが、それにしても差が大きすぎる。

2022-05-03

「仕事に熱意」6割弱は上出来だと思う

これは2、3日前の日経朝刊一面の見出しである。なぜかこれが問題らしい。いや、問題にしたいらしい。

僕は、仕事に熱意を持っている人が6割弱もいるのは大いに結構なことだと感心するのだが、どうもこの新聞の論調はそうではないようだ。世界平均と10ポイントほど乖離しているのが気に入らないらしい。

それを示したのが下記の真ん中のグラフだが、奇妙なグラフである。「10ポイント差」を否が応でも読者に強調して見せたいらしい。縦軸の基点を55でなく、普通に0からとれば印象はまったく違ったものになる。

そもそも世界平均の半分とか3分の1というのなら、まだちょっと真面目にそのあたりの理由を考えてみようという気にもなるが、10ポイント程度の差で騒ぐのはどうかと思うし、その差はグラフを見る限りここ数年大きな変化は見られない。

調査で「会社に所属する誇りがあるか」だとか、「与えられた仕事以上に取り組む意欲があるか」だとか、こうした問いに対して<大いにある>と応える人の国民性とそうではない(日本人のような)国民性があるのを無視して「差が埋まらない」ことを嘆いても始まらない。

朝刊一面トップの、この10段抜きの記事が言っているのは、日本の労働者の総労働時間や残業時間は減っている、有給休暇の取得率は上がっている、したがって「働きやすさ」は大幅に改善した。ところが、「働きがい」のスコアは世界に見劣りしている。そして、「働くことに幸せを感じる」社員が多いほど、業績がいい。だから企業は社員の幸せ感を高めなければならない。ということらしい。

理屈がヘンだ。そもそも「働きやすさ」が何を指しているのか、分からない。勤務時間や残業が短かければ働きやすいとしているが、人々が感じる働きやすさは決してそれだけではないと思う。

また、「労働時間が短い」働きやすい職場の労働者は働きがいを感じるはずだという、理屈のわからない思い込みがあるみたいだが、人間はそれほど単純ではないのだよ。

そして一番下のグラフで、働く幸せを感じている人の比率が高い企業ほど、業績がよくなっていると指摘しているが、なぜそんな因果関係を勝手に思い浮かべるのか。

社員をハッピーな気分にさせさえすれば会社が儲かるのであれば、経営者の仕事はこの上なく楽だ(でもそうじゃない)。

社員の幸せ感と業績に相関関係があることが認められたとしても、それは業績が向上している会社はそうでない会社に比べて社内の雰囲気も悪くはないだろうし、またボーナスの増額でもあれば社員の幸せ感が上がるのは容易に想像できる。

つまり、因果関係の矢印を引くとすれば、それは新聞記事の主張と逆方向と考えるのが常識的だろう。

2022-04-24

これぞ、反マーケティング

吉野家の常務取締役なる人物が、早稲田大学が主催する社会人向けのマーケティング講座で放った言葉が世間を騒がした。

「生娘をシャブ漬けにするための戦略」という、「田舎から出てきた世間知らずの若い女性客を牛丼中毒にする」アイデアを受講者にチームで考案させる講座である。

吉野家の経営陣の一角を担うその人物は、自社の商品にまったく愛情を持っていないように思える。また同様に、自分たちの顧客にも愛情の片鱗すら感じていないようだ。

生娘、シャブ漬け、という身の毛がよだつ言葉を教室内で聞きながら、「講義の流れがあったから」などとうそぶいて、牛丼常務をその場で諫めなかった大学の人間の体たらくにも腹が立つ。

そうした今回の残念な出来事のなかでひとつだけ救いだったのは、件の発言に関して運営サイドにきちんと苦情を申し入れた受講者がいたことである。

その受講者は、その後のメディアの取材に対して以下のように語っている。
酷い性差別であるのはもちろん、覚醒剤で苦しんでいる人もいるのに、冗談にして笑って話して良いことだとは思えません。男性客に対しても『家に居場所のない人が何度も来店する』という趣旨の発言がありました。 
企業の社会的価値が求められる時代に顧客を中傷する発言をすることに強い怒りを覚えましたし、その発言が教育機関でなされたことにも驚きました。 
また、本心は分かりませんが教室にいた受講生の中には笑っている人もいて、温度差を感じました。
また彼女は、その時のことを振り返って次のようにも述べている。
社会にも企業にも学校にも、当たり前に年齢も性別もバックグラウンドも多様な人がいます。けれどこうした偏った発言の1つ1つが、日本社会から多様性を排除していると思います。
こんな言葉は下の世代には絶対に聞かせたくない、その思いを誰かに理解して欲しくて抗議しました。高い意欲を持って学びの場を活用されようと考えていた、他の受講生の方には申し訳ない気持ちもあります。

私自身は、講座はスタートしたばかりですが続けることを迷っています。マーケティングや授業よりも、人権意識を持つことの方が大切だと感じるので。
とてもまっとうな感覚であって、多くの人の共感を得る考えだと思う。教室の中には笑っている受講者もいたという情けなく呆れた状況で、このような思いをきちんと言葉で発してくれる人がいたことが、せめてもの救いだ。
 
吉野家の牛丼は、日本人の国民食のひとつと言っていい。早くて、安くて、旨い。それがいまは、例の常務取締役の発言とは何の関係もないアルバイトの人たちが店頭で客から嫌がらせを言われているという。
 
多くの顧客を不愉快な気持ちにし、社内で働く人たちも傷つけている。典型的な反マーケティングの一例だ。 
 
早稲田大学に講師として呼ばれたこの人物の発言については他にも色々言いたいことはあるが、とにかくまず言っておかなければならないと思うのは、こんなのは本来のマーケティングでも何でもないということ。これだけは、はっきりさせておかなきゃいけない。

2022-04-23

1969年8月15日とは、どんな日だったか

夕方、陽気に誘われて散歩に出たついでにkino cinema 横浜みなとみらいまで足を伸ばした。そこでは映画「ベルファスト」をまだ上映していたと思ったので。

物語は、1969年8月15日のベルファストの街角からスタートする。プロテスタントの武装集団がカトリックの一般住民への攻撃を始め、ベルファストの人々、特にプロテスタントとカトリックが入り交じり暮らしているエリアでの暮らしは平穏さをなくし大きく変化していく。

