台北を舞台にした映画『左利きの少女』(監督:ツォウ・シーチン)は、シングル・マザーのシューフェン、優秀なのに家庭の経済的理由で大学に進学できなかった娘のイーアン、まだ5歳の少女・イージンの親子3人が主人公。(後に普通の親子関係ではなかったことが明らかになる)
映画の冒頭、万華鏡の中の弾ける色と模様が映し出される。それは、3人が生活を立て直すために台北に向かう車の中でイージンが手にした万華鏡が見せる映像。これから始まる台北の夜市での日々の賑やかさを象徴しているみたいだ。
台湾と聞くと、ついTSMCをはじめとする世界的な半導体企業の隆盛、そして勢いのある経済成長が思い浮かぶ。2024年、一人当たりのGDPで台湾は日本を上回った。
が、考えてみれば当たり前なのだが、台湾人の誰もが半導体産業やIT産業でスマートに働いているわけではないし、企業組織を核とした経済秩序のなかで生きているわけでもない。
普通の人々の生活の多くは高層オフィスビルのなかではない、もっと低い、地べたを這うようなところにある。
この映画は、強い因習社会のなかで虐げられながらも自分を失うことなく生きる女性、そして家族の再生を描く。
わだかまりを抱えた親と娘、シューフェンとイーアンの間で自由気ままにふるまう明るいイージンの姿が印象的だ。視点をまだあどけない5歳の少女 ー実際のカメラのアングルも少女の目の高さで描いているー に置くことで、観る者が出来上がったオトナの目線で見ようとするのを押しとどめている。
映画は、(僕はよく知らなかったのだが)台湾社会にはまだ古風な家父長制の考えが根強く残っていて、女性が社会の中で地位を認められていない様子を見せつける。女性たちの恨み節が聞こえてくるようだ。
エンドタイトル間近にスクリーンに映るのも、万華鏡の中のきらめきだった。それはまるで台湾に生きる人たちのさまざまな人生を映し出し、多様性を応援しているかのように思えた。
台湾系米国人の監督が自らのルーツである台湾を外側から眺め、そこに生きる女と男、若い世代と高齢者たち、それらの間に横たわる違いと軋轢、そしてそれらをもととする不自由さを描いた作品である。
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