2025-03-02

税関は何のために私たちに手間をかけさせるのか

日本に再入国するときのこと。

到着した空港で手荷物受取所のカルーセルからバッグをピックアップし、そのまま税関を通り抜けようとしたら、その手前で中華系の職員に「税関申告書」を準備してくださいと止められた(この人員配置は、中国からの訪日客が多いことへの対応だろう)。

私が、申告する物は何もないからと言ったら、全員が書かなくてはいけないと言われ、仕方なく例の黄色い縦長の用紙をもらって記入した。


その用紙を手に、税関職員にパスポートを見せるレーンで、なぜ申告する物がないにもかかわらずこうした書類を強要するのか訊ねてみた。

彼女は、私が渡した税関申告書の表面の上部を指して「ここの情報が大切なんです」と回答した。名前や住所、生年月日、パスポート番号、今回のフライトの出国地などをわれわれが記す部分だ。

だが、誰が入国したかの記録なら、パスポートの情報を入国管理のところで記録してあるはずであり、その説明はおかしい。と伝えて、納得のいく説明をくれるように求めていたら、やり取りを見ていた別の職員が僕の方にやってきた。

そのまま出国ゲート脇の詰め所(のような場所)に案内され、そこの男性職員が今度は税関の申告書を提出するのは法律で決まっているからだという。それはどういった法律かと問うと、「広辞苑」と見紛う分厚い本を持って来た。背表紙に「関税六法」と書いてあり、そこに収められた第六十七条に定められていると私に開いてみせた。

彼が示した条文を読んだが、理屈がオカシイ。

関税法第六十七条とは、以下の通りである。


ここでは「貨物を輸出し、又は輸入しようとする者は」という条件が付いている。つまり、その条件に当てはまらない者にはこの条文は適用されないはずだ。

彼にそう言ったら、少し困った顔をして黙ってしまった。すると、彼から少し離れてやり取りを見ていた別の職員がやおらこう切り出した。「申告する物がないと言う人も、申告書を書くことで申告する物があったことを思い出すことがありますから」と。

ええっ。リマインドのためかよ。人を馬鹿にしてないか。だったら、別の手段を考えてくれ。たとえば、申告忘れをしないようにとのメッセージの音声を手荷物受取所で流すとか、航空会社と協力して乗客の下船時にそうしたアナウンスをしてもらうとか。もっと効果のあるシンプルなやり方があるはずだろう。

もう少しスマートにやってくれよ。

2025-03-01

意味のない大規模修繕工事が始まる

ひさしぶりに日本に帰国したら、斜め前に建つマンション全体が黒いネットで覆われていた。 

マンションの大規模修繕らしい。建物の周りに組まれた足場を行き来する職人たちの姿がネットを透かして見える。工事は、予定では3ヵ月かけておこなわれる。その間、なかに住んでいる人たちは紗のかかった目隠しをされているようなもので、さぞ迷惑なことだろう。

ところが、僕の住む集合住宅も大規模修繕に向けた話し合いが行われていて、来週あたりには管理業者の入札があるらしいことを知った。自身は部屋のオーナーではないので、何がどうなっているのかといった詳しい話が直接は届かず、知らなかった。そもそも外国にいたし。

予定だと、本年中に大規模改修の作業が始まることになりそうで、実に憂鬱な気分だ。

始まると、騒音がうるさい、ホコリっぽい、洗濯物が干せない、中を覗かれる(気がする)。何と言っても部屋からの景観がなくなり、日差しが注がなくなる。バルコニーに寝そべり本を読んだり酒を飲むことも出来なくなるのも辛い。

いいことは何一つ考えられない。そもそもマンションの大規模修繕ってのは、通常は外壁の洗浄と塗装が中心。つまり外面(そとづら)を塗り直すことで、建物を少しでもキレイに見せることに主眼が置かれている。歳とって顔の皺が増えたのを、これまで以上にファンデーションを厚く塗って隠そうとすることと同じ。

人間の体に例えるなら、その血管や神経に相当する給排水管や通信回線などを改修しなければ、日々の生活のクオリティには影響しないのだが。

外からの見栄えを良くすることで、マンションの資産価値の減少を保とうというのだろうが、その発想がどうにもみすぼらしくて嫌だ。そんなことが資産価値の向上に寄与するという社会の価値観がバカバカしい。

僕のように賃貸で住んでいる者にとっては、外壁をきれいにすることに意味はない。それどころか、そのことで今払っている月々の家賃を引き上げられたら泣きっ面に蜂だ。

一般的に修繕業者に支払う金額は、1戸あたり100万から125万円といったところらしい。5000万円の予算があれば宅配ボックスを増やすことで住民の利便性を高め、ルーフテラスを緑化して住み心地を良くし、さらにそこでバーベキューなんかできるようにしてもお釣りがしっかり残るのに。

しかも修繕工事費用は、多くがブラックボックス化されている。施工を行う業者によって、専門用語を多用した素人には分からない工事項目とそれらの金額を並び立てた工事見積もり書が作成される。それら業者にしてみれば、赤子の手を捻るようなものである。

工事業者や管理会社などの有象無象が結託し、住民の修繕積立金を吐き出させる仕組みである。痛みを受けるのは金を積み立てた住民だけ。しかも、ほとんどの場合、一般の住民はそうしたことを知る由もない。

大規模修繕工事なんてやめればいい。わざわざなんでそんなことやるんだろうと、つくづく思う。

2025-02-27

羨ましい仕事

世の中にこんなに愉しい仕事があるだろうか。

世界中を回りながら、各地の猫とふれあい、それらのニャンの映像を収めて番組にするという「岩合光昭の世界ネコ歩き」である。

番組に登場するのは動物カメラマンの岩合氏と各地の猫たち。それと、そうした猫らに関係する現地の人たち。

猫に演技をさせようとしても無理なわけで、番組に登場するのはまったくのところ自由で勝手気ままな猫たちである。ところが、そのニャンたちと彼は猫語で挨拶を交わし、ご機嫌を伺いながらカメラを向けると、猫たちは彼の意のままに動いてくれる(ように見える)。

いやまったく、どうして猫の動きを読んでそっちの方にカメラを向けることができるのか、いつも不思議に思っている。 

そして被写体として登場する猫たちを見ていると、猫はそこにいる人間たちの鏡だと感じる。別の言い方をすれば、その土地を映しているともいえる。不思議なものである。

撮影に際してはロケハンなどは綿密にやるのだろうけど、当然ながら予定通りの撮影などはあり得ず、現地ではその場その場での即興の動きを捉えていくのだろう。経験と直感の勝負だ。

苦労もあろうと思うが、そうした苦労ができるのが心底うらやましい。

NHKの番組サイトから

2025-02-15

米国はイカれてきてる

オバマ政権下で駐日米国大使を務めたキャロライン・ケネディが、彼女の従兄弟であるロバート・ケネディ・ジュニアの厚生長官就任を拒否するよう訴える書簡を発表した。

ニューヨーク・タイムズ紙から

その手紙は最初にワシントン・ポスト紙に掲載されたのだが、それによると彼女はロバート・ケネディ・ジュニアの人格面にも大きな問題があることを指摘している。

「彼は若かった頃、飼っていた鷹の餌にするために、ひよこやネズミをミキサーにかけ、それを周りに見せびらかすのを楽しんでいた」と彼女は書いている。

ゲゲッ。こうしたかなりいけずな人物が米国の厚生長官に13日就任した。その男は今後、約8万人の職員と1兆ドルの予算を持つ米国保健機関のトップとして指揮を執ることになる。

他国の事ながら、一般市民のことを考えると気が重い。

2025-02-14

「会社法人等番号」12桁と「法人番号」13桁

法務局の出張所に、ある法人の謄本を取りにいった。申請書類に当該法人の「会社法人等番号」を記入する欄があった。法人の登記簿に記された識別番号で12桁で構成されているものである。

先日、関連する用件で税務署に行ったおりには「法人番号」を書類に記入することを求められた。こちらは13桁で、会社法人等番号のあたまに1桁の数字が加えられたもの。

ややこしい。法務局の窓口スタッフに、この2つの数字にどういった違いがあるのか、どう使い分けているのかを尋ねてみた。

すると、会社法人等番号は法務局で使用しており、法人番号は国税庁が使用している、なぜこの2種が用いられているかは分からないので国税庁に訊ねて欲しいと。

それ以上の回答がないので、そのままそこを後にしたが、どうも釈然としない。というのは、おそらく国税庁に説明を求めたら、今度は同様に法務局に聞いて欲しいと言われるだろうと思ったから。堂々巡りだ。

法務局が設定している会社法人等番号という名称の、あほらしい無意味さ。「会社法人等」というのは、会社だけでなく他の法人も、という意味だろう。つまり、「法人」の一言で事足りる。要するに本来、会社法人等番号と法人番号という2つの呼び名の意味は同一であるにもかかわらず、管轄する省庁が違うので異なった名称を付けているわけだ。 

国は効率化を推進するためデジタル政府を目指すなどと何年か前に言っていたと思うが、役所はどこも自分たちの縄張り以外のことは知らぬ存ぜずで、われわれ国民をあいかわらず蚊帳の外に置いている。

法務局と国税庁が話し合ってこうした番号の設定の仕方を決めていれば、会社法人等番号と法人番号という似た2つの数字を使い分ける必要などなかったはずである。

2025-02-11

さすがグーグル、恥知らず

グーグルは10日、グーグルマップを米国内で使用した場合、メキシコ湾だった地名がアメリカ湾と表示されるように変更した。

トランプの意向と大統領令を踏まえたものだが、さすがグーグル、あっさり強権になびいた。

米国民はメキシコ湾のアメリカ湾への改称についてどう考えているのかと思ってたら、ロイターの調査によると支持すると答えたのは25%で、70%は支持しないと回答していた。一般の米国人は、意外とまともである。

そういえば先週、グーグルは人種や性別に基づく採用目標の設定を撤廃するという新たな方針を社内で通達したらしい。こうした職場の多様性推進の取り止めもまた、トランプの考えを汲んだもの。

関連したニュース。NHK国際放送ではグーグルのAI自動翻訳サービスを利用して各国語の字幕作成をしており、昨日、沖縄県尖閣諸島をめぐるニュースの中国語字幕に「尖閣諸島」とすべきところを、中国が主張する尖閣諸島の名称である「釣魚島」が表示されたという。 

以前にまして、グーグル社からはさまざまな見過ごせない問題が出てきている。

2025-02-10

充電できなくなったらもう終わり、というのはいろんな意味で止めにしたい

僕たちはバッテリーで生きている。といっても、生身の体の中にバッテリーが埋め込まれているという意味ではもちろんない。

先日、電話の子機のバッテリーがへたって交換した。フルに充電してるはずなのに、話の途中で突然回線が切れることを経験したからだ。ハンディタイプの掃除機のバッテリーも交換した。

アマゾン・キンドルが起動しなくなった。死んだのはこれで何台目だろう。たぶん5台目か6台目か?

