2021年11月26日

目的もなく誰かと会ってずっと喋っている

作曲家の池辺晋一郎さんが、若かりし頃を思い出してこんなことを話していた。

特に目的もなく、誰かと飲んだりしゃべったりする時間からどれほどの人生の滋養がえられるか。その時には、これが自分を太らせてくれるなんて思いもしないんだけど、少なくとも、僕はそういう世界に育てられてきたんです。

自分が若かったころ、つくづく閑だったと思う。特に学生時代は、大学に行っても教室に向かうわけでなく、近くの喫茶店や部室で誰彼ともなく一緒にほんとにダラダラダラダラ話をしていた。

それが何を自分に残したのか、そんなものがあったのかさえ判然としないが、ただそうした中で自分以外の人間とどう話を合わせていくか、意識しているわけではないが相手をどう理解するかなど考えていたのかも知れない。 

今、そんなことをしている若者を見ることはあまりない。昔ながらの居心地のいい喫茶店が減っているのは一因だろう。以前に比べ、空いた時間を潰す手段もたくさんできた。面と向かって本音を話すより、スマホで書き込んだ方が気楽に思えるからというのもあるだろう。

だから激論になって、思わずテーブルをどんと叩いたり、ましてやコップの水を相手の顔にぶっかけるなんてことはあり得ないんだろうね。(まったく自慢じゃないが、ぼくは昔やったことがある)

先日、駅前のレストランを昼食を取っていたとき、隣のテーブルには若い男女4人組がいて(最初は彼らの存在にすら気づかなかった)、それら4人ともが下を向きスマホをいじっていた。まったく会話がない。いまでは珍しい風景ではないけど、つい「お前ら、せっかくなんだから何か話でもしろよ」 と言ってやりたくなった。

色んなものが薄まってきた。淡泊であっさりも悪くはないが、気持が太る機会がますますなくなっているように思う。