2024年11月1日

カミソリの切れ味

東京電力の社長、会長をつとめた勝俣恒久氏が84歳で亡くなった。社内で「カミソリ」「天皇」と呼ばれていたらしい。

カミソリと人が例えられるとき、そこにはいくつかの含意がある。頭がものすごく切れる、経営者として容赦なく人を切る(首にする)、ものごとの判断基準が極めて合理的(情をはさまない)などだ。

さてこの経営者はどの意味で「カミソリ」と言われていたのか。

彼はフクシマ第1原発の事故の責任を問われた2018年の公判において、「知りません」「記憶にありません」「技術的なことは分かりません」と繰り返した。確かに冷たく、人を近くに寄せ付けない鋭利さがあった。

そのように公判の場で「技術的なことは分からない」と言い逃れを打ち続けたが、原発事故が起こる7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理。あなたは専門家でないし、考えすぎだ」と一蹴した。

まるで自分は技術が分かっている専門家であるかのような、上から人を見下した様である。

勝俣は従業員3万8000人を擁する東電グループの頂点にあり、まさに「天皇」として長きにわたって君臨してきた。東電のような役所根性が根深い企業では、彼のような人物に対して社葬を行って社会的に弔うのが通例だが、新聞発表によると「葬儀は家族で行った」「お別れの会は予定していない」。

世の中には「カミソリ」と称されて内心喜びを感じるタイプの人間と、その真逆の思いを持つタイプがある。写真で見る限りこの男は、明らかに前者だ。

鋭利すぎて、人としての感情も関係性も最後はすべて切り刻んでしまった。