「ライン 44万件情報流出 確認後1ヵ月間公表せず」
これは新聞の見出しである。またやったのか。2021年にも個人情報の管理問題があったのを思い出す。LINEという組織には何か基本的な問題があり、それは今だに解決されていないようだ。
統合したという一方のYahoo!メールを使おうとすると、毎回毎回、下記の内容がしつこく表示される。
「ライン 44万件情報流出 確認後1ヵ月間公表せず」
これは新聞の見出しである。またやったのか。2021年にも個人情報の管理問題があったのを思い出す。LINEという組織には何か基本的な問題があり、それは今だに解決されていないようだ。
統合したという一方のYahoo!メールを使おうとすると、毎回毎回、下記の内容がしつこく表示される。
日本維新の会の代表が、関西万博について絶対に止めない、と語った。この国の首相でもないのに、何を勝手なことを言っているのだろう。
一旦始めたからには止められない、ではまるで先の大戦のときと同じだ。1945年3月の東京大空襲で100万人以上が罹災し10万人が死亡したにもかかわらず、「始めてしまったから」というイナーシャで日本は戦争を止めるという判断ができなかった。
その結果、米軍による日本各地への自在な空襲は続き、挙げ句がヒロシマ、ナガサキである。
日本維新の会の代表の発言からは、その時の日本の思考と同様のものを感じる。
「やめられない、止まらない」は、かっぱえびせんだけで十分だ。
スマートウオッチのFitbitのバッテリー性能が急激に弱ってきた。バッテリーの残量が35%くらいになると一気に減り始め、やがて画面が消える。使い始めたばかりの頃は1週間はもったように思うが、今は3日くらいだろうか。
3日はもつ、と考えるか、3日しかもたないと考えるか。そうした時期にアマゾンのブラック・フライデーが始まった。買い換えようかどうしようか悩む。
トラッカーも含めて数えれば、これまでに購入した台数は5台。1日の歩行距離が分かったりメールの着信をバイブレーションで教えてくれる機能が役に立っている。
それにしても、これまでもどのFitbitもバッテリーが弱ったため買い換えてきた。これは、彼らの生産管理上で意図的に仕組まれたものなのだろう。
カシオのソーラー電池時計は購入してから30年ほどになるが、いまもまったく問題ない。普段使いで長年愛用しているにもかかわらず、機能的にも外見も一切問題ない。
そうした日本の工業製品としての出来の良さにつくづく感心する。と同時に、ビジネスを考えると一旦購入した客はめったなことでは買い換えないだろうと少し気の毒になる。
カシオを例に挙げるまでもなく、海外メーカーとの比較で言えば、こうした日本メーカーの真面目なモノづくりが日本企業の儲けを削っているのだろうとすら思えてくる。
NHKオンデマンドを先月退会した。ここ数ヵ月、まったく利用してなかったので、一旦退会しようと思ったのだ。
ところが今月、クレジットカードでそのサービスの利用料金の引き落としがあった。なぜかと考え、そういえばサイト上で退会の手続きをしたにもかかわらず、何も連絡がなかったことを思い出した。
ひょっとしたら、手続きが未完了なのかと思い電話してみた。例によって「ただいま電話がたいへん込み入っており・・・」というメッセージが流れる。通話をスピーカーホンに切り替えて、別の作業を始める。
10分ほど経ってやっと応答したので、先月の退会手続きのことと利用料金の引き落としについて確認を求める。電話に出たそのオペレータいわく、月末処理の翌月請求をしているので、退会した翌月、場合によっては翌々月まで引き落としが発生することがあるとの説明。
なるほど、と思ったが、なぜそうした大切なことを退会者に退会時に知らせないのだろう。それを訊いたら「そうしたことはしないこになっているので」との返答だが、回答になっていない。ぼくは「なぜか」を訊ねているのに、自分たちの方針を当たり前のように語る。
NHKオンデマンドの利用開始をメール履歴で調べたら、2013年6月だった。かれこれ10年以上契約していたことになる。10年前の視聴開始時には「申し込みを受けた」との確認メールがNHKから届いている。当たり前だが。
ところが、退会時には「一切知らんぷり」が彼らのデフォルトの対応となっている。本来なら、というか多少なりともビジネス・マインドがあれば、まずは(永きにわたっての)利用を感謝し、また機会があれば是非利用して欲しい旨を語り、支払いは退会月以降も手続き上発生することをメールで案内するだろう。
そうすることで、一旦退会・解約した客もチャンスがあれば復会するものだ。だが、そうした基本的なことすら分かっていないようだ。やめる客はもう客ではないという、間違った認識を持っている。
宝塚歌劇団でのいじめや異常な長時間労働が問題になっている。詳しいことは、これからの調査で徐々に明らかになっていくのだろうが、先日の同劇団の記者会見は噴飯物だった。会見には、劇団の理事長などが出席していた。
そこで劇団側と阪急電鉄側は、調査の結果、「いじめは確認できなかった」と語り、いじめの存在を否定していた。
だが、宙組のメンバー4人は調査のためのヒアリングを拒否している。話せない、話したくても話すわけにはいかない、との思いからだろう。劇団側と上級生から重層的な圧力が加わっていたと聞く。
そんな調査で「いじめは確認できなかった」とするのは、ジャニーズの性被害が報道された当初と同じ様相である。あるのは自分たちの責任回避と組織防衛の意識のみ。
調査が今の段階ではまだ不十分なのだから、「いじめがあったかなかったかは未だ確認できていない」とするべきだ。
とにかく頬被りをして自分の都合がいい結論で幕引きを図りたいという意識が見え見えなのが愚かしい。
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、1920頃のアメリカ、オクラホマ州を舞台にした史実に基づいた映画だ。監督はマーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロやレオナルド・デカプリオが主演している。
スコセッシらしく、怯むことなく、また衒いなくアメリカの暗部を描き出す。デカプリオの叔父役で、オクラホマの地方名士を演じるデ・ニーロの底冷えのする悪辣さが際立っている。
ネイティブ・アメリカンであるオーセージ族の女性を演じたリリー・グラッドストーンはオスカーを獲るだろう。
映画「SISU」は、不死身の男と呼ばれた老兵を主人公にしたフィンランドの活劇だ。時は第二次世界大戦の末期、北欧ラップランドの地で彼はナチスの一群と対決する。
ちなみにフィンランド語「Sisu」は、フィンランド人の国民性を説明する際にしばしば使われる概念で、氷点下の気候や歴史的に厳しい環境の中で生き抜いてきた背景と結びつけられるらしい。
