舞台は1917年(ソビエト連邦の成立につながるロシア革命が起きた年だ)、ドイツ軍と英国軍が戦闘を繰り広げていたフランス。そこで重要な伝令を託された英国軍の2人の若者が、防衛線を越えて敵の占領地に分け入り、罠にかけられようとしている味方軍にその事実を届けるというもの。
スーパーマンでも何でもない普通の兵士2人が、まさに命を賭けて(というか、戦場そのものがそうした場所なのだが)敵陣をくぐり抜けていくというサバイバルゲームを見ている感覚。
2人は走る、走る。それを長回しのカメラが、いい距離感で追っていく。まるで自分が主人公の一人になって戦場の中を命がけで駆けている気にさせられる。
近代兵器が生まれることで一気に闘いが凄惨なものとなった第一次大戦の悲惨さが伝わってくる。徹底して敵であるドイツ人は、薄汚いイヤな奴らとして(しっかり)描かれている。ドイツではこの映画、あまり流行らないかもしれない。
それにしても、観るものを主人公に同一化させる映画手法はすばらしい。カメラや美術のテクニックが抜きんでているのはもちろん、観るものの五感に訴えるように計算された細かい演出が心憎い。
主人公の近くで爆裂し、耳をつんざく砲弾の音。ドッグファイトで撃墜された敵の飛行機が主人公たちに迫ってくる息を呑む迫力の映像。そうした典型的な映画的体験だけではない。
ポケットから取り出して2人で分けて食べる固いパンはその食感を観客に伝え、喉が渇いた彼らが農場の跡で見つけた牛乳は、その甘い匂いを漂わせていた。
そして何よりも感覚を共有させられたのが、主人公が自陣を離れ、鉄条網を抜けながら敵陣に入って行くときに手の平に刺さったその鉄の棘の痛さ。立ち止まることができないなか、泥の中を進みながら血が流れる手の平にもう片手で包帯を無造作に巻きつける。
観客が主人公と同化するこうした仕組みがうまく盛り込まれている。だから、主人公は特殊な能力を持つスーパー戦士ではなく、たまたま上官によって指名された普通の兵士がふさわしい。