2023-06-27

日本の競争力が過去最低に。だが、これで終わりではないわけ

スイスの経営教育機関であるIMDが毎年発表している「世界競争力ランキング」の2023年度版で日本は35位、これまでの過去最低を記録した。

共同通信のサイトから
 
他のアジアの国を見ると、シンガポールは4位、台湾と香港はそれぞれ6位、7位、中国は21位で、マレーシア、韓国、タイがそれぞれ27位、28位、30位。主なアジアの各国から抜き去られた。インドネシアも日本より上位だ。

マジかと思ったが、安倍、菅、岸田の政権がトンチンカンな政治運営を営々と続けていたのを振り返ると、これもしかたないかと思えてしまう。ネポティズムのなかで日本という国の全体感は忘れ去られ、既得権者を維持することだけに政治リソースが使われた結果である。

企業は企業で、どこも「ごっこ」だ。トップは経営ごっこ、コンサルティング会社はコンサルごっこ、ビジネスマンはビジネスごっこに終始している。何かやってる気になっているだけに見える。

焦点がなく、リスクを負おうとせず、過去の延長上でしかものを考えられないから真に新しいことにチャレンジしない。競争力の低下はたまたまではなく、因果の現れである。 

今後、フィリピンやベトナムにも抜かれるかもしれない。そんな日本にこれから留学したいとか、働きに行きたいと思ってくれるアジアの人たちはいるのだろうか。

やがて日本は、アジアの人たちの目からは一観光地として興味があるというだけの国になっていく気がする。

2023-06-26

DXはドンクサイの略

ある女優の一人芝居を観に行きたくなりチケットを探した。東京公演はすでにすべて販売終了で、地方公演のチケットがまだ残っていたのでそちらを予約することにした。

前にも書いたことがあるが、ネットでのチケット予約にはどうも腑に落ちない点が多い。まず手続きが必要以上にややこしく、手数料も納得がいかない。すべてシステムで予約を受け付けるので、チケット販売のエージェントは素知らぬ顔なんだろう。我々にとって面倒だったり、プロセスがスムーズなものでなくても自分たちは痛くも痒くもないからだ。

利用者は、S席とかA席の括りで席を選ぶようになるが、その際、会場のシートマップが表示されないのはなぜなのか。システム的には簡単なはず。S席とA席の割合をどうするかなどは興行主の思わく次第だ。一列違えばSとAに分かれる。それで価格が30%異なる。
 
以前はS、A、B、Cと4種に分かれていた席種も、今は多くがSとAの2つなのも疑問。売り手が勝手をやってる。

ネットで飛行機のチケットを購入する時、多くの利用者はその機のシートマップからフライトの空き具合を見て、自分が座る席を選んで予約する。しかも飛行機のチケットは、予約後のキャンセルや変更が可能だ。購入した航空券は自宅でプリントアウトすれば済む。
 
ところが、芝居やコンサートのチケットはと言えば、自分がその会場のどこに座るかという基本条件すら示さず、しかも一旦予約したらキャンセルできない(返金しない)。チケットは自宅でプリントアウトすれば済むものを、なぜ客にコンビニまで足を運ばさせ、そこで発券手数料を課すのか。コンビニでの発券手数料を、後でチケット業者が按分させているとしか考えられない。手間も金銭的出費も、ツケはすべて利用者に回されている。

以前こんなことがあった。なるべくいい席を取りたいとS席を予約したところ、その席は広い会場の1番端っこだった。しかもS席ブロックの最後列だった。こんなことであれば、A席で真ん中あたりの席の方がよほどコンサートを楽しめたはずだった。

なぜ、こうしたことが起きるか。業者がとにかくチケットをさばき、一刻も早く入金させることしか考えていないから。訪れる観客がコンサートを楽しめるか、芝居を楽しめるかなんてことは一切気にしていない。期待する方が無理か。

チケット屋が扱っているのは、芝居やコンサートの「席」だ。文字通りの席(椅子)ではなく、ある日のある時間にその場所を所望している顧客がそこにいられる「権利」だ。モノではなく無形のサービスなので、ネット上での販売や決済にもっとも適している商材と言える。

にもかかわらず、日本のチケット業者のやっていることといったらこのようにお粗末極まりない状況である。やろうと思えば、顧客の納得感を得られる仕組み作りは簡単にできるはず。DXなんて言葉があったが(今もそうした言葉で仕事をねだってるコンサル会社もあるようだが)、チケット販売業者がやっているDXはドンクサイの意味としか思えない。

こんなことでこの国のパフォーミング・アーツのお客さんが増えていくとでも思っているのだろうか。この手の問題が解決されない理由のひとつが、こうした分野のジャーナリストにある。新聞や雑誌に提灯記事、いや失礼、劇評やコンサート評を書いているその分野の専門家とされる連中のこと。彼らは自分でチケットを買わない、自分でチケットを予約してコンビニ店頭で発券してもらわない。なぜなら、放っておいても主催者から招待されるから。
 
だから、実状を知らない。いや、知らないことにしているのだろう。それ故に発言しようとしないし、業界も変わらない。

2023-06-25

町中の訓言

散歩の途中で見つけた工務店店頭のガラスケース。なかなかいいことが書いてある。立ち止まって一通り読んでしまった。


2023-06-24

1日の閲覧数が1,000を超えた

このブログを始めたのは、2009年。当初は学会で海外に行ったときの記録、サバティカルでNYに暮らしていたときのメモ代わりとして書いていた。特に読者は想定せず、一切気にせず。

 一時だけ広告を掲載してみたことがあるが、目障りなのですぐに止めた。こんなことで小銭を稼いでも仕方がないし、グーグルからviewを稼ぐためにこんなことをやった方がいいとか、余計なことを言われるのも鬱陶しかったからね。

あくまでも自分の記録として書いていたら、先日、一日の閲覧数が1,000を超えた。誰がどういう思いで読んでいるのか知らないが、何か人の役に立ってるなら嬉しいことである。

2023-06-19

「俳優」と「女優」の違い

性平等のための是正策として、これまでの職業名が言い換えられている。例えば看護婦は看護師に、保母さんは保育士に、スチュワーデスは客室乗務員に。

それはそれでいいのだが、その理由としてそれまでの呼び名が女性蔑視だとか性差別というのはどうも理解できない。どこまで気にするかは人によるけど、〇〇マンが女性蔑視だからだめで、〇〇パーソンと言い換えるべしというのは言葉遊びをしているように思える。

ある自治体のサイトから

上の表では「サラリーマン・OL」を「会社員」と置き換えなさいと言っているが、会社員以外のサラリーマンはどうなるのか。会社員以外でサラリーを対価に働いている人たちも世にたくさんいる。

ビジネスマンはビジネスパーソンに呼び名を変えた。 ではサラリーマンは「サラリーパーソン」か。そもそも「マン」は「男」の意味だけではなく、総称的に「人(男女問わず)」を表す。

こうした世の中で女優を俳優と言い換えることが多くなっているが、なかには「女優」を堂々と名のるひとたちもいる。今朝の新聞に通販生活の折り込みチラシが挟まっていたが、そこに「女優 香山美子」さんの名前を見つけた。俳優ではなく女優とした意思があるに違いない。

週刊文春に「私の読書日記」を書いている橋本愛も「女優」を名のっている。彼女の意思だと思う。

性差を感じさせない呼び名に変更することが、自分がそれなりの意識系の人間だということを示す「お作法」になっていることを感じて、おそらくちゃんと考えたうえで「女優」を標榜しているのだろう。それはカッコいいと思う。

2023-06-11

ただただ、驚き感心する

6月9日、アマゾン地帯のジャングルに墜落した小型飛行機からの生存者として、子どもたち4人が現地で救助された。13歳、9歳、4歳、そして1歳の兄弟だ。残念ながら、彼らの母親やパイロットら大人3人は5月1日の墜落現場で死体として見つかっていた。

頭から地面に激突する形で墜落した飛行の前部座席には大人3人が、4人の子どもたちは後部に座っていたのが幸いした。しかし、何よりも驚かされたのは、墜落したあと、子どもたちが40日間を自分たちだけでジャングルの中で生き延びたことだ。1歳の赤ん坊も含めて。

彼らは、Huitoto Indigenous communityというコロンビアの先住民族の子どもたちで、周りから密林で生きながらえていく術を教えられ身につけていたのだろう。1歳の赤ん坊を皆で守らなければという強い気持ちが兄弟のなかにあったことを指摘する専門家もいる。 

食料をどう得るか、水は、寝る場所は・・・自分たちで考え、行動しなければならないことだらけだったはず。年齢から考えると、実際に動けたのは13歳と9歳のふたりだろう。その2人が力を合わせて下の2人を守った。

いまや近くにコンビニがなければ生きていけないような日本人(ぼくも含めて)には到底できない、人間の知恵と力だ。

2023-06-04

週刊朝日 ついに休刊

「週刊朝日 ついに休刊」の見出し。朝日新聞ではなく、他紙の記事である。そうだ、と思いだし、近隣のコンビニを覗いたが在庫がない。行きつけの駅前の書店いくつかにも電話したが、売り切れと言われた。

最終号の中吊り広告

新聞専売所ならあるかなと思い連絡したら、手元には残っていないが「重版をかけるそうです」とか。正確には増刷だろうが、珍しい。最終号ならではだろう。なくなるとなれば、名残惜しいと思う読者がたくさんいるのだろう。専売所に届いたら配達してもらうようお願いした。

あらためて雑誌の役割のようなことを考える。雑誌ってなんだろうって。「雑」の字を白川静の『字統』で引いてみると「もと色彩のある織物を組み合わせる意」「他に組み合わせ、混合したものを雑といい、学にも雑学・雑識がある」とある。

組み合わせたもの、混合したもの、というのが雑誌のオリジンのようだ。つまりは、「編集」ということか。ただの断片的な情報を編集して見せることで、より面白く、新しく、別の価値をつくり出すということ。

そうした価値を届けてくれる雑誌は大切なメディア。ネット上にもその類は数え切れないほどあるが、信頼できるかどうかはまったくもって危うい。署名もないサイトは信用しないのが知恵だと思っている。

