2018-10-28
2018-10-25
十五夜の月
最初に撮った一枚が次の写真だ。2420万画素あれば、月面のクレーターの凸凹もこれだけ写る。
満月の月は神秘的で本当にきれいだ。これまでも数えられないほど見ているにもかかわらず、眺めていて飽きない。
2018-10-24
カメラに映った映像は美しかった
昨日から朝・昼・晩と前もって病院から送られた検査食で済ませ、今朝は水を一杯飲んで病院へ向かった。
朝8時15分に受付を済ませ、検査着に着替え、看護師から説明を受ける。渡されたのは下剤を溶かした2リットルの水を1時間半ほどかけて飲み、大腸の中を空っぽにする。マズイ。何かもう少し味を付けてくれると助かるのだが、製造している製薬会社も利用している医師もそんなことはお構いなしのようであう。
結局2時間ほど病院の待合室で例の検査薬を飲みながらウロウロして、やっと内視鏡検査の段になった。
ここから先は検査状況の詳細の説明は省略するが、検査で用いられた内視鏡は素晴らしいものだった。水を出す管と水を吸引する管が一本のカメラスコープに埋め込まれている。そのお陰で、カメラがなめらかに腸内を進み、しかも余分な水を即時に取り除くことができる。
その内視鏡は日本のオリンパス製だ。「高いんですよ、これ。だから大切に扱っているんです」と看護師の方が教えてくれた。
確かに検査台に横になって、自分の腸内をカメラが次々とモニターに映し出す映像を見ることができるのだが、その映像の鮮やかなことに驚く。人体の美しさに感動すらする。
検査をしたのは妙齢の女医だった。手慣れたもので、思い切りもいい。じゃないと、務まらない仕事だ。
検査の後その結果を聞くとき、やはりしなきゃと思った質問は、今年イグノーベル賞を取った日本人医師のアイデアについてだ。
長野県駒ヶ根市にある昭和伊南総合病院で内科診療部長をつとめる堀内朗氏が「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試して分かった教訓」という研究で「イグノーベル医学教育賞」を受賞したニュースだ。
上記の映像の45分あたりで堀内氏の受賞風景がある。生真面目な医師・研究者としての側面がうかがえて微笑ましく、かつ笑える。
大腸の検査してくれた女医さんに興味半分で「あれって、将来的にはありですかね?」と聞いてみたら、「いやあ、あの先生は変わっているだけだから・・・」と笑ってかわされた。
2018-10-21
劇場ひとりじめ
Equalizerを辞書で引いてみると「すべての人を平等にする人(もの)」と言う意味と「銃や武器のくだけた表現」と書いてある。ダブル・ミーニングであり、この映画をよく示している。
見終わって頭に浮かんだのは、緒形拳が藤枝梅安を演じた「必殺仕掛人」。舞台を現代のアメリカに置き換えるとこうなるという感じだ。
日曜日の夜ということもあるのか、劇場が7つ収められたシネマ・コンプレックスのなかで客席数が337席のもっとも大きな劇場での上映にもかかわらず、劇場にいた観客はぼくひとり。こんなに面白い映画なのに。
2018-10-16
原因と結果との因果関係をしっかり辿るのが先だ
「環境省は小売店で配布されるレジ袋について有料化を義務付ける方針を固めた」で始まる記事によると、対象はスーパとコンビニでレジ袋1枚につき数円の支払いを店頭で消費者に義務づけるらしい。
肝心の目的に関しては、記事は次のように紹介している。「海に流出した廃プラスチックの環境問題が深刻になるなか、レジ袋を減らし汚染防止につなげる」と。
つまり、「レジ袋の有料化 → 使用量の減少 → 海への流出の減少」という図式が環境省のあたまにある。
目的がプラスチックによる海洋汚染の防止ならば、もっと集中的に力を入れるポイントは別にあるはず。海洋投棄をどう防ぐかがカギであって、コンビニやスーパーの店頭でレジ袋で金をとるかどうかはどう考えても副次的な話だ。
海岸や河川などからゴミとしてビニール袋が海に流れ出てしまうのは、個人のマナーの問題である。またゴミ箱を必要に応じて設置しない、それをきちんと管理しない行政の責任も大きい。 それ以外にも流れ出る「ルート」があるかもしれないが、それが何なのかまずはトラッキングしてみる必要がある。
いずれにせよ、店頭で金を取るにしても、それは店が判断すること。役所が義務化することではない。企業はそうした押しつけに対しては、業界で反発すればいい。
国の狙いは、例えば2円のレジ袋ならそのうち1円を海洋汚染対策税かなにかの名目で召し上げようと考えているのでは。
ところで記事では、国内で消費されるレジ袋は450億枚程度と推定されるとしている。いつのことか、またその期間が書かれていない。1年間なら人口一人当たり360枚になるが・・・。
疑問に思い、ここで新聞社に電話。交換台から読者センターに回され、問い合わせの内容を伝えたところ担当の男性がしばらくネットで検索している雰囲気が伝わってきたのち「分かりません。書かれている以上のことは知りません」と回答。ビックリ!
