1945年の今日、東京大空襲と呼ばれる米軍からの大型攻撃があった。飛来した約300機のB29からの焼夷弾など約30万発、約1700トンが投下されるという無差別攻撃で100万人が罹災し、10万5千人が亡くなった。 この被害者数は半端ではない。市民を対象にした大殺戮と云える。
その5ヵ月後、広島と長崎に原爆が投下され、それぞれの地で14万人、7万4千人(1945年末まで)が亡くなった。それと比較しても、東京大空襲で受けた被害の大きさが分かる。
海外の多くの人たちも「ヒロシマ」「ナガサキ」のことは知っている。だが、「トウキョウ」でのことはあまり知られていない。
都市への空爆というと、アメリカの小説家カート・ボネガットが書いたドイツのドレスデンへの空爆を思い起こす。それは、ドイツ本土空爆の中で最大と言われ、「ドイツのヒロシマ」とも呼ばれている。その空爆での犠牲者数は6万人。トウキョウの数は、それを優に上回る。
少し過去を振り返ってみよう。東京へのB29による空襲は1944年11月24日から始まった。爆撃機が飛び立ったのは北マリアナ諸島の島からだ。それを可能にしたのは、同年7月にサイパン島が、そして続いてテニアン島が陥落したのが決め手になった。
それを機に米軍は制空権を手にし、自由に日本の本土に空襲を仕掛けた。高度1万メートルを飛行するB29 を迎撃できる戦闘機など、そのとき日本にはもうほとんど残ってはなかった。
つまり、このタイミングで日本の敗戦は決定的になっていた。すでに詰んでいたのだ。
死者の数や被害を無駄に広げないためには、その時点で戦争を終結させるしかなかったはずなのに、そうはならなかった。というのは、責任ある立場の人間がそう判断しなかったから。軍部と天皇だ。
情けないことに軍部は既に混乱を極めていた。天皇が決めるしかなかったはずだが、そうしなかった。このまま降参すれば、陸海軍の統帥権を持つ昭和天皇は自分が戦争責任を連合軍から問われるのは必至で、どのように処分されるかを考えたわけだ。
結果、78年前の今日、10万人が死んだ。そして、8月には原爆が投下されて20万人以上が亡くなった。
責任を取るべき立場の者が責任を取らず、国民の生命と生活より自らの保身を最優先した。為政者が頬被りしてやり過ごすこの国の体制が、この時期に出来上がってしまった。そして、今もそれは変わっちゃいない。