英映画「ベルファスト」は、北アイルランド・ベルファスト出身の監督ケネス・ブラナーの自伝的作品である。ブラナーはこの映画の脚本で今年のアカデミー賞脚本賞を受賞した。
 
 
9歳の主人公バディはブラナー自身の少年時代がモデルになっていて、バディを演じている少年もベルファストではないものの、北アイルランド出身だ。

モノクロの画面が、ブラナーの記憶の底をなぞっている。北アイルランドでのカトリックとプロテスタントの争いはその後30年も続き、1998年に和平合意がなされるまでにおよそ3600人が闘争で命を落としている。

少年の家族の日々の暮らしは典型的な労働者階級のそれで、決して豊かではない。が、家族の絆はつよく、家族そろって映画館に行くシーンが度々出てきて微笑ましい。そこだけカラーで映し出される数々の映画は、実際にケネス・ブラナーが1969年当時のベルファストで観た映画なのだろう。

そうした暮らしに覆いかかる血なまぐさい宗派間の争いには理不尽さを超えて、寂寥感を感じる。もともと多神教で、宗教間や宗派間の激しい衝突を抱えていない現代の日本人にはちょっと理解し難いところがあるが。

ところで、ちょっと気になって調べてみたら、やっぱり1969年8月15日というのはウッドストック(ロック・フェスティバル)の初日だった。この日、この映画が示したように北アイルランドでは流血の闘争が始まり、一方でアメリカ・ニューヨーク州のウッドストックでは<ラブ・アンド・ピース>の世紀のロック・フェスが始まっていた。
 


2022-04-19

11歳男児の父。39歳。

いやいや、これは僕のことではない。

今日の朝刊、健康に関する悩みを専門医に相談できるサイトをビジネスとして立ち上げた人を取り上げた記事内で、彼女のプロフィールがポートレイト写真の下に以下のように紹介されていた。


この人がもし、<にのみや・みまお>という男性だったら、はたして記者はこのプロフィール・キャプションを「11歳男児の父。39歳」と書いただろうか? 

この欄の記者は署名からすると女性だが、彼女はなぜこう書いたのだろう? そしてこの記事を事前に読んだはずのデスクや校閲も、なぜ疑問を感じないのだろう。

2022-04-01

Codaが作品賞を受賞

 
「コーダ」は劇場公開からふた月がたっているが、今回の米アカデミー賞作品賞を受賞したからなのか、近くのシネコンでいまも上映していて間に合った。Apple TV+は契約していないし、ネット配信してても映画はできれば劇場で観たいからね。

タイトルのCODAは、Children of Deaf Adultsの略。両親がろう者の子供のことを指す言葉らしい。主人公、17歳の高校生ルビーがそうだ。両親も兄もろう者で、家族の中で彼女だけが健聴者だ。
 
アメリカ東海岸の街で漁師を営む一家の物語だが、うまいキャスティングと練られたシナリオが観るもののこころを打つ物語を見せてくれる。決してお涙頂戴ではなく、まっすぐで、そしてユーモアにも支えられている。

ルビーの両親、そして兄を演じたのは実際にろう者の俳優たちだ。母親役のマリー・マトリンは『愛は静けさの中で』の主演でアカデミー賞を受賞している。そして、父親役のトロイ・コッツァーが本作品でアカデミー助演男優賞を受賞した。

この映画は、ルビーがその歌の才能を高校の音楽教師から認められて音楽大学を目指すという青春物語でもあり、また音楽映画でもある。中心に据えられている曲は、ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」。シックスティーズ!
 
この曲の原題は、Both Sides Now。ルビーのおかれている、ろう者の世界と健聴者の世界、一家に欠かせない「通訳」としての自分と未来を自らの手でつかみたい自分、そうした2つの領域で揺れている彼女の思いを反映しているかのようだ。
 
高校を卒業した後、ろう者の家族を支えて漁師の仕事を続けることは彼女にとって不幸な選択ではなかったが、必ずしも心底望むことではなかった。音楽教師(いいキャラクターだ)の強い勧めでバークリーで勉強をしたいと考え、ある日、家族に相談する。母親は「あなたがいないと困る」と進学に反対する。
 
母親はルビーにこんな話をもらす。ルビーが生まれたとき、母親はその赤ん坊が健聴者であると知って失望したと。なぜなら、自分たちとは違う世界に行ってしまうと感じたからだと話す。この映画の重要なメッセージがその一言に込められている。
 
映画の結末部分、ルビーは家族の祝福を受けてバークリーのあるボストンに向けて旅立っていく。映画のタイトルであるCodaは音楽記号でもあり、それは楽曲において主題とは別につくられた終結部を示す。ルビーの家族からの旅立ちのように。 
 
冒頭で流れるのはブルースシンガーだったエタ・ジェイムズの曲で、それ以外にもマービン・ゲイやデビッド・ボウイが流れる。選曲のセンスがいい。後で、この映画での音楽は LA LA LANDで音楽を担当した人だと知った。
 

2022-03-27

キャッシュレスは、一体誰のためか

東京都内のタクシー会社が、運賃の値上げ改定を相次ぎ申請したという。その主な理由として挙げられているのが、キャシュレス決済の機器の導入コストと決済機関へ支払う手数料が増加したためだ。

タクシー最大手の日本交通は、1月に増収率27%の計算で申請を行った。最近の燃料高は確かにタクシー会社にとっては厳しい現実だと思う。その分のタクシー料金の値上げはわかる。

だが、新型コロナのためにキャッシュレス決済を導入し、その関連費用が嵩んでいると言われても簡単には納得できるものではない。コロナとキャッシュレスの関係は何だ? お金をやり取りすることで感染拡大してしまうと考えているのだろうか。

そもそもこれまでだって、クレジットカードやスイカで支払いできていた。僕に言わせれば、無用なスマホ決済を次から次へと導入し、その支払い手数料や思わぬ手続き費用に汲々としているというのが現実ではないのか。

経営判断の誤りを利用者に転化しているようだと、そのつけは自分たちに返ってくる。

2022-03-24

「幸せな国」ランキング

CNNのサイトで World's happiest countries for 2022という記事を目にした。

「国民一人当たりのGDP」「社会支援」「健康寿命」「人生における選択の自由」「市民の寛容度」「社会の汚職に関する認識」の6つの基準をもとに以下のようなランキングが発表されているが、さてどうだろう。

1位はフィンランド、そのあとにデンマーク、アイスランド、スイス、オランドとヨーロッパ諸国が上位を占める。

https://edition.cnn.com/travel/article/worlds-happiest-countries-2022-wellness/index.html