手に取り、パラパラと一気にめくれるのも紙の雑誌ならではの楽しみなんだけどね。

以前も書いたが休刊に追い込まれた一番の要因は、広告収入が確保できなくなっていたから。ネットに持って行かれてしまった。でもネットの広告ってどれだけ広告主の役に立ってるんだろう。ターゲティング広告なんていっても、だからそれをどうビジネスに活かしているのか。読んでいる人の属性が推測できるから? どんな記事に興味がありそうか分かるから? それで?と言いたい。

企業の広告担当者は、自分が予算を使って何を実現したいのか、企業(製品)にとってどんなマーケティング・コミュニケーションが必要なのか、ちゃんと考えているか。

2023-05-30

教育の場では、生成AIは生産性を上げない

先日、このブログで生成AIは意外と役に立つと書いた。それに間違いはない。ただし、自分がそれ、つまり自分ではなく生成AIが「これ」をやったと知っている限りだ。

教育の場で問題になるのは、そこのところの対称性が確保されていないこと。たとえば、学生がレポートを生成AIで作成して提出するのは造作もない。

それで終わりならいいが、本来的にはレポートは読まれ、評価される対象である。生成AIで書かれたレポートを生成AIに読ませ、その真偽(本人が書いたか、生成AIが書いたか)を判断し評価まですることは無理だ。

だとするとそれは人間が読み、判断するしかない。すでに僕の元には生成AIを使って課題を提出してきた学生のレポートがある。ほぼ間違いなく、それらは彼ではなく生成AIが作成したものだと見て取っている。

なぜなら、生成AIには知性はない。AIにあるのはずば抜けた計算能力だけ。確率的に相応しい言葉を選びながら文章を構成していくだけだ。だから、表面的にはもっともらしく、それらしい論理の筋道もあるが、人間ならではの、例えば勘違いからの突飛な発想や思い込みがない。ただネット上にある情報を「何も意味を考えず」つなぎ合わせたものに過ぎない。 

これまでその学生が書いてきたもの、話してきた調子と「路線」が違うのだ。たとえば、それまでずっとJ-POPだったのが、いきなりバッハになったら誰でも変だと判る。

だから読めば、これは生成AIが書いたレポートだと判断できる。ただし、それを「生成AI作」と断定する客観的なデータはいまのところない。あくまで主観的な推量と判断の域を出ない。

そのため必要となるのが、提出されたレポートをもとに口頭で質問をして即答させること。そうすれば間違いなく判る。だが、価値を生まないそうしたことに時間を割いてられるだろうか。

そこに生成AIを教育現場に持ち込む現時点での最大の問題点がある。ただ無駄な仕事を増し、関係者全員にストレスを与えて混乱させるだけだ。

現場を知らない人間が、したり顔して「まずは拒絶せず取り入れて、学生が生成AIを使いこなせられるようにすることが好ましい」などとノー天気なことをいうのはやめるべきだろう。

2023-05-29

都職員を全員、非正規職員にしてみたらいい

都営地下鉄は、その名の通り、東京都が運営する地下鉄である。その半分以上の駅で「偽装請負」という法令違反が行われていた。

それらの駅では都の職員と派遣社員が働いている。関係者以外はそんなことは知らないはずだ。なぜなら、派遣職員も都職員と同じ制服を着用し、同じ業務内容に携わっているから。

だが、働く条件は異なる。都職員の年収は30歳モデルで約440万円、40歳モデルで約550万円だ。一方、派遣で働く人たちはというと、ある男性(年齢は示されていない)の年収は350万円で、昇給はなし。退職金もなしという。

同一労働同一賃金など、どく吹く風だ。

偽装労働は労働者派遣法でも職業安定法でも禁じられている。違法性はもちろん、倫理的にも許されるものではない。東京都は何をやっているんだろう。

だが、この国ではつくづくこうした問題の解決は難しい。解決の方法としてシンプルで効果的な案がある。それは、「都職員を全員、非正規職員にすること」。それしかないだろう。

そうすれば、自分ごとになる。何とかしなけりゃと思う。

2023-05-26

「非正規社員」という言葉をなくすところから始めよう

先日、同一労働同一賃金について書いた。同一労働同一賃金が是正されていないことは以前から問題であり、またそのための本格的な動きも見られない。

それと深く関わるのが<正規・非正規>の区別である。少し調べて見ると、非正規社員の定義すらはっきりしていないのが分かる。そうした点が、いかにも日本的なのである。

下記は朝日新聞に初めて「非正規社員」という言葉が登場した記事からの引用だ。1990年1月の名古屋版の記事で、弁護士の大脇雅子さんという方の同紙へのコメントから。

 --現在のパートタイマーの地位はどうなっていますか。
 大脇:そもそもパートタイマーとは、1日8時間フルに働く人に対して、短時間しか働かない人を指します。しかし、日本でパートタイマーというと非正社員、という意味になっています。労働省の調べでも、女性パートタイマーの1割は1日8時間近く働いています。結局、正社員と区別して、安く使う手段なんですね。
 --パートタイマーにも正社員並みの権利を、ということですね。
 大脇:そうです。昨年夏、訪れたスウェーデンでは、パートタイマーの時間給が差別されていませんでした。幼児のいる男性社員は育児に協力出来るようにパートタイマーとして1日6時間働けばいい、といった制度も設けるなど、いろいろ工夫しています。昇進や退職金、福利厚生などでも、正社員とパートタイマーという身分差別はありません。7年ほど前、全国レベルで労使が話し合い合意したそうです。
 --日本の現状を変えるのは容易ではありませんね。
 大脇:パートタイマーの権利向上は意外に早く進むと見ています。労働省は昨年6月、パートタイマーの労働条件について指針を出し、また国際労働機関(ILO)はパートタイマー保護基準の制定を議題にすることを昨秋、決めました。90年代後半には、何らかのパート保護法が国内でもできるでしょう。
パートタイムの労働者=非正規社員と呼ばれていたわけだ。パートタイムはフルタイムの対義語。フルタイムが1日8時間であるのに対して、それより短い時間働く者がパートタイムである。大脇さんの話からすると、1990年にはもうパートでありながらフルタイムと同じだけ働いてる人たちがいた。ここで既に、何かがズレている。

毎日新聞に「非正規社員」が初めて登場するのは1995年。その年の『労働白書』の紹介記事。そこには、「パート、派遣社員、季節工といった非正規社員」という言葉がでてくる。単純に1日当たりの労働時間で括ることができなくなっていて、実質的に差別的な労働条件のもとで働いている人たちを非正規と言っているように受け取れる。問題の根は深い。

そもそものところだが、フルタイムとパートタイムは働き方の違いを示している。ところが、正規社員と非正規社員の違いは、働き方の違いではない。正規採用(考えてみれば、この考えがそもそもヘンだ)の制度に則って採用されのが正規社員、そうでないのはすべて非正規社員。同じ仕事を同じようにやっても処遇が違うという「身分制度」だ。

非正規(つまりは、正規に非ず)という言葉を、社員とか職員といった「人」の修飾語として用いるのをやめた方がいいと思う。非正規何とかって、その人を半端者って言ってるような響きがある。

一般財団法人雇用開発センターが運営するサイトに「正規社員と非正規社員の違い」が記されていた。https://www.hiraku-navi20.jp/about_us/index.html

正規社員と非正規社員の違い
(1)正規社員とは
正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、会社内で正社員と呼ばれ、期間の定めのない雇用契約で働いている社員をさすことが多いようです。
(2)非正規社員とは
非正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、契約社員やパートタイマー、アルバイト、派遣社員のように期間を定めた雇用契約により、正規社員と比べて短い時間で働く社員をさすことが多いようです。

労働法でも明確化されていないわけだ。使っている言葉が曖昧だから、問題の輪郭がいつまで経ってもはっきりしないままになる。なぜ定義づけしないのだろう。そうすることで不利益を被るグループがあるからだろうな。

2023-05-25

生徒思いで、だけど世間知らずの先生たちに出会った

新横浜駅から上りの新幹線に乗る。乗るのは東京駅での乗り換えを考えて、いつも15号車と16号車の間のデッキだ。

昨日、新幹線に乗り込もうとしたら、そこに男女が3人。降りるつもりのお客さんかと思ったら、そうではない。だけど、何かへんな様子。3人で僕の方をじっと見ている。

デッキに乗り込むと、その中で一番若そうな30台半ばの男がぼくに向かって言った。「席はどこですか?」。車掌でもない人間に答える必要はないので無視したら、もう一度聞いてきた。やけに真剣そうに聞いてくるので、「席はとってない」と返すと、「この2両(15号車と16号車のことだろう)は我々の貸し切りなので、ほかの車両に行ってください」と言ってきた。

デッキから車両内を覗き込むと、中学生らしい男女で埋まっている。修学旅行の団体なんだ。ぼくは新幹線の乗降扉が開くまで、ずっとホームで読みかけの本に集中していたので車内の様子にまったく目が向いてなかった。

それにしても、さっきのものの言いから推測すると、僕のことがよほど目障りな存在に見えたか、あるいは不審者に映ったんだろう。失礼な!と思い、「そんなに怪しい者に見えるか?」と少し強い調子で若い男に言うと、やや間があって「いえ」と答えた。「おれは東京までの18分、いつもこれで通ってんだ」と言うと、3人はただ黙ってしまった。

生徒のことを心配しているのかもしれないが、それにしても随分失礼な連中である。「あなたたちはどこの旅行代理店の添乗員だ?」ときくと、またもや、やや間があって「教師です」と。引率でやって来た先生たちだった。

車内に座っている生徒らを見ると、遊びたい盛りの子どもたちのはずが、みんなやけに真面目というか、驚くほど静かに座っている。旅先でもおとなしくしているよう強く指導されているのだろう。先生らは先生らで、大きな責任感を感じてプレッシャーに半分あっぷあっぷしている様子。

東京駅への到着間近、教師らに学校名を尋ねたが教えてくれなかった。話してるアクセントから「あなた方、関西からですよね?」と聞くと「神戸から」とだけ答えた。

やがて東京駅に到着。ドアが開き始めたとき、「じゃあ、東京を楽しんで」と先生らに声をかけたが、彼らの頭の中はもうそれどころではない。生徒たちに向かって、一斉に立ち上がれとか、荷物は胸の前に抱えろとか、忘れ物がないように周りを見回せとか、憶えておいた舞台台詞を話しているような感じでトーンが上がっている。