それは単なる「勇気」や「根性」ではなく、困難に直面したときに最後までやり抜く「胆力」「意地」「不屈の闘志あるいは根性」「ガッツ」「最後までやり抜く力」のニュアンスを合わせたような言葉だ。
関西万博への反対(不要論)の声が、優に半数を超えている。その理由はさまざまなようだが、そうした「支援のなさ」にも関わらず、大阪や国の行政管理者たちは中止を検討しようとはしない。
先月、こうした世論調査の結果を受けて、万博担当大臣の自見なんとか氏は「真摯に受けとめる」とか何とか答えたが、明らかに口だけ、形だけで実効性がないのは、政治家のいつものこと。
万博を運営する日本国際博覧会協会は、来場者が約2820万人、経済波及効果を約2兆円と見積もっているが、このときとばかり希望的観測感を最大限に発揮して勝手な積み上げの結果作ったデタラメ数字だろう。まったく内実が見えないのは、五輪の時と同様である。
そもそもその地に誰が行くんだろう。自分も含めて周りに行きたいと言っている人は皆無だ。
僕のゼミでは、学生たちが入って来たとき、最初に因果推論についての基礎的な知識を身につけてもらうことをやっている。マンクテロウの『思考と推論』をもとに、その内容をよりかみ砕いた本を何冊かみんなで読み、正しい推論の考え方や一般的な認知バイアスを知ってもらうようにしている。
そうしたなかで最も基礎的なものとして相関関係と因果関係の違い(混同)をしっかり知ってもらう。人は、つい原因と結果を都合がよいように勝手に結びつけて考える傾向がある。
2025年の万博推進派の考えが、明らかにそれだ。万博をやれば大阪が、そして関西が盛り上がるにちがいない、と(勝手に)思っている。その背景には、1970年に開催された先の大阪万博の成功経験があるからだ。「夢をもう一度」だ。しかしあれとて、万博を開催したから経済が成長したのではなく、国の経済成長の時期にたまたま開催しただけのこと。
万博のようなコンテンツに若い人たちが向かうとは思えないし、70年の万博を子どもの頃に経験した人たちが懐かしさから興味を持っても、果たして開催場所まで実際にどれだけ足を運ぶか。
大阪の人たちはもっと冷静になり、本気で反対したほうがええんとちゃうか。開催の予定まであと1年半しかない。今回の万博開催は、会場地である人工島に、その後にギャンブル場を作りたくて作りたくてしかたない、どうしようもない連中の金儲け手段だというのが明らかなのだから。関西人の常識と行動力が問われている。
今年3月に開通したばかりの東急新横浜線の新綱島駅のホーム。下にポリバケツが置いてあると思ったら、天井から雨漏りらしい。僕が利用する駅では、地下鉄大手町駅で水を受けるポリバケツや大型のペットボトルをよく見かける。都内で地下鉄が始まった頃からの古い駅だからしかたない。それにくらべて新設で、しかも今日は大した雨でもなかったのに、この駅は大丈夫だろうか。
先日、一般の日本人が外国に行きづらくなっていると書いた。日本の経済力の低下がその主たる要因である。
と思ったら、行きづらくなっているのは外国だけではなく、日本国内の観光地も同じ状況になっているようだ。例えば、このところのホテルの宿泊費の高騰が指摘されている。
2019年と今年(2023年)を比較して、ホテルの宿泊費は京都で1.9倍、東京は1.8倍、大阪は1.3倍、福岡は1.3倍、那覇は1.2倍に上昇している。
日本人でも、いわゆる富裕層はホテル代が2倍になろうが3倍になろうが関係ない。だが、一般庶民は気にしないではいられない。これまで家族で年に1、2度出かけていた宿泊を伴う旅行なども行きにくくなることだろう。
それを解決するためには、安価で合理的なB&Bタイプの宿泊施設が求められる。日本のB&Bといえば昔からある民宿が連想されるが、そうではない。今どき、貧乏学生でも民宿は敬遠する。
贅沢さはいらない。シンプルで清潔で、安全であればそれでよい。あとは、プライバシーと最低限のホスピタリティ。
誰かその日本版B&Bのプロトタイプを開発し、全国展開してもらえないかと思っている。必ず需要はある。
先月から近くの送電用鉄塔の工事が行われている。古くなったので、新しくするという。
かといって、ビルのように一旦壊してから新たに建築するわけにはいかない。電気は供給し続けなきゃならないから。で、どうするかというと、鉄塔の部材をひとつずつ取り外し、それを新しい物と交換していくらしい。鉄塔の高さは70メートルはあり巨大だ。だから何ヵ月もかかる。
写真は10階の部屋から見上げて撮影したもの。
彼らは今、だいたいビル15階ほどの高さで作業している。地上45メートルくらいだ。よくもまあ涼しい顔で(勝手な想像だけど・・・)何時間もやってられるものだと感心する。
鉄塔が世の中にある限り、彼らの仕事はなくならない。
共同通信社のサーバーに不正侵入があり、4300人強の職員の個人情報が漏洩した。7月下旬にサーバーで不審な動作があり、サードパーティーに調査を依頼していたという。
気になって、自分がこれまで設定したパスワードが大丈夫かチェックしてみた。すると「セキュリティに関する勧告」で 60以上ものパスワードが「このパスワードはデータ漏洩で検出されたことがあるため、このアカウントは危険にさらされています」と出た。それらの半分程度は、いまはもう使用していないアカウントだけど、日々使用しているものも多数あった。
具体的にどれだけのリスクに晒されているかすら分からないのが厄介であり、重要なものから早速変更していくしかない。
ネットの扱いに関しては、かなり保守的な方だ。信頼できそうにないソフトやアプリは絶対にインストールしないし、怪しいサイトにはアクセスしない。検索はGoogleはなるべく使わず DuckDuckGoを利用し、メッセージ・アプリはSignalを主に用いる。LINEはもちろん使わない。セキュリティソフトは毎日アップデイトする。
そうやって自分の側では慎重にセキュリティ対策をしているが、それとは別に個人情報はいつどこから漏洩するかは分からない。今さらながら、ネットの世界には安全はないと心した方がよさそうだ。あとどのくらい、こうした「無法の時代」が続くのだろうか。
パレスチナとイスラエルの紛争が絶えない。
下記の図は、両民族の衝突による死傷者数を表したグラフ。2008年から2020年の間、120,287人 対 5,730人。両者間には20倍以上の差がある。
数の多寡でどちらに正当性があるかを言おうとしているのではない。
ただ、殺され、あるいは傷つけられた人の存在が、家族や友人など周りの人たちに与えた痛みの総量が、これほどまで非対称であることは知っておく必要がある。
雑誌「AERA」が、10月30日号でこれまで自分たちがジャニーズ事務所のタレントをどう扱い、同事務所とどう付き合ってきたかを振り返っている。特集内で編集長が書いた「本誌はなぜ沈黙してしまったのか」という記事はそのひとつだ。
