2011-09-21

聞くな、見ろ

仕事柄、自分で調査をするし、大学院生にも論文作成の一環で調査活動を指導することも多い。何を明らかにするか、どうやって明らかにするか、どのようなデータを集めるか、サンプルをどう選ぶかなどなど、実際に自分で一連のことをやってみないと調査がどういうものかは分からない。

集めたデータを分析することだけでなく、小規模ながらも自分で調査プロジェクトを進めることが大きな学習につながる。インタビューなど定性でやるか、アンケートベースの定量でやるか。学生には、まずはその辺りからオープンに考えるよう勧めるようにしている。

ただ自分自身は、最近はあまり調査データを信用していない。特に、調査設計が分からないものは、意識的に信用しないようにしている。調査のやり方や分析の仕方をちょっと変えるだけで、簡単にバイアスをかけることができ、またそれをもっともらしく見せることができるから。世の中にそうした調査がいかに多いことか。

もともと人に、例えば「あなたはなぜこの商品を購入したのですか」などと聞いたところで、本当のことは出てこない。こちらのために、相手は「それらしく考えて」答えてくれるだけだ。言葉は信用できない、と思った方が良い。その代わりにリサーチャーがやらなければならないのが、観察である。対象者の行動を観察し、その意味を分析する。まるでシャーロック・ホームズが事件の謎解きをするかのように。

ノンフィクション作家の梯久美子さんが、新聞の文化欄に「インタビューの極意」という文章を書いていた。よいインタビューをするためのノウハウなどないそうだ。(当たり前だが)。ただ、彼女には、インタビューに向かう際に思い描く理想的なインタビューの光景がある。10年ほど前に新宿のビルの地下にある小さなロシア料理屋で1人で昼食をとっていたときに見た、近くのテーブルにいた若い2人の関係である。

賑やかなランチタイムのレストランで、そこだけ周囲と違った空気が流れていた。彼女はそう感じた。なぜ自分がそう感じたのか、彼女はしばらく観察を続けて、その意味が分かった。相手をじっと見つめるのではなく、幅のあるゆったりした視線で相手を見ている女性。そこには2人だけを包む繭のようなものが見えた気がしたそうだ。

以来、インタビューにのぞむ時、そうした繭を思い浮かべるようにしていると言う。

2011-09-20

反証の仕方

三菱重工業のサーバーが外部から侵入された。同社の潜水艦やミサイル、原子力プラントを製造している工場などのサーバーとパソコンが狙われ、報道では「サイバー攻撃」という言葉が使われている。

侵入によって情報を抜き取られた痕跡が確認されているらしい。機密性の高い国家レベルの情報が盗み取られている可能性もある。

侵入によって見つかったウイルスは8〜10種類で、それらを分析したところ、そこには中国語簡体字が含まれていた。

それに対して中国外交部の報道官は記者会見で、「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している。中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国であり、中国がハッカー攻撃を仕掛ける拠点との見解は根拠がない」などと述べ、中国の関与を否定したと報じられている。実に素早い反応。

しかし、こうしたことへの正しい反証は、実は大変難しいのだ。仮に中国の関与が「ある」ことの証明ならば、一例を示せばすむ。しかし、中国の関与が「ない」ことを証明するのは、あの広大な国土で13億人の国民すべてを管理し完全にモニターしていないとできない話だからだ。

それとも、中国は自分たちはつねに13億人の国民を常時モニターしているんだぞと言いたいのかネ。

そもそも「中国政府は一貫してハッカー攻撃に反対している」とか、「中国も国外からのハッカー攻撃を受けている主要な被害国」ということと、今回、中国関係機関がサイバー攻撃を行ったのではないという主張は論理的一貫性がない話。きわめて単純な理屈だが、それが分かっていない。

2011-09-19

「IT革命は人類にとっては後退だと思う」

今年の夏季ダボスの別名(正式カンファレンス名)は、Annual Meeting of the New Championships 2011という。新興の伸び盛りの企業の経営者が集まって、これからの更なる成長を築いていこうということだ。ただ、なかには胡散臭い連中がその気になって集まっている妙な匂いもなかったわけではない。

彼らが目を向ける成長のチャンスは、新興市場とインターネット(ソーシャル・メディア)のふたつ。

帰国後読んだ本の中で、建築家の安藤忠雄さんが「私はインターネットはやらないし、Eメールもしない」と語っているのを目にしてふと手を止めた。10年前の本ではない。昨年の11月に発行された本だ。

また彼はこうも述べる。「情報機器の発達で、急速な勢いでコンピュータ社会になっていますが、人間が歩むべき方向ではない。違うところに向かっているように思えてなりません。つまり、IT革命は人類にとっては後退だと思う」と。

確かに、IT革命は人類にとって後退をもたらすものかもしれない。そして、特定の目ざとい連中にとって莫大な利益をもたらすものである。

2011-09-18

英語人格

昨日、大連で開催された夏季ダボス会議から帰ってきた。

3日間の会議開催中には多くの人と知り合ったが、日本人で英語をしゃべると人格が変わったように見える人が結構いる。日本人同士、日本語で話していると普通なのだが、彼が外国人相手に英語で喋り始めると、これが同一人物かと思われるほどアグレッシブになり、いきなり身振り手振り混じりになり、また顔の表情も10倍くらい派手になる。

なぜかほとんどが男性だ。何故だろう。

2011-09-16

別ルールの国

フェイスブックからメールが来た。最近アクセスしてないよとの内容である。で、そこにあったボタンを押したが、つながらない。そうだった、中国はフェイスブックが繋がらない国なのだ。



2011-09-15

Industry visit in Dalian

今日は朝から企業見学に参加。僕が参加したのは、3つのコースの中のひとつでハイテク・エリアを訪ねるというもの。30名ほどの参加者が、バスで予定地を移動する。車中、大連外国語大学の女子学生たちがボランティアとして熱心に世話をしてくれる。

少し残念だったのは、訪問地はどこもお仕着せの見学コースのみ。説明も型どおりといった感じだ。当たり前だが、とにかくよくコントロールされている。見せたいものと見せたくないもの、聞かせたいことと聞かせたくないこと、それらが独自の基準ではっきり線引きされているのだろう。

かつての日本のつくば学園都市に似た都市開発が、つくばの時とはまったく異なる時間軸の中で推し進められている。そのスピードと勢い、また計画自体の思い切りのよさには目を見張る。

