2021年9月22日

神話と歴史の境界

現在行われている自民党総裁選に私は関係ない。総裁選で投票できるのは日本国民の1%。

そう、われわれのほとんどは蚊帳の外の "We are 99%" である。アメリカの大統領選挙のような首相公選制がわが国でも本気で議論されるべきだが、ここではそれは置いておく。

僕は自民党の4人の候補が総裁になるために何を主張しようが気にしないことにしている。99%のわれわれには関係ないからね。関係があるのは、実際に総理大臣になった議員がその後何をやるかだけ。

だが、高市早苗議員が天皇家の皇位継承策について「126代続いた男系の血統は天皇陛下の権威と正統性の源であり、多くの国民の誇りと敬愛の情の源。私は男系維持で、その中でも旧ご皇族の皇籍復帰を希望いたしております」と訴えたことは聞き流せない。

天皇制を支持しようがどうしようが、それは個人の価値観。ただ、歴史と作り話(神話)の区別がつかないような人物が日本のリーダーになってはいけない。

高市が言う126代とは、初代の神武天皇から数えた歴代の天皇を言っているのだろうが、これは事実ではなく作り話である。

初代の神武から第15代の天皇と言われている応神天皇までは、実在したかどうか分かっていない。存在が確認されているのは、第16代とされている仁徳天皇以降である。

もし初代天皇から存在したと国が主張するなら、天皇墓とされている各地の古墳を考古学者に公開し、きちんと発掘させて歴史的な事実を明らかにすればいい。しかし宮内庁は調査を絶対に認めない。

そもそも紀元前7世紀から始まるとされる神武、綏靖(すいぜい)、安寧(あんねい)、懿徳(いとく)・・・と続く代々の天皇に漢字名がついているのはおかしな事である。

日本に漢字が伝えられたのは、3世紀終わり頃のこと。漢字文字が日本に伝わる1000年も前、どうやってそれらに漢字の名前がつけられたのか? 誰が考えたっておかしいことが分かるだろう。

実はこれらは江戸後期になって水戸藩が雇った中国人学者である朱舜水が徳川光圀から『大日本史』の編纂を依頼されて「整えた」もの。だから、綏靖、懿徳なんていう日本人には誰も読めないし使えない漢字が使われている。

つまり、126代というのは事実ではない。以前のこのブログで歴史(ヒストリー)と物語(ストーリー)の線引きの曖昧さについて書いたが、そのまさに典型のひとつ。

神武天皇が天照大神の子孫であると『古事記』『日本書紀』で記されているが、それらは当時の朝廷が自分らの権威を既成事実化するために作った「物語」なんだから何をか言わんやだろう。

神話と歴史の区別がつかない人は、特徴として自分が信じたいことだけを信じるようなところがある。そうしたタイプが元総理大臣に何人もいたが、もう結構、こりごりである。