記事のなかに期間が記載されていないので問い合わせているのだと伝えたら「環境省に聞いてください」って言うし、環境省のリリースをもとに書かれた記事なんですねと尋ねると、「それを書き写して何が悪いんですか」と喧嘩を売られた。挙げ句の果てに電話を一方的に切られた。日経新聞東京本社。
ここまで常軌を逸した対応も珍しい。もう一度題字下に書かれている代表番号に電話し、記事について問い合わせしたら分からないと言われ電話を切られた旨を伝えた。読者センターの別の担当者(今度もまた年配の男性)が恐縮して電話口に出てきた。先ほどの対応時の状況を伝えたら、なにやら受話器の向こうで不穏な雰囲気が流れているのが分かった。常習者がいるのだろう。結局、「申し訳ありませんでした。よく指導しておきますので」と言われ会話を終えた。
もとは記者か何かだったのが、今は肩書きを外され読者センターに回され腐ってしまった一例にあたったようだ。
2018-09-23
大学院生は、まず学ぶことを学んで欲しい
今回もだが、僕の授業への学生の評価は双耳峰形だ。つまりピークが2つある。気に入ってくれる集団がいる一方で、気に入らなかったというもう一つの集団のコブがある。
マーケティングのような分野は、すでに仕事で担当者として携わっている人たちにとっては馴染みがある一方で、例えばビジネススクールのファイナンス専攻に入学してきたような学生たちにとっては馴染みもなければ、さほど関心のない領域である。また、知識や経験と同じくらいセンス(ビジネスマンとしての、また消費者としてのセンス)に左右される特徴もある。
クラスの全員を満遍なく満足させる授業という芸当ははなから無理と考えているので、ターゲティングが必要になる。僕の授業クラス内でのターゲットのイメージは、横軸にマーケティングの知識や習熟度、縦軸にその人数をとったときに描かれるだろう正規分布のカーブの右半分である。それがパレート的に最適だと考えているから。
毎回のクラスは、ケースメソッドによる討議型授業を中心にしている。最初の授業でマーケティングの概要について説明した後は、指定教科書は自分で読み進めるように毎回の授業テーマとそれに対応する教科書の章をリーディングリストとして渡しておく。
マーケティングのテキストには難しい数式があるわけでもなく、哲学書のような難度の高い論理展開があるわけでもない。普通の社会人なら読めば書かれている理屈は分かるはずだとの前提に立っている。
もちろん読んで分からないところがあれば遠慮なく質問するように伝えてあるが、教科書の内容に関して質問を受けたことは一度もない。
ところが授業後のアンケートを読むと、例年自由回答欄には教科書に沿ってマーケティング理論の説明をしっかりして欲しかった、というのが何通もある。だいたいどういった学生(大学院生)かその年のクラスの顔ぶれで分かるのだが、大学1年生ではないのだから自分がどう勉強するかは自分で学ばないとね。
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| 燧ヶ岳双耳峰 |
2018-09-21
リアリティが失われつつある時代を象徴する事件
今回は大阪市にある仮想通貨交換会社から約67億円相当が流出したという。流出の意味がいまひとつよく分からないが、ビットコインの時も「流出」が用いられていたところからは、流出=ハッキング=窃盗と判断できる。
不正アクセス(つまり窃盗)が起こったのは14日、異常を検知した(窃盗に気づいた)のが17日、被害届を出したのが18日、事件を発表したのが20日となっている。
大規模な窃盗事件で思い出すのが、今からちょうど50年前に起こった「三億円事件」。「三億円強奪事件」とも呼ばれている。東芝府中工場で働く従業員523人分の年末ボーナスを載せた現金輸送車が、白バイ隊員に扮した犯人に騙されてジュラルミンケース3つに入れられていた3億円を奪われた事件。
当然、メディアでも長らく大々的に取り上げられた。捜査に携わった警察官の数、17万人。捜査にかかった費用は盗まれた3億円の3倍にのぼった大事件である。
3億円といっても一万円札でどのくらいの分量なのかすぐに分かるのは銀行員くらいだろう。だが、ひとつ29.4キロのジュラルミンケースで3つと言われると、その札束(金額)の膨大さと重さを頭に描くことができる。
お札そのものの重さは、一万円札で一千万円が1キロと聞いたことがある。1億円は10キロの重さだ。
1月に盗まれた580億円は、重量にすると5.8トン! 今回の67億円は670キロだ。半端な分量でないのが、重さ換算すると実感できる。
映画「ダイハード」で、ニューヨークにあるFRBの地下から悪党たちが膨大な量の金塊を盗むシーンがあった。そのとき使われていた「窃盗道具」は、なんとパワーショベル機だった。なにせ重いから、当然そうなるわけだ。
しかしデジタルマネーは、いくら大金であろうと重さはない。載せて逃げる車も積み替えに使うパワーショベルも必要ない。音もなく、いつの間にか盗み取られるだけだ。デジタルの世界では10億円の窃盗も100億円の窃盗もただ0がひとつ違うだけ。
今年の1月と今回、これほどの大金が盗まれた大事件であるにもかかわらず、世の中が三億円事件当時のように大騒ぎしないのはそのせいか。
今後もこうした事件が現れるのだろうが、リアリティに欠けるだけにその重大さが薄まっていくのが怖い。
2018-09-17
らしいと言えば、らしい
いつものように目的地(今回はイタリア)でネットを使用するための携帯ルーターはレンタルしたものを持って行っていたが、経由地のポーランドではそれは使用できない。
かといって、たかがメールチェックのために日本の携帯会社にばか高いローミング料金を払うのも気が進まず、Skype WiFi でホットスポットの公衆無線LANサービスでつなごうとしたが何故かうまくいかなかった。帰りのフライトで立ち寄ったときも同様だった。
海外に行ったとき、ホテルやスタバなど自由にネットが使える場所以外ではSkype WiFiが重宝していたので、今後のこともあるだろうとネットで検索してみたところ、CNET Japanのサイトに昨年の3月31日でサービスの提供が打ち切られていたことが掲載されていた。https://japan.cnet.com/article/35097346/
まったく知らなかった。知らされていなかった。Skype への登録メールの受信フォルダを検索したが、そうした連絡は何も届いていない。
CNET Jpan の記事(2017年3月1日付)によれば、