同誌はジャニーズ・タレントを頻繁に表紙写真に利用してきた。昨年度は18回、一昨年度は17回にわたり表紙にジャニーズのタレントを起用していて、それは今年3月にBBCが元社長の喜多川とジャニーズ事務所を取り上げたドキュメンタリーを放送してからも変わらなかった。
やっと今になって、メディアとしての自らの落ち度と節操のなさを反省しようというわけか。既にジャニー喜多川はなくなっているし、株式会社ジャニーズ事務所の名前が10月18日に変更になり、公にはその名が会社名として消えてから腰を上げたというタイミングである。
特集内の記事によれば、彼らはジャニーズ事務所を退所したタレントについては、同事務所から不満の声が上がるのを怖れ、あるいは忖度して起用を差し控えていた。「他部署を含めお世話になっているので、なるべくハレーションを起こさないように」したというから呆れる。
「お世話になっている」→「慎重に対応する」という文化がこの会社にはこびりついているのだろう。もちろんこれは、ジャニーズの性被害についてのことだけではないはず。同誌は、あらゆる事に関してそのやり方でやっている。
今回、正直と言えば正直に編集長が気持ちの内を記事で語ったわけだが、タイミングが遅すぎだ。そもそも、記事のタイトルの主語がなぜ<本誌>なのか。意思決定するのは雑誌ではない。人がするのである。
IMFの推定で、2023年度の日本の名目GDPはドイツに抜かれ世界第4位になるらしい。その背景としてドルに対する円通貨の下落が指摘されているが、そもそも日本の名目GDPは前年比で0.2%マイナスなのに対してドイツは8.4%のプラスだ。本質的なところで成長力に差がありすぎる。
1968年にGDPで日本がドイツを抜いてGDP世界第2位になってから55年である。
現在の日本の人口が1億2400万人なのに対して、ドイツのそれは8300万人。日本のおよそ3分の2である。人口一人当たりのGDPではずっと前に日本は抜かれていた。人口減少と共にGrossでもPer capitaでも日本は低迷を続ける事になりそうだ。
それに関連して気になるのが、日本人にとって海外への渡航が一気に難しくなってきていることだ。航空運賃はもとより、宿泊や滞在費が以前に比べて目玉が飛び出るほど高騰している。
「安い」日本がその背景にある。だから逆に海外からの渡航者数を押し上げている。例えば中国人留学生にとって、日本は留学先としてとてもコスパがいい。
これから日本人が欧米に留学するのは経済的にタイヘン。よほどのお金持ちか、しっかり奨学金でも獲得しなければ無理になってきている。
そして、徐々にだろうけど増えていくのが海外で仕事を求める若者たち。日本で会社員やるよりよほど稼げるから。
「出稼ぎ」なんて呼ばれて、社会からはなんだかちょっとうら寂しい感じを持たれているようだけど、それはそれで彼らの生き方だし、閉塞感いっぱいのこの国にいるよりよっぽど楽しい人生が過ごせるだろう。そうやってでも日本の若者は海外へ行った方がいい。
イスラエル軍は、ガザへの空爆をやめろ
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人でなしども。
天気予報では今日は雨。が、午後からは雨はあがり、新宿へ。初台の新国立劇場で鴻上尚史演出の芝居を観るためである。
第三舞台の芝居を劇場で観たのは、彼らが初めて海外公演をした1991年のエジンバラ公演以来だ。
今回の出演は竹下景子、鈴木福、松村武の3人。Netflixの「離婚しようよ」での竹下の演技が良かったので、観に行くことに。休憩なしでちょうど2時間。70年代のギャグが懐かしい。
終演後、新宿駅まで歩き、昔懐かしいアカシアで食事。開店から今年で60年になるロールキャベツ・シチューの店。店構えの印象は、僕が学生だった頃とほとんど変わっていない。
その後、同じ区画にあるイーグルへ。昭和の雰囲気がそのまま残る、天上の高い地下のバーである。ウエイターのおやじさんも昔のままだ。ただ、客層の雰囲気はずいぶん変わったと思っていたら、帰りしな、「今日は日曜日ですので、若いカップルが多いんですよ」と言われた。さすが、客の心の中を読んでいる。
駅へ向かう途中、アルタの前を通ったら、画に描いたようなストレッチのlimoが駐まっていた。中をのぞき込んだら運転席でドライバーがシートから半分崩れ落ちるような感じで眠っていた。
休日の新宿の夜の風景である。
7年ほど前に僕のゼミを修了した留学生が研究室を訪ねて来た。元気そうな様子。母国に帰らず、日本で職に就いてそこで頑張っている。今の会社での待遇などには必ずしも満足しているわけではないようだが、日本が好きだからという。
真面目で勤勉。しっかりものを考えることができるし、人のことに想いを寄せられる。ほぼ連日残業をこなしているとかで、その日も彼が研究室にやって来たのは午後7時半を過ぎていた。
ときおり研究室にやって来る彼らと話をしていると、こうした優れた外国の若者がいつまで日本に興味をもってくれるのか考えてしまう。
ただ稼ぐだけであれば、間違いなくさっさと母国に戻った方がいいに違いない。一人当たりの平均賃金はすでに日本を優に超えている。母国にはない何かを、まだ日本に感じてくれているのかも知れない。
経済の凋落が続く日本が大切にしなければならないものがまだあるということか。ただそれが、単なる近視眼的な観点からの観光資源であってはならない。
日本で「観光立国」という言葉が登場して久しいが、それを喧伝している連中の多くは手っ取り早く儲けることしか考えていない。
そうした彼らが口にする「観光立国」という言葉を聞くたび、日本の風景も、食も、歴史も、文化も、人のもてなしも、すべてカネを稼ぐための「資源」としか考えない表層的な薄っぺらさを感じる。
今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した2人の教授が、所属するペンシルバニア大学で記者会見に出席した。カタリン・カリコとドリュー・ワイスマンである。
共同研究を行った2人が出会ったのは、コピー機の順番待ちで並んでいた列のこと。そこで立ち話をしたことがきっかけとなり、2人がお互いの協力者として研究ができることを見つけたという。今から30年程前のはなし。それから一緒に研究を積み重ねてきた。
なぜ研究を進められたかを訊かれて、カリコは隣のワイスマンを見て「We enjoyed it」と答えた。楽しむこと、研究をすることを幸せと思うことが大切だと強調した。
研究者や研究者を志す人は、みんなが見て欲しい記者会見の映像である。
ただ、彼女の「廊下にもっとコピー機を置いたらどうだろう」という提案については、実際はコピー機が足らず、そのために2人が列で順番を待っていたから話がすすんだわけで、そうした「不便さ」が彼らの大きな発見につながった。
