ジャニー喜多川こと喜多川擴(ひろむ)の性犯罪問題で、NHKが自らを含めた「メディアの責任を考える」という番組を流した。1つの節目を、週刊文春が報道したジャニー喜多川による性加害が高裁の判決で認められた2003年におき、その当時NHKと民放で番組制作(芸能部門)にいた人たちに取材をした結果を紹介していた。
つまりそれは、裁判で喜多川の性犯罪の判決が出たにもかかわらず、テレビ・プロデューサーらはそれをほとんど無視し、報道を怠り、ジャニーズにすり寄り続けていた時期だ。呆れた所業である
「タブーだった」「アンタッチャブルだった」「そういう(誤りを指摘をする)雰囲気はなかった」「清濁併せ飲んでやっていた」などの言葉が並ぶ。どれも、自分自身には責任はなく、周りの環境がそうだったから仕方がなかったと言っているのに等しい。容易に忖度に流れる日本のメディア関係者たちの姿がうかぶ。
信念などなく、メディアに携わる者としての矜恃を持たぬ連中。そういえば、局という所は、親などが政治家や芸能人でそのコネを使って入社する者のなんと多いことか。
タレントのマネジメント事務所が力を持ちすぎ、局の(エンタメ)制作部門に深く食い込み過ぎている。双方がどっぷり腐敗の海に浸かっている。
もうひとつ指摘しておかねばならない日本のメディアの特徴のひとつは、広告代理店の怪しさである。番組スポンサー、CMスポンサーへの配慮から、タレントやその事務所の不正を見て見ぬ振りをするだけでなく、スキャンダルは握りつぶしてきた。
倫理や社会的公正の意識の欠片もなく、ただカネのためにしか動かない代理店の人間たちが間違った形で力を持ちすぎている。いまもテレビ番組や映画の製作者として広告代理店が名前を連ねているのは、その証しである。そして、東京五輪での数々の贈収賄事件は、まだ我々の記憶に新しい。
それにしても、ジャニー喜多川の悪行がこれだけ明らかになったのに、株式会社ジャニーズ事務所は社長の交替を発表しただけで、ジャニー喜多川の名を冠した社名を変えないとはどういうことか。藤島ジュリー前社長は「してやったり」とほくそ笑んでいる。