MicrosoftはSkype WiFiをまもなく終了する正式な理由について、次のように説明している。「全世界でSkype WiFiを終了するのは、中核的なSkype機能を通して可能な限り最高の体験をユーザーに提供する取り組みに、さらに集中できるようにするためだ」とある。
利用者に知らせるべきことを知らせないで「可能な限り最高の体験をユーザーに提供する」というのはどういうことだろう。
このあたりの目線の置き方の奇妙さは、マイクロソフト社ならでは。いつまでたっても変わらない会社である。
2018-09-14
ロックは海を見にいった
14年前に保健所で保護されていたのを両親がもらってきた牡の雑種犬である。名前はロックといった。その前に飼っていた犬の名前がゴローだったので、五の次は六ということでのシンプルな命名だった。
そのままだったら殺処分されていたかもしれない犬だが、そんなことは本人は知る由もない。それがよかった。のびのびと育てられたが、両親に引き取られるまでどこかでずいぶん人から怖い目にあわされていたのか、妙に臆病で弱虫のところがあった。台風で雷がなると、鳴き止まなかったりしたのもそのせいに違いないと思っている。
年に数回しか帰郷しないのだが、そんな犬と妙に気があった、ような気がする。
ここ数年は年をとり、白内障を患い、目があまり見えなくなっていた。昼間散歩に連れて歩いた際には、川や堀に何度も落ちかかった。地面が良く見えてなかったのだろう。足を滑らせ、首輪につなげているリースで首つり状態になった。
耳も遠くなった。食欲は最後まであったものの、最近は散歩に行きたがらなくなっていたのは、目や耳が弱ったことに加え、足も衰えてきていたからだろう。 一日中、家の中で静かに過ごすことが多くなっていた。
そのロックが先日、玄関の網戸を鼻で開けて外に出ていった。そしてその日、いつまでたっても帰って来なかった。翌日、方々を探してみると、家から200メートルほど離れた浜辺で横になって死んでいた。
家からほとんど出たがらなくなっていたのに、なぜ海辺まで行ったのかは謎だ。
そういえば彼が若かった頃、散歩で海辺へ連れて行くとうれしくてしょうがないのか、何度も横っ飛びをして喜んでいた姿を思い出す。
自分の死期を悟り、残った力をふりしぼって最後に海を見に行った、あるいは海の匂いを嗅ぎに行ったのかもしれない。そしてそこで事切れたのか。死ぬところを飼い主に見せたくなかったのか。本当のところは分からない。
2018-09-13
犬と旅する人たち
地元の人たちが散歩に連れて歩いていることもあれば、旅行者が犬を連れていることもある。ベネチアの街を行き来するヴァポレットという船にも犬が一緒に乗船している。
おおむねどの犬も旅慣れた様子というか、人混みにもまれてても飼い主の足下で静かにしているのには感心させられる。
写真は、運河(Canal Grande)の船着き場で一休みしていたカップルとワンコ。
下はトレ・アルキ橋近くの民家が建ち並ぶエリア。夕刻、犬を連れたおじさんがのんびり散歩していた。2階の窓辺から猫が3匹夕陽にあたりながらそれを見下ろしていて、実にゆったりとした時間が流れていた。
2018-09-09
石畳は意外とキツい
だからというわけではないが、特に外国に来るととにかく歩く。
今日ヴェネツィアで歩いたのは17,548歩。昨日は16,112歩だった。日本では普段が7〜8,000歩だから、だいたい倍以上歩いたことになる。距離にして今日が12キロ、昨日が11キロ。大した距離ではないはずが、どうしたことか妙に足首が痛む。
イタリアの古都は下が石畳で、しかも磨り減って結構デコボコになっているせいだろう。足首が痛くなるなんて初めてのこと。
2018-09-07
イタリアの学会終了
2018-09-06
いい加減にこの人をなんとかしないと
ランチタイムやコヒーブレイクの際には、参加者の間で様々なことが話題にのぼる。
アジアから来ている参加者からは関空の滑走路が水没し完全に機能を失ったこと、関西で台風の被害が出ていることに関して心配の言葉をかけられた。そして北海道での地震のことなども。
そうしたことはありがたいことなのだが、一方で、麻生副総理の無知極まりない発言については「日本の政治家はどうしてああなのか?」と憐れみとも批判ともとれる言葉をかけられる。
彼は講演で「G7(先進7カ国)の国の中でわれわれは唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」と述べたらしいが、それは完全に間違い。日本の中しか知らずそれ以外の世界を知ろうとしないと、こうした小学生にも笑われるお粗末な知識しか身につけられないという見本だ。
日本国の副総理兼財務大臣は、われわれ国民が外国で代わりに恥をかかされているのをご存知か。
https://jp.reuters.com/article/idJP2018090501002194
2018-09-05
ヴェネツィアでの学会
会場はヴェネツィアを東西に2分するCanal Grandeと呼ばれる運河沿いにあるヴェネツィア大学。1400年代に建てられたゴシック建築の建物である。
今回は、現在Emotion Tech社(早大初のベンチャー企業)と一緒に開発を進めている顧客ロイヤルティと企業の成長力を測定するNPS(Net Promoter Score)の日本版(NPS-J)の日本市場適応性に関して発表した。
日本人消費者の特性をベースにした改良モデルの話だけにどれだけ理解してもらえるか心配したが、聞き手がマーケティングの専門家だけにあまり基礎的な質問が出なくて良かった。
ここでの日中の気温は25度から30度くらいだろうか。ただ、日本のように湿度が高くないので爽やかだ。ランチは大学の中庭でいただくのだが、あとは建物のなか。
晴れた空と滔々と流れる運河。こうした天気のなか教室で時間を過ごすのが馬鹿らしくなってくる。
| 学会の会場になった大学の教室から臨むベネチアの運河 |
2018-08-20
不審なクレジット会社
その後、またクレディ・セゾンから請求書が送られてきた。今度は請求額6,676円、残高が6,686円と印字されている。以前より数字が小さくなっている。理由はまたもや不明。
請求書と残高の差は何なのか、なぜ残高と請求額が違うのか、弁護士も首をひねる。請求額を引いて、10円だけ残高をわざわざ残す理由も意味不明であると。
