2018年9月23日

大学院生は、まず学ぶことを学んで欲しい

まもなく後期の授業が始まる。それに先だって、大学から前期授業の学生アンケートの結果が送られてきた。

今回もだが、僕の授業への学生の評価は双耳峰形だ。つまりピークが2つある。気に入ってくれる集団がいる一方で、気に入らなかったというもう一つの集団のコブがある。

マーケティングのような分野は、すでに仕事で担当者として携わっている人たちにとっては馴染みがある一方で、例えばビジネススクールのファイナンス専攻に入学してきたような学生たちにとっては馴染みもなければ、さほど関心のない領域である。また、知識や経験と同じくらいセンス(ビジネスマンとしての、また消費者としてのセンス)に左右される特徴もある。

クラスの全員を満遍なく満足させる授業という芸当ははなから無理と考えているので、ターゲティングが必要になる。僕の授業クラス内でのターゲットのイメージは、横軸にマーケティングの知識や習熟度、縦軸にその人数をとったときに描かれるだろう正規分布のカーブの右半分である。それがパレート的に最適だと考えているから。

毎回のクラスは、ケースメソッドによる討議型授業を中心にしている。最初の授業でマーケティングの概要について説明した後は、指定教科書は自分で読み進めるように毎回の授業テーマとそれに対応する教科書の章をリーディングリストとして渡しておく。

マーケティングのテキストには難しい数式があるわけでもなく、哲学書のような難度の高い論理展開があるわけでもない。普通の社会人なら読めば書かれている理屈は分かるはずだとの前提に立っている。

もちろん読んで分からないところがあれば遠慮なく質問するように伝えてあるが、教科書の内容に関して質問を受けたことは一度もない。

ところが授業後のアンケートを読むと、例年自由回答欄には教科書に沿ってマーケティング理論の説明をしっかりして欲しかった、というのが何通もある。だいたいどういった学生(大学院生)かその年のクラスの顔ぶれで分かるのだが、大学1年生ではないのだから自分がどう勉強するかは自分で学ばないとね。


社会人大学生がお客さん気分いっぱいで、何でもすぐ消化できるようにかみ砕いて教えてくれなきゃイヤ、とばかりにぐずっているようにすら感じる時がある。一流のビジネスマンは、自らが学ぶことを学ぶ、いわばメタ・ラーニングができることが必須である。

燧ヶ岳双耳峰