2011-09-14

温家宝首相のスピーチ

夏季ダボスは温家宝中国首相のスピーチで開幕した。伸びゆく中国の現状を、さまざまな観点から具体的なデータを数々あげながら紹介していた。ただし中国の場合、そうしたデータの信憑性がいつも問題である。

2011-09-13

夏季ダボス参加のため大連へ

夏季ダボス会議(世界経済フォーラム)のため大連に来た。なかなかの都会である。

街もきれい(会議が開催されるため、前の週に街をあげて清掃したという話を現地の日本人から聞いた)。街のあちこちで高層ビルが建設中である。天候のせいかもしれないが、空気はかすみ、少し淀んでいる。青空はない。

さっそく街を歩き回る。ホテルのコンシアージュに中山広場までどう行くのか尋ねると、歩くには遠すぎるからタクシーを使えと本気で勧める。だが、歩く。

 大連駅の近くを歩いていたら、真っ黒のバスが。S.W.A.T、特警とある。

2011-09-04

「最悪の事態は避けられた」

昨日の新聞で、ノンフィクション作家の吉永みち子さんが民主党代表選の結果について「海江田氏が選ばれたら、日本人をやめたいと思ったほどだったので、最悪の事態は避けられた」と書いていた。同感である。一国の首相が、議会の中で感極まって泪を見せたりする人物では困る。また、ただ首相指名を受けたいがため、時代遅れの政治勢力と平気で手を結ぶというのも、この国のあるべき姿を考えていない証拠だ。

2011-08-28

聞き苦しい「させていただく」

前原前外相が外国籍の人物から献金を受けていた問題で、彼はその人物が外国人だとは知らなかったと釈明し「すでに全額返金させていただいた」と述べた。

日本名で生活している人なので、外国人だと気がつかなかったとしても不思議ではない。気になったのは、「返金させていただいた」という言い方だ。なぜ「返金した」とスッキリ言えないのだろうか。こういう言い回しをする人は、思考がスッキリしていないのだろう。

2011-08-23

携帯電話と公衆電話

今日の日経夕刊に作家の新井素子さんが書いていたが、彼女は携帯電話を持ってないそうだ。お金がないからだそうだ。というのはウソで、好きではないのか、職業柄必要としないからか、その理由は書いてないので分からない。とにかくそうした人には、ある種の勇気を感じる。

 彼女だって電話をしないわけではないので、利用するのは自宅の固定電話と公衆電話になる。ある日彼女のご主人(僕の高校の後輩)が携帯を外でなくしたとか。その携帯自体は拾ってくれた親切な人が電話帳の「自宅」に連絡してくれ、最寄り駅に届けてくれたらしい。

肝心の彼にそれを伝えようにも、本人から連絡がない。やきもきしながら電話機のあるリビングから一歩も出ずに3時間ほど待ったらしい。やっと「携帯なくしちゃった、どうしよう」と電話してきた彼。公衆電話が見つからなかったらしい。そうなんだよな。

つい先日、引き出しの中を掻き回してたらNTTのテレカが5枚ほど出てきた。2500円分也。もちろん公衆電話で使えるわけだが、そのために街なかでわざわざ公衆電話を探すのはばからしいと思い、ゴミ箱に捨てた。そうした人って、結構いるに違いない。

2011-08-21

コーヒー豆の等級について

久しぶりに友人のS村さんと自由が丘で呑んだ。凝り性の彼が最近凝っているのが、コーヒーとワイン。ワインについてはワインスクールに通って学んでいるとか。どんな受講生が来ているのか話を聞いたが、想像するになかなか面白そう。

コーヒーについてもいろいろと教えてもらった。コーヒー豆のグレードには4つあるそうだ。上から、スペシャルティ、プレミアム、コモディティ、そしてローグレード。コーヒー好きの人にとっては当然かもしれないが、僕はそうしたことは知らなかった。

スターバックスが買っている豆はプレミアムクラスで、マックはコモディティクラス。缶コーヒーは、CMでは「引き立つ香りと味わい」だとか言っているが、原料の豆はどれも一番安価なローグレードだそうだ。

2011-08-16

バフェットの見識

8月14日のThe New York Times紙上へウォーレン・バフェットが "Stop Coddling the Super-Rich"という文をよせて、これ以上金持ちを甘やかすべきではないと主張している。財政悪化にもかかわらず米国の富裕層への課税が不当に低く押させられていると指摘しているのである。

80年代、90年代は金持ちにはそれなりの課税がなされていたが、ブッシュ政権以来はそうではないらしい。株の売買益や配当益にも正当な課税をすべきだと彼は述べている。

以下の彼のコメントが100%真実かは測りかねるが、こうしたことを少なくとも経済的には最も不利益を被ることになるバフェット本人が明言しているところに感銘を受ける。

I know well many of the mega-rich and, by and large, they are very decent people. They love America and appreciate the opportunity this country has given them. Many have joined the Giving Pledge, promising to give most of their wealth to philanthropy. Most wouldn’t mind being told to pay more in taxes as well, particularly when so many of their fellow citizens are truly suffering.

日本でも3・11の大震災を受けて多額の金を寄附した起業家が話題になったが、黙ってやればよいものをマスコミにニュース・リリースを出すあたりが「なんだかなあ」と思わせる。それに比べて、その構想力や社会性の面で彼此の違いを感じる。

2011-08-11

那須での夏合宿

今年の夏のゼミ合宿は那須のホテルで行った。2泊3日の慌ただしい日程だったが、集中的にケース討議を2本こなしたのが成果といえば成果か。

那須の地も3・11以来、観光客の足が遠のきホテルも営業を縮小していたらしいが、この時期にはほぼ通常の営業に戻していた。夏休みらしく、子供連れの家族が多かった。

合宿後はそのまま2日間ほど那須にある仕事場にとどまり、のんびりすることができた。ここでは普段はほとんど観光地へ行くことはないのだけど、今回はロープウェイで那須岳へ登ったり、今年宮内庁から環境省へ移管された御用地(全体の半分ほど)を少し散策した。自然が守られたまま残っているすばらしい場所だ。

大正時代に後の昭和天皇の避暑の場所として御用地になって以来、一般人は立ち入ることすらできなかった。もっと早く開放してくれればよかったのに。

2011-07-31

アンナさん、そんな無節操な

8月4日号の週刊文春に「荻野アンナのワンダーランド・宮城」というJR東日本の記事風広告(3頁続き)が載っていた。広告だから誰が何を言おうが基本的には勝手だけど、メインタイトルが「がんばろう東北! がんばろう宮城!」で、それを荻野アンナが言っていることに憤怒する。