モーターなどの動作部品は仕込まれてないので、使えなくなるほとんどの理由はバッテリーだ。これまでずっとそうだった。リチウム電池が入っているんだろうけど、こちらは交換不能だから。

どうして交換できないのだろう。バッテリーが交換できなきゃ捨てるしかない。新品購入の費用だけでなく、環境面でも不満だ。

そんなことを考えていたら、スマートウォッチのバッテリーも弱ってきて、日中、気がつくと画面が消えているということがある。何とかしなくては。というか、これもバッテリーの交換が出来るわけではないので、処分するしかない。嗚呼、なんとかならないものか。

強欲な米国企業の買い換え促進策とはいえ、いい加減にしてほしいね。

以前使っていたことのあるシャープ製の携帯電話は、太陽光で充電ができた。クラムシェル(折りたたみ)式のもので、その蓋の部分に太陽光を電気に変えるシートが組み込まれていた。

キンドルは本体(画面)の裏面をつかってそうすべきだ。あるいは、純正をうたうカバーに太陽光シートを貼って本体が充電できるようにしてもらいたい。

身の回りのものの多くがバッテリーで動くようになっている。乾電池の交換ですめば楽でいいのだがそうではない。そのため、場合によってはモバイル・バッテリーとケーブルをバッグに入れて持ち歩かねばならなくなっている。

そして、本体のバッテリーがダメになれば、交換(買い換え)だ。こんなこと、いつまで続けされられるんだろう。そろそろ発想を変えてもいいんじゃないか。

2025-02-08

「ファスト&スロー」

ホンダと日産が経営統合に向けての基本合意に達したとする報道を目にしたのは昨年12月半ばのこと。両社は、同年の3月から統合について検討をしていたという。

統合のやり方は、両社で持ち株会社を設立するかたちになりそうだと。そこへの三菱自動車の合流も俎上にのっていた。

ところが三菱自動車がそうした統合話から降りたと思ったら、ホンダと日産の統合の協議もいきなり破談になってしまった。ホンダが日産の子会社化を言い出したのに対して、日産の経営陣が反発して基本合意書を破棄することにしたらしい。

ここで気になるのは時間の流れだ。ホンダの三部社長は会見時、話の端々に「スピード」という言葉を発していた。その一つは中国や米国の新興自動車メーカーの驚くほどのスピード感のある経営であり、もう一つは日産側の意思決定のスピード感のなさである。 

ホンダは、日産と一緒に経営のテーブルを囲むようになったら、とんでもなくスローな会社になってしまうと危惧したのではないだろうか。 

認知心理学者でノーベル経済学賞受賞者のD・カーネマンは、『ファスト&スロー』でシステム1とシステム2という2つの思考モードについて述べている。システム1は直感によるすばやい意思決定につながるもの。一方、システム2は時間をかけて行う知的活動をともなう合理的判断である。

ホンダの社長が会見でぼやいていたように、日産側の統合に向けてのプランニングはずいぶんスローだった(システム2の利用)。ところが、ホンダが日産を子会社化するという案を出した後の、今回の日産・内田社長の「受け入れられない」という経営統合破棄にいたる決定は実にクイック(ファスト)だった(システム1の利用)。

日産の経営陣は、子会社になった場合の日産自動車の5年後、10年後の姿について情報を多角的に集め、検討、熟慮したのだろうか。

ただホンダに対しての<オレたちを馬鹿にするな!>というプライドへの感情的こだわりが、内田社長の「ノー」の背景にあったように思えた。

それって経営か? 

現在、時価総額で日産はホンダのわずか5分の1、トヨタの30分の1である。合理性でなく感情による判断を優先し、自動車会社であるにもかかわらずクルマを売れる経営ができていない今の同社の経営陣に、企業を再生する能力があるとは思えない。

日産は今の経営陣のもとではこのまま潰れるか、どこかに買収されるしか道はないだろう。

2025-02-07

彼の自殺から7年が過ぎた

近畿財務局の元職員だった赤木俊夫さんか自らの命を絶ったのは、2018年3月だった。

妻の雅子さんは、その死の理由を知りたいという思いで、ずっと財務省に関連文書の公開を求めてきた。例の森友学園への安倍元首相による国有地の格安払い下げについての件だ。

赤木俊夫さんは、土地売却に関しての関連文書14件について上司から「改ざん」を指示された。不正行為に悩み、そのことに端を発して彼はうつ病を発症し自死した。

その不正を指示した当時の佐川宣寿という財務省理財局長は、国有地の売却について森友学園側との価格交渉を否定、さらに記録は「廃棄されている」と国会の場で答弁した。

ちょっと待てよ。そうした記録は財務省の所有物ではない。役所の文書はすべて、われわれ国民のものなのだよ。勝手なことをするなよ(まあ実際は破棄せず残っていたのだが)。 

雅子さんが求めてきた文書公開に対して、国は開示はしないと決定した。国のその決定について、当然彼女はそれを取り消すように求めていた。そして今回、赤木さんの公開せよとの訴えを認めた大阪高裁の判決にたいして、国は上告を断念した。

石破総理がそれを決めた。

強い使命感、責任感を持って仕事に当たった方が自ら命を絶たれたことは本当に重い。判決を真摯に受けとめるべきだと考えた。

と取材で語ったらしい。

英断のように評価する向きもあるが、ぼくはまったくそうは思わない。英断どころか、こんな当たり前の決定をなぜ今まで出来なかったのか。情けないこと極まりない。

これ以上世間からの風当たりが強くなったらたまらん、との不人気首相の思いがあった。

加藤財務大臣は、検察にいったん提出した文書は財務省に戻ってきていると語った。佐川は国会の場で文書は廃棄されているとしゃあしゃあと答弁したが、大臣はそれらの存在を認めたのである。

赤木さんだけではない、国民全員を財務省の元官僚は愚弄したことになる。佐川のような男がその後、国税庁長官に任命されていたと知れば知るほど、確定申告のための煩わしい書類作成がバカバカしくなる。

前置きが長くなったが、今回書きたいのは別の点にある。

先に引用した石破総理の発言「強い使命感、責任感を持って仕事に当たった方が自ら命を・・・」だ。その通りだが、赤木さんの自殺という悲しい出来事は、彼が自分の公僕としての本来あるべき職務を理解し、かつしっかりした責任感をもっていた人物だったからこそでもある。

つまり、安倍とその妻、加えて文書中に記された政治家たちを忖度した佐川から書類14件の改ざんを指示された職員が、もし赤木さんでなかったら、「改ざん文書」の存在すら世間に知られることはなかった。

上司から言われたことをただ「処理」しているだけの職員の仕事(仕業)は、これまでも、またこれからも一切おもてに出て来ない。それらが彼らに都合のいいように改ざんされていようが、いまいが。

そして、それが役所内の文書のほぼ全部だ。赤木さんの死がそれを教えてくれている。

今後のことを見据えれば、いま私たちが考えなければいけないポイントはそこにある。

2025-02-03

航空券の「別冊」とは何か。業界用語の問題

学会のため、今回はシンガポール経由でマレーシアに行くことに。シンガポールまでは日本航空で、そこからシンガポール航空に乗り継ぐ予定だ。

シンガポールの空港でターミナル間の移動をする必要があり、荷物も含めてそのままスルーで行けるのかどうか確認しておこうとシンガポール航空に電話したら、おそらく問題ないが、最初のチェックインがJALなのでそちらに確認してくれと言われた。

なるほどと思い、連絡した。こうした問合せは日々よくある類のものだと思うのだが、電話にでた予約スタッフは即答ができず、繰り返し「少々お待ちください」とこちらを待たせたあと、「先ほどのベッサツでの乗り継ぎの件ですが・・・」と話し始めた。

ベッサツ? 話を聞いているうちに、他の航空会社のチケットのことを言っているのだと分かった。別冊のことらしい。

昔の航空券は、複写用のカーボン用紙が何枚も挟まれた複数枚綴りの小さな冊子のようだった。それを指して、自社便でない別のチケットということで<別冊>とこの航空会社は言っているのかと。だが、そんな航空券を使っていたのは、ずいぶん昔のこと。

顧客からの一般的な質問にも答えられない、たぶんまだ新人の社員が、別冊などという社内あるいは業界のジャーゴン(符牒)を客に対して当たり前のように使うとは、何だかやっていることがちぐはぐ。

それも含め、客の顔も姿も見えないと顧客への対応がこんなにもぞんざいで、かつ気を抜いた応対になるという見本だったナ。近年のサービスのすがたを象徴している。

2025-02-01

おじさん、生きてろよ

1月28日、埼玉県八潮市の県道が陥没し、道のまんなかに穴ができた。

トラックを運転していた男性(74歳)は、道路を左にカーブした先にあったその穴に突っこんでしまった。だってそんなもんあるとは思わないもんなァ。

(TBSテレビから)

それからまもなく100時間が経とうとしている。丸4日が過ぎているにもかかわらず、彼の安否さえ分からないらしい。一体どうなっているんだ。報道では「懸命な作業が続けられており・・・」と型どおりの原稿をレポーターが読んでいるだけで、実にイライラさせられる。 

穴が周囲に拡がっていくのを恐れ、離れた場所から土木工事によってスロープをこしらえ、それができた後、重機で穴の中に入って行って・・・というプランらしいが、運転席にいるはずのおじさん一人を救い出す他のプランは考えられないのか。

二次被害を起こさないためとか、救助隊員の安全を確保してから本格的な捜索をとか、聞いていてまどろこしくてどうも仕方ない。事故対応への初動の判断と行動が遅いから、穴が時間とともにこんなに拡大したというのもあるんじゃないか。

事故発生時の現場のビデオ映像をみると、トラックが落ちたときはまだその荷台が地面の上に出ているくらいの状況だった。

時間が経つにつれて穴が拡がり、周辺が崩落し、水が流れ込んできた。それらは予想できたこと。寸暇を惜しんで、とにかく穴に落ちたトラックから運転者を引っ張りだすことに集中してれば、今のような、やれ低気圧が近づいてきて天気がどうの、水の流入量がどうの、積み重なった瓦礫の量がどうのといった消防庁の言い訳ばかり聞かされる事態にはならなかった。

本気でおじさんを救い出そう、助けようという気持ちがレスキュー隊にないように見える。それより救助隊員に何かあったら、今時だから自分がどう責任を問われるか分からない、という消防庁幹部たちの心の声が聞こえてくるようだ。

穴に落ちたのがトラック運転手のおじさん(74歳)じゃなく、もしそれが「乗用車を運転していた八潮市内に住む主婦A子さん(35歳)と娘のB子さん(10歳)、息子のC君(7歳)の3人家族」だったら。あるいは、「ポルシェを運転していたタレントの中居正広氏」だったら。

レスキュー隊の対応もメディアの報道もまったく違っているはずだ。違う? 