おつかれさん、と胸の中で小さく呟いて先に下車した。先生たち、最初は仕方ないけど、ずっとその調子だと生徒たちが疲れるよ。せっかくの修学旅行なんだから、あまり抑圧しないでもっと解放してやって欲しいと余計な事をつい考えてしまった。

生徒のみんな、修学旅行でいい思い出ができるといいね。

2023-05-22

「同一労働同一賃金」の議論はどこへ行ってしまったのか

たまたまラジオをつけたら、その番組のパーソナリティの大竹まことがリスナーからの手紙を読んでいた。

手紙を送ってきたのは64歳の女性。非正規公務員として22年間、地方の図書館に司書として勤めていた。正規職員との待遇の違いに不満を感じながら、一途に仕事に打ち込んだ。が、非正規であるがために結局認められないまま、職場を去ったことが縷々綴られていた。


正規、非正規という差別待遇がこの国から消えない。そもそも正規とか不正規とか、なんなんだろう。概念自体がよく分からないのだ。

正規は英語ではregular、だから正規社員はregular employeeなんだろう。だが非正規の英語は辞書では見当たらなかった。あえていれば、非正規社員はnon-regular employeeとなるのだろうか。

投稿者の彼女は22年間努めていて、それでもなぜノン・レギュラーなのか。これでは、人の能力や意欲に無関係な、かつての士農工商の身分制度と何ら変わりない。これが今も続くこの国の常識だ。彼女が投書の中で「やり場のない怒り」と言っていたのはもっともである。

しばらく前まで、同一労働同一賃金という言葉を方々で目にしたが、最近ほとんど聞かない。新聞でも目にしないなあと思い、新聞社のデータベースでちょっと調べてみた。

2000年から昨年まで、朝日新聞(朝夕)と日経新聞(朝夕)に「同一労働同一賃金」の言葉がどのくらい出現していたか。グラフにするとこんな感じだ。

朝日新聞では、1991年にはじめて日本国内の問題として同一労働同一賃金が、その5年前に施行された雇用機会均等法と絡めて記事になっている(それまでは外国でのニュースとして紹介されている)。そして、この時の「同一」とは男女間での同一である。「正規・非正規」の文脈で「同一労働同一賃金」が記事が掲載されたのは2005年のこと。

日経新聞では、1996年に中央大学の古郡鞆子教授が「やさしい経済学」で「同一労働同一賃金」について書いていた。一般記事として始めて掲載されたのは2004年。ただし、男女間の同一労働同一賃金でなく「正規・非正規間」のそれが取り上げられるのはもっと後になってから。

「同一労働同一賃金」の出現数のグラフをみると、両紙ともに2016年に急に掲載記事が増えている。それは、安倍政権下で厚労省が「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」を実施し、その年の暮れに「同一労働同一賃金ガイドライン」を発表したのが理由だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-syokuan_339702.html

ところが、翌年から一気に新聞では見られなくなっている。問題がなくなったわけでもないのに。ただ熱が冷めてしまった。結局みんな、人ごとだから執着しないのだろう。見て見ぬ振りをしてやり過ごすのが大半なんだろう。

たまたま正規で職員になった(コネでもなんでも)者はそのまま正規、途中から非正規として働き始めた者は、いつまでたっても能力や意欲、成果に関係なく非正規のまま放っておかれる。柔軟性がなく硬直的。既得権が当たり前のようにすべてに立ち塞がっている日本の組織と社会。

これじゃ、この国の生産性はいつまでたっても上がるわけない。

2023-05-21

違うからこそ面白いはずなのに

いま、日本と海外の双方で活躍している日本人俳優は少ない。渡辺謙や真田広之が思い浮かぶが、それ以外に誰がいるかすぐには思い出せない。

その渡辺謙が、自分の俳優人生を振り返ったドキュメンタリーがあった。その中で、渡辺は外国で仕事をすることの難しさや戸惑いについて語っている。
 
彼はイーストウッドが監督をした「硫黄島からの手紙」で主人公である栗林中将を演じ、それ以前には42歳の時、トム・クルーズと共演をした「ラスト・サムライ」でアメリカ映画に出演した。

海外で働く上ではバランスを上手にとってやっていかなければならない大切さについて渡辺は話すとともに、海外での仕事場を「違うことが面白い」と語る。同じ映画を作っている人間といっても、ベースにある文化やそれぞれの現場での感覚も違うと。そこでの違いが面白いと言うのだ。違いを面白いと思う感覚。これがあるから海外で外国人スタッフと仕事ができるのである。

彼が言っているのは映画撮影の現場での日本とアメリカでの違いだが、そうした違いは意外とどこにでもある。そこで思い出したのが、僕が教える社会人大学院でのあるクラスの中での話。学生は60名強だったろうか。彼らをグループに分け、毎回授業の冒頭でそれぞれのグループごとにこちらが指示をしたテーマについてディスカッションをさせ、各グループごとに考えをまとめさせた。

同じグループだと考えが固定化し面白くないだろうと思い、まず学生たちにアンケートをとった。現在のグループ編成について(1)このままで良い(2)編成を変えた方がよい(3)どちらでも構わないの3択の質問に答えてもらった。

変えてほしいという2番目の回答が半分以上あった場合には、全体をシャッフルして新しいグループ編成にするつもりでいた。が、回答を見るとそう答えた学生はわずか1割ほど。

彼らがグループを変えて欲しいと思った理由は、おそらくメンバーに何らかの不満があったのか、もしくは不満がなくても新しい顔ぶれと討議をしたかったからだろう。別に不思議ではない。

そこで、グループを変えてほしいと希望してきた1割ほどの学生たちを別のグループに移行することにした。そうしたところ、当初、グループを変えてほしいと言ってたその何人かが「悪目立ち」するのが嫌だから元のグループに戻してほしいと連絡してきた。以前のグループのメンバーに対して自分が不満を持っていると思われるのが厭だという。

そのとき、「悪目立ち」と言う日本語を初めて聞いた。そんな言葉、いままで使ったことがなかったからね。不思議な言葉があるんだなぁと思いながら対応した覚えがある。

同調圧力、目立ちたくない、周りから浮きたくない、皆と違うと思われたくない。みんな、自分が思うところのコンフォート・ゾーンにいないと不安で仕方ないのだろう。

かつて渡辺謙は、自分の役者としての可能性を広げるために意を決して海外に出て行ったに違いない。そしてそこで、彼は「違うことが面白い」というひとつの感覚を得た。そのことが彼を世界で通用する俳優にした。

違うことを面白いと思えるか思えないか、その違いは日本の若いサラリーマンにとって思いのほか大きい。「悪目立ち」なんてものは、ないんだよ。

2023-05-20

性犯罪と性的被害の違い

デーブ・スペクターが、藤島ジュリー景子の謝罪動画と今回のジャニー喜多川による出来事について語った「ニューズウィーク日本版」のインタビュー記事を読んだ。

彼は長年メデイアの内側にいるので、その体質や状況をよく知っている。しかも日米のことを比較しながら語ることができる。なるほど、と頷きながら読んだ。

そのなかで、メディアによって使われている「性的被害」という言葉を「性犯罪」に置き換えて考えてみるといいと語っていたのは慧眼だと思う。たしかにそうだ。これは、性加害問題ではなく性犯罪。響いてくる重みが違う。窃盗を万引きというのと同じで印象が大きく異なる。

こうしてある種のイメージ上のすりかえがなされていることに気がつかなかった。アメリカ人に日本語の使い方について教えられた感じだ。

2023-05-15

ジャニーズ社長の小賢しい謝罪コメント

ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が、動画と文書で創業者・ジャニー喜多川による性加害問題について謝罪した。今ごろになってやっと、という感じだ。

なぜきちんとした記者会見を開かないのか、という声が上がるのは当然だが、その1分少々の動画内のコメントで引っ掛かったのは、彼女の「被害を訴えられている方々に対して、深く深くお詫び申しあげます」という言葉の選び方だ。

社長の彼女が謝罪すべきなのは「被害を訴えている人たち」でなく、「すべての被害者」ではないのか。当時のことを表立って「訴えている」のは性被害を受けた(当時の)少年たちのごく一部に過ぎないはずだ。

だが彼女の姿勢は、週刊文春や英BBCなどのメディアに当時の被害を語った被害者には謝罪を言うが、それ以外は知らないよ、と聞こえる。

表に出てこない少年たちをないものと考えることで事件を矮小化しようとしている。

2023-05-14

「言ったもん負け」に負けるな

品質不正問題を起こした三菱電機には、目に見えぬ「言ったもん負け」文化があるという。

誰かが気づいて改善の提案をすると、その人が取りまとめ役を任されることになる。それまでやっていた仕事はそのままで、「言った分だけ」仕事が単純に上乗せされることを意味している。

やがてそうした組織には、言われたことしかしない、余計なことはやらない、上司に異論をとなえない、変化を求めない、正義を口にしない社員しかいなくなるのは当然の理だ。

でも、そんな職場で一日何時間も、年に何百日も働いて何か楽しいのだろうか。楽しいわけないよな。組織の上に行けば、普通の社会とは違った別の意味で「楽しい」のかもしれんけど。

だけど、社員はなんで転職しないんだろう。

辞めたくても辞められないのか。我慢するだけの何か他の見返りがあるのか。あるいは、すでに何も感じなくなっているから問題ではないのか。

三菱電機だけじゃないのだろう。きっと、こうした企業って日本中にあって、珍しくもないのかもしれない。

2023-05-13

点字ブロックを取りのぞけ

2023年5月10日撮影

これは新幹線・新横浜駅ホームの写真である。ホームドア開閉のための操作盤が突き出ているのが分かる。

もし視覚障がい者が点字ブロックに添って歩いたら、ぶつかってしまう。操作盤は金属製。怪我をするか、転倒のおそれもある。何年も前からJR東海に危険だからと改善を求めているが無視されている。その後JR側がやったのは、操作盤の角に黄色い緩衝剤を貼り付けただけ。

点字ブロックに沿って駅ホームを歩く盲導犬の訓練犬と訓練士
(日本盲導犬協会の会報誌から転載)

当初、リスクを指摘したときは「点字ブロックにはかかっておりませんから」というのが、JR東海側の返答だった。だが見れば分かるとおり、くっついている。危険なのには変わりない。そう伝えると、今度は「この操作盤の近くには常時駅員がいるので、安全の確保はできてます」と言う。しかし、写真が示すように、駅員がいるのは新幹線が到着するときだけだ。