以前、電事連(電気事業連合会)の広告に出て、同じ文春で原発を持ち上げていたのに。そんなことはもう誰も覚えていないとでも思っているのだろうか。

検索窓に「東京電力 荻野アンナ」と入れてみれば、彼女が原発文化人と云われる連中の代表的な一人であることが容易に分かる。どの面(つら)下げて、こうしたメッセージが出せるのか。また、広告主の真意を疑う。

2011-07-29

ホワイトハウスと首相官邸

DVDで「ザ・ホワイトハウス<セブンス・シーズン>」を見終わった。全21話と長かったが、飽きることなく全編を見せたのはシナリオも演出も俳優陣もすばらしかったから。もとはアメリカのテレビ番組である。番組製作の厚みが違う。

舞台であるホワイトハウスや大統領選挙戦の様子が事実とどれだけ同じでどれだけ演出上のものなのか僕には判断がつかないが、ドラマ上で大統領や次期大統領候補者を取り巻く連中がすばらしいのに感銘を受けた。国の最高意思決定者は、最高の能力と強いスピリットを持った多くのスタッフに支えられて初めてよい仕事ができる。

これは国という巨大な組織を動かすために不可欠なシステムである。日本はそうしたシステム作りが下手なのだろう。かつては官僚組織というシステムがそうした役割をそれなりに果たしていたのだろう。しかし、それはもういらない。そして問題は、トップマネジメントを支える今日的なそうしたシステムがないことだ。その事は、今の官邸の様子からうかがうことができる。

首相個人も問題だが、現在の状況は「システム」の問題でもある。

2011-07-25

節電ファッショ

NTTデータの社長が新聞紙上で述べている。「ジャケット禁止の会合も増えた。会社の取り組みは本気だ」。発言の前後関係は分からない。会社の取り組みもなるほど本気なのだろう。結構である。しかし、ジャケットを羽織ろうが羽織るまいが、それは個人の自由というものだ。

彼はこうも発言している。「今はネクタイを締めて客先を訪れたら、逆にしかられる」。こういうのって、何か連想させないだろうか。戦時中、他人と違う装いをしたり行動をすると「非国民」と非難された「あれ」だ。

同社ではスーパークールビズ定着を狙って、アパレル会社を呼んで「社内ファッション・ショー」を行い、モデルを社員に務めさせたとか。社員の皆さん、楽しかったですか。ゴクローサン。

2011-07-22

厚生労働省って、ものを考えているのか

先日、「労働経済白書」(2011年版)が発表された。そのなかで、大学進学率が上昇しているデータと、大卒者の就職率が伸び悩んでいるデータを重ね合わせて、若者の高学歴化が就職につながっていないという指摘がなされている。

で、その理由は大学の学科構成や教える内容が社会とずれているからだと分析している。どうしてそういう分析になるんだろう? そもそも今時、大学進学率の上昇、イコール若者の高学歴化と直線的に(すなおに)考えているところからしてはずしている。

大学卒業後に就職も進学もしていない人を学部別にみると理系より文系が多いことから、「大学の学科構成は社会のニーズにあっていない」とか。大学というのは、殖産興業のための装置でもなければ、就職の予備校でもないのだよ。

景気後退期に企業が雇用を抑えるのは当然の行動である。また、文系と理系の学生比率と企業の採用活動の間には、直接の関係はない。ほとんどの企業は、あらかじめ策定した採用計画に沿って採用者数を決めているのであって、「今年の入社希望者で理系の学生の割合が少なかったから、また学生が学んでいる科目が当社が期待している内容ではなかった結果、採用者数を手控えた」なんてことがあると思っているのだろうか。

2011-07-21

「ぴあ」が廃刊に

7月21日発売の号を最後に、ぴあが廃刊になった。創刊以来39年間ということで、まずは表紙を毎号書き続けた及川正通氏にお疲れさんと言いたい。似顔絵でもなく、単なるリアリズムでもない、独特の及川ワールドを毎号見せてくれた。

ネット時代に向けて役割を終えたから、と発行元は言っているが、僕は長年の読者としてそうではないと思っている。ぴあのように、映画だけでなく演劇も、コンサートやライブの情報、美術展、スポーツイベントなど、種々雑多なライトな情報を探すのは、ネットより雑誌がはるかに優れている。

原因は編集の問題だ。僕が中心的読者層から外れているからかもしれないが、この10年くらいは内容がだんだんガキっぽくなり、アホっぽくなり、どうでもいいようなページが増えてきた。いや、編集者を責めるのは酷かもしれない。読者に合わせたらこうなっていったのかしれない。結局、われわれ全体の文化度の問題か。

平綴じが中綴じになった時は、平綴じに戻してくれるように要望を綴った手紙を編集部に送った。平綴じじゃないときれいにバラバラにできないからね。普段カバンに入れて持ち歩くのは、自分の行動範囲内の映画館情報とライブハウス情報だけで十分。

ネットはいいから、誰かまたこうした雑誌を作ってくれないかなあ。

2011-07-16

2220時間

地デジ対策をと考えて、近くの家電量販をたずねた。我が家のテレビはもう15年くらい前のブラウン管テレビである。消費電力も気になり、この機に液晶テレビに買い換えようと思った。

店員のアドバイスを参考に思案したあげく「これにしよう」と選んだ機種。ところが在庫を調べるてもらうと、配達は9月になるとのこと。一ヵ月以上かかる。僕のようにアナログ放送終了間近での購入客が多いからだろうという説明を受ける。

他のテレビを選び直す気力がなくなり、取りあえずチューナーを買おうと考え、ブルーレイディスクレコーダーを購入することにした。こちらはテレビほど銘柄選択は難しくない。コストとハードディスク容量を眺めながら購入機種を決めた。

僕が選んだのは、シリーズで最も容量が小さなものである。それでもフルハイビジョンが長時間モードで232時間録画できる。最上機の録画可能時間は、なんと2220時間。目一杯録画した映像を毎日3時間見るとして740日、丸2年以上かかる。