日本は55位である。アジアの国々のなかでランキングで1番上位なのは台湾で24位。続いてシンガポール32位、タイ53位、フィリピン60位、韓国61位となっている。

日本は意外と(そうでもないという考えもあるかもしれないが)低い。もっとも、判定に用いられた6つの基準のなかで国民一人当たりのGDPと健康寿命は統計データから引っ張ってこれるが、それ以外はアンケート調査による各国国民の意識、つまり主観だ。そこでは国民感情の表出の傾向に左右される点を念頭においておく必要もある。

それにしても、日本はもっとランキングが高くてもいいように個人的には思うのだけど、こんなもんかね。格差やそれを起因とする諸問題が出てきているとはいえ、日本ほど安全で清潔で、食べ物がうまくて、気候に恵まれた国はそうそうないと思うんだけど。

日本国内にだけいると自分たちのことが相対化できないから、それが55位という結果の大きな要因になっているように思う。たとえば自分の国が住みやすいかどうかは、他の国に住んでみなきゃ本当のところは分からない。

日本人が日本をもっと外国からの眼で見るようになれば、見方は変わるはず。どの国が一番幸せな国かなんて調査は大きなお世話だけど、そうしたことを考えさせてくれる契機にはなっている。 

調査対象となった146ヵ国のランキングは、以下のサイトでみることができる。
https://worldpopulationreview.com/country-rankings/happiest-countries-in-the-world

2022-03-22

現れたのは、仏具の広告だった

このブログに、Google AdSenseを使って広告が掲載されるように設定してみた。

最初にどんな広告が掲載されるかな、と思ってたら、あらら、仏具の広告がどーんと現れた。

僕は仏具について書いたこともなければ、検索したこともないんだけど、なんでだろう。


2022-03-21

僕の写真は国外に行っているらしい

部屋の片付けをしていたら、昔撮影した35ミリのネガフィルムが大量に出てきた。

撮影日や撮影場所が分かるようにきちんと整理してあれば良いのだが、ほとんどにはそうした記録はメモしていない。

ポジフィルムならまだしも、ネガフィルムとなれば肉眼で目を凝らしても誰が写っているのか、どこが写っているのか分からないものがほとんどだ。

どうせたいしたものではないのだろうが、こうしたものは捨ててしまうと当然ながら二度と手に入らない。と思い、データで残すことにした。

ネットで探すと、フジフィルムがネガフィルムをスキャンしてデータ化するサービスをやっているのが分かった。早速、そのサイト上で申し込む。

数日後、フィルム送付用の専用パッケージが送られて来た。取りあえず10本分を入れてフジフィルムに送ったのだが、3週間ほどたっても戻って来ない。

大丈夫かなと、少し心配になり電話で確認したところ、フィルムをスキャンしてデジタル化する作業は国外でやっていることが分かった。どこの国に僕のフィルムを送ったのかは何度たずねても教えてくれなかった。国外へ送っているため、作業に時間がかかるらしい。

以前、LINEが利用者データを中国のサーバーで管理していて問題になった件が記憶に新しいが、こうした実体のあるネガフィルムを海外へ輸送し、また送り返させているとは思いもしなかった。

運送コストに加えて、情報流出のリスクも当然高まるはずだが、そうまでしてでも国外の業者にやらせた方が安価にあがるということだろう。

我々が簡単に海外に行けないあいだに、僕の写真は海外に渡り、デジタル化され、DVDに記録されて手元に戻ってくる予定だ。支払いは、DVDを受け取る時に宅配業者に支払うようになっている。デジタル化された僕の写真は、どことも分からない国のサーバーに記録されたままで。

それって、あまりいい気分じゃないね。

2022-03-20

東の果てと西の果て

昨日、言葉や概念の日本語化について書いたが、それに関連して日本の文化の特徴としてしばしばその雑種性があげられる。

そうしたものの理由のひとつとしては、日本という国の置かれた地理的な特徴が指摘され、その後外国から極東と呼ばれた日本には大陸から朝鮮半島などを経由して種々の文化や考えがやって来て、入り交じり、日本化して留まったとされている。

そこで必要とされたのが、外国の言葉やその概念を適切に日本語に置き換える作業である。

日本が大陸の東の果てなら、アイスランドは西のどん詰まりである。地図を見ると英国とノルウェーから約1500キロほど、ヨーロッパ大陸の西に位置している。もともとノルウェー人の入植からできた国で、その後ノルウェー、デンマークによる統治を経て1944年に完全に独立した。

だがいまもクルマや家電製品、食品、本などをはじめ多くの品がヨーロッパから入ってきている。そして、物と一緒に文化や言葉も当然入って来る。

しかし、アイスランドの人たちは自国の言葉とそれに繋がる文化を守るために、他国の用語、すなわち外来語をそのまま使わず、それを母語であるアイスランド語に置き換えてきた。

たとえばアイスランド語でテレビのことは sjonvarp(ショウンバルプ)と書くらしいが、これは視覚を表すsjonと投げることを表すvarpを組み合わせた造語である。もともとのtele(遠く)+ vision(見る)からテレビジョンが作られたのと似てる。携帯電話は、移動を意味するfarと電話を表すsimi で farsimi (ファルシミ)というらしい。こうした発想は素晴らしい。

アイスランドは人口36万人たらずの人口小国ということもあるのだろうが、社会階層が極めてフラットな国。

また高度に民主化された国で、女性の社会での活動率も高い。文学や詩に親しむ人が多いといわれ、一人当たりの書籍の発行部数が多い。ものを考える習慣を持つ人が多いのだろう。

アイスランドは6年前の9月に一度訪れたことがある。ぜひまた訪ねたい国だ。https://tatsukimura.blogspot.com/search/label/アイスランド

レイキャビックの目抜き通りで見つけた書店(1〜3階)

店内のカフェ

僕も3階のカウンターでしばし読書を

2022-03-19

「ウェルビーング」は「フルヘッヘンド」しているか

今からおよそ250年もの昔、杉田玄白らはオランダ語が分からず、また辞書もないなかでオランダ語で書かれた人体解剖書である『ターヘル・アナトミア』を苦心して翻訳し『解体新書』を作った。というのは、みんな学校で習った。

