2018年5月27日

フロリダの光と影

冒頭からいささか気色の悪いショットで映画は始まり、そのまま気分が乗らないままだ映画のストーリーは流れていく。

「フロリダ・プロジェクト」は、アメリカ、フロリダのディズニーランドのその塀の向こうの世界を描いた映画である。そこにはディズニーランドを訪れる客のための安いモーテルが林立し、アパートを借りることのできない貧しい連中が宿泊料週払いで住んでいる。

シングルマザーの家庭も多い。アメリカ社会の縮図というわけか。白人もいれば黒人もいるし、ヒスパニックもいる。今回の映画の主人公たちともいえる悪ガキらもそれぞれ白人、ヒスパニック、そして黒人の子供たちである。

冒頭から見ていてあまり心地良くないシーンが続いて、何度も観るのをやめようかと思いつつも最後まで踏みとどまり、やっと最後の最後の30秒の展開ですっと救われた気がした。はっきり言ってそれほど気の利いたシーンというわけでもないのだが、それまでが酷かった。

この映画で、脚本・監督のショーン・ベーカーが描いたのは今のアメリカ社会の一面。豊かで華やかなそのイメージの裏にある、人々の暮らしの現実である。その日暮らしの若いシングルマザーとその6歳になる娘が話の中心だが、それは決して特異な存在というわけではない。

アメリカには、フロリダにとどまらず全土にそうしたその日暮らしの貧しい家族らがいるはずだし、またそれはアメリカに限った話でもない。日本にも数多くこうした若く貧しいシングルマザーとその子供の家族もたくさんいることだろう。

ただ、この映画を見て思ったのは、アメリカ人のこうした底辺にうごめく人たちのアナーキーなまでのパワフルさ、身勝手で自己主張が強くあまりにも自己中心的なその姿の異様さである。そこには社会性や合理性は感じられない。ただ自分を守りたい、自分さえ良ければいいという、そうした野放図な利己心があるだけだ。

その凄まじいパワーというか、執念を感じさせるほど身勝手な主張を繰り返す強さには負けてしまう。日本ではこうはいかないだろう。だれもがそここそ社会性を持ち、常識で生きている日本人にはこうした強さはない。はたしてそれがいいのか悪いのか、この映画を観ていてわからなくなった。

子役たち(どれもすばらしい)を始め、無名の役者たちが多かったこの映画の中で、唯一僕が知っていたのは舞台となっている安モーテルの支配人を務めるウィリアム・デフォーだ。これまでエキセントリックな役柄が多かった彼が、随分と落ちついた常識的な人物像をきっちりと演じている。

その彼の落ち着いた役割と演技が、この映画の最大の清涼剤とも言えるものだったことは間違いがない。彼の役柄がなければ、僕はこの映画の途中でとっとと映画館を後にしていたことだろう。

この映画の上映の前に、是枝裕和監督の「万引き家族」の予告編があった。高層マンションの谷間に立つ平屋に住む家族を描いたこの作品とフロリダ・プロジェクトは見事に繋がっている(「万引き家族」はまだ未公開だけど)。

表からは見えない、だけどしっかりそこに息づき生きている人たちや家族の存在を観るものに突きつけ、深く考えさせる。