所謂「袴田事件」の特別抗告を、東京高検が断念した。反論の余地を探せないという理由からだ。事件発生から57年が経っている。
それにしても、袴田さんの自白にいたる経緯、逮捕の決め手となった味噌樽から見つかった衣類など、どうみても嘘、つまり捏造なのは明らかなのに、なぜこれまで判決が翻なかったかというと、検察がその「権威」を傷つけられたくないがために制度の不備に乗じて再審を拒んだからだ。
時間がたてばたつほど、組織は自らの過ちを認められなくなるのがよく判る。
57年前に袴田さんを逮捕し、自白を強要し、証拠を捏造した警察官はもう退官している。亡くなっているかもしれない。袴田さんを死刑に追いやった当時の検察の担当もいまはもういない
それから半世紀以上、検察の担当者は何代何代にもわたって引き継がれてきた。当然ながら、一方の袴田さん個人はそのままだ。
何代にもわたって袴田さんの有罪を主張してきた検察官は、組織の先輩らの意向に反して今さら無罪ということを口にできなかった。彼らにとって最優先されるのは、事件の真偽でも法の正義でもない。組織の中での自己の立場と組織防衛だけだから。
だから、先代からの検察官の顔に泥を塗ることにならないよう、そこには正義がないにもかかわらず袴田さんを死刑囚のままおいておかざるを得なかった。それが彼ら検察のプライドだったというが、あまりにも歪んでいる。
警察と検察という個人の顔が見えない組織の保守性、硬直性、怖ろしさ、いかがわしさがこれほどまでに表出するとは。
今後、彼らは袴田さんにどのように謝罪、補償していくのだろうか。