弁護士に言われて CIC(Credit Information Center)という信用情報機関に自分の信用情報がどのように登録されているか照会したら、案の定、クレディセゾンが僕の信用度をそこに「ブラック」として登録していた。やってくれるじゃないの。
2018-08-15
ドローンの可能性は多彩だ
それにしても、世界中でほぼスタンダートになった中国製のドローンが、撮影用カメラの代わりに人を殺傷する武器を積んで我々の頭の上を飛び回る時代が来ないことを祈りたい。
*以下追記 2018/08/16
調べたら、番組は昨年放送されたものの再放送だった。
http://www4.nhk.or.jp/P4999/3/
2018-08-14
面白く、観てて痛い映画
その芝山と中野がほぼ絶賛していた「ミッション:インポッシブル フォールアウト」を観に行った。
出だしからのラロ・シフリンの音楽がいいなあ。テレビドラマ時代の「スパイ大作戦」の時から変わらないにもかかわらず、今も新鮮。56歳というトム・クルーズが全速で走る、走る、走る。
映画の舞台は、パリ、ロンドン、カシミール。どれもいいが、パリ編が魅力的。サロンのトイレでの立ち回りが凄い。ほとんど部屋全体を破壊しながらの拳闘が続く。観てて、こぶしが痛い! これは全編を通じてずっと感じていたこと。
そういえば映画終了後、スクリーンに流れるエンドロールを見ていて気になったのだが、そこにクレジットされているCarpenters、Plasters、Painters のスタッフの人数が尋常ではない。なるほど、こうした殴り合いのシーンを作る際の力の入れ方が確かに違うとその時あらためて感じた。
場面から場面への転換などはあまりにもご都合主義だが、そこはお約束というかご愛敬。シークエンスではなく、それぞれのシーンでの100%のアクションがすべて。これぞ、アクション映画ということだろう。
2018-08-07
東京医大は名称変更しては
文科省の局長が息子の裏口入学を図った一連のなかで明らかになってきた。東京医大の経営者は、女性は医師になっても妊娠や出産で職務を休むことが多いから「労働力」にならないと考えていたらしい。
3浪以上の男子受験者を邪険に扱った理由はなんだろう。大学卒業時に年を取りすぎているから? といっても3才ほどだ。3浪もしなければ入学できないのは頭がわるいと考えたから? 多少要領が悪いのは言えるかもしれないが、一方でそれだけ医師を目指す強い意欲がある連中ともいえる。
こうした東京医大の事件以来、自分が病院で医師を見る目が自然と変わって来ているのに気づく。どこかで、この人は東京医大の出身者で、裏口組ではないかなどと診察を受けていて気になるのである。
それはさておき、東京医大はこれを気に名称を変えるしかない。受験生からの評判ガタ落ち間違いないから。理事長など大学の経営者がそれほど男子学生を重視したいなら、そうした大学にすればいい。私立大学なんだし。
東京女子医大の向こうをはって、この際「東京男子医大」に名称変更し、堂々と男だけの医大にすればいいんじゃないのかね。医大としての評価も実力も面白みも下がるだろうけど。
それにしても、こうした内部告発が出てきた契機が文部科学省の「私立大学研究ブランディング事業」にまつわる役人の賄賂と裏口入学だったとは、完全にジョークだ。
2018-08-06
国会議員の生産性とは
LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。生産性って何? 産めよ、増やせよ、ってか。このスローガンに代表される1941年の近衛文麿政権時代に閣議決定された「人口政策確立要綱」は、軍事主義の象徴的な政策である。
杉田という自民党議員がどういう背景の持ち主か知らないが、また知りたいともおもわないけど、あまりに文学的イマジネーションがなさ過ぎることに愕然とする。いや、知性そのものが完全に抜け落ちている。
そもそもご本人は、そうした自分が「生産的な」人間だと思っているのだろうか。だとしたら、言おう。「税金返せ」
2018-08-02
前期の授業終了
2018-07-31
2018-07-23
これは立派な(今でいうところの)デザイン思考だ
新聞に彼の弟子とも言える脚本家の中島丈博氏が追悼の言葉を述べていたが、そのなかで橋本さんの仕事ぶりに触れたところが面白かった。
仕事をするのは、判で押したように朝9時から夕方6時まで。時間になると筆を置く。物書きと言うより職人のようだ。その一方で、山師のように当たるネタを直観でかぎ分け、「今度はこれで世間をあっと言わせてやる」と賭け事を楽しむかのように作品作りに没頭する。
またストーリーを組み立てるための具体的な方法として、次のようなことを弟子の中島氏とやっていた。
書き出す前に、まず場面ごとの簡単な説明(箱書き)を僕に模造紙に書かせ、それを旅館の畳敷きの広間にずらっと並べる。俯瞰しながら「このシーン、いらないよ」「こっちとこっちを差し換えて」と、順番をかえていく。実際に脚本に取りかかるときには、最後の場面まで(構成が)完璧にできあがっていた。これは今流行りのデザイン思考のシナリオライティング版である。さすがだ。
僕の愛読本のひとつに彼の『複眼の映像』(文藝春秋)がある。この週末にまたページを開きたい。
2018-07-18
頭のがいいのか悪いのか
2018-07-16
京都で茹で上がる
巡行を待つ鉾や山をひと通り見て回ったが、宵々々山の日、気温が観測史上最高の38.5度を記録した。まさにうだるような京の夏である。
四条通りを中心にどの通りも人がいっぱいで、行く手を阻まれる。中央にロープを張り、通行方向をひとつにすることで混雑を緩和しようとしてるが、それでもなかなか前に進めない。
次の日は、龍谷ミュージアムを訪ねるために地下鉄で隣の五条駅へ。するとどうだ、まるでガラガラである。東本願寺と西本願寺のあたりもひっそりとしている。ミュージアムも人が少なくゆっくりと観覧ができたのはよかった。
京都の知り合いが言っていたが、京都のまちなかには最近では観光客を相手にしたカプセルホテルや民泊的な簡易ホテルが多数できているとか。安く旅することが一概に悪いわけではないが、そうした安宿に泊まる客は、24時間営業のスーパーで弁当を買ってきて食事を済ませ、土産物はドラッグストアや100均で購入すると半ば嘆いていた。
今年の山鉾巡行の2番目は(一番目は長刀鉾に決まっている)蟷螂山だ。山車の下では「かまきりおみくじ」を引く人たちの長い列が。僕も並んでみた。素朴なカラクリが楽しい。
2018-07-14
2018-07-12
さて、ここに何ヵ国の学生がいるでしょう?