2011-07-15

Natural Guitar

昔から通っている学芸大駅前の店で「今日も暑かったね〜」などと言いながらビールをやってたら、BGMで涼しげな音楽が。アコースティックギターの軽やかな響きだ。

その店のお客さんで、松宮幹彦さんというギタリストのCD「Natural Guitar」だ。その時は店に取り置きがなかったが、先日仕事帰りにのぞいたら本人がいて、少しお喋りをした。

お客さん用にと店においてあったCDを一枚購入し、今は自宅で聞いている。エアコンをつけなくとも、部屋の温度が2度は下がる感じがする。

2011-07-14

どうしようもない人事管理

新聞の記事に「東京電力は13日、福島第1原発で4月に作業した協力会社の作業員のうち118人と連絡が取れないと発表した」とあった。3月の作業に従事した人も含めると132人になるらしい。

連絡が取れないというのは、電話しても相手が出ない、というのではない。連絡先が不明ということ。

もともと彼らについて住所不定・連絡先なし、だったわけではないはず。なぜなら、「協力会社」とやらが作業員として雇用契約を結んでいたはずなのだから。もしそれがなされていなかったとしたら、基本的な管理ミスの問題だろう。杜撰。これらの元作業員は、その後の被曝線量の検査すら受けていないのだ。

10年前の話をしているのではない。彼らが働いていたのは、つい3ヵ月前のことだ。東京電力は「協力会社」による雇用主責任のままやり過ごすのだろうか。

2011-06-30

映画「ビューティフル」の美しさ

「ノーカントリー」で強烈な印象を残したハビエル・バルデム主演の「ビューティフル」が公開された。原題は"BIUTIFUL"。英語のスペルは間違っているが、これでいいのだ。

末期癌で余命2ヵ月と分かった、バルセロナで生きる一人の男の死に向かう生き方。舞台はバルセロナの裏町。ウディ・アレンの「恋するバルセロナ」とは全く別面のバルセロナがここでは描かれている。サグラダファミリアが映った街のシーンが途中挿入されてなければ、僕はバルセロナとは気づかなかったかもしれない。正直、最初はメキシコが舞台だと信じて観ていた。

知らなかったが、欧州はどこでも移民が多いらしい。中国やセネガルからの移民の様子がドキュメンタリー的に描かれている。一日16時間の労働を強いられ、狭い一つの部屋で寝起きをしている中国人移民。給料の多くは元締めに搾取されている。それでも、彼らを搾取する同じ中国人からすれば「あいつらは中国で働いても一日50セントにしかならないのだ」。

セネガルからやってきた女性。乳飲み子を抱えたまま、夫は違法薬物の売買で警察に捕まる。金を貯めてセネガルに帰りたいと願っている。自国に恵まれた仕事や明るい未来があるわけではない。ただ、スペインの社会からはどうやっても本当の意味では受け入れられないという排斥の感覚に耐えられないのだ。

先週観た「127時間」は、若いアメリカ男が死の淵から再び生への世界へと脱出する話。「ビューティフル」は死に向かう中年のスペイン男が、死を受け止めたまま生きる(死ぬ)話だ。「127時間」も凄まじい内容だったが、ひょんな事故で動けなくなった主人公には未来と可能性があり、解決すべき問題もただ一つ。明快だ。彼はそれを自らの勇気と知恵で乗り越えた。「ビューティフル」の主人公は、その面では救いようがない。どうしようもない。人智を越えている。諦観と背中合わせに、やがて来るその時までの時間を一日一日過ごす。

監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イナャリトゥは、黒澤明の「生きる」に影響を受けたという。なるほど、この映画は黒澤から50年後の「生きる」だ。

2011-06-27

スタンフォード白熱教室

昨晩深夜のNHK「スタンフォード白熱教室」を見ていて、どこかで見た顔と思っていたところ、思い出した。彼女とは2年前の7月にハワイで会った。

学会報告のために訪れていたシェラトンワイキキでのことだ。あまりに天気がいいので、途中で会場を抜け出しオープンエアのロビーで寛いでいたら、隣のソファにいた女性から今日ここでは何の学会が開催されているのかと話しかけられた。

いきなりの学会という言葉から、同業者かと思い話をし始めると、スタンフォード大でアントレプレナーシップを教えているとか。昼食らしいバナナとヨーグルトをコーヒーで流し込みながら早口でしゃべっていた女が、この番組に出ているティナ・シーリグだった。

2011-06-19

宇宙からの視線

慶応大学で、元グーグル日本法人社長の辻野晃一郎さんの講演会があった。

彼は、グーグルでの3年間を振り返って「グーグルの連中には、宇宙のどこかから地球を眺めているような視線を感じた」と語っていた。そのとき彼が会場のスクリーン投射したグーグル・アースによる地球の映像が、その意味するところをより的確に伝えていた。

また、日本人や日本企業の視線がいかに内向きで閉ざされたものかを指摘していた。例えで彼が挙げていたのは、日本のメディアによる報道の内容のいびつさである。まったく同感だ。

NHKをはじめ、日本のどの報道機関も明からに国内最優先である。確かに視聴者は日本人だから国内の出来事を中心にという考え方なのかもしれないが、あまりにバランスが悪い。というか、海外なんて面倒くさいというような編集方針すら透けて見える。

2011-06-16

順応しないことも大切

留学を考えている社会人大学院生たちの集まりが、早稲田通り沿いのレストランであった。彼らは定期的に集まっては情報交換をしているらしい。その会でのスピーチを頼まれた。

留学を終えて帰国したときに感じる「違和感」をできる限り長く忘れないようにとの思いを込めて、帰ってきたら意識的に行った先の国に「かぶれろ」という話をさせてもらった。アメリカかぶれ、とかフランスかぶれとかだ。

話をしている相手はみんな社会人経験のある大学院生たちだからこそ、こうした話を敢えてさせてもらった。何々かぶれなんて、本当は褒められたものじゃないのは百も承知だ。けれど、どうせ帰国して半年もすれば、日本という国の古めかしい制度や個人を拘束する日本人のしきたりなんてものにも、いつの間にか再順応するはず。だからこそ、少しでも長く日本という国に「違和感」を感じて、そしてその意味するところを考えて欲しいと思っている。

2011-06-15

WBSマーケティング授業終了

今日で夜間主MBAのマーケティング授業が終わった。7&8限の授業は受ける方も教壇に立つ方も大変だ。

22時過ぎに授業を終了。教室に残った学生の対応をしながら(僕の著書へのサインを求められたり、名刺の交換をしたり)、授業の後片づけをする。その後研究室にいったん戻り、荷物をまとめつつ、急ぎのメールの確認をすませればもう23時である。だから、帰宅は24時過ぎになる。

2011-06-12

失明暗

新聞の文化欄に声楽家の塩谷靖子さんが文章を寄せていた。そこで彼女が書いていた「失明暗」という言葉に目を引かれた。

8歳で光を失った彼女にとって、光のない世界は闇ではないという。失明直後は闇であったとしても、いずれ明るくも暗くもなくなるからだそうだ。「明があるからこそ暗があるのであって、つねに明がない者にとっては暗もないのだ。だから、失明という言葉は、正しくは失明暗と言うべきかもしれない」と書かれている。なんという真実!

