2020年9月1日

ヤマザキマリとブレイディみかこ

いま、書いたものがすこぶる面白いと思う書き手が2人いる。ヤマザキマリとブレイディみかこである。2人とも日本を飛び出して外国で彼の地のパートナーと暮らし、家族や周りの人たちと生活をするなかで書いている。ヤマザキの場合は、描いているというべきか。
1967年生まれのヤマザキマリは絵画を学ぶためにイタリアに渡った。1965年生まれのブレイディみかこは、ブリティッシュ・ロックに憧れて英国に向かった。ともに自由な精神を持ち、それぞれ絵画や音楽にとどまらない幅広い興味関心の域を持っている。
観察が鋭く、少なくとも一般的な日本人とはちょっと違う独特なものの見方や考え方を持つ彼女らの柔軟な発想にはっとさせられる。2人とも決してエリート的な教育を受けているわけではないが、その豊かで柔軟な知性は素晴らしい。
彼女らの他にも日本を出て、外国の地で日本や日本人について書いてる人はたくさんいる。 多くは行った先の社会にしっかり浸り、その国(例えば米国やドイツ)は本当にすばらしい、それに引き替え日本という国はどうして…といった論調で今自分が暮らす国を手放しで礼賛するか、あるいは逆に外国に来て日本のことをあらためて見直し、日本って国はなんてホントに素晴らしいんでしょう、とばかり日本を盲目的に礼賛しつつ、自分が暮らす国に厳しい批判の目を向けるかのどちらか。
そのどちらも、外国の地で暮らしてる日本人の心情を思うと理解できなくもないが、そうしたものの見方は多くが片手落ちである。
それに対してヤマザキマリもブレイディみかこも、とてもバランス感覚に優れ、相対的にかつ広い視点から物事を見てる点に感心させられる。そうした彼女らの先輩とも言うべき存在が塩野七生かもしれない。
異文化の中で日本と外国の両者の違いを柔らかな目で見て、そして表現力豊かにそこでのできごとや感じたことを書くことができるのは、なぜみんな女性なんだろう。