理不尽である。穴に落ちたおじさんには何の瑕疵もないのに。気の毒でしょうがない。

おじさん生きてろよ、と、祈る。

2025-01-30

なぜ日本を飛び出さないのか

ネット上で見つけたある記事で、世界各地でのソフトウェア・エンジニアの給料(ボーナス含む)が紹介されていた。https://www.levels.fyi/2024/

それによると、本年1月時点でのデータが示す世界各地でのソフトウェア・エンジニアの年間報酬は、


サンフランシスコ地域 約4200万円
シアトル地域 約3800万円
ニューヨーク市地域 約3000万円
サンディエゴ地域 約2900万円
ポートランド地域 約2800万円、である。

日本はというと、上記トップのサンフランシスコの3分の1ほどらしい。それでも1400万円だから、国内ではそれなりの高給取りの部類といえる。

だからなのか、少なくとも僕の周りではそうしたソフトウェア・エンジニアたちが海外に飛び立ったという話は聞かない。

もちろん給料が高くても住む場所として安全ではなかったり、健康な生活が送りづらい環境であれば踏みとどまるのは当然。だが、上記の米国の各地がそれほどまで治安が悪く、住んでいるだけで健康を害してしまう土地かといえば、決してそうではない。

むしろ、日本の会社に勤めていたらいくら頑張っても届かないレベルの給与を手にでき、また日本とは違ったエキサイティングな生活を送れるかもしれない。

もし僕が腕に自信のあるソフトウェア・エンジニアで団塊ジュニアより下の世代なら、さっさと渡米を考える。理由? それを考えない手はないからだ。

また、アメリカじゃなく欧州へという道もある。

チューリヒ 約2800万円
ケンブリッジ 約2100万円
ベルン 約2100万円
ローザンヌ 約2000万円
ロンドン 約2000万円、である。

報酬は米国企業ほどではないが、いずれにせよ日本よりずっと高い。加えて、国内にいては得ることができない経験を積むこともできるはず。

こうした新天地へ行こうとしない方がおかしいくらいだと思うんだけどね。

2025-01-29

エポケー

先日、フジテレビによる記者会見があった。夕方4時から翌日の2時過ぎまでつづくマラソン会見だったようだ。

第1回目の、報道機関としてのテレビ局が行った会見とは思えない記者会見への批判があったからか、今回は途中で打ち切らずに延々と行われたが、当然ながら長ければよいというものではない。

経営陣の明解さを欠いた発言内容もさることながら、記者たちの説教口調の質問内容にも閉口した。まるで自分のことを取り調べを行う警察か検察と勘違いしているかのような。

その根拠となったのが週刊文春が報道した、フジテレビ社員Aが中居正広による性加害に関与したという特集記事だ。それをもとに、鬼の首を取ったかのような記者らの質問が続いた。

だが、その週刊文春は3回にわたって続けた特集記事のなかで、社員Aの関与のあり方について訂正していた。だがそのことは、記者会見では誰も取り上げなかった。記者側もフジ側もよく知らなかったわけ。

情報の中身の真相のほどは別として、あの場にいた連中は手にできるはずの情報に目を通していなかった。

なんとなく世の中でそうなっている、SNSで多くの人がそう言っているというだけで、あたかもそれが既成事実であるかのように捉えて論を展開する。

一言で言うならば、みんな早とちりなのである。自分で調べたり、考えて納得するのではなく、SNS上でそう言われているからそうに違いないと勝手に決めつけている。

文春が社員Aの関与についての記事を訂正していたと知るやいなや、それまで「フジテレビ、悪」と言っていた多くが今度は「文春、悪」の流れに移った。その変貌というか寝返りは実にすばやい。

兵庫県議だった男性が自死した件。NHKから国民を守る党の党首である立花が、その男性が警察から出頭を命じられているとかなんとか、まったく事実無根の情報をSNSで発信し、それに多くが反応してさらに情報を拡散させた。だけならともかく、県議や彼の家族を執拗に攻撃し、追い込んだ。

立花が県議の男性について言いつのった批判が真実であるならば、それに同意してSNS上で同様の批判が拡がるということはあるだろう。それは表現の自由でもある。だが、警察が異例の発表をしたように、立花の言はまったくのデタラメだった。

しかし多くの人が、そうした流言の類について自分で詳しく知る努力もせず、内容の真偽に関して何も考えることなくただ反射的に反応し、攻撃的な行動をとるに至った。

兵庫県知事選に関わる一連の不始末不祥事の根幹の一点はそこにあるように思う。

即座に反応しないこと。まずはそれを心がけるしかない。古代ギリシャの哲学者ピュロンが提唱したエポケー(判断停止)である。各種情報も含め、外からの刺激に対して深く考えることなく反応したり、判断するのは危険なことだと知ることが大切だ。

SNSをめぐる現在の未成熟な社会環境のなかでは、われわれは思考停止に陥ることをつねに注意しながら、一時的に判断停止する、あるいは留保することを学ばなければならない。

2025-01-25

CM

最近の日本のメディアの話題は「フジテレビ、中居正広、CM見合わせ」の三題噺に尽きるようだけど、その内容はといえば呆れるのを通り越して悲しくなるほどだ。

人の容姿の美醜を語るのは本望ではないのだが、メディアで紹介されるフジテレビの社長Mの下卑た顔つきだけはいただけない。バラエティ番組の分野で長年にわたって仕事をしてきたらしいが、あれほど知性の欠片もない顔つきの人物がいて、しかも社長だとは。

この局は報道機関としての看板を下げて、バラエティのコンテンツ提供企業に徹した方がいい。当然社名もフジテレビジョンからフジバラエティテレビに社名を変更するのが筋だ。

口直しに昨年制作されたフランクフルト・アルゲマイナー(独紙)のCMを。

Frunkfurter Allgemeine ZeitungのCM

2025-01-18

生成AIの説明能力

生成AIが仕事に急速に取り入れられていて、会議の議事録をまとめたり、販売データをもとにした報告用の資料などを作ってくれたりする。

AIは文章でも図表でも、たじろぐことも戸惑うこともなくあっという間に作成する。全能感を思わせるそのアウトプットのスピードにオフィスで働く人たちは感心し、手放せなくなる。

ただし、生成AIの回答にときおりギョッとさせられることも多い。たとえばデータの解釈だ。

見せかけの相関のなかには、いろいろと笑わせてくれるものがある。下記のグラフでは、2000年から2009年におけるマーガリンの一人当たり消費量と米国メイン州の離婚率のトレンドが相関係数0.99という強い関係にあることが示されている。

その理由を生成AIに説明させると、以下のように解釈する。

おそらく、マーガリンの使用量が減るにつれて、人間関係もギクシャクしなくなったのだろう。人工的なスプレッドがないため、カップルがお互いにバターを塗り合うことがなくなり、全体的な夫婦喧嘩の減少につながったのかもしれない。バターでないことが信じられない現実、それは夫婦関係の成功の秘訣なのだ。あるいは、マーガリンの消費量が減るにつれて、全体的なヌルヌル状態も減り、パートナーが結婚生活をうまくコントロールできないと感じるケースが減ったということも考えられる。

おもしろい。米国メイン州の夫婦はケンカをすると相手にバターを塗りつけようとするらしい。新説である(意味不明のところがあるが)。

ここまで解釈がぶっ飛んでいると、さすがに小学生でも変だと気づくけど、そうじゃないAI作成の文章で専門家でも見紛うものがネット上を中心にいくらでもある。人が書いたのものか、AIが書いたのものか、多くの場合、その判別がつかなくなっている。

結局、今のところは説明の内容をどう判断するかは人の知識と経験、常識に頼るしかない。

それこそ何でもAIに代わりに考えさせていると、ヒトの頭脳はあっという間に判断能力を失い、機械に乗っ取られてしまいそうだ。 

ついでに、生成AIに上記の説明に沿った画像を作成するよう命じたら、こんなのが出てきた。笑える。州の90パーセントが森林だというメイン州の雰囲気は確かに良く出てるかも。

バター版

マーガリン版

2025-01-17

「30年以内に80%程度」という表現のわかりずらさ

これまで、「30年以内に70〜80%」と言っていた南海トラフ地震の発生確率を、政府の地震調査委員会が「30年以内に80%程度」と変更した。

この変更から我々が感じることは、以前よりさらに地震が来る確率が高くなったということだろう。この変更は、新しいデータをもとに検討しなおした結果らしいが、どういったデータをどのように分析すればそうした数字が出てくるのか公表されていない。

「30年以内に80%程度」とは、あした南海トラフで大地震が起こることと、30年経っても何も起こっていないことの両者を含んでいる。これって、どれだけ意味があるのか?

「30年以内に80%程度」と言っている地震学者たちは、30年後にはもういないんだろう。たとえ生きていても、もう研究の表側から消えている。30年後、地震も何も起こらず、彼らが見つかり引っ張り出されることがあったとしても、「20%の確率で起こらないことを示している」と言えばそれで済む。

30年以内の発生確率を数字で言うのだったら、一緒に10年以内、5年以内、1年以内の発生確率も言ってみろと思う。科学的な視点からは、30年先の未来を予測するより、この先1年を予測する方がずっと容易なはずだ。

それをやらないのであれば、そもそも具体的な準備に役立つわけでもなく、また検証しようもない確率をさも科学的な衣を着せて発表するのはやめた方がよい。

こんなことやって、研究予算や防災予算を獲得している連中だけが納得し、ほくそ笑んでいるような気がする。

地震はいつ起きても不思議ではない。だから、常に、そう常にだ、起きたときのことを考えて備えておく。結局は、これしかない。

2025-01-15

女性は金塊がお好き

日本のある新聞社のウェブサイトに並んだ2つの記事。

並べて載せているのは偶然か意図したものか分からないが、どちらも女性による犯罪事件で、「金塊」にまつわるものだ。

ついマリリン・モンローが主演した、ハワード・ホークス監督の古いハリウッド映画を思い出した。

『紳士は金髪がお好き』
 
それにしても、ビットコインなど暗号資産(仮想通貨)の時代に実物の金塊とは! あのズシリとした重さと眩しい輝きに(ある種の)女は惹かれるのかね。片や20キロ、もう一方は10キロときた。

2025-01-10

スポットワークという働き方

明日の午前中だけとか、お昼過ぎから午後の遅い時間までといったちょっとしたスキマ時間(空き時間)を使って仕事をするのをスポットワークと呼ぶらしい。

要はスマホのアプリを使ってのマッチング・サービスというだけで、昔から学生が授業のない時間をバイトに費やしていたのと何ら違いはない。が、どうもバイトするのは今は学生だけではないそうで、定職をもつ30代から40代がその働き手というパターンである。そこは変わった。

