僕たちはバッテリーで生きている。といっても、生身の体の中にバッテリーが埋め込まれているという意味ではもちろんない。
先日、電話の子機のバッテリーがへたって交換した。フルに充電してるはずなのに、話の途中で突然回線が切れることを経験したからだ。ハンディタイプの掃除機のバッテリーも交換した。
アマゾン・キンドルが起動しなくなった。死んだのはこれで何台目だろう。たぶん5台目か6台目か?
モーターなどの動作部品は仕込まれてないので、使えなくなるほとんどの理由はバッテリーだ。これまでずっとそうだった。リチウム電池が入っているんだろうけど、こちらは交換不能だから。
どうして交換できないのだろう。バッテリーが交換できなきゃ捨てるしかない。新品購入の費用だけでなく、環境面でも不満だ。
そんなことを考えていたら、スマートウォッチのバッテリーも弱ってきて、日中、気がつくと画面が消えているということがある。何とかしなくては。というか、これもバッテリーの交換が出来るわけではないので、処分するしかない。嗚呼、なんとかならないものか。
強欲な米国企業の買い換え促進策とはいえ、いい加減にしてほしいね。
以前使っていたことのあるシャープ製の携帯電話は、太陽光で充電ができた。クラムシェル(折りたたみ)式のもので、その蓋の部分に太陽光を電気に変えるシートが組み込まれていた。
キンドルは本体(画面)の裏面をつかってそうすべきだ。あるいは、純正をうたうカバーに太陽光シートを貼って本体が充電できるようにしてもらいたい。
身の回りのものの多くがバッテリーで動くようになっている。乾電池の交換ですめば楽でいいのだがそうではない。そのため、場合によってはモバイル・バッテリーとケーブルをバッグに入れて持ち歩かねばならなくなっている。
そして、本体のバッテリーがダメになれば、交換(買い換え)だ。こんなこと、いつまで続けされられるんだろう。そろそろ発想を変えてもいいんじゃないか。