だから、コピー機の台数を増やしてスピードアップして待つ必要がなくなったら逆にダメだよ、と一言突っこみたくなったけどね。なんにしても、とにかくいい話をきかせてもらった。
「ジャニーズ」の名前を企業体から完全に消すと東山新社長が発表した。
一連のJ社関連の動きが出たのは、昨年、BBCのジャーナリストが日本で取材を行い、それをもとにしたドキュメンタリー番組「Predator: The Secret Scandal of J-Pop」を3月に放送したのがきっかけだった。(日本では「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」の題で流された)
だが、それは新たに明らかにされたことではなく、週刊文春が以前からそのことを記事にしていた。だが、ジャニーズはその報道内容を虚偽だとして認めず、他のメディアは完全に見て見ぬ振りをしてやり過ごしてきた。(触らぬ神に祟りなし、である)
テレビ局などは、そうした性犯罪、児童虐待があることを知っていながら「たいしたことじゃない」という認識しか持たず、番組制作にあたってジャニーズ頼みのキャスティングを続けた。(人権意識に対して無知)
局の中のそうしたあり方に対して異議を唱えたり、J社の犯罪性を指摘した人たちは外され、左遷された。(分かりやすい処分人事)
新聞社や雑誌社も同様だった。J社タレントを使えば売れるし、J社を批判すればJ社タレントを使った広告主の出稿がなくなるからだんまりを決めた。(カネのことしか考えない)
広告代理店は、何かというとすぐタレント広告を提案する。J社タレントは、その筆頭だった。(クリエイティブ能力の貧困さ)
企業のマーケティングや広告部門の担当者は、自分に知恵も自信もないので広告代理店に言われるがままに従ってしまう。(勉強不足)
演技のできないJ社タレントがドラマなどに主演していても、日本の視聴者は不思議に思わない。NHKの大河ドラマで、通年でそれを見ても平気でいられるのがスゴイ。(実にいいお客さん)
世の中で騒ぎになって初めて横並びでJ社を批判し、CMの使用を止めると発表した企業経営者たち。(定見のなさ)
BBCの先のドキュメンタリーのなかで、ジャニー喜多川を「彼は神だ!」と叫ぶ若者。(理解不能)
一連の世の中の動きにまったく頓着せず、推しのJ社タレントのコンサートにこれまで通り押し寄せるファンたち。(日本の未来が心配だ)
"ジャニーズ"って、まさに現代の日本の合わせ鏡だということが分かる。ジャニーズ問題は、そのまま日本問題なのである。
見知らぬ編集者からメールが来た。何かと思ったら、23年前に出した書籍の増刷が決まったらしい。26刷である。
25刷まで連絡をしてくれていた担当編集者はどうしたのか。訊いたら、今年の春に定年退職されたとのこと。月日の流れを感じた。
コピーライターから出発し、小説家として一家を成し、昨年からは日大の理事長でもある林真理子氏がある出版社のサイトに書いていた。
コピーライターの養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、「ホテルに行こう」と誘われたのです。
今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ……」ということでした。さすがに「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、全然腹が立ったりはしなかった。
そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ?」「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです(一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。まったく好みのタイプではありませんでしたし)。
彼女は僕の4つ上。大学卒業後にコピーライター養成所に通っていたという。僕も大学卒業した年にそこに通っていた。林さんとほぼ同じ頃だ。そこで思い出した。
コピーライター養成所で一緒だった同期の仲間たちとは結構親しくなり、銀座で行われていた授業が終わると必ずみんなで飲みに行ったり、終末にはドライブに行ったりして遊んでいた。いっしょに遊びながら、誰が一番最初にコピーライターとして有名になるかというライバル意識もみんな持っていたはず。
ある時、そのなかのY子が、電通のクリエーターで当時その学校で講師をしていたNから誘われて付き合っていると話し始めた。Nは業界ではそこそこ有名人だった。Y子はその後、Nの手引きで電通の関連会社にコピーライターとして入社した。
だが、僕が広告会社にいる間、彼女の話が広告クリエイティブの業界で流れてくることはなかった。彼女はその後、どうなったのだろう。元気でやっているのだろうかと、ふと気になっている。
敬老の日が間近ということで、厚生労働省が全国の100歳以上の高齢者の概要について発表した。日本の最高齢者は、116歳とか。
人口10万人当たりの100歳超えの人の人数ランキングがあった。
九州から4県、中国地方から3県、四国から2県である。長野県を除けば、すべて西日本の県だ。
つい2日前、ジャニーズ事務所の記者会見をきっかけとして、所属タレントに向ける社会の目が変わって彼らのCM利用に見直しがでてくるだろうと書いた。
だが正直、これほど次から次へとジャニーズ・タレントの契約解消がスポンサー企業から発表されるとは思わなかった。まるでオセロのゲームで、なにかのコマが裏返ったことをきっかけに、その周囲の様相が一変するという状況に似ている。これもまた日本的といえば、実に日本的な横並びの反応である。
それにしても、タレント契約見直しを発表した企業名リストを見ると、つくづく日本企業の広告は「タレントもの」が多いことを再確認させられる。その特徴は昔から変わっていない。
広告の表現形式としてタレント主導型のクリエイティブを一概に批判するつもりはないが、タレントの訴求力におんぶに抱っこで表現としてアイデアに欠けているのも、間違いなく日本の広告の特徴だといえる。
同じコンビニチェーンのセブン・イレブンとファミリーマートの両社がどちらもジャニーズのタレントを同じ時期にプロモーションに使っていたなど、かつての業界の習わしだと考えられなかったが、いまはスポンサーの担当者がそうしたことを気にしないのだろう。「ブランド」の意味が分かっていない、あるいはそれを気にしていないということだ。
岸田首相の第2次内閣改造にあわせて行われた党人事によって選挙対策委員長とやらになった小渕優子議員が、13日の会見の場でドリル事件について問われ、
