2018年5月8日

ルール遵守という思考停止

パナソニックが、社員のジーンズとスニーカーでの出勤を認めることにしたという記事を目にした。津賀社長がチノパンで出勤しているという写真付きである。

あらためて、パナソニックはジーンズやスニーカーでの出勤は禁止されていたんだと知って驚いた。パナソニックほどの大企業だから詳細な服装規程があって、そのなかではっきりダメとされていたのだろう。

単なる服装と言えばそれまでだが、これまで誰もそうしたルールに異議を唱えてこなかったのか(そういう人はいたが、それにましてルールが強固だったのかもしれない)。服装に関する規則など勝手に無視して、ジーンズでも短パンでも好きな格好で出勤し仕事をするような連中はいなかったのか。

もちろんビジネスマン(ウーマン)だから、客先を訪問する際や改まった席がある日にはスーツ姿が適切なことは言を俟たない。だが、社内で仕事をしている分には、周りに不潔感を感じさせたり、不快な気分を抱かせない限り何でもいいだろう。

生まれつき髪の毛の色が茶色い女子中学生が、学校の教師から執拗に髪を黒く染めることを強要され、あげくは「染めるか、(学校を)辞めるか」と迫られた。髪を毛染め薬で何度も染めることで頭皮や皮膚がただれ、親が学校に対して説明したが「ルールはルールだから」と聞き入れられなかったいう話を思い出した。

ルールを振りかざす人たちは、往々にして権力志向と安定志向が強い。それによって守られて生きてきた人たちにとっては、どんな意味のないルールも貴重な防御壁なのだ。一方で、無用にそうしたルールで苦しめられている人たちがいるのも事実。

みんなにとってそれが必要だからルールが作られるのではなく、たいていは一部の連中が自分たちにとって「やりやすいように」やるために先にルールを作る。

私たちは、子供のころから学校で規則を守ることが大切だと繰り返しすり込まれている。誰のため、何のため、という基本的な問いは置かれたままだ。ルールはルールだからみんなきちんと守ること、みんな一緒、人と違ったことをしちゃダメ・・・。

こうした教育と社会通念が日本人と現在の日本という国を形作っている。アメリカなど海外から思いもよらなかったような発想が事業として登場し大きく成長している。

今ごろスーツをジーンズに着替えたからと言って、周回遅れの差が縮まるかどうか・・・。