だからこそ、彼女は光溢れる世界をもう一度見たいと憧れると同時に、闇に思いをはせる。「失明暗の状態にある者にとっては、もはや体験することのできない、真夜中の森を覆い尽くす闇や、カーテンを閉めて明かりを消した寝室に漂う闇が恋しくなるのだ」との言葉に、深い知性と繊細な神経の存在を感じる。

2011-06-11

原発だけでなかった情報操作

日本経済研究センターの研究員の調査で、日本株の長期リターンは過大に計算されていたことがわかった。 

この調査レポート(JCER Discussion Paper No. 130)では、過去の長期収益率としてこれまで日本証券経済研究所が集計・公表してきたものは計算過程に課題があったことが指摘されている。配当込み東証株価指数(TOPIX)を使って計算し直すと、過去58年間の投資収益率は従来推計を2.8%下回る9.1%にとどまり、1986年以降に投資を始めた場合、株の購入年が2002年、03年、09年だった場合を除いて、配当を含めても元本割れになっていることが明らかになった。

つまり、ほとんどみんな損してたということだ。一般投資家はなおさらのことだろう。株式投資は短期的な値動きの変動は大きくても、銘柄を分散し長期に保有すれば資産形成につながりやすいと言われている。 しかしそれは、「売り手」側にとっての都合のよい「神話」だったわけだ。

2011-06-10

文章の誕生感

荒川洋治さんの本のなかに、彼が初めてメールを使ったときのことが書いてあった。
最初にもらったメールが、画面に浮かんだときの印象をぼくは生涯忘れないだろう。メールを、おそるおそる開けた。するとどこから湧いたのか。すぅーっと先方の文字があらわれる。静かである。声がない。音もない。時もない。文章というものが生まれた瞬間に立ち会うような気分だった。 古代の空気を感じた。ことばはこのようにして、この世にあらわれたのだと思った。この世から消えるのだと思った。
それまでFaxで原稿をやりとりしていた彼にすれば、静かに言葉が生まれたと感じたのも分かる気がする。そして消えていくのだろう。

これが書かれたのはちょうど10年前、2001年のこと。

2011-06-09

学生との飲み会

昨晩7&8限の授業が終わった後、学生たちとの飲み会が戸山キャンパス近くの店で行われた。宴会の開始が22時半過ぎ。それでも55名の履修者のなかで40名強が参加していたのではないだろうか。妙な高揚感のなか、終電までの宴が続いた。なかなかパワフルである。社会人学生らしくその口々からは、忙しい、疲れる、(家族を顧みないので)女房から嫌みを言われる、など文句も縷々出るが、まんざらではなさそうだ。

帰り際、学生たちから花束をもらった。混雑している終電間近の電車に花束を持って乗り込む気分は悪くない。持って帰ってどうしたかって? もちろんビアジョッキに移し替えたよ。

2011-06-04

つるむと何故かっこ悪いのだろう

富士山を眺めながら、鳥の鳴き声を耳に山中湖近くの街道を散歩していたら、後ろから低い独特の排気音を響かせながら一群の車がやってきた。その数、約10台。ほとんどがポルシェ911である。それぞれのボディーカラーやオプションの仕様がオーナーの趣味をうかがわせる。

ポルシェが数珠つなぎで山道のつづれ織りを降りていく様は異様だ。富士山を望める絶景のロケーションにもかかわらず、彼らが見ているのは直前を走る車と後続車だけだろう。何のために走っているのか。

ポルシェはすばらしい車だが、つるんで走っているのは本当にカッコ悪い。周りに目を向けず、仲間うちだけに意識を向けていてカッコ悪いのは、もちろん車だけじゃないが。

自転車は車だ

電気自動車の進歩が急速に進んでいる。化石エネルギーに頼らず、二酸化炭素も排出しないことから時代の要請と言える。ただ、そのエネルギーとなる電気は、太陽光などの自然エネルギーでまかなう仕組みはまだできていない。

エコの点で自転車に今以上の視線が集まるのは必至だ。しかも環境問題だけでなく、個人の健康やライフスタイルの観点からもその方向性は間違いない。コストや扱いやすさも魅力だ。

しかし、いまは自転車に乗るということが多くの人にとって「歩行」の代替となっていて、そのため自転車が歩道を平気で走り、車道の右側を走り、横断歩道を斜めに突っ切る。夜間の無灯火は自分が大丈夫だからというだけのワガママな理由あるいは怠慢であり、取り締まるべき対象だ。

数年前、英国のオックスフォードに住んでいた時、 街中で多くの自転車を見た。大学街ということで若者が多いせいもあるが、日本でいうママチャリはほとんどなく、スピードの出るスポーツバイクが多かった。ヘルメットをかぶり、乗り手は反射シートが貼られたジャケットを身につけ、かなりの速度で走る。その位置づけは車なのだ。

都心でも近距離移動に優れた点が多い自転車がもっと注目されていい。と同時に、そのためのレーンの設置やルールの早急な整備が必要だ。

2011-05-22

Inside Jobという「仕事」

ここでのインサイド・ジョブとは「内部者の犯罪」の意味。2008年9月のリーマン・ショックが引き金となった世界金融危機は、金融ビジネスと金融行政(両者は癒着というよりほぼ一体化していたと言える)の内部者によって発生した人災以外の何ものでもないことを明らかにしている。

映画「Inside Job」は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品。

限度を知らない金銭欲。「ウォールストリート」のゴードン・ゲッコーも真っ青な強欲ぶり。考えたこともないような単位の金額が次々と紹介される。リーマン・ショック前後で金融界のお歴々に支払われた報酬である。映画を観ながら最初は頭のなかで日本円に換算して驚いたり呆れたりしていたが、そのうち馬鹿馬鹿しくなって計算をやめていた。