リモートワークで会社に行く必要がないので、うまくやり繰りして時間をつくり、数時間だけ働いて小銭を稼いでいる、というイメージだ。仕事は物流、飲食、小売りなどの業界が多い。

どこも人手が足りていない世の中らしいので、こうした働き手も企業や店側にとってはありがたいわけだ。 

ただし、「スポットワークがお試しとなり、適職にたどり着く手段にもなりうる」とか「個人が仕事との向き合い方を再考し、組み立て直す糸口にもスポットワークはなる」といった一部の識者の考えには僕は同意しない。

空いた夕方の2時間を時間給でもって近くの飲食店で働いたのがきっかけでその道に目覚めました、っていうのがあってももちろん構わない。だが、ふつう仕事ってそんなもんじゃないだろうと思う。

そんなことより個人的には、飲食店でメニューについて訊ねてもまともに答えられなかったり、小売店で商品の棚の場所を聞いても何も案内できない店員が最近増えたと感じるのは、彼らがスポットワーカーだからなのか・・・と、そっちの方が気になる。

そもそも、そのスポットワークをやりたくてやっているのなら別だが、本来なら企業の中堅である30代〜40代のサラリーマンが技能も経験も不要だからという理由でスキマバイトをやっているのは残念なこと。

空いている時間があったら、ちゃんとした本を読む、思索を深めるなど自分の内面を磨き、高めることに時間とエネルギーを投資した方が、目先の小遣い稼ぎをやるより結局ははるかに大きなリターンが得られるのは間違いないのだから。

こうした投資についての基本的な考えを持っているかどうかが、人生の質を左右する。

2025-01-07

年賀状は続く

日本郵便によると、今年の元旦の年賀状の枚数が昨年比で34パーセント減、3年前と比べて半数以下になったらしい。

ここ数年、毎年「今年で年賀状じまいします」という年賀状が増えた。面倒くさくなるんだろうな。そうやって、届く枚数も減っている。

それに呼応してこちらから出す年賀状の枚数も少なくなる。もうずいぶん前からだが、年賀状は手書きだ。表面の宛名書きも手書きだ。以前は年賀状ソフトで宛名を印刷していたけど、手書きしてもたいして時間がかかるわけじゃないから。

もう50年近く、年賀状だけでつながっている友人がいる。彼は、小中学校での同級生だった。高校は別の学校に進んだが、夏休みなんかは皆で集まって一緒に遊んでいた。

彼に会った最後の記憶は、彼が18になりすぐ免許をとったというので、彼の運転する車に小中学校時代の同級生たちと乗り込み、免許とり立ての危なっかしい運転で山道をぶっ飛ばしたこと。ガードレールもない田舎の山道で、死ぬかと思った。

高校を卒業し、彼は地元の電力会社に就職し、僕は大学に行くため東京へ出た。それきり会っていない。48年前のことである。

お互いまだ生きているが、もう昔の面影といったものはないかもしれない。けれど、年賀状のやり取りだけは今も続いている。会っても顔が分からないかもしれないし、会うこと自体ないかもしれないからこそ、年に一度の年賀状がお互いに必要な気がする。

顔は分からなくても、彼の筆跡は分かる。

2025-01-04

今ではおっさんは僕の方だった

毎年、年の初めに書斎のスチール・キャビネットのなかを整理する。使うことがなくなり、奥に追いやられたままのハンギング・フォルダを取り出し、新たなテーマ・フォルダと入れかえる。

今年引っ張り出したフォルダの中から、古い名簿が出てきた。それは、僕が20代半ばだから40年くらい前のものだ。当時勤めていた広告代理店が社員に配ったものである。

そこには約1300人ほどの社員の顔写真と名前が印刷されている。掲載されているのはそれだけで、所属も役職も勤務地もない。それが人数分、名前の五十音順に並んで印刷された冊子になっている。

完全に忘れていた。ページをめくると、懐かしい40年ぶりの顔が並んでいる。僕は30歳でその会社を辞めてしまったのだけど、社会人としての基礎をそこで教えてもらった。

当時、「あのおっさん」と思っていた人たちが、今見るとみな若い。今の自分の方がはるかに歳を取っているのだから当然なんだが。

そこに収められている半分とは行かなくても、三分の一くらいの人はもういないんじゃないかとふと思ったりして。

写っているのはみんな、履歴書か免許証に載せるような正面からの真面目なショット。そのなかで1人だけ、1300人のなかでたった1人だけ45度くらいの角度から顔だけこちらに向けている写真があった。ほかでもない、自分だった。

ページをめくっていると、どこかで会ったような顔が目に止まった。自分がその会社にいたときには出会ってない人のはずだけど。

優しそうな目元が、昨年10月に亡くなった漫画家の楳図かずお(本名 楳図一雄)さんによく似ている。名前も一文字違いだ。


ネットで調べたら、弟さんだった。

2025-01-02

正月早々からブラックジョークか

元旦の日本経済新聞、特集ページ「ニッポン2025」のリードである。

2050年は働けるまで働く「生涯現役」が常識となる。医療技術の進展により、健康で長生きする高齢者が増える。人工知能(AI)活用で、自分の能力が活かせる職場が摩擦なく見つかる。定年による労働市場からの一斉のリタイヤは過去のものとなり、誰もが能力と意欲に応じて、溌剌と社会に貢献する未来が訪れる。

「溌剌と社会に貢献」に、正月早々アホかと苦笑いしてしまった。どういった根拠でこんな荒唐無稽で、かつ身も蓋もない<未来>を勝手に決めつけるのか。

またその記事中に、こんな記述がある。

内閣府によると、60歳以上の6割が70歳までかそれ以降も働きたいとの意向を持つ。うち2割は「働けるうちはいつまでも」働きたいと考えている。三菱総研の試算では、働くシニアが増えることで2050年の税収は現状よりも5.3兆円の押し上げ効果が見込める。

人間を、企業が売上を上げるための単なる生産手段、かつ税を支払い続けるための国の奴隷と考えてる。

正月早々から読者を実に憂鬱にさせるブラックジョークだ。 

近くに市の合同庁舎がある。その1階はハローワークになっていて、そこのロビーには求人票が貼り出されている。定年退職をした高齢者が就ける仕事内容は、ビルの清掃、工事現場の交通整理員、マンションの管理員、食品会社(コンビニ弁当工場)での夜間作業、倉庫での宅配用荷物整理、スーパーの品出し業務など。選択肢は限られている。

「溌剌と社会に貢献する未来」だとか書いた新聞記者は、一度、ハローワークで現実を見た方がいい。頭の中で勝手なことを想像しているだけだから、こんな記事になる。

2024-12-29

実感のないインチ表示はやめよう

インチ表示について考えてみる。インチキ表示ではないヨ。

手持ちのEブック(電子書籍)リーダーのバッテリーがへたってきたため、新しいものを買うことを考えている(バッテリーの交換修理サービスを提供しているところもあるようだが、僕のはモデルが古いため対象外)。

本を読むとき紙かディスプレイかというと、間違いなく紙の方が好きなのだが、海外へ行っているときはそうはいかない。電子ブックはとにかく持ち運びが便利。どこの国にいても、何語の本でもすぐに手に入れられるのですごく助かっている。手放せない。

電子書籍を読むのは、iPadのようなタブレットでもいいのだけど、kindleに代表されるEインクを用いたものの方が読みやすく、デバイスも軽くていい。

ということで、1台新調することにした。メーカーは複数ある。それぞれに機能や価格もいろいろ。大きさも複数の選択肢がある。6インチ、7インチ、8インチ、10.2インチといったぐあい。

ただそうした選択の際によく分からなくて困るのが、画面の大きさについてだ。インチの数が大きければ画面サイズが大きいのは分かるが、実際に手に取ったとき、どのくらいの画面の大きさなのかピンとこない。

電子ブックリーダーだけではない。スマホもタブレットも、デジカメのモニターも、テレビもすべてその大きさを示す単位として<インチ>が使われている。本来、インチは、主に米英で用いられている度量衡法であるヤード・ポンド法の単位である。

日本ではかつで尺貫法(長さは尺、容積は升、重さは貫)を用いていたのを1921年にメートル法(メートル、キログラム)を採用し、その後、尺貫法は1959年に廃止された。

そうやって古来用いていた尺貫法を廃止し、メートル法に移行しておきながら、なぜヤード・ポンド法の「インチ」を日本人が平気で使っているのか、なんとも不可解かつ不愉快である。

そもそも1インチが何センチかなんてことを、正確に知っている日本人がどのくらいいるのかね。100人のうち3〜5人くらいかなァ。それを知ってなければ、実際の長さを理解できないはず。正解は2.54センチ。

電子ブックリーダーのディスプレイやテレビ画面のサイズを示すのにインチが使われていることに抵抗感があるもうひとつの理由は、それらは画面の対角線の長さを示しているのであって、大きさ(画面サイズ)は表していない。

つまり、アスペクト比(画面の縦横比率)が違えばインチ数が同じでも画面の大きさは異なる。このように、現状用いられている単位は本当は分かりづらい単位なのである。

テレビやスマホ、電子ブックの画面サイズをイメージしたいときにイメージしたいのは対角線の長さではなく、その画面の大きさである面積。だとしたら、別の尺度が欲しい。

ひとつの考え方は平方センチだ。例えば32インチのワイド画面(16:9)テレビは、2,816平方センチ、64インチなら11,265平方センチになる。

うーん、これも慣れないと分かりづらい。ならば、皆が使い慣れているはがき(ポストカード)のサイズ(10センチx14.8センチ=148平方センチ)を1単位にしたらどうか。たとえば32インチのワイド画面テレビは19ps(postcards)、64インチのテレビはその4倍(2x2)の76psと表す。それぞれ、はがき19枚分、76枚分の大きさ(画面の広さ)の意味である。

この方がずっと分かりやすいと思うのだが、どうだろう。


2024-12-28

盗っ人にもプライバシー、なのか?

千葉県内の企業に賊が押し入って金庫などを持ち去ったというニュース。事務所内の防犯カメラに犯行の様子が映っていて、犯人が室内を物色したり、金庫を抱えて歩いている(!)映像が番組で公開されていた。

ところが、なぜか押し入った賊の顔が視聴者に分からないよう、わざわざボカシが入れてある。防犯カメラに記録された映像がオリジナル、つまり加工されたフェイクでなければそのまま使用すればいいはず。

そうすることで犯人逮捕につながるかもしれないのに、なぜ顔にボカシを入れるのだろう。犯人たちのプライバシー保護を重視してのこと? 