写っているのは、数人の日本人学生と留学生たち。国籍を数えてみたら・・・アルゼンチン、エジプト、フランス、ブラジル、スペイン、ネパール、ルーマニア、タイ、台湾、パラグアイ、USA、ボリビア、中国、ロシア、フィリピン、シンガポール、コロンビア、インドネシアと、日本人を入れて20ヵ国だった。
2018-07-07
日本の教育を歪めているのはやっぱり文科省だな、こりゃ
年間3千数百万円の補助金を得るために、東京医科大学のふたりは同大の社会的な評価とブランドを地の底まで引きずり降ろしてしまった。(高い買い物になったな)
心あるジャーナリストと政治家の出番のはずだ。
2018-07-01
地震と古書の売却
人ごとではない。東京だって地震はいつあってもおかしくはない。政府の地震調査委員会の報告だと、今後30年間の間に震度6以上の地震が発生する確率はますます高まっている。
東京都庁のあたりで46%、横浜市庁舎で78%だという。新宿区ではなく東京都庁、横浜市中区ではなく横浜市庁舎というのが、なんとなくその精度を感じさせる。
そうした思いで見ると、その地震予想確率で色分けされた地図は戦慄さえ与えるものに思える。
なぜか預金残高は増えてはいかないが、本は毎週毎週、研究室でも自宅でも増えていく。置き場に困り、本棚に詰め込んでいく。震度6クラスの地震がきたら、一発だ。書棚の本が崩壊し部屋を埋めることになるのは明らか。
で、どうするか。①捨てるか、②人に譲るか、③どこかに寄付するか、④古本として売るか。①は最後の方法。②は手間がかかる。③も相手を探して交渉するのに手間がかかる。ということは、比較的簡単なのは古書として売ってしまうこと。
ネットでいくつか業者を調べた。試しに「もったいない本舗」という中古書籍買い取り業者に、本を入れた段ボールをひとつ送った。
すぐにメールで買い取り査定価格の連絡がきた。全部で520円! こちらがOKすれば、その金額が振り込まれ、すべては終了。納得できなければ、それらの本を料金受取人払いで返送してくれる。
金額がおかしいと思ったので返送させた。次に中身そのままに、今度は「あおば堂」という同様の中古書籍買い取り業者に送った。
今度は査定に4、5日かかったが、査定金額は5,460円とのこと。「もったいない本舗」の10倍以上の金額だったので買い取りを了承した。
それにしても同業者で、同一内容(書籍)、同一条件でなぜこれほど査定金額に差があるのか疑問は残ったままだ。
2018-06-19
混乱は夜まで続いた
高槻市内では、倒れてきた学校の塀の下敷きで少女が亡くなった。そのことはとても残念だが、今回の地震ではビルや橋など建造物の倒壊や大規模なインフラの寸断はなかった。そう言う意味で、我々は今回の地震を来たるべき大地震の予行演習と考えるべきだ。
用事があり、昨日から岡山に来ていた。朝の散歩を終え、何時の新幹線で東京へ帰ろうかと考えてた矢先の地震だった。
心配したのは、新幹線が止まること。そしてその心配通り、新幹線が上下線で「運転見合わせ」ということですべて止まった。いつ運行が再開するか、ニュースをじっと注視していたがまったくその気配はない。
状況が分からないので、駅まで行って現場で状況を確認して行動することにした。しかし、駅構内に行っても何もわからない。運行表示はブランクのまま。アナウンスも断続的で的を得ていない。
ネットで予約しようとしても、指定席の予約がシステムで入らないようになっている。運行スケジュールが立たないからだ。
大阪では夜になっても電車の運行が再開されず、多くの人たちが歩いて帰宅に向かったらしい。
鉄道会社では地震などがあった際には、職員が線路を巡回し、目視で安全を確認しないと運行の再開ができない規則になっている。安全運行の目的のもとでの決まりだろうが、何とかして欲しい。
線路の具合を走行しながら調べる調査用車両をすばやく走らせるとかできると思う。できるけど、やらない。お陰で、利用客が大変な目にあう。日本のお客は真面目で黙って我慢する。
僕はと言えば、その後JR東海のアプリで新幹線の予約が取れたので、スマホを片手に改札に向かった。けれど、駅員によればグリーン車両を除くすべての車両は自由席で運行されているとか。
まあいいや、とホームへのエスカレータを昇ってから、僕がJR東海のアプリでさっき予約した新幹線はそもそも運行されないことが判明。
次に来た新大阪止まりの新幹線を見送り、その次の東京行きに乗り込んだ。間引き運転のうえ、各駅停車で、しかも低速走行である。
新神戸を過ぎた後、車掌がやってきて、僕が座っているあたりには新大阪から団体の予約が入っているのでどいてくれと言う。さっき乗車した駅では普通車両はすべて自由席だといっていたのだが。しかも、僕は運行されなかった当日の新幹線の指定席券を持っている。
そうした説明をしたが、彼女は「ダブルブッキングなんです」とだけ言い残して、自分は次の新大阪で仕事が終わるからと立ち去った。
しかし新幹線は、次の停車駅である新大阪で新幹線が2台待っているため入構できないとかで、30分ほど駅の手前で停車してしまった。しかも、通常ならある車内販売は行われていないので、飲み物を買うことすらできない。
とにかく昨日を振り返って感じたのは、JRという組織は情報の流れがすごく悪いということ。客と接する現場には若い駅員が出されて、説明できるだけの情報や指示も与えられないまま、ただただ立ち往生している。可哀相に。管理職は奥に隠れたままで、客がいるところには出てこない。
改札とホームと新幹線の車内で、それぞれ駅員のいうことがバラバラだった。JRの職員というのは、何もないときは決められたことをきちんとやれるのだろうが、普段とは異なる何かが起こった有事の際の対応の体たらくには怒りを越えて情けなくなり、利用者として心底心配になった。
今回は鉄道網に物理的な損傷がなかったが、地震などの災害で実際に線路が寸断されたりしたら、我々はいったいどうすればいいのか考えておく必要はある。
それはとりもなおさず、いつになったら運行が再開されるのかも分からず、知らされず、ただ疲れをためるのではなく、その時にどうやって他の移動手段をさっさと確保できるように頭と体を動かす準備をしておかなければ。
2018-06-15
「多様化」をもっと多様な視点で理解する必要がある
法律が制定されたことが関係者に知られていないこともあるだろうが、基本的にそれ以前の問題。つまり、飲食店で働く人の意識の問題だ。
2018-06-11
今日は新聞全休日
新聞を休刊するのはその新聞社の勝手だが、読者無視の業界内申し合わせは止めてはどうか。
休刊日が新聞社ごとに異なっていれば、いつも自分が読んでいる新聞の休刊日には普段は手に取ることのない他紙を駅の売店やコンビニで手に取るかもしれない。
きっとそれは何かのきっかけになる。それを契機に複数紙を読み比べるようになったり、購読紙を変えてみることにもつながる。読者にとっては新たな視野を獲得するチャンスだ。