天文学的とはこうしたことか。世界はそれでも回っていると、まるで宇宙の果てとは言わなくても、お月様かどこかの世界の出来事のような印象である。自分とはまったくリアリティのかけらすら重ならない。

コロンビアビジネススクールの学長へのインタビューが白眉だ。インタビューを受けている途中で、彼はこんなインタビューだとは聞いていなかったと不快感をあらわにする。しかしカメラの回っている前でインタビュアー(監督のリチャード・ファーガソン)を罵倒するわけにいかず、「あと3分だけだ」と相手に告げて、何とか収拾を計らおうとする。そうした対応も含めて彼の本意やパーソナリティが映像で露わになっていく。

どのようにインタビューを申し込み、許可を得たのか実に知りたいところだが、そこが企業秘密なのだろう。インタビュー対象者には気の毒な気がするが、本当の事を対象者から聞き出すには、多少(かなり?)荒っぽくやることも必要。もともと、ジャーナリストとはそうした姿勢で情報収集ができる連中のはず。記者クラブで尻を温めているだけの今時の記者には無理だろうが。

一方、元FRB議長のグリーンスパンなど多くのキーパーソンがインタビューを受けることを拒否。誰がインタビューの申し入れを断ったかは映画の中で明らかにされている。無言のその事実が、それはそれで確実に何かを語っている。

それにしても米国は素晴らしい国でありながら、どうして中枢にいる連中はこれほど邪悪なのだろう。

2011-05-21

ナタリーポートマンの「ブラックスワン」

「ブラックスワン」を観た。一言で言うと、「痛い」映画。この映画を心理スリラーと言っている評論家もいるようだけど、スリラーとは別ものだ。

大役を獲得したバレリーナが、その役柄と自分の間に横たわる溝をいかに埋めてくか、自分の発見と格闘、成長と破滅が描かれていた。ポートマンは多くのバレエシーンを吹き替えなしで演じたらしい。その踊りそのものについてはコメントできないが、筋肉の付き方など体つきはいかにもバレエダンサーだった。

人物に密着するためだろうが、ハンドカメラが多用されていた。こうした映像は苦手だ。

2011-05-15

天国の扉

山梨県の山中湖近くで見つけた車。どこから持ってきたんだろう。

2011-05-14

世界経済フォーラム

世界経済フォーラム(World Economic Forum)事務局から9月に中国で開催される予定の夏季ダボスへの招待状が来た。

今回のテーマは、Mastering Quality Growthだとか。開催地の大連には足を運んだことはないし、成田からは大した距離ではなさそうだ。

2011-05-02

現代詩作家

夕刊文化面に、荒川洋治さんへのインタビューが載っていた。震災と文学に関して問われ、「この大災害を文学の言葉にするのは、とても難しい」と彼は語る。

ところで、彼は詩人ではなく現代詩作家と名乗っていることが、ちょっと気になった。彼の「現代の詩人は観念的、概念的な言葉によりかかり、現実に向き合う言葉の鍛錬ができていない。だから類型的で単純、平板な言葉になる」との発言と関係があるのか・・・。

2011-05-01

島キッチン

島キッチンという名のレストランが瀬戸内海・豊島にある。昨年の夏、瀬戸内海のいくつかの島をつないで瀬戸内国際芸術祭が開かれた折にオープンした店である。その芸術祭が終了したあとは店も閉めてしまったのだろうとばかり思っていたが、今も週末と連休などにはオープンしている。

運営しているのは、島の人たちと島外から手伝いに来ている若い人たち。この建物は、建築家の安部良氏の設計で、英国の建築誌から賞を受賞したらしい。
http://shimakitchen.com/

2011-04-26

田中好子が残したもの

今日、本年度最初の授業を行った。昼間に英語と日本語でのマーケティングの授業、そして夕方からはゼミである。大学本部の判断で、通常より2週間も遅れてのスタートである。これからがんばって巻きながら授業を進めていかなければ。

帰りの電車の中で、知り合いのある大学の教授と偶然一緒になった。その大学は新学期が連休明けからだそうだ。その結果、例年と比べて授業が3回分短くなると言っていた。回数をこなせばいいというわけではないが、どうしてこうしたことを大学がやっているのか、当事者たちはもっと考えた方がよさそうだ。

ところで、昨日のスーちゃんのメッセージにはまいった。昨夜、ラジオを聞きながら仕事をしていたら、突然彼女が残した肉声のメッセージが流れてきて、思わず聞き入った。かすれた声、絞り出すような発声の仕方、時折躊躇したような話し方。震災で亡くなった人たちに想いを寄せ、自分が死んだ後も人の役に立ちたいときっぱりと語る。これほど見事な「残された言葉」を僕は知らない。一度聞いただけだけど、あれからずっと耳から離れない。

2011-04-15

桜の通り抜け

午前中に新幹線に飛び乗り大阪へ。午後から日本経済研究センター(大阪)で「日本企業のマーケティング向上策」と題したテーマで講演を行う。

夕方からは学生時代の仲間たち4名と食事をすることになっているのだが、さすがにまだ時間が早い。コーヒーを飲み一息ついた後、大阪造幣局にある「桜の通り抜け」といわれる桜の名所を訪ねてみた。

人だかりのために一方通行の制限が成されている桜並木で、造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)まで560メートルほど。川沿いのなかなか気持ちのいいところだった。

2011-04-13

馬鹿の一つ覚えは、ほどほどに

郷原信郎『組織の思考が止まるとき』の副題は、「法令遵守」から「ルールの創造」へ、となっている。元地検検事で、現在は弁護士などを務める人物らしからぬタイトルに引かれて手にとる。

たいへん興味深い。著者が云うところの思考停止とは、上から与えられた(押し付けられた)法令や規則、規範・倫理を、自分の頭で考えることなく、つまりはその時々の状況に関わらずただ盲目的に従うことによって、組織が取り返しのつかないような大きな失敗を起こしている状況である。

郷原は、「遵守」という姿勢そのものからの脱却の必要性を強く説く。必要なことは自らが自分の頭で考えることによって「ルールを作り」「ルールを活かし」「ルールを改める」ことだと主張する。