私自身、記者会見を開かせていただきました。あらためてお詫びと説明をさせていただき、質疑応答も時間(制限)なく、すべての質問に答えさせていただいて、できる限り誠意をもってお答えさせていただいた。
と回答した。
こういう人は、すべてにおいて「させていただいて」生きているのだなと感心する。フツーに「記者会見を開きました」「お詫びと説明をしました」「質問にお答えしました」としゃべれない理由でもあるのだろうか。
ところで、なぜ内閣は「再編」ではなく「改造」と呼ぶんだろうナ。改造とは、改めて造りかえるの意。何かあるとすぐに「適材適所」と言っていたのが、実は「不適材不適所」だったと自ら認めているような気がする。
企業では、組織再編とは言っても、組織改造とは一般に言わない。内閣って実際のところ何が特殊なんだろう・・・。と自問して、思い浮かんだのは、法務大臣だった人が今度、外務大臣になった不思議さ。
企業であれば、法務部門の責任者だった人物が海外営業本部の責任者にポジションが変わったようなものか。求められる適性と専門性が違いすぎる。
サントリーの新浪社長がジャニー喜多川による「チャイルド・アビューズ(児童虐待)」を批判し、今後ジャニーズ事務所のタレントをCMに起用しないと語った。
先日のジャニーズ事務所の社長交代の記者会見は、彼らが念入りに仕組んだ筋書き通りに進んでいたが、これで社会の空気が変わるかもしれない。
1つには、何と言っても日本を代表する大スポンサー企業がはっきりNOを明らかにしたこと。企業がCMに起用しないと言うことは、民放テレビの番組出演にも当然ながら影響する。
もうひとつは、これまでの争点が「性加害」だったのを、新浪氏は問題点として「チャイルド・アビューズ」をあげたこと。
日本人は欧米人に比べて性犯罪に対してどうも甘い、というかユルい。国民性といっていい。妙に大らか(過ぎる)である。そのためJ社の件についても日本人のなかには「そこまで目くじら立てるようなことではないのでは」という風潮があったように思う。50年近くもジャニー喜多川の性犯罪が黙殺されてきた所以だ。
だが、「児童虐待」となると話は別。印象が異なる。スポンサー企業は躊躇している暇はなく、厳しい姿勢と対応を社会に示すことが求められるはずである。たとえば、児童虐待を続けていた人物を社名に掲げるタレント事務所のタレントを、お菓子や飲み物の会社がCMに使うわけにはいかんだろう。
ニューヨークのワールドトレードセンターが崩壊した9/11から22年になる。あの日、ハイジャックされたAA機とUA機が続いてビルに突入し、その後WTCが崩れ落ちたのが日本の午後23時頃。
筑紫さんがキャスターをしていた「ニュース23」が番組を延長して朝方まで状況を伝えていたのを覚えている。あれからすっかり世界が変わってしまった。
9/11の前年、2000年の大統領選の結果がいまも悩ましい。クリントン政権で副大統領をしていたアル・ゴアとジョージ・W・ブッシュ(Jr.)が戦った大統領選だ。例のフロリダ州での杜撰な選挙管理が禍して、結局高裁での判断までもつれ込んだ挙げ句、なぜか僅差でブッシュの勝利になった。
もしあのとき、ブッシュではなく、ゴアが米国大統領になっていたらと考えてしまう。その後の9/11も、それにともなう米軍のアフガン侵攻もイラク戦争(1991年にイラク相手に湾岸戦争を起こしたのは、当時の米大統領だったブッシュ(父)だった)もなかっただろう。それから15年後にトランプが大統領に押し出されるなんてこともなかった。
つくづく、ジョージ・ブッシュが23年前に米国の大統領になってしまった世界の不幸を呪う。彼は、今GOPで圧倒的支持を集めるトランプをどう見ているのだろう。たぶんトランプのことはおろか、なんにも考えていないかもしれない。フロリダで(昔そうだったように)アル中になってヨイヨイかも。
ジャニー喜多川こと喜多川擴(ひろむ)の性犯罪問題で、NHKが自らを含めた「メディアの責任を考える」という番組を流した。1つの節目を、週刊文春が報道したジャニー喜多川による性加害が高裁の判決で認められた2003年におき、その当時NHKと民放で番組制作(芸能部門)にいた人たちに取材をした結果を紹介していた。
つまりそれは、裁判で喜多川の性犯罪の判決が出たにもかかわらず、テレビ・プロデューサーらはそれをほとんど無視し、報道を怠り、ジャニーズにすり寄り続けていた時期だ。呆れた所業である
「タブーだった」「アンタッチャブルだった」「そういう(誤りを指摘をする)雰囲気はなかった」「清濁併せ飲んでやっていた」などの言葉が並ぶ。どれも、自分自身には責任はなく、周りの環境がそうだったから仕方がなかったと言っているのに等しい。容易に忖度に流れる日本のメディア関係者たちの姿がうかぶ。
信念などなく、メディアに携わる者としての矜恃を持たぬ連中。そういえば、局という所は、親などが政治家や芸能人でそのコネを使って入社する者のなんと多いことか。
タレントのマネジメント事務所が力を持ちすぎ、局の(エンタメ)制作部門に深く食い込み過ぎている。双方がどっぷり腐敗の海に浸かっている。
もうひとつ指摘しておかねばならない日本のメディアの特徴のひとつは、広告代理店の怪しさである。番組スポンサー、CMスポンサーへの配慮から、タレントやその事務所の不正を見て見ぬ振りをするだけでなく、スキャンダルは握りつぶしてきた。
倫理や社会的公正の意識の欠片もなく、ただカネのためにしか動かない代理店の人間たちが間違った形で力を持ちすぎている。いまもテレビ番組や映画の製作者として広告代理店が名前を連ねているのは、その証しである。そして、東京五輪での数々の贈収賄事件は、まだ我々の記憶に新しい。
それにしても、ジャニー喜多川の悪行がこれだけ明らかになったのに、株式会社ジャニーズ事務所は社長の交替を発表しただけで、ジャニー喜多川の名を冠した社名を変えないとはどういうことか。藤島ジュリー前社長は「してやったり」とほくそ笑んでいる。
現在公開中の『春に散る』は、沢木耕太郎の新聞小説を原作にした映画である。
実は映画を見てから、原作の小説を手に取った。書棚の片隅に置いていたその本は2017年発行の初版本だった。
映画のなか、佐藤浩市が演じる初老の元ボクサーの年齢ははっきりとは明らかにされていない。佐藤本人は63歳なので、それくらいかという印象だった。
小説で描かれた主人公である広岡は26歳で日本を出て米国に渡り、40年ぶりに初めて帰国したということなので、66歳に設定されていた。66歳、微妙な年齢である。一昔前なら、もう現役の第一線から退いた引退者の一角を占めているわけだが、いまはどうなんだろう。
映画の中で印象的だった、佐藤浩市演じる元ウェルター級のボクサー広岡仁一が、若いボクサーの黒木に向けて放つ台詞がある。広岡からボクシングを教わる黒木から「言ってることがメチャクチャじゃねえか」と言われ、広岡は「年寄りはメチャクチャなんだよ!」と返す。だがこの台詞は、沢木の原作には書かれていない。