 
TBSテレビ「報道特集」から 

局の視聴者センターに、犯人の顔にボカシを入れる理由を訊ねたが、担当の窓口の回答は「他のテレビ局もそうしている」とか「警察署の指名手配の犯人の張り紙には顔写真が出ている」など、ピントが完全にずれている。笑うしかない。結局、顔写真を出すことで犯人逮捕にも繋がるのではないか、とのこちらのコメントに「ではそう関係者に伝えておきます」でおわり。 

ただ、こうした映像処理は、警察などの捜査当局からの指示ではなく、テレビ局自体の判断で行っていることは確認できた。

残念ながら、これが今の日本のテレビ局の実状のようだ。

2024-12-26

検察庁の報告書

袴田巌さんの再審での無罪判決の確定を受けて行われていた、当時の捜査に関する検証結果を最高検察庁が公表した。

その報告書のなかで、最高検察庁が奇妙なことを言っているのが引っ掛かかる。犯行時の着衣として検察が有罪の根拠とした「5点の衣類」についてのことである。

例の5点の衣類

ことし9月、静岡地方裁判所は再審で無罪の判決を言い渡し、有罪の拠りどころとされてきたこれら5点の衣類について捜査機関がねつ造したと指摘した。

だが、検察側は今回の報告書でそれは「現実的にありえない」と強く否定した。

技術的にありえないとか、時間的にありえない、といった言い方は方便としては可能かも知れないが、現実に向かって「現実的にありえない」とはどういう意味か、日本語の理解に苦しむ。

このところ検察庁内での不祥事が続いているが、ひょっとするとこうした不適切な日本語(言葉)をおかしいとも感じなくなっている感覚がそのベースにあるのかもしれない。

いや、それだけではない。捏造を認めたら、次はそれを誰が指示したかを世間から問われることになるのを怖れ、組織防衛のために嘘を承知で突っぱねていると考えるのが妥当か。

それにしても警察が袴田さんを容疑者として逮捕したのが1966年のこと。彼が死刑判決を受け、その後冤罪が明らかになり、無罪判決が確定するまでに58年がかかっている。

さすがにそこまで時間をかけてもらっては困るが、もう少しじっくり本気で検証をすべきだろう。自分たちのやった誤りはこれでさっさと幕引きとするつもりなのだろうが、国民の信頼はそれでは回復しない。

2024-12-20

一人当たりGDPから考える

今年の年初、日本が名目GDPでドイツに抜かれたというニュースがあった。日本は4兆2106億ドル、ドイツは4兆4561億ドルだった。

それは意外なことではなく、というのも、日本の人口は減少傾向にあると言えどまだ1億2400万人もいる一方、ドイツの人口は8400万人で日本の3分の2。ずっと以前から、一人当たりのGDPではドイツは日本を越えている。

その一人当たりGDPで、一昨年に日本は韓国を下回った。さらに、今年は台湾を下回ったとの試算が出た。推計では、韓国や台湾との差は、これから年を追うごとに開いていくと見られている。ちなみに日本の2024年の実質経済成長率は、アジア・太平洋地域の18ヵ国のなかで唯一マイナス成長になる見通しである。

こうしたわが国の労働生産性の低さについて、ある種の識者と言われる連中は日本が取るべき対応としてDXの推進とリスキリングをあげる。それで問題が解決すると思っているのが実に愚かに見える。

考え方や発想、戦略的な思考を大胆に変えることなく、ただ人の手をデジタルに変えてもたかが知れている。すぐにその生産性向上の効果は逓減していく。

また、リスキリングと彼らが呼ぶものも同様。そもそもリスキングとは何なのかが不明なまま言及されている。リ・スキリングで具体的に何を学び直すのかが語られないまま、イメージだけでもっともらしく吹聴されているのが不思議でならない。

大切なことは、誰が、何を、どういう目的で、どう学び、どういった成果に結びつけるかを明確にしてからスタートしなければならないことであるのは明らかなのに。

まるでアスリートに対して、スポーツ選手なんだからとにかく体力を鍛えよ、と言っているようなもの。スポーツ選手と言ってもマラソンランナーなのか、卓球の選手なのか、ウェイト・リフティングの選手なのか、それぞれトレーニングの内容はすべて個々に異なるはず。

バカの一つ覚えで、何かあればすぐリスキリングが重要と口走るみっともなさに、いい加減辟易する。

日本経済の歯車がギシギシと軋み、やがてかみ合わなくなってきたその原因はどこにあるのだろう。経済の歯車はかみ合わずうまく廻らないだけでなく、安倍政権以来の巨額な国債の発行で借金だけが積み上がっており、やがては首が回らなくなる。

植田日銀総裁は、昨日の金融政策決定会合後に「利上げの判断に至るまでには、もう1ノッチほしい」と語ったらしいが、そもそも歯車がかみ合っていないなかで1ノッチを気にする方がおかしい。責任回避の煮え切らなさがうかがえる。


このランキングを見ると、残念ながら日本人は決してもう豊かな国民ではないなと思うとともに、海外からの旅行者(インバウンド)を受け入れることはできても、自分たちは海外に以前のように遊びに行けなくなっている状況も納得がいく。

2024-12-15

3日かけてセーターを売りに来る

冬を控えてセーターを何枚か取り出した。これは、ペルーに行った折にクスコの町で買ったもの。

時期が8月だったので防寒など考えることなくペルーに出かけたのだが、現地は標高3400メートルの地。朝夕の冷え込みを甘く見ていた。

マルカパタという村に住む女性がベイビーアルパカの毛で編んだセーターは、なめらかな肌触りでとっても温かい。彼女は編み上がると歩いて3日かけてクスコの町へやってくるのだという。その距離は165キロだから、確かにそれくらいはかかる(東京から栃木県の那須あたりまでに匹敵する)。道中は3,000メートルを超える峠道である。 

マルタパカークスコ

マルタパカの村

マルタパカの村

僕は旅先で土産物を買うという習慣がない。理由は、旅をするときは荷物は最小限にしておきたいということと、土産物を選んで決めるというのが得意でなく、そして時間がもったいないと考えているからだ。

でもお土産ではなく、旅に必要なものを現地で調達することはよくあるし、それらは衣料品や小物、薬まで、旅から帰っても十二分に活用している。手に取るたびに旅の思い出が蘇り、懐かしい気持ちにしてくれる。

2024-12-14

シリアとライスプディングと豊島美術館

親子2代にわたる独裁政権によって国民に対する圧政が続いていたシリアのアサド政権が崩壊した。

アサド政権に抗する反政府活動は長年続いていたが、今回はシリア解放機構(HTS)率いる反政府勢力が一気にダマスカスに入城、政府省庁や刑務所、国営放送局などを陥落させた。

長年の願いだったのだろう、市民らが心からアサド政権の終焉を喜んでいる映像が伝わって来た。ここでも前大統領の像が市民によって引き倒され、人々が喝采と雄叫びを上げていたのが印象的である。

後ろ盾だったロシアがウクライナの戦線に軍事力を注力せざるを得なかった状況を捉え、電光石火の10日間の攻防で首都を制圧したわけだ。

アサド政権の元でのシリア経済は悲惨な状況だった。かつて日産60万バレルを超えていた石油の生産は設備の老朽化などのせいで20分の1の3万バレルまで落ち込んでいた。代わりに外貨を稼ぐ手立てとなっていたのが麻薬の製造といった始末だった。 

シリアの人たちと親しく付き合っていた時があった。1980年代前半、浜松町の竹芝桟橋近くのマンションに住んでいたとき、一時、同じマンションにシリア人が10人ほど暮らしていたのである。

ある日、建物の管理人室の前で何やら揉めている様子があり、たまたま通りがかって通訳のようなことをしてやったのが、彼らと知り合ったきっかけだった。それから、彼らが日本で暮らすうえでのちょっとしたことを求められてアドバイスするようになった。

彼らは田町のNEC本社で長期研修を受けるために来日していた、シリアから派遣された通信関係のエンジニアたちだった。日本語はおろか英語もままならない人たちもなかにいて、人ごとながら日本にいる間は仕事の面でも生活の面でもさぞ大変だったと思う。

ある週末のこと、部屋のドアをノックする音に扉を開けてみると、スカーフ(ヒジャブ)を被ったシリアの女性がふたり。たいていは相手に助けを求めるような何か困ったような顔をして現れるのだが、その日はなぜかニコニコしている。で、自分たちの部屋まで一緒に来てくれという。

彼女らについていくと、そこではシリア人たちが車座になって座っていた。研修が終わる日が近づいているのだという。そうした気持のゆとりも手伝ってか、僕にこれまでのお礼を言いたいというので招いてくれたのだ。

そこで彼らにライスプディングを饗された。といっても、その時はそれが何かまったく分からなかった。目の前に出された大皿には白いかたまりがこんもり盛り付けられていて、それを好きなだけ自分の皿に掬って食べるよう勧められた。

初めて食したライスプディングはとても甘く、さらにミルクの匂いのする米粒の食感に最初戸惑ったのを覚えている。

シリアのニュースを見る度、竹芝桟橋近くのマンションの小さな一室で車座になっていたシリアの人たちの顔を思い出す。

そして、瀬戸内海の豊島に帰郷した折、近くの豊島美術館まで朝の散歩に行ったときには、あのこんもりと大皿に盛られたライスプディングを思い出すのである。

豊島美術館

2024-12-08

銀行のいい加減な調査を問う

三菱UFJ銀行の社員が、顧客が契約している貸金庫から4年半にわたって金品をちょろまかしていた。

発覚したのは、貸金庫を利用していた客が何かおかしい、変だぞと気づいて指摘したことからだったらしい。


銀行側は、被害件数は約60人十数億円と説明している。と同時に「すべての支店の緊急点検を実施。2支店のほかに被害は確認されなかった」としているが、腑に落ちない。

被害者の数がはっきりしていないような杜撰な社内調査であるにもかかわらず、「ほかに被害は確認されなかった」とは人を馬鹿にした説明である。

いったいどうやって点検したのか。盗みの被害がなかったかどうかを完全に把握するためには、貸金庫の利用者すべてに中身を各自で点検してもらう必要があるはず。銀行預金の口座情報と違って、貸金庫の中に何が入っているかは利用者本人しか分からない。

三菱UFJ銀行はそれをやったのか、やってないのではないか。にもかかわらず、早々とほかに被害は確認されていないなんて公表して、とにかく火を早く消したいのだろうが、言っていることの筋が通っていない。

その銀行員は4年半も盗みを気づかれずにやってたんだから、他のボックス(貸金庫)からも札を抜き取ってた可能性は充分考えられるだけでなく、他にも同様の輩がいてもおかしくない。

また、10億円(!)をこえる大金が盗まれておきながら、その犯人の名前を公表しないのはなぜなのか? 自分たちは日本を代表する大銀行で、その大銀行からその社員は懲戒解雇されたのだからもうお仕置きは済んでいるとでも考えているのだろうか。

世間の常識からはずれた特権意識である。

2024-12-07

学者と夫の距離

住んでいたマンションの火災で、政治学者の猪口孝氏とその家族の方が亡くなったという報があった。

彼のパートナーは同じく政治学者で現参議院議員の猪口邦子氏で、世間では彼女の方がよく知られた存在かもしれない。

仲の良い夫婦で、夫の孝氏はさまざまな面で妻の邦子をサポートしていたと聞く。それは大変結構なことだと思うのだが、報道された記事のなかにどうにも理解し難いところがあった。

