2018年3月6日

第90回アカデミー賞授賞式


第90回目のアカデミー賞授賞式があった。

日本でもいろんな映画祭が行われていて、その中には日本アカデミー賞もあるのだが、本物(本場)のアカデミー賞授賞式に比べればそれはまるで子供だましのようで、同じ「アカデミー賞」でも彼我の違いは驚くほど。米国のエンターテインメント分野の奥深さを知る。

アメリカのアカデミー授賞式では、数年前に白人中心主義ではないかという声があがり、それがきっかけかどうか知らないが選ばれる作品や授賞式の内容もずいぶんと変わった。昨年、「ムーンライト」が作品賞を受賞したのがひとつのエポックだった。
日本では昨日、3時間ほどのアカデミー賞授賞式のダイジェスト版が放送されたのだが、それを見てて思ったのは、よくこれほど多彩な才能や人種や何やかやが集まるものだという驚きである。
日本ではいまだに「働き方」に言及するとき、女性の職場進出に関連してダイバーシティ(多様性)という言葉がきまって使われたりするが、今回のアカデミー賞の授賞式を見ていて思うのはすでにそういったものは当然のことであり、何をいまさらと言った感じがしないでもない。
しかしその一方で、女性差別やセクシャルハラスメント、同性婚、人種格差、トランプの唱えるアメリカ中心主義といった社会の中での根深い問題も確実に認識されており、授賞式の中にそれぞれがうまくテーマとして盛り込まれている構成と演出に感心する。実によく考えられ、練られていて素晴らしい。

「#MeToo」のムーブメント支持や、ミラマックスの映画プロデューサー、ハーベイ・ワインスタインへの痛烈な批判も予想どおり。

それにしても、アカデミー賞の授賞式では毎年コメディアンあるいはコメディアンヌが視界を努めているが、彼らは凄いなあと感心させられるのは、既成の権力を容赦なく笑い飛ばすことで批判し、常識をスマートな表現で揺さぶる技を持っていること。テクニックだけではない、その前にそうした社会意識を持っていることといっていい。