2026-08-02

石油元売り会社の経営者に告ぐ

熊本地震への対応と支援は、多くの方が不断の努力を続けている。

そんななか、車中泊をしていた女性がガソリン切れでクーラーが効かないまま車内で熱中症によって亡くなっているのが発見されたというニュースを聞いた。辛い。

 
なぜガソリンが足りないのか。なぜ必要な量のガソリンが被災地に運ばれないのか。

被災者の「朝5時半から並び、4時間待ってやっと給油できました」という声を聞いた。どうなっているんだろう。これではパレスチナのガザ地区と変わりない状況だ。

石油元売り会社の経営者は何をやってるんだ。日本でガソリンを運ぶためのタンクローリーを一番多く所有しているのは、お前たちだろう。全国からそれをかき集めて、さっさとガソリンを被災地に運べよ。

今そうしたことをやらなければ、お前らの存在意義などないと言っておく。 

面白い実証実験を見せてもらった。

ホルムズ海峡紛争の影響を受け、ナフサ不足からカルビーがポテトチップスなど自社製品のパッケージの印刷を白黒に変更すると発表したのが5月12日だった。
https://tatsukimura.blogspot.com/2026/05/blog-post_13.html

実際にパッケージを変更した商品を出荷し始めたのが5月22日の週。北海道内のコンビニから順次、それらの商品が店頭に並び始めた。

小売店は当然、在庫があるうちは現行品を販売するので、実際に都内の小売店で白黒印刷されたパッケージのカルビー製品が商品棚に並んだのは6月中旬だった。

下記は新聞に掲載されてたカルビー・ポテトチップスの売上推移のグラフである。6月下旬に話題性と物珍しさでポーンと売り上げが急上昇。その後、急降下している。


これはいわば予想通りなのだが、一方で日本経済新聞は「カルビー 白黒ポテチの誤算」という見出しを掲げた記事を掲載した。

マーケティングのマの字も知らない、あきらかな見当違いである。

また、この売上動向をもって、リピート販売につながっていないからとカルビーに対して批判的なコメントをしている(知ったかぶりの)マーケティング専門家がいるが、これもお門違いだ。

マーケティングで一時の熱狂をFadと呼ぶが、これは謂わば突風(Gust)を狙ったマーケティング戦術である。

ナフサ不足で不本意な(本来やるべきでない)モノクロ・パッケージへの変更をやらざるを得ないなら、それでせめて話題を盛り上げて売上を作る、という考えである。

そして、その背景には社会が自社の政策を理解してくれる理由(今回の場合は原油供給の逼迫)があること、そして時間が経てば根本の問題は解決されるとの読みがあった。 

黙ってモノクロにパッケージを変更したのでは、顧客が該当商品をただ「みすぼらしくなった」と感じるだけで100%マイナス。それを逆手にとって、カルビーは堂々と事前にアナウンスしたわけだ。

カルビーは各商品でしっかり追加分の売上を手にしている

さらに、鈴木なんとかという、水木さんが描くところの子泣き爺 (こなきじじい)のような顔をした農林水産大臣からの「ナフサは足りている!」アピールの「応援」も加わり、話題性はさらに高まった。


カルビー、Good job!
 

2026-08-01

ガス・ヴァン・サント『デッドマンズ・ワイヤー』

ガス・ヴァン・サント監督の映画『デッドマンズ・ワイヤー』を横浜で観た。

1977年に米国インディアナポリスで実際に起こった人質事件をもとに作られた作品である。

この事件は、発生時当時、テレビで全米に中継され大騒ぎになったらしい。当時の記録映像を挟みながら、その再現フィルムのような形でストーリーは進んでいく。 

不動産投資会社から騙され、土地と全財産を失うことになった1人の男がその会社に乗り込み、社長の息子を人質に取る。テレビで全米に中継することを求め。そしてその不動産投資会社の社長に彼らの不正を認め、謝罪することを求める。

彼が人質を取った手口の1つが、映画のタイトルになっているデッドマン・ワイヤーと呼ばれる仕掛け。ライフルと自分をワイヤーで人質の首につなぎ、もしそのワイヤーが引っ張られるようなことがあれば、銃弾が発射される。 そのワイヤーは人質である社長の息子につながれ、そのため警察も手を出すことができない。

当時の記録映像を挟みながら、その再現フィルムのような形でストーリーは進んでいくのだが、この映画には1970年前後に制作されたアメリカン・シネマの匂いがする。本作のモチーフは犯罪であるが、テーマは犯罪そのものではなく、デッドエンドの状況に追い詰められて犯罪に走らざるを得なくなった若者の心情とその行動が描かれている。

アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』やジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向かって撃て』とトーンが似ているのはそのせいだろう。この映画の終わり、B.J. トーマスが歌う「雨にぬれても」が流れる。いかにも象徴的なラストだ。

この映画も含めて、いずれも主人公は<犯罪者>(本作の主人公トニー・キリシスは、裁判で陪審員の判決で無罪となったが)なんだけど、彼らが行った犯罪は、社会からは批判されてしかるべきものである一方、映画の観客たちは犯罪を犯した人間の状況と心情を理解し心の中で喝采した。

今なぜガス・ヴァン・サントがこの作品を作ったのか、その理由を推察するのは決して難しいことではないように思う。

帰宅して、少し気になってガス・ヴァン・サントが以前監督した『グッド・ウィル・ハンティング』(1997)を観直してみた。

エンドクレジット、すっかり忘れていたが最後に画面にこんな献詞が映った。

In Memory of 
Allen Ginsberg and William S. Burroughs  

やはり彼は確信犯だった!

ところで「デッドマンズ・ワイヤー」の配給元(KADOKAWA)は、この映画を「クライム・スリラー」と呼んでいるが、それはまったく違う。それは、『俺たちに明日はない』や『明日に向かってい撃て』がそうではないように。
 
ちなみに今年はアレン・ギンズバーグの生誕100年の年である。