点字ブロックは、盲人の安全を確保するためのものなのに、ここではそれを利用すると逆に彼らが怪我をする可能性がある。まずは暫定的措置として、盲人の安全確保のために操作盤の前後の黄色い点字ブロックを取り外すことが必要。パラドックスだ。

その後、ちゃんとした工事ももちろんやってもらわなければいけない。

以前、他の駅(たしか品川駅だったような)で撮った写真がスマホのなかから見つかった。同じ条件でありながら、こちらには視覚障がい者に対しての配慮が見られる。

2023-05-09

生成AIは意外と役に立つ、かも

連休中からチャットGPTを使い始めた。

数ヵ月前からちょっとばかり長い原稿に取り組んでいて、その作業の効率化をチャットGPTで図れないかと考えて導入した。

こちらが書いた原稿をGPT-4で校正したり、ラフな編集するのに使っているのだが、うまくやれば人間の仕事の効率が上がりそうなのが分かった。

ただし、というか思っていた通り、オリジナルな原稿をAIが書くのは今はまだ無理で期待したクオリティのものは上がってこないことは確認できた。今できるレベルは、良くて程々のアシスタントである。

最初からこれに人の代わりとして何かやらせると(核となるアイデアを発案させるとか、人の代わりに文章を書かせると)お粗末な齟齬が生ずるだろう。なんとかとハサミは、ではないが、これも使い方しだいだ。

物書きでも、オリジナリティやクリエイティビティを問われない人たち、たとえばプレスリリースや官庁の記者会見をもとに記事をまとめているだけの新聞記者なんかは、間違いなくいなくなる。

2023-05-06

駅のホームから消える時刻表

西武鉄道やJR西日本、JR東日本の駅のホームから、時刻表が順次撤去されている。

それらの会社はコスト削減を理由にあげているが、時刻表を修正するのは基本的には年2回のダイヤ改正の時期だけ、しかも時刻表のフォーマットは既に決まっていて、ただ数字の表示を修正するだけ。
 
なぜそれほどまでに手間を惜しむのか。いざとなれば、手書きだってかまわないぞ。あるいは自分たちでできないなら、近所の小学校の子どもたちに時刻表を作ってもらったらどうだ。その方がイラスト付きで楽しそうだ。
 
鉄道会社は、「利用者たちはスマホを持っており、自分で時刻表を確認することができる」から大丈夫なのだと言うが、本当にそうなのか調査はしたのか。していないだろう。勝手に自分たちがそのように思いたいだけ、あるいはそうしたもっともらしい理由をつけているだけだ。
 
スマホを持っていない小さな子どもや、持っていても使い慣れていない高齢者はどうなのか。海外からの旅行者はどうする。
 
ぼくはスマホは持っているが、それをわざわざ取りだし、起動し、アプリを立ち上げ、路線を選び、駅名を選択し、上りか下りかを選び、時間帯が表示されるようスクロールして・・・バカバカしくてやってられない。
 
時刻表の撤去だけではない。コスト削減を目的に駅から時計やゴミ箱まで取り除いている。ゴミ箱がなければ、つまり捨てるところがなければ客はゴミを持ち帰ってくれる(少なくとも自分たちの駅から外へ持って出てくれる)と考えているからだ。
 
公共交通機関として鉄道運輸業を営んでいる自分たちが、利用者や社会にどのような価値提供しているのか、こうした鉄道会社の経営者たちは考えることがないのだろうか。小さなコストダウンに走るより、彼ら本来の社会性を保つことを重視した方がいい。
 
時刻表について言えば、彼らが今どき考えるべきことはそれをなくすことではなく、むしろ盲人でも利用できるように時刻表に点字をつけることではないのかね。

2023-05-05

20年以上前に「繁殖していない」と言われたわれわれ日本人

今日は、こどもの日。総務省の集計によると、日本の子ども(15歳未満)の人口は1400万人あまり。その数は42年間継続して減少傾向にある。日本の総人口に占める割合はというと、なんと49年間連続で低下している。

今の政府は「異次元の少子化対策」を掲げたが、何が異次元なのかさっぱり分からない。いまさら何言ってるんだかという低次元であることは分かるが。見得を切った臭い決め言葉(にもなってないが)を振り回すみっともなさを感じる。それより、地に足の着いた科学的で納得感のある政策を考えてもらいたいものだ。

「ジェネレーション X」という言葉を生んだカナダ人作家、ダグラス・クープランドが書いた20年以上前の小説のなかに「日本人は繁殖していないようだ。そのうち、贅沢と静けさを好む老人ばかりの国になるだろう。日本は釣鐘曲線につぶされてしまうだろう」という語りが出てくる。

身も蓋もない言われ方だが、どうも日本はその通りになってしまっているみたいだ。


2023-05-04

アウトプットがすべてではない

児童買春で逮捕されたジェフリー・エプスタインとの親密な関係からMITメディアラボの日本人初の所長を辞任した某氏が、Chat-GPTについて話していた。

そのなかで、教育での利用は大いに推し進めるべきだと彼は主張していた。根拠として、調べものでもレポート作成でもその速度が飛躍的に上がる点をあげていた。

ネット人らしいシンプルな発想である。効率よく物事をなすことを「善」と考えて生きてきた人にはそれが当たり前という感覚なんだろう。

山登りに例えれば、金持ちがヘリをチャーターして山頂に降り立ち、それで「登頂してきた」と言ってはばからないセンス。彼らから見れば、時間と労力を注ぎ込み、時として人生を賭けて自分の足でピークを目指す本当のクライマーなどアホとしか思えないんだろう。

価値観の違いとも言えるが、大学のレポートを「スマート」にChat-GPTを使って書く(書かせる)のはやはり本末転倒である。そこは、アリストテレスがいうところのエネルゲイア的な考え方に沿って取り組むしかないのだよ。

2023-04-30

「週朝」休刊から広告のあり方を考える

「週刊朝日」が5月いっぱいで休刊になる。廃刊ではなく休刊と言っているのは望みを残しているということだろうか。ぼくは同誌については特集によって年に数回購入する程度だったけれど、いざなくなるとなると寂しい気がする。

今、多くの雑誌がその部数を落としている。新聞も同様だ。書籍も売れなくなっている。活字離れとか以前から言われているが、こと情報モノに関してはそうではない。ネットで読むようになっただけである。活字は読まれている。

それにしても「週朝」は、日本で最も長い歴史を持つ総合週刊誌で、創刊が1922年(101年前!)。その雑誌がなくなるのには、ちょっとした時代の転換感がある。発行のピークは1950年代で、当時の発行部数は150万部を超えていたらしいが、それが今は7万部代にまで減少していた。

編集長の渡部薫さんという方の発案で、終末を迎える雑誌のYouTubeチャンネルが開設された。このまま消え去るのが悔しいのか、会社の上層部へのうさ晴らしなのかわからないが、いなくなる前に自分たちの存在を残しておきたいのだろう。
 

↑ YouTubeのこの動画は、いつの間にか消されていた。朝日新聞社としてマズイと判断したのかネ(2026年2月確認)
「休刊の真実」と銘打ったクリップの中で、編集長は休刊に至った最大の理由として広告が入らなくなったことを強調している。広告が取れない雑誌は制作を続けるのが難しい。広告を入れない『暮らしの手帖』のような雑誌もあるけど、それはきわめて特殊な例。

雑誌が売れるかどうかは読者次第だが、広告媒体としての価値は広告主である企業と広告代理店が決定する。もちろんその判断基準には発行部数があるから両者は切り離せないところはあるけど、広告部門はもっと頑張れなかったのか。

10年以上前になるが、ニューヨークで暮らしていたとき、現地で雑誌を5、6誌ほど定期購読していた。マンハッタンのど真ん中に住んでいたので外に一歩出れば雑誌はすぐに手に入ったが、定期購読は価格が圧倒的に安かったからだ。

年間購読なら送られてくる雑誌一冊当たりの価格は定価の10〜20%。定期購読者で安定して発行部数を確保し、広告収入で稼ごうという考えだ。日本でも低廉な価格が適用される第三種郵便物という制度があるが、そうした幾ばくかの変動費さえまかなえればそれでよし、という購読料金設定がなされていたのだと思う。 

企業の広告費の使い道がかつてのマス媒体からネットに移っているわけだが、ネット広告って企業のマーケティングに実際に役に立っているのだろうか。

ネットユーザー<1人ひとり>の嗜好やこれまでの購入歴に合わせて商品を提示できるというけど、ただ鬱陶しいだけ、そして目障り。ネット上のほとんどの広告は「表現」にすらなってない。目をそらせたくなる代物ばかり。

広告会社の社員など関係している連中は表現をどう作り、どう見せるかをちゃんと考えるべき。それができないなら、すべてAIにやらせた方がいい。無料でニュースページを見せているからといって、これ以上不愉快にさせられてはたまらない。

2023-04-28

1年間、わずか1000円の贅沢

沢野ひとしさんに倣い、ぼくも毎朝10分の時間を区切り身の回りの片付けをすることにした。10分しかやらないのが秘訣。 

この際の片付けとは、あるものをあるべき場所に戻してやること、もしくはなくしてしまうこと。できれば後者で行きたいと思いながらの10分である。

ものを捨てるのは難しい。これは世界中で古来から思われていることに違いない。つまり、人間の性(さが)に強く根付いている。断捨離や、片付けに人生のときめきという表現が使われるのもそのためである。

身の回りがすっきりと片付いていた方がいいと思うか、雑然としていた方が落ち着くかは人それぞれ。どっちでもいいが、身の回りにどんなものがあって、それが必要かどうかくらいは分かっていた方がいい。だから、普段目が行かない本棚の棚にある書籍などを引き抜いてみる。

本の間に挟まれて岩波書店の『図書』が出てきた。表紙をめくると沢木耕太郎のコラムとその号の目次があらわれた。きら星のような書き手がならんでいる。

定期購読のための払込み用紙が挟み込まれており、購読料は送料込みで1年間1000円。これって、ずいぶん昔から変わってないように思う。確実に赤字のはずだ。

そういえば先日、ある取引銀行が今後、取引明細書の送付を有料にすると言ってきた。「紙の使用を減らし、環境への負荷をなくすため」など相変わらず子供だましの理屈を書いていて、今後は毎月220円の手数料がかかるそう。こちらは年間2640円。

