2026-08-22

Evernoteの突然の値上げ

サブスクリプション料金の改定と題したメールが来た。

最近、こうしたメールを送ってくるサービスが多いので、またか、という感じなのだが、それにしてもEvernoteは大胆にも2倍以上の新料金を言ってきた。

 

日本じゃ普通あり得ない。  

他社に容易に切り替えることができないサービス利用者の足下を見たビジネスをしていて、とても厭な感じ。

Evernoteを使い始めたのは2009年だから、今年で17年になる。最初は無料サービスを利用していて、その後、有料サービスに変更。料金は月額2.50ドルだった。


2013年から年額払いに変更したが、その頃は年4,000円だったから新料金はその当時の4倍の金額になる。

会社の経営が移転してから様子が違ってきた。最近はやたらと頻繁に細かいアップデイトの通知ばかり送ってきて煩わしいだけでなく、データの同期に時間がかかるのが気になっていた。

解約の検討に入った。これまでのデータを人質にされて、一方的なビジネスをされるのは不愉快だからね。

2026-08-17

五山の送り火

毎年8月16日には京都五山の送り火が行われる。お盆にこの世に戻って来た先祖の霊を「また来年まで」とあの世へお送りする。

東の大文字から点火され、5分ほどの時間をおいて妙法、船形、左大文字、鳥居形と西の方の山へと順に続く。今年は、特別にしつらえられた京都駅最上階の展望ラウンジからそれらを眺めた。  



最後の鳥居形のみ捕らえられず。

 

2026-08-16

60万キロ越えのトヨタ・コンフォート

お盆の帰省客の流れに逆行して京都へ。

お昼過ぎ、歌川国芳展が開催されている京都市京セラ美術館へ着いた。向かいの京都国立近代美術館は何度か行ったことがあったが、この美術館に入ったのは初めて。


京セラが主体となって竣工した美術館だと勝手に思って訪ねたところ、やけに建物が重厚で歴史を感じさせる。しかも、名前が京セラ美術館ではなく、よく見ると京都市京セラ美術館だ。

調べて見ると、京都市がネーミングライツの契約を結んだ先が京セラで、だからこの名前の美術館になっている。市と結んだ契約金は50年間で50億円。半世紀にわたる契約を結べたのは、稲盛さんの意向が働いたからだろう。

歌川国芳展はこれまでに何度も見ているので、実はそれほどわくわくしながら訪ねたわけではなかったのだが、思いのほか展示作品が充実していて、知らない作品がたくさんあった。大漁だった。

いつもそうなのだけど、美術展を見終わるとぐったりと疲れてしまう。立ちっぱなしで1時間以上歩くこともあるが、ずっと集中しているから頭がしびれてしまうのだ。リラックスして楽しめばいいのに、と連れ合いから言われるが、どうもつい。

美術館の前にやけに昭和なタクシーが駐まっていた。ずいぶん前に生産中止になっているトヨタ・コンフォートだ。

乗り込んで行き先を告げ、シートに体を預けて見回すと、ドアに窓を開けるハンドルがついている。嬉しくなる。

彌榮自動車という京都市で古くから営業しているタクシー会社で、運転手に車の営業歴を尋ねたら、「16年くらい使ってますかね」と。さすがに昭和からではなかったけど、営業用の車にしてはずいぶん長い。そして、その車の走行距離は60万キロ越えていた。地球15周分の距離だ! ますます嬉しくなる。

窓のハンドルで思ったのが、先日の千葉での豪雨とそれによるクルマの水没事故だ。今回、道路の水かさが増してドアが開かなくなったケースが続出した。そして車の電気系統がやられて窓が開かないまま脱出できず、人が亡くなった。

そんな事故のことを聞いて思ったのが「なぜパワーウインドウが必要なのか!」といういつもながらのアナクロな罵りだ。 

昔から、車の窓くらい電気の力じゃなく人が手で開ければいいと思っていた。その方が開き具合の調整が楽だし、エンジンをかけてなくても開け閉めでき、ずっと便利だと思うんだけどね。