それは大変な翻訳作業だったはずで、「フルヘッヘンド」というひとつの言葉をいかにして訳したかという逸話が『蘭学事始』にある。次のような話だ。

「鼻は顔の中でフルヘッヘンドしたもの」という文章があったが、その「フルヘッヘンド」の意味が分からない。ある本に「木の枝を切り取るとそのあとがフルヘッヘンドとなる」、また「庭をそうじするとごみが集まりフルヘッヘンドする」という表現を見つける。玄白らは考え続け、ふと思いつく。それは「うず高くなる」ということではないのかと。そして「鼻は顔の中でうず高くなっているもの」と訳すことができた。

考え続け、工夫し、読み手のことを考えて<言葉>に向かった玄白ら先人はほんとに偉かった。

江戸時代の杉田玄白らだけでなく、明治時代以降も日本人は頭を使い、工夫して多くの外来語を日本語に置き換えてきた。たとえばphilosophyを哲学に、scienceを科学に、cultureには文化と漢字を当てた。その他にも自由(freedom)、権利(right)、社会(society)、経済学(economics)、資本主義(capitalism)、共産主義(communism)、法律(law)、革命(revolution)なども日本で作られた日本漢語だ。

漢字で表記されたそれらの「新しい」言葉と概念の多くは中国に逆輸入された。中国の国名である中華人民共和国の「人民(people)」と「共和国(republic)」のどちらも日本人が作った言葉である。

なぜこんなトリビア的なことを記しているかというと、近頃の妙なカタカナ語が気になったから。たとえば、気取ったビジネスマンや三流コンサルがよく使う「パーパス」や「リスキリング」など。

最近では「ウェルビーング」というのもある。もとは英語のwell-being だ。日本語で言えよ、と言いたくなる。辞書には日本語の用語候補が載っているんだから。江戸時代の「フルヘッヘンド」よりよっぽど簡明だろう。

そうした連中が「ウェルビーング」と表現したがる理由は、その方が何となく新しい考え方のように響いて、そのため聞いた(読んだ)人がありがたがってくれるし、意味を明示的に定めない方が何とでも言えて金になりそうと考えているから。
 
well-beingをウェルビーングと表現するのは間違いではないが、考えることを放棄しているようで、とても恥ずかしい。

でまた、そうしたものを「素直に」受け入れてしまういい年した大人(企業経営者)がいるから困ったものだ。

思わせぶりなだけで、何も伝わってこない信託銀行の新聞広告

2022-03-16

卒業おめでとう

 近所にある小学校の裏門(プール脇)風景。愉しい。


2022-03-15

Wake-up Call

それは月曜日の夜の生番組の最中だったらしい。ロシアの国営テレビ・第一チャンネルで番組放映中に制作スタッフ(編集担当者)が番組内に当然「登場」した。

カメラの前で話をしている女性キャスターの後ろに、NO WARと大書、そしてロシア語で「戦争を止めろ。プロパガンダを信じないで。彼らはあなたに嘘をついている」と書いたA全ほどの用紙を広げて現れた。


視聴者は驚いただろうな。が、上記写真で手前に座ってニュースを読んでいる女性は驚いている風でないところを見ると、あらかじめ打合せ済みだったのかもしれない。

ただこれは、現在のロシアの状況下では命がけの行為である。

幸いにこの映像は世界中で拡散され、彼女がこの行動をとる以前に準備していた映像メッセージの公開もあり、注目度は世界中で一気に加速した。

警察が彼女を逮捕したものの、世界中の声を気にして軽微な罪状で(取りあえずは)済ませた。今後、彼女がロシア当局の手によってどう扱われるかが心配だ。

この、まさに目の覚めるような一発は、ロシアの、そして世界中のメディア関係者への超強力なウェイクアップ・コールになった。

2022-03-12

「廃炉」幻想を我々は許せるか

東日本大震災以後、長年に渡って東京電力福島第一原発を取材している記者による『「廃炉」という幻想』からは、東京電力と政府がいう「30年で廃炉」が完全に幻想、いや我々を騙すウソだということがよく分かる。


著者は10年以上にわたり、福島第一の現状を多面的に取材し続け、報道してきた記者だ。

この本を読んで、つくづく東京電力と日本政府の欺瞞に腹が立ったし、被災地の人たちにいっそう思いを馳せないではいられなくなった。

いまテレビをつけると、ロシアからの攻撃を受け、ウクライナから難民としてポーランドなど他国に逃れている老人や女性、子どもたちの姿を目にするが、福島の人たちも自分たちが暮らしていた土地を自分の意思とは別に離れなければならなくなったのは同様で、決して人ごとではない。

国と東電は、30年以内に廃炉を「完了」すると言っているが、「使用済み燃料」の取り出しへの着手だけでも少なくとも10年遅れている(2027年か2028年の予定)。彼らが公表した工程表が画餅にすぎないことが分かる。

燃料の溶解(メルトダウン)によってできた高濃度放射性物質である「デブリ」の取り出しについては、まったく見通しがついていない。さらに、もしデブリの取り出しができたとしてもだ、今の状況ではデブリやその他発生する膨大な量の放射性廃棄物を安全に保管できる場所はない。

「放射能汚染水」の処理で出てくる高レベルの放射性汚染物(スラリー、スラッジと呼ばれている)をどう処分するかという問題にも解答はない。増え続けるそれら放射能のゴミは、ヒックと呼ぶタンクに入れられて保管されている。その数は、現在で約3000基。

そこでもたいへんなことが起ころうとしている。容器底部の密度が上がり、線量が高まり、2年後には限界を迎えて容器の破損が起こる危険性が指摘されている。中身が中身だけに、新しい容器に入れかえればそれで済むという代物ではない。極めて高い放射線からどうやって作業員を守るのか、東電は説明できていない。

つまり、現在のどのような技術を屈指しようが、東京電力と政府がいっている「30年で廃炉」は不可能。原子力学会の専門家集団は、たとえデブリを取り出せたとしても、最低でも約100年、長ければ300年は処理にかかるとレポートで結論づけている。

「3・11」から我々はまだ11年である。これから世代をいくつも受け継ぎながら、日本は福島第一の処理を続けていかなければならないらしい。

膨大な時間と費用がかかるのはもちろん、それをおこなう現場の人たちが必要となる。それについて著者の吉野はこう書いている。

フクシマ第一原発に行ってみればわかることだが、廃炉の最前線で活躍しているのは、東京電力の社員というよりは、むしろ、「協力会社」と呼ばれている二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちである。