2023-04-22

これも利用者サービスのひとつ

最寄りの駅に東急線が乗り入れ、渋谷方面に出るのが幾分楽になった。乗換なしで勤務先まで行けるようになったのは助かる。

それに合わせて、東横線沿線のいくつかの駅を以前より利用するようになり、その1つが沿線のある駅ビルの中の図書館だ。先日、図書カードを作るために立ち寄った。

カウンターで手続きをしているぼくの脇に女性が何人かならんでいる。みな、手には本を抱えている。彼女らの先にあったのは「除菌BOX」と書かれた金属製の箱だ。


この銀色の箱で除菌するらしい。図書館の本は誰が使ったか分からず、どんな菌がついているか分からないからだろう。

だがそこまで気にするかどうかだナ。図書館の本に限らず、書店の棚にある本だって誰が触ったか分からない。神経質になって気にし始めればキリがない。

ただ利用したい人は結構いるようで、そうした利用客からのリクエストでおそらくは設置されたんだろう。新型コロナの影響が大きいかもしれない。

ぼくは本をわざわざ除菌ボックスに入れる気はないが、せっかくだから何か入れたくなった。よく「人は金槌を手にすると、釘を探す」なんて言うが、それに近い。自分の頭を突っこんで除菌してもらおうかとアホなことを一瞬考えたが、扉が閉まらなければ除菌はできない。

そうだ、財布を入れてみようかーーやってみようとしたら、すぐそこにいた図書館スタッフに止められた。

2023-04-21

立つ鳥は何を残すか

新学期が始まって3週間ほどが過ぎた。

民間企業などでは定年を迎えた人はその年齢に達した月に退職していくが、大学の場合は定年を迎えた年の年度末、つまり3月で退職になる。

その月になると退職していく教授の研究室が空き室となり、部屋に掲げてあったネームプレートが取り外される。 

昨年度、退職したある教授が自分の研究室にあった本を部屋の外に山積みにして去って行った。同僚や学生に、好きな本があったらどうぞ、という考えだったのだろう。積み上げられた古色蒼然とした本の山は傾き、いまにも倒れそうだった。そのままでどうするのかと思っていたらひと月ほどして、たぶん大学の指示でだろう、校舎の清掃担当部署が一気に片付けてしまった。

その人がやってきた研究テーマをそのままそっくり引き継いで研究をするというのでもなければ、研究古書をもらおうという人は今はいない。ただ清掃担当者らが余計な仕事をさせられて終わった。

この3月に退職したある元教授は、いまも研究室の外に山のように資料を積み上げたままにしている。いずれ片付けるのだろうが、「しばらく置かせておいてくれ」と言ってるらしい。見苦しさが山積みにされている。

これが企業などであれば、退職日を過ぎてオフィスに残っている私物はさっさと処分されておわりだ。

一方で、いつの間にか(おそらく休日などを利用して)研究室をすべて片付けて風のように去って行く人もいる。それが当たり前のことなんだろうけど、大学にいるとそうした人に人間としてのいさぎよさを人一倍感じる。

2023-04-18

大阪でさっそく出たよ、インチキが

大阪へのカジノ誘致を目的に制作されたPR動画に、奈良美智さんの作品が無断で使われていたことが明らかになった。どこかの広告会社が請け負って制作したんだろうが、お粗末極まりない。

東京オリンピック、パラリンピックの話題が出始めた頃、五輪のシンボルマークの採用図案で盗用が明らかになった騒ぎを思い出す。

当事者の奈良さんは、以下のように自分の考えを表明している。

大きな犬の自作イメージが出てくるのだが、使用を許可したこともない、というか許可自体を求められたこともない。(中略)カジノとか、自分は基本的に好きではないです。

大阪府と市の担当者は記者会見で頭を下げたが、世界的な芸術家の作品を勝手に利用して著作権侵害を起こしているわけで、謝れば済むという話ではないだろう。

 
奈良の作品だけでなく、村上隆の作品もPR動画に無断で利用されていた可能性が高い。もしそうだとしたら、彼から損害賠償請求がでるかもしれないナ。

2023-04-16

カジノができるらしいが

政府が、大阪府と大阪市が申請したIR(カジノを中心とする統合型リゾート)の計画を認定した。

この施設は2029年の開業が予定されており、大阪湾の人口島に建設される。初期投資だけで1兆円を越えるカネが投入されるらしく、関係者はウハウハだ。

計画によると、来場者数は年間2,000万人、売上高5,200億円(そのうち4200億円がカジノ)と表明されている。関西エリアの経済効果は年間1兆1,000億円、雇用創出は9万3,000人、大阪府と大阪市へ運営者から年間1,060億円の税金が見込まれるとか。

やけに話としては景気がいいが、当然、首をひねってしまう。

まず、年間2,000万人もの客をどうやって大阪の埋め立て地に呼び込めるのか。これから日本は人口が減少していく。かつてのような経済成長の勢いももうない。

好況期の1983年にオープンしたあの東京ディズニー・ランドですら、年間2,000万人の来場者を実現するのに20年かかった。2001年に隣接する地にディズニー・シーをオープンして、やっと年間来園者2,000万人を越えている。https://www.olc.co.jp/ja/tdr/guest.html

子どもからお年寄りまで年齢や性別を問わず来場者を集めることができ、ブランドとして超最強な「ディズニー」ですら20年かかったのである。大阪の埋め立て地のカジノへ、どう計算すれば年2,000万人が集まるようになるのか。中国人観光客だのみだとしても、常識的な推計を越えている。

開業後の経済効果が年1.1兆円あるとしているのもハッタリ、眉唾だと言っておこう。大阪府と市は、その計算式を明らかにし、きちんと説明することが必要だ。

捕らぬ狸の何とかで計画を認め、蓋を開けてみるとやっぱり思ったようには行かず、かといって止めに止められず、最後の最後、破綻して国民に多大な犠牲と負担をかけるようになるのではないのか。

どこかで見た風景が甦ってくる。

2023-04-14

社長が持つべき知性と矜恃

汚職、談合など不祥事にまみれた先の東京オリンピックでは、数々の贈収賄事件が表に出た。そのひとつ、広告会社のADK元社長の公判が東京地裁で行われた。

スポンサー集めに困り、電通の元社員だった五輪大会組織委員会高橋元理事に賄賂を渡し、「助けてください」などと懇願した件である。

ADK元社長は検察に金の受け渡しを認めたうえで、金銭提供については「法律知識がまったくなかった」からと説明した。

社長が逮捕されたADKの社員らは複雑な思いでいることだろう。会社のお偉いさんが逮捕されたという事実にもまして、その人物が法律知識をまったく持っていないと述べたり、競合する広告代理店の出身者に「助けてください」と泣きついた男だという事実について情けないやら、いたたまれないに違いない。

この業界、どうしてこんなに劣化してしまったのだろうか。

かと思うと、同日、大阪万博の起工式が行われ、そこで岸田総理や西村経産相が会場予定地で「くわ入れの儀式」(!)を行った。

「セレモニーには公式キャラクターも登場して会場を盛り上げた」と報道されていたが、それにしてもキミョーなキャラクターだ。

そのうちまた、この万博でもキャラクター選定やらパビリオン設定、セレモニー運営で贈収賄を含む不祥事が出てくるんじゃないか。

2023-04-04

坂本龍一と満月

丸一日、坂本龍一の音楽を聞きながら仕事をしていた。

手元にあった『新潮』に掲載されていた、彼の連載(インタビュー記事をもとに構成)「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」をあらためて読むと、坂本の脱原発(NO NUKES)への思いが筋金入りで並々ならぬものだったことが伝わってくる。

彼は見ることができなかったけど、明後日4月6日は今年にはいって4度目の満月である。今日は十三夜、雲がなく空が晴れていたのでベランダから夜空にカメラを向けてみた。

F8、1/250、ISO100で撮影

2023-04-03

なぜ今も入社式を行うのか、という疑問

日本の経営の特性、あるいは日本企業の硬直化を示す概念として、年功序列、終身雇用とならんで新卒一括採用があげられる。

同質化した社員がみんなで一緒に、同じ仕事を同じようにやることが組織のパフォーマンスをあげることにつながった高度経済成長期の製造業モデルである。

学校を卒業した学生が実社会に入る最初の儀式が、入社式。そこからスタートして、彼ら彼女らは年功序列や終身雇用、男性優位といった、すでにその合理性に綻びが出ている社内規範に組み込まれていく。

今日、多くの企業で入社式が行われた。報道でそうした写真を見たが、ほとんどはこれまで通りのいわゆる入社式である。新入社員の服装は、昔から変わらぬ紺色スーツ。社長らのスピーチも代わり映えしない。日本の「ザ・入社式」は不滅のようだ。

社長が若い人たちを一同に集め、壇上から「おれが社長」「おれが雇用主」「この会社はこういう会社」「お前らはその構成員」と喋りたいことから儀式としての入社式は始まった。ただそれだけである。

「多様性を尊重した職場で、個性を大いに生かして活躍して欲しい」とある大手電機メーカーの社長が壇上から挨拶しているのを見ても、多様性や個性がその会社で本当に尊重されているとはどうも思えない。

小学校、中学校、高校、大学と入学式が行われているから、その次は会社の入社式という日本的なひとつの惰性のなかの習慣である。たしかに学校は6、3、3、4という区切りがあり、ひとつのステージとして成立している。しかし、会社は違う。定年まで40年間そこにいる人もいれば、半年後には転職している人もいるだろう。 

4月に入社した新卒と呼ばれる若者だけを対象にそうした儀式が行われるのも、考えてみればヘンではないか。新卒とか中途とかの境は設けない方がいいとぼくは思っている。同じ組織のなかで仕事をしているのは変わらないのだから。また非正規で働く人たちは、ここでも完全に透明化されている。

入社式は「社長が直接、社員に語りかける貴重な機会だから」や「同期の結びつき、結束を固めるためのよい機会」「人生の節目としてたいせつ」などという言葉が返ってきそうだけど、どれも勘違い。社長は入社式じゃなくてもつねに社員に考えを伝える必要がある。社長ならば、その手段はいくらでももっているはずだ。