ルールを作るに際しては、それがすでに明文化されている法令・規則、社内規定と整合性がとれない場合、それらの上位規定に本当に妥当性があるのかと問題の指摘を行えと述べている。確かに組織の中ではルール・イズ・ルール、と押し通す必要のある場合もあるが、そうではない場合も多々ある。

ただそう決められているから、というだけで、社会の実状と適合していない法令・規則、社内規定を守り続けるのは、結局危険きわまりないのである。そこに気づき、意識をつねに向け、与えられたルールを単純に遵守するのではなく、ルールを作り、活かし、変えていく活動によって、「思考が停止した組織」が「思考する組織」に変わるという指摘には同感である。

2011-04-08

多様性を生かした経営

日経の関連会社が調査したところによると「女性が活躍する会社」ランキングで、上位5社に日本IBM、P&G、大和証券グループ、第一生命保険、ソニーが選ばれている。もっともこれは、信頼できる外部機関が独自に調査した結果ではなく、企業に質問票を送付し返送してもらった回答内容をまとめた結果だ(返送率は9.7%)。

この結果を紹介した日経新聞と日経ビジネスの両方の記事のなかに、それぞれダイバーシティー・マネジメントという言葉が出てくる。メディアでしばしば目にするけど、どういう意味だろう。辞書によると「ダイバーシティ」は「多様性」とある。しかし、ダイバーシティ・マネジメントという言葉からの一般的な認識は、女性の雇用比率や管理職比率の改善と理解されはいないか。

先日、ある製薬会社が毎年発行している「CSR報告書」についての第三者意見を求められた。そのなかでは、女性管理職比率が対前年でアップしたとの数値が紹介されていて、ダイバーシティ・マネジメントへの取り組みを積極的に推進してます、と記されていた。

ところが、対前年比でその企業の障害者雇用数も比率も低下していた。実はその数値はCSR報告書には記されておらず、昨年のCSR報告書に記載されていた障害者雇用比率と全従業員数から計算して分かったことだ。う〜ん。これでダイバーシティ・マネジメントへ前向きに取り組んでいると主張しても無理がある。意図したものか、そうでないかは別としても、ダイバーシティが女性雇用やその活用に矮小化されてしまっている・・・。

企業やメディアは「ダイバーシティ・マネジメント」という呼び名は止めて、「多様性を生かした経営」と普通に呼ぶようにした方がいいと思うが、どうだろう。

2011-04-05

英国王のスピーチ

目当てで行った映画館が、東日本大震災のために休館になっていた。扉が閉ざされた入り口に若い男性スタッフが2人、前売りチケットの払い戻しをしていた。

状況を尋ねたら、行政から開館を指し控えるように指導されていて、との回答。地震で会場内がどんな状態になっているのか分からないが、いずれにせよ完全休館させられているわけで、経営は大変そうだ。

しかたがないので、近くの劇場でやっていた「英国王のスピーチ」を観る。第2次大戦当時の英国国王(ジョージⅥ世)が主人公の実話を元にした映画だ。幼少の時から吃音で苦労してきた王子が、兄が王位継承権を放棄したために期せずして国王の地位に就く。

彼は、ドイツに対して宣戦布告した国の王として、ラジオで全国民に強く団結を訴えるスピーチを行わねばならない。さて、うまくできるのか・・・。主人公を演じたコリン・ファースやオーストラリア人の言語聴覚士役のジェフリー・ラッシュ(「シャイン」の主人公だ!)など役者たちも上手いが、演出も上手い。観ていて、はらはらどきどき。

見終わってJRの駅へ。なんだかさっき観た映画の雰囲気を思い出す。駅構内の明かりが半分ほど落とされているせいだった。節電のための対応なんだろうけど、ずっとこれでいいと思った。


2011-04-01

蹴破ってしまえ

大阪からの出張の帰途、新幹線のなかで「静かなる男」を観た。2時間少々の佳作で新横浜までの旅程にはちょうど良かった。1952年作だから、撮られてから60年ほど。名匠ジョン・フォード監督が撮りたくて撮りたくてしかがたがなかった作品らしい。主演は、彼とは気心の知れたジョン・ウェインとモーリン・オハラ。おとぎ話を思い起こさせるような美しいアイルランドの地が舞台になっていた。ジョン・フォードはアイルランド系だったのだろう。

印象的だったワンシーン。主演の二人は困難を乗り越えて一緒に暮らすようになる。結婚初夜の場面、ちょっとした夫婦げんかでジョン・ウィンがモーリン・オハラに寝室から締め出される場面がある。彼はどうしたか。迷うことなく、ドアを蹴破って入っていった。 これこそがジョン・ウェインだ。

福島第一原発の現場では、自衛隊や消防による事態回避のための放水作業など命がけの対応が日々行われている。どころがだ。昨日発売のある週刊誌の記事によると、そうした現場の彼らにはゆっくりと体を休める場も与えられていないという。休息と仮眠のための場所は、「Jヴィレッジ」という東電が管理する施設だが、彼らはそこのレストランの床や通路に簡易毛布を敷き雑魚寝を強いられているとレポートされていた。264名が収容できるという部屋が先客によって埋まっているからではない。

以下、その雑誌からの引用になるが、東電幹部は「原発の危機が収束すれば、また使う予定になっています。ですから、たとえ過酷な戦いをしてらっしゃる自衛隊の方々とはいえ、汚く荒らされるのは何とか避けたく・・・・・・」と語ったらしい。そして実際、その施設にある客室、研修室、会議室は、自衛隊員や消防隊員が入らないように施錠されたらしい。

なんということだ・・・。あまりに非人道的すぎはしないか。そうだ、原発と戦う彼らが履いているのは、他に類を見ないほど頑丈なワークブーツだろう。鍵の掛けられた客室のドアなど、それで蹴破ってしまえ。遠慮はいらない。

2011-03-27

ゼミOB会

昨日はゼミのOB会が開かれた。毎年、3月の最終土曜日に開催されることになっている。

例年にない趣向として、今年は2部構成になっていた。4時から大学で勉強会を2時間ほど開催。博報堂の三宅君とトレンドマイクロの坂本君がそれぞれ発表をしてくれ、他の参加者を交えて質疑応答を行った。その後は、高田馬場の店でいつものように宴会を。集まってくれたメンバーはいずれも元気。京都からこのために鬼頭君が駆けつけてくれた。現役生も何名か参加。これからもみんなには学生時代のつながりを大切にして欲しいと思う。

