住んでいたマンションの火災で、政治学者の猪口孝氏とその家族の方が亡くなったという報があった。
彼のパートナーは同じく政治学者で現参議院議員の猪口邦子氏で、世間では彼女の方がよく知られた存在かもしれない。
仲の良い夫婦で、夫の孝氏はさまざまな面で妻の邦子をサポートしていたと聞く。それは大変結構なことだと思うのだが、報道された記事のなかにどうにも理解し難いところがあった。
それは、彼が政治家である妻を支援するなかで、しばしば周囲に「どうしたら邦子は総理大臣になれるでしょうか」と尋ねていたという点である。
邦子自身が一政治家として、総理大臣になりたいというのはあるだろう。しかしだ、一国の宰相にはそれなりの器というものが必要である。それが彼女にあるか。多くの人から好かれるキャラクターの持ち主のようではあるが、彼女の言動にはどこか浮世離れしたところがある。
孝氏は、その業績から日本を代表する国際的な政治学者であることに間違いはない。僕が首を傾げてしまうのは、政治についてこれまで何十年も研究してきたその専門家が、他でもない猪口邦子を「日本の総理大臣に」と願うに至る発想である。
そこにあるのは、親バカならぬ夫バカの個人的な感情のみ。その思いの前に、学者としての客観的な判断力が完全に失われてしまっている。
だが、それは猪口孝氏だけが特殊だったというわけではなく、机の上だけで学んできた専門家たちに往々にして見られる一つの特性かもしれないけどね。