同期の結束というのは、本人たちにとってはひとつの安全弁かもしれないが、年功序列意識を構成するベースになっている気がする。

入社の際のセレモニーが人生の節目と考えるかどうかは個人の考えであり、それが好ましいと思う人は家族や友人とプライベートで祝えばよい。

そもそも諸外国では、学校ですら入学式自体がない。オリエンテーションが行われ、続いて授業が始まるだけ。その代わり、卒業式は盛大に祝う。なぜなら、卒業はひとつのAchievement(達成)を示すからだ。それに対して、入学はただのスタート。お祝いする理由がない。

入社式で社長が入社してきた人に向かってうやうやしく「新入社員の皆さん、入社おめでとうございます」などと挨拶するのは本来はヘンなのだ。

あなたの周りにはいないだろうか。いつからそこにいるか本人以外誰も憶えておらず、もちろん入社式も歓迎会もなくそこで働き始め、いまではあなたの部署で欠かせない仕事をしてくれている、実は派遣や任期付きの契約で働いている人たちが。

2023-04-02

JAPROCKSAMPLER

英国から小包が来た。送付元名はWorld of Booksとある。英国にある書店のようだけど、本を注文した覚えはない。

宛名はぼく宛で間違いないので開封してみると、Julian Copeの"JAPROCKSAMPLER"という本が入っていた。この著者についてぼくは聞いたことがない。本のタイトルも初見だ。


本は1960年と70年代を中心とする日本のロック史をまとめたもので、内容は随分と個性的な視点と論調ではあるが、マニアックかつ総括的な目配りが利いていてその精度に驚いた。

おそらく英国の友人Pからのものだろうと踏んで、「届いた」とだけ連絡したら、無事届いてよかったと返信があった。彼はぼくとほぼ同年代。国は違えど、ロックを聞いて育ってきたのは同じ。

ジュリアン・コープは1957年生まれの英国のロック・ミュージシャン。メインストリームを走ってきたミュージシャンではなく(もしそうであれば知ってる)、かなりエキセントリックな音楽をずーとやってきている人物のようだ。

それはそうと、そうした英国のロック・ミュージシャンが、よくもまあというくらい日本の、それも60年代から70年代にかけて、つまり彼が10代の頃のファーイーストの国のロックをこれだけ調べたもんだと感心至極である。

本の巻末にAuthor's Top 50が掲載されていて、これがユニークで面白い。トップ50アルバムなんだけど、1〜3位はFlower Travellin' BandのSATORI、Speed, Glue $ ShinkiのEVE、Les Rallizes DenudesのHeavier Than a Death in the Familyがあげられている。

そのほか特徴的なところでは、天井桟敷のJ. A. シーザーや佐藤允彦のアルバムがそれぞれ複数枚取り上げられている一方で、はっぴいえんどやYMOは1枚も入っていないことか。(ところで今、ウィキペディアのYMOの欄を見たら、そこには既に坂本龍一が「71歳没」と記されていた!)


 
英国人の目から(耳から)すると、はっぴいえんどやYMOはロックの範疇には入らなかったということだろう。確かにそれはそうだ。

2023-04-01

猿が人間になるとき

「全国子ども電話相談室」という、長年続いたTBSのラジオ番組があった。

ずいぶん昔のことだが、たまたまラジオをつけるとその番組が流れてきて、その日の質問は小学生の少女からのものだった。

「人間は、もともとは猿だったんですよね。いま、私の家で猿を飼っているんですけど、いつまでたっても人間にならないんです」というのが彼女の悩み(相談内容)だった。

まるで村上春樹の小説にでも出てきそうな素敵な相談だ。

猿といえば、立憲民主党の小西議員による「サル発言」である。彼が衆院憲法審査会について、「毎週開催ってサルのやることだ」と発言した件だ。

各党から発言の撤回や謝罪を求める意見が相次ぎ、小西氏は30日、「不快な思いをされた方々にはおわびしたい」と陳謝した。

参院憲法審の幹事懇談会後、記者団に対して話した先の発言だが、もう少し正確に引用すると「(参院憲法審では)毎週開催はやりたくない。毎週開催ってサルのやることだ。憲法を真面目に議論しようと思ったら毎週開催なんかできない」と言ったらしい。

また、週1回の開催が定着している衆院憲法審について「何も考えていない人たちだ。蛮族の行為だ。衆院なんて誰かが書いている原稿を読んでいるだけだ」とも語った。

それに対して党の内外から「侮辱」だとの多くの反発の声が上がり、日本維新の会幹部は「誠実に議論している人をサルに例えるとは、憲法を議論する資格がない。立民は厳しく処分すべきだ」と語ったらしい。その後、小西は党によって更迭された。

だが日本維新がいう「誠実に議論している」とは、いったいどういう状態を指しているのだろう。上っ面の言葉だけに聞こえるし、そういった人たちを猿と例えるのが、なぜにそれほどまでに問題になるのか。笑ってすませばいいだけだろう。

ぼくも小西氏の言うように、憲法について政治家が毎週毎週議論をするということが実質的な議論として成立するとは考えられない。審査会事務局(つまり役人)のシナリオのもとで表向きだけ飾る操り人形と化すだけである。

それは猿回しの猿のことを指す。

永田町の猿は、いつ人間になるのか。

2023-03-30

教育の場はどう対応すべきか

先日、生成AIが利用できるようになって大学などの教育の場に大きな影響が及ぶということを書いた。

そしたら、友人のN山さんがこんな話をしてくれた。学生たちはもうレポートも卒業論文も修士論文も自分で書かなくなるでしょうと。

彼が言うには、生成AIに書かせた論文やレポートはまだその真偽を見分ける余地が残っている。だがそれを翻訳サイトでちょちょっと加工すればわからなくなるのだ。

生成AIに作成させた論文やレポート、あるいは学生がどこかで見つけてきた他者の論文などをネット上の翻訳サイトを使っていくつかの言語間で翻訳を繰り返し、最終的に日本語に翻訳させると、類似度判定のシステムを用いても見破ることはできない「オリジナル」なものができあがると。

そうだろうね。

そして、これを防ぐ手立ては今のところない。 学生ら自らの倫理観に頼るしかないのが心許ない。パンドラの箱が開いた感じだ。

2023-03-29

ミャンマーでNLDが解散すると発表

ウクライナで繰り広げられている紛争は世界中の人たちが知っている。ロシア軍によって多くの民間人まで殺害され、街が破壊されている状況に世界中の人たちが胸を痛め、心を彼の地へ寄り添わせている。

だが、ウクライナに限らず、暴力的なチカラに抑え込まれ、途切れることのない人権蹂躙の行為が問われることなく放置されたままの紛争地は世界各地に残っている。その1つが、ミャンマーだ。

その悪行に胸が悪くなるようなミャンマーの軍事政権は、この1月に政党登録法という新たな法律を制定し、自分らの気に入らないと思う政党を選挙の場から排除できるようにした。

それを受けて、NLD(国民民主連盟)が解散に追い込まれた。自発的に自分たちで解散を決定したのではない。選挙への届出から排除されたNLDが、現地の選管から政党登録を抹消され、それに伴って解散処分とすると宣言されたのだ。

ミャンマーは何度か訪ねている。旧いパスポートで確認したら、初めて行ったのは36年前の1987年9月だった。当時の国名はミャンマーではなく、ビルマ。首都の名はヤンゴンではなく、ラングーンだった。首都と言っても街の中心部から少し離れれば、そこに水田が広がるのどかな静かな土地だった。

滞在中に現地の女性と知り合いになった。夕方、ホテルの近くを散歩しているときに偶然出会った彼女は、片言の日本語も話した。

その後、手紙をやり取りするなかで彼女がNLDというグループを支援していることを知らされたのは翌年の1988年、NLDが設立された年だ。そしてその翌年、1989年にビルマは国名が軍政によってミャンマーに変更された。

諸外国の中でその軍事政権をどこよりも早く承認し、かの国の呼び名をミャンマーに変更したのは日本政府である。日本政府は今もその国の軍事政権を支持している。あんなに一般市民を殺戮し、苦しめているというのに。

ミャンマーの軍政を後押しする日本の政治家たちの狙いがぼくには分からないが、よっぽど覇権主義に憧れを持ち、民主主義を嫌っているのだろう。

2023-03-28

たった3分でこれだけ変わる

以前のノートを見ていたら、病院に通院した折にたまたま測定した血圧と脈拍数のデータが貼ってあった。13:00、13:02、13:03としつこく3度測ってある。確か待合室にあった測定機器に腕を入れたままで測ったものだ。


何をしたわけでもないのに3分後に血圧が20近く下がり、脈拍数が5下がっている。ブレが大きい。こんなに変わるものか。

面白いことに、血圧には「家庭血圧」と「診察室血圧」という2種類がある。それらの標準値はというと、診察室血圧の方が家庭血圧に比べて5高い。自宅で測るのに比べて、病院などで測ると心理的な要因で5ほど上がるのだろう。

惚れている相手の前なんかだと5どころではない、30くらいはすぐに上がりそう。「恋愛血圧」とでも呼ぼうか。

人間のからだはきわめて複雑なシステムだから、ちょっとした状況の変化にもすぐに反応する。だから検査などでもし好ましくない結果など聞かされても、あまり信用しないほうがいいと思った。

2023-03-26

生成AIの大学での使われ方

野口悠紀雄さんならやるだろうナ、と思っていたことをやってくれた。

生成AIに、試しに評論や論文を書かせてみることだ。彼が使ったのはマイクロソフトのBingで、それに経済評論を書かせるという作業を実験的にやらせてみた。

僕は自分では使ってみてはいないので知らなかったが、Bingがアウトプットする文章には文字数制限が設定されている。しかしそれも、有料バージョンでそのうちそうした制約はなくなるだろう。

今回、3000文字程度の経済評論の仕上げを野口さんは想定したので、何回かに分けて生成AIに作業をさせた。生成AIが作成した文章そのものは紹介されていないが、それは一見すれば問題のない「立派な」評論だったようだ。

ポイントは指示を明確に出しさえすれば、それなりのアウトプットが期待できると言うことだ。

そして彼は、「経済評論や経済解説の多くが存在意義を失った」と述べる。失うだろうではない、失った、だ。生成AIが我われの周りで話題になってまだ1年にもならないというのに。ビジネスユースを想定した正規版は、まだリリースされていないというのにだ。