やはりそうなんだなあとの思いに、心底厭な気分になる。責任を取るべき東京電力の社員はリスクがある場には現れない。

東電のエスタブリッシュメントらが責任から目をそらし、ほお被りしている一方で、経済弱者がさまざまなリスクに晒されながら現場で命がけの作業をこれからも続けていくという構図は、そのまま日本の縮図である。

当然、現場で作業する二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちは好き好んで放射能を浴びながら日々作業をしているわけではない(東京電力→東芝エネルギーシステムズ→一次請け→二次請け→三次請け→四次請けと続く)。ひずみとゆがみでどうしようもなくねじ曲がった日本のあられもない一面だ。

2022-03-11

ドイツには何があるのか

下図は、ユニセフ(実査はギャラップ)が21ヵ国を対象に「今後、子どもたちは今より豊かになるか、貧しくなるか」という質問調査をおこなった結果だ。

日本は、これらの21ヵ国のなかで「豊かになる」と答えた割合がもっとも少なく、そして「貧しくなる」がもっとも多かった。スペインが日本と極めて近い傾向を示している。

「豊かになる」の回答が少ないのは、その日本とスペイン、フランス、英国といった国々である一方、「豊かになる」と答えたのはインドネシア、エチオピア、バングラデッシュ、ナイジェリアなどの発展途上国。

そうした中で特徴的なのがドイツだ。先進国のなかで今後より豊かになると答えた人の割合が一番高く、日本の2倍ちかい。

ドイツ人がそれほど「楽観的」な国民性の人たちとは思えず、そう答えた理由に興味が沸く。

2022-03-10

2022-03-09

インドよ、お前もか

JR東日本の「えきねっと」を装う偽メールがこのところ頻繁に届く。文面やデザインを実際のサイトに巧妙に真似ているが、よく見るといろいろと変だ。

文中のリンク先URLのトップレベル・ドメインは、そのほとんどが .cn である。つまり中国のサイトである。

ところが最近、それらの中に .in のサイトに誘導するメールがあることに気がついた。.in はインドを示す国別コード。中国に便乗したインド人詐欺団か。

2022-03-08

不良少年たちはどこへ行ったのか

久しぶりに新宿をぶらつく機会があった。新宿3丁目あたりから花園神社、ゴールデン街、歌舞伎町周辺を行き当たりばったりに歩く。

昔の猥雑さは薄れ、といっても僕が覚えている、そして期待している猥雑さは70年代、80年代のそれだから、そうしたものが残っているほうがおかしいのは自分でも分かっている。

ただ新宿をぶらついていてひとつ気になったのは、街から不良たちがいなくなったこと。そうした連中がいた方がいいというわけではないが、なんか街全体が消毒されてしまった感じである。彼らはどこへ行ったのか。

外ではマスクが普通のご時世では、マスク顔で通行人にガン飛ばしても様にならないし、くわえタバコで斜に構えて見せるわけにもいかず、みんな家の中でネットゲームといったところか。

2022-03-07

プーチンも見ろ

CNNやBBCが映すウクライナの状況をライブで見ている。原子力発電所がロシア軍の手に落ちた。ウクライナから脱出してきた人たちの様子がポーランドからレポートされている。ゼレンスキー大統領が西側にさらなる軍事支援を求めている。

いったいこの戦争はどうなるのだろう。NATOが本格的に参戦すれば決着は着くのだろうが、戦域が自国に及ぶ可能性を懸念する為政者の判断で、なかなか踏み切れないでいる。一般市民が殺されているというのに。

明らかに違法な侵略行為が放置されている。国連も機能不全だ。このままウクライナはロシア軍に実効支配されて終わるのだろうか。

各国がロシアに対しての経済制裁を与えているなかで、中国は「話し合いが大切」と言って静観している。台湾へ侵攻する根拠付けができるのを期待している。 

気分を変えようと、友人に勧められた「ドント・ルック・アップ」を見た。最後(物語が始まって6ヵ月後)には地球に彗星が衝突して人類、いや生物がすべて滅亡してしまうブラック・コメディだ。このくらい毒が効いていると気持ちがいい。


いろんなボケがかまされていて笑った。メイル・スリープ演じるアメリカ大統領は、まるでトランプを戯画化している。その大統領の名前、オーリンズ(Orlean)は、土地全体が海面下で水没可能性が高いNew Orleansを示している。というわけで、地球滅亡につながる彗星は、気候変動のメタファーだろう。

ディカプリオが演じる天文学者が、人類への危機を訴えるために出演したテレビの人気番組はThe Daily rip(Rest In Peace?)だし、その番組の男性キャスターはマウナケア山山頂にあるすばる望遠鏡が確認したという話を聞いて、「スバルは望遠鏡も作っているのか?」。自動車会社のスバルのことだと思っている。

彗星衝突が避けられないと察知すると、大統領と大富豪らは自分たちだけが搭乗できるロケットで地球を脱出する。

予測通りに彗星は地球に衝突し人類は滅亡してしまう。戦争なんかやってる場合ではないのだよ、プーチン。

2022-03-06

主要5ヵ国の若者の意識調査から

成功を決定する最も重要な要因は何か? 

下記の図は、米国統計局が世界の若者を対象に調査した結果の一部(調査は世界20ヵ国で行われた)である。

調査対象者はそれぞれの国の15歳から24歳の若者だ。

日本の若者は、成功を決定するのは学歴や親の経済力、コネよりもハードワークが重要だと答えている点が他の4ヵ国と比較して特徴的だ。

対照的なのがドイツ。成功するためにもっとも重要なのはハードワークでも親の経済力やコネでもなく、学歴だとする比率がこれらのなかでずば抜けて高い。ドイツはそれほどまでに学歴社会なのか。

アメリカ、英国の若者は、ハードワークも重要だが、親の経済力やコネも重要だと答えている。学歴の重要性を示した値は、ドイツよりは低いが日本より高かった。

フランスは日本とドイツの若者の中間の位置づけである。

これらのなかで「本当だろうか?」といちばん首をひねったのが、他でもない日本の若者である。というのは、ハードワークが重要だと意識しているにしては、実際にそのように行動しているようには思えないから。

15〜19歳、20〜24歳の2群に分けた結果があれば、もう少し何か分かりそうだが。

2022-03-05

プーチンには懲役150年

ロシアのプーチン大統領は、軍についての「偽情報」を広めた人には最長15年の懲役を科すことにした。

何が恐ろしいかって、偽情報かどうかを彼らが勝手に決めることだ。自分たちに都合が悪い報道や市民の声は、すべて「偽情報」で取り締まりの対象になり人びとは逮捕され、禁固刑に処される可能性がある。

