2023年9月19日

懐かしのコピーライター養成所

コピーライターから出発し、小説家として一家を成し、昨年からは日大の理事長でもある林真理子氏がある出版社のサイトに書いていた。

コピーライターの養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、「ホテルに行こう」と誘われたのです。 

今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ……」ということでした。さすがに「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、全然腹が立ったりはしなかった。

 そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ?」「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです(一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。まったく好みのタイプではありませんでしたし)。

彼女は僕の4つ上。大学卒業後にコピーライター養成所に通っていたという。僕も大学卒業した年にそこに通っていた。林さんとほぼ同じ頃だ。そこで思い出した。

コピーライター養成所で一緒だった同期の仲間たちとは結構親しくなり、銀座で行われていた授業が終わると必ずみんなで飲みに行ったり、終末にはドライブに行ったりして遊んでいた。いっしょに遊びながら、誰が一番最初にコピーライターとして有名になるかというライバル意識もみんな持っていたはず。

ある時、そのなかのY子が、電通のクリエーターで当時その学校で講師をしていたNから誘われて付き合っていると話し始めた。Nは業界ではそこそこ有名人だった。Y子はその後、Nの手引きで電通の関連会社にコピーライターとして入社した。

だが、僕が広告会社にいる間、彼女の話が広告クリエイティブの業界で流れてくることはなかった。彼女はその後、どうなったのだろう。元気でやっているのだろうかと、ふと気になっている。