概要だけを書けば、それで十分です。あとは、生成系AIが詳しいデータや詳しい状況を調べて、わかりやすい記事に仕立ててくれます。したがって、新聞や雑誌や書籍、あるいはウェブにある解説記事の多くは、少なくとも潜在的には、もはや存在意義を失ったと言うことができます。

驚きと不安な気持ちが押し寄せる。

大学という環境を考えれば、学生らの学びのスタイルが急変する可能性がある。今後、ほとんどの分野で学生らはレポートというものを自分の頭と手で書く必要がなくなるからだ。特に学校教育の場で多い「〜について述べよ」といった、テーマが既に設定され、特定の領域を扱うレポートやエッセイの作成は生成AIの独壇場になる。

便利な世の中になったもんだねえ〜

そして若者たちがますます自分の頭を使わなくなる時代が進む。

こうなると狐と狸の化かし合いではないが、どんなレポート課題を設定するかがカギとなる。

こうしたブログもキーワードさえ指示すれば、対話型生成AIが勝手に僕の代わりに書いてくれるようになるんだろう。

2023-03-23

「漠然」の産物だった日本の経済政策

10年続いたアベノミクスの生みの親である経済学者の浜田宏一エール大学名誉教授(87歳)は、長期に及ぶこの政策での効果について問われ、こう回答した。

賃金が上がらなかったのは予想外。私は上がると漠然と思っていたし、安倍首相も同じだと思う。

これを聞いて驚いたのは僕だけじゃないだろう。 「漠然と思った」という理由で始めて、期待した効果が出ないからずーと続けてきて、気がついたら10年も経っていた、というのだから。

「安倍首相も同じだ思う」と言うが、彼から請われて内閣官房参与を長年続けていたからこそ安倍が信用したわけだろう。それを今さら(本人が亡くなったからと)彼に責任を負わせてどうする。

2013年4月に金融緩和策が始まり、為替を円安に誘導した。彼らの思わくは、それによって①輸出関連の大企業の収益が上がる→②賃金が上昇する→③消費が拡大する、という<トリクルダウン>を狙ったものだった。

輸出関連企業の収益は確かに大幅に改善した。だが、賃金へは転嫁されず、また下請けの中小企業に恩恵は及ばなかった。

浜田は「予想外」とコメントしたが、その予想自体は本人が言うとおり、「漠然とした思い込み」でしかなかったわけだ。

企業の収益が上がると賃金が上がるとか、中小企業も併せて収益が上がるとか、あまりにも現実の企業経営や日本の経営者の思考パターンを知らなさすぎるのに愕然とする。

賃金が上がるかどうかはアルゴリズムでもメカニズムでもなく、どう考え判断するかという経営者の気持ち次第だ。

彼らの考えた政策の結果、めちゃくちゃな金融緩和策が10年続き、日銀は目がくらむほどの規模の国債を買った。そして身動きが取れなくなっている。

ここに至るまで、なぜ路線変更ができなかったのか。アベノミクスがアホノミクスと言われる所以だ。

2023-03-22

袴田さんが闘ってきた相手とは

所謂「袴田事件」の特別抗告を、東京高検が断念した。反論の余地を探せないという理由からだ。事件発生から57年が経っている。

それにしても、袴田さんの自白にいたる経緯、逮捕の決め手となった味噌樽から見つかった衣類など、どうみても嘘、つまり捏造なのは明らかなのに、なぜこれまで判決が翻なかったかというと、検察がその「権威」を傷つけられたくないがために制度の不備に乗じて再審を拒んだからだ。

時間がたてばたつほど、組織は自らの過ちを認められなくなるのがよく判る。

57年前に袴田さんを逮捕し、自白を強要し、証拠を捏造した警察官はもう退官している。亡くなっているかもしれない。袴田さんを死刑に追いやった当時の検察の担当もいまはもういない

それから半世紀以上、検察の担当者は何代何代にもわたって引き継がれてきた。当然ながら、一方の袴田さん個人はそのままだ。

何代にもわたって袴田さんの有罪を主張してきた検察官は、組織の先輩らの意向に反して今さら無罪ということを口にできなかった。彼らにとって最優先されるのは、事件の真偽でも法の正義でもない。組織の中での自己の立場と組織防衛だけだから。

だから、先代からの検察官の顔に泥を塗ることにならないよう、そこには正義がないにもかかわらず袴田さんを死刑囚のままおいておかざるを得なかった。それが彼ら検察のプライドだったというが、あまりにも歪んでいる。

警察と検察という個人の顔が見えない組織の保守性、硬直性、怖ろしさ、いかがわしさがこれほどまでに表出するとは。

今後、彼らは袴田さんにどのように謝罪、補償していくのだろうか。

2023-03-20

明日は晴れ

明日の天気。おじゃましたTさんちの猫は、東京は曇りで新潟は晴れと言っております。

2023-03-17

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」

このタイトルがいい、思い切りがいい。どうだ、という製作者の声が聞こえてくる。

本年度のアカデミー賞で作品賞をはじめ7部門でオスカーを受賞した。コインランドリーからマルチバースまで。白人らが演じたのではただのマンガ。登場人物がアジア系ぞろいだから成立している。

主演女優賞はミッシェル・ヨーが、そして助演男優賞は中国系ベトナム人で難民だったキー・ホイ・クアンが受賞した。クアンは「私の旅はボートで始まった。難民キャンプで1年過ごし、なぜかハリウッド最大の舞台にたどりついた。そんなの映画でしか起こらないと言われるが、信じられないことに私に起こった。アメリカン・ドリームだ」と受賞式で語った。

感動的なスピーチであるが、僕は「アメリカン・ドリーム」とは思わない。運営者側が、いまそれが相応しいと考えた「アメリカン・デシジョン」だからだ。

何ごともタイミング。それを象徴する出来事のひとつである。

ミッシェル・ヨーの見事な上腕二頭筋も表彰したい

2023-03-16

保険更新

クルマの保険の更新時期が迫ってきた。現在加入している I デザイン損保へ電話する。新しく売り出しているという保険を勧められる。従来の保険商品比べて内容が簡潔化されている。内容が分かりやすくなったようで結構なこと。

ただ、基本の全体設計がその保険会社にとっての省力化、つまりコスト削減を最優先に開発されてる。たとえば、その保険に加入後はこれまでのような電話でのカスターサービスの電話窓口はなくなる。

契約者による問合せは、すべてその会社のウェブサイト上で客が自分で答えを探すことになる。あるいはチャットボックスと「対話」するしかなくなる。

次にコンタクトしたのは、以前加入していたAダイレクト保険。たまたまそこから送られて来たDMが手元にあったから。サイトにアクセスし、DM上に記された見積もり番号を入力してみた。が、画面がなかなか表示されない。仕方ないので電話した。

状況を話すと「お客様が使っているのはMacですか。Mac以外のパソコンでやってみてください」といとも簡単に言われる。アホかと思う。さすがにアホかとは言わなかったが、何とかするのがお前らの仕事だろう、くらいのことは当然伝える。

「お客様のは推奨環境ではないので難しいと思います」「別のブラウザーでやってみはいかがでしょう」だって。

どうしてそんな案内になるのか。

2023-03-15

ウェブサイトを閉じることにした

Jimdoというツールを使ってウェブサイトを作ってきた。先日、その運営会社のKDDIが利用料金を改定すると言ってきた。

料金がいきなり24%上がる。理由の説明はない。あるか・・・「今後も安全に安定したサービスを提供し続けるため」だというが、やはり説明になってない。

サイトは2012年4月に開設したものだから、開設して11年。長期割引で利用料を安くしてくれるのなら分かるが、逆にこれほど値上げするとは。現在の料金ですら、開設当時と比べて2倍以上になっている。

開設済みのサイトを他社サービスに移行するのは簡単ではない。こうした料金改定は利用者の足下を見てる。

もともと学生に資料を配付するために作ったサイトだが、所属している大学が3年ほど前からオープンソースの学習システムである Moodleを導入したので当初の目的としての用途はなくなっていた。

ということで、今回の値上げを機に有料契約を切ることにした。

このサービスに限らない、ネットのサービスには注意が必要だ。使っているうちにいくつかの理由で中途解約しづらくなる。サービス提供企業はそれをもとにタイミングを狙って無料だったものを有料化し、有料のものは利用料金を驚くほどの割合で値上げしてくる。

そこから逃げられなくなる前に、離脱する方法をあらかじめ念頭においてサービスを利用することが必要なんだろう。 

2023-03-14

42、57、87、88、89、90、98

朝刊一面で見つけた年月を示す数字。

87歳の袴田巌さんを巡る「袴田事件」について、東京高裁は裁判のやり直しを求める再審請求を認めた。

事件発生から57年がたつ。彼は死刑判決を受けた後、執行への恐怖から解離性同一性障害になり、自己を否定するようになったという。でっち上げられた証拠で不当な判決がなされ、国という権力から「お前を殺す」という、殺人予告を裁判での死刑確定から42年間受けてきたのだから。その彼を支えてきた姉のひで子さんは90歳だ。お元気だ。

ささやかながら個人的に袴田巌さんを支援してきた身としても、やっとという感慨がある。

袴田さんのひとつ年上の88歳で、訃報が報じられていたのは作家の大江健三郎さん。

同じく訃報として掲載されていたのが、元宝塚で元参院議長の扇千景さん。大江よりひとつ上の89歳。60年代、当時の富士写真フイルム製の8ミリカメラのテレビCMに出ていたのを憶えている。懐かしい。

イトーヨーカドー堂創業者の伊藤雅俊氏は98歳だった。敗戦後、千住の2坪あまりの洋装店の建て直しから、現在の巨大流通グループを作った経営者。戦後以降の高度成長期という時代もあるが、もう彼のような経営者は日本には現れない気がする。

昭和を強く思い起こさせる5人の方々である。

2023-03-12

『逆転のトライアングル』

リューベン・オルストン監督の『逆転のトライアングル』には、自由奔放な意地悪さが溢れている。本年度のアカデミー賞作品賞の候補作のひとつである。

原題は「Triangle of Sadness」。額の眉間の皺がよった箇所をしめす美容・ファッション業界の用語らしい。日本語にすると「悲しみのトライアングル」か。もってまわった大仰なこの言い回しを映画タイトルに据えたところが、オルストンの意地悪さの第一歩 。