グローブボックスには窓ガラス破砕用のハンマーが一応入っているけど、窓が開きさえすればそんなもの使う必要なしだ。 

そもそも、何が嬉しくて車にパワーウインドウが付いているのか。何でも電動にすれば、そっちの方がいいという感覚がわれわれの中にあると自動車会社は考えているようだ。

今度車を買い換えるときは、パワーウインドウのスイッチをオプションで窓開けハンドルに変更してくれるようディーラーに話してみよう。

2026-08-09

背中に馬のぬいぐるみ

駅の上りエスカレーター。ふと見上げるとウマが。

頭絡とサドルパッドを付けているので乗馬用のウマみたいだ。それがリュックから半分からだを見せている。 

別にぬいぐるみが好きなわけではないのだが、なんか面白いので一枚撮った。

2026-08-07

もうこれはシンギュラリティの一歩手前かも

人工知能が人間の知能を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)が2045年頃に訪れるかどうかといった議論がなされていたのはつい先頃だと思ったが、実はもうすでに状況はその域に達しつつあるように感じる。

数学の分野で1946年にハンガリーの著名な数学者が提示した問題があり、彼自身がその解答を予想したものの、答えは解かれないままになっていた。

ところが、AIがその問題に取り組み、これまでの予想を覆す新発見をした。これまで多くの数学者がおそらく正しいと信じていたそれまでの予想を見事に裏切った。その事実は、数学の世界に強い衝撃を与えた。

とりわけ注目しなければならないのは、人間がそれまで思いつかなかった異分野の手法を組み合わせて今回の解答を導き出した点である。

なぜ人にはそれができなかったかというと、数学に限らずどの分野もそうだが、今では研究の細分化が極度に進んでいるために違う分野の知識を組み合わせる研究が難しくなっているからだ。

 

AIは人間と違い、いくら考えても疲れるということがない。しかも幅広く様々な分野の知識や知見を無数に組み合わせて答えを導き出すことが可能だ。

だとすると、今後、数学者の多くはこれまでの役割を失うということになるかもしれない。AIに問題を出したり、AIが示した解答を確認するという限られた数の数学者がいればそれで済む。


これはなにも数学分野に限った話ではない。まずは自然科学の分野でこうした状況が進んでいくのだろう。そして早晩、社会科学の領域においても人文科学の領域においても、AIが人間の研究者を凌駕するようになるに違いない。

それまで何年かかるか? 10年もかからないんだろうなぁ〜。

2026-08-06

利用規約変更が意味するもの

マイクロソフト社から「利用規約更新」の件名のメールが来た。

いまではマイクロソフトの製品はといえば、hotmailのアカウントを保持しているだけのぼくの所にもきた(笑
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/06/blog-post.html 

そのメールには、同社のサービス規約と「プライバシー・ステートメント」のリンクが貼られており、試しにどんなものかサービス規約を生成AIにチェックさせた。

AIは、一般的な大手クラウドサービスの利用規約としては標準的だとしながらも、注意すべき点をいくつか挙げた。

それらのなかで一番気になったのは、同社の規約では「サービス提供、安全確保、製品改善」といった目的で、マイクロソフト社は利用者のコンテンツを

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することができる権利を利用者から与えられているという点。これって、大丈夫か? ぼく個人はマイクロソフトのサービスはほとんど使わないから、ま、いいけど。

それにしてもこの規約、文字数にして71,326文字もある。AIが本人の代わりに内容を精査してあっという間にコメントしてくれるからいいものの、そうでなければ誰も読まない(読めない)。

顧客のことを少しでも考えたら、何か他にやりようはあるはずだと思うんだけどね。そうしたことを何も考えないところがこの会社らしい。

マイクロソフトだけでなく、我々は気を付けないと彼らにケツの穴まで覗かれることになりそうだ。・・・もうそうなっているかもしれない。 

2026-08-04

嘘くさいSNS規制反対論者の主張に反対する

先月末にも同様の趣旨のことを書いた。

繰り返しになるが、子どもたちをどうSNSから保護するかということをあらためて考えておきたい。

世界各国で子どものSNS利用を年齢によって制限する方向性が打ち出されているが、そのなか日本は一向に具体的な指針が定められないままだ。

大人として実に無責任だと思わざるを得ないのだが、子どもの保護を目的としたそうした規制に反対する慶応大の准教授の談話が新聞に掲載されていた。

日経新聞、2026年8月3日朝刊

この御仁、総務省のネット上の未成年保護に関する有識者会議のメンバーだそうだが、規制に反対する主な理由が2つあるとしている。

ひとつは過剰規制。年齢でSNSの利用を規制することは「憲法が保障するこどもの知る権利に対して過剰規制」という考えである。

憲法の「知る権利」まで持ち出して子どものSNS利用の規制に反対するという向きだが、どういう神経をしているのだろう。

知る権利の侵害と言っても何について知る権利を侵害するというのか。それを具体的に示してほしいものだが、肝心のそうした点はまったく明らかにしてない。 

日本は、子どもが知る権利が十分補償されているとボクは思っているんだけどね。アメリカのある州の学校では、未だに「神」が世界を創造したとされ、現在も天動説が教えられている。だが、日本では学校でそんなことを教えられている子どもはいない。