新聞社は、そうした一般紙内での購読者の移動が起こらないようにまったく同一の休刊日を設定している。専売所の店員に休暇を与えるためというのが彼らの言い分なのだろうが、それは半分でしかない。
スポーツ紙は休刊日なくちゃんと(?)新聞を発行している。一般紙はいつになったら、顧客の視点で自分たちのビジネスを考えるようになるのだろう。永遠に休刊する前に経営者たちが気がつけばよいけどね。
2018-06-10
犬ヶ島
ストップモーション・アニメーションは、その名の通り、人形など制止している物体をひとつひとつコマ撮りして製作するアニメーションである。膨大な時間がかかるのことは、容易に想像できる。その一方で、有りモノの俳優やキャラクターに拠らない自由な発想と造形でストーリーを流していくことができる。
この映画、見れば分かるが妙なバイアスがいっぱいかかっている。日本人の観客にはうれしいバイアスだけど。
まず舞台が日本。メガ崎市という街がひとつの舞台。そして、昭和の時代をもとにした近未来での出来事。黒澤明の映画のモチーフがたくさん登場する。人(犬)物構成もそうだし、早坂文雄が作曲した「七人の侍」の音楽はそのまま用いられている。
アンダーソンは黒澤だけでなく、沈黙の使い方や自然の描き方などについて宮崎駿からも多大に影響を受けているらしい。 沈黙のなか、アップの犬の表情が映る。その毛が風に揺れる。確かに宮崎映画を彷彿とさせるシーンがたくさん出てくる。さらには、本多猪四郎の東宝特撮怪獣映画からの影響も見て取れる。
ヨーコ・オノという名の科学者助手の声は、あのオノ・ヨーコだ! 全編を通じて登場する通訳者ネルソンという女性の声が、あの「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドだとは最後まで気がつかなかったけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2018/02/three-billboards-outside-ebbing-missouri.html
ぼくはアンダーソンのしゃれっ気とユーモアが大好きだ。
2018-06-09
社会や家族から捨てられた人たちの物語
この映画は、すでに死亡している親の年金を、遺族たちが黙ったまま不正に受給し続けていたという事件から是枝監督が着想したという。新聞社のデータベースで検索してみると、そうした事件は2010年の夏頃から報道され始めている。
彼らは社会の谷間の中で、周りとさほどつながることなく生きている。しかし考えてみれば彼らの近くのマンションの住人たちだって、同じように社会とそれほど深くつながらないままに生きているである。そういう意味で、彼らはわれわれ一般の日本人の一つの縮図かもしれない。
2018-05-27
フロリダの光と影
「フロリダ・プロジェクト」は、アメリカ、フロリダのディズニーランドのその塀の向こうの世界を描いた映画である。そこにはディズニーランドを訪れる客のための安いモーテルが林立し、アパートを借りることのできない貧しい連中が宿泊料週払いで住んでいる。
この映画の上映の前に、是枝裕和監督の「万引き家族」の予告編があった。高層マンションの谷間に立つ平屋に住む家族を描いたこの作品とフロリダ・プロジェクトは見事に繋がっている(「万引き家族」はまだ未公開だけど)。
表からは見えない、だけどしっかりそこに息づき生きている人たちや家族の存在を観るものに突きつけ、深く考えさせる。
2018-05-08
ルール遵守という思考停止
あらためて、パナソニックはジーンズやスニーカーでの出勤は禁止されていたんだと知って驚いた。パナソニックほどの大企業だから詳細な服装規程があって、そのなかではっきりダメとされていたのだろう。
単なる服装と言えばそれまでだが、これまで誰もそうしたルールに異議を唱えてこなかったのか(そういう人はいたが、それにましてルールが強固だったのかもしれない)。服装に関する規則など勝手に無視して、ジーンズでも短パンでも好きな格好で出勤し仕事をするような連中はいなかったのか。
もちろんビジネスマン(ウーマン)だから、客先を訪問する際や改まった席がある日にはスーツ姿が適切なことは言を俟たない。だが、社内で仕事をしている分には、周りに不潔感を感じさせたり、不快な気分を抱かせない限り何でもいいだろう。
生まれつき髪の毛の色が茶色い女子中学生が、学校の教師から執拗に髪を黒く染めることを強要され、あげくは「染めるか、(学校を)辞めるか」と迫られた。髪を毛染め薬で何度も染めることで頭皮や皮膚がただれ、親が学校に対して説明したが「ルールはルールだから」と聞き入れられなかったいう話を思い出した。
ルールを振りかざす人たちは、往々にして権力志向と安定志向が強い。それによって守られて生きてきた人たちにとっては、どんな意味のないルールも貴重な防御壁なのだ。一方で、無用にそうしたルールで苦しめられている人たちがいるのも事実。
みんなにとってそれが必要だからルールが作られるのではなく、たいていは一部の連中が自分たちにとって「やりやすいように」やるために先にルールを作る。
私たちは、子供のころから学校で規則を守ることが大切だと繰り返しすり込まれている。誰のため、何のため、という基本的な問いは置かれたままだ。ルールはルールだからみんなきちんと守ること、みんな一緒、人と違ったことをしちゃダメ・・・。
こうした教育と社会通念が日本人と現在の日本という国を形作っている。アメリカなど海外から思いもよらなかったような発想が事業として登場し大きく成長している。
今ごろスーツをジーンズに着替えたからと言って、周回遅れの差が縮まるかどうか・・・。
2018-03-30
ため息しか出ないのは、われわれ読者だ
ひょっとしたら自分たちの新聞社は潰れるかもしれない、訴えられた経営者と編集責任者は有罪に処せられるかもしれない、そうした重圧を最終的にはねのけて、彼らはジャーナリストとしてやるべきことをした。
2018-03-28
警鐘を僕たちはどう聞いてきたか
何気なく手に取り、主な目次に目を通しざっと全体を眺めたが、そこに書かれている「このままだと、2020年にはこうなってしまうぞ」という警鐘の数々は、ほとんどそのまま20年後の我々が暮らす現在につながっている。
インターネットを誰でもが使えるようになり、AIが急速に進化して人の仕事を奪うのではないかとの危機感が生まれ、車の自動運転の現実化が増してきた日本の現在だけど、どれもこれも海外から押し寄せてきた潮流になんとか遅ればせながら「対応」しているだけで、日本から生まれ、世界を変えようとしているものはほとんど思いつかない。
今の日本の状況は、19世紀の終わり、ビクトリア朝時代の英国を連想させる。産業革命を世界で初めて成し遂げ、世界の工場として他国に比して豊かさを手に入れたが、その「成功体験」から構造転換に鈍感になり、やがては製造業は米国やドイツに追いつかれ抜かれた。