 
主人公のカップル、カールとヤヤはファッションモデルの男女で、上っ面の見せかけだけを飾った中身が限りなく空虚な世界を象徴する。

物語の展開は、パート1から3までの3幕で繰り広げられる。それぞれが「起」「承」「転」であり、最後の3分ほどで「結」をなす。パート1は主人公ふたりについてのこと、パート2は豪華客船に乗り合わせた大富豪などの俗物らと船上でのエピソード。パート3では、船が海賊に襲われ爆破され、カールとヤヤほか数名が無人島に流れ着いたあとの逆転劇となる。

映画は、登場人物のロシアの大富豪(オルガルヒ)や、武器製造会社のオーナーでこれまた大金持ちの英国人夫婦などを底意地悪くからかい、嘲っている。ここで彼らを笑うか、またどう笑うかで観ている方が試される。

最後の3分。ハッとさせられる。この展開はどこかで見たことがあるなと思ったら、1968年公開のフランクリン・シャフナー監督の「猿の惑星」(Planet of the Apes)だと気づいた。

監督のオルストンは、それをやりたくてこの映画を作ったんじゃないのかね。

この作品、笑える話題作ではあるが、作品賞はなさそう。

2023-03-11

254枚であの3月11日を振り返る

毎年3月11日には、あの頃のことを思い出すために以下のアーカイブを見ることにしている。ニューヨーク・タイムズのカメラマンが撮った3月11日から27日までの254点の写真である。

https://archive.nytimes.com/www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html?ref=asia#1

船が陸地に乗り上げ、
家屋が崩壊し、
棺が地中に並べられ、
原発は煙と水蒸気を吹き上げ、
体育館には全面にシートが敷かれ、
理容師や医師や学生のボランティアが集まり、
街があった場所は一面の瓦礫と化し、
老人は雪のなか崩れ落ち、
絞られた生乳は捨てられ、
泥で汚れた写真が見つかり、
多くの人が担ぎ出され、
見つけ出された遺体はブルーのシートでくるまれ、
店頭から商品が消え、
墓石は倒れ、
人々は掲示板の訪ね人メッセージに目を凝らし、
配給の弁当を受け取る長い静かな列ができ、
被災者らの額には放射能の線量計があてられ、
壊れたマネキンの男は笑い、
自衛隊員は黙々と作業し、
人々は手を合わせる。

ニューヨーク・タイムズ紙掲載の写真(2011年3月13日)

2023-03-10

責任ある立場の人間は、責任を取らなければいけない

1945年の今日、東京大空襲と呼ばれる米軍からの大型攻撃があった。飛来した約300機のB29からの焼夷弾など約30万発、約1700トンが投下されるという無差別攻撃で100万人が罹災し、10万5千人が亡くなった。 この被害者数は半端ではない。市民を対象にした大殺戮と云える。

その5ヵ月後、広島と長崎に原爆が投下され、それぞれの地で14万人、7万4千人(1945年末まで)が亡くなった。それと比較しても、東京大空襲で受けた被害の大きさが分かる。

海外の多くの人たちも「ヒロシマ」「ナガサキ」のことは知っている。だが、「トウキョウ」でのことはあまり知られていない。 

都市への空爆というと、アメリカの小説家カート・ボネガットが書いたドイツのドレスデンへの空爆を思い起こす。それは、ドイツ本土空爆の中で最大と言われ、「ドイツのヒロシマ」とも呼ばれている。その空爆での犠牲者数は6万人。トウキョウの数は、それを優に上回る。

少し過去を振り返ってみよう。東京へのB29による空襲は1944年11月24日から始まった。爆撃機が飛び立ったのは北マリアナ諸島の島からだ。それを可能にしたのは、同年7月にサイパン島が、そして続いてテニアン島が陥落したのが決め手になった。

それを機に米軍は制空権を手にし、自由に日本の本土に空襲を仕掛けた。高度1万メートルを飛行するB29 を迎撃できる戦闘機など、そのとき日本にはもうほとんど残ってはなかった。

つまり、このタイミングで日本の敗戦は決定的になっていた。すでに詰んでいたのだ。

死者の数や被害を無駄に広げないためには、その時点で戦争を終結させるしかなかったはずなのに、そうはならなかった。というのは、責任ある立場の人間がそう判断しなかったから。軍部と天皇だ。

情けないことに軍部は既に混乱を極めていた。天皇が決めるしかなかったはずだが、そうしなかった。このまま降参すれば、陸海軍の統帥権を持つ昭和天皇は自分が戦争責任を連合軍から問われるのは必至で、どのように処分されるかを考えたわけだ。

結果、78年前の今日、10万人が死んだ。そして、8月には原爆が投下されて20万人以上が亡くなった。

責任を取るべき立場の者が責任を取らず、国民の生命と生活より自らの保身を最優先した。為政者が頬被りしてやり過ごすこの国の体制が、この時期に出来上がってしまった。そして、今もそれは変わっちゃいない。

2023-03-09

「右向け、右」

来週月曜日(3月13日)からマスク着用への政府の指示が変わる。これまでの「推奨」だったものが「指針の見直し」とかで「個人の判断」になるらしい。 

厚労省のサイトには「令和5年3月12日までは、これまで同様に場面に応じた適切なマスクの着脱をお願いします 」と書いてある。

よくわからない。13日になると医学的、医療環境的に何が起こるからというのか。12/13日の区切りの根拠がない。

「右向け右」と号令をかけるには、タイミングを一にして一斉に、ということなんだろう。

2023-03-07

ジャニー喜多川@BBCニュース

ジャニーズのジャニー喜多川を取り上げたBBCの特番が日本でも放送される。3月18日(土)午後6時からの放映である。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-64832492 

気色悪いこのおっさんのことはまた別の機会に取り上げるとして、日本のメディアはことごとく(文春などの少数を除いて)この件について無視を貫いている。特にテレビは全滅。完全な無視である。

それは彼らがジャニーズのタレントなしでは既に番組の編成と制作ができなくなっているから。毒まんじゅうを食い過ぎて、それなしで体が付いていかなくなくなっているから。

毒は完全にまわり、誰もどうにも手が打てないようだ。

2023-03-06

ネット調査の結果を安易に信用してはいけない理由

インターネット調査が日本に登場してきたのは2000年の頃だったから、もう四半世紀近くになる。

面接法や郵送法といった従来の方法に比べて早く、そして安価にデータ収集ができることで急速に利用者が増えてきた。

その一方で、インターネット調査ならではの問題点も指摘されてきた。たとえば、デジタル・デバイドと呼ばれる、ネット利用者ならではの特性を指摘したものなどがそうだ。完全にその問題が解決したとは思えないが、今ではこれだけインターネット利用が一般になると、属性の点では大きな問題点ではなくなったように思う。

いま、深刻な問題として指摘しておきたいのが被験者(調査会社の登録モニター)の質と行動である。

ある研究者が、ネット調査で被験者である登録モニターが真面目に回答をしているのかどうか調べた。実際の調査会社に依頼してアンケート調査を行った際に、「でたらめ回答」(「いい加減回答」とか「省力回答」とも呼んでいる)を検出する設問を織り込んだ。

すると、設問文に目を通してさえいれば絶対に間違えないはずの選択肢を間違えた回答者が16%いた。 およそ6人に1人の割合である。でたらめに回答したが、たまたま正しい選択肢に「当たった」というケースもあるはず。それを考慮すると、実際のでたらめ回答者率はおよそ20%、つまり5人に1人といったところか。

本来、こんな精度では調査になっていないのは明らかだ。

設問に目を通すことすらせず、でたらめに回答するのは、それでもらえるポイントなどの報酬目当てのモニター登録者だ。しかも1人でいくつものアカウントを持っていたりする。

https://www.nira.or.jp/paper/research-report/2022/23.html
https://www.nira.or.jp/paper/article/2021/wp01.html

ここまで「調査会社」と書いたが、世の中で「インターネット調査を格安で行えます」と称して商売している連中の中には、本格的な調査などやったことがないところも多い。調査をする、というより登録モニターからの回答データが集められるデジタルツールを提供しているだけだ。

どうやって回答を集めているのかという実査は、外からは完全なブラックボックス。だから、きちんと実施されているのだろうと信用するしかない。

調査会社とは呼べないこうしたシステム業者すらも「調査会社」と受け取られてしまっている点にも問題がある。個人的な感覚ではあるが、日本社会は全般的に調査リテラシーが欧米に比べて格段に低い。

多くは、これが調査を行った結果です、と言われると、それをそのまま受け入れる。正直というか馬鹿というか。

ぼくは研究者になってからはもちろん、それ以前に企業でマーケティングをやっていたときに山ほど調査を行ったが、経営者などできちんとしたリサーチ・リテラシーを備えている人というのは経験上、ごくごく一部だった。

(だから、調査結果の数字の見せ方やポイントをちょっと工夫するだけで、経営者たちをいくらでも操作というか誘導できた。が、それはここではまた別の話。)

収集データの話に戻るが、GIGO(Garbage In, Garbage Out)という言葉の通り、ゴミを入力したらゴミな結果しか出てこないのは当然のこと。バイアスのある回答による分析結果をもとに意思決定をすれば、ビジネスでも何でも失敗へ向かって突き進む。 

インターネット以前からしっかりとした調査を行ってきている伝統的な調査機関のなかには、手間をかけて不正モニターや不正回答を排除していくなど手を施しているところもあるが、そうした(面倒だが必須の)対応を取ろうとしない企業が単に「安さ」と「早さ」を訴求し、ビジネスとして伸びていく。 逆選択である。

中身がよく見えないだけに、調査する人たちには注意が必要だ。本来は関係の業界団体が問題意識をもって対応策をとるべきなのだろう。ただその現状を日本マーケティング・リサーチ協会(JMRA)という調査会社の業界団体にヒアリングしたところ、何も手つかず、そもそものところで意識が低くて呆れた覚えがある。

結果、業界内ですでに良貨が悪貨に駆逐されるという事態が起こっている。

利用者側から調査会社としての信頼性が一目でわかるような「認証制度」のようなものが求められる。