それは、彼が政治家である妻を支援するなかで、しばしば周囲に「どうしたら邦子は総理大臣になれるでしょうか」と尋ねていたという点である。

邦子自身が一政治家として、総理大臣になりたいというのはあるだろう。しかしだ、一国の宰相にはそれなりの器というものが必要である。それが彼女にあるか。多くの人から好かれるキャラクターの持ち主のようではあるが、彼女の言動にはどこか浮世離れしたところがある。

孝氏は、その業績から日本を代表する国際的な政治学者であることに間違いはない。僕が首を傾げてしまうのは、政治についてこれまで何十年も研究してきたその専門家が、他でもない猪口邦子を「日本の総理大臣に」と願うに至る発想である。

そこにあるのは、親バカならぬ夫バカの個人的な感情のみ。その思いの前に、学者としての客観的な判断力が完全に失われてしまっている。

だが、それは猪口孝氏だけが特殊だったというわけではなく、机の上だけで学んできた専門家たちに往々にして見られる一つの特性かもしれないけどね。

2024-12-03

石岡瑛子 I デザイン

最近の広告は面白くない。形だけ整えているだけで、表現としては死んでいるも同然。

まだ作り手の中には意欲を持ち、ビジネスの手段としての広告と表現物としての広告のせめぎ合いを買って出る志のある人もいるはず。しかし、企業(広告主)のなかからそうした度量と知性のある人間がいつの間にか消えてしまったようだ。

スマホのちっぽけな画面のなかですべてを満足させられてしまっているうちに、思考も視野も拡がりをなくしてしまったというのもある。

つまんねーなー、と思っていた矢先、石岡瑛子(1938-2012)の回顧展(石岡瑛子 I デザイン)が兵庫県立美術館で開催されているのを知り、なんとか会期の最終日に三宮の県立美術館へ足を運んだ。

彼女はグラフィック・デザイナー、アート・ディレクター、衣装デザイナー、プロダクション・デザイナーと、広告だけでなく書籍や雑誌の装丁、商品のパッケージデザイン、映画や舞台の衣装、同じく映画や舞台の舞台美術全般にわたる、アートに関しての幅広い実に多種多様な仕事をしている。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

そうした膨大な仕事量を沸き立つような熱量で精緻にかつ大胆に仕上げているクオリティの高さには目を見張る。

今回の展示品は60年代から80年代の広告と出版に関するものが多かった。さすがにパルコの一連の広告に添えられたコピーは今ではすっかり古くさいが、石岡のアート・ディレクションは今でも刺激的だ。






2024-11-27

気球で成層圏に行ける

風船から大型気球へ。そしてゴンドラから気密性キャビンへ。だけどやっている基本は同じ。

7年前にラジオ番組でインタビューした岩谷圭介さんが、テレビ番組に取り上げられていた。


ぼくはその後の彼の動向をまったく知らなかったのだけど、彼はその仕事を着実に発展させ、いまはベンチャー企業の経営者としてやっぱり宇宙を目指していることを知って嬉しくなった。

2017年に話をうかがったとき、彼は風船にカメラを載せて1万メートルの高度から宇宙の写真を撮っていると言っていたのが、いまはキャビンに人が乗り込み、2万メートルの高さまで飛ぶ。

静的浮力を持つヘリウムを使って空に向かう気球は、基本的には無音のはず。世界には宇宙観光の実現を目指すロケット・ベンチャーがいくつもあるが、無音の気球を使って宇宙へ上がっていく岩谷さんのプロジェクトが宇宙の神秘性をもっとも高めてくれるのは間違いない。楽しみである。

「木村達也 ビジネスの森」ゲスト 岩谷圭介さん<前編> 

2024-11-26

斎藤的なるもの

斎藤元彦氏が兵庫県知事に再選したとき、兵庫県庁の職員は県民からずいぶん嫌われているんだろうということは容易に察しがついた。

県職員への不信や反感が、斎藤支援に向かった。つまり斎藤への投票のベースにあったのは、敵(県庁職員)の敵(斎藤)は味方、というシンプルな感覚であり、兵庫県の有権者にとって政策論争がどうだなんて、ほとんど関心がなかったと推測せざるを得ない。そして、それが彼らの民意だった。

と思ってたら、PR会社の女社長が出てきた。突然の登場だ。これで世間がまた騒ぎ始めた。斎藤は「彼女はボランティアだった」なんて白々しいこと言っているようだが、辻褄が合っていない。

斎藤の主張は「公職選挙法違反となるような事実はないと認識している」だ。知事選の前に県職員に対して行った所業の是非を問われた際に彼が使った論法とおなじだ。

PR会社の女社長Oはサイトの内容を削除したり加工して問題がなかったようにつくろいながら、姿はまったく見せない。コミュニケーションに関わる仕事をしているにもかかわらずだ。

いまは斎藤陣営から様々な懐柔策を持ち込まれているのだろう。SNSへの書き込み内容を嘘だったと証言する代わりに、「ほとぼりが冷めたら県からの仕事をしっかり用意するからさ」とか。で、O社長は、その路線にのった発言を持って姿を見せるような気がする。あとは、警察と検察がそれにどう対応するかだ。

いつまで続くのか、斎藤劇場。公僕の親玉としてちゃんと仕事しなきゃだめなんじゃないのかね。


それにしても、このところあちこちでこうした「斎藤的なるもの」が跋扈しているのが気になる。

2024-11-25

Customer Harassment は、本来は「顧客への嫌がらせ」

誰が言い始めたのか、顧客による店頭での迷惑行為(言動)が「カスハラ」と呼ばれるようになった。カスタマーハラスメントを縮めた新語である。

その後、「カスハラ」が市民権を徐々に持ち始めると、企業は店頭での客から店員への暴言や嫌がらせだけでなく、店あるいは企業が迷惑だと考える客による行為を「カスハラ」と呼ぶようになった。例えば、コンビニの店頭に若者たちが集団でたむろしている状態やゴミの投げ捨てなどである。

そうした行為を「カスハラ」と呼ぶことで注意を喚起して止めさせようという考えである。迷惑だと思うのであれば、自らが相手に対峙して注意をすればいい。それができないから、「カスハラ」の社会的話題に乗じて圧力をかけて自分らにとっての問題を解決しようとしている。

今年の10月、英国のFinancial Times は東京都がハラスメント防止の条例を発布したのを記事にしているが、そこでは下記のように、顧客からの迷惑行為は customer nastiness、日本のカスタマーハラスメントは "kasu-hara" と表記されている。 

Officials in the Japanese capital are drawing up guidelines to accompany the new ordinance, which was passed by the metropolitan assembly last week to tackle customer nastiness known by the abbreviation "kasu-hara".

日本で用いられているような意味で「カスタマーハラスメント」が用いられている例は、海外では極めてまれ。つまり、これもまたガラパゴス現象のひとつと言える。

同様に、学術論文に customer harassment という言葉が登場するのも、ごくわずか。そのなかのひとつ、P. Kotlerと並ぶマーケティング界の泰斗であるJ. N. Sheth が、2001年の彼の論文のなかでcustomer harassment という言葉を用いていた。

それは、その頃台頭していたEメールをツールとしたマーケティング手法に関しての内容で、企業から顧客に向けて発信される大量のセールス・メールをcustomer harassment、つまり顧客にとっての迷惑行為と表現したものだ。

「カスハラ」はコスパやタイパと同様、日本ならではの用語法なのである。

2024-11-24

谷川俊太郎のすがすかしさ

先日亡くなった谷川俊太郎さんは、1982年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが、辞退している。彼は民間からの賞はたくさん受けているが、国からの褒章は何も受けていない。

日本芸術院会員にも推されたけど、それも辞退した。そんなことを誰にも話さず、相談もせず、まるで通りがかったスーパーの試食コーナーでソーセージか何か勧められ「ぼくはいいよ」と断るように。たぶんね。

谷川さんのすがすがしさは、そうした決して国家に依らない、つねに自由で、すっと立っている姿にあった。

「お上」から褒章めいたものを目の前にぶら下げられると、それだけで嬉嬉として尻尾をふる人が世の中の大半だけど。

2024-11-22

アルバイト、これも立派な経験だ

最近よく耳にする言葉に「闇バイト」がある。不法アルバイトといった意味か。

行われているのは、数万円から数十万円を奪うがために民家に押し入り、人を傷つけたり、時に殺したりしているネット上で告知されている「アルバイト」である。

なんてバカな行為、なんて愚かな奴ら。金額の問題じゃない。奪う金額が10億円だったら理にかなっているというようなことではない。奥にいる薄汚い悪い奴らに乗せられ、ただの兵隊としてやってはいけないことを命がけでやらされている、間違いなくどうしようもないアホな連中。

犯行後に捕まったある若者は、「税金の滞納額が数十万円になっていると言われた」ことから、割のいいバイトを探したところ、X(旧ツイッター)で一晩15万円というアルバイトを見つけて応募したと言う。

このマヌケが。何の才能もない若者が一晩で15万円稼げるアルバイトなんてのは、体と精神をボロボロにされる身を売る仕事か、犯罪の手下しかないだろう。他に何がある?