宇宙の起源についての最新理論であろうと生殖の仕組みであろうと、日本の子どもたちは自分が知ろうと思えば、そして調べようと思えば何だって知ることができる。

にもかかわらず彼は、SNSの利用をある一定の年齢まで制限することによって、子どもは憲法で保障された知る権利を侵害されるから反対だという。こうした過剰な配慮意識はどこから来るのかね。

もし彼が指摘する、子どもの「知る権利」が気になるのなら、SNS利用を年齢によって制限した後、実の当事者である子どもが「自分たちの知る権利が奪われた!」と苦情を言ってくるのを待ってその内容に耳を傾けたらいい(万が一、そうした声があるとしたらだが)。それから真摯に検討してみたらいい。先走って、ありもしないことを心配するのは賢明な態度ではない。

彼が挙げているもう一つの反対の理由は、もし年齢による規制を設けても抜け道があるので合理性に欠けるから、という点。

だけどね、それはしょうがないだろう。大きな声では言えないが、大抵の規制には抜け道があるのがこの世の常。例えば、未成年は飲酒や喫煙が認められていないけど、飲もうと思えば飲めるし、吸おうと思えば吸える。大学近くの居酒屋で新入生が新歓コンパで楽しそうに飲んで騒いでいるのを見るのは例年のことだ。

だからといって未成年による飲酒や喫煙の規制が無為だとも不要だともボクは思わない。

同様に速度制限を守らない走行車があるからといって、一般道での速度規制が非合理的とも思わない。

この慶大准教授さんは、ルールは100%徹底されなければ意味を持たないというタイプみたいだが、現実の世の中はそうはできちゃいない。徹底されなくたって、それがあることで国民の意識は変わるし、抑止の方向に社会は進んでいくのが現実の世の中だ。どうもそのあたりが分かっちゃいないようだ。 

ところで、今日、文部科学省が行っている小学6年と中学3年を対象にした全国学力・学習状況調査の結果が発表になった。

授業以外に1時間以上勉強している子どもの割合は、前回調査に比べて10ポイント以上減少した。そして、SNSに割く時間は増加傾向にあって、実施された学力テストではSNSの閲覧や動画視聴の時間が長い子ほど全科目で正答率が低いことが示された。

この調査結果は驚くような内容でなく、日常の観察からわれわれが感じていることが間違ってはいないことをファクトとして示したに過ぎない。 

年齢によるSNSの利用規制についてだが、日本の子どもたちの未来を少しでも豊かにしたいなら、子どもの知る権利を侵害する過剰規制だとか、抜け道があるルールだから不合理だとか、そうしたつまらぬ屁理屈を弄んでいる場合ではないだろう。 

規制反対をもっともらしい顔をして主張する学者は、もしメタやXといった米国のSNSプラットフォーム運営企業がSNSサービスを停止すると言ったらどうするのか。それらの企業に対して、「知る権利を奪う憲法違反」だと主張するのか。

冷静に考えれば分かる話だ。

2026-08-02

石油元売り会社の経営者の出番だ

熊本地震への対応と支援は、多くの方が不断の努力を続けている。

そんななか、車中泊をしていた女性がガソリン切れでクーラーが効かないまま車内で熱中症によって亡くなっているのが発見されたというニュースを聞いた。辛い。

 

なぜガソリンが足りないのか。なぜ必要な量のガソリンが被災地に運ばれないのか。

「朝5時半から並び、4時間待ってやっと給油できました」という熊本の被災者の声を聞いた。ここはパレスチナのガザ地区か?

石油元売り会社の経営者は何をやってるんだ。日本でガソリンを運ぶためのタンクローリーを一番多く所有しているのは、君たちだろう。全国からそれをかき集めて、さっさとガソリンを被災地に運べよ。

今それをやらなくて、いつやる。

今回は興味深いマーケティングの実証実験になった

ホルムズ海峡紛争の影響を受け、ナフサ不足からカルビーがポテトチップスなど自社製品のパッケージの印刷を白黒に変更すると発表したのが5月12日だった。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/05/blog-post_13.html