他国への軍の侵攻に関してウソを塗り重ねているプーチンには法律は適用されないのかね。 

その法律の発効の結果、記者の安全のためにBBCやブルームバーグは取材活動を停止せざるを得なくなった。

ところで、そもそも日本の報道機関はどうしているのだろう。まったくロシアからのレポートを見ないが。モスクワに支社がないことはないはずだが、さっさと引き上げてしまってるということか。

2022-03-04

マスクはパンツだ

水曜日のアメリカ大統領の一般教書演説を見ていたら、バイデン大統領だけでなくハリス副大統領、ペロシ下院議長もマスクをしていなかった。米国ではもう感染拡大はピークを過ぎて落ち着いてきているということだろうか。

日本では未だ誰もがマスク顔だ。

高速道路のサービス・エリアで、そこのパーキングに入ってきたクルマのドライバーを見ると、きちんとマスクをしていた。その車には同乗者はいないにもかかわらずだ。不思議だった。

友人と話をしていたら、彼女が早朝、家の前のゴミ収集場にゴミを出すときマスクをしていなかったら、通りがかりの近所の人たちに睨まれた、と言っていた。怖いね。

感染拡大はみんなで協力して防がなくちゃいけないけど、これらはどちらもやり過ぎ。日本人がお得意の理屈を欠いた強迫観念に支配された人たちの例である。

そして今後コロナが収まっても、真面目な日本人はマスクをなかなか手放さない気がする。その本来の必要性がなくなっても、日本人はマスクを続けているだろうと。

彼らにとってマスクは、パンツをはいているのと同じように、しているのが当たり前となっている。マスクを外すのは、メシを食うときだけ。風呂に入るときにだけパンツを脱ぐのと同様。

マスクもパンツも、どちらも脱ぐとすっきりするところも似ている😳

そしてマスクが顔の一部となり、人前で手放せなくなった日本人は、外国からホモ・マスカス(マスクする人)と呼ばれるようになる!?

2022-03-03

コロナだから哲学でも勉強しよう

というわけではないが、2年ほど前に同年代の有志で読書会を始めた。昨日の最終回の会合で取り上げた『ディスタンクシオン』は大部であるだけでなく、文章の難解さでたいそう難渋したが面白かった。

初回のスピノザを皮切りに、ニーチェ、パスカル、カミュ、マルクス・アウレリウス、プラトン、カント、ルソー、ハンナ・アーレント、オルテガ・イ・ガセット、ハヴェル、カイヨワ、マキアヴェリ、V.E. フランクル、レヴィ=ストロース、ブルデュー他を読んだことになる。
 
書かれた時代も場所も違うにもかかわらず、読書会を続けていくとこれらの著者の本が毎回、さまざまな形で繋がっていくから不思議だ。
 
  

2022-02-27

独裁者の台所

プーチンがウクライナへ侵攻したと聞き、ふと谷川俊太郎さんの詩を思い出した。

私の核弾頭付ミサイルどこへ置いた?
と妻がきいた
冷蔵庫の上
と夫が答えた


2022-02-26

その人の名刺を見てみたい

新聞の「会社人事」欄は、以前は結構よく見ていた方だと思う。企業で仕事をしていたとき、相手先の人事を知ることは必須だったから。

大学に移ったあとも新聞の会社人事欄で、学生時代の同級生や知り合いの動向を知ることが多く、飽きずに眺めていた。

そうした彼らもほとんど現役サラリーマンを終え、僕もその欄に目を走らせることはなくなっていた。

今日、たまたまその紙面を見るともなく眺めていると、こんな肩書きの役職者をふと見つけた。

代表取締役兼副社長執行役員グループ中国・北東アジア総代表兼パナソニックオペレーショナルエクセレンスパナソニックオペレーショナルエクセレンス中国・北東アジア社社長兼パナソニックチャイナ会長、〇間〇郎 

だって。本人も、どこで息継ぎしたらいいのか分かんないんじゃないの。

誰か、企業の役員の役職名の長さとその会社の業績の関係について研究してくれると面白いかも。

2022-02-24

うちでコーヒーを飲みながら思い出したこと

先日、近くのスターバックスに行った際の出来事である。

次回の読書会で取り上げる本に目を通しておかなければと、上下巻合わせて1,000ページを超える2冊を抱えて店を訪れ、コーヒーを飲みながら活字を追っていた。

ページからふと顔をあげると、店のトイレの前に立っている若い女性が目に入った・・・・・・再び本に目を落とし、何章か読み終えたタイミングでまた顔をあげると、さっきと同じ女性が同じ場所に立っているのに気がついた。十代半ばと思われる、おとなしそうな女の子だ。

最初に僕が気づいてからでも20分は経っていて、よく見るとなんだかモジモジしている。早くトイレに入りたがっている風に見えた。

ちょっと気になり、お節介かとは思ったが彼女のところまで行ってどうしたのかと尋ねてみると、彼女は黙って扉のノブのところを指さした。「使用中」を示す赤い色が見えた。僕は、彼女が中にいる客が出てこないのをずっと待っているんだと思って、ドアをトントントントントントントンと軽く7回ノックした。

7回のノックは、中に誰かいるのを確認するためのノックではなく、早く出てきなさいと促すためのノックだ。すると、間もなく中から若い女性が出てきた。あれっ、店のスタッフじゃないか!

使用済みのペーパータオルが入ったゴミ袋を片手に出てきたその店員は、僕とその後ろにいた少女をちらりと見ただけで何も言わずにさっさとカウンターに入って行った。

女の子はトイレに入り、僕は自分の席に戻ったが、なんか変だなと思った。その店員がトイレのなかでペーパータオルの補充やトイレットペーパーの交換をしていただけではないことは状況から容易に想像がついたからだ。

真面目にトイレ前でモジモジしながら何十分も待っていた子がなんだか不憫で、店員が中で何をしていたのか確認するためにカウンターに向かったとき、その女と目が合った。彼女はすぐさま僕から視線をそらし、奥の部屋に駆け込んでいった。

「逃げられた」と思ったが、カウンターのなかに乗り込むわけにもいかず、仕方ないのでそこにいた2人のスタッフに彼女はなぜ突然奥に入っていったのか訊ねたら、その男女は黙ったままお互いの顔を見合わせて首をかしげるだけ。