しかし長らく「英国病」と呼ばれる低迷期を経験したその国も、その姿を変えてまた世界の表舞台でそれなりの存在感を示すようになった。そのためには衰退から100年後、サッチャー首相のイニシアティブによる多くの痛みの伴う国を挙げての改革を待たねばならなかった。
鉄板のような官製規制、少子高齢社会に向けての漠然とした人々の不安感、変わらない学校教育、「日本はこれまでもなんとかなってきた」という日本人的盲信・・・。正直言うとどうしようもない面が多いけど、社会が変わらないなら個人だけでも変わらなければとつくづく思う。
2018-03-21
流れがない社会は滞り、腐る
長く努めていさえすれば得ができるというインセンティブで人が良い仕事をするとは思えない。ましてや倒産やクビのない公務員である。人材の流動性を阻害しているだけだ。
社会の活力が生まれない理由の一つは、人の流動性の低さにある。
2018-03-17
自動で走る住居
ただそのためには、「レベル5」とされる最高度の自動運転技術とその適用を可能にする道交法の改正が必要。10年はかかるだろうな。
2018-03-16
日本の大臣、大丈夫か
シャレで言ったのならわかる。しかし自分の考えに沿わない、気に入らないからと言う理由である特定の新聞を読んでいないとしたらそれはあまりにもお粗末だ。
自分の考えと違う言論であればあるほど、そういったものに目配りをし、情報を集めるのが政治家として当然の行いのように思うのだがどうなのだろう。せめて主要新聞の見出しくらい読みなさよ、漫画だけじゃなく。
2018-03-06
第90回アカデミー賞授賞式
それにしても、アカデミー賞の授賞式では毎年コメディアンあるいはコメディアンヌが視界を努めているが、彼らは凄いなあと感心させられるのは、既成の権力を容赦なく笑い飛ばすことで批判し、常識をスマートな表現で揺さぶる技を持っていること。テクニックだけではない、その前にそうした社会意識を持っていることといっていい。
2018-03-01
ビールはサラダだ
ここにあるパブリック・マーケットは、鮮魚、青果、精肉、各種デリやケーキ、チョコレートなどたくさんの食料品の店がひしめく屋内マーケットである。観光客はもちろん、新鮮な食材が手に入るだけに地元の人たちで賑わっていた。
そのすぐ近くにある地ビールの店、Granville Island Brewingでは工場できたてのビールを飲むことができる。店頭にはビール・サイエンスと称して「BEER IS SALAD!!」という妙な理屈の看板があった。
できたてのビール片手に「これはサラダか?」と意見を戦わすのも一興である。
2018-02-25
ドキドキを売ろう
その市街地から車で北に一時間ほど走るだけで、森林リゾート的な場所を訪ねることができる。観光地して有名なのが、Capilano Suspension Bridge Parkである。見どころはその名の通りの吊り橋とCliff Walkと名づけられた展望コース。
この公園への入場料は、42.95カナダドル。3600円ほど。安くない。
ただ歩くだけなら30秒もあれば渡りきるほどの「ちょっとした」施設だ。目を見張るほどの高さでもないし、そこを歩かなければ見ることができないといった景観もない。だが渓谷の山側の岩肌から飛び出した造作物の美しさゆえか、人気がある。
観光用の目的での同様の設置場所なら、日本でもたくさん考えられるはず。少し工夫するだけでもっと魅力的なクリフウォーク(絶壁渡り)ができる。地方の売り物になること間違いない。
問題は作れるかどうか。技術的な問題ではない、意思決定的な問題として、日本で役人がそれを決められるかどうかである。
このクリフ・ウォークを真似てでも、他より早くこうした施設をつくりPRしたところが勝ちだ。
2018-02-20
バリア有りー
下記の写真は、そんななかのJR新横浜駅の新幹線ホームの様子。視覚障害者のために敷かれた黄色い点字ブロックにピッタリとくっついて設置された操作盤が気になった。ホームガードのすぐ脇に、つい最近設置されたものだ。
点字ブロックにはかかっていないからセーフ、という駅の判断がここには見える。
白杖をついて、あるいは盲導犬と歩く視覚障害者が、ここをどうやってうまく通れるか。彼らはこの場所で、おそらくは体の一部をこの操作盤の角にぶつけることになる。
金属製の操作盤だ。角に膝をぶつけただけで十分イタイ。バランスをくずすと、転倒するだろう。
バリアフリーどころか、誰が見てもバリア有りーだ。
どうしてこんな簡単なことが、駅の関係者には分からないのだろうか。あるいは、分かってても面倒だから、あるいは組織の論理を乱さぬようにものを言わないようにしているのかもしれない。おそらく後者なんだろうナ。
僕がホームにいた駅員に声をかけ、このままだと視覚障害者にとって危険だと告げても「私には分からない。ほら、JRに苦情をのべる窓口というのがあるでしょう・・・。そこに電話してください」との答えが返ってきた。自分が働いている職場なのに。けが人が出るまで分からないのだろうか。
2018-02-14
2018-02-12
当たり前って思われてること、当たり前じゃないことがたくさんある
4月の初めは学校の入学時期であり、会社への新入社員の入社時期であり、人事異動の時期でもある。3月に高校や大学を卒業して会社に入る若者たちの多くはそれまでのアパートを出て、通勤先を考えた場所に新たに部屋を借りる。
4月1日づけでの転勤の辞令を受けたサラリーマンは、3月の末から4月第一週にかけてあたふたと引っ越しの準備をしなければならない。
ただでさえ人不足のサービス業の典型である引っ越し会社では、この繁忙期に人を集めるのに苦労する。トラックのドライバーがまず不足する。
引っ越しのアルバイトは、かつて大学生の定番のひとつだったが、体力と気力を必要とするキツイ仕事だ。だから、最近は敬遠されがちらしい。
アルバイトの日給は一万円から一万三千円。他のバイトと比べ悪くはないのだろうが、それほど大きな金額ではない。僕が学生バイトで引っ越し会社の手伝いをしていたときの二倍程度にしかなっていない。もう40年近く経っているのに。同じ期間で、私立大学の初年度納付金は3倍になっている。
本当に日本の給料は世界の他国に比べてあがっていない。デフレでものの値段が上がっていないから、日々の生活感としてはまあまあという感触で来たのだろうけど、他のOECD諸国などから見れば日本人の給料は、ヤスー! と言われてもしかたがない。
生活が成り立っているのだからそれで何が困るのか、と言われるかもしれない。これからどんどん困っていくのだよ。
高齢者社会(高齢化社会という言葉があるが、人類が誕生してからずっと、例外として戦争や飢饉や伝染病が蔓延した時期を除いて人類は「高齢化」してきているのに、いまになって「高齢化社会」というのはおかしいと僕は思っている)の日本では、老人介護のために間違いなく人を外国から呼ばなければならなくなる。近いうちに。