東日本の震災の影響で自国に一時帰国していた元留学生が何人かいて、彼らが参加できなかったのが残念だった。

2011-03-25

卒業おめでとう

今日、例年通り大学の卒業式が行われるはずだった。しかし、今回の東北地域の震災の影響を鑑みて大学は式典を取りやめた。

卒業式がないのは、寂しいものだ。4月早々に予定されていた入学式も中止になった。こちらも新入生たちには残念に思う。だが入学式は仮になくても、すぐに新学期は始まり、新しい仲間や先生たちに囲まれて賑やかな大学生活の一歩が始まる。

一方で卒業式は、大切な区切りだ。僕は早稲田大学を30年前の春に卒業した。その4年前の入学式は行かなかった。行く気がしなかったからだ。既に東京に上京していたから、行こうと思えば行けたはずなのに。卒業式は行った。その日は雨が降っていた。傘を差したまま学生時代の仲間たちと大隈講堂の前で写真を撮った。大学とはお別れだ、このいつも一緒だった仲間とも当分は離ればなれになる。そうした思いから卒業式に向かったように思う。

交通事情や計画停電、起こるかもしれない大規模な余震といったことから大学は卒業式を取りやめたが、正しい判断だったのかどうか。学位記はそれぞれの学部や研究科で、それぞれのやり方で卒業生・修了生に渡されたようだ。事務所で職員から「おめでとうございます」のお祝いの言葉とともに手渡された所もあれば、校歌が流れる教室で壇上に登った職員たちから一人ひとり手渡されるところもあった。推測だが、大学が全学で卒業式を中止した(ということは、やってはいけない)ためになされた工夫だろう。学生へ向ける職員の思いに頭が下がる。

一歩校舎から出ると、羽織袴姿の女子学生もあちらこちらで目にする。グループでお互いに写真を取り合ったり、抱き合ったり、その時ばかりはいつもの卒業式当日のようだった。
今日は、晴れやかな天気のいい日だった。

2011-03-24

成功は失敗の始まり

今日はマーケティング・リアリティ研究会の第2回目の会合を開いた。

この研究会は、マーケティングの失敗を研究するための産学共同の研究会である。今回テーマとして取り上げたのは、ガリバーとして君臨していた企業がそれまでの成功体験からある種の呪縛に陥り、焦った末に取るべきでなかった戦略を次々に実行してしまったケース。

議論を交わすなかで出てきた、そもそも失敗をどう定義するかという提起からのディスカッションに刺激を受ける。

2011-03-21

これはないだろう、アエラさん

駅のホームの売店の前で、ある雑誌の表紙に一瞬目が釘付けになった。
 
防御マスクをした顔面のアップに「放射能がくる」と巨大なフォントで見出しが載っていた。手に取ろうとした瞬間、発車のベルが鳴り、そのまま電車に乗り込んだ。

3月19日に発売された「アエラ」だ。中身の記事は「原発が爆発した」「最悪なら『チェルノブイリ』」「被爆したらどうしたらいい?」「『放射能疎開』が始まった」などと、これでもかと云ったくらいインパクトだけは十分。

報道の自由を持ち出すまでもなく、どういった記事を書こうが勝手だし、それを求める読者もいていい。ただ、僕は気分が少し悪くなった。


アエラという雑誌、そこに書かれている記事のクオリティについて語るのはここでは止めておこう。今回も野田秀樹が連載している「ひつまぶし」というコラムだけが救いだった。そのタイトルは「東京よ、冷静になれ」。一部を引用しよう。
私はなにもこのたびの、原発事故を庇おうとか、そういう思いで言っているのではない。ただあまりにも冷静さを欠く報道の在り方、安易に恐怖心をあおるだけのその姿勢。そしてそれに踊らされる人びとのあり様。それらが、この未曽有の大震災を、ただ悪い方向にだけ導くものだと申し上げたい
あのちゃらんぽらんな(いや、本当のところは知りませんぜ)野田の主張はすこぶる正しい。

アエラ編集長による「キャッチコピー力の極意5ヵ条」というのがあるらしい。
http://www.henshusha.jp/2010/08/11/promo-word-1/

週刊誌の見出しはスペースに制限があるので字数を短くするとか、なるべく漢字は使わずひらがな・カタカナにする、といったものが極意とは笑ったが、その5つ目に挙げられている「見出しを決めてから走り出す」はいかがなものだろう。
 
これは一歩間違えば、郵政不正事件で大阪地検特捜部がやった(以前から常態化していたらしいが)事実解明の名の下での、結論、つまり落としどころが先にありきの「でっち上げ」に繋がる。
 
予定調和的に話をまとめるのではなく、予断を許さず取材によって事実関係を集めて本当の姿をつかみ、それを報道するのがジャーナリズムの仕事じゃないのか。

さらに気になったのは、「放射が出た(漏洩した)」ではなく「放射能がくる」という表現だ。どこに来るのだ。誰の所に来るのだ。書き手の意識は、放射能が福島第一原発から漏洩した事実にも増して、(おそらくは自分がいる)東京へ来ることが<問題>と捉えている。

2011-03-14

スーパー店頭で

東北地方の大地震から3日、近くのスーパーの店頭から商品がことごとく消えた。トイレット・ペーパー、米、パン、紙おむつ、生理用ナプキン、紙食器、ミネラル・ウォーター、カセット式ガスボンベ、カップ麺など。

被災後の不安心理なのだろうが、なぜトイレット・ペーパーか。1973年のオイルショック時にも同様の騒ぎが店頭であった。まだネットもない時代だったが、こうした風評が大阪からあっという間に東京へも流れた。実際は、そうしたものは家庭内の在庫になっただけだった。なぜかこうした噂は大阪発が多い。口割け女なんてのも大阪が発信元だった。友人が大阪の仕事相手と電話で話していたら、新宿で放射能が検出されたらしいが避難しなくて大丈夫かと聞かれたらしい。

トイレットペーパーが完売になっているスーパーマーケットで、小さな子供がお母さんに「人間は地震があるとウンチがたくさん出るようになるの」と尋ねたらしい。この問いは正しい。自分で考えることもなく、根拠のない妄想だけで行動する大人より、小さな子の方が賢い。

マーケティングの研究者の中には、店頭のPOSデータの分析を熱心にやっている人たちがいる。地震後にどこで何がどのように売り切れていったか、震災時の消費者心理の一端を知るためにもぜひデータを分析し、結果を発表して欲しい。