帰宅後、スターバックス・ジャパン本社に電話を入れた。店での一部始終を話してやったが、本社担当者の反応は「あ、そうですか」で終わり。

スタバはずいぶんと変わったなと感じた一瞬だった。この会社、どうなっちゃったんだろう。

人魚もしっかりしろと言ってる

2022-02-20

利用者の無知と無関心につけ込んではいけない

インターネットの利用者情報、例えば利用者アドレスやアクセスしたサイトページ、その日時、回数などはクッキーの仕組みを使って実質的に外部に筒抜けになっている。

そうした事はマズイだろうと、先進国を中心に利用者情報の扱いを規制しネット上での利用者保護を進める考えが一般になっており、日本でもデータの外部送信への制限を設けようとの考え方が整理されようとしていた。

ところが、楽天が主導する新経済連盟を中心に経団連、経済同友会、ACCJ(在日米国商工会議所)が今回の規制案への反対を表明した。(グーグルやアマゾンまでACCJのメンバーとは知らなかった)

それら団体は声を上げただけでなく、与党政治家へのロビー活動を密かに展開することで政治の面から総務省に圧力をかけて規制案を骨抜きにしてしまった。

自分の情報がどれだけ、誰によって、どこに流れているのか、そうしたことは一般の消費者には分からない。また実際のところ、普段のなかで目に見える形での実害として現れるわけじゃないから、無頓着になってしまう。それが人の心情だ。だから日本では一部の企業によって利用者データの利用が好き勝手が行われ、放置されている。

利用者は、まずはそのことを知っておくことが大切。その上でそうしたことを気にしない人、あるいはポイントなどの対価を受け取ることで了承できる人は、ネット利用の情報が外部でとどめなく利用されることを自分の判断で受け入れればいいと思う。

ただし、それは利用者に知らせられないまま「裏で」行われてはいけないし、また個人のネット利用の情報の扱われ方についての利用者の考えが変わった際には、それに応じたデータの扱いの変更(オプトアウト)ができなければならないはずだ。

利用者は、あくまで自分に関するデータを自分でモニターでき、管理、コントールする権利が確保されてなければならないのが当然のこと。それなのに、情報の収集やその外部利用に関しての本人への同意取得義務もオプトアウトも今回の決定では見送られることになった。

一般消費者の無関心とある種の無知につけ込んで、利用者データを「換金」し続けようとする企業は長持ちしないよ。時間が経てば、日本でもいずれはヨーロッパですでに一般化されているGDPRのような規制への考え方が強くなってきて、「これまで騙されていた」と感じる消費者からそっぽを向かれるようになるのは明らかなのだから。

そのことが分かっていながら、「少しでも長くいまの状況を維持できれば」という企業の短期的思考なんだろうが、感心しない。

2022-02-19

スピルバーグの映画作りの手堅さ

アカデミー賞受賞有力作と言われている、スティーブン・スピルバーグ監督の『ウエストサイド・ストーリー』のリメイク版をレイトショーで観た。

リメイクというのも変だな、元々の1961年製作の同映画(ロバート・ワイズ、ジョローム・ロビンズ監督)は舞台がもとで、その元々の話はシェークスピアの『ロミオとジュリエット』が下敷きになっている。

まあ、よくよく考えてみると、およそほとんどの創作物にはなんらかの下敷きがある。明らかなベースと言えるものがなくても、人が創造する限り影響を受けたものがないものはない。

今回のスピルバーグが監督したウエストサイド・ストーリーだが、冒頭に登場する土地開発中(つまり工事中)のニューヨークを映したカメラワークがいい。センスと技術と予算があるな〜、といきなり惹き込まれる。

この作品、広告には「禁断の愛の物語」などと書かれているが、禁断でもなんでなく、どこにでもある普通の男女の物語である。が、それをこのようにドラマ化して見るものの心に強く訴えるものにできる芸術性というか表現力は素晴らしい。

何よりもバーンスタインの音楽は、いまも色あせない。最初にブロードウェイのミュージカルとして公演されたのは1957年のこと。バーンスタインと言えば、『ウエストサイド・ストーリー』の翌年に常任指揮者に就任したニューヨーク・フィルやウィーン・フィルの指揮者として思い出されるが、作曲家やピアニストとしても知られた存在で、ジャズについても詳しかった。

物語の舞台は1950年代、開発が急速に進むニューヨークのアッパー・ウエストサイド。建設中らしいリンカーン・センターが出てくる。映画の撮影は、街のシーンを含めて多くはスタジオセットだろう。今から60年以上前のニューヨークを描くのだから仕方がない。

そのなかで、実際に今もニューヨークにある観光スポットが使われていた。劇中では名前など出てこなかったが、マンハッタンの北部、フォート・トライオン・パークにあるクロイスターズ(The Cloisters)だ。中世の修道院様式の美術館で、ユニコーンのタペストリーを何枚も展示した部屋や小さいながらも雰囲気のある中庭が印象的だった。今回の映画には、主人公の二人がその中庭で語らうシーンが描かれていた。

今の若者からみれば、この作品に登場する若者たちは、ちょうど自分たちのおじいちゃんとおばあちゃんの世代だ。だけど、そこで繰り広げられている、ひょっとしたら取るに足らない闘争とそれが生む分断は「今」と驚くほど似ている。米国内でトランプ的な考えが生んだ社会の分断だ。アメリカの映画界には民主党支持者が多いことも考えての映画作りだろうか。

このスピルバーグ版では、リタ・モレノがヴァレンティナという新たな役を演じた。その彼女がトニーに話す台詞 "Life matters, even more than love" には、これまでのシンプルな恋愛至上主義ではない価値観が込められている。

アカデミー作品賞受賞はどうか分からないが、いくつかの部門賞はまず獲得しそうだ。

マリア役は、なんと3万人のオーディションで選ばれた。

2022-02-11

真鍋さんの言葉の意味

仕事用のテーブルの上に積まれた書類の山を整理していたら、4ヵ月前の新聞が出てきた。その第一面にあったのは「真鍋さん 言葉濁した日本への思い」と題する記事。

片付けの手を止め、思わず読み直してしまった。そこに書かれた彼の言葉に考えさせられることがあったのでメモしておこう。

昨年、ノーベル物理学賞受賞が決まった日に、真鍋淑郎さんがプリンストンの自宅で日本の報道陣のインタビューに応えた言葉だ。

日本の研究は、好奇心に基づくものが以前よりもどんどん少なくなっていると思う。

⇒ 諸外国(特にアメリカ)で話題になったテーマやネタをカタカナに直して日本で紹介しているだけの研究が多い。これはとりわけ、マネジメント研究の領域で甚だしい。オリジナルなことをやるのが研究のはずなのだけど。