だってそうしなければ立ちゆかなくなるのは目に見えているから。ロボットが人間の介護者と同様の事ができるようになるのは20年くらい先だろう。言葉のコミュニケーションに難があっても、やっぱり人にはかなわない。
だけど彼ら彼女らだって、わざわざ外国である日本に人類愛でもってボランティアとして来てくれる訳じゃない。賃金を求める労働力として日本に働きに来るのだ。その時に競争的な賃金が払えなければ、誰もそんな国に好きこのんでやってくるわけはない。
かといって今の総理大臣がやっているような賃金上昇の仕方、つまり経済団体の企業経営者に給料アップを要請するのは明らかにポイントがずれている。なかには総理の気持ちを「忖度」してベースアップを発表した経営者もいるが、従業員の給料をどうするか考えることは経営者の仕事の根幹のひとつで、ゼロから自分で判断すべきことだ。
日本の総理大臣も企業の経営者も、やるべき事はひとつ。生産性を上げることだ。だからといって、何も国や企業を根底から揺さぶるようなイノベーションが必要という訳じゃない。
国はつまらぬ規制を撤廃し、前例主義で安穏とするスローな仕事の仕方をあらためること。企業は、これまたつまらぬ横並びの考えを変えて、もっと自由闊達な発想と行動力を発揮すること。単純である。
新卒の4月の一括採用? いい加減に考え直す時期である。人事部にとって慣れしたんだ儀式になっているだけ。年功序列や終身雇用? ほとんどの経営者が止めたいと思っているはず。であれば、止めればいい。それでもって、何か自分たちならではの別の仕組みによって優秀な人材が集まるためのアイデアを考えることだ。それができるかどうか、これから経営者の能力と責任が問われる。
2018-02-11
上に昇るか、右に行くか
誰かがイタズラで回しちゃったのかもしれない。でもこのボタン、見た誰もを一瞬「ひょっとしたら・・・」と考えさせる力を持っているように思う。
アタマのネジに油を差してくれるのは、普段の風景からちょっとズレた、こうしたさりげないものだったりする。
2018-02-06
Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
アメリカというとニューヨークやロス、サンフランシスコ、シカゴなどを思い浮かべ、そこがアメリカと勝手に想像してしまう。しかし実際は、アメリカはひとつの大陸の大半を占めるほどの巨大な国。地理的にも歴史的にも極めて多様である。
ミズーリというと、僕がまず思い起こすのは、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの1997年のアルバム「beyond the Missouri Sky」だ。ものを書く際にBGMとしてよく流していたが、そのジャケットの写真が映す荒涼とした風景が、僕にとってのミズーリだった。
映画に登場する人物はみんな、ある意味でどこかネジが外れている連中ばかり。しかし、それらがストレートに自分を表現し、どこか深いところで、いわば人間としてつながっている。
邪悪で軽薄そうな男も、自らの深いところに何かしらの悲しみを抱いていて、ひょんなことからそれに気付き、生き方を修正していくことができることを映画は示す。悪党にも一部の善の魂があることを描くことで、観るものを思考の縁へと連れて行く。
一方で、いかにも善人として周りから思われ、自分でそれを疑うこともない教会の神父らがいかに浅薄で社会の矛盾に目をつむり、形式的にだけ生きているかも映し出す。
主人公のミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンドの圧倒的な力強さだけでなく、登場人物がすべてその輪郭をしっかりと持ち、確実に描かれている。練りに練られた優れた脚本があってのこと。
2018-01-30
議論のネタ
中国のタクラマカン砂漠、楼蘭への道中の様子が語られていたのだが、その途中のミーランという村での以下のような話が語られている。
オアシスの村・ミーランにたどり着くと、ポプラが揺れていて風が美しかった。ただトイレが男女一つずつしかないので行列ができる。前も横も仕切りがないので並ぶ人たちに見られながら用を足す。紙で拭くときに人格が崩壊するような屈辱感を抱く。なぜなのだろうと、夜みんなで議論しました。中国のかつての(今も田舎はそうかもしれない)トイレ事情はよく聞かされるところだが、それをネタに撮影隊の連中と「議論」をするというのが愉快だ。
近頃は大学でさえ、人が集まって熱く議論するということは珍しくなったと思う。若い人たちはもっぱらネット上で上滑りで空虚なコミュニケーションに終始しているように思える。
そこでは人が本来持っている体温のようなものがまったく伝わらない醒めたやり取りだけが流れている。
いまの若者たちの周りにだって、議論のネタなどいくらでもあるはず。時には敢えて屈辱感に身をさらし、それをネタにみんなで議論したらどうか。
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| 1月25日付け朝刊 |
2018-01-21
紙と墨で1200年を超える
国立西洋美術館で行われている「北斎とジャポニスム」展を観に行ったのだけど、休日ということもあってか入館までの待ち時間が1時間ちかく。
そこは諦めて、東京国立博物館で 開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展へ足を運んだ。仁和寺は御室桜で知られる真言密教の寺。888年に完成した寺院で、数々の国宝級の宝物が今に伝えられている。
仏像や絵画もすばらしかったが、今回とりわけ記憶に残ったのが、弘法大師(空海)が真言密教を伝える書物として中国(唐)で写経して持ち帰った経典だ。
三十冊あるところから「三十帖冊子」と呼ばれている、これも国宝である。空海の没年が835年なので、1200年近く昔に書かれ(写され)たものだ。それが今も墨のあと鮮やかに残っていて、私たちは展示ケースのガラス越しではあるけど、誰もがそこで読むことができる。
空海はそのとき、どこで何を想いながら教典を写経していたのだろうと想像させられ、またあらゆるデータがデジタルで記憶される時代ではあるが、記憶媒体としての保存性や閲覧性の面で「紙」にまさるものはないとしみじみ痛感させられた。
振り返るに、我が家には4、50枚のフロッピーディスクに加えてMOやMD、メモリースティック、スマートメディアなどが今も残っている。
早く中のデータを確認して必要なものは移行しなければと思ってはいるが、それらの中には既に再生するための機器(ドライブ)が手元になくなってしまったものがある。
はてさて、それらをどう処理するか・・・。














