彼は長年の監督業を振り返りつつ、今回の作品が最後になるかもしれないと語る。また韓国映画の「パラサイト」が話題になっているなか、日本の映画界では若い才能が実写で力を発揮する場が少ないことを嘆く。
日本で映画は斜陽産業と言われてきたが、今は産業とさえ呼べず、韓国映画に水を開けられたとその心残りを語っている。
日本で映画は斜陽産業と言われてきたが、今は産業とさえ呼べず、韓国映画に水を開けられたとその心残りを語っている。
私は若い世代のために何をしたらよかったのだろう。経営学修士を取り、資本主義の勉強したら、産業となりえたのだろうか。
彼は、自分が映画人としてそうした勉強をしたかったわけではないし、また映画監督としてそうしたことが必要だったとは考えていない。むしろ逆だろう。
作り手である自分たちだけでは産業としての映画を残し発展させていくことはできないことを経験的に感じていて、日本映画を産業として成長させるためにはそのためのプロの経営者が不可欠であること、そして今の日本の映画界にはそれが決定的に欠けていることを示唆している。
映画制作の能力で負けているのではなく、産業のマネジメント能力の欠如が敗因であると。これはなにも映画に限ったことではないに違いない。
作り手である自分たちだけでは産業としての映画を残し発展させていくことはできないことを経験的に感じていて、日本映画を産業として成長させるためにはそのためのプロの経営者が不可欠であること、そして今の日本の映画界にはそれが決定的に欠けていることを示唆している。
映画制作の能力で負けているのではなく、産業のマネジメント能力の欠如が敗因であると。これはなにも映画に限ったことではないに違いない。