前言を翻すといったことではなく、「今」を生きる感覚で、理屈ではなく直感的に判断をすると、そうなるのである。
若い連中には理屈に従って秩序正しく真面目に生きてほしいが、俺たち年寄り(都合がいいときはそう言っておく)は好き勝手言って、好き勝手やって、メチャクチャなくらいがちょうどいいのである。
「春に散る」は、もうひとつの「あしたのジョー」である。
昨日、テレ朝のキャスターのおかしな感覚について書いたが、今日は別のテレビ番組キャスターの奇妙な言葉遣いが気になった。
土曜夕方のTBS「報道特集」は、日本で珍しいまともなニュース報道番組だと思っていた(ローカル番組は知らないから分からない)。ところが。
今晩、取り上げられていた特集のひとつは、福生市のある社団法人(名前は伏せられていた)が生活困窮者の救済を装って行政(福生市役所)との間に入り、彼らに生活保護者申請をさせ、その後、連んでいる不動産屋と共謀して普通の物件価格よりかなり高く設定された家賃(生活保護受給者に認められている上限価格ぴったり)のアパートに入居させ、更に免許証や保険証などを取り上げて動けなくし食い物にしているというヒドイ話だった。
経済弱者を狙った税金詐欺に、ほぼ間違いない。世の中には悪い奴らがいるもので、この番組で報道されなければ知る由はなかったケース。
番組のなかでTBSの村瀬という男性キャスターが、生活保護受給者を人質に取り不正な報酬を得ている、福生市にあるその社団法人と不動産業者による明らかな詐欺手口を「ビジネスモデル」と表現していたのには驚いた。
気の利いた用語を言ったつもりかもしれないが、詐欺の手口を指してビジネスモデルって言うか!? どうかしてんじゃないのか。
9月1日、当事者らが予定していたとおり、そごう・西武百貨店がセブン&アイ・ホールディングスによって米国の投資ファンドに売却された。
それに先だって、8月31日に西武百貨店の池袋本店で労働組合による終日のストライキが行われた。様子はメディアで幅広く報道されていたが、その理由はそうしたストがいまどき珍しいからということらしい。
昨日、たまたまは出先で夜10時からのテレビ朝日のニュースを見てたのだが、以前NHKで夜9時のニュース番組のキャスターをやっていた大越健介という男が、「なぜ、こうした異常な事態に陥ってしまったのでしょうか」と賢しらなコメントを述べていた。
最初、異常な事態なんて言うから、組合の猛者が会社の社長を拘束して会議室に軟禁でもしたのかと思ったけど、何のことはない。予定していたストライキを予定通り実施しただけの話だった。
組合がスト(ストライキ行使)を行うのは、憲法で保証された権利の一つ。それを「異常な事態」だと発言するのはどうかしている。労働運動をとんでもない行為か何かだと考えているのだろう。異常なのは、このニュースキャスターと番組である。
そういえば、同キャスターがその前日の放送で沢木耕太郎氏にインタビューしていた。今度映画化された沢木の『春が散る』を取り上げて、「〜を読ませていただきました」「映画を見させていただきます」と当たり前のように発言していた。また「させていただく」だ。言葉がじつに貧困。
福島原発の「要処理水」——政府や東電はその水を「処理水」と呼んでいるが、処理済みではない——が今日から福島沖に海洋放出される。
関係者の同意がなければ放出しないと言っておきながら、いざとなったら無視。自分たちの既定路線に沿って、放出の準備は以前から進められていた。五輪招致の時、安倍元首相は「アンダー・コントロール」と世界に向けて言ったが、汚染水が日々貯まり続け、その保存場所がいずれなくなる事は最初から分かっていた。
投棄する場所は海中と大気中の2つの選択肢があるが、大気中へ放出するプランはどれくらい真剣に検討したのだろう(米国のスリーマイル島の原発事故のケースでは、大気放出が選ばれている)。今回、2つの方法の是非はどれくらい科学的に議論したのだろう。
海の方が国民の同意を得やすいという理由で、当初から「海中放出」が国の考えにあったように思える。というのは、「大気中へ放出」より「福島沖の海へ放出」の方が国民にとっては「自分には直接の影響がなさそう」と思えるからだ。自分ごと感が圧倒的に薄くなる。
海水で1200倍に希釈すれば、トリチウムが基準値以下になるから海洋放出しても構わないという理屈が分からない。ほとんど無尽蔵の海水で薄めれば、何だっていくらでも薄められる。だが、いくら薄めても元の放射性物質の量は変わらない。
トリチウムを水に流して捨てるのではなく、そもそも除去する技術はないのか。研究はどこまで進んでいるのか。その技術を人類が持てない限り、原発はやはり不適切なのではないか。
汚染水の放出期間は「30年ほど」と発表されているが、政府が今30年と言っているということは、実際はそれでは決して終わらないということ。50年か、70年か、いや100年経っても終了しない可能性が極めて大きい。なぜなら原発を廃炉できなければ今の汚染水は止まらないから。
格納容器に溜まった燃料デブリを冷やすための汚染水は、日々増え続けている。そして福島第一にある880トンのデブリは、まだ1gたりとも取り出せてない(取り出せたとしても、それをどこに保存する?)。つまり、現状では汚染水は<半永久的>に増え続けるということ、トリチウムの海洋放出もほぼ永久に続くと考えるのが妥当だ。岸田首相が「私が最後まで全責任を負って・・・」なんていくら言っても、その頃にはもうみんな死んじゃってる。
海洋放出についての国の説明について、国民の7割が不十分なままだと言いながら、5割以上が海洋放出に賛成しているのも不思議。みんな「人ごと」だからと思考が停止しているように思える。忘れやすく、お上に言われたことに対して盲目的に追従しがちな日本人の国民性を政府も東電もよく知っている。
安全だと主張し海洋放出するなら、東京湾に流したらいい。そしたら、国民(特に東京都民、神奈川県民、千葉県民ら)はもう少し真剣に考えるようになるじゃないかね。
ただそこのところで韓国や中国など、周辺の国の人々は日本人とは違う。たとえばBBCの報道では、そうした国の感情としてAngerとAxietyを指摘していた。元々の国民感情もある。それをほぐすための説明は十分になされたのか。なされてはいない。こうしたことは、理屈だけで安全だから安心しろって言っても無理だ。
https://www.bbc.com/news/live/world-asia-66599189先日、自民党副総裁の麻生太郎が台湾でまたやらかした。台湾有事に際して「戦う覚悟」が必要だとして、「いざとなったら防衛力を使う」と前のめりに宣言したらしい。
台湾海峡で争いが起こったからといって、それに日本が自衛隊を送り威力を行使するのは日本の憲法に反しているだけでなく、国際条約もそんなことは認めていない。