そうしたことは、普通のアルバイトをやった経験があればサルでもわかるはず。自分の「相場」を否が応でも知らされるから。それを知っておくことは、人としてとても大切なことなんだよ。

深沢七郎が、以前、こんなことを書いていたね。

質屋へ行ったことがないなんて人は、ダメ。アルバイトをやらないなんて人は、ダメ。1日働いて、いくらってこと知ったら、三島由紀夫、ハラ切らないよ。

昔に書かれたものだから、質屋なんてのが出てきている。ボンボン生まれで金の苦労を知らなかった三島を揶揄した言い方になっているが、当を得ている。

Tシャツにジャケットは似合わない

先日なくなった谷川俊太郎さんは、いつもTシャツ姿だった。自宅でくつろぐ姿はもちろん、講演会などでも同様。Tシャツ以外ではスタンドカラーのシャツ、あるいはハイネック。ぼくは、彼がワイシャツのような普通の襟の付いたシャツを着ているのは見たことがない。


どういった考えがあったのかは知らない。聞いたことも、読んだことがないから。ただ、谷川さんにはTシャツがよく似合っていた。彼のその存在のあり方そのものだった。

ところでTシャツと云えばいつからだろうか、ジャケットの下に直接Tシャツを着る人たちが現れた。圧倒的に若い男性が多いように思う。あるいは、若さを気取っているそれほど若くない男たちも。

とりわけ、起業家を自称する男たちやネット系ビジネスの経営者たちは、まるで決まったようにジャケットの下はTシャツのインナーである。しかも足下を見るとストレートチップの革靴だったりして。スタイルというものがまるでないみっともなさである。

Tシャツの持つカジュアルさを若さを示す記号として使い、その一方でジャケットを着てビジネスマンとしての「きちんとさ」も年配者相手に示さなきゃという、どうにも中途半端な折衷思考だ。

何を着ようが人の勝手なんだけどね。ただ、ぼくには彼らの首すじあたりが汗臭く、昔から不潔に見えてしかたない。

スティーブ・ジョブズは黒のTシャツかタートルネック(スタンドカラー)が決まりだったが、決してその上にジャケットを羽織るなんてダサい着方はしなかった。

2024-11-21

不適切にもほどがある

ドラマのタイトルではないが、不適切というか不適格というか、ここまでやるかとその振り切った姿勢に驚いた。ドナルド・トランプ次期米大統領の次期政権人事案である。

個々の人物について私自身は詳細に知るところではないが、報道されている内容(起こした事件)などだけでも明らかにどうかと思う。


アメリカはどうなっちゃうのか。この調子でいくとかの国で現れるのは、第一次大戦後のドイツで拡がったアナーキズムに違いない。それは、確実な秩序崩壊である。

2024-11-20

谷川俊太郎さんが亡くなった


先週、谷川俊太郎さんが亡くなった。92歳。ひとは生まれ、ひとは死ぬ。いつかはと思っていたが、いつかはと思っていたが。5年ほど前、横浜で彼が話をするのを聞いたのが最後になった。

 
谷川俊太郎&武満徹「死んだ男の残したものは」

2024-11-14

嘘つきは、警察チョー幹部の始まり

毎日新聞によるスクープ。11月13日朝刊 

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大川原化工機事件 警察庁幹部「やるな」 消えた警視庁の検証アンケート

 化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の社長らの起訴が取り消された冤罪(えんざい)事件で、警視庁公安部外事1課が起訴取り消し後の2021年8月、捜査の問題点を検証するアンケートを捜査員に実施していたことが判明した。だが、アンケートの存在を知った警察庁幹部に外事1課長(当時、以下同じ)が叱責され、課長は「回答は廃棄した」とこの幹部に報告したという。捜査員にも回答は共有されず、アンケートが生かされることはなかった。
 大川原化工機の社長ら3人は20年3月、軍事転用可能な装置を不正輸出したとして、外為法違反容疑で逮捕、起訴された。しかし、東京地検は初公判4日前の21年7月30日、起訴内容に疑義が生じたとして起訴を取り消した。
 複数の捜査関係者によると、起訴取り消しを受けて、21年1月に着任した外事1課長が検証作業に着手した。当初は会議形式で意見を出し合おうとしたが、捜査を問題視していた一部の捜査員が「記録に残らないのはよくない」と反発。文書として残るアンケートで行うことになった。
 アンケートは起訴取り消しの翌月、事件を手掛けた公安部外事1課5係の捜査員(他部署に異動した人も含む)を対象に行われた。毎日新聞は関係者からこのアンケートを入手した。質問部分はA4判2ページ。冒頭で「未来志向型の検証」とうたい、「今回検証した結果が将来の我々の捜査に寄与できるよう、“今後の捜査のあり方はどうあるべきか”について、思いの丈を述べていただきたい」と記されている。
 質問は5項目あり、立件に不利な「消極証拠」が存在したのか▽(輸出規制を担当する)経済産業省や地検との関係はどうだったのか--などについて尋ねるものだった。こうした質問は、捜査を指揮した5係長の後任が作成したという。
 無記名式で回答を求めたところ複数の捜査員が「(警察官の懲罰を担当する)監察で調査すべきだ」と記した。大川原化工機の製品が輸出規制品に該当するとした公安部の法解釈に経産省が否定的だったことや、輸出規制品との判断根拠になった公安部の温度実験に不備があったことなど、捜査の問題点を詳細に記した捜査員もいたという。
 ところが関係者によると、このアンケートの存在を知った警察庁外事情報部長(当時、以下同じ)が「何をやってるんだ」「そんなことはやるな」と外事1課長を叱責したという。結果が外部に出る可能性を懸念したとみられる。
 外事情報部長は外事1課長の直属の上司ではないが、全国の外事事件を監督する立場にある。さらにこの部長は、社長らが逮捕された際は警視庁公安部長を務めていた。外事1課長はこの叱責後、回答を廃棄したと部長に伝えた。現在、外事1課にアンケートは残されていないという。
 その後に警察を退職した外事情報部長は取材に対し、アンケートや叱責について「時間がたっており、私の記憶には残っていない」と述べた。
 警視庁は取材に、大川原化工機側が起こした国家賠償請求訴訟が続いているとして「お答えを差し控える」とした。
(11月13日東京版朝刊1面)

・・・だとさ。

公安部外事1課は自分たちの捜査の問題点がどこにあったのか検証するため、アンケートを捜査員に対して行った。自らの問題点を反省するためにそれが必要だと考えたわけだ。

それに対し、大川原化工機の社長らを逮捕した際に警視庁公安部長を務めていた外事情報部長がイチャモンをつけ、アンケートを廃棄させた。それによって、せっかくの貴重な反省と学習の機会が握りつぶされた。

警察庁外事情報部長はその後、警察大学校の校長になった(その後まもなく退職)。

わずか3年前の事件にもかかわらず、その元警察庁幹部は自分の行為を「記憶には残っていない」って。なんという鉄面皮ぶり。20万人を越える全国の現場警察官たちが苦笑いしている。 

この冤罪事件では、無罪だった大川原化工機の人がひとり、勾留中に必要な治療を受けられず亡くなっている。それでも反省を拒む警察官僚というのは何なのだ。

2024-11-01

カミソリの切れ味

東京電力の社長・会長をつとめた勝俣恒久が84歳で亡くなった。社内で「カミソリ」や「天皇」と呼ばれていた人物である。

カミソリと人が例えられるとき、そこにはいくつかの含意がある。頭がものすごく切れる、経営者として容赦なく人を切る(クビにする)、ものごとの判断が極めて合理的(情をはさまない)などだ。

さてこの経営者はどの意味で「カミソリ」と言われていたのか。

彼はフクシマ第1原発の事故の責任を問われた2018年の公判において、「知りません」「記憶にありません」「技術的なことは分かりません」と繰り返した。確かに冷たく、人を寄せ付けない鋭利さがあった。

そのように裁判では「技術的なことは分からない」と言い逃れを続けたが、原発事故が起こる7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理。あなたは専門家でないし、考えすぎだ」と一蹴した。

まるで自分は技術が分かっている専門家であるかのような、上から人を見下した態度だ。

非常用発電機を地上に移すことをしなかったため、2011年3月、発電機が水没して電源喪失→注水・除熱機能の喪失→格納容器の損傷→水素爆発→メルトダウンが発生した。そして、電源の喪失は、照明、通信、監視・計測のための手段も完全に奪った。

フクシマの原発事故が<天災>ではなく、東京電力の経営者による<人災>とされる所以である。

勝俣は従業員3万8000人を擁する東電グループの頂点にあり、まさに「天皇」として長きにわたって君臨してきた。東電のような役所根性が根深い企業では、彼のような人物に対して社葬を行って社会的に弔うのが通例だが、新聞発表によると「葬儀は家族で行った」「お別れの会は予定していない」。

世の中には「カミソリ」と称されて内心喜びを感じるタイプの人間と、その真逆の反応を示すタイプがある。写真で見る限りこの男は、明らかに前者だ。

鋭利すぎて、人としての感情も関係性も最後はすべて切り刻んでしまったようだ。

2024-10-19

V字回復という欺瞞

企業経営について議論をしていると「V字回復」という言葉がときおり登場する。V字回復は、辞書によると「一時は落ち込んだ業績や相場などが、V字形に一気に回復すること」とある。

巷でV字回復した例としてしばしば挙げられるいくつかの企業名がある。

    日本マクドナルド
    日本航空
    良品計画
    日産自動車
    マツダ
    森永製菓
    ジャパネットたかた
    ゼンショー
    パナソニックホールディングス
    ユー・エス・ジェイ、などだ。

だが、上記の企業において落ち込む一方だった売上のトレンドが上向きに変わったあと、それらの企業の業績が今現在どうなっているが気になる。

一時的に売上あるいは利益を好転させるのは難しいことではない。例えば安売りを集中的に行えば通常売上額は上がる。しかし利益が一緒にあがるとは限らないだけでなく、店頭での価格が低位で固定されるリスクもある。また人件費や研究開発費、マーケティング費を削ればその分の利益が増すが、中長期的な競争力を自ら削ぐことにつながる。

だからこそ、重要なことはV字回復そのものではなく、根幹のところで競争力を組織が身につけることだという方向へ議論は進む。

V字回復した企業において、気がつけばまた売上や利益が下降線をたどっているという例は少なくない。というか、回復したからといってそのまま半永久的に右肩上がりを続けられると思う方がおかしい。

典型例の一つが、6年前にカルロス・ゴーンが去ったあとの日産だろう。ゴーンは、倒産寸前で青息吐息だった日産に着任するや、生産工場を3つ閉鎖するなど大胆なコスト削減をおこなって見事「V字回復」を遂げた。たしかに一時的には。だが問題は、カンフル剤の効果が切れてくるその後だ。

後継の経営者たちがとった戦略は大きく狙いが外れ、その結果はいまや死に体の同社を見ればあきらか。「V字回復」がもたらす誤謬である。

立って読むか、座って読むか

地中海にあるマルタ島で行ったレストランのトイレ。

男性用と女性用がふつうに並んで設置されている

よく見ると、扉のピクトグラムに新聞らしきものを持った人物が描かれている。

なかなか難しい姿勢だ

こちらは問題なし


トイレの中では新聞にちゃんと目を通せ、というメッセージかね。

2024-10-14

AIコピーライター登場

電通が、明日からラジオCMの制作費を半額にするというサービスを始める。ChatGPTをベースにしたAIに、過去のラジオCMのコピーを一万件ほど学習させることで広告コピーを書かせる。

すでにオフィスの中で、AIが会議や打合せの議事録をまとめたり、プレゼン資料をつくったり、企画案を練ったりしている時代、そのうち広告会社のクリエーターの9割は世の中から消えていくと思っていたら、やはりその通りになってきた。

それにしても、コピーをAIに書かせるというだけで制作費が一気に半額になるとは、どういうことだ。もともと制作費をどれだけ上乗せして広告主に請求していたのか、ということになる。

いずれコピーだけでなく、ナレーションもAIが、広告にかぶせるBGM制作もAIが、SE(効果音)もAIが、そして編集やダビングもすべてAIがやってくれるはず。ラジオCMはテレビCMと違い、基本的にロケなど必要ないのでAI向きなのだ。