日本で人びとは常に、お互いの心を煩わせまいと気にかけています。とても調和の取れた関係性です。日本人が『イエス』と言っても、それは必ずしも『イエス』を意味せず、『ノー』かも知れません。

⇒ 真鍋さんは、1997年に約40年ぶりに日本に戻って仕事を始めた。当時の科学技術庁が管轄する研究組織の長に就いたのだが、4年後に辞任して米国に戻った。はっきりと考えや意思を示さず曖昧に済まそうとする日本人のスタイルは、そうした玉虫色コミュニケーションに慣れていない人間には苦痛以外の何ものでもないものだ。

なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい。

⇒ つまり、日本では人びとは他人の感情を窺うことを優先させなければならないがために、やりたいことができないと。

米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる。

⇒ それこそ素晴らしい。真鍋先生だから、というのもある。

私は調和の中で生きることができません。それが、日本に帰りたくない理由の1つなんです。

⇒ とても優しい言い方をされているが、日本に住む我々は自分を生きていないという指摘だろう。

最後のその言葉を彼が発したとき、インタビューの場が笑いに包まれた。そうすると、真鍋さんはしばらくの間、そこにいた日本の報道関係者たちを黙って見渡したらしい。なぜそこで笑いが起こるのか、彼には不可解だったから。

ところで彼の発言を読む限り、真鍋さんは言葉を濁してなんかいないと思うけど、記事を書いた記者はなんでそう感じたのかナ。

2022-02-10

視覚障害者にとってメタバースとはどんな世界か

メタバースについて見聞きする機会が増えてきた。ネット上に作られたその仮想の3次元空間で、人は日々働き、学び、遊ぶことができるという。

そこではアバターと呼ぶ自らの分身が、本人に代わって仕事をしたり、人と話をしたり、レジャーを楽しむことができるわけだ。ありがたや、ありがたや。

現実の空間ではないので、そこを訪れるための物理的な距離の制約はない。だから、体が不自由な人でもそこで仕事ができる。また、アバターという分身が動いてくれるおかげで、実は人と話すのが苦手だという人も相手とコミニケーションを取りやすくなるかもしれない。

ただ、その仮想世界の中で活動するためには、その独自の世界を見るためのヘッドマウントギア(VRゴーグル)を被らなければいけないはずだ。そうやってその世界に没入するわけだね。

 
そこでふと思ったのだけど、目の不自由な視覚障害者にはそこでの活動の場があるのだろうか。
 
彼らは視覚情報を他の感覚、つまり聴覚、嗅覚、皮膚感覚などで補っている。ゴーグルからは音は聞こえてくるだろうが、実空間と違って微妙な音の方向や距離や響き、反響といった情報は捉えられないのではないか。
 
嗅覚情報や皮膚で感じる情報(風邪や日の光)もない。彼らは、メタバースのなかではいっそう迷子になってしまいそうだ。

これまた今流行りのSDGsとやらが書かれた国連の計画書の冒頭には「われわれはこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う」("As we embark on this collective journey, we pledge that no one will be left behind.")と高らかに宣言されている。

SDGsの意味を理解していようがいまいが、メタバースを新たなビジネスの機会と考えている企業の経営者は、この宣言を思い起こし、視覚に障害のある人たちを取り残さないよう自分たちがどうしたらよいのかを考えておいて欲しい。

2022-02-09

高梨沙羅選手の失格について思う

スキーの高梨沙羅選手が混合団体戦の1回目のジャンプのあと、ウェアの検査でそれが失格になった。

胸が苦しい。この件に関しては、素人ながらいくつか疑問があるんだ。
 
彼女がジャンプの際に来ていたスーツが検査で規定以上に大きかったと言うことらしいが、その検査はどこの誰が行ったのか。太ももが規定(選手の身体とスーツ寸法の誤差)より2センチ大きかったということだが、どうやって測ったのか。ただ、彼女は失格、という判定だけなんじゃないか。

確かにジャンプ競技の性格を考えれば、どんなスーツでもいいというわけにはいかないだろうからそれなりのルールは必要だろうが、そうした検査は選手がジャンプする前に済ませればいいんじゃないのかね。

もっと不思議なのは、ジャンプ後のスーツチェックはすべての選手に対してではなく、抜き打ちで1部の選手にだけ行われるということ。

検査するなら、出場選手全員に対して同じ検査が行われてしかるべきだ。そうでないと、たまさかその検査対象に選ばれなければ<オーケー>ということになる。

彼女が使ったのは、1日前に出場した個人戦で着ていたものらしい。人間の体は食事や体調、環境などで変わる。国際スキー連盟は、日々変わるそうした微妙な体型変化に合わせてすべて調整しろというのだろうか。針と糸でちょちょっと、というものでもないだろう。

今回の判定は、とても不自然。どこでどんな力学が働いているのか、気にかかる。
 
当日のジャンプ用スーツを選んだのは高梨選手本人ではなく日本チームのコーチだったとか、団体戦で一緒だった小林選手が彼女に温かい言葉をかけたとか、いろんな話がくっついて報道されているけど、問題の核心はそんなところではないはず。

2022-02-08

649ページの超重厚マニュアルは役に立つか

コロナ感染拡大以来、国際学会にはどこにも行けていない。これってフラストレーションが溜まるもんだね。

ところで、われわれ大学の研究者が研究を推し進めるためにもらっている代表的な研究費に科研費がある。正式には科学研究費助成金と呼ぶもので、文科省所管の日本学術振興会が仕切っている。

僕もその助成金を受け取って研究の一端を進めているわけだが、コロナで国際学会に一切出かけられなくなりどうしようかと思っていたら、その助成金の使用年限を延長することができる申請の案内が来た。

ありがたい話だ。その申請は日本学術振興会のサイトから行うのだが、サイト利用のための手引き(マニュアル)はなんと649ページもある。https://www-shinsei.jsps.go.jp/kaken/docs/kofumanual-shinseisha_K.pdf

 
おそらく高度に網羅的に記述しているので、サイト上で種々の手続きを行うためにはこのマニュアルを読めば何でも分かるのだろう。一方で時間がないときなどは、目眩がしてしまいそうだ。