こうした分かりきったことをなぜ外国まで行って話すのだろう。理解が足らないのだろうが、どうもそれだけではないみたいだ。というのは、この麻生の発言を受けて、自民党の政調副会長がその発言を「政府内部を含め、調整した結果」だったと説明したから驚きだ。
自民党の連中が自分で「言う覚悟」がないものだから、麻生をたき付けて代わりに言わせた、というところか。のせる方も、のる方もアタマのネジがとんでいる。
いずれにせよ、もし戦争になったら一般市民は巻き込むな。あんたたちだけでやってくれ。自分が鉄砲担いで最前線に立てよな。
ただし、日本と中国の兵力には圧倒的な差があることは知っておいた方がよい。艦船数で2倍、戦闘機数で5倍、潜水艦数で3倍、人員の数では10倍の差がある。もちろん優っているのは相手国だ。それを知っていて「闘う覚悟がある」と宣言するのは、太平洋戦争に突入した昭和16年時の日本のトップと変わりがない。つまり、歴史から何も学んでいないということ。
本来は、実際の戦闘になどならないよう、外交や経済や文化といったソフトなパワーで周りの諸国と関係を閉じないようにするのが政治家の役目じゃないのか。
アマゾンプライムの会費が、来月以降年4,900円から5,900円に変わる。2割強の値上げである。4,900円の前は、3,900円だった。
世の中の多くの物の値段が上がっているという風潮への便乗だというのが、僕の見立てだ。新聞記者が、トラックドライバーの「2024年問題」などを引き合い出し、勝手な推量でアマゾンの値上げを容認するトーンの記事を書いているのは違和感が大だ。
プライム・ミュージックにしてもプライム・ビデオにしても、有料版のunlimitedへ強引に誘導しようとしたり、観たい映画に限って有料だったりして、だんだん使い勝手は悪くなっている。だが、アマゾン・フォトに写真を保存している限りは解約することはできない。こうやって「人質」をとって、利用者からカネを巻き上げる価格戦略の典型である。いずれ利用料は1万円あたりまでいくのだろう。
同様のスタイルで値上げしたのが、Evernoteだ。こちらは5,800円だった年会費をこの5月に9,300円に料金改定した。実に60%もの値上げである。大幅な値上げは腹立たしいが、こちらも大量のデータをこのサービスのクラウドに預けている以上はすぐには手を打てない。やはり人質作戦だ。
グーグルはグーグルで、利用者の不利益など関係なく勝手に利用規約を変更している。
確かにどれも利便性の高い、優れたサービスではあるが、利用者が簡単に離脱できないのをいいことに、一方的な値上げを繰り返されるのは本意ではない。いざとなったらこうしたサービスからいつでも離脱できる代替案だけは自分なりに用意しておきたい。
中国が、日本行きの団体旅行を解禁することを決め、その旨を在日中国大使館が外務省に対して文書で伝えた。
テストとして送った先日のレビューの内容を、サイト上の「編集」で本来のメッセージに書き直した。もともとのレビューが未だにアマゾンに無視されているからだ。
そうしたら、彼らから以下のようなメールが来た。投稿できませんでした、とある。
「すべてのお客様に関連性があるわけではありません」とあるが、冗談ではない。関係があると考えるからレビューにわざわざ書き込んでいる。
そもそも日本語になっていない奇妙な文章だ。だがそれもまた、彼らにとってはお構いなしなのだろう。
最新のグローバル・ブランド・ランキングによると、その上位20位にある日本企業はトヨタ一社(6位)である。かつては日本の銀行や通信会社、電機メーカーなどが上位に並んでいたが、今ではまるで様変わりし、見る影もなくなった。
購入した水のレビューを、安心して飲める、とかどうでもいいことを「テスト」としてアマゾンのレビューページに書いたら、すぐに掲載された。
だが、アマゾンのキャンセル・ポリシーの不適切さを指摘した先のレビュー内容はいまだに表示されないまま。自社に都合の悪いことは掲載しないようにしているわけだ。立派!
(追記 8月7日)
たまたまだが、「日本郵便の場合、大手事業者向けに、配送に7日程度の余裕を持たせる代わりに料金を1割前後割り引く料金体系がある」と記された新聞記事(日経)を読んだ。アマゾンは当然、ここでいう大手事業者に当たる。つまり今回の場合、アマゾンは彼らが支払う配送料を1割割り引かせるために、僕が注文した商品の発送をその分だけ遅らせたということだろう。だとすると顧客無視もいいとこ、ずいぶん勝手放題である。
日々猛暑が続く。外出の機会が減る。特に日中はできるだけ炎天下を歩くのは避けている。買い物の機会も減った。
半月ほど前、ボトルの水をネットで購入した。アマゾンのサイトで1ケース分を発注。配送まで1週間と表示されている。少し長いな、と感じたが急ぐ商品ではないので気にせず注文した。
ところが1週間たっても届かない。アマゾンのサイトで「配送状況」を見たら、まだ配送手続きにもはいっておらず、その時点で配達予定日は注文から13日目になっていた。
これはアマゾンの不手際なので、サイト上から「配達予定日が遅すぎる」という理由を選択してキャンセルをし、ヨドバシ・ドットコムで同じ商品を注文した。値段は大差なし。商品は翌日に届いた。
ところがキャンセルしたその商品について「キャンセル不可」というメールがアマゾンから来た。おかしいね。発送していない商品はキャンセルできることはずなのだが。しかも、事前に知らされた配送日が、いつの間にか1週間から2週間に変更されていた。
メールにはキャンセルできないという理由として「発送準備に入っているため」と記されてはいるが、実際にその商品が来たのはそれから1週間後だったこと考えれば、それは事実ではなかったと考えるのが妥当だ。
客にはどうせ本当の事など分からないからどう繕っても平気、というアマゾンの方針なんだろう。
今回の経緯をアマゾンのレビューに書いた。だが、5日たってもそれが掲載されない。自社に都合が悪いからだろうな。アマゾンもそんな企業になってしまったということか。
私が今回、個人的に一番印象に残ったのが「Relax, it’s iPhone―R.I.P. Leon」と題されたアップルのCM。トカゲの世話を任されたペットシッターの男性が、夜のキッチンでカラダの硬直したトカゲを見つめている。なんとも言えない悲壮感をその表情に漂わせながら。どうやら暇を持て余したのか、イタズラをしている最中に、トカゲが死んでしまったよう。やがて彼は意を決して雇い主にiPhone14のメッセンジャーで悪いニュースを伝える。その瞬間、トカゲが突然息を吹き返し、ホッとしたペットシッターは商品の売りである「送信取り消し」機能を使ってメッセージを削除する。これら一連のシークエンスが絶妙な演出で映像化されていた。そのことで「リラックスしようよ」というメッセージがじんわり伝わってくる。
