先月末にも同様の趣旨のことを書いた。
繰り返しになるが、子どもたちをどうSNSから保護するかということをあらためて考えておきたい。
世界各国で子どものSNS利用を年齢によって制限する方向性が打ち出されているが、そのなか日本は一向に具体的な指針が定められないままだ。
大人として実に無責任だと思わざるを得ないのだが、子どもの保護を目的としたそうした規制に反対する慶応大の准教授の談話が新聞に掲載されていた。
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| 日経新聞、2026年8月3日朝刊 |
この御仁、総務省のネット上の未成年保護に関する有識者会議のメンバーだそうだが、規制に反対する主な理由が2つあるとしている。
ひとつは過剰規制。年齢でSNSの利用を規制することは「憲法が保障するこどもの知る権利に対して過剰規制」という考えである。
憲法の「知る権利」まで持ち出して子どものSNS利用の規制に反対するという向きだが、どういう神経をしているのだろう。
知る権利の侵害と言っても何について知る権利を侵害するというのか。それを具体的に示してほしいものだが、肝心のそうした点はまったく明らかにしてない。
日本は、子どもが知る権利が十分補償されているとボクは思っているんだけどね。アメリカのある州の学校では、未だに「神」が世界を創造したとされ、現在も天動説が教えられている。だが、日本では学校でそんなことを教えられている子どもはいない。
宇宙の起源についての最新理論であろうと生殖の仕組みであろうと、日本の子どもたちは自分が知ろうと思えば、そして調べようと思えば何だって知ることができる。
にもかかわらず彼は、SNSの利用をある一定の年齢まで制限することによって、子どもは憲法で保障された知る権利を侵害されるから反対だという。こうした過剰な配慮意識はどこから来るのかね。
もし彼が指摘する、子どもの「知る権利」が気になるのなら、SNS利用を年齢によって制限した後、実の当事者である子どもが「自分たちの知る権利が奪われた!」と苦情を言ってくるのを待ってその内容に耳を傾けたらいい(万が一、そうした声があるとしたらだが)。それから真摯に検討してみたらいい。先走って、ありもしないことを心配するのは賢明な態度ではない。
彼が挙げているもう一つの反対の理由は、もし年齢による規制を設けても抜け道があるので合理性に欠けるから、という点。
だけどね、それはしょうがないだろう。大きな声では言えないが、大抵の規制には抜け道があるのがこの世の常。例えば、未成年は飲酒や喫煙が認められていないけど、飲もうと思えば飲めるし、吸おうと思えば吸える。大学近くの居酒屋で新入生が新歓コンパで楽しそうに飲んで騒いでいるのを見るのは例年のことだ。
だからといって未成年による飲酒や喫煙の規制が無為だとも不要だともボクは思わない。
同様に速度制限を守らない走行車があるからといって、一般道での速度規制が非合理的とも思わない。
この慶大准教授さんは、ルールは100%徹底されなければ意味を持たないというタイプみたいだが、現実の世の中はそうはできちゃいない。徹底されなくたって、それがあることで国民の意識は変わるし、抑止の方向に社会は進んでいくのが現実の世の中だ。どうもそのあたりが分かっちゃいないようだ。
ところで、今日、文部科学省が行っている小学6年と中学3年を対象にした全国学力・学習状況調査の結果が発表になった。
授業以外に1時間以上勉強している子どもの割合は、前回調査に比べて10ポイント以上減少した。そして、SNSに割く時間は増加傾向にあって、実施された学力テストではSNSの閲覧や動画視聴の時間が長い子ほど全科目で正答率が低いことが示された。
この調査結果は驚くような内容でなく、日常の観察からわれわれが感じていることが間違ってはいないことをファクトとして示したに過ぎない。
年齢によるSNSの利用規制についてだが、日本の子どもたちの未来を少しでも豊かにしたいなら、子どもの知る権利を侵害する過剰規制だとか、抜け道があるルールだから不合理だとか、そうしたつまらぬ屁理屈を弄んでいる場合ではないだろう。
規制反対をもっともらしい顔をして主張する学者は、もしメタやXといった米国のSNSプラットフォーム運営企業がSNSサービスを停止すると言ったらどうするのか。それらの企業に対して、「知る権利を奪う憲法違反」だと主張するのか。
冷静に考えれば分かる話だ。