実際にパッケージを変更した商品を出荷し始めたのが5月22日の週。北海道内のコンビニから順次、それらの商品が店頭に並び始めた。

小売店は当然、在庫があるうちは現行品を販売するので、実際に都内の小売店で白黒印刷されたパッケージのカルビー製品が商品棚に並んだのは6月中旬だった。

下記は新聞に掲載されてたカルビー・ポテトチップスの売上推移のグラフである。6月下旬に話題性と物珍しさでポーンと売り上げが急上昇。その後、急降下している。


これはいわば予想通りなのだが、一方で日本経済新聞は「カルビー 白黒ポテチの誤算」という見出しを掲げた記事を掲載した。

マーケティングのマの字も知らない、あきらかな見当違いである。

また、この売上動向をもって、リピート販売につながっていないからとカルビーに対して批判的なコメントをしている(知ったかぶりの)マーケティング専門家がいるが、これもお門違いだ。

マーケティングで一時の熱狂をFadと呼ぶが、これは謂わば突風(Gust)を狙ったマーケティング戦術である。

ナフサ不足で不本意な(本来やるべきでない)モノクロ・パッケージへの変更をやらざるを得ないなら、それでせめて話題を盛り上げて売上を作る、という考えである。

そして、その背景には社会が自社の政策を理解してくれる理由(今回の場合は原油供給の逼迫)があること、そして時間が経てば根本の問題は解決されるとの読みがあった。 

黙ってモノクロにパッケージを変更したのでは、顧客が該当商品をただ「みすぼらしくなった」と感じるだけで100%マイナス。それを逆手にとって、カルビーは堂々と事前にアナウンスしたわけだ。

カルビーは各商品でしっかり追加分の売上を手にしている


さらに、水木さんが描くところの子泣き爺 (こなきじじい)のような顔をした農林水産大臣からの「ナフサは足りている!」アピールは白黒化の話題性をさらに高めるのに役立った。


カルビー、Good job!
 


2026-08-01

ガス・ヴァン・サント『デッドマンズ・ワイヤー』

ガス・ヴァン・サント監督の映画『デッドマンズ・ワイヤー』(原題 Dead Man's Wire)を横浜で観た。

1977年に米国インディアナポリスで実際に起こった人質事件をもとに作られた作品である。

この事件は、発生時当時、テレビで全米に中継され大騒ぎになったらしい。当時の記録映像を挟みながら、その再現フィルムのような形でストーリーは進んでいく。 

不動産投資会社から騙され、土地と全財産を失うことになった1人の男がその会社に乗り込み、社長の息子を人質に取る。テレビで全米に中継することを求め。そしてその不動産投資会社の社長に彼らの不正を認め、謝罪することを求める。

彼が人質を取った手口の1つが、映画のタイトルになっているデッドマン・ワイヤーと呼ばれる仕掛け。ライフルと自分をワイヤーで人質の首につなぎ、もしそのワイヤーが引っ張られるようなことがあれば、銃弾が発射される。 そのワイヤーは人質である社長の息子につながれ、そのため警察も手を出すことができない。

当時の記録映像を挟みながら、その再現フィルムのような形でストーリーは進んでいくのだが、この映画には1970年前後に制作されたアメリカン・シネマの匂いがする。本作のモチーフは犯罪であるが、テーマは犯罪そのものではなく、デッドエンドの状況に追い詰められて犯罪に走らざるを得なくなった若者の心情とその行動が描かれている。

アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』やジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て』とトーンが似ているのはそのせいだろう。この映画の終わり、B.J. トーマスが歌う「雨にぬれても」が流れる。いかにも象徴的なラストだ。

この映画も含めて、いずれも主人公は<犯罪者>(本作の主人公トニー・キリシスは、裁判で陪審員の判決で無罪となったが)なんだけど、彼らが行った犯罪は、社会からは批判されてしかるべきものである一方、映画の観客たちは犯罪を犯した人間の状況と心情を理解し心の中で喝采した。

今なぜガス・ヴァン・サントがこの作品を作ったのか、その理由を推察するのは決して難しいことではないように思う。

帰宅して、少し気になってガス・ヴァン・サントが以前監督した『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)を観直してみた。

エンドクレジット、すっかり忘れていたが最後に画面にこんな献詞が映った。

In Memory of 
Allen Ginsberg and William S. Burroughs  

やはり彼は確信犯だった!

ところで「デッドマンズ・ワイヤー」の配給元(KADOKAWA)は、この映画を「クライム・スリラー」と呼んでいるが、まったく違う。それは、『俺たちに明日はない』や『明日に向かってい撃て』がそうではないように。むしろ、ユーモアすら漂わせている。
 
そういえば、今年はアレン・ギンズバーグの生誕100年だ。