となれば、広告会社にCM制作を発注する必要などなくなる。それなりのスキルとセンスがある社員がいれば、広告主が社内でささっとつくれる。

今回の新サービスには、それが分かってて一刻も早く手を打たなければという代理店側の思わくが見える。

2024-10-13

政治家は目と口だ

政治家は「目」と「口」だと思っている。

人として何を考えているか、政策立案能力はあるか、倫理観はあるか、リーダーシップはあるか、などなど、国民の視点で判断基準とするものは数多いが、いかんせんそうしたものは外から見えづらい。

だが、テレビやネットの画面上に映る彼らの「顔」は一目瞭然だ。そのなかで一番相手を引きつけるのは、間違いなく目。目にどれだけ力があるか、目が光っているか、誠実さを映し出しているか、それとも常に何かを隠している目か、われわれはほぼ直感的に理解する。

そして、現総理大臣のように目が死んでいる場合、つまりそこから多くのことを感じられない場合、われわれの目は彼らの口に向く。真実を語っている口か、情熱をもって相手に思いを伝えようとしている口か、人間としての清潔感を表している口か。

石破首相の場合、目が死んでいる。そして口元が不潔。どうする。

2024-10-09

試合終了のゴングは鳴ってる

いわゆる袴田事件で、最高検が控訴をあきらめた。事件が起こって58年、容疑者とされた袴田巌さんに死刑判決が出て44年が経っている。その間、彼は日々、次の朝には死刑執行が下されるのではないかという恐怖のなかにいた(はずだ)。

今年7月に検事総長になった畝本直美は、袴田さんの無罪を言い渡した再審判決を「多くの問題を含む承服できないもの」「強い不満を抱かざるを得ず、控訴すべき内容だ」という異例の談話を出した。

初の女性検事総長として内部に向けて強いところを見せたかったのだろうが、客観的に見れば事実関係を理解していないとしか思えない。自分たちの権威を守らんがために往生際の悪いおかしな言い訳を繰り出すのはためにならないという事が分からないのだろうか。目が組織の内側にしか向いていない。

58年前の事件発生後、袴田さんは突如逮捕された。当時の捜査記録には「ボクサーくずれの被疑者を検挙し、県警の威信を高揚した」と記されている。なんたる職業的偏見かと呆れ果てる。

また捜査記録によると、犯行時間帯に現場付近を27人と120台の車両が通っていて、無灯火で走った車や止まっていた車2台もあったが、すべて究明されないまま警察は容疑者を袴田さんに絞り、袴田さんが犯行に及んだ動機を金目当てとした。なぜなら、袴田さんが怨嗟をもとに被害者家族4人を殺害する動機が見つからなかったからだ。

しかし、被害者宅で貴金属などの入ったタンスなどに物色跡はなく、多額の貯金通帳は手つかずのままだった。警察側が考えた犯行動機はまったく一貫性を欠いていた。やがて、捜査機関が捏造したとされる衣類5点が、事件から1年以上もたって味噌だるから発見される。

繰り返すが、今回、検事総長は既に無罪判決を受けている袴田さんを今も犯人視し、判決を「承服できない」「強い不満」と述べた。どの面下げてそんなことが言えるのか。試合終了のゴングが鳴ったあとも、ジャブを打ってきている。検察庁は有罪立証の判断の誤りを自ら率直に認め、袴田さんにきちんと謝罪すべきだろう。

畝本は女性初の検事総長ということで、組織の大方を占める男たちの批判を避けるためにいっそう強硬的姿勢を取ったのかもしれないが、それだとしても許されることではない。定年を数年後に迎える彼女は、検事総長として社会正義を守ることより今自分がいる組織の中で「仲よく(攻撃されずに)」やっていくことしか頭になかったわけだ。

https://www.kensatsu.go.jp/kenjisouchou/

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(付)

検事総長の談話は次の通り(全文)(令和6年10月8日)

○結論
 検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。

○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
 本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。

○静岡地裁判決に対する評価
 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

○控訴の要否
 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。

○所感と今後の方針
 先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。
 最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。

以上

2024-10-07

奇妙な人権説

元文部官僚の前川喜平氏が、石破茂が唱える日本国民にとっての人権説を書いていて、その内容に驚かされる。


人権というものは、人が人であることによって与えられているものだと思っていたのだが、新しい総理大臣はそう考えてはいないようだ。国家権力の意に沿わない者は国民としての義務を果たしていないと判断し、そこに人権はないとする。
 
そんな考えの人物が国家の最高意思決定者に就いてしまった、なんという危うさ。

2024-10-05

NHKはカスハラを勘違いしている

東京都議会で、カスタマーハラスメント(カスハラ)の防止に向けた条例が全会一致で可決したというNHKのニュース。freeeという都内にあるネット企業の顧客からその会社の窓口にかかってきた電話の録音が番組内で紹介されていた。

その乱暴な話し方の方に意識が向いてしまうので、音声を消してみた。通話の内容は画面に表示されているとおりだ。

NHKの画面作成担当が何を思ったのか、ご丁寧に文字を躍らせるような演出をしているのが余計だが、この客が言っている内容そのものが果たしてハラスメントにあたるものだろうか。

ぼくには、彼が相手(企業の担当者)を傷つける暴言を吐いたり、彼(女)のプライバシーを犯すことをしているとは思えないのだ。彼は、ただとにかく腹を立てて、猛烈に怒ってどなっているだけだ。いささか常軌を逸しているが。

私が気になったのは、電話で強烈な苦情を言っているこの客がなぜこれほどまでに怒っているだろうということ。ここまで彼に強い怒り引き起こした原因が必ずあるはず。それを知りたいのだが、何も説明はなし。番組内で客の音声を流し、これはカスハラだ、と決めつけているだけ。報道としては片手落ちで明らかに配慮に欠けている。

先の都条例では、カスハラを「顧客から就業者に対し、業務に関して行われる著しい迷惑行為であって、就業環境を害するもの」と定義している。

また現在では、一般的な定義として、カスハラとは「顧客や取引先が立場を利用して店員や公務員に暴力をふるったり、理不尽な要求をしたりする迷惑行為」とされている。

例えば店員に土下座による謝罪を求めるなどは、明らかに就業環境を害する迷惑行為といえる。だが、このfreee社への電話で男が言っている内容は、そうしたものとは異なる。

この男性キャスターは、客からの通話の音声を紹介したあと、「こうしたカスタマーハラスメント、いわゆるカスハラを防ぐ全国初の・・・」と、さも当然のように言ってるが、自分の頭ではものを考えていない典型だ。

東京都は議会での制定を受け、本年度中に対策を盛り込んだ指針を示すとしているが、さてどんな指針が役人から提示されるのか。また、それを社会はどう受け取るのか、興味があるところだ。

そもそも暴力や暴行はハラスメントではなく、違法行為。それが誰からであろうが、警察にすぐに通報すればいい。スタッフが我慢する必要も、また我慢させられる必要もない。

また理不尽な要求に対しては「ノー」とはっきり言うことだ。ここにもハラスメントの入る余地はもともとないはずである。

僕自身は、カスハラ(Customer Harassment) という 、日本独特の概念がこれほど一般化するところに現在のこの国のオカシサを強く感じるとともに、日本企業が提供するサービスの品質が全体的に明らかに低下していることが一方で気になっている。

先日、あるカード会社が送って寄こしたサービス改定の文書に不明な点があり、問合せをした。電話番号をその企業のサイトで探したが、なかなか見つからない(見つからないようにしているとしか思えない)。やっと見つけて電話したら「ただいま電話が大変混み合っており・・・」で通じない。

何度もかけ直してやっと通じたら、「本人確認」とやらで、姓名、本人かどうか、生年月日、住所、引き落とし先の銀行名と支店名を言えと言われた。確認したかったのは彼らが送ってきた文書に印刷された文言についてであって私個人の取引内容とはまったく関係がないのだが。

しかたなく「名前は・・・、住所は・・・」とすべて答えてゲートキーパーは越えたものの、こちらが求める回答を出せる担当にはたどり着けない。なんとももどかしい。やっとそれらしい部署に電話が回っても、担当者が席を外しているので後でかけ直させるといわれ半日以上待つも一向に折り返しがないままその日が終わってしまったーー。 

自分たちが客に送った手紙の内容について問われ、容易に回答ができない。これをお粗末といわずして何という。

文書の発送日を9月吉日とするものどうかと思う。結婚式の招待状じゃないんだからさ。 日付を書けよ。

2024-10-04

社員の幸福は何がもたらすのか

2023年3月期から、日本の上場企業は有価証券報告書への人的資本に関する数値の開示が義務づけられた。

その背景の一つには、幸福度の高い従業員はそうではない者たちに比べて創造性や生産性が大幅に高く、欠勤率や離職率が低いというデータがあるようだ。

そこで、企業の経営者は社員の幸福度を高めるようにしなくていけない・・・・と。幸福度が上がる → 創造性と生産性が高まり、欠勤率と離職率が下がる。という図式か。

だがちょっと待った。何をもって「幸福」と感じるかは、人によって千差万別だし、人の気持ちは移ろいやすく、その時々で何に幸福と感じるかは状況次第で変わる。

給料やボーナスの額か、休みの日数か、信頼できる上司か、良好な職場の人間関係か、与えられている役割か、企業の将来性への展望か、オフィス環境か、などその要因はいくつもある。真面目に考えれば、抽象度の高い「幸福」を経営者が満たすのは不可能といえる。

経営者が取り組むべき対象は、社員の創造性や生産性だ。経営者は社員の「幸福」を考える前に、そこで働く人たちが創造性を振るえて効率的に仕事を進められていると感じられる環境をつくることが先決なのではないか。

そうすれば、社員の幸福感はそのひとつの「結果」として現れてくる。

大切なのは、従業員の幸福感だとかウェルビーイングだとか、つかみ所のないフワフワした抽象概念を目標としないことである。

2024-10-02

せいぜい頑張ってくれ、石破君よ

先週末の自民党総裁選、一瞬、高市早苗がトップになりそうな風向きで、「よしよし」と期待していたのだが、最終的には彼女は敗れてしまった。

彼女が自民党総裁になれば、安倍派の流れを継ぐ彼女は裏金問題や旧統一教会の問題で野党から集中砲火を受けることは必至で、結果として高市自民党政権は崩壊するのは間違いなかった。だから、リザード高市が自民党総裁選で負けたのは実に残念。

と思っていたのだが、買いかぶっていたようだ。総理大臣になった石破茂は思っていたほど頑強な人物ではないことがすぐ明らかになった。組閣の内容しかり、あっという間に衆院解散で総選挙など、その自信のなさ不甲斐なさを国民に露呈している。

「納得と共感の内閣」だとか。中学校の生徒会か?

これなら石破も高市と大差はない。せいぜい頑張ってくれよ、石破君。どうせ遠からず引きずり下ろされるんだろうから。

それにしても、石破が日本の総理大臣になったというのに、爆笑問題の太田の本音のコメントが聞こえてこないのはなぜだろう。