最近、家族旅行に出かけたというある女性とその息子の携帯電話に、次々と見ず知らずのところからメッセージが届く。企業、個人からを問わずだ。それらは、たとえば「空港まで私のタクシーを利用しませんか?」とか「今度のホテルは決まっていますか?」といった内容らしい。ベトナムでのこと。
彼女らの携帯電話の通信内容やそのメモリーに記録されたデータが盗み見られているおそれが大きい。
原理的に通信会社は、ユーザーの通信情報をすべて盗み見ることができるだけでなく、すべて保管している。だから、社員や関連企業の人間がアクセスし持ち出す。
それだけではなく、ユーザーが知らないうちに何かプログラムを忍びこませてしまえば、もう一人のユーザーとして何でもできる。
利用者の個人情報が、知らぬところでカネに替えられているんだろう。当然、遠い他国だけの話と思わない方がいい。
今日会った人が、南相馬市で開催されている相馬野馬追に行った話をしてくれた。馬を目当てに見に行ったらしいが、現地での猛烈な暑さで何頭か馬が死んだんじゃないかと言っていた。
歴史のある行事ではあるが、時期をずらすという、ちょっとした工夫がなぜできないのか。ちょっと立ち止まって考えれば分かるはずのことが、「慣性」に浸って生きていると分からなくなる。そして、過ぎ去ってから、(少し)反省する。
それにしても、このところの連日の猛暑は異常だ。と思っていたら、それもそのはず、12万年5000年ぶりの高温を記録しているという。
なんだそれは、と思ってしまうのもの無理はないが、古気候学(太古の気候を研究する学問領域)の専門家によると、12万5000年前の地球は2つの氷河期の間に位置し、「直近でもっとも暑くなった時期」にあたる。これは古気候学にもとづいてデータを収集し、気候モデルを作成している機関(アメリカ地質調査所)の分析による。
ところが、今年7月の地球の気温はそれにまさる暑さなのだ。異次元の暑さ。米アリゾナ州ではサボテンが暑さで枯れ始めたらしい。
そのなか、日本では例によって夏の甲子園大会の地方戦が行われている。大会を主催している新聞社(朝日)、高野連、NHKの幹部の脳みそは溶けて働いていないのだろう。しかし、利権を守るというその考えは堅固で揺るがない。
グラウンドで試合をする選手はもちろん、スタンドの観客、関係者らも命がけである。なぜそうまでしてこの時期、日中の屋外で行うのか。人の命や健康を考えれば、つまり冷静に常識でものを考えればヘンだということに気づくだろう。
夏の甲子園大会が始まったのは1915年(大正4年)。その頃の夏の気温は、今とは全然異なる。これは東京のデータではあるが、気象庁によれば1915年8月の平均気温は25.7度、最高気温でも29.7度だ。
命を大切にするには、今の時期は室内で静かに体力を温存するようにしておくのが一番。人間の体は気温が35度超え、湿度が60%超えのなかで過ごせるようにはできていない。屋外で激しい運動をさせるなどもっての外だと思う。
これはすべて関係している大人の責任だ。
サステナブルは、通常、「サステナブル(持続可能性)」と表記される。じゃあ、持続可能性でいいじゃないかと思うのは当然なのだが、世間はサステ・・・が好きらしい。理由は僕には分からない。カタカナがなんか新しさを感じさせるからかな。それとも、みんなそう言っているからか。
どちらでもいいんだけど、持続可能性という言葉でやはり気になるのは、その対象がよく見えないことだ。もともとは環境問題の文脈で出てきた言葉。その当時は、地球や自然環境と言った持続可能が期待される対象が明らかだった。
だが、いま用いられているサステナブル(持続可能性)は注意深く見ていると、何てことはない。その製品を作ったり、販売している企業の持続可能性だったりして、本来の意味からいつの間にか逸脱していることが多々ある。
パタコニア社の創業者であるイヴォン・シュイナードは、「サステナブル」という言葉の代わりに「レスポンシブル」という言葉を用いる。日本語にすると「責任のある」だ。日本では中学生でも知っている英単語だろう。
レスポンシブルという言葉を聞いたとき、われわれ日本人でもまず頭に浮かぶのは、その主体が誰かと言うこと。責任対無責任の文脈なかで、自然と「誰が」の発想が浮かんでくる。そうした意味で、環境へ向かう想いがサステナブルよりシャープだ。
われわれは、そろそろ主体も対象も曖昧さに逃げる「サステナブル」って言葉から「レスポンシブル」あるいは「責任(のある)」に言い方を変えた方がいいと思う。
夕方、東宝系のシネコンに映画を観に行った。トム・クルーズのバイク・ジャンプを見るためだ。61歳で驚異的なスタントを自ら行うトム・クルーズには驚きしかない。
こうしたスペクタクルな映画はやはり大画面の劇場で観たい。だが劇場で閉口するのは、上映予定時間になってから流れる映画予告編とCMだ。今回は本編開始まで15分も続いた。これまでのなかでも最長の部類だ。一般的にシネコンは長い。単館系はもっとコンパクトだ。CMが入らないというのもあるのだろうが。
映画の予告編は、かつては今後上映される作品をそれで知ることができ役に立った。だが、いまでは劇場で無理矢理見せられなくても、YouTubeなどでいくらでもチェックできる。
鑑賞料を払って席に座っているのに、否応なくCMを見せられるのは不愉快。好きで見ている観客はまずいない。それなのに、なぜこうした顧客の意に沿わないことをいつまでも押し付けるのか。
それは、シネコン運営企業の経営者が、一般客に交ざって劇場内で映画を鑑賞しないからだ。自分が真に映画ファンで、試写室でなく一般上映館で映画を観ていたら何か感じるはず。彼らはそれをやっていない。あるいはそうしていても、顧客がどう感じるかを感じるセンスがないということである。
昨日、急ぎの調べものがあり、そのためにアマゾンで必要と思われる本を注文した。
実は同じ本が研究室のどこかにおそらくあるはずなのだが、週末で大学に行く予定はない。しかも先週で前期授業はすべて終了したので、わざわざ研究室に足を運ぶのは憚られた。
アマゾンの画面で表示されたその書籍の価格は3980円で、「新品」とある。以前に購入し研究室の本棚に置いてあるものと同じものだが、かすかに覚えているその本の造作から想像すると値段が「ちょっと高すぎる」。
今日自宅に届いたその書籍、カバーを見ると定価は2200円。税を入れても2420円だ。ということは、先の価格は定価より65%も高い。
中古本の価格が売り手によって自由に決められているのは分かるが、新品の本は再販制度によって定価販売が義務づけられているはずだ。
ちなみに販売元は中古本の取扱店ではなく、アマゾン自身である。
これはアマゾンの再販制度違反じゃないのかね。再販制度違反は刑事罰にはならないことをいいことに、売上最優先で確信犯的にやっているのかもしれない。